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☆☆ エジプト カイロ観光 総合情報スレ ☆☆

145在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2009/01/05(月) 09:45:43 ID:0SpGLUx6
【ナイルの風 中東のまつりごと】(13)過激思想の見直し (1/5ページ)
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/081229/mds0812290855002-n1.htm
■「クトゥブ主義」どう読み解く

 「サイイド・クトゥブは目が合ったとき、後悔の表情を浮かべた。私には『君の警告はやはり正しかった』と言っているように感じられた」

 エジプトのイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団の古参幹部、ファリード・アブドル・ハーリク(93)は、現代イスラム過激主義の源流を作り出したとされる同胞団の理論家、サイイド・クトゥブと1965年に獄中の廊下ですれ違ったときのことを、こう振り返った。

 クトゥブは晩年の著作「道標」で、イスラム教の教えから逸脱した社会はたとえイスラム教徒が住む社会であっても「ジャーヒリーヤ」(イスラム教到来以前の無知、無明な社会の状態)であると断じた。さらに主権は神にあり、人民にはないとする「神の主権論」を強調して、「神の支配」の実現のために積極的なジハード(聖戦)を行うべきだとの行動主義を唱えた。

 クトゥブは66年8月に「クーデター計画に関与した」との罪状で処刑された。しかし、クトゥブの理論は、「ジャーヒリーヤ状態」にある世俗主義社会や政治指導者を「異端」と宣告し、暴力行使をも正当化する「タクフィール(背教宣告)」という過激思想への道を開いた。

 「道標」は文字通り、いまの国際テロ組織アルカーイダの考え方にもつながるイスラム過激派の原点ともなったのだ。


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