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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

773よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/16(土) 23:11:12 ID:YyH67sgo0
>>772

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42507760S2A610C1EL1P01/?df=2

 日本書紀や伝承によると、ニギハヤヒは高天原から「天の磐船」に乗って、河内国河上哮ケ峯(いかるがみね)に降臨した。哮ケ峯は磐船神社周辺の一帯を指し、ご神体の船形の巨岩を「天の磐船」と呼ぶのはこの伝承に由来する。全国にニギハヤヒを祭る神社は少なからずあるが「天孫降臨の地であり、社であると衆目が一致するのは、磐船神社だけ」(西角さん)という。

 さらに、古代においてニギハヤヒを祖先神としてあがめたのが、皇室と並び立つ勢力を誇った物部氏。同氏に関する独自の記述の多い「先代旧事本紀」は、ニギハヤヒはニニギの兄で、降臨も先と明記する。日本書紀も神武天皇(ニニギのひ孫)の東征より前にニギハヤヒが大和に降臨していたと記している。

 ニギハヤヒは神武天皇に帰順するが、見方によっては大和朝廷の成立の真相や禁忌に触れかねない伝承を内蔵し、今に伝えているのが磐船神社なのだ。

 同社を含む周辺一帯は金剛生駒紀泉国定公園に属し、複数のハイキングコースも整備されている。途中で「星のブランコ」と名付けられた全国有数の長さの木床式の人道つり橋を渡れるコースもあり、岩窟めぐりの後、さっそく約2時間かけて歩いてみた。つり橋や展望台からの眺めは美しく、時折吹く涼風はほおに心地よかった。

 古代人が駆け抜けたかもしれない山あいや川沿いの道――。古代の神々や天孫降臨の伝承に思いを巡らしながら、同じ道をゆっくり歩くのも一興だろう。

(編集委員 中川内克行)

<旅支度>駅から車で 七夕伝説も

 最寄り駅はJRなら学研都市線の河内磐船駅、京阪電車なら交野線の私市(きさいち)駅。河内磐船駅前にはタクシー乗り場があり、所要時間は10〜15分。私市駅からは磐船神社前を通る京阪バスが出ているが、土日のみで、本数も少ない。
 磐船神社を含む交野市の一帯は古くは「交野が原」と呼ばれ、七夕伝説発祥の地として知られる。市内には織姫を祭る「機物(はたもの)神社」があり、毎年7月6、7日に開かれる七夕祭りは大勢の人でにぎわう。七夕にちなむ地名も多い。

774名無しさん:2012/06/17(日) 00:02:46 ID:A2/jRzH.0
「天皇陵を発掘せよ」(31新書)における住井饐えの言動は、妖怪だからと言えばそれまでかもしれないが
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/2012-06.html?p=4#20120601
次の西村真悟氏の時事通信には、地方公務員による皇室破壊行為が行われている事が伝えられています。
なんと、天皇御陵をユネスコの世界遺産に申請したというのですから、あきれ返ります。
エジプトのピラミッドと仁徳天皇御陵を同じにしようというのか。

調査という名目で御先祖様のお墓をひっくり返し、観光名所にするという罰当たりな行為が許されると思う人間ばかりになってしまったのでしょうか。しかも、パンフレットには「仁徳陵」と記し、

わざわざ「天皇」の言葉を外していたというから意図的に天皇制破壊をねらっているとさえ思えます。全く、とんでもない事ばかりで眩暈がしますね。


天皇の御陵  西村真悟の時事通信

No.737 平成24年 5月28日(月)

まず概略から、我が郷里である旧国名で言えば、泉州、河内そして摂津の地には、まず、
日本武尊(やまとたけるのみこと)の皇子にして三韓征伐の最高指揮官である神功皇后を后とする第十四代仲哀天皇の御陵が造営され(藤井寺)、
以後、その皇子である八幡さんの祖である第十五代応神天皇の御陵(羽曳野)、その皇子である第十六代仁徳天皇の御陵(堺)が造営されてゆく。 第十六代仁徳天皇の三人の皇子は
第十七代履中天皇(堺)、第十八代反正天皇(堺)、第十九代允恭天皇(藤井寺)である。

 第二十代の安康天皇の御陵は、奈良に造営されるが、
第二十一代の雄略天皇陵は藤井寺、第二十六代継体天皇は茨木、第三十三代推古天皇陵と聖徳太子廟は太子町、そして、南北朝時代の第九十七代後村上天皇陵(河内長野)までが泉州、河内そして摂津の天皇陵である。

 このうち、仁徳天皇と履中天皇と反正天皇の親子三人の御陵は、堺の中心部の三国ヶ丘に南北に並んでいる。
そして、その周辺には多くの陪塚(家臣の墳墓)があり、東側には御廟山、にさんざい、いたすけなどの巨大古墳が並んでいる。このうち、御廟山古墳は、
近くに百舌鳥八幡神社があることから応神天皇の御陵ではないかと古くから言われている。

 この古墳群を抱える田園の丘陵が、子供達の遊び場だった。三国ヶ丘とは、泉州、河内、摂津の三国の堺にあるからそう呼ばれるようになった。古代、船が西から
明石海峡を抜けて茅渟の海(大阪湾)に入ってくると、正面に丘の上の巨大な仁徳天皇陵が遠望できる。そこが進路である。そして、神功皇后が朝鮮から帰着した
現在の住吉神社の南の津に着いた船から揚げられた物資と人は、仁徳天皇陵と反正天皇陵の間の竹内街道を通り、御廟山古墳の側を通り聖徳太子廟のある

太子町を抜け二上山の竹内峠を越えて奈良の明日香に入ってゆく。墳丘の面積では世界一の広さである仁徳天皇陵は南北に囲む皇子である

履中天皇陵と反正天皇陵とともに正確に南を向いており、空から見ても宇宙から見ても絶好の目印になる。

八尾にある陸上自衛隊航空基地の隊員に聞くと、仁徳天皇陵は、おそれおおいので真上は飛ばないが絶好の目印だと言っていた。航空機のない古代には、
仁徳天皇陵を空から目印とした人はいないが、海からは絶好の目印だった。但し、竹取物語には、月から来た姫もいる。当時の人が、空からの目印の為に仁徳天皇陵を造形したのかも知れない。

誰が、このことを否定できようか。

775名無しさん:2012/06/17(日) 00:15:13 ID:A2/jRzH.0
現実に戻る。私の子供の頃(昭和三十年代)、三国ヶ丘の巨大天皇陵と巨大墳墓は、ほぼ田園に囲まれていた。
その墳丘の森には数千羽の白鷺が舞っていて、彼等の餌であるドジョウやモロコやフナは、付近の田園で生息していた。しかし、現在、白鷺は
カラスに変わり、彼等の餌である人間の残飯は、住宅街と繁華街が提供している。そして、土地開発により、多くの陪塚が破壊された。今でも、三国ヶ丘駅近くの
巨大な前方後円墳がブルトーザーで一挙に破壊されたときの無惨な情景を思い出す。
 
仁徳御陵の東側の田園は宅地で覆い尽くされ、家庭排水とガソリンスタンドの廃油は、
仁徳天皇陵の堀に流れ込み、僕たちが「キンタイ」と呼んでいたすばらしく綺麗な小さな魚はいち早く姿を消し、コイやフナ、ナマズや台湾ドジョウまで姿を消した。そして、履中天皇の堀沿いにあった
空き地は、分譲されて、仁徳天皇と履中天皇の親子の御陵を結ぶ緑の空間は建ち並んだ新築住宅によって分断された。その上で、堺市は何をしているのかとと、仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥古墳群と

応神天皇陵を中心とする古市古墳群をあわせてユネスコの「世界遺産」に申請しているのである。

 一体全体、天皇陵を囲む歴史的風土を破壊されるに任せている堺市に、天皇陵を「世界遺産」にと

申請する資格があるのか。断じてない。その理由は、「天皇陵を囲む歴史的風土」が「世界遺産」に
ふさわしいのであり、「天皇陵」それ自体は「遺産」ではないからである。
冒頭に述べたように、天皇陵は、我が国が万世一系の天皇を戴く国家である限り、「現在に生きている我が国の聖域」であり、「世界遺産」として外国の学者が
掘り起こして「学術調査」をしたり、観光客がソフトクリームを舐めながら墳丘を歩き回るなど許されない地域なのだ。このこと、諸兄姉の先祖の墓のことを思えば分かるであろう。自分のご先祖の墓を
大切にするように、天皇陵を大切にしなければならない。

いや、天皇陵を大切にすることが自分のご先祖の墓を大切にすることにつながるのだ。
「かくの如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、また以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」(教育勅語)
 万世一系の基に断絶することなく今に生きており尊ばれるべき存在としての天皇をいただく国家。

これが、我が国の国柄であり、この国柄と不可分であることに天皇陵の本質がある。従って、天皇陵は「遺産」ではなく、「天皇陵を戴く周辺の歴史的風土」こそが遺産なのだ。ここがエジプトのピラミッドと我が国の天皇陵とが決定的に違うところだ。
ピラミッドの被葬者と現在のエジプトは無関係である。

しかし、天皇の御陵は、万世一系の現在の天皇と不可分である。従って、「世界遺産」申請は、まさに、この決定的違いを前提にして為されねばならないのだ。
しかるに、堺市は、周辺の「歴史的風土」を破壊させながら、「天皇陵」を「世界遺産」として申請している。

 そもそも堺という地方自治体の職員は、「天皇陵」を何だと思っているのか。彼等は、世界一の「巨大古墳」を「世界遺産」として申請しているという意識なのだ。つまり、驚くべきことに、申請の対象を「天皇陵」だとは思っていない。従って、「天皇陵」という性格をできるだけ捨象し捨て去ろうとしている。

 これは、左翼的自治体職員による、歴史破壊、歴史的風土破壊という文化破壊であり暴挙そのものである。堺に来られたら、堺市発行のパンフレットを手に取られたし。そこには、「仁徳天皇陵」とは書かれていない。
 
天皇を捨象して外し、単に「仁徳陵古墳」と書かれている。従って、このパンフレットによるプロパガンダが続くと、仁徳天皇陵は単なる「巨大古墳」になる。

文化の破壊とはこういうことだ。

つまり、天皇制否定の自治体に巣くう反日組織によって、「天皇陵」が単なる「遺産」にされ、世界の考古学者の「発掘調査」に委ねられようとしている。

 そうなれば、現実には、歴史を自国に有利なプロパガンダとファンタジーだとみなす、反日侮日の使命をおびた支那や朝鮮の「学者」が日本の反日学者と
反日政治家と共同して、仁徳天皇陵を掘り起こして調査という「破壊」を行うことは目に見えている。

(三年前の民主党幹事長による韓国の大学での講演内容を思い出されよ)以下略

776名無しさん:2012/06/17(日) 00:18:58 ID:A2/jRzH.0
6月1日分である。その上における志村の某糞芸no人に対する当てこすりはお見事。

777名無しさん:2012/06/17(日) 00:52:51 ID:A2/jRzH.0
>>763における我がカキコは、無知の産物とはいえ撤回せざるを得ない。トホホ。
でも堺の東西交通は松原あたりに伸ばして欲しい。

778よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/17(日) 05:51:26 ID:Xu9rLtCY0
[碑にきく]<6>七夕伝説に永遠の愛詠む
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120617-OYT8T00059.htm

 古木が茂る参道を抜けると、朱塗りの社殿が姿を現す。七夕伝説の織姫を祭る機物(はたもの)神社(交野市倉治)。境内に、平安時代の歌人・紀貫之(きのつらゆき)(868頃〜945頃)の歌碑がある。

 〈一年(ひととせ)に 一夜と思えど 七夕の 逢(あ)ひ見む秋の限りなき哉(かな)〉

 中国が起源とされる伝説では、天帝の娘・織姫は、牽牛(けんぎゅう)(彦星(ひこぼし))と出会い、楽しさのあまり機織りの仕事を怠ける。天帝の怒りで、天の川の両岸に引き離された2人は、年に一度だけ、七夕の日に会うことを許された。

 1年のうち一晩しか会えないと思うと寂しいが、会うことができる秋の日は、毎年、限りなく巡って来る――。紀貫之は、悲恋のイメージが濃い伝説を、永遠の愛として詠んだ。七夕(7月7日)は現在は夏だが、旧暦(今年は8月24日)では秋と位置付けられている。

 一帯は平安時代、交野が原と呼ばれ、貴族以外の狩りを禁じた「禁野(きんや)」だった。天野川という名の川が流れ、京の都から狩りに訪れた貴族が、空の「天の川」になぞらえた歌も伝わる。「枕草子」では、美しい野原の一つに挙げられている。

 歌が詠まれた場所は定かでないが、交野市は1991年、有名な紀貫之の歌で伝説ゆかりのまちをアピールしようと、境内に歌碑を設けた。伝説を顕彰する市民団体・天の川七夕星まつりの会会長の鳥居貞義さん(76)(枚方市宇山町)は「天野川のほとりに立つと、水面(みなも)に星が映り、空の天の川にいるような気持ちになれたはず。紀貫之も訪れ、想像を膨らませたに違いない」と推測する。

 その交野が原に機物神社があるいきさつも、記録には残されていない。周辺には、4世紀に渡来人が住み着いたという伝承があり、中村武三宮司(97)は「養蚕技術を持った渡来人が、織物の神様として織姫を信仰したのが始まりでは」とみる。

 伝説は、時代が下っても多くの人の心を引きつけ、江戸時代には、七夕の日に願い事を記した短冊をササに結ぶと、希望がかなうと広く信じられるようになった。江戸初期に幕府の代官が描いた絵図には、機物神社の場所に「織女」と書かれ、当時、織姫の社として信仰を集めていたことがわかる。江戸後期の書物には、七夕の日に祭りが行われていたと記されている。

 祭りはやがて途絶え、神社が1979年に再興。参拝者は年々増え、昨年は約2万人でにぎわった。

 天野川の両岸には今、住宅が立ち並ぶが、空の天の川では今年も、年に一度の逢瀬(おうせ)がかなう。その幸せは、紀貫之が歌を詠んだ1000年以上前から毎年続き、これからも繰り返される。(中田敦之)

779よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/17(日) 05:52:40 ID:Xu9rLtCY0
>>778

◇古代の想像力生かそう 作詞家・もず唱平さん

 男と女の様々な物語を描いてきた作詞家は、「夜空を仰ぎ見て、年に一度だけ会う男女の物語を作り出した古代人の発想力、想像力」に感心する。「伝説のおかげで、古代人の思いが現代にまで伝わった」

 交野市の北側、枚方市に30年以上暮らす。交野が原は両市にまたがって広がっており、枚方市側にも牽牛ゆかりの大きな石がある。「はっきりした史実はわからなくても、貴重な伝承文化がこの地域にある。両市や住民、企業が力を合わせれば、おもしろいことができるはず」

 枚方や交野の里山に育つ竹で作った楽器の国際音楽祭、七夕伝説の語り部検定、ササ飾りで電車の駅舎を覆い尽くす――。次々にアイデアが飛び出す。「古代人のように想像力を働かせば、この文化をこれからの私たちの生活に生かすことができる」と語る。

 「電子望遠鏡で天の川の正体も何もかもわかってしまうと、夢がしぼんでしまう。便利にはなったが、古代よりも幸せになったかというと、そうではない。このあたりで立ち止まって考えた方がいい」。七夕の夜、いにしえのロマンに思いをはせることで、現代の生き方を見つめ直すきっかけになれば、と願う。

 <もず・しょうへい> 1938年神奈川県生まれ。枚方市在住。67年に「釜ヶ崎人情」で作詞家デビュー。代表作は「花街の母」など。日本音楽著作権協会監事。

 ◆交通手段 JR片町線津田駅の南約900メートル。京阪交野線交野市駅からは北東約2キロ。機物神社には、紀貫之の歌碑のほか、万葉集にある七夕の和歌(作者未詳)を刻んだ七夕万葉歌碑もある。

(2012年6月17日 読売新聞)

780よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/19(火) 23:54:48 ID:bnzUXJGQ0
「幸せ、届けるわぁ」祭り彩る愛染娘がPR
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120615-OYT1T00609.htm

 大阪三大夏祭りの一つ、四天王寺別院・愛染(あいぜん)堂(大阪市天王寺区)の愛染まつり(30日〜7月2日)を前に、催しを彩る愛染娘らが14日、読売新聞大阪本社を訪れた。

 愛染娘は一般公募で選ばれた10人と、韓国、中国からの留学生各1人。30日午後2時からのパレードでは、かごに乗って「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区)から愛染堂境内まで約3キロを練り歩く。

 愛染娘の同志社大3年の女性(20)(大阪市中央区)は、「はじける笑顔でまつりを盛り上げ、皆さんに幸せを届けたい」とPRした。

(2012年6月18日14時55分 読売新聞)

781よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/20(水) 22:39:33 ID:uZlSJteI0
歩いて知る「暗越奈良街道」 有志がガイドブック編集 大阪
2012.6.20 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120620/osk12062002070004-n1.htm

 ■AEDの場所も地図に

 大阪と奈良を暗峠(くらがりとうげ)経由で結ぶ「暗越(くらがりごえ)奈良街道」沿線の見どころをまとめた「暗越奈良街道ガイドブック2012−歩いて知る街道の歴史と生活文化−」が読書館(奈良県生駒市)から出版された。歴史的、文化的施設や著名飲食店などのガイドを載せたほか、沿線にあるAED(自動体外式除細動器)設置場所などを地図上に示し、防災にも役立つよう工夫している。

                   ◇

 沿線の大阪市、東大阪市、生駒市、奈良市のまちづくり団体や行政機関の関係者らで平成20年に組織した「暗越奈良街道倶楽部」の有志が編集委員会をつくり、執筆を分担するなどして一冊の本にまとめた。

