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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

710名無しさん:2012/04/24(火) 10:11:41 ID:nxo1jDdY0
毎年2億じゃないよな、とりあえず2億か、MKタクシーだよな
関西興銀(韓国系)潰れてそれの営業引き受けた近畿産業信用組合
いい話ではあるが、日本人としては情けない話でもあるわな。


朝日新聞・橋下番 ‏ @asahi_hb
本日最後に、ほっとするニュースを。近畿産業信用組合は23日の決算会見で、日本センチュリー交響楽団に2億円の支援をする方針を明らかにしました。同信組の青木定雄会長は「文化を守るため、継続してやっていく」。大阪府からの補助金がカットされている楽団にとっては朗報ですね。
https://twitter.com/#!/asahi_hb/status/194441648271405057

711よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/24(火) 21:57:01 ID:Aqqsukbo0
>舞楽は15世紀に大阪・四天王寺から伝わったとされる。


能生白山神社で春季大祭
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/34630.html

舞楽に来場者「うっとり」

 国重要無形民俗文化財の舞楽で知られる糸魚川市能生の能生白山神社春季大祭が24日、同神社で開かれた。色とりどりの衣装で舞う11演目が、境内に設けられた舞台で披露され、見物客を魅了した。

 舞楽は15世紀に大阪・四天王寺から伝わったとされる。鉾(ほこ)や太刀を使う「泰平楽(たいへいらく)」など8演目は児童が舞い、竜をモチーフにした「納曾利(なそり)」を含む3演目は大人が担う。

新潟日報2012年4月24日

712よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/26(木) 20:43:23 ID:V9/XseWE0
上方落語:協会の本拠地が大阪・天満に完成
毎日新聞 2012年04月26日 14時48分(最終更新 04月26日 15時00分)
http://mainichi.jp/select/news/20120426k0000e040243000c.html

 上方落語協会(桂三枝会長)の本拠地となる「上方落語協会会館」が26日、大阪市北区天満4に完成した。

 建築家の安藤忠雄さんが無償で設計を請け負った。天満天神繁昌亭や大阪天満宮の近くに建てられた会館は、鉄筋コンクリート3階建て(延べ床面積約260平方メートル)。上部に大きな三角窓と天窓を採用し、自然光を取り入れたデザイン。協会の事務所のほか、上方落語の資料室や落語家の稽古(けいこ)場などを備えた。

 完成式で三枝会長は「こんな素晴らしい大きなものができたのも先輩、師匠方のお陰です」、安藤さんは「大阪を元気にしたいので、少しお手伝いができればと思いました。大阪の職人さんに、うまく造っていただきました」と語った。【油井雅和】

713よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/26(木) 21:32:51 ID:V9/XseWE0
>住吉大社の図で構成されていたが大正時代、37枚に分けられた。


気品漂う紀貫之の肖像画公開
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201204260057.html

尾道市瀬戸田町の耕三寺博物館で国重要文化財「佐竹本三十六歌仙断簡 紀貫之」が特別公開されている。5月6日まで。衣冠姿の紀貫之の肖像に、散る花を雪になぞらえた一首が添えられた鎌倉時代の作品。肖像を藤原信実が描き、和歌は江戸時代に入って狩野探幽が修復したと伝わる。もともと「佐竹本三十六歌仙」は歌人36人の和歌や肖像と、住吉大社の図で構成されていたが大正時代、37枚に分けられた。

714よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/28(土) 05:45:41 ID:pMDwDqig0
俳諧への夢残る 御堂筋
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120428-OYT8T00018.htm

芭蕉終焉の地 (大阪市中央区)

 次々に南へ走り去る車の頭上で、イチョウの若葉がゆったりと風に揺れる御堂筋。大阪市中央区久太郎町。東側道と、中央の4車線を仕切る、幅4・5メートルの緑地帯に、石碑「芭蕉終焉(しゅうえん)の地」がひっそりとたたずむ。

 20センチ四方、高さ1メートルの石柱。南面に〈此附近芭蕉翁終焉ノ地ト傳(つた)フ〉と刻まれている。多くの名句を残した松尾芭蕉(1644〜94)がこの付近で世を去った、と伝える。

 伊賀上野に生まれ、江戸で活躍した芭蕉は1694年9月10日、大阪に入った。仲たがいする弟子の仲裁のためとされている。間もなく病に倒れ、南御堂(難波別院)前の花屋仁右衛門邸に身を寄せ、同年10月12日、51歳で生涯を閉じた。南御堂は石碑から見て、御堂筋をはさんで南西側に立つ。

 かつての御堂筋は幅が狭く、商家が立ち並んでいた。商業の中心地・船場の商人たちが行き交う通りだった。

 石碑の東面には「昭和九年三月 建之大阪府」とある。府が建立した1934年は、幅6メートルだった御堂筋を現在と同じ44メートルに拡幅する工事の最中で、日本初の公営地下鉄・御堂筋線梅田―心斎橋間が開業した翌年だ。地域の歴史に詳しい、近くの坐摩(いかすり)神社宮司・渡辺紘一さん(72)は「街の大改造が行われていた時期で、御堂筋沿いの商家が多数消えた。芭蕉が亡くなった場所がわかるようにと建てたのでしょう」と話す。

 開業当時の地下鉄出入り口は今の緑地帯にあったとの記録もある。船場で生まれ育った米谷浩さん(76)(大阪市住吉区)は子どもの頃、車馬道(しゃばみち)と呼んでいた側道で、馬の引く荷車にこっそり飛び乗って遊んだという。「今のように車が走っておらず、緑地帯にも自由に行き来できた」。石碑は人の営みの中にあった。

 石碑の管理はいつの頃からか、府から大阪市に移った。担当者らが緑地帯の草木を育て、清掃をする。市では最近、御堂筋を全面緑化し、歩行者専用とする構想を検討している。

 石碑の西面には、〈句碑ハ昭和十年三月 難波別院内北築山ヨリ茲(ここ)ニ移ス〉との文字がうっすらと残るが、周りに句碑はない。南御堂によると、俳人らが江戸末期、150回忌に合わせて境内に建てたものを、昭和初期に移した。しかし戦後、御堂筋の交通量が激増し、1962年、句碑だけ再び境内に戻した。

 句碑には辞世の句が記されている。

 〈旅に病(やん)でゆめは枯野をかけまはる〉

 時代とともに碑(いしぶみ)を取り巻く風景は移る。客死した俳人は最期の地で、今も時間を旅しているのかもしれない。

(安田弘司)

  
死の予感 名句生む 俳人・佛教大教授 坪内 稔典さん 68

 俳句研究の第一人者は、芭蕉の句の新たな解釈を試みているという。例えば、有名な〈古池や蛙飛び込む水の音〉。「わびさびの句とされてきたが、荒れた池に、カエルがどぼどぼ飛び込んで、新たな命がよみがえったと読めはしないか」と笑う。「後の世に作られた芭蕉像にこだわりすぎると、本来の句の良さを見失う」との思いからだ。

 芭蕉が諸国を巡った末、大阪を訪れた理由についても新説を掲げる。「体に不調を抱えているのに旅を決行しており、弟子を仲裁するためだけとは思えない。俳諧に対する自らの考えを、文化の中心である上方にも広めたいという夢を持っていたのでは」とみる。その結果、辞世の句や、〈この道や行く人なしに秋の暮〉など、数多くの名句が大阪で生まれた。「新たな刺激を受けながら、突然の病に死を予感し、心の澄んだ状態になった」と解説する。

 俳句を愛し、芭蕉の足跡をたどる人は多い。「石碑のおかげで最期の場所がわかるが、今は容易に近づけない」と、緑地帯にあることを残念がる。「亡くなった場所は、その人の生き様を表すもの。終焉の地を伝える意味は大きいのではないでしょうか」


 ◆交通手段 大阪市営地下鉄御堂筋線・中央線本町駅12番出口から御堂筋東側歩道を南に約90メートル。句碑のある南御堂は、同駅13番出口から南に約150メートル。

 この連載で取り上げる石碑を募集しています。連載へのご意見、ご感想もお寄せください。いずれも読売新聞大阪本社社会部(ファクス06・6361・3001、メールo‐naniwa@yomiuri.com)へ。次回は5月中旬に掲載します。

(2012年4月28日 読売新聞)

715名無しさん:2012/04/28(土) 14:10:28 ID:BrOXFiqU0
>>712
落語の頑張りには頭下がるね、みんな自費で頑張ってる
ワッハ上方や文楽はどうしょうもねえよ

716よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/29(日) 10:14:37 ID:kwElhwiw0
7世紀、泉北に「瓦工場」 陶邑窯跡群 仏教隆盛で生産拠点化? 寺院から受注
2012.4.29 07:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120429/wlf12042907050001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120429/wlf12042907050001-n2.htm

 5世紀から10世紀までの約500年間に千基もの窯(かま)が築かれたとされる大阪府南部の大規模窯業(ようぎょう)生産地の遺構「陶邑(すえむら)窯跡群」で、瓦を焼いた7世紀中頃の窯跡が発見されていたことが29日、分かった。7世紀には、寺院にしか瓦の使用がほぼ認められておらず、通常は寺院ごとに瓦が生産されており、同窯跡群は、陶磁器のルーツである須恵器(すえき)の生産拠点として知られていた。だがこの発見で、同窯跡群が、仏教の普及した比較的早い時期から、瓦の生産拠点でもあったことが初めて明らかとなった。

 発掘調査は、大阪狭山市の山本地区で今年1〜2月、ため池の埋め立てに伴って実施された。窯跡は、ため池から出土し「陶器山(とうきやま)310号窯」と名付けられた。平瓦(ひらがわら)や煉瓦(れんが)などのかけら約200点と、須恵器のかけら約千点が見つかった。瓦は須恵器を作るように、丁寧に表面をなでて仕上げられていた。

 同窯跡群は、須恵器の生産が朝鮮半島から伝わった5世紀に開設。食器類や副葬品などを生産し、九州から東北まで全国に供給するようになった。同窯跡群の須恵器は、時代とともに形状が変遷していることから、さまざまな遺構の時代特定の基準となっている。

 瓦ぶきは7世紀、藤原京(奈良県橿原市)の大極殿など“特例”を除けば、寺院にしか許されていなかった。千基あるとされる同窯跡群の窯のうち、これまで約400基が調査されたが、同窯跡群内の7世紀以前の窯から、寺院の建材が出土したのは初。煉瓦は寺院の基礎部分や古墳の石室に使われたとみられる。

 瓦は仏教とともに6世紀中頃、日本に伝来。その後、仏教の普及が進み、7世紀後半には全国各地で寺が建設されるようになった。一般的には、寺院ごとに瓦を焼く窯がそれぞれ設けられていた。同窯跡群のような大規模生産地で、各地の寺から受注生産されていたことは、これまで知られていなかった。同窯跡群では、近畿各地から受注していた可能性もある。

