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☆☆ エジプト カイロ観光 総合情報スレ ☆☆

146在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2009/01/05(月) 09:57:22 ID:0SpGLUx6
>>145続き
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/081229/mds0812290855002-n2.htm
クトゥブが関与したとされる秘密組織による「クーデター計画」はナセル政権によるでっち上げという説が根強くあり、特にムスリム同胞団内では今でも、そうした見方が主流を占める。

 だが、65年当時、同胞団の第2代ムルシド(導く人=最高指導者)、ハサン・フダイビーの下で「教導委員会」(最高幹部会に相当)に身を置いていたアブドル・ハーリクは、クトゥブがリーダーに祭り上げられていた「1965年組織」というグループが武装を計画していると疑念を抱いていたことを認める。そのうえで、65年のある夜、フダイビーの意を受け、当局の監視の目を避けて、クトゥブに組織から身を引くよう説得したことがあったとの“秘話”を明かす。

 当時の同胞団若手の一部は、ナセル政権の弾圧で弱体化した組織再建のために「教導活動」の名目で「65年組織」を作り、64年に病気を理由に釈放されていたクトゥブを指導者に招いたのだ。クトゥブが最初から組織の武装計画を知っていたかどうかは分からない。アブドル・ハーリクによると、「秘密組織は当局に弾圧の口実を与え、同胞団やイスラム運動にとって打撃となるだけ」との説得に対して、クトゥブは「迷った表情」を見せながらも、はっきりとした態度を示さなかったという。

 そのころ国家治安局で同胞団の動向を追う立場にあったフアード・アッラーム(73)=イスラム運動研究家=は「アブドル・ハーリクとクトゥブの密会を当時から把握していた」と語り、当局は「65年組織」による数件の破壊工作を事前に阻止したと主張する。結局、“クーデター計画”は摘発され、クトゥブと「65年組織」だけでなく、同胞団全体への大弾圧へとつながった。


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