 暗越奈良街道は、大阪市中央区の高麗橋から、東成区、東大阪市、暗峠、生駒市を通って奈良市の春日大社に至る約34キロ。ガイドブックでは、難波津▽布施▽生駒山西麓▽平城京▽春日大社と奈良町−など計17項目に分け、写真や地図などを使って寺社、古墳、文化施設などのガイドや、地域の歴史に関するコラムなどを掲載した。

 また防災の観点から、コンビニエンスストア、トイレ、AED設置場所など緊急時に利用できるポイントを地図上に示している。

 編集委員会メンバーで一部執筆を担当した大阪市東成区わがまち推進会議世話人の松下和史さんは「これをとっかかりに街道沿線の魅力を発見、発掘していきたい」と話している。216ページ。1500円。問い合わせは読書館((電)0743・73・0676)。

782よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/20(水) 23:59:05 ID:uZlSJteI0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

浪花名物の商品券
2012年6月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120620/20120620033.html

鰻券・鮮魚券

 梅雨の訪れとともにお中元の時季がやってきた。あの顔、この顔とお世話になった方々を思い浮かべ、好みや趣味を勘案して贈り物を考えるのも日本ならではの風習だ。近年、官公庁をはじめ勤務先での贈答の自粛がけん伝されるが、百貨店における贈答コーナーの盛況ぶりを見る限り、どこまで徹底されているかは疑わしい。

 本来は、世話になった先様へ直接持って伺うのが礼儀だが、近年は注文先から配送業者を経て届けるのが一般化しており、甚だ形式化されている。

 現在、生ものはクール宅配便が便利だが、これとて冷蔵庫の空きスペースの問題もあり、ときにありがた迷惑なこともある。その点、ここに紹介する「鰻(うなぎ)券」や「鮮魚券」の商品切手は随時、有用の時に交換できるのがありがたい。以前紹介した「饅頭(まんじゅう)切手」などとともに生もの故の欠点を補って余りある知恵才覚の現れだろう。いずれも明治期のものと思われるが読み下しは以下の通りだ。

 「一 鮮魚 一折 この券を以て、引き換えお渡し申し上ぐべく候也 安土町 森田吉五郎一 鰻 一箸 ご入用の節、差し上げ申し候 なには橋 網彦」

 「鮮魚一折」は額面通りでいけば、折り箱1箱分の鮮魚ということになるが、関西では折り詰めに入ったコイを一折と言うそうな。安土町の森田商店ではこの券と引き換えに随時、鮮魚を用立てた。

 一方、「鰻一箸」は箸が2本で用を足すように、かば焼き2枚ということであろうか。やはり、引き換え時に、さっと焼いて渡したものであろう。興味深いのは、「なには橋 網彦」だ。

 聞くところによると、創業は寛永年間というから360年余の歴史がある老舗だ。今日、鰻料理で有名だが、その昔は川魚商でもあったという。ともあれ、難波橋のたもとで鰻好きの大阪人の嗜好(しこう)を一手に引き受け、現在も北浜(現、阿み彦北浜店)で営業を続けているというからすごい。

 紹介する鰻券には1銭印紙が貼ってあるのは興味深いが、この券はあくまでも持ち帰り用の商品券であろう。うまいもん好きの御仁であれば、店で蒲焼きを待つ間に、1本銚子(ちょうし)を付けてチビリチビリとやりながら「もうここで食べていくわ」とのたまうに違いない。

 (大阪商業大学商業史博物館主席学芸員・明尾圭造)

783名無しさん:2012/06/21(木) 18:44:08 ID:A2/jRzH.0
>>775 カラスをホームレスや凶悪犯に見立てれば、その餌を供給するヤカラがいるわけで。それはな〜に?
ホームレススレへGo

784よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/24(日) 15:03:27 ID:7MwzBGYg0
平和の意義伝えたい 戦争遺跡の調査記録を出版
2012年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120624/20120624016.html

 大阪東部地域に残る戦争遺跡の調査、研究を進める郷土史家の大西進さん(71)=八尾市黒谷=が、9年間の研究成果をまとめて出版した。タイトルは「日常の中の戦争遺跡」。現在、八尾空港として使われている旧陸軍大正飛行場を中心に紹介し、「歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史があることを身近な戦争遺跡から知ってほしい」と訴えている。

 大西さんが戦争遺跡を調べ始めたのは、太平洋戦争の激戦地、ニューギニア島で戦死した父の足跡探し。調査は難航を極めたが、防衛省防衛研究所に1冊だけあった所属部隊の陣中日誌から父の名を発見。「記録がない出来事は存在しないことと同じで、後世に伝わらない」と記録の大切さを実感し、2004年から郷土の戦争遺跡を調べ、記録を続けている。

 大正飛行場は、旧陸軍が飛行学校だったところを接収し、1941年に軍用飛行場として整備。終戦後は米軍に接収されたが、54年に返還された。八尾市周辺には、旧陸軍の航空機を格納するための掩体壕(えんたいごう)(同市垣内)や戦闘指揮所(現陸上自衛隊八尾駐屯地・広報展示室)などが現存している。

 大西さんは「飛行場に建設された全長1600メートルのコンクリート舗装の滑走路は東洋一の規模といわれた。中四国の東部から阪神、中部地方まで統括する第11飛行師団や、大阪航空廠が置かれていた」と、役割の大きさを強調。

 一方、現在の「日常の中」の視点から「こんなものを作らないといけなかったのが戦争。戦争の無残さやむなしさを目で見て、手で触れて感じることができる」と説明する。

 同書は、2006年から12年まで地域史に発表した論文を再編。元軍人や地域住民、研究者ら約250人から聞き取り、資料などと照らし合わせながらまとめている。大正飛行場については戦争時のパイロットらの証言から、所属部隊の動きや戦争末期の状況などを克明に記録。地道な資料調査やフィールドワークで「水濠(ごう)」「官舎」「合宿所」にも迫っている。

 A5判、2730円。アットワークス。

 大西さんは、「河内の戦争遺跡を語る会」を立ち上げ、会員を募りながら戦争を各地域の住民目線で把握する活動を続けている。7月21日には八尾市生涯学習センターで開かれる市民大学講座(参加無料)で、「八尾の空襲と防空施設」について報告する。

 「八尾には史跡として保存するべき戦争遺跡がたくさん存在する。これを戦争の無残さ、そして平和の意義を伝える教材として多くの人に知ってもらいたい」

785よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/24(日) 15:57:37 ID:7MwzBGYg0
桂米朝さん「病床日記」70年ぶり見つかる 米朝落語の原点
2012.6.24 13:59
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n2.htm

 人間国宝で落語家の桂米朝さん(86)が第二次大戦中、腎臓病を患い陸軍病院に入院中に書いた「病床日記」が約70年ぶりに自宅で見つかっていたことが23日分かった。日記は昭和20年3月から終戦間際までの約5カ月間。「今研究中の(落語の)東西比較についても益多かりき」などと落語の研鑽(けんさん)を積んでいた。演劇評論家は「芸への貪欲さが若くして揺るぎない。米朝落語の神髄に触れる思いだ」と話している。

 日記は、今春、米朝さんの自宅書庫で整理にあたっている落語研究家が見つけた。几帳面な性格を伺わせるように大学ノート2冊にびっしり書かれている。

 米朝さんは大東文化学院(現大東文化大学)在学中に招集を受け、昭和20年2月に地元・姫路の十師団三九連隊に入隊。当時、作家で寄席研究家の大御所、正岡容(いるる)(1904〜58年)に師事していた。

 日記は3月2日から始まり、約2カ月後から落語に関する記述が増え始める。「今日あたりより、また何か始めんと思い居りしに…。東西共存落語を書きぬく」(5月25日)

 「米之助(四代目米團治)の小咄(こばなし)二題、明ばん丁稚、鶴の由来、巧みなれど話そのものは良からず」(同26日)とラジオ寄席を評論。

 翌27日、落語家の橘ノ円都(たちばなのえんと)(1883〜1972年)が慰問にきた際には、「急いで楽屋に行き円都に会い、余の病棟へ案内す」。面談の様子を「(前座の)『紀州飛脚』の解説、珍しいネタを話してくれ、且(か)つ、余の今研究中の東西比較についても益多かりき」と記している。

 8月9日、体調の回復がみられ、療養所の演芸大会で落語「がまの油」を披露している。また、20歳の青年らしく「ああ、家にて療養せば、全癒も早かるべし。ああ母恋し」と母への心情を綴っている。さらに夏目漱石など150冊に及ぶ読書の記録もある。

 今回、日記が見つかったことについて米朝さんは、「よくこんなものが出てきたなぁ。入院中は暇で、落語ほど面白い芸はないと思って、夢中で日記に書いていた。昔のことが甦ってくる」と話している。

 演劇評論家の権藤芳一さんの話「桂米朝の博識ぶりは広く知られているが、芸に対する真摯(しんし)な態度と貪欲さが20歳にしてすでに揺るぎのないものであったことを示している」

786よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/29(金) 05:29:34 ID:j3m9RK.M0
新選組・近藤勇、幕府復活へ大金無心? 借用書公開 結局、敗死で借金は返済されず…
2012.6.28 20:53
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120628/wlf12062820570014-n1.htm

 幕末史を彩った新選組局長、近藤勇(1834〜68年)が慶応3(1867)年、豪商から現在の2千万円に相当する大金を借り入れたことを示す借用書が7月14日から、大阪市西区の大同生命保険本社で公開される。同社が所蔵している古文書約2500点の一つで、新選組が幕府再興へ多額の資金を必要とするなど、明治維新前後の実態がうかがえる。

 借用書には、「預申金子之事(あずかりもうすきんすのこと)金四百両 但し月四朱利息慶応三年十二月」などと記載。新選組副長の土方歳三とともに、保証人として近藤の名が記されている。同社の母体となった豪商「加島(かじま)屋」から400両を借り、毎月4朱の利息で翌年5月に返済するという内容で、いずれも直筆という。

 慶応4(1868)年1月には、新政府軍と旧幕府軍による戊辰(ぼしん)戦争が始まり、新選組は当時、緊急に資金を必要としたらしい。しかし新政府軍に敗れた近藤は同年4月25日に東京で処刑。返済期日にはすでに亡くなっており、同社の担当者は「借用書が残っているということは、借金は返済されなかったのだろう」と話している。

787よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/29(金) 22:33:07 ID:SyRbuKqI0
大阪に夏の訪れ、道頓堀川で「船乗り込み」 歌舞伎俳優らがあいさつ
2012.6.29 21:02
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120629/trd12062921050018-n1.htm

 水都・大阪の夏の風物詩、歌舞伎俳優の「船乗り込み」が29日、大阪市の道頓堀川などで行われ、浴衣姿の中村吉右衛門さんらが声援を送る川岸のファンにあいさつした。

 船乗り込みは7月3日から大阪松竹座で始まる「七月大歌舞伎」の前触れとして行われてきた古式ゆかしい行事。

 色とりどりの幟(のぼり)や提灯で飾られた船に乗り込んだ吉右衛門さんや、七月大歌舞伎で襲名披露を行う中村又五郎さん、中村歌昇さんら一行は、大阪市中央区の八軒家浜から出発。真夏のような日差しの中、東横堀川、道頓堀川などをめぐり、橋の上から「播磨屋!」などと声が掛かると、笑顔で手を振って応えた。

788よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/30(土) 22:10:24 ID:iwZd5NV60
愛染まつり 大阪三大夏祭りのトップを飾り
http://news24.jp/nnn/news8894574.html

 大阪の三大夏祭りのトップを飾る「愛染まつり」が30日始まり、恒例の宝恵かごパレードが難波の街を練り歩いた。「愛染まつり」は、この日に浴衣をおろすことから「浴衣まつり」とも呼ばれる。初日のきょうは、小雨の降るあいにくの天気の中、華やかな浴衣姿の愛染娘11人が、6台の宝恵かごに乗って天王寺から愛染堂までを練り歩き、威勢のいい掛け声で浪速の街を彩った。まつりは来月2日まで行われる

789よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:18:06 ID:q.YnI.gY0
震災復興へ「国旗掲げ、心一つに」広がる 創祀2670年の枚岡神社
2012.6.30 19:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n1.htm

 子供だった昭和40年代(1965〜1974)、自宅玄関の壁には国旗立て金具が付いていた。国民の祝日にはそこに国旗(日の丸)が立てられた。隣近所も大抵国旗を玄関に立てていた。今ではあまり見かけない。そんな中、大阪府東大阪市の枚岡(ひらおか)神社が昨年の東日本大震災後、「祝日に国旗を掲げましょう」という活動を始め、氏子地域の東大阪市松原自治会では約150軒が祝日に国旗を掲げる。枚岡神社の中東弘(なかひがし・ひろし)宮司(71)は「せめて祝日には国旗を掲げ、日本の歴史と文化を見つめ直していただきたい。それが日本人の絆にもなる」と話している。

(野瀬吉信)

 国旗掲揚活動のきっかけは昨年3月11日発生の東日本大震災だった。

 たまたま中東宮司は所用で上京していた。地震発生後、電車は全線不通となり、いつ来るのかわからないタクシー乗り場も長蛇の列ができていた。寒風の中、ひたすらさまよい歩き、なんとかホテルを探し当てた。

 何度も余震が続く中、ホテルのテレビには、津波によって家屋や車がまるで玩具のように壊れ、流されていく姿が繰り返し映し出され、絶句した。

 「被災した方には申し訳ないが、震災を通じてある“気付き”をした。いかに日本人が傲慢になっていたか。自然に対していかに無力であるか」

790よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:19:18 ID:q.YnI.gY0
>>789

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n2.htm

 反省のいい機会だったと中東宮司は振り返る。

 そして、震災を通じてのもう一つの反省が「国を思う」ということ。祝日に国旗を掲げる家などほとんどない現状。「この国難を乗り越え、復興するには、日本人の心を一つにすることができる国旗掲揚が必要だ」という考えに至ったという。


地元・松原自治会が呼応

 中東宮司の国旗掲揚の呼びかけに応じたのは氏子総代の一人、松原功典(こうすけ)さん(79)だった。松原さんは昨年10月中旬、松原自治会(約450世帯)の役員会で国旗掲揚を提案した。役員からは「大賛成」「掲げるべきだ」という前向きな意見が相次ぎ、「やろう」ということになった。

 松原自治会は近鉄花園ラグビー場北側の旧伊勢街道沿いで、松原さんは自治会員宅を一軒一軒回り、理解を求めた。そして、初めての祝日となった昨年11月3日の「文化の日」、多くの国旗が玄関前に掲げられた。今では自治会員宅約150軒が祝日に国旗を掲げるまでになったという。

 「若い世帯も多く、国旗掲揚に問題がないわけではない。しかし、今後も理解を求め、半分ぐらいの自治会員の家に国旗が掲げられるようにしたい」と松原さんは話す。

791よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:21:55 ID:q.YnI.gY0
>>789>>790

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n4.htm

高まる掲揚の機運

 国旗掲揚の動きは松原自治会にとどまっていない。

 「祝日に国旗を掲げようという機運が高まり、近隣の自治会にもどんどん広がっている」

 松原さんはいう。

 祝日には各家の玄関前に国旗が掲げられ、町中に日の丸がはためく。40年ほど前には当たり前だったそんな風景を再び目にすることができるのだろうか。

 「松原地区はもともと歴史のある町。誇りある日本の国づくりを再び松原地区から日本中に広げていきたい」と松原さんは意気込んでいる。

  「来年を境に世の中はいい方向に進む。日本人の心の転換期にもなる。その流れに乗って多くの人が国を思い、国旗掲揚も広がりをみせるに違いない」。中東宮司も期待している。

                           ◇

 【用語解説】枚岡神社

 創祀(そうし)=起こり=は社伝によると神武天皇即位の3年前で、今から2670年以上前になる。平安末期以降は「河内国一之宮」となり、明治4(1871)年に「官幣(かんぺい)大社」の一つとなった。特殊神事として粥占(かゆうら)神事(大阪府無形民俗文化財)や別名・お笑い神事と呼ばれる注連縄掛(しめかけ)神事(東大阪市無形民俗文化財)が知られる。大阪府東大阪市出雲井町7の16。

792よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:28:24 ID:q.YnI.gY0
ナニワ初夏の風物詩「愛染まつり」始まる 
2012.6.30 22:34
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063022380022-n1.htm

 大阪の初夏の風物詩、愛染まつりが30日、大阪市天王寺区の四天王寺の支院、愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)で始まり、浴衣姿の愛染娘を乗せた「宝恵(ほえ)かご」の行列が、威勢のいいかけ声とともに沿道を練り歩いた。

 愛染まつりは天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭のひとつで、商売繁盛や縁結びに御利益があるとされる。祭りを境に女性が浴衣を着始めるため、「浴衣まつり」とも呼ばれる。

 宝恵かごには公募で選ばれた愛染娘が乗り込み、天王寺公園から愛染堂までの約1・5キロを行進。あでやかな浴衣姿の愛染娘らは「愛染さんじゃ!」「ほーえーかーごー」とかけ声をうけながら、集まった見物客に笑顔で手を振り、愛嬌(あいきょう)を振りまいていた。

793よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 10:07:55 ID:xXsuLPyE0
大阪ロマン紀行
大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

七夕伝説と羽衣伝説の地

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年6月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120629/20120629033.html

星田神社・星田妙見宮 交野市星田

 前々から気になっていたのが枚方・交野に伝わる一連の星にまつわる伝説。実際に天野川が流れ、星田や河内磐船(かわちいわふね)など、駅名を見ただけでも伝説にまつわるような地名が存在する。そこで、もうすぐ七夕でもあることだし、交野市星田の星田神社へと向かった。

 「ここは七夕伝説、羽衣伝説、そして北辰(ほくしん)信仰のすべてが重なる地なのです」と佐々木久裕宮司。詳しくお話を伺い、資料も見せていただいた。

 七夕伝説は、皆さんご存じの織姫と彦星の話だが、交野市には織姫を祀(まつ)る機物(はたもの)神社があり、天野川の対岸には彦星の牽牛石(けんぎゅうせき)があり、逢合(あいあい)橋やかささぎ橋(かささぎが翼を連ねて橋を架け二人を逢わせた)という名の橋も架かっている。伝説が実際の地名になっているのが興味深い。

