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☆☆ エジプト カイロ観光 総合情報スレ ☆☆

147在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2009/01/05(月) 09:59:18 ID:0SpGLUx6
>>146続き
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/081229/mds0812290855002-n3.htm
秘密組織をめぐってはクトゥブと対立したアブドル・ハーリクだが、クトゥブが残した著作「道標」については「文学者であるクトゥブの著作はイスラム法学者の厳密な文章ではなく、文学的な比喩(ひゆ)に満ちている。だが、それが過激な思想を求める人たちに都合いいように解釈される余地を生んだ」と指摘。「クトゥブ自身は、現代のイスラム教徒に対する背教宣告という考え方を一切示していない」と擁護する。

 同胞団は第3代ムルシド、ウマル・ティルミサーニー時代の82年、「クトゥブは同胞団(の考え方)を代表していない」との声明を出し“絶縁”を宣言した。

 だが、01年の米中枢同時テロでアルカーイダに代表される「グローバルなジハード主義」が注目されたためか、同胞団内部でも依然、さまざまな人物が「クトゥブ主義」の克服について語る状況が続いている。

 第2代ムルシドの孫で有力な若手論客であるイブラヒム・フダイビー(25)は、「クトゥブの思想はナセル政権による厳しい弾圧への反応として過激化した」と指摘し、「クトゥブ自身が生きていれば、自らの思想の『見直し』をしていただろう」と語る。

 エジプトの「イスラム集団」が暴力の完全放棄を宣言し、ジハード団の元理論家サイイド・イマームがかつての同志であるアルカーイダ・ナンバー2のアイマン・ザワヒリを激しく非難するなど、いまアラブ・イスラム世界では過激思想の見直しの局面に入っているようにもみえる。

 そこに共通するのは「大衆がついてこられない過激な闘争は結局、イスラム運動そのものの首を絞める」という反省だ。クトゥブの思想がどのように総括されるのかも、今後の流れを占うカギのひとつとなるだろう。=敬称略(村上大介)


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