 大阪狭山市教委の学芸員、土江文子さんは「瓦が足りないなど、急な必要があった場合に発注を受け、それに応じて作っていたのでは」と指摘。須恵器に詳しい京都府立大の菱田哲郎教授(考古学)は「この調査結果で(瓦の伝来以降)比較的早い時期に、同窯跡群で瓦を生産する技術があったということが初めて分かった」と話している。

 出土した瓦などは、大阪府立狭山池博物館で同日始まった発掘成果速報展で初公開されている。同博物館は、南海高野線大阪狭山市駅下車、北西約700メートル。

 
陶邑窯跡群

 大阪府南部に位置する、須恵器を焼くために用いられた窯の遺構群。古墳時代から平安時代まで続いたとされる。名称の由来は、「日本書紀」に書かれた古い地名「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」にあたる、とされていることによる。堺市の泉北ニュータウンを中心に、西は和泉、岸和田両市、東は大阪狭山市の、東西約15キロ、南北約9キロにおよぶ泉北丘陵一帯に広がり、日本最大の須恵器生産地跡といわれる。

717よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/29(日) 10:58:53 ID:kwElhwiw0
「猪飼野」の歴史見つめよう あす生野区民センターでイベント 大阪
2012.4.29 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120429/osk12042902000003-n1.htm

 日本書紀に記され、大正・昭和初期には朝鮮半島・済州島から多くの人たちが移住した地「猪飼野(いかいの)」(現在の大阪市生野・東成区の一部)について考えるイベントが30日、大阪市生野区勝山北の生野区民センターで開かれる。歴史、文化、日本と朝鮮半島との交流など多角的な観点で、5世紀からの地域の変遷を語る。

 「王仁(わに)博士 難波津 猪飼の津 1600年のルネッサンス」と題し、地域文化の研究団体・キュリオ勝山(勝山文化研究会)が主催。昨年、同地域に関する2冊の本(『ニッポン猪飼野ものがたり』『王仁博士 難波津の歌と猪飼野』)が相次いで発行されたのに合わせて開催する。

 「ニッポン猪飼野…」の編集を担当した地域歴史研究家、足代(あじろ)健二郎さんが「1600年の猪飼野を考える」のテーマで基調講演。続いて識者8人がパネリストとなって意見交換する。

 当日は午後1時半〜5時。参加費は500円(資料代含む)。問い合わせは康守雄(カン・スゥン)さん((電)090・5045・9756)。

718よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/29(日) 21:58:12 ID:B.qpXmF60
その1冊きっとある 四天王寺大古本祭始まる
2012年4月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120429/20120429029.html

 和宗総本山四天王寺で28日、恒例の「第10回四天王寺春の大古本祭」が始まった。来場者らはお目当ての一冊を探し出そうと、境内随所に出店・陳列された文学、歴史、芸術などの書籍に見入っている。5月3日まで。

 関西一円の古書籍関連30業者が出店。今回は「リメンバー1960年代」を特集テーマとし、各業者が陳列の一部に60年代の書籍を集めたコーナーを作っている。フォークやシャンソン、当時の絵本などが人気だという。

 5年前から同祭を訪れている岡山県笠岡市の高橋常忠さんは、買い求めた文学全集を手に「これだけ多くの古書があれば、他でなかなか無いようなものが見つかる」と話していた。

 また今回は、東日本大震災復興チャリティーコーナーも設置している。収益金を被災地に寄付する予定で、同祭を主催する関西古書研究会の菅哲夫会長は「本を購入し協力いただいたお金が何らかの形で役に立てば」と話している。

719よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/30(月) 19:45:20 ID:KMSxQ7nQ0
>かつて天皇の即位後に浪速の海に向かって行われた儀式にちなみ、

大阪湾背に心と体躍動 踊りの祭典ワールドあぽろん
2012年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120430/20120430029.html

 ジャンルを超えた踊りの祭典「第7回ワールドあぽろん」(同実行委員会主催、大阪日日新聞など後援)が29日、大阪市住之江区のアジア太平洋トレードセンター周辺で開かれた。大阪湾を前に約100チームが競演し、心と体を躍動させた。

 かつて天皇の即位後に浪速の海に向かって行われた儀式にちなみ、大阪のベイエリアのにぎわいづくりにつなげようと実施。あらゆる分野の踊りが集結する一大文化芸能祭を目指す。

 会場は六つに分かれ、約3千人が出演。大阪湾を背にした海辺のステージでは、オープニングセレモニーが開かれ、祭典の幕が上がった。

 室内外の各舞台の上では、各チームがよさこいソーランなどの演舞を約5分間隔で次々と披露。大人から子どもまで目いっぱいの力を発揮していた。

 海辺のステージで出演した大学生の多川佳祐さん(21)は「楽しくて仕方がない。踊りの輪がもっと広がっていけば」と笑顔を見せていた。

720よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/04/30(月) 19:47:11 ID:KMSxQ7nQ0
>同地区には奈良時代の僧・行基が猪名川に橋を架ける工事成功祈願を同総社にした際、無数のコイが集まり、
>その背に乗って工事を完成させたという「鯉伝説」が残っている。


大空に”神の使い” 椋橋総社こいのぼり100匹
2012年4月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120430/20120430031.html

 端午の節句を前に、私立庄本幼稚園(大阪府豊中市庄本町1丁目、川辺豊園長)の園児らが作った長さ約80センチのこいのぼり100匹が、同園のある椋橋総社(川辺豊宮司)の境内に掲げられている。赤や青、オレンジ色など色とりどりのビニール袋で作られたこいのぼりが、「鯉伝説」の伝わる庄本地区の人らを楽しませている。

 同地区には奈良時代の僧・行基が猪名川に橋を架ける工事成功祈願を同総社にした際、無数のコイが集まり、その背に乗って工事を完成させたという「鯉伝説」が残っている。以降、同地区はコイは神の使いとして大切にされ、現在も境内の池には100匹以上のコイが飼育されている。

 同園では地域に伝わるこれらの話を伝えていこうと2005年から毎年、この時期に園児に伝説を語り聞かせるとともに、こいのぼりを手作りして境内に掲げている。こいのぼりは赤、青、黄など7色の色付きビニール袋を使って作られており、気持ち良さそうに泳ぐ姿が見られる。

 川辺園長は「自分たちが作ったこいのぼりが大空を泳ぐ姿に子どもたちは大喜び。地元の人たちからも親しんでいただいていますので、これからも季節の風物詩として続けていきたい」と話している。

 こいのぼりは5月中旬まで飾られる。

721よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/01(火) 22:10:34 ID:M3IY1u2g0
行方不明の右隻みつかり、左右そろって初公開! 大阪城天守閣蔵の洛中洛外図屏風
2012.4.30 19:21
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043019250020-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120430/wlf12043019250020-n2.htm

 京都のにぎわいや四季の景観を描いた左右1対の風俗画「洛中洛外図屏風(びょうぶ)」で、行方が分からなくなっていた右側の屏風が見つかり、大阪城天守閣(大阪市中央区)で左右そろって初公開されている。

 「大阪城天守閣本」と呼ばれるこの洛中洛外図屏風は、江戸前期の寛永年間(1624〜44年)ごろの制作とみられる。左隻(させき)には二条城などが、右隻(うせき)には内裏や豊臣秀吉をまつる豊国廟(びょう)などがそれぞれ描かれている。

 左隻は大阪市内の民間美術館(平成16年閉館)が所蔵していたが、右隻の所在は長らく分かっていなかった。

 その後、時期は不明だが、右隻がアメリカに流出していたことが判明。秀吉ゆかりの資料などの収集を手がける大阪城天守閣が19年に左隻、20年に右隻を購入した。調査などを終え、今年3月から開催中の屏風絵のテーマ展で初めて左右そろって公開している。

 跡部信主任学芸員は「近年は洛中洛外図屏風が新たに見つかること自体珍しい。離ればなれになっていたペアが長い年月を経て再びめぐりあった奇跡を感じてもらえたら」と話している。展示は5月6日まで。

722よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/04(金) 16:16:11 ID:chYekN0E0
歴史や文化感じて 大阪城前ファミリーフェス始まる
2012年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120504/20120504025.html

 大阪城の歴史や文化を身近に感じてもらおうと、大阪市中央区の大阪城天守閣前本丸広場特設ステージで3日、大阪城ファミリーフェスティバル2012が始まった。高校生などのステージイベントに、観光客が足を止めて見入っていた。6日まで。

 毎年ゴールデンウイークにあわせ、観光客、地元住民の両方に楽しんでもらおうと開催している恒例行事。初日は大道芸や歴史トーク&クイズ、大阪市立鶴見商業高、市立大阪ビジネスフロンティア高、市立扇町総合高の吹奏楽部が日ごろの成果を披露した。

 吹奏楽の演奏では、子どもに人気のアンパンマンのテーマソングや懐メロ、大阪らしく阪神タイガース応援歌の六甲おろしなどを披露。来場者は「元気をもらった」「心があたたまった」と笑顔で拍手を送っていた。

 4日は高校生和太鼓の演奏、5日はよさこい踊りの祭典であるメチャハピー祭、6日は本物の火縄銃で迫力満点の演武を行う大阪城鉄砲隊が登場する。入場無料。

723よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/04(金) 16:20:14 ID:chYekN0E0
あす、府内の文化人ら 真田まつりでトークショー 大阪
2012.5.4 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120504/osk12050402100001-n1.htm

 「大坂の陣」で活躍した戦国武将、真田幸村を顕彰しようとゆかりの和歌山県九度山町で4、5日に開かれる「真田まつり」に、府内の文化人、芸能人、一般住民らでつくる「『大坂の陣』を大河ドラマにする会」が招待され、メンバーらがトークショーを繰り広げることになった。

 真田まつりは、幸村らが九度山に隠棲(いんせい)していたことにちなみ、幸村の命日(5月7日)に近い5月4、5日に毎年開かれている。

 トークショーは5日午前10時半から同町入郷の会場内で行われる。OSK日本歌劇団の桜花昇(の)ぼるさん、講談師の旭堂南陽さん、大阪城天守閣研究主幹の北川央(ひろし)さんらが出演。幸村の魅力をざっくばらんに話すほか、活躍ぶりを南陽さんが講談で披露する。

 まつりの問い合わせは実行委((電)0736・54・2019)。

724よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/04(金) 16:24:05 ID:chYekN0E0
大阪唯一の木造五重塔が完成 富田林の願昭寺
2012.5.2 14:39
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120502/trd12050214410005-n1.htm

 大阪府富田林市の願昭寺に大阪府内では唯一となる木造五重塔が完成し、5日に落慶法要が営まれる。塔の高さは37・27メートルで、設計や施工を担当した大成建設によると、国内の五重塔では10番目の高さ。

 五重塔は開山55周年などを記念して、横手慶隆住職(73)らが発願し、2009年12月に起工、工事は昨年11月に終了したが、東日本大震災の発生から1年もたっていなかったことから、落慶法要開催を自粛していた。