 また、星田神社の近くの星田妙見宮(正式名:小松神社)には、太古の昔から存在するといわれる巨石が祀られていて、俗称「織女石(たなばたせき)」と呼ばれている。

 星田妙見宮は、弘法大師が唐から宿曜経(しゅくようきょう)を持ち帰り、星の道場を創建したことに始まる。宿曜とは、天体の動きと人間の運命の関係を表したもので、後に陰陽道(おんみょうどう)に吸収された。

 この織女石を頂点とした妙見山は、大きく馬蹄形(ばていけい)にえぐられた形をしていて、それは、弘法大師が天より七曜星(北斗七星)を降臨させた跡といわれている。具体的には隕石(いんせき)落下の跡で、天体の専門家によると、たしかに弘仁(こうにん)7(816)年7月23日に北斗七星の方角からペルセウス流星群が通過していて、そこから隕石が落下したと考えられるという。

 また、この枚方・交野一帯は、古くは交野が原といわれ、物部(もののべ)一族の本拠地であった。その物部氏が最高神として祀る「豊受大神(とようけのおおかみ)」は北斗七星から降臨した天女であるといわれ、この地の羽衣伝説と結びついていく。このように興味深い話が続くのだが、ここでの文字数では、とても書ききれない。

 取材した日は早朝におじゃまして、毎朝行っているラジオ体操に参加させていただいた。多いときには周辺の方々100人以上が参加される。その後、佐々木宮司が制作した、この地の伝説を歌にした曲(4曲)をみんなで歌う。

 星田妙見宮が2016年に創建1200年を迎えるに際し、星空の下で市民1000人の大合唱を行う予定である。

 取材した日は途中で雨が降りだしたが、傘をさしてでも一緒に歌う人々がここにいる。夢はきっと4年後に実現するに違いない。

794よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 12:41:11 ID:xXsuLPyE0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」始まる−宝恵駕籠パレードで盛り上がる
http://abeno.keizai.biz/headline/493/

 大阪三大夏祭りの幕開け「愛染まつり」が6月30日、「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区)3階スカイコートでの出発式で始まり、谷町筋で恒例の宝恵駕籠(ほえかご)パレードが行われ、雨の中でも多くの人が訪れた。

  「愛染まつり」は、毎年6月30日〜7月2日に寺院「愛染堂・勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)」(天王寺区夕陽丘町)で開催。天神祭・住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。「愛染まつりで始まり、天神祭でピークを迎え、住吉祭で終わる」といわれる。

 当日は、311人から公募で選ばれた10人と外国人枠2人の愛染娘が浴衣姿で宝恵駕籠に乗り込み、谷町筋を同寺院までパレード。「愛染さんじゃ」「ほっえっかご」などの掛け声を出しながら約2時間かけて練り歩いた。同寺院に着くと、かごを持ち上げる(かご上げ)が盛大に行われた。

 寺院周辺には多くの夜店が出店。1日19時には、今年の愛染娘のナンバーワンを決めるミス愛染娘コンテストも行われる。

795よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/03(火) 20:22:09 ID:1VdD5MlY0
大阪天満宮で「星愛七夕まつり」−流氷・風鈴展示で「涼」を演出
http://umeda.keizai.biz/headline/1366/

 大阪天満宮境内(大阪市北区天神橋2)で7月7日、天神橋筋商店街1・2・3丁目合同イベント「2012星愛(ほしあい)七夕まつり」が開催される。主催は天神橋筋商店連合会。

 当日は16時から、天神橋3丁目「夫婦橋」から子ども織り姫・ひこ星を先頭に天神天満花娘、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部らが同1丁目までパレード。その後、大阪天満宮までパレードを行い、17時から境内特設ステージで、約70人の応募者から選ばれた今年の天神天満花娘10人をお披露目する。ステージでは、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部の演奏や大道芸コンテスト「第14回天神天満街道芸祭」などを開催。伊賀上野観光協会のブースには伊賀上野おまねき隊が登場し、手裏剣体験や津ギョーザの実演販売も行う。

 境内の本殿前から星合池には、「恋愛成就」「学徳向上」「心身健康」「商売繁盛」「厄よけ」「交通安全」「家内安全」の願いを書いた7つの茅(ち)の輪を用意し、短冊を持って7つの茅の輪をくぐって祈願する「茅の輪くぐり」も執り行う。星合池では、大川の「平成OSAKA天の川伝説」で放流するものと同じLED光源の「いのり星」とお札を1,000円で販売し、池に浮かべて奉納する。

 昨夏比15%以上の節電目標が設定され各所で節電対策が実施される中、同祭では「涼」を感じるさまざまな演出を企画。境内や南森町交差点北側、天三おかげ館には、網走市役所の協力でオホーツク海の氷柱を設置。天三おかげ館では、岩手県の南部風鈴、富山県の高岡風鈴など10県を代表する風鈴を展示する「ふるさと風りん展」を開催する。

 昨年に続き、前日の6日には「星愛七夕まつり前夜祭」も開催。18時からは6月の予選を勝ち抜いた9人が自慢の歌を披露する「昭和歌謡ヒットパレード」を開催。審査員に中村鋭一さん、桂福団治さん、塩乃華織さんを招き、のど自慢大会を展開する。19時からは「昭和野外映画祭」と題し、人形アニメ「てんまのとらやん」、実写「ふるさとのどうぶつえん」を上映する。会場ではトルコアイスや台湾かき氷、タイラーメンなどを販売する「ワールド屋台」も出店する。ワールド屋台と7日の夜店ではエビせんで作った「食べられるトレー」も試験的に導入する。

 同連合会の築部健二さんは「流氷や風鈴の展示では電気を使わず涼を感じられ、食べられるトレーはゴミを減らすことができる。いずれもエコを取り入れ企画した」と話す。

 「星愛七夕まつり」の開催時間は16時〜21時。入場無料。雨天決行。

796よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/03(火) 20:48:53 ID:1VdD5MlY0
あまりに昔過ぎて現実感が無いのですが、これも大阪の歴史の一部です。


大阪で発見の化石、海の最強爬虫類の仲間
2012/7/1 0:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG30023_Q2A630C1CR8000/

 大阪府泉南市の中生代白亜紀末期(約7千万年前)の地層から見つかった海生爬虫(はちゅう)類「モササウルス類」の顎の化石が、当時海で最強だったとされるプログナソドンに近い種のものであることが30日、分かった。

 ロイヤル・ティレル古生物学博物館(カナダ)の小西卓哉研究員と大阪府東大阪市の会社員、宇都宮聡さんらのチームが解明した。チームによると、プログナソドンの近縁種が見つかったのは国内で初めて。

 モササウルス類は、陸で繁栄したティラノサウルスと並び、白亜紀に栄えた。この中でプログナソドンは大きさ、凶暴性などから「海のティラノサウルス」とも称される。

 化石は顎の一部で、茶色。長さ約15センチ、幅は約8センチ。2010年3月に宇都宮さんが発見し、きしわだ自然資料館(大阪府岸和田市)で展示されている。

 生える前の歯が顎の中に残っており、表面が滑らかで直線的という特徴などが海外のプログナソドンの顎の化石と一致した。ただ、今回の部位だけでは種の特定は難しいという。

 顎から推定した体長は8メートル以上で、モササウルス類では国内最大級。

 プログナソドンの化石は、ニュージーランドやカナダ、モロッコなどの地層で見つかっており、頑丈な顎に太く巨大な歯が密に生え、他の海生爬虫類などを襲って食べていたとみられる。

 宇都宮さんは「海の暴れん坊が日本にもいたと分かってうれしい」と話している。成果は日本古生物学会の英文誌に掲載された。〔共同〕

797よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:05:58 ID:qV2f.g4I0
4役6人決意新た 大阪天満宮で装束賜式
2012年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120701/20120701034.html

 天神祭(7月24、25日)で奉仕する神童ら4役6人に辞令を交付し、当日に着用する装束を渡す儀式「装束賜(たばり)式」が30日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。6人は緊張した面持ちで装束に身を通し、本殿に参拝し拝命を奉告した。

 今年の神童に任命されたのは西天満小学校6年、大槻英生君(11)。長年、猿田彦を務める波多野肇さん(71)のほか随身の尾上正憲さん(23)、上谷隼太さん(20)、牛曳(びき)童児の田中大地君(11)、牛曳童女の関野佑さん(11)らととに、寺井種伯宮司から辞令を交付された。

 寺井宮司が「きちっと御奉仕できるよう健康に留意してください」とあいさつ。寺井種治権宮司は、四足の動物の肉を食べないなど、天神祭までに奉仕者が守らなければならない決まり事を言い渡した。その後、6人は装束を着て本殿に参拝し、拝命を奉告する「社参之儀」が執り行われた。

 神童の装束を身に着けた大槻君は「(装束は)重たいけど、実感が湧いてきた。頑張って神童を務めたい」と話していた。

798よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:07:21 ID:qV2f.g4I0
神童役務める大槻君宅で清祓式 神職らが訪問
2012年7月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120702/20120702022.html

 天神祭(24、25日)に奉仕することしの神童に任命された西天満小6年、大槻英生君(11)の「自宅清祓(はらい)式」が1日、大阪市北区で執り行われた。大阪天満宮の神職らが大槻君宅を訪れ、各部屋をはらい清めた。

 神童は24日の鉾流(ほこながし)神事で、船上から大川に神鉾を流すなどの重要な役割を担う。毎年、神鉾講の推薦を受けた同小に通う児童から選ばれる。

 この日は寺井種治権宮司ら同宮の神職をはじめ、講の関係者らが大槻君の自宅を訪問。神職が祝詞を読み上げ、家族らのおはらいの後、各部屋をはらい清めた。清祓式を終えた大槻君は「健康に注意して、立派に大役を果たしたい」と話していた。

799よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:11:20 ID:qV2f.g4I0
クライマックスの奉納花火 個人協賛を募集
2012年7月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120703/20120703023.html

 大阪天満宮花火実行委員会は、25日に行う天神祭のクライマックスを飾る奉納花火の個人協賛を募集している。協賛金は1発5千円で、3号玉の花火玉のレプリカ1個が記念品としてもらえる。

 大阪市都島区の桜宮公園野球グラウンドから打ち上げられる2・5号玉(直径約9センチ)の「紅梅」が対象。打ち上げられると、ピンクの大輪の梅の花びらが咲いたように夜空に浮かび上がる。協賛金が10万円以上なら5号玉、30万円以上なら10号玉の花火玉のレプリカが進呈される。

 受け付けは23日まで。問い合わせは電話06(6353)0025、大阪天満宮社務所へ。

800よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 00:19:29 ID:sy71M6uc0
「『文枝』の名に恥じぬよう頑張る」 三枝さん、大阪で盛大に襲名披露パーティー
2012.7.5 21:32
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120705/wlf12070521370014-n1.htm

 7月16日に上方落語の大名跡「六代目桂文枝」を襲名する桂三枝さん(68)の襲名披露パーティーが5日、大阪市内のホテルで行われ、各界から約1千人が駆けつけ祝福した。

 2日の東京でのプリンセス天功さんのイリュージョンによる華やかな演出と違って、この日の三枝さんは上方落語隆盛の象徴で、初代桂春団治(1878〜1934年)ら人気者が移動に使った「赤い人力車」の復刻版に乗って登場。三枝さんは、阪神タイガースの和田豊監督や作家の藤本義一さんから贈られたサインボールと色紙も披露、「文枝の名に恥じないよう頑張りたい」と誓った。

801よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 05:46:33 ID:sy71M6uc0
彦星・織姫キャラ初対面
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120705-OYT8T00130.htm

 七夕伝説にゆかりの枚方、交野両市は7日、京阪電鉄と共同で、両市のゆるキャラ「ひこぼしくん」「おりひめちゃん」をPRするイベントを枚方市役所前の岡東中央公園などで開く。伝説になぞらえ、枚方市の「ひこぼしくん」が京阪電車で交野市の「おりひめちゃん」に会いに行く。

 両市には「天の川」にちなんで和歌に詠まれた天野川が流れ、七夕ゆかりの地とされる。枚方市が5月、新ゆるキャラの「ひこぼしくん」を発表し、2年前から活躍中の交野市の「おりひめちゃん」との<出会い>を演出し、地域を盛り上げることにした。

 イベントでは、7日午前9時45分、京阪枚方市駅に「ひこぼしくん」が登場。車体などに両キャラのイラストをあしらったラッピング電車で交野市の私市(きさいち)駅へ出かける。「おりひめちゃん」と対面した後、そろって枚方市に戻り、午後1時半、岡東中央公園で開かれる青空市場「七夕マルシェ」に参加する。問い合わせは枚方市地域振興総務課(050・7102・3222)へ。

(2012年7月5日 読売新聞)

802よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 06:10:44 ID:sy71M6uc0
大阪城天守閣に「七夕かざり」−2000人の願い、色とりどりの短冊に
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1054/

 大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城1、TEL 06-6941-3044)で7月6日・7日、ササを飾る「七夕かざり」が行われる。

  3年前に始まった同イベント。小天守台に高さ1メートル80センチのササを5本設置し、来場者が書いた願い事の短冊を飾る。両日で2000人分の短冊を用意。短冊は小天台に設置したテーブルで書いてもらい、自分でササに飾ってもらう。色とりどりの短冊が天守閣を彩る予定だ。

 イベント担当の高満津子さんは「ぜひ思いをしっかり込めて自分の手で飾ってほしい」と話す。「昨年の東日本大震災を風化させないよう、イベントを通して復興の願いも込められれば」とも。

 同日夜には「七夕ライトダウン(クールアース・デー)」も行う。環境省が地球温暖化防止のために施設の消灯を呼び掛ける「CO2削減/ライトダウンキャンペーン」の一環で、今回が10回目。20時〜22時の2時間完全消灯し、ライトアップに慣れた日常生活の中、電気を消すことでいかに照明を使っているかを実感し地球温暖化問題について考えるもの。大阪城天守閣をはじめ、1万7297の企業や施設が参加予定。

 「七夕かざり」の開催時間は9時〜16時。

803よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:04:20 ID:Hs9jW./.0
短冊に願い事 大阪城天守閣「七夕かざり」
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707040.html

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は6日、来場者に願い事を書いてもらい短冊を笹(ササ)に飾り付ける「七夕かざり」を始めた。平日のこの日は海外からの観光客が多く、英語や中国語、韓国語で書かれた短冊が日本の夏の風物詩を彩っていた。7日午後4時まで。

 夏休み前に季節の行事を楽しんでもらおうと3年前から行っている。今年は1・8メートルの笹を5本と2千枚の短冊を用意。初日は617枚の短冊が飾られた。

 大阪の祖母に会いに来たというハワイに住む岡田大画君(9)は「いつもみんなでいろんなところにいけますように」とつづり、新婚旅行で英国から訪れたルークさん(28)とメリッサさん(29)は「ビューティフル」と言い、色とりどりの笹を眺めていた。

 天守閣の広報担当者は「この時季に来るお客さまに楽しんでいただき、東日本大震災を風化させないよう復興の願いも短冊に込めてもらえたら」と話していた。

804よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:07:58 ID:Hs9jW./.0
墨一色の躍動感 割り箸で天神祭描く
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707047.html

 大阪府和泉市池上町4丁目の府立弥生文化博物館で、割り箸を筆代わりに墨で天神祭などの風景を描いたぼく画家、潮見満英さん(72)の作品展「天神祭とたつ」が開かれている。目前に迫った天神祭(24、25日)の魅力を、一足早く伝えている。14日まで。

 ぼく画は、割り箸を使い墨の色のみで独自の絵を描き上げる手法で、潮見さん自身の「僕」、割り箸の「木」、絵の具代わりの「墨」の三つの意味を指す。今展では天神祭やことしのえとの「辰(たつ)」をテーマにした約50点を展示している。

 会場には天神祭の宵宮の24日に行われる鉾流(ほこながし)神事をはじめ、大阪市の大川を行き交う船渡御の様子などが墨一色で描かれ、一味違った祭りの魅力を伝えている。

 同館学芸員の角南なつみさんは「墨の色だけで描かれた躍動感を感じてもらうとともに、実際の天神祭と比べて楽しんでもらえれば」と話している。

 9日休館。入館料は一般400円、65歳以上・高大生300円。

805よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:22:39 ID:Hs9jW./.0
大阪、ゆるキャラが七夕イベント 
2012年7月7日 12時38分
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2012070701001423.html

 七夕伝説ゆかりの地とされる大阪府枚方市と交野市が7日、京阪電気鉄道と合同で、七夕にちなんだ両市のゆるキャラが出会うイベントを開いた。

 「天野川」が流れる両市と、川に並走する京阪交野線を「七夕伝説 出会いのまち」としてPRし、地域活性化につなげるのが狙い。

 枚方市のゆるキャラ「ひこぼしくん」が枚方市駅から京阪電車に乗って交野市の私市駅に行き、同市の「おりひめちゃん」に出会った。2人は抱き合って喜び、寄り添ってイベントに参加した。

 電車の車体には、ひこぼしくん、おりひめちゃんがラッピングされており、交野線で8月26日まで運行される。

806よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:42:02 ID:Hs9jW./.0
四天王寺で七夕のゆうべ
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003359121.html

七夕の昨夜、大阪の四天王寺の境内に200本のササと天の川をイメージしたイルミネーションがお目見えし、大勢の家族連れなどでにぎわいました。
「七夕のゆうべ」と名付けられたこの催しは、大阪・天王寺区の四天王寺で、地元の商店街などが中心となって4年前から行われています。
境内では、200本のササが約20メートルに渡って飾りつけられ、頭上には、天の川をイメージしたLEDのイルミネーションがともされました。
昨夜はあいにく雲が広がり星空を見ることはできませんでしたが、浴衣姿の家族連れなどが大勢訪れて、「家族みんなが笑って過ごせますように」などと願い事を書いた短冊をササに結びつけていました。
幼い息子と夫と一緒に初めて訪れたという女性は「イルミネーションがきれいだと聞いていましたが、実際に見てみるととてもきれいで、来てよかったです」と話していました。
この催しはきょうも四天王寺で午後1時から行われ、イルミネーションは午後7時から午後9時まで点灯されます。

