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☆☆ エジプト カイロ観光 総合情報スレ ☆☆

67在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2008/10/20(月) 16:53:11 ID:kikCNLCE
>>66 続き
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/081020/mds0810200810002-n3.htm

【用語解説】ムスリム同胞団の歴史
1928年、スエズ運河沿いの町イスマイリヤの中学校教師、ハサン・バンナーが設立したイスラム復興を目指す大衆組織。イスラム復興は19世紀以降、西洋帝国主義への反発と西欧化の浸透に危機感を抱き、イスラム教に基づく社会改革を目指す流れで、同胞団はその復興運動の代表的存在。
 バンナーは、シャリーア(イスラム法)の実施による社会秩序の再生を目標とし、人々への呼びかけ(ダアワ)を柱に、イスラム教の理念を政治、教育、福祉、医療など社会生活すべての指針とする統合型の改革運動を展開した。40年代後半にはエジプト最大の政治結社となり、反イスラエル・反英ジハード(聖戦)に大衆を動員、地下武装組織も抱えた。52年の自由将校団のクーデターに至る社会情勢を醸成したが、バンナー自身は49年、暗殺された。
 時の大統領ナセルは54年、同胞団を非合法化して弾圧、組織は壊滅的な打撃を受けた。70年にナセルが死去した後を受けた、サダトは政敵の左派に対抗させるため、同胞団の指導者を釈放し、合法化には慎重な姿勢を続けつつも、一定の復権と活動再開を認めた。
81年に大統領に就任したムバラクも同胞団を「非合法」のまま、その活動を許容する政策を取り、同胞団は「穏健なイスラム勢力」として既存の野党と連携して国会選挙に参加するようになった。90年代半ば以降、合法政党化を模索する動きも見せているが、ムバラク政権は折に触れて活動家を大量逮捕するなど、同胞団が一定以上に勢力を伸長させないよう弾圧と活動黙認を使い分けている。


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