 塔は朱塗りで、心柱は樹齢800年を超えるカナダ産ヒノキを使用した。

 横手住職は「五重の塔が希望の光をみなさんに注ぎ、心の安らぎになることを願っています」としている。

725名無しさん:2012/05/05(土) 23:21:36 ID:3zi6eNFQ0
なぜ大阪にはこんなに寺が多いのか
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2EBE5E5E0E5E2E2E3E2E7E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4
大阪市内を歩いていて、1キロ以上にわたって寺院の甍(いらか)の波が続く地域があるのに気づいた。ざっと数えて数十の寺院が門を構えている。住所標記をみると「天王寺区下寺町」。聖徳太子にゆかりの深い四天王寺にも近い。そういえば大阪府は京都府や奈良県より寺院が多い、と聞いたことがある。なぜ大阪には寺院が多いのか、歴史背景を調べてみた

726よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:09:46 ID:4uFzLL9o0
私は大阪の持つ多面的な顔の一つが『祈りの街』であると思っていましたが、なるほど、これは。
日本国初の首都が置かれたという『歴史の街』という顔、水都という『水の街』、大都会であるという『超高層の街』、交通が集積しているという『交通の街』・・・
大阪とは単純化して語る事の出来ない、日本の中でも世界の中でも稀有な大都市なのです。


なぜ大阪にはこんなに寺が多いのか
2012/5/5 7:00
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2EBE5E5E0E5E2E2E3E2E7E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 大阪市内を歩いていて、1キロ以上にわたって寺院の甍(いらか)の波が続く地域があるのに気づいた。ざっと数えて数十の寺院が門を構えている。住所標記をみると「天王寺区下寺町」。聖徳太子にゆかりの深い四天王寺にも近い。そういえば大阪府は京都府や奈良県より寺院が多い、と聞いたことがある。なぜ大阪には寺院が多いのか、歴史背景を調べてみた。

■約80の寺が密集

 「下寺町を含む南北1400メートル、東西400メートルのエリアに約80のお寺さんが集中しています。府内では随一、全国でも珍しい寺町ですよ」。天王寺区役所に尋ねると、森茂樹・まちづくり担当課長代理がこう教えてくれた。

 寺院が集まり始めたのは16世紀、豊臣秀吉が大阪城を築いた時期という。城のある場所にはかつて、織田信長と対立し激しく争った石山本願寺があった。同寺は難攻不落の“砦(とりで)”として10年以上、合戦に耐えたが、地形から南側の守りが手薄だった。

 森さんによると「大阪城を築く際、大阪各地の寺をここに移転させて防壁代わりにした、との説があります」。寺の堂宇のような高い天井が弓の取り回しに欠かせなかったといい、江戸時代になっても寺の移転と集積は続いた。


 「一帯が古来、聖地だったことも背景にあるようです」と話すのは下寺町の古刹、大蓮寺の秋田光彦住職。周辺には四天王寺のほか浄土宗開祖の法然が住んだ一心寺など要地が多い。寺院を説得して移転させるのに、うってつけの場所だったわけだ。

 一帯はかつて近くまで海が迫り、台地状の地形と相まって夕日の名所だった。浄土信仰が広がった平安末期以降、夕日を眺めて西方浄土を思い描く修行「日想観」が広まり、大阪湾や六甲の山並みに沈む夕日を求め多くの人が集まったという。

 秋田住職は「大阪は商都とされますが、実は古くから一大宗教都市だったのですよ」と指摘する。現在の大阪の街は、石山本願寺の寺内町から発展したとされる。宗教都市としての面影は、今も寺院の数に色濃く残っている。

727よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:19:59 ID:4uFzLL9o0
>>726

http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE6E2EBE5E5E0E5E2E2E3E2E7E0E2E3E09393E082E2E2;df=2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

■大阪の寺密度、全国トップ

 文化庁の宗教年鑑(2009年版)などによると大阪府にある寺院数は3289。京都府(3026)や奈良県(1785)を上回り、愛知県(4598)に次いで全国2位だ。寺院の密度でみると1平方キロメートルあたり1.73と、47都道府県で首位に立つ。


 寺院は大阪市に3割強、残りは堺市や八尾市、高槻市など府内に広く分布している。「宗教的自治都市として権勢を誇った石山本願寺は、大阪平野各地に“衛星都市”として寺内町を抱えていました。八尾市の顕証寺や貝塚市の願泉寺、高槻市の教行寺など今に残る寺院も多く、分布に現れています」。京都大学の西川幸治名誉教授(歴史都市論)はこう分析する。

 西川さんによると、当時の門徒の日記に「石山に上洛(じょうらく)する」などと記され、石山本願寺は「首都」とみられていたという。「寺院勢力の強さを身をもって知っていた秀吉は、各地の寺院を移転させた上で小さいままにしました。宗教勢力を再び台頭させたくないが、統治には利用したいと考え、分断を図ったのでは」と西川さん。それが現在までつながっているという。

 確かに大阪は京都や奈良と違い、宗派の本山や観光バスで乗り付けるような大寺院が少ない。「中小企業の街とされる大阪ですが、中小寺院が多い街でもあります。こうした視点で一度、下寺町を歩いて宗教都市・大阪の息吹を感じてほしいですね」。秋田住職はこう話す。

(大阪社会部 船越純一)

>下寺町を歩いて宗教都市・大阪の息吹を感じてほしいですね

 これは本当にお勧めです。
 観光地・観光名所化される寺が多いなか、ここはごく普通で日常が営まれている。
 非常に歴史があり大事な場所なのに。

 地元の人がノンビリと歩き、法事などが営まれ、ネコがあくびをしながら日向ぼっこしている・・・
 『あぁ、いいなぁ、大阪は』と思える。
 
 でもここで注意を。
 街歩きをする時は、地元の人の迷惑にならないようにしましょう。
 ゴミを出さない、交通法規を守るなどなど当然に守らなければいけない事は守りましょう。
 守るべきことを守っていれば大阪は温かく皆を受け入れてくれます。

728よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:28:03 ID:4uFzLL9o0
7月に「天神祭コレクション」 浴衣作品を募集
2012年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120505/20120505029.html

 「なにわ文化サポーター倶楽部」(大阪市港区)は浴衣のコンテスト形式によるファッションショー「天神祭コレクション」(7月21日、JR大阪駅6階『時空の広場』)の作品を募集している。「意匠デザイン」「コーディネート」「クリエーション」の3部門で、厳選された作品はコレクション当日にお披露目発表する。

 同倶楽部は大阪青年会議所の卒業生が中心となって活動しているボランティア団体。主な活動は天神祭の花火協賛金の奉納や船渡御への参加で、「天神祭コレクション」も天神祭を盛り上げるために2010年に第1回を開催。浴衣という日本古来の文化の継承と新たな価値の創造、そして大阪のまちが元気になることを目指して取り組んでいる。

 前回は各専門学校とコラボレーションし、大阪市中央区の八軒家浜船着場で開催。2回目のことしは、募集範囲を学生以外にも拡張し、浴衣の柄を創作する「意匠デザイン」▽浴衣の着方をアレンジする「コーディネート」▽自由は発想で浴衣を創作する「クリエーション」の3部門で募集する。

 中でも注目なのは「意匠デザイン」部門で、JR大阪三越伊勢丹、高島屋、大丸、呉服屋さん.comとコラボレーションして商品化を目指す。応募する作品のテーマは「変わらないのに新しい」(大阪高島屋)と「ステーションシティに遊びに行く浴衣」(JR大阪三越伊勢丹&大丸)の2種。全体に細かい模様が入っている「小紋柄」のデザインのみの受け付けとなる。

 15日(必着)が締め切りで、その後百貨店バイヤーが作品を厳選し、30日〜6月5日に店頭に展示。来客による投票の結果で1〜3位を決定し「天神祭コレクション」当日に発表する。「コーディネート」と「クリエーション」の2部門は5月31日(必着)締め切りで、1次審査で各10作品ほど選出し、「同コレクション」で最終審査を行う。

 天神祭コレクション実行委員長の中井康之さんは「若手がもっともっと元気になれば産業が活性化し大阪も元気になる。『天神祭コレクション』を通して若者のパワーを引き出していきたい」と話している。

 ホームページから応募受け付け。アドレスは次の通り。

http://www.naniwa-bunka.com/ten-colle/

729よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:33:37 ID:4uFzLL9o0
神島女子が団体・個人制す 住吉大社8 件全国弓道大会
http://www.agara.co.jp/modules/sports/article.php?storyid=230974

 大阪市の住吉大社で1日、第61回住吉大社全国弓道大会(遠的)があり、学生の部女子団体で和歌山県田辺市の神島高校が優勝と準優勝した。同部女子個人でも坂本望選手が優勝するなど神島勢が3位までを独占した。

 学生(高校生と大学生対象)の部男・女、一般の部男・女でそれぞれ団体(1チーム3人)と個人があり、計490人が参加した。60メートル先にある直径1メートルの的に向かって矢を放った。

 学生の部女子団体には23チームが参加。1人4射の計12射で競い、神島の楠あゆみ、谷口亜由美、坂本望選手のチームが9中でトップ。同じメンバーで大会2連覇を飾った。

 また、同校の西野佳苗、芝本真喜子、山本静香選手のチームが8中で2位に入った。 学生の部女子個人は、団体の的中数をもとに争った。4中だった神島の坂本選手と西野選手が参加全選手の中で最高成績となり、的の直径を50センチにして矢を外すまで行う射詰めをした結果、坂本選手が勝った。3位に楠選手が入った。

 学生の部男子個人でも、神島の佃恭平選手が3位に入賞。紀南勢では4位に南部高校(みなべ町)の山本直樹選手が入った。

 神島高校弓道部の山崎涼子顧問は「女子団体は頑張って2年連続優勝と準優勝を果たした。今大会を弾みに次の県高校総体でも頑張ってほしい」と話した。

730よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:36:35 ID:4uFzLL9o0
>慈恩寺舞楽は、西暦786年の平安時代に、大阪四天王寺の楽人、林越前正照が
>山寺に奉納したのが起源とされている。


古式ゆかしく慈恩寺舞楽奉納
http://news24.jp/nnn/news8872318.html

(山形県)

 慈恩寺舞楽は、西暦786年の平安時代に、大阪四天王寺の楽人、林越前正照が山寺に奉納したのが起源とされている。
 その後、慈恩寺、そして谷地に移り住んだ林家が「林家舞楽」として代々受け継ぎ、現在は慈恩寺や八地八幡宮で毎年、奉納されている。
 5日は鼻が高く赤い面をかぶることから狗舞とも呼ばれる散手の舞や、甲冑を身にまとった4人が日本刀を手に繰り広げる「太平楽など8つの舞が披露され、
 訪れた人は古式ゆかしい舞いを堪能していた。

731よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/06(日) 07:42:36 ID:4uFzLL9o0
>>726>>727に関連して。
大阪のお寺の数が多いのは、それが日常に溶け込んでいるから、という理由もありそうです。