07月08日 07時21分

807よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/09(月) 22:27:39 ID:sJcBjt8U0
「花娘」口上を披露 大阪天満宮星愛七夕まつり
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708062.html

 大阪市北区の大阪天満宮で7日、七夕恒例の「星愛七夕まつり」が開かれた。家族連れやカップルらが「恋愛成就」や「家内安全」を願い、境内に設置された七つの「茅(ち)の輪」をくぐった。

 天神橋筋商店連合会の主催で、天神祭の関連行事。同宮の神事「天満天神七夕祭」に花を添える催しとして親しまれている。

 今年は「エコ感たっぷり」に涼んでもろうと、会場内にオホーツク海の流氷による40センチ角の氷柱を設置。忍者による「冷や汗の出る」演技などもあり、参拝者らがひとときの涼を楽しんでいた。

 またこの日お披露目となる天神天満花娘らが、扇町総合高吹奏楽部の演奏に合わせて商店街をパレード。境内の特設ステージで、「そうらえ、聞きそうらえ、われれ天神花娘」と口上を初披露した。

 たくさんの声援を受け励みになったという田中梨乃さん(20)は「天神祭では暑い中でも笑顔と元気を与えられるように頑張りたい」と意気込んでいた。

808よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/10(火) 00:07:25 ID:sJcBjt8U0
創業110年迎える大同生命 所蔵文書を公開
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708061.html

 15日に創業110周年を迎える大同生命保険は、記念事業として行っている同社所蔵文書研究プロジェクトの研究成果の一部とその資料を14日から、同社大阪本社で一般公開する。同社の創業一族である大坂の豪商・加島屋(広岡家)より伝わる米取引にまつわる文書や新撰組の借用書をはじめ、戦前から残る同社の株主総会議事録など歴史的意義のある文書と、その研究成果を展示する。

 同社は、3社合併による創業時に中核をなした大阪の豪商「加島屋」に伝わる江戸時代からの文書を含め約2500点の文書を保存している。今回、110周年記念事業の一環として、大阪大や神戸大、秀明大の教授らの協力を得て、産学協同で保存文書の研究を進めている。

 6月28日には研究の中間報告が行われ、保存文書を基に得られた研究成果の一部が報告された。

 米の現物ではなく米切手と呼ばれる兌換(だかん)券を流通し世界初の先物市場といわれた堂島米会所を舞台に、米切手を担保に融資を行う入れ替え両替として市場を金融的に支えた加島屋久右衛門と、大名の過剰発行による米切手の信用低下に悩む幕府との間の対応策に向けてのやりとりや、米価安定のために幕府が米の買い支え資金として御用金の拠出を求めた際のやりとりなど。

 今回の展示では、これら加島屋の足跡や堂島米会所の概要などを紹介するほか、同社創業時の様子や肥後橋のランドマークといわれた旧本社ビルの建築を手掛けたヴォーリズについてなど、同社の源流とその発展の歴史を貴重な資料とともにたどる内容となっている。

 会場は同社大阪本社(西区江戸堀1の2の1、大阪市営地下鉄四つ橋線肥後橋駅すぐ)2階メモリアルホール。展示期間は9月28日まで。入館無料。開館は午前10時〜午後4時(入館は同3時半まで)。毎週土、日曜日、祝日は休館(7月14〜16日、8月11〜12日、9月15〜17日は開館)。

809よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/12(木) 07:05:40 ID:wcJK9wmk0
枕太鼓の練習 小学生威勢よく 大阪・茨木神社
2012.7.12 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120712/osk12071202020002-n1.htm

 茨木市元町の茨木神社で今月13、14日に行われる夏祭りに向け、小学生たちが祭りを盛り上げる枕太鼓の練習に取り組んでいる。境内では威勢のいいかけ声と太鼓をたたく音が鳴り響き、祭りの準備が着々と進んでいる。

 同神社の夏祭りは約300年の伝統があるといい、古くから「島下郡の祇園祭」として親しまれてきた。14日の本宮には、神輿(みこし)や枕太鼓が登場し、神社周辺を練り歩く。

 境内で行われている練習には、近くの小学校に通う5、6年生ら二十数人が参加。子供たちは太くて短い木製のばちを握り、「ヨイサー、ヨイサー」との大きなかけ声とともに、本番用の枕太鼓2台と太鼓に見立てた古タイヤを一生懸命たたいていた。

810よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/12(木) 21:09:00 ID:C.OPEedw0
「のしてーのしてー」威勢よく 杭全神社夏祭り始まる
2012年7月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120712/20120712029.html

 大阪市平野区の杭全(くまた)神社(藤江正謹宮司)の恒例の夏祭りが11日始まった。初日は早朝から布団太鼓の出発式が行われ、4日間の安全を祈願。その後、祭り装束の若者たちが威勢よく「のしてーのしてー」の掛け声とともに神社周辺を練り歩いた。

 町を9組に分け、各組のだんじりが境内に入る「宮入(みやいり)」には毎年多くの人が訪れ、にぎわいを見せる。布団太鼓の巡行には当番である「野堂町南組」をはじめ、すべての組が参加。練り歩いた後、同区平野東4丁目の樋乃尻橋にある祭壇でみこしを清める「足洗い神事」が執り行われた。

 祭りは14日まで。クライマックスのだんじりの「宮入」は13日夜に行われる。

811よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:30:20 ID:sxcg7VYM0
江戸時代の豪商の古文書を一般公開=新選組の借用書も−大阪
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012071300650

 大同生命保険は創業110周年を記念して、14日から同社が保有する古文書約2500点の一部を一般公開する。大阪本社ビル(西区)2階メモリアルホールで、9月28日まで開催する。入館は無料。
 同社は、ルーツとなる江戸時代の豪商「加島屋」の古文書の分析を大阪大学などの研究者に委託し、世界初の先物市場として知られる大阪米市場の取引実態を示す史料などが見つかった。展示される古文書の中には、新選組が加島屋から400両を借金した借用書があり、局長の近藤勇と副長の土方歳三の名前が記されている。また、幕府の金融市場統制政策について幕府と加島屋など両替商とのやりとりを記した「御用日記」や、加島屋を含む両替商が、米価の買い支え資金として幕府に拠出した20万両の御用金控えなども展示される。

812よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:32:29 ID:sxcg7VYM0
金銀みこし大阪城へ 生國魂神社夏祭り本宮
2012年7月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120713/20120713026.html

 「いくたまさん」の愛称で親しまれる生國魂神社(中山幸彦宮司・大阪市天王寺区)の夏祭りは12日、本宮を迎え、同神社元来の鎮座地である大阪城(同市中央区)への渡御などが執り行われた。

 築城前には同地に生國魂神社が鎮座し、大阪城への渡御はその里帰りにあたる。枕太鼓を先頭に獅子舞や金銀の神輿(みこし)などの渡御列が同神社を出発、大阪城内の鎮座跡を目指した。

 渡御列一行が大阪城公園内南西に位置する鎮座跡に到着すると、御羽車と金神輿、銀神輿を鎮座跡の駐輦(れん)所に据え置き、元宮著御(もとみやちゃくぎょ)祭を斎行。神職による祝詞奏上のほか、神楽や枕太鼓の奉納などが行われた。

813よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:40:50 ID:cDW8FLLk0
大阪ロマン紀行

母なる森の「葛の葉姫」
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年7月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120713/20120713031.html

信太森神社(葛葉稲荷神社) 和泉市葛の葉町

 今回は信太森(しのだもり)神社、通称、葛葉稲荷(くずのはいなり)神社に伺った。創建は和銅元(708)年。この神社には有名すぎる伝説がある。ご存じの人も多いと思うので、簡単にあらすじをご紹介しよう。

 大阪阿倍野の里に住む安倍保名(あべのやすな)という若者が、家の再興を志して、信太の森の稲荷に日参していた。ある日、一匹の白狐(キツネ)が保名に助けを求めてきたのでかくまうと、追ってきた狩人と争いになり、保名は負傷し、その場に倒れてしまった。そこへ、一人の女性が現れ、彼を介抱した。名を葛の葉と言い、その後、保名と夫婦となり、男の子が生まれた。

 しばらくは幸せな生活が続くが、葛の葉が子どもに添い寝して眠っているうちに、神通力を失って元の姿にもどってしまった。葛の葉は実は助けた白狐であったのだ。

 自分の本来の姿を見られた葛の葉は、今後は一緒には住めないと、口にくわえた筆で障子に「恋しくは たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみくずの葉」という歌を残して去った。残された子は、後に出世して陰陽師となる安倍晴明である。

 この伝説が、古浄瑠璃の「信田妻」となり、歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」となった。歌舞伎は葛の葉の子別れの場面を中心に構成することが多く、そのときは「葛の葉子別れの場」「しのだ妻」というような名称となる。

 過去のさまざまな書物にも、この神社は記されていて、雑誌や書籍の類いは沼通子(ぬまみちこ)宮司も知らないところで掲載されていることが多い。古くは「和泉名所図会」(寛政8・1796年)や、境内にも掲示している「松井章之(てるゆき)参府日記」(安政3・1856年)に絵入りで描かれている。手塚治虫のマンガにも「悪右衛門」という作品がある。

 このごろは、昨今の安倍晴明ブームで、晴明の母とはどんな人か興味を持った人が訪れるという。境内を沼宮司に案内していただきながらお話を聞くと、なんと、この神社にはまだまだたくさん神様が祀(まつ)られていて、全部で68もの神様がいらっしゃる。しかも本殿に集めているのではなく、ちゃんとそれぞれ鳥居や祠(ほこら)があり、森の中に点在しているのだ。

 そう、ここは森なのである。昔はうっそうとした森の中を散策するように、一つ一つ、歩きながら巡って参ったのだろう。

 周りが森であることにあらためて気づくと、きつい日差しもやわらいで、木々の間を風がさわやかに通り過ぎていく。森全体がやさしい……。

 そうか、だからここは葛の葉の、母なる森なのである。

814よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/14(土) 06:20:07 ID:57U9VDtg0
国内最古の木造洋式灯台「旧堺燈台」 15、16日に内部公開
2012.7.13 17:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120713/wlf12071317590018-n1.htm

 堺市のシンボルとなっている国史跡「旧堺燈台」(堺区大浜北町)の内部が15、16の両日、無料公開される。「海の日」(16日)に合わせた恒例行事で市文化財課は「年に1度の機会に現存する国内最古の木造洋式灯台に親しんで」とPRしている。

 旧堺燈台は明治10年に建設。堺旧港の突端にあり、所在地が変わらずに現存する灯台としては国内最古のものの一つとして、昭和47年に国史跡に指定された。老朽化が激しかったため、市が平成13〜18年度に大規模な保存修理を行った。

 高さ11・3メートル。英国人技師が設計した美しい六角形の白い灯台は、周囲の埋め立てに伴って役割を終える昭和43年までの約100年間、堺港を照らし続けた。15、16の両日は午前10時〜午後4時、市文化財課の職員4人が常駐し、普段非公開の1階内部を特別に公開。灯台からの堺港の眺望なども楽しめる。問い合わせは市文化財課((電)072・228・7198)。

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816よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:19:11 ID:n262VVqo0
シカゴも驚いた!? 先端金融市場に響く大証の伝統「大株締め」
2012.7.14 17:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n1.htm

 「打ーちまひょ、もひとつせー」−。

 大阪証券取引所は毎年最初の取引開始に先立って開く記念行事「大発会」や新規上場の記念式典で、独特の節回しの口上と拍子木(ひょうしぎ=木打ち)による「大株(だいかぶ)締め」を披露する。戦後、全国の取引所は一般的な「三本締め」で行事を納めるようになったが、大証では平成13(2001)年に56年ぶりに復活した。大証はデリバティブ(金融派生商品)取引きで東京証券取引所を凌駕(りょうが)する国内最大の取引所。そんな最先端の金融の世界で、なぜこんな“古めかしい”行事が復活したのか…。

 「打ーちまひょ」(拍子木でチョンチョン)

 「もひとつせー」(チョンチョン)

 「祝うて三度」(チョチョンのチョン)

 独特の掛け声と拍子木の組み合わせは、最先端のコンピューターシステムを駆使する証券取引所を考えると、どこかのんびりとした調子で、ユーモラスにさえ思える。

 これを拍子木を使わずに手拍子でやると「大阪締め」と呼ばれ、今も関西財界などの集まりではよく使われている。

817よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:22:49 ID:n262VVqo0
>>816

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n3.htm

 この「大株締め」の歴史は1730(享保15)年ごろまでさかのぼる。青物市場など、関西の流通経済の中心を担った大阪・中之島で、堂島米市場の契約成立時に使われた「手打ち」が発祥とされる。

あの“北浜の風雲児”、合理主義者だが文化を重視

 平成12年、大阪の手締めを研究していた大塚清明・大阪高検次席検事(当時)が、老舗の料亭から聞き取りや確認をしたところ、昭和20(1945)年に全国の取引所が一時閉鎖され、4年後に再開されたときには全国共通で三本締めになっていた。

 大塚氏がこの経緯をある会合で同席した巽悟朗・大証理事長(当時、故人)に指摘したことが見直しのきっかけになり、平成13年1月の大発会で56年ぶりに大株締めが復活した。

 巽氏といえば、25歳で光世証券を創業。一代で東京証券取引所1部上場を果たし、その豪快ぶりから「北浜の風雲児」と称された人物。大証と米ナスダックの提携に貢献した立役者としても知られる。

 北浜の地場証券関係者は「コンピューター化の最先端の業界にあって、巽さんは大阪証券マンの心意気を何らかの形で残したかったとも聞いている。批判的な意味で合理主義者と称された人だったが、その一方で文化の保護に理解があった」と振り返る。

 その後、大証は伝統を受け継ぎ、今日、新規上場など記念ごとがあるたびに大株締めで祝い続けており、上場会社や関係者から好評を得ている。

 今年5月にダウ工業株平均に関連した商品を上場した際、会場にはダウ指数のライセンスを持つ、米シカゴで商品取引所を運営するCMEグループ関係者が出席した。

 商品説明やくす玉有りといったセレモニーに続き、「これより大株締めで祝います」と、赤いひものついた拍子木を渡されると、CME関係者は一瞬面食らった後に破顔一笑。にこやかに拍子木を打ち鳴らした。

 大証関係者は「大株締めは上場日の記念として、経営者らに記憶にとどめてもらえる。他の証券取引所にはないサービス」と話している。

 ともすれば“非情”なイメージのある金融取引きの最先端と、温もりを感じる伝統文化のコントラストがどこか大阪らしく、社員の誇りにもなっているようだ。

(平岡康彦)

                           ◇

 【用語解説】大阪証券取引所

 1878(明治11)年大阪株式取引所として売買取引を開始。本社は大阪市中央区北浜。大証1、2部市場と新興企業向けのジャスダック市場があり、指数先物、オプション市場など、金融派生商品(デリバティブ)が得意分野。営業収益は224億円(平成24年3月期)、従業員は323人(同3月末)。来年1月に東京証券取引所と経営統合し、「日本取引所グループ」になる予定。

818よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:25:59 ID:n262VVqo0
縄文魂継いで豊かな大阪を 一心寺でシンポ
2012.7.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120715/osk12071502010001-n1.htm

 「大阪に“縄文魂”を!」と題するシンポジウムが14日、大阪市天王寺区の一心寺三千佛堂で開かれ、上田篤元大阪大教授らが「縄文時代の精神を受け継ぎ、幸福で豊かな大阪を築こう」などと訴えた。

 上田氏は講演で「自立自尊の精神で時代を築いた縄文人の心意気は、戦争が起きるたびに立ち直った大阪人の復興の原動力になっている」と指摘。こうした精神は、失敗が許されない官僚社会とは異なり、失敗を可とする大阪の中小企業の風土に引き継がれているのではないかとの見解を示した。

 講演を受けたパネルディスカッションでは、「日本は約1千兆円に上る借金国家となり、国民が自立をしていない」(平岡龍人・清風明育社理事長)、「縄文魂は大阪よりも日本人全体に呼び覚ますべきだ」(高口恭行・一心寺長老)などと意見が交わされた。

819よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 20:20:33 ID:Ncsc3MzE0
今日は「大阪港開港記念日」。意外と知らない、大阪港の歴史とは?
http://suumo.jp/journal/2012/07/15/24643/?vos=nsuusbsp20111206001

本日7月15日は、大阪港開港記念日。1868年のこの日、安治川の河口に開港されたことを記念して制定された。大阪港といえば、大阪府大阪市にある日本を代表する港湾。スーパー中枢港湾の指定を受けている、国際戦略港湾だ。

そもそも、大阪港の歴史は1400年前までさかのぼるとされている。それまで国際港として栄えていた難波津や住吉津といった海港が衰退してしまったため、安治川上流の川口波止場に運上所をつくり、大阪港として開港した。

しかし、安治川は洪水のたびに土砂がたまってしまい、大きな船が入れなくなる。そのため大型船は沖合いで小さな船に貨物を積みかえて、港に運ばなければいけなかった。そこで安治川河口に新しい大阪港を作ろうとなり、1897年に築港工事を開始して、約30年もの時間をかけて完成された。

その後大阪港は、1939年には取り扱い貨物量が3,000万トンを超える、日本一の港として繁栄。さらに、フェリーターミナルや客船ターミナル、鉄道や橋、スポーツ施設、住宅、学校などをつくり、いくつもの働きを兼ねた今のような新しい姿へと変わっていった。

ちなみに現在大阪市では、大阪港を通して海や港へより親しんでもらおうと、「大阪港みなとまつり」を開催中。本日は「大阪港カッターレース」や「大阪市長杯市民ヨットレース」、「ヨット体験乗艇」などが行われている。さらに、7月21日〜22日には「大阪港見学会」も予定されているなど、イベントが目白押しだ。

中でも目玉の「大阪湾クルーズ」には、今年は募集定員720名のところ、8114通もの応募があったという好評ぶり。抽選に外れた方も興味が出てきた方も、ぜひ来年また応募して、普段とは違った大阪港を楽しんでもらいたい。

820よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 20:52:16 ID:Ncsc3MzE0
暗越奈良街道 歩いて知って 大阪、奈良の4団体でガイド制作
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120714-OYT8T00090.htm

 奈良時代から江戸時代に幹線道としてにぎわった暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)の見所約150か所を紹介するガイドブックを、街道沿いにある大阪と奈良の住民グループなど4団体が作った。それぞれ、各地域の旧跡を生かしたまちおこしなどを手がけてきたが、「街道を軸に名所をつなげれば、より広く発信できる」と協力した。「多くの人に訪れてもらい、歴史を実感してほしい」と呼び掛けている。(中山亨一)

 ガイドブックを作ったのは、大阪市東成区の「区未来わがまち推進会議」と、東大阪市の「まち・むら文化研究会」、奈良県生駒市の出版社「読書館」、奈良市の社団法人「奈良まちづくりセンター」。

 4団体はいずれも、地域の活性化につなげようと、長年、各地域の忘れられた旧跡やユニークな建造物などを探して紹介。活動を通じて知り合い、2008年に「暗越奈良街道倶楽部(くらぶ)」を結成、年1回シンポジウムを開くなどしてきた。昨年1月にガイドブック作りを始め、今年3月に完成。5月から販売している。

 ガイドブックでは、街道沿いにある見所を解説し、カラー写真を添えた。創建に聖徳太子が関わったとされる熊野大神宮(東成区大今里)や周辺の古民家、江戸時代に幕府が認めた街道唯一の宿場「松原宿」の道しるべ(東大阪市松原)など、さまざまな歴史について説明。表紙には、東大阪市と生駒市の境にある暗峠(標高455メートル)に残る江戸時代の石畳を掲載した。

 また、昭和のレトロな雰囲気が漂う「喫茶むらかみ」(東成区大今里)、河内平野の特産品・河内ブナの洗いなどが食べられる「居酒屋淡路屋」(東大阪市足代新町)など、地域に詳しい住民グループならではの情報も。付属のマップには、街道を歩く際の助けになるようにと、トイレやコンビニエンスストアも収録した。

 編集に携わった同倶楽部代表の松下和史さん(63)(東成区)は「名所は、長い歴史を今に伝える『まちの遺伝子』。ぜひ実際に歩いてみて」と話している。

 1500円(税込み)。216ページ。問い合わせは読書館(0743・73・0676)。

◆暗越奈良街道

 高麗橋(大阪市中央区)から春日大社(奈良市)に至る約40キロ。奈良時代に東大寺大仏建立に協力した仏僧・行基や、江戸時代の俳人松尾芭蕉も行き来した。生駒山の暗峠を越えることから命名された。現在は、一部が国道308号になっている。

(2012年7月14日 読売新聞)

821よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:17:45 ID:EEXiIliA0
再三兵火にさらされた「葛井寺」
2012.7.16 10:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n1.htm

 藤井寺駅前の商店街に入ると、まもなく左手に中国風の帽子をかぶった小さな石像が立っていた。目をまるくし、にっこりと笑った少年の像である。

 「井真成」とあり、「いのまなり」とルビをふっていた。かたわらには、藤井寺市観光案内所の入り口があった。観光パンフレットなどが置いてあり、「井」君はそのシンボルキャラクターとなっているらしい。

 2004年10月、中国の西安市で、日本からやってきた留学生の古い墓誌が見つかった。「井真成」という名前で、藤井寺が有力な出身地であった。

 だが「いのまなり」という訓読みをするのはあやまりで、ただしくは「せい・しんせい」であろう。「井」は、この商店街のすぐ先にある「葛井寺(ふじいでら)」を造った渡来系の葛井連の「井」だという。

 19歳で遣唐使船に乗って留学し、36歳で客死した「井」君の生涯を書いた墓誌の最後のくだりは、ちょっと泣かせる。

 「哀しきは茲(こ)れ遠方なること。形は既に異土に埋むるとも、魂は故郷に帰らんことを庶(こいねが)う」

 同時期、唐にわたり、百人一首にも採用された阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という、これまた哀切に満ちた歌を思い出させる墓誌である。

822よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:20:00 ID:EEXiIliA0
>>821

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n2.htm

 「井」君は勉学に励んだとあるが、仲麻呂のように中国の官位に就くまでにはいたっていない。

 常識的に考えれば、青春の17年間、ずっと勉強ばかりしていたとは思えない。色恋沙汰のひとつくらいは、あったはずであろう。なかったら、それこそ哀れである。

   *  *  *

 商店街のアーケードを抜けると、すぐ左手に葛井寺の伽藍(がらん)が建っていた。西国第五番札所である。四国八十八カ所とことなり、西国三十三カ所は観音霊場巡りである。とりわけ、この寺の千手観音菩薩は屈指の傑作とされ、国宝にも指定されている。

 西国巡礼の札所には、これまで十数カ所ほど見学したが、四国のお遍路さんのような集団参拝の客にはめったに会わない。

 だが歴史は四国よりも古い。三十三カ所は、和歌山県・熊野から岐阜県にまでまたがり、気軽にまわるというわけにはいかない。

 葛井寺は7世紀代の建築とされるから、「井」君が生まれたころには、完成したばかりの大伽藍が建ちならんでいたはずである。

 大きな藤の棚が、濃いミドリに濡れていた。千年ほどまえに訪れた花山法皇が、

 「まゐるより頼みをかくる葛井寺はなのうてなに紫の雲」

 と詠んだ。春には薄い紫色の藤の花が雲のように咲き乱れるのである。山号を「紫雲山」とよぶゆえんである。

823よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:21:56 ID:EEXiIliA0
>>821>>822

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n4.htm

 それにしても、こぢんまりとした古刹である。白洲正子の『西国巡礼』でも、「何となく、町に侵蝕(しんしょく)されたという感じで、閑散とした境内は、子供達の遊び場になっている」と、拍子抜けしたように書いている。

 あたりの古墳群は砦(とりで)として「再利用」できたため、南北朝時代から戦国期にかけて再三、戦場となった。この寺も兵火にさらされた。なかでも有名なのは、「藤井寺の合戦」である。

   *  *  *

 勝算のまったくない神戸・湊川の戦いに向かうまえ、楠木正成は摂津・桜井で、息子の正行(まさつら)と今生の別れをした。「青葉茂れる桜井の〜」の唱歌とともに、戦前はだれもが知っていた。

 異説はあるが、このとき、正行は13歳だったとされる。それから11年後の正平2(1347)年には、24歳になっていることになる。

 この頃から正行はときたま、摂津方面に進出し、得意のゲリラ戦を展開した。「あの正成の遺児が……」と京方も驚き、同年夏、細川顕氏を大将とする3千余騎を藤井寺に派遣した。

 正行勢は約700騎、正規戦ではまず勝てない。「誉田の八幡宮の後ろなる山陰」(『太平記』)に潜み、菊水の旗をはためかせ、突入した。

 藤井寺球場跡付近にさしかかったあたりで、正行は「いてまえ!」と雄叫(おたけ)びをあげたにちがいない。この「いてまえ攻撃」のまえに、大混乱に陥った細川勢はたちまち潰走し、300騎が討ち死にしてしまった。

 葛井寺を出て、商店街の反対側に辛国神社という、これまた由緒ありげな神社があった。「からくに」と読むから、渡来人と関係のある社であろう。

 さらに行くと、住宅街の一角に、先端が二股に分かれた屋根を持つ「シュラホール」という、ユニークなかたちをした建物に行きあたった。もうだいぶまえ、巨石を運ぶ「修羅」が見つかったという記事を読んだことがあった。屋根はその修羅をかたどっている。

 「阿修羅」というコトバが浮かんだ。「井」君は阿修羅の決意を持って唐にわたり、正行は阿修羅の形相で突撃したのであろう。

824よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:37:10 ID:DhF/6Gtk0
福島天満宮天神祭「一番みこし」 25年ぶり修復
2012年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120715/20120715031.html

 福島天満宮(大阪市福島区福島2丁目)の天神祭(7月24、25日)を前に、老朽化のため約25年ぶりに行っていた陸渡御で巡行する「一番神輿(みこし)」の修復作業が、このほど終わった。神輿に再びきらびやかな輝きが戻り、一番神輿の巡行に携わる福島天満宮八丁目西町会神輿講と、福島天満宮七丁目南町会神輿講の講員らは、神輿を通じた街の活性化に期待を込める。

 二つの講は天神祭宵宮の7月24日、陸渡御で一番神輿による氏地の巡行を交互に担当してきた。しかし担ぎ手の高齢化により長年、神輿を台車に載せて執り行うのが慣例化していた。そんな中、「神輿はやっぱり担ぐもの」と、昨年の天神祭では約15年ぶりに、八丁目西町会神輿講が、御輿を担いでの巡行を復活させた。

 一方、地元の関係者によると、現在巡行で使われている神輿はおそらく戦前に作られていたとされ、約25年前には修復したという。しかし神輿の上部に設置されている鳳凰像の尻尾が折れるなど、老朽化が目立っていた。昨年は巡行中に御神体の鏡が脱落する事態も起きた。

 そのため修復を求める声が上がり、二つの講が修復費用の約110万円を集め、同区の宮匠永田神器に修復を依頼。鳳凰像の尻尾が復元されたほか、剥がれていた金箔などが張り替えられるなどして、輝きを取り戻した。

 八丁目西町会神輿講総代の渡部基義さん(63)は「去年15年ぶりに担いだことで、今まで傷んでいたところに負担がかかったかもしれない。これからも大切に使っていきたい」と今年の巡行を待ち望む。七丁目南町会神輿講総代の古高英比己さん(64)は「神輿がきれいになり、街が活気づけば」と期待を込める。

825よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:39:53 ID:DhF/6Gtk0
[Naniwaなう]地域の誇り一新
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120716-OYT8T00115.htm

 だんじりやふとん太鼓がにぎやかに巡行する堺の秋祭り。そんな伝統を守ろうと堺市西区草部、石橋自治会(約700世帯)は約120年間使ってきただんじりを6年がかりで新調した=写真=。

 高さは3・8メートル余り、重さは4トン。岐阜県産の15トン以上の原木から質の良い中心部分を使った総ケヤキ造り。浦島伝説を表現した細かな彫刻が施されている。

 テンポと威勢の良い音を奏でる大太鼓やだんじりを保管する地車(だんじり)庫などの刷新を含めた総事業費は約1億5000万円。地域住民の寄付でまかなった。

 新調委員会の木綿哲也さん(69)は「お年寄りから子どもまで団結するだんじりは時代とともに希薄になったコミュニケーションの場にもなる。伝統を次代に引き継ぎたい」。

 16日、地元の日部(くさべ)神社での入魂式後、記念曳行(えいこう)される。(夏)

(2012年7月16日 読売新聞)

826よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:40:48 ID:DhF/6Gtk0
陸渡御250人ミナミ練る 難波八阪神社夏祭
2012年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120715/20120715027.html

 巨大な獅子舞台で有名な大阪市浪速区の難波八阪神社の夏祭本宮祭が14日、開かれた。前日の道頓堀川などでの船渡御に続き、約250人が市内を練り歩く陸渡御が執り行われた。

 陸渡御は、氏子衆らが境内の渡御祭典で身を清めた後、先導役の猿田彦を先頭に出発。子どもたちが勢いよくたたく太鼓や、屋根に鳳凰の飾りを載せるみこし、にぎやかなだんじりなどが続いた。

 渡御列は、氏子地域となる同区や西区、中央区を巡行。大阪ミナミに夏祭りの音色が響き渡った。

 渡御委員長を務めた氏子総代会の甲斐幸治会長は「一人でも多くご参拝いただき、難波八阪神社が繁栄していけば」と思いを込めていた。

 難波八阪神社は、高さ12メートル、幅7メートル、奥行き7メートルの巨大獅子頭の中に舞台がある獅子舞台があることなどで知られる。

827よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:45:13 ID:DhF/6Gtk0
一足早く祭りムード 天神祭を前に催太鼓台絡み
2012年7月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120716/20120716034.html

 日本三大祭りの一つ、「天神祭」(24、25日)を前に15日、大阪市北区の大阪天満宮では、25日に斎行される陸渡御の先陣を切る催(もよおし)太鼓の担ぎ棒などを組み付ける「台絡み」が執り行われた。大阪市内ではこのほか、同祭を盛り上げようと企画されている創作浴衣のファッションショー「天神祭コレクション」のリハーサル、奉納ドラゴンボート大会も行われ、一足早く祭りムードを盛り上げた。

 大阪市北区の大阪天満宮では、催(もよおし)太鼓の台絡みが行われた。太鼓を担ぐ「太鼓中」のメンバー約千人のうち約320人が、台に担ぎ棒を組み付ける作業などを行った。

 催太鼓は25日の陸渡御の先頭を務める大役で、太鼓を打ち鳴らす願人(がんじ)や担ぎ手らが「チェーサジャー」の掛け声で勇壮に進む。23日夜の前夜祭、24日の宵宮にも登場する。

 この日、午前6時ごろから集まった太鼓中のメンバーは、麻ひもを結んだり、担ぎ棒を押さえて木づちでたたいて締め付けを強くしたりと、声を掛け合いながら伝統の手法に従って作業を進めていた。

 本殿では、「太鼓中願人定書授与式」が行われ、寺井種伯宮司から定書を受け取った36人の願人は、気持ちを引き締めていた。願人の一人で寝屋川市の豊田光昭さん(23)は「ことしで8年目。全力でやり、みんなを引っ張っていきたい」と意気込んでいた。

 戦後第1回から催太鼓に携わってきた太鼓中の島田学総代(85)と西川輝彦幹事長(73)は「けがのないよう、無事に終わってくれれば」と作業を見守り、祭りの安全を祈っていた。

828名無しさん:2012/07/16(月) 23:49:54 ID:NljF3Dd.0
>>823
>>821>>822

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n4.htm


> 藤井寺球場跡付近にさしかかったあたりで、正行は「いてまえ!」と雄叫(おたけ)びをあげたにちがいない。この「いてまえ攻撃」のまえに、大混乱に陥った細川勢はたちまち潰走し、300騎が討ち死にしてしまった。

藤井寺球場が出ているのは大阪近鉄バファローズのいてまえ打線に掛けているから
産経新聞なのにこういう記事が書ける人がいることに驚きます

829よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:59:29 ID:DhF/6Gtk0
大阪の三大夏祭りに「生玉さん」は欠かせない
2012.7.16 16:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n1.htm

 大阪三大夏祭りというと、皆さんは何を挙げるだろう。

 大阪天満宮の「天神祭」は文句なしだ。京都の祇園祭、東京の神田祭とともに日本三大祭りにも数えられるし、7月25日の本宮に大川を舞台に繰り広げられるメーンイベントの船渡御と花火は、例年、ちょうど梅雨が明ける頃で、なにわの夏をひときわ熱くする。

 これも異論がないのは住吉大社の「住吉祭」だろう。7月30日から8月1日までの、夏祭りシーズンの締めくくりである。

 なにしろ住吉さんは、お正月の初詣の人出が大阪ではダントツのメジャーな神社だ。仁徳天皇が開いたとされる住吉津に鎮座する海の神で、古くは遣隋使、遣唐使を守護し、のちの元寇の際には社前で蒙古撃退の浜祈祷(きとう)が行われた。住吉祭は大阪中をお祓いする「お清め」の意味があるという。

                    ◇

 で、もう一つだが、これは意見が分かれる。

 どうやら多数意見は「愛染まつり」のようだ。四天王寺の別院・愛染堂勝鬘(髪の友の部分が曼)院の夏祭りで、6月30日の宵宮から7月1日の本宮、2日の残り福は三大夏祭りのさきがけとされる。

 公募で選ばれた愛染娘が浴衣姿で参加することや、この時期から浴衣を着始めることから「浴衣まつり」とも呼ばれる。「宝恵駕籠(ほえかご)」のパレードなど華やかさでも群を抜いている。

 大阪の夏祭りは、愛染まつりから始まって住吉祭で終わるところから「あい(愛)すみ(住)ません」と言うそうだ。

830よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 00:01:05 ID:DhF/6Gtk0
>>829

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n2.htm

 だが、異論を唱えたい。やはり大阪三大夏祭りのさきがけは生国魂(いくくにたま)神社の「いくたま夏祭」だと思うからだ。

 生国魂神社は神武東征の際、大八洲(おおやしま)(日本列島)の御霊である生島大神・足島大神を祀(まつ)ったと伝えられる大阪で最古の神社である。

 古代、大阪は海で、淀川、大和川が運んだ土砂によって次々に島が生まれた。八十島(やそしま)と呼ばれ、それが日本の国土を意味した。

 当初、生国魂神社は上町台地の北端にあったが、豊臣秀吉がその地に大坂城を築城、明け渡して現在の天王寺区生玉町に移った。

 いくたま夏祭は7月11日が宵宮、12日が本宮だが、ハイライトは「陸の生玉」「川の天神」と並び称された元宮の大阪城まで巡行する陸渡御である。明治から昭和初期にかけての最盛期には数千人が行列に参加して、先頭が大阪城に到着しているのに最後尾はまだ神社を出発していないほどだったという。

                        ◇

 ところが、現在は交通事情から陸渡御はトラックによる巡行になってしまった。

831よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 00:04:31 ID:DhF/6Gtk0
>>829>>830