※記事より必要な部分を抜粋
http://www.news-postseven.com/archives/20120423_103831.html

大阪などでは月命日ごとに僧侶が檀家の家を訪れてお経を上げるなど、いまなお寺は身近な存在だが、
東京の寺院のほとんどは葬儀の数の多さにあぐらをかいている。

・・・ここでも東京の傲慢さが出ていますね。

732よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/09(水) 22:46:50 ID:F9VP7OD.0
名建築を見て学ぶ市民講座 大阪・中之島
2012年05月09日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001205090001

 近代建築を見て学ぶ市民講座が8日、大阪・中之島であり、参加者は府立中之島図書館や大阪市中央公会堂などをまわった。


 講座は「仕事や子育てを終えた世代に、文化を学ぶ機会を」と、兵庫県川西市の亀治中(かめじなか)吉男さん(66)らが企画した。この日は、講師で1級建築士の柴田正己さん(67)が、参加した女性6人に、中之島の名建築を解説しながら、「歴史的な建物を後世に伝えていくのも建築家の仕事」と語った。参加した女性(62)は「講師の話を聞いて街を見ると、違う姿が見えてきます」と話していた。講座は秋にも予定している。詳細は、企画会社の澪標(みおつくし)(06・6944・0869)へ。

733よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/09(水) 23:02:53 ID:F9VP7OD.0
四天王寺の名宝公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120509-OYT8T00070.htm

聖徳太子の剣など

 四天王寺(大阪市天王寺区)の宝物館で特別公開「珠玉の名宝」が開かれ、寺が所有する飛鳥〜南北朝時代の国宝7件や重要文化財を多数展示している。6月3日まで。

 同館の耐震補強工事完了を記念し、宝物約3000点の一部を公開。聖徳太子が身に着けていたとされる剣「丙子椒林剣(へいししょうりんけん)」(飛鳥〜白鳳時代、国宝)と「七星剣(しちせいけん)」(同)を6年ぶりに同時公開。扇形の料紙に平安貴族らの生活が色鮮やかに描かれた「扇面法華経冊子」(平安時代、国宝)2点のほか、通常は拝観できない秘仏「金銅菩薩半跏像(こんどうぼさつはんかぞう)」(白鳳時代、重文)も間近で見られる。拝観料は大人1000円、高校・大学生500円、中学生以下無料。期間中の開館時間は午前8時半〜午後4時半(入場は閉館の20分前まで、毎月21日は午前8時〜午後5時)。問い合わせは同館(06・6771・0066)。

(2012年5月9日 読売新聞)

734よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/10(木) 22:43:24 ID:LJLPCw6A0
商都・大阪示す資料一堂 江戸期堂島絵図や地誌
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120510-OYT8T00074.htm
 
大商大博物館に新展示室 14日から記念展

 耐震工事のため閉館していた大阪商業大学商業史博物館(東大阪市御厨栄町)が14日、再オープンする。新たに企画展示室が設けられ、これまであまり展示されなかった所蔵品のうち、近世の大阪の様子を伝える貴重な歴史資料を集めた開設記念展「秘蔵の虫干し」が、同日から6月15日まで開かれる。(安田弘司)

 同館の入る谷岡記念館は、1935年建築の旧校舎を移築した建物で、滑らかな白壁やアーチ形の窓など、当時流行したデザインをとどめる。2000年に国の登録有形文化財に指定。補強工事は昨年6月から今年3月まで行われた。企画展示室は、2階の収蔵庫を改装し、約60平方メートル。大型のショーケース5台が並ぶ。

 記念展では、約13万点の所蔵品から、大阪の商業史を研究した同大学の佐古慶三元教授(1898〜1989)の収集品を中心に、江戸〜明治期の史料54点を公開する。

 諸藩の蔵屋敷が立ち並んだ大阪・堂島の江戸初期〜末期の町割(まちわり)の変遷を年代ごとに記録した絵図「堂島沿革図」は5枚組みの4枚を展示。蔵屋敷が増える前の古い町名が見て取れるほか、河川改修や米市の成立時期などもわかる。現代の観光ガイド本のように、名所や名物、有名料亭などを挿絵入りで紹介した地誌、色鮮やかな引札(ひきふだ)(現在の広告チラシ)、銀や銭を量る道具類も展示される。

 明尾圭造・主席学芸員は「秘蔵品から、日本経済を動かしていた大阪の活力を感じてほしい。展示室を生かし、商業大学らしいユニークな企画を打ち出していきたい」と話している。

 常設展示を含め、入館無料。開館は午前10時〜午後4時30分(日曜・祝日は休館)。団体での見学も受け付ける。問い合わせは同館(06・6785・6139)。

(2012年5月10日 読売新聞)

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736よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/11(金) 05:53:06 ID:M8fhdsGA0
新宮遺構?全体像じわり
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120511-OYT8T00070.htm

難波宮跡 発掘調査進む

 大阪文化財研究所が2009年度から行っている難波宮跡(大阪市中央区)東方地域の発掘調査で、奈良時代に孝謙天皇(在位749〜758年)が訪れた「東南新宮」とみられる遺構の様子が明らかになりつつある。昨年度には、建物の土台部分「基壇」の規模が判明し、瓦や基壇の装飾に使う石の破片なども出土。同研究所は「今後も調査を続け、詳細を明らかにしていきたい」としている。

 続日本紀には、756年に孝謙天皇が都のあった奈良・平城京から難波を訪れた際、東南新宮を使ったと記されている。名称から「東南方向にある新たな宮」と考えられ、今回の調査地は、後期難波宮の天皇が住む区域「内裏(だいり)」の東南にあたる。

 09、10年度の調査では、基壇とみられる盛り土や瓦などが出土。さらに昨年度の調査で、基壇の大きさが東西約19・5メートル、南北約14メートルと判明した。建物は塀で区画され、少なくとも二つの区画があったらしい。

 調査区域周辺では、これまでに建物の屋根の両端に置く飾り「鴟尾(しび)」や石敷きなども出土しており、建物の格の高さを裏付けるものとみられている。

 中尾芳治・元帝塚山学院大教授は「基壇は宮殿の建物群の一部と推測できる。今後は中心的な建物の発掘に期待したい」と話している。

(2012年5月11日 読売新聞)

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739よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/12(土) 00:48:35 ID:y0T5at0I0
美しい大阪の街並みを体現する御堂筋。その昔はたった6m幅だった
http://suumo.jp/journal/2012/05/11/18456/?vos=nsuusbsp20111206001

大阪を代表する美しい街路の御堂筋。大阪市の中心部を南北に縦断するこの国道は、日本の道100選のうちのひとつ。北区の阪神前交点から、中央区の難波西口交点まで、全長4027mある御堂筋の沿道には、887本の銀杏の木が植えられており、幹線道路としてのにぎわいだけでなく、美しい銀杏並木の景観スポットとしても親しまれている。

さて、なぜ御堂筋の話かと言えば、実は今日5月11日は今から80年以上前の1937年に、現在の御堂筋が完成した日にあたるから。欧陽菲菲の『雨の御堂筋』、関ジャニ∞の『大阪ロマネスク』、DREAMS COME TRUEの『大阪LOVER』など御堂筋が舞台となる歌も、こじつけるとこの日がないと誕生していないのだ。

御堂筋の歴史をたどると、豊臣秀吉の時代にまでさかのぼる。その当時、天下の台所として発展していた大阪(当時は大坂)には、1596年に南御堂、1597年に北御堂が創建され、沿道にふたつの御堂を持つ道として御堂筋が誕生したという。

1598年からは、秀吉による城下町整備が行われたが、まだそのころは大阪城へと続く東西の道が主要導線で、南北を結ぶ御堂筋は道幅わずか6mほどと、さほど広くもない道だった。

明治期、梅田と難波に駅ができると、南北を結ぶ幹線の重要性が議論されるようになり、1921年にはついに大規模な都市計画事業が打ち出されることに。1930年に着工した工事は、電柱の完全地中化や地下鉄同時開発も行われるという過去に類をみないほど大きな工事であったのだそうだ。

こうして1937年5月11日に完成した御堂筋は幅44m。ゆったりとした歩行空間をもち、銀杏並木の長く続く美しさで人々を驚かせた。1970〜80年代には御堂筋は関西一のビジネスゾーンとして隆盛を極め、1983年から御堂筋パレードがはじまるなど、その存在感を世界にも示すことになった。

現在の御堂筋は、1937年のころよりさらに道幅が広がり、その美しい街並みの文化的価値にも注目が高まっている。2006年からは、大阪フィルハーモニー交響楽団による「大阪クラシック」もスタート。御堂筋に中心にした魅力ある街づくりが円熟期を迎えどのような姿を見せてくれるのか。これからはじまる歴史にも注目したい。

740よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/13(日) 10:51:12 ID:sZv/muKk0
愛用ぬいぐるみなど奉納して 15日、大阪天満宮で「人形祭」
2012.5.13 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120513/osk12051302010002-n1.htm

 大阪市北区の大阪天満宮で15日、ひな人形からぬいぐるみまで愛用していた人形を奉納する「人形祭」が開かれる。節句人形を製造する関西の企業約20社でつくる関西節句人形工業協同組合の主催で、「愛用の人形は要らなくなっても捨てられない。処理に困っている方はこの機会を利用して」と呼びかけている。

 「製造者の立場から最後まで人形の面倒をみたい」と同組合が昨年から始め、今回が2回目。午前9時から午後3時まで奉納する人形を受け付け、午後3時から祭典を行う。

 また、新しい節句人形やひな人形、市松人形などを展示するほか、人形を作る際に出る端切れで作った小物などを販売、売上金の一部を東日本大震災の義援金に充てるという。問い合わせは「小町人形」((電)06・6349・2076)。

741よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/13(日) 16:02:34 ID:sZv/muKk0
浪華紙魚百景 

大商大商業史博だより   北新地堂島の移り変わり
2012年5月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120509/20120509036.html

堂島沿革図

 大阪の川の多くは埋め立てられた。50年ほど前まであった西横掘川や長堀川はよく知られているが、堂島と梅田の境界を流れていた川があったことはご存じだろうか。

 堂島は、その昔、曽根崎川(蜆(しじみ)川)によって北の曽根崎や梅田から切り離されており、南の中之島との境界を流れる堂島川との間に挟まれた、文字通りの島であった。曽根崎川には蜆橋・曽根崎橋・桜橋・緑橋・梅田橋・汐津橋などの橋が架けられ、「堂島沿革図」にも描かれている。

 「堂島沿革図」は、江戸時代のこの地域の移り変わりを年代の違う5枚の絵図と見開きの序文によって記録した珍しい史料である。そして、最新の絵図年代が天保6(1835)年であることと、史料の中に天保6年までの経年が随所に記されていることから、この史料の成立が同年であることが分かる。

 序文には、平安末期の図に天王寺木場(四天王寺の用材を置いた所)と記載があり、このことから聖徳太子が四天王寺の堂宇を建てた時代にはこの島があったとされること、さらに15世紀半ばの図にはすでに堂島と記載があることが記されている。

 堂島の名をつとに有名にしたのは、堂島新地を舞台にした近松門左衛門の作品である。この新地は貞享2(1685)年に河村瑞賢の曽根崎川改修をきっかけに開発され、さらに元禄2(1689)年に、新地10町が成立したことが「天保六年之図」の内容から明らかである。