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n4.htm

 生国魂神社そのものも歴史に翻弄された。戦争中、空襲で社殿のあらかたが焼け、宝物や貴重な資料も焼失、散逸してしまった。本殿は戦後まもなく再建されたが、今度はジェーン台風によって倒壊してしまう。それでも寄進で昭和31(1956)年に鉄筋コンクリートの本殿が建てられ、夏祭も地元の人たちの熱意によって再興された。

 神様のお通りを知らせる勇壮な枕太鼓や、子供たちが演じる獅子舞お練りなどは、ほかにはない由緒ある行事だ。

 以前、中山幸彦宮司に取材したことがある。橋下徹大阪市長が、府知事時代に大阪都構想をぶち上げた頃で、中山宮司は、これは冗談ですが、と断って、「大阪府庁はあるところも昔は生国魂神社の境内でした。もし、大阪都になって府庁が移転するのなら、お返し願いたいものです」。

 だが、これは本気です、と。「せめてお祭りは昔のようににぎやかにしたい。行列で陸渡御ができるように、交通規制など知事さんも力を貸してもらえませんかね」。

 かつて勤めた大阪天満宮で、ギャルみこしを実現するばど天神祭を盛り上げたアイデア宮司である。

 いくたま夏祭が異論なく大阪三大夏祭りに数えられるようになるのも近いと思う。いや、愛染まつりも加えて四大夏祭りでいいではないか。

>「せめてお祭りは昔のようににぎやかにしたい。行列で陸渡御ができるように、交通規制など知事さんも力を貸してもらえませんかね」。

 これは本当に何とかならないものでしょうか。
 交通量が少ない時間帯を選ぶとかすれば、何とか出来ると思うのですが。

832よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 22:53:46 ID:Rwt6YnsM0
囃子交え花娘ら天神祭PR リーフレット手渡す
2012年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120717/20120717032.html

 天神祭(24、25日)を目前に控えた16日、大阪市北区のディアモール大阪や都島区の京阪京橋駅などで天神天満花娘らが同祭をPR。にぎやかなだんじり囃子(ばやし)が通行人らの注目を集めた。

 ディアモール大阪では、天満宮の象徴である梅をあしらった花飾りをかぶった花娘らが、「そうらえ 聞きそうらえ われら天神花娘−」と口上を披露。天神祭を紹介するリーフレットを通行人らに手渡し、PRした。

 まただんじり囃子「車楽(しゃがく)」のメンバーらが、お囃子と龍おどりを披露。買い物客であふれるディアモール一帯を祭りムードで包んだ。

 天神橋筋商店連合会の土居年樹会長は「みなの安全・安心を願い、祝う一日。たくさんの方々にお越しいただき、楽しんでいただければ」と祭りへの来場を呼び掛けていた。

833名無しさん:2012/07/18(水) 15:37:42 ID:rKMyAT7Q0
文楽協会への補助金全額カット、これ余裕のない大阪市ではなく金持ちのパトロンがここぞと保護するチャンスですよ。

芸術文化に理解がなく全部経済面でフラットに見る政治手法の橋下さんじゃ無理もないから、いっそ文化人コンプレックスのある石原さんが保護すればいいのではないかな?

東京都が金出して文楽を保護すればいいと思う。ケチらずどーんと太っ腹なところを東京は見せるべき。
文楽を守るのは金持ちの仕事!

834よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:46:35 ID:xt8fH85k0
いや石原が都知事の東京じゃダメでしょう。
文化人コンプレックスをこじらせて何が良いかが分からなくなっているしね。


都民の税金を石原慎太郎家臣団が食い漁る
http://www.asahi.com/business/aera/TKY200612180178.html

 豪華視察、度を過ぎた身内登用と公費出張――。剛腕、石原慎太郎知事の足元がざわついている。「無駄遣い許さず」の言葉は誰に向けていたのか。国のせいではない。事務方のせいでもない。家臣団を束ねる知事の自覚こそ問われている。(編集部・藤生明)

     ◇

 東京都庁7階の会議室に、石原慎太郎知事の四男延啓氏が描いた曼陀羅模様の絵が飾られている。知事はもともと画家志望で、息子の絵を前に誇らしげだという。その知事が、よもや「私のトップダウン」とみえを切って始めた文化事業「トーキョーワンダーサイト」(TWS)で、しかも自分の夢を叶えてくれた息子をめぐってケチがつくとは、思いもよらなかったに違いない。

 「適正な手続きを経て旅費の費用弁償を受けたもので、違法性も問題もない」

 12月7日夕の都議会本会議場。四男の公費出張を執拗に追及する野党議員に、知事は不機嫌極まりない様子で、そう答えた。

 ●憶測呼ぶ「指示」メール

 TWS事業は、若手芸術家の育成を目的に2001年度から始まった知事肝いりの事業。本郷、渋谷、青山の3カ所に施設がオープンし、発表や制作の場として内外の芸術家に提供されている。

 この事業に当初から深く関わってきた四男をめぐって、二つの公費出張が発覚した。一つは、TWSのアドバイザリー委員に1カ月就任し、その間にドイツとフランスへTWS館長夫妻らと一緒に渡航した一件。もう一つは、ダボス会議(04年)で都が催したパーティーをめぐり、事前調査と合わせて2度現地を訪ねていた一件だ。

 特にダボスの一件では、四男の旅費約130万円が、パーティーで太鼓公演をした演奏者への会場装飾委託費に組み込まれていたことから、様々な憶測を呼んでいる。それというのも、公演の舞台背景「鏡板」を制作した四男の旅費支払いについて記した「指示文書」ともいえそうなメールが存在するからだ。

 そのメールは、荒川満文化振興部長(当時)が、公演に関わっていた都参与の今村有策TWS館長に送った業務連絡で、03年11月26日発信の文面には、こうある。

 《都と○○さん(太鼓演奏者)とで公演委託契約を結びます。その契約の中に鏡板制作費を盛り込まさせていただきます。この鏡板は、○○さんから延啓さんに制作発注してもらいます。延啓さんの旅費も含めて》

 当の荒川氏は、

 「太鼓演奏者が四男を芸術家として指名したもので、公費の迂回支出では決してない」

 と言うのだが、編集部が独自に手に入れた領収書や見積書と重ね合わせると、この説明はいかにも不自然にみえる。

835よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:47:20 ID:xt8fH85k0
>>834

●芸術家仲間招くサロン

 たとえば、渡航滞在費。「事前調査時@61万7440円*2、公演時@63万8940円*2」と記された見積書は、メールから20日も後の12月17日付。都側がおぜん立てし、見積書に延啓氏を含めた2人分の渡航費を盛り込ませた、と読み取るのが自然だろう。

 事情をよく知る都職員は言う。

 「四男のドイツ・フランス公費出張が問題になった後ですから、ダボスにも行っていたとは、とても言えない。しかし、共産党や新聞社が噂を聞きつけ、情報公開を仕かけてきた。『メールも明細もなかったことにしよう』と信じられない議論までされたようです」

 かつて、薬害エイズ問題で厚生省がないと言っていた文書が大臣の一喝でロッカーから「発見」されたことがあったが、存在する文書を「ない」と言えば、都民を裏切る行為だ。メールの写しが出回っていたため観念したようだが、現物が外部に漏れていなかったら「公費出張」は闇に葬られてしまったのではないか。

 別の都関係者は、こう解説する。

 「そもそも、知事は家族がすべて。四男の活躍する場を自分がつくったとはさすがに言いませんが、本郷のTWSに、息子の芸術家仲間を招いてブランデーを傾ける、そんなサロン化した様子は庁内で知られていました。画家になりたかった知事にとって、この事業は特別な思いがあるんですよ」

 ●日テレ氏家氏が諫言

 そもそも、延啓氏とはどんな人物なのだろうか。次男の良純氏が書いた『石原家の人びと』(新潮文庫)には、こんな一文がある。

 《弟はそのまま画家の道を選んでしまった。そんな弟の選択に親父が反対しようはずもない。自分のやりたかったことを子供にやらせる、親父の深遠なる計画にまんまと引っかかったとも解釈できる》

 慶大2年の時、水球部をやめ、画家で生きることを宣言した。大学卒業後、ニューヨークへ。そこで留学仲間として知り合ったのが、知事特別秘書の高井英樹氏と今村氏だった。高井氏は石原氏の秘書になり、知事当選とともに都庁に乗り込んだ。その2年半後、今村氏も参与に抜擢された。

 「だから、知事に忠誠を示すためにも、みんなで延啓さんをもり立てる、彼らの中では至極当然の行動原理なんですよ」(都関係者)

 知事は今村氏について「単に延啓氏の友人だから選んだのではない」と最近の記者会見でも説明している。だが、外野からは、息子の友人ゆえに公職に就いたように見えるから皮肉だ。その上、知事の厚い信頼に反して今村氏の評判が内外で芳しくないことが、皮肉な見方を助長してもいる。

 04年の都監査報告は、TWSのずさんな運営の改善を求めている。

 《事業計画の決定と決算の認定が審議されないまま、補助金の申請と精算書を提出している》

 《事業経費配分、事業内容の変更、中止や廃止には、都の承認が必要なのに手続きがされていない》

 税金の使い道が厳しく問われるこのご時世に、知事肝いりの事業が手続きを無視して運営されてきたとは驚きなのだが、ある関係者は、TWS事業が都歴史文化財団(理事長・氏家齊一郎日本テレビ取締役会議長)に統合されてもなお常勤21人態勢が整わず、派遣の事務方2人が切り盛りしている、と嘆く。

 「今村で大丈夫なのか。四男をかわいがりすぎるのもどうか」

 11月上旬にあったTWS青山の開所式の際、氏家氏が知事に、そう諌言した。氏家氏は、今村氏が03年に主導した「能オペラ」が頓挫したことで、今村氏に懲りたと言われている。知事は一言も返さずに黙っていたが、見るからに不機嫌な様子になったという。

 一目も二目も置く氏家氏の一言。肝に銘じたのかと思いきや、その後の追及にも、こう反論し続けている。

 「違法なんですか、違法だったら指摘してほしい」

836よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:48:18 ID:xt8fH85k0
>>834>>835

●知事名代で浜渦氏訪欧

 長野県政策アドバイザーを務めた青山貞一武蔵工大教授(公共政策論)は、こう批判する。

 「李下に冠を正さずのたとえどおり、政治家は、身内なり側近を説明責任が十分果たせないような形で重用・登用することには慎重であるべきです。違法でなければ何をしてもいいなんてことは、政治家にはありえません」

 この秋、都庁で、もう一つの欧州旅行が噂になっていた。その主は、昨年自民党との暗闘の末に辞職した浜渦武生前副知事。知事も同氏の専横を認めたはずが、今年7月末に参与として都庁に返り咲いた。9月、ベネチアの国際建築展に参加し、ウィーン、プラハと訪ね歩いたというのだ。

 知事の推薦文には、こうある。

 《浜渦参与は都市計画行政分野を担当していた前副知事、(中略)私の代わりに赴く人物として最適であると考えております》

 かくして浜渦氏は、都市整備局技監ら4人を引き連れて欧州3カ国を歴訪したのだが、元都最高幹部の一人は首をかしげる。

 「知事名代は副知事の役割です。前副知事といっても、今は参与。問責決議もされた人をなぜ」

 ところが、浜渦氏は厚遇されたようだ。

 まず、航空運賃。「8時間以上のフライトで体力的に厳しい」などとして、往復ともエコノミークラスからビジネスクラス(計92万2200円)へとアップグレード。さらにベネチアのホテルでは、参与の条例規定額1泊1万8800円をはるかに超える6万1000円(食卓料6700円含む)に切り替えた。

 「出張が急だった」「秋の観光シーズンと重なった」が増額の理由で、一行の予定経費は約835万円に膨らんだ。そもそも訪欧の約10日前になって名代を立て、高額の出張を組む必要があったのだろうか。

837よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:49:15 ID:xt8fH85k0
>>834>>835>>836

●高額な知事交際費

 騒動の中、知事の新刊『もう、税金の無駄遣いは許さない!』(WAC刊)が出された。都が今春導入した新会計方式をつづった内容で、知事はこう書いている。

 《無駄遣いを許さないこの上なく強力な方法を編み出した》

 高らかに宣言した知事に期待したいところだが、一連の知事発言を聞く限り、にわかには信じられない。

 市民の知る権利擁護を目的に活動している情報公開クリアリングハウスの三木由希子室長は、高額な公費出張や知事の豪華出張に関する報道からこんな感想をもった。

 「自分では説明がついていると思っている節があるのですが、客観的にみて、あれで説明がついていると思っている人は少ないんじゃないでしょうか」

 そして、目を通したことがある都知事交際費の開示資料を例に、こう付け加えた。

 「あれは『知事の交際費』ではなくて、『政治家個人の交際費』といった中身でした。友達の有名人など、都の支出基準から考えると信じられない金額。いまどきの他県の知事交際費は儀礼的なものですが、石原知事は質が違うんですよ」

 知事が率いた政策集団「黎明の会」で事務局長だった大貫悦司氏は、知事の心中を、こう忖度する。

 「『オレはこれだけ東京のために成果をあげている。だから、そんな小さなことで何を言っているんだ』と石原さんは思っているのかもしれませんね。古い政治家にはそうした傾向がありましたが、今の時代、手続きが重要。もう通用しないんですけれどね」

838名無しさん:2012/07/19(木) 02:17:29 ID:F4/fewOY0
文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。
補助金全額って3900万円でしたか?
東京で、伝統文化を守ろう!

と言いたいが・・・石原都知事ねえ。
芸術コンプではあるが・・・

839よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/19(木) 06:26:36 ID:JWAZTDx.0
オフィス街で武者行列
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003600521.html

大阪の御霊神社で夏祭りが行われ、よろいやかぶとをつけた武者行列がオフィス街を練り歩きました。18日は、江戸時代から続く武者行列を再現しようと、よろいやかぶとをつけた武者姿の氏子など約150人が、午後2時に神社を出発しました。
大阪・中央区の御霊神社の周辺には、江戸時代、土佐藩や島津藩などの蔵屋敷がたち並び、大勢の武士や商人でにぎわいました。
武者姿の一行が太鼓やひちりきの音色とともに御堂筋のオフィス街を練り歩くと、道ゆく人たちは、江戸時代さながらの行列に驚いた様子で、足を止めて眺めたり写真をとったりしていました。
このあと、一行は淀屋橋の船着き場から5そうの船に乗り込み、大阪の中心部を流れる木津川や道頓堀川を回遊する船渡御を行いました。
船渡御は、大阪を元気づけようと、去年約140年ぶりに復活したということです。

07月18日 21時06分

840名無しさん:2012/07/19(木) 08:30:57 ID:J4nD8NLc0
>文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。

なんでそんな事をさせなきゃいけないんでしょう?
なんか変な人間が混じってますね。

841名無しさん:2012/07/19(木) 08:34:03 ID:lA46cLCQ0
>>文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。
>なんでそんな事をさせなきゃいけないんでしょう?
>なんか変な人間が混じってますね。

そのあとを読めばわかるでしょうが、単なる皮肉ですよ。

842よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/20(金) 22:10:52 ID:U65AqPNo0
「日本の文化は神話から」 大阪で講演会 滋賀
2012.7.20 02:17
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120720/shg12072002170003-n1.htm

 産経読者ファンクラブ・ウェーブ産経の文化サロン「神話で日本を元気に」の第1回講演会が19日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれた。枚岡神社(大阪府東大阪市)の中東弘宮司が「国生み・神生み」と題して講演した。

 会員約150人が参加。中東宮司はまず「古い神道の中に先人の知恵があり、日本の文化は神話を知らないと分からない」と神話の大切さを強調。

 その上で古事記の国生み神話を紹介し、人と人とを結ぶ神ともされる高御産巣日(たかみむすびの)神について「中間子も素粒子も知らない祖先が、何か結ぶための力があることを感性で分かっていた」と解説。「国生みで誕生した島々には、人々が大陸から渡ってきた流れが書かれていると思う」と述べた。第2回は9月19日に「天の岩戸」をテーマに開かれる。

843名無しさん:2012/07/20(金) 23:10:47 ID:NljF3Dd.0
普段、大阪を犯罪の巣ごとく決めつけている産経がこんなことをするなんて
どういうことだろう?

844名無しさん:2012/07/21(土) 00:10:26 ID:F4/fewOY0
古事記ブームに乗ろうってことじゃないですか?

845よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:34:12 ID:zXYqpNSw0
「発見」が楽しい天神祭
2012.7.22 13:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120722/wlf12072213000012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120722/wlf12072213000012-n2.htm

 夏祭りの季節。祇園祭も天神祭も若いころに行ったきりで、この猛暑の最中、人混みに突っ込んでいく元気はとてもないが、祭りへの関心はこの年になってふくらんでいる気がする。

 そもそもの由来とか変遷とか。とくに大阪最大の祭り、天神祭については地元だけあってお勉強の機会に事欠かない。思いがけない発見に「へええ」といちいち感心できるのもうれしい。由緒なんてどうでもよかった時代にはわからなかった祭りの楽しみ方のひとつ。

 昨年は大阪天満宮文化研究所の高島幸次さんの話を聞く機会があった。夏祭りには疫病払いの意味合いがあり江戸時代すでに40万人が住んだ密集都市では重要な行事であったとか、御迎え人形とか大阪締めとか見物客を楽しませる仕掛けが多く臨機応変に行事を変えるサービス精神があるとか、大阪に軸足を置いた話が面白かった。

 ことしは同じ天満宮文化研究所の研究員、近江晴子さんの話を聞く機会に恵まれた。昭和16年生まれ、船場の商家に育ったことから大阪の古い習慣にも精通しており、おっとりと上品な船場言葉でのお話をたっぷり楽しんだ。

 歴史研究の一端を知る思いだったのが天神祭が古文書にどう登場するかの話。由緒では祭りの始まりは天満宮鎮座の2年後、951年だが、文書ではお公家さんが平安末期に詠んだ漢詩で初めて登場する。その後もお公家さんの祭礼見物として記述が残る。そうかお公家さんか。だから古い記述は京都が手厚いのだ、などと妙に納得。

 天神祭が江戸時代に隆盛を誇るようになったのは、御旅所(おたびしょ)がざこば(いまの西区)に移動してから。魚市場の面々が天満宮の氏子になり、もともとの天満の青物市場、堂島の米市場がそろって天神祭を支え、商都・大阪を代表する祭りになった。などなど古地図をもとに聞くのも興味深い体験だった。

 天神祭のごちそうに欠かせないのはハモ、タコ、きくらげ入りの白天。「大阪でも年中行事は仕出料理。店員さんも同じもん食べました。大阪はケチやといわれますが、やるときはやりますよ」

 御迎え人形随一の男前、近江さんイチ押しの「安部保名(あべのやすな)」も一度お目もじしたい。

(編集委員・石野伸子)

846よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:36:23 ID:zXYqpNSw0
お皿も食べられまっせ! ゴミ減量 天神祭に向け開発
2012.7.21 18:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120721/wlf12072118300024-n1.htm

 大阪の夏の風物詩「天神祭」がクライマックスを迎える25日の本宮で出る大量のごみを減らそうと、協賛企業のセキュリティー会社「関西SCシステム」(大阪市中央区)の矢口浩二社長(39)が、えびせんべいと同じ材料で作った「食べられるトレイ」を開発した。

 大勢の観光客らでにぎわう本宮の翌日は例年、船渡御や奉納花火大会などが行われる大川沿いなどで大量のごみが発生。矢口社長は「ボランティア500人が3日間清掃しても片付けきれないほど」と話し、ごみを減らすだけでなく、天神祭をごみ問題を考えるきっかけにしてもらおうとトレイを考案したという。

 原材料はデンプンやエビなどでサイズは縦10センチ、横14センチ、深さ2センチ。たこ焼きや焼きそばを載せてもソースが漏れ出さないようプレスして密度を高め、深さ1ミリの凹凸を入れて格子模様の底にするなど工夫した。

 船渡御の奉拝船に計460枚を無償で提供する。効果をみて、今後導入を検討する。

847よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:46:51 ID:zXYqpNSw0
浪華紙魚百景 
大商大商業史博だより

淀川治水の利害関係
2012年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120718/20120718039.html

江州瀬田川洲浚絵図

 先日、夜間の大雨による大和川の増水で、通勤に使っているJR大和路線のダイヤが早朝から乱れた。徐行運転中の車窓から見ると河川敷の公園が水没しており、大量の水流の静かなうねりに巨大な生き物の蠕動(ぜんどう)のような不気味さを感じた。

 昔から河川の増水は流域の住民にとって脅威であった。大阪商業大学商業史博物館蔵の「河内国若江郡御厨村加藤家文書」には、享和2(1802)年の大雨による水害の記録が残されている。

 6月28日から降り続いた大雨で7月1日に茨田郡点野村・仁和寺村両所(現在の寝屋川市)の淀川堤防が決壊し、その水害は若江郡御厨村(現在の東大阪市御厨)にまで及んだ。御厨村の記録には7月2日から居宅床上1・2尺ほども浸水したと記されている。このように淀川の決壊は、沿岸地域だけではなく、かなり広い範囲に影響を及ぼしたことが分かる。

 さて、「河内国若江郡御厨村加藤家文書」の中には、江戸時代の「江州瀬田川洲浚絵図」が含まれる。この絵図は明確な年代表記はないが、比較的保存状態の良い鮮明な彩色図で、堆積した土砂の浚渫(しゅんせつ)箇所を図示した瀬田川の治水資料である。瀬田川は琵琶湖畔の近江国にあり、地理的にはかなり離れているのに、なぜ御厨村にこの絵図が残ったのだろうか。

 淀川の上流にあたる瀬田川沿岸地域とその下流域の摂津・河内の淀川及びその支流の沿岸地域は川続きのため、治水の状況いかんが相互に甚大な影響を及ぼす。たびたび、浸水の被害に悩まされていた湖辺の村々からの、文政9(1826)年の瀬田川浚渫願を受けて、幕府は文政10(1827)年に淀川沿岸の村々に瀬田川浚渫の承認を迫った。

 これに対し同年8月、土地が低い淀川通南水場摂河州165カ村は下流域の増水を恐れて、この瀬田川浚渫の中止を求める歎願書を奉行所に提出している。その中に御厨村が含まれていた(加藤家文書「江州勢田川浚差障ニ付歎御願写」)。

 この反対運動は同一利害に基づく摂津・河内の大規模な治水連合の形成を短期間に促し、最終的には摂河309カ村の反対運動にまで発展した(小林茂『近世農村経済史の研究』)。幕府はその抵抗に抗しきれず、この瀬田川浚渫は計画倒れに終わる。そして、この反対運動を通じて関係した村々に瀬田川浚渫に関する史料が残されたのである。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員・池田治司)

848よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:49:13 ID:zXYqpNSw0
きよし・なるみ名コンビ復活 天神祭、今年も生中継
2012年7月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120721/20120721026.html

 開局以来欠かさず天神祭の生中継特番を放送しているテレビ大阪。開局30周年を迎えたことしは、西川きよし、なるみの名司会コンビと、同局の他番組に出演するゲストを招いた、節目にふさわしい豪華な布陣で「2012 天神祭生中継〜ようこそ祭りの特等席へ〜」(25日後6・59)と題して放送する。

 祭りの迫力を美しい映像たっぷりで伝えるため、これまでで最も多い16台のカメラを駆使し、9カ所を中継。「祭りを見るならここが一番」と言われる恵まれた立地のテレビ大阪屋上特設スタジオをメーンに、天満宮の境内や参道、大川川岸、取材船などからリアルタイムで祭りの雰囲気を伝える。

 ゲストには、「和風総本家」に出演する大阪出身の萬田久子、「おとな旅あるき旅」の三田村邦彦、「たかじんNOマネー」から眞鍋かをり、「カイロスの微笑」ナビゲーターで大阪出身の國村隼を迎える。

 9年連続司会を務める西川きよしは「大阪やテレビ大阪にゆかりのあるゲストから、天神祭の思い出を引き出し、視聴者に共感してもらえる番組にしたい」と意気込む。9年ぶりに司会を務めるなるみは「自宅の近くにタワーマンションが建ち、花火が見えなくなった。花火がよく見えるこの番組にまた呼んでもらえないかと思っていたのでうれしい」と笑わせた。

849よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:51:02 ID:zXYqpNSw0
関西国際大の留学生 大阪天満宮で参拝方法や歴史学ぶ
2012年7月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120722/20120722036.html

 天神祭(24、25日)で船渡御に参加する関西国際大学(濱名篤学長)の留学生10人が21日、同祭への知識を深めるため、大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)を訪れ、神社の参拝方法や祭の歴史について学んだ。

 留学生は手水舎で身体を清め、本殿前で二礼二拍手一礼をして勉強会に臨み、大阪大招聘教授で大阪天満宮研究所の研究員の高島幸次さんと、同研究所が養成する祭の案内人「天満天神御伽衆(おとぎしゅう)」の喜多條啓子さんら2人を講師に、神様の年に一度のお出かけ「渡御」について学んだ。

 講師の高島さんは「乗船に先立って神様にあいさつし、祭の歴史を知ることは大学生らしい」と語ったほか、御伽衆の喜多條さんは「祭を一人でも多くの人に知ってもらい楽しんでもらえたら」と話していた。

 勉強会の最後では、大阪締めも練習し、日本に来て約1年の中国浙江省出身の沈〓穎(セイイン)さん(21)は「日本三大祭りの一つで、とても興味がある。大阪締めを練習して当日楽しみます」と、笑顔で話し、祭りの本番を楽しみにしていた。

850よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:58:21 ID:zXYqpNSw0
住民が見た戦争伝える 軍事施設の日常再現
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120722-OYT8T00164.htm

 八尾市黒谷の郷土史家・大西進さん(71)が、大阪東部に残る太平洋戦争の遺構や証言をまとめた「日常の中の戦争遺跡」を出版した。旧陸軍の拠点だった大正飛行場(現八尾空港)と関連施設の資料や記録、戦争体験者約230人の声を集めており、庶民の日常にあった戦争を忘れないでほしいという思いを込めたという。(安田弘司)

 大西さんは2002年、40年間勤めた不動産会社を退職した。翌03年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父親が戦死した東部ニューギニアを訪問。現地で約70人の遺骨を拾い、「誰が何のために戦争したのか、あの戦争は何だったのか」と強く思い、父の足跡や最期を少しでも知ろうと、戦争資料の収集や調査を始めた。

 現在の八尾市域には、大正飛行場のほか、第11飛行師団司令部や大阪陸軍航空廠(しょう)など、航空部門の拠点が集中。周辺も米軍の爆撃や機銃掃射に遭い、死傷者95人、焼失戸数130戸などの被害を受けたが、戦争を郷土史としてまとめた本はなかったという。

 そこで、資料の収集と並行して、05年から地元住民や軍人、軍属として司令部などで働いた高齢者らの聞き取りをスタート。地域誌「河内どんこう」に19回のリポートとして掲載するとともに、府東部にある戦争の遺構を訪ね歩いた。

 「日常の中の戦争遺跡」では、これらのリポートを再構成、これまでに集めた証言から、軍事施設での日常を再現し、米軍機による襲撃の様子や八尾周辺が受けた空襲被害も盛り込んだ。軍用機を隠すため、生駒山麓に設けられた壕(ごう)跡や、八尾空港近くに残る航空廠格納庫の支柱などの現在の写真や、戦時中の地図を添え、住民たちが間近に見た戦争を細かに記した。

 終戦からもうすぐ67年。調査の中で出会った後で亡くなった人もいる。大西さんは「証言は単なる昔語りではなく、体験者のみが知る事実。あの戦争に関心を持ち続け、耳を傾ける人が増えてほしい」と願う。

 A5判ソフトカバーで328ページ、2600円(税別)。府内の大手書店で販売。問い合わせは、出版元のアットワークス(06・6920・8626)。

 大西さんは2002年、40年間勤めた不動産会社を退職した。翌03年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父親が戦死した東部ニューギニアを訪問。現地で約70人の遺骨を拾い、「誰が何のために戦争したのか、あの戦争は何だったのか」と強く思い、父の足跡や最期を少しでも知ろうと、戦争資料の収集や調査を始めた。

 現在の八尾市域には、大正飛行場のほか、第11飛行師団司令部や大阪陸軍航空廠(しょう)など、航空部門の拠点が集中。周辺も米軍の爆撃や機銃掃射に遭い、死傷者95人、焼失戸数130戸などの被害を受けたが、戦争を郷土史としてまとめた本はなかったという。

 そこで、資料の収集と並行して、05年から地元住民や軍人、軍属として司令部などで働いた高齢者らの聞き取りをスタート。地域誌「河内どんこう」に19回のリポートとして掲載するとともに、府東部にある戦争の遺構を訪ね歩いた。

 「日常の中の戦争遺跡」では、これらのリポートを再構成、これまでに集めた証言から、軍事施設での日常を再現し、米軍機による襲撃の様子や八尾周辺が受けた空襲被害も盛り込んだ。軍用機を隠すため、生駒山麓に設けられた壕(ごう)跡や、八尾空港近くに残る航空廠格納庫の支柱などの現在の写真や、戦時中の地図を添え、住民たちが間近に見た戦争を細かに記した。

 終戦からもうすぐ67年。調査の中で出会った後で亡くなった人もいる。大西さんは「証言は単なる昔語りではなく、体験者のみが知る事実。あの戦争に関心を持ち続け、耳を傾ける人が増えてほしい」と願う。

 A5判ソフトカバーで328ページ、2600円(税別)。府内の大手書店で販売。問い合わせは、出版元のアットワークス(06・6920・8626)。

(2012年7月22日 読売新聞)

851よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 20:51:30 ID:27L/6d7I0
阪急電鉄で『天神祭』ヘッドマーク
http://railf.jp/news/2012/07/19/225800.html

 阪急電鉄では,2012(平成24)年7月18日(水)から,『天神祭』のヘッドマークを一部編成に掲出して運転しています.
 『祇園祭』のヘッドマークと同様,今年2012年はデザインが変更され,奉納花火,大川に掛かる綺麗な斜張橋「川崎橋」,屋形船などを配し,天神祭の見所を凝縮したイラストになっています.
 掲出編成は神戸・宝塚・京都の各本線8編成ずつで,掲出期間は7月25日(水)までとなっています.

852よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/23(月) 22:49:41 ID:uKpiKV5A0
コンテスト浴衣ショー 天神祭コレクションが開催
http://www.apalog.com/report/archive/554

第二回「天神祭コレクション」が7月21日、JR大阪駅上の「時空(とき)の広場」にて開催された。「天神祭コレクション」は、伝統的夏の和装である浴衣を題材に、コンテスト形式で行うファッションショーである。

「大阪のまちを元気にしたい」そんな思いから始まったこのショーイベントは、服飾系の学生をはじめとした若手クリエイターたちの創作活動の発表の場となっており、「次世代の教育」「まちや産業の活性化」「文化の継承」「新たな文化の創造」というそれぞれのテーマに一石を投じている。

実際、モデルやイベントの運営にも専門学生たちが参加しており、会場全体に若者のパワーが溢れていた。

ショーは「意匠デザイン部門」、「コーディネート部門」、「クリエイション部門」
の3部門からなっており、「意匠デザイン部門」はあらかじめ決定している1位〜3位のデザインの発表、「コーディネート部門」及び「クリエイション部門」は当日のコンテストで受賞者が決められた。

浴衣の柄を創作する部門である「意匠デザイン部門」は百貨店の協力で行われ、それぞれの百貨店からテーマが出されていた。大阪高島屋からは「変わらないのに新しい」。JR大阪三越伊勢丹&大丸は「ステーションシティに遊びに行く浴衣」。

受賞作はどれも独創性に溢れ、伝統にオリジナリティを加え新たな息吹を吹き込んだものや、全くの新しい感覚でデザインされたグラフィカルなものなど、浴衣という限られた表現の場ながらも、枠にとらわれない自由な発想を見せつけていた。特に目をひいたのは、通天閣をかぶった女の子をモチーフにしたパターンの浴衣。大阪らしさを全面に出した大胆な発想だが、淡い色味とふぞろいの優しいドット柄で違和感なく浴衣に馴染んでいた。

続いての「コーディネート部門」では、「洋服と浴衣の融合」をテーマに、様々な新しい浴衣の着方が提案された。浴衣をドレスやワンピース、トレンチコートなどに見立てたり、ユニークな小物で遊び心を表現したりと、可愛らしく元気で楽しいコーディネートが登場し、会場を明るい雰囲気で包み込んだ。
1位となったのは、タイトル「和tashi(わたし)」で、白黒の鮮やかなストライプに小さなハットやレースの手袋などでゴシック要素をプラスしたスタイル。一見融合しえないもの同士の組み合わせが斬新であった。

853よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/23(月) 22:52:18 ID:uKpiKV5A0
>>852

最後の「クリエイション部門」のテーマは「海外との融合」。和の伝統と異文化のユニークなコラボレーションが次々と発表された。海外の伝統衣装や民族衣装を浴衣で表現したり、浴衣をベースにさりげなくデザインやアクセントとして海外の要素を取り入れたりと、どれも個性的でインパクトがあり、目が離せないショーであった。
1位は、タイトル「レースとお花」。紺地のシックな浴衣に華やかなレース刺繍をあしらった、女性的な美しさを最大限に引き出すデザイン。かごや帯につけたピンクの花が可愛らしさを添えた。

今、大阪で最も活気がある大阪ステーションシティで行われたエネルギッシュなショーイベント。オープンスペースで行われたショーは多くの観客に囲まれ、かなりの熱気に包まれていた。これから大阪の夏の風物詩の一つとして根付いていきたいという同イベントは、若者の表現の場として非常に重要な役割を果たしている。若者が元気になることによって未来が明るくなり、まち全体の活性化にもつながるのだ。これからも一人でも多くの若者にチャンスを提供し、大いに大阪を盛り上げて行ってもらいたい。

天神祭コレクション
http://www.naniwa-bunka.com/ten-colle/

854よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 05:31:53 ID:bIZl5Nvo0
きょうから天神祭、ムード上昇 前夜祭 大阪
2012.7.24 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120724/osk12072402070004-n1.htm

 24、25日に行われる天神祭の前夜祭が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパークツイン21ギャラリーであり、天神祭で披露される代表的な出し物が紹介され、会社帰りのサラリーマンやOLらを喜ばせた。

 前夜祭は、天神祭の伝統的な出し物を多くの人に知ってもらおうと大阪天満宮(大阪市北区)などが企画。昭和61年から行われ、天神祭のムードを盛り上げる恒例行事となっている。

 「講」と呼ばれる祭りの支援組織のメンバーによる催太鼓や獅子舞などが次々と披露され、威勢のいい掛け声やリズミカルな太鼓のリズムで会場を盛り上げた。

 大阪狭山市の大石邦代さん(62)は「太鼓がすごく迫力があるので、毎年楽しみに見に来ています」と笑顔で話していた。

855よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:14:14 ID:pAw.WwsE0
かれん古代の美 東大阪で「原始ハス」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120724-OYT8T00179.htm

 府の天然記念物に指定されている「枚岡の原始ハス」が、東大阪市善根寺町4の会社役員稲田清治さん(69)方の池で咲き始め、涼しげな雰囲気を漂わせている。

 この地区の周辺では5世紀頃からハスが自生し、花が咲きそろう風景を詠んだ歌が古事記にも載る。1920年代まで普通に見られたが、都市化や大発生したアメリカザリガニの食害などで激減。稲田さん方では、ちょうど50年前の62年、父が自宅に池を作って移植し、大切にしてきた。

 通常のハスより花はやや小さく、直径15センチほど。淡いピンク色の花びらは、日の出とともに開き、昼前にはしぼむ。3日程度で散るが、8月上旬まで次々に新しい花が開くという。

 稲田さんは「開花は例年より10日ほど遅かったが、一度に複数がそろって咲くのは珍しい」と話していた。

(2012年7月24日 読売新聞)

856よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:24:43 ID:pAw.WwsE0
大阪 天神祭の鉾流神事
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003118371.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」は、きょう、大阪の堂島川に木でつくったほこを流す神事が行われ、2日間にわたる祭りが始まりました。この「鉾流神事」は大阪天満宮の夏祭り、「天神祭」の幕開けを告げる神事です。
けさは本殿で神童と呼ばれる神の使いを務める小学生が、ひのきの白木でできた神鉾と呼ばれるほこを授かったあと、300人ほどの行列とともに大阪の中心部を流れる堂島川まで練り歩きました。
一行は川岸に到着した後、おはらいを受けて身を清めた神童が神職とともに手こぎの舟に乗り込みました。
そして、川の中央付近で神童が船から身を乗り出して神鉾を川に流し、無病息災などを祈願しました。天神祭は、あすの夕方から約100そうの船が川を行き交う、「船渡御」が行われるほか、約3000発の花火が打ち上げられる予定です。

07月24日 19時12分

857よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:38:18 ID:pAw.WwsE0
天神祭 鉾流神事復活祝う縁起物
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120724-OYT8T00177.htm

 24日に大阪天満宮(大阪市北区)で天神祭の開幕を告げる鉾流(ほこながし)神事が行われるのを前に、昭和初期に数年間だけ作られたとみられる〈飾り鉾〉の展示が、同区のそば店「衣笠総本店」で23日、始まった。江戸初期以降、中断していた神事が復活した際の記念の縁起物とみられる。天満宮にも残っていない貴重な品で、今年2月に見つかった。関係者は「多くの人に見てもらいたい」と呼びかけている。(斎藤七月)

 飾り鉾は、長さ約30センチで木製。黒塗りの柄に、「鉾流神事」と記されている。今年2月、同店の3代目・高木浩也さん(51)が、京都市内の古美術品店で見つけた。幼い頃から天神祭に親しんできた高木さんは、1995年に親族から店を継いで以来、祭りに関わる品や本を収集。今回の飾り鉾も、柄の鉾流神事という文字を見て、「天神祭に関係があるはず」と購入し、天満宮に持ち込んだ。

 天満宮の南西約700メートルの堂島川に神鉾(かみほこ)を流す鉾流神事は、江戸初期に中断し、1930年(昭和5年)に復活した。高木さんの相談を受け、天神祭の神事を担当する禰宜(ねぎ)の柳野等さんが調べたところ、国内の郷土玩具について記した書物に、神事復活後の数年間、約30センチの白木に色を施し、神鉾を模した縁起物を毎年600個作製したことが記されていた。特徴が似ていることから、柳野さんは今回見つかった飾り鉾が、この縁起物だと判断したという。

 空襲に遭った天満宮には、この飾り鉾は残っていない。柳野さんは「神事が復活した当時、その意味を広く知ってほしいと考えた天満宮の強い思いが感じられる。大切に保管してもらいたい」と話した。

 高木さんの店は、神事が行われる場所のそばにある。高木さんは「珍しい物を見つけることができてうれしい。地元の一員として、神事への興味がさらに広がることを願っています」と語り、25日まで、飾り鉾とともに絵皿などを展示する。



 天神祭宵宮の24日は、午前7時45分から天満宮で宵宮祭が行われた後、午前8時50分頃から鉾流神事が始まる。終日、境内には地車が飾られ、夕方には勇壮な催太鼓(もよおしたいこ)が宮入りし、午後6時半からは、獅子舞の披露がある。

(2012年7月24日 読売新聞)

858よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/25(水) 05:50:35 ID:9LtZYAoE0
八軒家浜に江戸の風情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120725-OYT8T00214.htm

 江戸時代に舟運の拠点としてにぎわった大阪市の大川沿いの八軒家浜(中央区北浜東)で、当時、乗下船の際の明かりとして使われた石灯籠2基が「川の駅はちけんや」北西の川べりに再建され、24日、除幕式が行われた。

 石灯籠は幅1.7メートル、奥行き1.7メートル、高さ4メートル。往年のにぎわいの象徴を再建し、地域の歴史資産として残したいと考え、近くの近畿大名誉教授湯浅富一さん(81)と妻禮子さん(73)が費用を出して明治時代に生國(いく)魂(たま)神社(天王寺区)に移された石灯籠や古文書を参考に当時の姿を再現、府に寄贈した。午後6時から同10時まで、電灯をつける。

 湯浅さんは「昔のにぎわいが戻ってくれればうれしい」と話していた。

 八軒家浜は周辺に8軒の船宿があったことから、その名がついたとされ、江戸時代、京都・伏見との間で物資や人を運ぶ三十石船が航行し、にぎわった。石灯籠は、地元の町人らが建立した。

(2012年7月25日 読売新聞)

859よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/25(水) 05:58:42 ID:9LtZYAoE0
天神祭公式サイト
http://www.tenjinmatsuri.com/

860名無しさん:2012/07/25(水) 19:38:19 ID:BGtNQy6k0
>>858
>八軒家浜に江戸の風情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120725-OYT8T00214.htm

なんか嫌な記事タイトルと思いました
江戸時代の風情 または 徳川時代の風情 にして欲しいなと
大阪版の記事なのでそう言わずとも分かるんですけどね

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862よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:24:41 ID:h7KzoO9o0
天神祭 夏満開、花火4000発
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120726-OYO1T00299.htm?from=newslist

 大阪・天神祭は25日、本宮を迎えた。恒例の「船渡御(ふなとぎょ)」で、約100隻の船団が大阪市中心部の大川を行き交う中、夜空に打ち上げられた約4000発の奉納花火を、約100万人(大阪天満宮発表)が楽しんだ。

 午後6時過ぎ、法被姿の氏子ら約1万2000人が乗り込んだ船団が天神橋を出発。船は鉦(かね)や太鼓の音を響かせて悠然と進み、川面はかがり火や提灯(ちょうちん)、色とりどりの花火で煌々(こうこう)と輝いた。

(2012年7月26日 読売新聞)

863よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:29:59 ID:h7KzoO9o0
>遠く離れた大阪でも、天神祭のように復興への祈りをささげている場があることが伝われば

 大都会でありながら「祈りの街」でもある大阪らしい言葉です。


被災児童になにわの夏
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120726-OYT8T00154.htm

 25日夜に本宮を迎えた日本三大祭りの一つ、大阪・天神祭に、東日本大震災で被災した宮城県岩沼市立玉浦小の6年生22人と教員ら4人が招待され、夏のひとときを楽しんだ。船渡御(ふなとぎょ)が行われた大川に浮かぶ能船で、薪能や花火を見学、祭りの風情を満喫した。(東礼奈)

 今年、創立60周年を迎えた「大阪北ロータリークラブ(RC)」が、被災した児童を励まそうと招いた。同小では震災による津波で校舎1階や体育館が浸水、児童1人が亡くなった。今も全校の3分の1、約100人が仮設住宅などで生活し、校区外からスクールバスで通学している。

 大阪は初めてという子が多く、道頓堀でたこ焼き作りを楽しんだ後、能楽奉賛会の能船に乗り込んだ。船上で揺れる舞台に上がり、能楽師に鬼や女性の面を着けてもらって舞台歩きにも挑戦。「前が見えなくて怖い」「お面が暑くてびっくり」などと興奮していた。

 舞台では狂言「口真似(まね)」や能「羽衣」「土蜘蛛(ぐも)」が披露され、児童らは迫力いっぱいの演目を堪能。行き交う船に手を振ったり、大輪の花火が広がると一斉に歓声を上げたりして笑顔を見せていた。

 津波で家が流され、仮設で暮らしているという菊地悠花さん(12)は初めての能に「土蜘蛛の戦いのシーンは格好良くて、せりふがなくてもこんなに面白いんだと思った」と満足そう。千葉桃華さん(12)も「家族や一緒に来られなかった友達にも、舞台や花火のことを伝えたい」と喜んだ。

 大阪北RCではこの日の様子などをDVDにして東北の小学校に配り、伝統芸能の教材に活用してもらう。同RCで被災地支援を担当する鴻池一季さん(60)は「元気よく過ごし、楽しんでもらえて安心した。遠く離れた大阪でも、天神祭のように復興への祈りをささげている場があることが伝われば」と話していた。

(2012年7月26日 読売新聞)

864よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:31:03 ID:h7KzoO9o0
帝国ホテル大阪・感謝の夕べ 天神祭盛り上げ
2012年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120726/20120726038.html

 ことし開業17年目を迎えた帝国ホテル大阪の「感謝の夕べ」が23日夜、大阪市北区天満橋の同ホテルで常連顧客ら400人を招いて開かれた。ホテルの面した大川一帯で行われる25日の天神祭にちなんだ「ジキジン、ジキジン」と独特のリズムを刻む講社社中の鐘や太鼓の生演奏でお出迎え。奉納花火のイメージで壁に大輪の光の輪が咲き、獅子舞も繰り出して、お祭りムードを盛り上げた。

 帝国ホテル常務取締役専務執行役員の前田康廣・帝国ホテル大阪総支配人は「昨年は東日本大震災があり、その直後の天神祭開催でわれわれも正直心配したが、当日の広範囲の盛り上がりは国土全体に元気を送る日本三大祭りの一つとしての熱気がビンビンと感じられ感動した。この地で、毎年祭りに関われるのはわれわれの誇りでもある。日頃からお世話になっている皆さまにぜひ御利益も一緒に持ち帰っていただきたい」とあいさつした。

 永井明総料理長が「関西の夏らしくハモと京野菜、京ガモ、さらに瀬戸内マダイに泉州スズキ、明石だこの料理を用意しました」と説明。正統神戸牛の約半分を消費する同ホテルが誇るステーキのコーナーには長い行列ができた。

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866よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:47:21 ID:h7KzoO9o0
川面彩る夏の花 4000発奉納花火で最高潮
2012年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120726/20120726032.html

 日本三大祭りの一つに数えられ、千年を超える伝統を有する天神祭が25日、本宮を迎えた。色とりどりの衣装に身を包んだ約3千人の大行列で「時代絵巻」を出現させる陸渡御、約100隻の船団が大川を行き交う船渡御などが執り行われた。夜には船渡御の船団ににぎわいを添える第66回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が大川一帯で催され、訪れた人らを魅了した。

 大阪天満宮(大阪市北区)の本殿では、災害疫病がないように市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭、菅原道真公の御神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す「神霊移御祭(しんれいいぎょさい)」が執り行われた。その後、陸渡御列が催(もよおし)太鼓を先頭に、船渡御の乗船場になっている天神橋までの約3キロを練り歩いた。夕方からは船渡御の船団が、大川を舞台ににぎやかに航行した。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは、奉納花火。約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が、船渡御列の行き交う大川の川面を華やかに彩り、水の都・大阪を華やかに演出した。

867よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:49:00 ID:h7KzoO9o0
大阪城、豊臣時代の石垣を募金で再現 売店一新、公募で
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201207260043.html

 大阪市は26日、国特別史跡である大阪城の観光振興策として、豊臣秀吉が築いた石垣の発掘・復元や、新たな売店事業者の公募を始めると発表した。石垣は、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣から400年を迎える2015年の公開を目指し、発掘や公開の費用は市民に募金を呼びかける方針。

 大阪府市は6月の統合本部会議で、大阪城周辺を世界的な観光の重点エリアにする方針を示していた。

 現在の石垣は、秀吉による初代大坂城が落城後、徳川幕府が土を盛って新たに築いた。1959年の調査で、本丸の地下に豊臣時代の石垣が埋まっていることが確認されていた。市は発掘や再整備に向け、今秋から募金を開始。市によると、熊本城の復元の際は約5億円が集まったという。

868名無しさん:2012/07/26(木) 22:51:00 ID:J4nD8NLc0
>>860

江戸の風情は確かに違和感ありますね。
「江戸」とするなら「江戸時代の・・・」とすべきで

こここそ「浪花」or「大浪花の・・・」とすべきですね。

普段、しょうもないコテコテ用語でカタカナの「ナニワ」を
乱用し過ぎてるから逆に違和感があるかも?ですが。

869よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:02:51 ID:eDvrme4A0
「模擬原爆」犠牲者しのぶ 東住吉追悼式 大阪
2012.7.27 02:30
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120727/osk12072702300000-n1.htm

 昭和20年7月26日に大阪市東住吉区田辺に投下された「模擬原爆」の犠牲者をしのぶ追悼式が26日、同区の「模擬原子爆弾投下跡地の碑」で行われ、遺族や広島、長崎の被爆者、府内の中学生、東日本大震災の被災地から同区に避難している人たちが参列した。

 模擬原子爆弾は、米軍が広島や長崎への原爆投下を想定して訓練のために作った重量4・5トンの爆弾。20年7月20日から8月14日にかけ東京、富山、愛知、大阪などに計約50発が投下された。大阪では7人、全国で400人以上が犠牲になったことが後の愛知県の市民グループの調査で明らかになっている。

 東住吉区の慰霊碑は、大阪の犠牲者の遺族が戦争のない世界の実現を願い、平成13年に投下場所近くに建立した。追悼式は地元の市民グループ「7・26田辺模擬原爆追悼実行委員会」が毎年主催し、今年で12回目。平和教育の一環で模擬原爆について学んでいる地元の市立東住吉中学校の生徒をはじめ府内の中学生らも参加した。

 長崎の被爆者で同区に住む山科和子さん(90)は「親きょうだいがみんな死に、私1人が生き残った。原爆の悲劇、苛酷さを伝えるため世界22カ国を回ったが、この大阪も模擬原爆で広島、長崎とつながっていることを若い人に知ってほしい」と話していた。

870よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:19:02 ID:eDvrme4A0
幽玄な世界 観衆を魅了 北区で水上薪能
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120725/20120725024.html

 天神祭の宵宮に当たる24日夕、大阪市北区の帝国ホテル大阪前のOAP港に係留した船上で、恒例の「天神祭 宵宮祭 奉納水上薪能」(能楽奉賛会、能楽協会大阪支部主催)が行われた。船上で繰り広げられる幽玄な世界が観衆を魅了した。

 毎年、天神祭の宵宮に合わせて行われ、今年で8回目を迎えた。

 25日の天神祭船渡御列の舞台船の一つ「能船」の船上を舞台に、大阪天満宮の神職による火入れ式の後、狂言の舞「三番三(さんばそう)」、能「羽衣」などが上演され、幽玄の世界が繰り広げられた。

 能船の周りでは、人形船でのおはやしも行われ、祭りの雰囲気をいっそう盛り上げていた。

871よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:23:00 ID:eDvrme4A0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

月が照らす住吉大社と機関車
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120725/20120725044.html

大阪名所「住吉の月影」

 松の木はあり得ないほど倒れ込んで、汽車の勢いと速度を表す効果を生み、客車が放つ光が、月明かりに薄ぼんやりと浮かび上がる住吉大社の反橋の姿を、また鳥居前で人力車に乗ろうとする人や、赤いちょうちんを持つ女性を夜目に浮き出させる。その一方で、汽車は地面に長い影を引くが、これは月明かりによるものである。松の木が平伏するなか機関車がごう音を立てて通り過ぎれば、住吉大社はまた薄闇の中に沈んでいく。

 住吉大社といえば反橋が有名で、大阪の中でも定番の名所として知られている。その前を機関車が走るという景色は出色の出会いだ。この機関車は、日本最初の私設鉄道「阪堺鉄道」(後に南海鉄道が買収)の小型機関車で、明治18(1885)年に難波・大和川間が開通している。描いたのは、林基春(もとはる)、1858年生まれ。大阪の浮世絵師である。

 基春が機関車に何を見たのかは分からないが、私は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というSF映画の、火が燃える中を走る自動車型のタイムマシーンを無意識に連想し、機関車に時代を切り裂いていくようなイメージを重ね合わせてしまう。

 先日見たウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』という映画の影響もあるかもしれない。映画では、パリ観光中の小説家志望の脚本家が、真夜中を告げる鐘が鳴る中、なぜかヘミングウェーやフィッツジェラルド夫妻の闊歩(かっぽ)する1920年代のパリにタイムスリップするのだが、そこでも自動車がタイムマシーンになるのだった。主人公は雨のパリを傘もささずに歩いたり、コール・ポーターの音楽が流れる「懐かしのパリ」といった情趣を好む。

 映画ではこうした古いものに対するセンチメンタルな愛着が創造の契機となるのだが、基晴の月明かりの描き方にも同様のものを感じるのだ。

 今はもっと住吉大社に近い所を、今年で創業101年の「チンチン電車」が走っている。機関車のような迫力は毛頭ないが、街のたたずまいを担い、一つの風情となっている。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

872名無しさん:2012/07/27(金) 09:59:42 ID:9/iOb5lY0
橋下市長が文楽観賞=協会への補助金問題で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120726-00000179-jij-soci

大阪市の橋下徹市長は26日、国立文楽劇場(同市)を訪れ、
市からの補助金を全面凍結する意向を示している人形浄瑠璃・文楽を就任後初めて鑑賞した。
鑑賞後に取材に応じた橋下市長は「(関係者と補助金について)意見交換させてほしい」との考えを改めて表明。
一方、演者として市長と面談した鶴沢藤蔵さんは「一歩前進したんじゃないか」と述べた。 

時事通信 7月26日(木)22時49分配信

アンチ市長の連中が伝統保持を盾に批判コメを書きまくっていますが、
こいつらのなかで本当に今の文楽を愛してやまないという人間がどれほどいるかも疑わしいですな。
伝統伝統とそれにばかり固執し過ぎて、現代人に見向きもされない状態になっているのでは何の意味もない。
古き良き部分を残しつつ、現代人に受け入れられるようなアレンジは絶対に必要でしょう。
まして、税金を入れると言う状況の重さを、文楽協会及びその支持者には深く理解梨てもらいたいものです。


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