 ここに土地繁栄策として遊里がつくられ、その華やかさの陰で「曽根崎心中」に代表される遊女悲哀の物語が生まれた。事実この時期には心中事件が多発し、「曽根崎心中」も実際の事件を翻案したノンフィクションの要素を兼ね備えている。

 「曽根崎心中」下巻の「道行」で、お初と徳兵衛は堂島から梅田橋を渡り曽根崎の天神の森へと死出の旅路をたどる。作中では「梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りていつまでも。われとそなたは女夫星(めをとぼし)。」の文句によって、この橋は来世での二人の逢瀬(おうせ)を渡す架け橋としてシンボリックに描かれる。

 その後色町は曽根崎へ移り、新地の南岸には米市場ができて堂島は商業地区に変貌してゆく。近代になって、明治42(1909)年の北の大火の影響で大正13(1924)年までに曽根崎川は全て埋め立てられ、堂島は島ではなくなった。その川床が現在の新地本通を中心とする北新地のネオン街となり、その周辺に立ち並ぶ高層ビルの陰にひっそりと立つ橋跡の石碑が、かすかな面影をしのばせる。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員・池田治司)

742よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/15(火) 05:24:11 ID:ojQ4eGP.0
大商大商業史博物館再オープン 「企画展示室」新設
2012年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120514/20120514018.html

 国の登録有形文化財「谷岡記念館」(東大阪市御厨栄町)内の大阪商業大学商業史博物館では、耐震工事後の再オープンに合わせ、新しく企画展示室が誕生した。商都大阪の歴史と文化を伝える同大の貴重な資料を学内外に発信していく方針。開設記念企画展として、本紙連載中の企画「浪華紙魚(なにわしみ)百景」で学芸員らが紹介してきた同館資料などを公開する。14日〜6月15日。

 同館は1935年、同大の前身となる大阪城東商業学校の本館として鉄筋コンクリート造りの4階建てで建設。軍艦をイメージして小さな小窓が並ぶなど、従来の学校建築の型を破り、「白亜の殿堂」と評される。館内には学園資料室や、地元の文化団体が使うスペースなどもある。約1年間、耐震工事に伴って閉館していた。

 博物館では商業史関連など約13万点の資料を所蔵。従来から常設展示などを行うスペースはあったが、再オープンを機にさらに多彩な展示ができるよう、設備を充実させた企画展示室(63平方メートル)を創設した。

 開設記念企画展「秘蔵の虫干し」で紹介するのは、商業史を中心にした佐古慶三コレクションなど。同館学芸員らが昨年11月から本紙連載で紹介してきた資料など約50点を並べる。佐賀藩蔵屋敷史料や堂島沿革図など貴重な品々を見ることができる。

 企画展示室では今後多彩な展開を予定。商業史はもちろん、上方文化や町民の生活などにも注目し、多角的に大阪の文化を伝えていく構えだ。明尾圭造主席学芸員は「過去を知ることで今の大阪で何をすべきか見えてくるような、大阪の文化にエールを送る運営をしていきたい」と思いを込めている。

 開場は午前10時〜午後4時半。入場無料。日曜祝日は休館。問い合わせは電話06(6785)6139、同博物館へ。

743よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/16(水) 22:16:24 ID:S2PVokg60
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

“元祖スカイツリー”
2012年5月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120516/20120516047.html

第五回内国勧業博覧会案内記

 634メートルは言わずと知れた東京スカイツリー。では、45メートルとは?

 答えは、明治36(1903)年、大阪今宮で開催された第5回内国勧業博覧会場内に築かれた、150尺の望遠楼、通称「大林高塔」。この後初代通天閣が似せて造られたほど、話題を呼んだ。「博覧会案内記」によると、下層は勧工場(かんこうば)や音楽ホール、上層は展望台を備え、観客の昇降にはエレベーターを設置。が、何といっても驚きは、木造でそれを成し遂げたことである。

 大坂城天守閣は、江戸幕府が再興し、秀吉築造時を超える58メートルの高さを誇った(『大阪城の歴史』大阪城天守閣、2001年)が、寛文5(1665)年には落雷により焼失。幕末の大修復で再建されるも、明治維新でまた焼失。廃墟の石塁は平地面から36メートルくらい。盆地の京都や奈良と違い、大阪は山、川、平野、海の大景観が望める地、それを楽しめる高層建築が待望されていたと、この案内記の執筆者は記す。

 当時、富国強兵、殖産興業のため、政府は4回の内国勧業博覧会を開催。工業地として経済復興を果たした大阪にとって、4回目を京都にさらわれ、この第5回内国博こそは、「晴れの舞台」。そして、会場施設工事を受託したのは、清水組、大倉組というライバルに競り勝った大林組だった。

 初代社長大林芳五郎は大阪靫永代浜(うつぼえいたいはま)生まれ。家業の没落後、呉服商のでっちから一転、建築請負業に修業に出、明治25(1892)年に同社を創業した。

 従来の博覧会の建物はバラック式の粗末なもので、会期中に雨漏りや崩壊の恐れもあったという。だが、この内国博で芳五郎は、会期終了後も文化事業に益するよう損益度外視で、材を選び、構造に苦心を払う。建物群は電飾で照らされ不夜城のようだった(『大林芳五郎伝』1940年)。合計5回の内国博で一番の、来場者数約435万人の記録は、芳五郎の心意気に負うものだろう。

 その後、大林組は、大阪だけでも、大阪城天守閣、四天王寺五重塔、大阪万博のエキスポタワーや鉄鋼館他、多くのランドマークを手掛けた。そして、東京スカイツリー。大林組の超高層建築の始まりは、この内国博にあったのだ。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

744よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/21(月) 21:53:34 ID:eusshoWs0
>次に大阪で見ることができるのは、300年後の2312年だということです。

 と、いう事は住吉大社創建2101年目ということですね。
 (昨年が創建1800年の記念すべき年でした)


■大阪で282年ぶり 関西でも「金環日食」観測
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120521112100570125.shtml

 「金環日食」は、関西各地でも観測されました。

 大阪で見られるのは282年ぶり、多くの人が世紀の天文ショーに見入りました。

 午前7時28分。

 関西空港では雲に遮られることなく、「金色のリング」がくっきりと見えました。

 大阪・淀屋橋では多くのビジネスマンが足をとめ、東の空を眺めていました。

 あいにくの曇り空でしたが・・・

 「雲が出てたんで見られるとは思わなかったが、ちゃんと見られてよかったです、では仕事行ってきます」(ビジネスマン・淀屋橋)

 「あー、半分出てきた。あっ、出てきたわ。すごい、すこい、すごい。太陽が欠けるってどういうことかな」(女性・大阪城公園)

 ここでは残念ながら雲が多く、「金環日食」は見えなかったようです。

 「3・2・1・ゼロー!」(「金環日食」までのカウントダウンをする子どもたち)

 大阪府箕面市の小学校では、登校時間を1時間半繰り上げて、観測会を行いました。

 「300年に1回しか大阪では見られへんねん。ここの時に見られてよかった」(女の子)

 「生まれててよかったと思う」(女の子)

 こんな贅沢な観測をした人たちもいました。

 上空からの観測なので、雲の心配は関係ありません。

 次に大阪で見ることができるのは、300年後の2312年だということです。
(05/21 12:49)

745よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/22(火) 20:27:05 ID:JGwf0fg20
ホテル大阪ベイタワー、「天神祭 どんどこ船講『供奉船』乗船券付きステイプラン」を限定販売
水上からの花火鑑賞と天神祭「船渡御(ふなとぎょ)」を体験
『天神祭 どんどこ船講「供奉船(ぐぶせん)」乗船券付きステイプラン』
開催日 2012年7月25日(水)
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=310155&lindID=5

 株式会社グランビスタ ホテル&リゾート(本社:東京都中央区、代表取締役社長:須田貞則)が運営するホテル大阪ベイタワー(大阪市港区/総支配人 平川 進太郎)では7月25日(水)に行われる日本三大祭の一つ天神祭の開催に合わせ、『どんどこ船講「供奉船(ぐぶせん)」乗船券付き特別ステイプラン』を6月1日(金)〜7月13日(金)まで限定販売いたします。

 ホテル大阪ベイタワーは、大阪の文化に根ざしたホテルづくりを目指し、今年も大阪の夏祭りを代表する天神祭の花形「船渡御(ふなとぎょ)」を体験いただける特別ステイプランをご用意いたします。この夏の観光に、他府県の方にも天神祭の感動と、ホテル大阪ベイタワーが誇る”大阪でいちばんきれいな夜景”をお楽しみいただけるよう企画いたしました。
 毎年100万人以上の人手で賑わう天神祭は、一年中で大阪が最も熱くなる夏の大イベントです。なかでも、大阪市中心部の大川に船100隻が行き交う本宮の「船渡御(ふなとぎょ)」は神事最大の見所となっています。
 本プランにて乗船いただくのは、神様のお供をする供奉船(ぐぶせん)といい、中之島から出航し、大川を下り、道頓堀まで約3時間の船渡御をお楽しみいただけます。下船場所は、大阪でも最も賑やかな、グリコの看板で有名な戎橋桟橋です。この道頓堀川に入ることができるのは、船100隻の中でも、一般の方が乗れる唯一の船「供奉船(ぐぶせん)」と、「どんどこ船」「文楽船」「落語船」のみとなっています。
 船上では、うな重とお飲物(飲み放題)をご用意。船渡御では、すれ違う船と交わす「大阪締め」やクライマックスの花火など、天神祭の醍醐味を水上から間近で体験いただけます。
 下船後は、大阪でも有数の夜景が望める当ホテルの高層階30階以上の客室にて、朝食付きの特別ステイプランをご用意しております。天神祭の後は、”大阪でいちばんきれいな夜景”とともに大阪の夜をご満喫ください。

※参考画像・商品概要は、添付の関連資料を参照

● 関連リンク
(株)グランビスタホテル&リゾート ホームページ

746よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/22(火) 20:42:56 ID:JGwf0fg20
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

西区の北堀江地区
2012年5月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/120522/20120522030.html

灯籠にスリーダイヤ「三菱財閥」始まりの地


 大阪市西区の北堀江地区は、土佐藩にゆかりが深い。幕末から明治にかけて近代国家が形成されていく中、現在の西区で三菱財閥を創業した岩崎彌太郎の足跡をたどるのが今回のコース「日本一の海運王へ…岩崎彌太郎、起(た)つ〜三菱発祥の地をたずねて〜」だ。

 ガイド役は、大阪のまち歩きツアーを主宰している「関西下町探索会 K2ファクトリー」の横田健司さん(51)、香織さん(42)夫妻。新世界コースなどの案内役もこなす夫妻だが、今回は香織さんがガイドとなり、健司さんがサポート役を務めた。

 土佐稲荷神社のある場所には、かつて土佐藩の蔵屋敷があり、コメや材木など土佐藩の物産が扱われていた。土佐藩主の山内豊隆が1717年に社殿を造営。1873年に元土佐藩士で明治新政府の高官だった後藤象二郎のあっせんにより、坂本龍馬の海援隊の経理担当だった岩崎彌太郎が三菱商会を設立する。

 「現在の西区役所の辺りで三菱商会は発足した」と香織さん。土佐藩の負債を肩代わりする条件に船を入手して海運業を始めるが、これが三菱財閥の始まりとされる。

 土佐藩主の山内家の三ツ柏紋と岩崎家の三階菱紋を合わせて、三菱の社章であるスリーダイヤが作られる。香織さんに「土佐稲荷神社の境内の至る所にスリーダイヤが残っている」と教えられて周囲を見回すと、灯籠などあらゆるとこにスリーダイヤが刻まれていた。

 作家の司馬遼太郎も住んでいたという西長堀アパートを過ぎ、着いたのは細野ビルヂング。建設会社「細野組」の営業部として1936年に建築された。現在のビルのオーナーで3代目社長の細野房雄さん(64)は一時、老朽化のためビルの建て替えも考えたという。しかしビルの魅力に気付き、修復。現在はビルの魅力を生かしたアートイベントなどを開いているという。

 参加した東大阪市の主婦、板本裕子さん(61)は、「個人で歩いていると素通りしてしまいがちだが、知らないことがたくさんあった。チャンスがあればまた参加したい」と話していた。

 ○…三菱発祥の地を訪ねる今回のコースだったが、比較的コンパクトにまとまったエリアの中に歴史の息吹を感じるたくさんの見どころがあった。オーナーの厚意で細野ビルヂングの屋上に上がらせてもらい街並みを見下ろすと、このまちが歩んできた歴史を垣間見た気がした。

747よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/28(月) 05:21:53 ID:Labfpy3o0
平安貴族もスッポンパワー 大阪・八尾市で数百匹出土
2012.5.27 22:59
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120527/wlf12052723090025-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120527/wlf12052723090025-n2.htm

 大阪府八尾市周辺で発掘された平安〜室町時代のため池跡から、現代でも美容や滋養強壮で人気のスッポンが大量に出土したことが、府文化財センターなどの調査で分かった。文献史料によると、平安時代には甲羅が薬として都に納められ、江戸時代以降は鍋料理として好まれ、大阪近郊が一大生産地だったともみられる。遺跡で大量に発掘されるのは珍しく、“スッポンパワーの源”に迫る資料になりそうだ。

 八尾市の久宝寺遺跡では、室町時代(15〜16世紀)のため池跡(縦28メートル、横14メートル)で、スッポンがほぼ完全な状態で出土。全体の5分の1の範囲で99匹分、残りの範囲でも密集した状態で見つかり、数百匹に上るという。

 約4キロ北東の池島・福万寺遺跡(八尾市、東大阪市)では、平安時代後半(11世紀後半〜12世紀初め)のため池跡(縦35メートル、横18メートル)で、1メートルほどの範囲で8匹分出土。いずれも頭が上向きで、泥の中にもぐっていた際に突然土に覆われて生き埋めになり、呼吸するために頭を上げた状況がうかがえるという。

 スッポンは全国約70カ所の遺跡で確認されているが、大半は甲羅の一部など。両遺跡では、何らかの原因で一気に埋まり“真空パック”状態になったことで全身が残ったらしい。

 平安時代の宮中行事などを記した「延喜式(えんぎしき)」では、スッポンは都周辺から甲羅が薬として貢納されたといい、江戸時代中ごろ(17世紀末)にはスッポン料理が普及し、大阪市内の蔵屋敷跡では包丁で解体された痕跡のある甲羅も出土した。

 スッポンは、冬眠期間が11月から5月ごろまでと長いため生育が遅く、養殖が本格的に始まったのは幕末ごろとされる。現在は大分県宇佐市安心院(あじむ)町などの養殖が全国的に知られ、関西などに出荷されている。

 今回のスッポンは、別の場所で捕獲され、ため池で出荷まで育てられたらしい。共同研究を行った府立環境農林水産総合研究所の上原一彦主幹研究員は「スッポンは肉食系で単独行動が基本。何百匹もいるのは自然の状態では考えられない。冬眠中は仮死状態で動かないため、出荷で持ち運ぶ際はかみつかれることもなかったのでは」と話す。

748よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/29(火) 02:20:00 ID:P49urL6U0
甲冑:段ボールなどで作る−−下関 /山口
毎日新聞 2012年05月20日 地方版
http://mainichi.jp/area/yamaguchi/news/20120520ddlk35040230000c.html

 下関市長府中浜町の西中国信用金庫長府中央支店に、同市前田のうどん店店主、長谷川博政さん(66)が段ボールなどで作った色鮮やかな甲冑(かっちゅう)が今年も登場し、訪れた人を楽しませている。

 長谷川さんは40年以上前から、段ボール紙や合皮、ひもなどで武将の甲冑を作り続けており、その数なんと100体。今回はNHK大河ドラマ「平清盛」にちなみ、清盛役が着用した甲冑と色違いの実物大模型を1年かけて作り上げた。

 仕事後、録画した大河ドラマを見て、当時の気分に浸りながら作品作りに没頭。「実物大なので細部にもこだわった。今回の出来は、ばっちり」と満面の笑みを浮かべた。

 31日まで作品を展示し、平清盛が馬などを奉納したとされる住吉大社(大阪)に奉納するという。

749よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/29(火) 02:24:26 ID:P49urL6U0
吉備池廃寺:「素弁」軒丸瓦を初発見 斑鳩寺と同じ型枠 埋蔵文化財センターで初公開−−桜井市教委 /奈良
毎日新聞 2012年05月28日 地方版
http://mainichi.jp/area/nara/news/20120528ddlk29040232000c.html

 日本で初めての勅願寺とされる百済大寺(くだらのおおでら)と推定されている桜井市の吉備池廃寺で、素弁蓮華文軒丸瓦(そべんれんげもんのきまるがわら)が初めて見つかった。桜井市教委によると、斑鳩寺(斑鳩町)や四天王寺(大阪市)で出土している瓦と同じ型枠で作られた瓦で、建立の謎の解明につながる貴重な資料になるという。軒丸瓦は現在、同市立埋蔵文化財センターで初公開されている。【矢追健介】

 奈良国立文化財研究所(当時)の97年の調査で、飛鳥時代最大の金堂基壇跡が見つかり、吉備池廃寺と命名。日本書紀に舒明(じょめい)天皇が639年に建立の詔をしたと記される百済大寺である可能性が高まり、翌98年には100メートル近い高さだったとみられる塔の基壇跡も確認された。

 吉備池廃寺で見つかった瓦はこれまで、花びらの文様の中に子葉がある「単弁蓮華文軒丸瓦」で、この瓦の型枠はその後、四天王寺で用いられた。

750よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/29(火) 02:26:55 ID:P49urL6U0
担当者40人が安全対策協議 天神祭
2012年5月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120526/20120526039.html

 天神祭(7月24、25日)を前に25日、大阪市北区の大阪天満宮で警備態勢などについて協議する担当者会議が開かれた。大阪府警や警備会社、同宮の担当者ら約40人が出席。当日の行事予定や安全対策などについて確認した。

 会議では同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)が「皆さんの指導を仰ぎながら、安全かつ盛大に天神祭をできるようによろしくお願いします」とあいさつした。

 引き続き、奉納花火のタイムスケジュールなどが報告され、周辺の立ち入り禁止エリアや自転車の駐輪対策などについて協議した。

751よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/30(水) 05:41:04 ID:r0fbA4og0
もう一度知りたい晶子 命日の29日 故郷・堺で「白桜忌」
2012.5.30 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120530/osk12053002020004-n1.htm

 ■没後70年・渡欧100年「まちなかミュージアム」イベント

 明治から昭和にかけて活躍した歌人、与謝野晶子(1878〜1942年)の没後70年と渡欧100年に当たる今年、生まれ育った堺市で晶子の歌や業績などを紹介する展覧会、講演会などのイベントが多彩に予定されている。晶子の命日の29日には、同市堺区の覚応寺で「白桜忌」が行われた。市はこれらの催しを「晶子まちなかミュージアム」としてPRしている。

 「白桜忌」は、晶子を顕彰しようという市民団体が主催し今回が30回目。同寺の2代前の住職が晶子と夫の鉄幹の仲を取り持ったとされることから同寺で行い、晶子が白いサクラを好み、晩年の歌集名が「白桜集」だったことから「白桜忌」と名付けている。約80人が参加。読経や献歌、献句などのあと、合唱の披露などもあり晶子の業績をしのんだ。

 「晶子まちなかミュージアム」の他のイベントの概要は以下の通り。問い合わせは市文化課((電)072・228・7143)。

                   ◇

 【与謝野晶子文芸館常設展示「与謝野晶子 生涯と作品」】7月8日まで市立文化館(与謝野晶子文芸館)。月曜休館。入場料は一般500円、高校・大学生300円、小中学生100円。6月23、24日は無料。同文化館((電)072・222・5533)。

 【与謝野晶子没後70年記念講演会「晶子恋歌−日本的浪漫の命脈」】6月2日午後2時から開口神社瑞祥閣で。講師は東洋大元教授の竹内清己氏。無料。

 【渡欧100年記念「日本人がパリでみたもの〜寛・晶子の旅から〜」パネル展 晶子にちなんだグッズの販売】パネル展は6月15〜25日、グッズ販売は同7〜25日、堺伝統産業会館((電)072・227・1001)で。入場無料。

 【晶子渡欧100年記念「われもコクリコ〜女三人日本画展」】6月22〜27日にギャラリーいろはにで。堺市美術協会の女性会員3人の日本画を展示。同ギャラリー((電)072・232・1682)。無料。

 【第18回与謝野晶子短歌文学賞 晶子フォーラム2012】短歌文学賞は6月23日午後1時からサンスクエア堺で。産経新聞社主催。入場料は一般千円。表彰式や選評会など。フォーラムは同22〜24日に市立文化館ギャラリーで。与謝野晶子倶楽部主催。無料。

752よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/30(水) 05:43:06 ID:r0fbA4og0
スタンプ7つ集めて“ご利益” 天王寺七坂の魅力、再発見を 大阪
2012.5.30 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120530/osk12053002020002-n1.htm

 大阪市天王寺区の観光スポット「天王寺七坂」の魅力を再発見してもらおうと、地元の「てんのうじ観光ボランティアガイド協議会」が企画したスタンプラリーが始まった。押印用の冊子には坂ごとに歴史や見どころなどを紹介、同会では「スタンプ7つを集めるともらえるのは『ご利益(りやく)』です」とPRしている。

 天王寺七坂は、同区の上町台地西側にある7つの坂の総称で、江戸時代に大阪城下から移転した寺院が数多く集まっている。同会では平成13年からこのエリアで観光ガイドを行っているが、柳原勝会長(80)が観光客から「七坂を巡っても何も残らない」と言われ、スタンプラリーを思いついた。

 柳原会長は各寺院にスタンプラリー実施の了解を得るとともに、知人の現代美術作家、植村佳菜子さん(40)に「遊び心のあるおもしろいものを作って」とスタンプと冊子のデザインを依頼。各坂の伝説などをもとに“ゆるキャラ”風のスタンプと手書き文字でつづった魅力的な冊子が完成した。

 口縄坂は文学碑がある織田作之助、天神坂は天神さまにちなんで菅原道真−など、各坂に置かれたスタンプは、それぞれゆかりの人物がモチーフ。ユニークなのは源聖寺坂のタヌキ。昭和末期まで付近にあった源九郎稲荷(いなり)の伝説「こんにゃく八兵衛」に登場するタヌキにちなんだキャラクターだという。

 冊子は、持ち歩きに便利な4つ折りコンパクトサイズ。裏面にはスタンプの設置場所を記した地図も掲載。一心寺をはじめ11の社寺で販売。1部100円。「全部回ると約2時間かかりますが、ウオーキングにはちょうどよい距離。スタンプラリーで上町台地の魅力を知ってほしい」と柳原会長。問い合わせは天王寺区民センター((電)06・6771・9981)。

753よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/05/31(木) 23:38:13 ID:lEdyxW9o0
蝦夷の頭領、私たちが劇に…大阪・枚方市の小中高校生
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20120531-OYT8T00301.htm

 平安時代初期に東北地方の民・蝦夷(えみし)を率い、攻め込んできた朝廷軍との戦に降伏して現在の大阪府枚方市で処刑されたと伝わる阿弖流為(アテルイ)の生涯を描いた演劇を、同市の小中高校生が12月に市内で上演する。稽古に励む子どもたちは「枚方の歴史を学びつつ、感動できる舞台に仕上げたい」と意気込んでいる。


 劇の名は「火怨(かえん)の蝦夷、阿弖流為」。リーダーの阿弖流為は、朝廷軍に抗しきれないと見るや、仲間たちは処罰されないよう朝廷と和解させ、自分だけが戦を続けようとしていたと朝廷に信じ込ませて降伏する――とのストーリーだ。芝居と幕あいのダンスで構成される。


 自治体の支援をする同市のNPO法人役員・小野裕行さん(62)が、阿弖流為を描いた高橋克彦さんの歴史小説「火怨」(1999年発行)を読み、朝廷から野蛮な民族だと迫害され続けた人々の暮らしを守ろうとする生きざまに感動。小説をもとに脚本を書き上げ、昨年夏、劇団「ひらかた肝高(きむたか)倶楽部」を設立した。


 劇団は現在、小4〜高2の11人がメンバーで、週1回、枚方市民会館などで稽古を重ねている。出演者を募集中で、本番までに50人に増やしたいという。


 小野さんを動かしたのは「歴史や先人の気高さに触れ、子どもたちに地元への愛着を持ってもらいたい」との思い。稽古の際、子どもや付き添いの親らにもよく話しているという。


 小学生の子ども2人を参加させた同市黄金野、会社社長松浦正記さん(43)は「そんな歴史があったとは知らなかった。目標に向かって努力することで、子どもが成長してくれるいい機会になれば」と期待。阿弖流為役の同市立第三中3年、林田佳典君(15)は「頭が良く、仲間思いな人物。しっかり演じたい」と稽古に熱を込めている。


 公演は12月23日、枚方市民会館で。問い合わせは同倶楽部事務局(072・857・6000)へ。(中田敦之)

754よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/01(金) 05:48:01 ID:zk0afZ9I0
ナツハギ見頃、境内彩る 豊中・東光院 大阪
2012.6.1 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120601/osk12060102070003-n1.htm

 俳人・正岡子規も愛した“萩の寺”、豊中市南桜塚の曹洞宗東光院(村山廣甫住職)でナツハギが見頃を迎え、かれんな花が参拝客らの目を楽しませている。

 参道には、秋に見頃を迎えるマルバハギなど約10種3千株にまじり、ナツハギ約30株が植えられており、今年は例年より早く赤紫の花が房状に咲き始めたという。

 東光院は、奈良時代の天平7(735)年に僧の行基(668〜749年)が現在の大阪市北区中津に薬師如来像を自作し、薬師堂を建立したのが始まりとされる。行基が死者の霊を慰めるために当時、淀川に群生していたハギを供えたことから境内にもハギが植えられ、「萩の寺」として親しまれるようになった。

 子規や高浜虚子ら多くの俳人が好んで訪れ、子規はハギが咲き誇る風情を「ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露」と詠んだという。

 同院は「ハギの群生美は、日本らしい『和』の民族性を表しているよう。1度花を咲かせたあと、さらに茎を伸ばし花を咲かせる姿は、私たちに希望を与えてくれる」と話している。

 見頃は6月中旬ごろまで。

755よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/03(日) 20:44:31 ID:0mScRP6E0
「お母さん、来たよ」 第2次大阪大空襲慰霊法要
2012年6月2日
 太平洋戦争末期に大阪沿岸部を中心に襲った第2次大阪大空襲から67年となる1日、大阪市港区の西栄寺で空襲による区内の犠牲者を悼む慰霊法要が営まれた。今年は3月13日深夜の空襲で母親と伯母を亡くした三宅カズヱさん(76)=広島県呉市=が初めて出席。「お母さん、来たよ」と静かに声を掛けていた。
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120602/20120602025.html

 慰霊法要は、同寺の多田篤史住職(24)の曽祖父にあたる先々代が戦後間もないころから、空襲による区内の被害が大きかった6月1日に毎年実施。同区空襲犠牲者過去帳を作った先代の住職も今年3月に亡くなり、多田住職が跡を継いでいる。

 当時10歳だった三宅さんは、疎開先の香川で母親と伯母の死を知った。「父がお骨と焼け焦げた着物のきれを持ってきた。そのような知らせを受ける子どもは周りにもいて、私だけが悲しんでいられなかった」と振り返る。

 住み慣れた地や母の最期について詳しく知りたかったが、区内は空襲で焼け野原となっていたためか「預けられた親戚からは“あかん”と言われてばかり」。何も分からないまま長く大阪から離れていたが、どうしても知りたいという気持ちが募り今年3月、通っていた国民学校の名を頼りに波除小学校を訪ねた。

 そこでは何もつかめなかったが、紹介された大阪国際平和センター(ピースおおさか)の空襲犠牲者の名を刻んだモニュメント銅板に母親と伯母の名前があることを確認。その際に港区内での法要も知った。

 焼香台の前に立った三宅さんは目の前に母親がいるかのように目線を上げ、静かに手を合わせた。過去帳で母親と伯母の名前も確認。「毎年3月に墓参りはしているが、母と過ごした港区での慰霊法要に出席でき、67年ぶりに再会できたよう。感動しています」と目を潤ませていた。

756よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/03(日) 20:53:25 ID:0mScRP6E0
「戦略」「家紋」テーマ常設展 大阪城天守閣
2012年6月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120603/20120603023.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で、織田信長と豊臣秀吉、徳川家康の“戦い”に着目した常設展「天下人たちの戦略」が7月18日まで、家紋にスポットを当てた常設展「家紋」が同19日まで開かれている。

 大阪城天守閣の常設展は毎回、新たなテーマの下、約2カ月に1回ペースで展示替えを行い開催。観光客だけでなく地元大阪からのリピーターも多く、好評を集めている。

 開催中の「家紋」では、武将らが使っていた家紋入りのかぶとや陣羽織、幟(のぼり)、千両箱など42点を展示。徳川秀忠の娘で後水尾天皇の中宮となった東福門院和子が使っていた厨子(ずし)には菊紋と三葉葵紋の二つが描かれており、持ち主の歩みが見て取れる。

 同展担当者で同天守閣研究主幹の北川央さんは「同じ所蔵品でもテーマによって説明の仕方も変わる。さまざまな角度から自分たちの国や地域の歴史を知ってほしい」と話していた。

757よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/08(金) 05:52:57 ID:Flstu.QQ0
薬の町 繁栄の歴史 大阪歴史博物館が特集展
2012年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120607/20120607040.html

 特集展「なにわの薬屋さん」が、大阪市中央区大手前4丁目の大阪歴史博物館で開かれている。近年同館に寄贈された貴重な資料を展示し、“薬の町”を紹介している。7月23日まで。

 江戸から明治期にかけての薬屋に関する資料の寄贈を受け、大阪の産業で重要な役割を果たした“薬屋さん”に対する理解を深めてもらおうと企画した。

 大阪は江戸時代以来、薬の原料となる「薬種」が国内外から集まる最大の町で、薬業に携わる商人や店が多かった。道修町を中心に栄え、ここを出身として現在まで存続する製薬会社もある。

 今展は、江戸時代後期から明治時代にかけての資料30点余りを展示。薬屋を記した観光案内地図や薬を製造・販売する大阪市内の「合薬(あわせぐすり)屋」約180軒を掲載した名鑑を通して、当時の繁栄をうかがい知ることができる。

 16、30日、7月8、16日には学芸員による展示解説が行われる。各日午後2時から30分程度。参加無料(入場には、常設展示観覧券が必要)。当日直接会場で集合。

758名無しさん:2012/06/10(日) 15:08:39 ID:qW3Ayj5Y0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120610/osk12061002030000-n1.htm
850人「大大阪」にひたる レトロ建築たどり「KANSAIウオーク」
2012.6.10 02:03
 
関西の名所を歩いて巡るウオーキング大会「KANSAIウオーク2012」(産経新聞社主催、ライオン特別協賛)が9日、大阪市中央区の大阪城天守閣前広場を発着点に開かれた。家族連れら約850人が市内のレトロ建築をたどるなどし、大正から昭和にかけて「大(だい)大阪」と呼ばれた時代に思いをはせながら心地よい汗を流した。

年間3回開催されるシリーズの第1回で、「レトロ建築から大大阪時代を知る」をテーマに、大阪市内エリアをコースに開催。参加者は約15キロのスペシャルコースと約7キロのファミリーコースに分かれて大阪城を出発し、大正7年に完成した市中央公会堂(北区、国重文)など、市内に多数残るレトロ建築をながめながら散策を楽しんだ。

出発地点では中央区のマスコットキャラクター「ゆめまるくん」や熊本県のキャラクター「くまモン」らも登場し、イベントを盛り上げた。ゴールした人たちは「完歩証」を受け取り、中学生以上の完歩者にはライオン製品が贈られた。

第2回は10月27日に「神戸エリア」で、第3回は12月8日に「奈良エリア」でそれぞれ開催される予定。

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761よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/11(月) 21:21:32 ID:EPkBiRmQ0
■大阪で初会合 百舌鳥・古市古墳群を世界遺産へ
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120611112000576960.shtml

 仁徳天皇陵がある堺市など3つの市に点在する百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を目指し、初めての協議会が大阪で開かれました。

 大阪府庁で開かれた初めての会議には、委員長の橋爪紳也大阪府立大学教授や自治体、経済団体の関係者などが参加しました。

 百舌鳥・古市古墳群は世界3大墳墓と言われる仁徳天皇陵をはじめ堺市、藤井寺市、羽曳野市にまたがる巨大な古墳群で、世界遺産の国内暫定リストに登録されています。

 会議では今後キャンペーンなどで国内外へ情報を発信し、世界遺産登録への機運を盛り上げることにしています。

 まずは暫定リストから国の代表となることが必要で、世界遺産登録は最も早くても3年後になるということです。
(06/11 12:42)

762よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/11(月) 21:42:49 ID:EPkBiRmQ0
〔Naniwaなう〕 堺の知られざる史実 コラム集に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120610-OYT8T00081.htm

 古代から近代までの堺の都市発展をテーマにしたコラム集「堺都市史探訪」(ホウユウ出版部)を出版した。

 江戸時代の絵図から、鎖国や大和川の付け替えなどによる堺港の変遷をたどり、近代都市への足がかりを築いた跡をたどった。路面電車・阪堺電気軌道のうち、1949年に営業休止になり、その後廃止された大浜支線(宿院―大浜海岸、約1・5キロ)も取り上げた。さらに、明治になって府内で初めて開かれた堺博覧会、堺と住吉大社の結びつきなど、幅広い。

 元堺市職員で市博物館副館長を務めた。仕事を終えた後や土日を利用して史料や文献にあたり、堺の歴史を研究。「江戸時代、仁徳天皇陵の墳丘は花見の名所だった。文献をたどれば、意外な史実がわかる」

 11年前に退職し、府内の歴史、文化、産業を紹介する季刊誌「大阪春秋」の編集委員に。コラム集には、同誌の連載などから、地元でもあまり知られていないテーマを中心に15編を選んだ。

 堺の歴史をテーマにした市民向け文化講座も開く。今秋には太成学院大(堺市美原区)の非常勤講師に就き、「堺学」を教える予定だ。「かつて海外交易で栄えた自由都市・堺の歴史を知ることは、今後のまちづくりを考える上で参考になるはず」(南省至)

(2012年6月10日 読売新聞)

763名無しさん:2012/06/12(火) 19:25:32 ID:A2/jRzH.0
>>761 そのためにも、堺と南河内を結ぶ公共交通を。阪急今津線とか川崎の南武線の小型版として。
現市長によっておじゃんにされたLRTは前任の時代に松原まで延伸なんて荒れた?ハナから構想外かよ。
そんなだから、福助に原宿へ逃げられた?

764名無しさん:2012/06/12(火) 19:29:29 ID:wNN923Oo0
ここに福助は関係ないでしょ

765よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/12(火) 22:50:36 ID:4DOLwLIU0
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

アメリカ村かいわい
2012年6月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/120612/20120612025.html

若者の街に江戸の名残 三角公園に誕生秘話

 若者文化の発信拠点として知られる大阪・ミナミのアメリカ村。今回はアメリカ村の誕生から発展、そしてその歴史を探るコースに参加した。案内人を務めるのは以倉敬之さん(26)。吉本興業の子会社に勤務後、企画会社を立ち上げ、地域活性化イベントも手掛ける。大阪あそ歩のオープニングイベントに参加者してガイドになったという経歴の持ち主だ。

 地下鉄四つ橋線「四ツ橋駅」の改札口に集合し、早速、参加者の皆さんととともに、まち歩きに出発。地下鉄の駅名に残る「四ツ橋」は、かつて西横堀川と長堀川が交差し、時計回りに上繋橋、炭屋橋、下繋橋、吉野家橋が架かっていたことに由来する。駅を出てほどなく歩くと、四つの橋をしのぶ橋の欄干などが再現された場所に到着した。

 現在では車がひっきりなしに行き交う騒々しい印象を受けるが、以倉さんは「かつては納涼の名所だった」と説明し、碑に刻まれている小西来山の「涼しさに 四つ橋を四つ わたりけり」という句を紹介した。

 その後、たどり着いたパチンコ店の前に立ち以倉さんが教えてくれたのが「大坂屋銅吹所跡」。日本はかつて世界有数の産銅国で、この付近にあったとされる大坂屋銅吹所は、銅の生産量が住友銅吹所に次ぐナンバー2を誇ったとされる。もっとも当時をしのばせるものは付近に見当たらず、以倉さんの話を聞きながら往時の活気を想像するしかなかった。

 この後、アメリカ村のにぎわいの中にあって細い路地の奥にあり、1960年代に若者らの間に「アイビーファッション」ブームを起こした故・石津謙介氏が創業したヴァンヂャケット社の創業の地を巡った。

 後に「アメリカ村のママ」と呼ばれた日限萬里子さんが開いた喫茶店「LOOP」跡を回り、御津公園(通称・三角公園)に到着。三角公園の名前の由来について以倉さんは、かつて道路の整備に合わせて公園の場所が三角に削られたためと説明。「アメリカ村のシンボル」だが、(建設)作業員宿舎が設置されていたことや、長らく児童公園として使われていたことなど公園の変遷について語った。

 路地裏を進み、「アメリカ村に江戸時代の名残が残っている」と言われたその先に、蔵が立っていた。路地はかつて水路だったのはないかという以倉さんの推測に耳を傾け、まち歩きを終えた。

 東大阪市から参加した森鼻雅彦さん(64)は、「三角公園の時代の流れを知って面白かった。コースを回ってみて、史跡を紹介する案内板があればと思った」と話していた。

 (大阪あそ歩'12春のコースが終了し、この連載も次回のコース再開まで休載します)

 ○…若者の街という印象のアメリカ村だが、以倉さんのガイドで歩いてみると、見慣れた街並みもまた違って見えた。独自の推測を交えながらガイドを務める以倉さん。「そうしながらまち歩きをすると楽しくなるのでは」との言葉に納得した。

766名無しさん:2012/06/12(火) 23:26:48 ID:i7jakmWg0
福助は裏切り者

767名無しさん:2012/06/13(水) 01:23:27 ID:RR1FtkEc0
福助って倒産して政府系のファンドから金もらって藤巻が
社長として送られてきただけでしょ、今もう殆ど名前聞かないけどね。

野村證券も死にかけだし、住友グループはバラバラだし
創業の地を捨てるってことは自分たちのIDを消すことだから
20年たち30年たってったら、もう会社としての求心力がなくなる。

768名無しさん:2012/06/13(水) 01:48:33 ID:NljF3Dd.0
発展するどころか、維持することもできない様な風土だなんて
なんでそんなところに移転したのだろうか

769よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/15(金) 22:27:46 ID:OTsMQ3bQ0
「愛染さんじゃ、宝恵かご」 PR一行、元気にかけ声 大阪
2012.6.15 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120615/osk12061502040003-n1.htm

 大阪三大夏祭りの先陣を切って30日〜7月2日に大阪市天王寺区の愛染堂勝鬘院で開催される「愛染まつり」をPRする愛染娘らの一行が14日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ「愛染さんじゃ、宝恵かご」と元気よくかけ声を披露した。

 江戸時代に芸者らが参拝したようすを再現した「宝恵かごパレード」が見どころ。30日の午後1時半から6基のかごが約2時間かけて谷町筋を練り歩く。

 また秘仏の特別開帳やダンスステージ、夜店なども楽しめ、各日とも浴衣着用の参拝者にはオリジナルブレスレットをプレゼント(先着100人)。

 愛染娘の渡辺麻乃さん(26)は「7月1日の『ミス愛染娘コンテスト』では負けません」と意気込みを語った。

770よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/15(金) 23:21:35 ID:OTsMQ3bQ0
豊作を願って 住吉大社「御田植神事」
2012年6月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120615/20120615023.html

 昨年、鎮座1800年を迎えた大阪市住吉区の住吉大社で14日、国の重要無形民俗文化財で稲の豊作を願う「御田植神事」が行われ、御田(おんだ)に植女(うえめ)が早苗を手植えし、ほとりで神事芸能が繰り広げられた。

 大社鎮座の際に神功皇后が神田を定め、現在の山口県にあたる長門国から植女を召したことが起源とされる。

 神事は諸役が奉仕資格を得るための粉黛(ふんたい)・戴盃(たいはい)式から始まり、諸役は本殿での祭典後、列をなして御田まで練り歩いた。

 植女に早苗を授けられた替植女が田植えを始めると、中央舞台や周囲で八乙女舞や神田代(みとしろ)舞などの神事芸能が奉納された。

 初めて拝観したという奈良県の秋田法子さん(64)と吹田市の加藤眞知子さん(63)は手植えされた約2反(約20アール)の御田を見て「手植えは一部だけと思っていたら、きれいに手早くこなしていてびっくりした。伝統を大事にしているのが伝わってきた」と感心していた。

771よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/16(土) 05:33:12 ID:OTsMQ3bQ0
仏像マニア必見! 仏教文化の宝庫・和泉で特別展 初公開の“お宝”も 
2012.6.15 17:27
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120615/wlf12061517320017-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120615/wlf12061517320017-n2.htm

 大阪府和泉市内の寺院などに残されている貴重な仏像や仏画を集めた特別展「ほとけのかたち」が、和泉市まなび野の市いずみの国歴史館で開かれている。運慶、快慶の流れをくむ慶派の仏像など、所蔵する寺以外では初公開となる作品もあり、市教委は「和泉の豊富な仏教美術を知ってほしい」としている。7月16日まで。

 和泉市では飛鳥時代の終わりに仏教文化が花開き、今も多くの寺院が残る。市教委では市史編纂(へんさん)事業に伴い平成7年ごろから市内全域の寺院の調査を継続。この過程で美術的価値が確認された文化財を広く紹介しようと特別展を企画した。

 初公開作品のひとつ、羅漢寺(平井町)の大日如来坐像(ざぞう)は、鎌倉時代初期の作品で、顔の表情や衣の表現に慶派の特徴がみられるという。養福寺(池上町)の紙本著色仏涅槃図(しほんちゃくしょくぶつねはんず、展示は17日まで)も初公開で、江戸時代初期に活躍した和泉出身の絵師、桃田柳栄(1647〜98年)の作品。

 市教委文化財振興課の乾哲也課長補佐は「これほど価値が高い仏教美術作品が多数残されていることは把握できていなかった。寺院だけでなく地元の町会が保存していたものもあり、地域で文化財を大切に守ってきたおかげだ」と話している。

 仏像12体、仏画約50点などを展示。期間中、展示の入れ替えがあり、前期は17日まで、後期は19日〜7月16日。大人200円、高校・大学生100円。月曜休館。問い合わせは同館((電)0725・53・0802)。

772よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/16(土) 23:09:08 ID:YyH67sgo0
大阪・交野市 天孫降臨の伝承秘めた社 巨岩信仰、古代人を体感
2012/6/13付
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42507760S2A610C1EL1P01/

 大阪府北東部の交野市の南端、奈良県との県境付近に、巨岩信仰と天孫降臨神話に彩られた古(いにしえ)の社がある。生駒山系の北麓、天野川の渓谷沿いに立つ磐船(いわふね)神社だ。巨石群がつくり出す珍しい岩窟めぐりで知られるとともに、大和朝廷の成立にかかわる多くの伝承に包まれた「古代から続く謎の聖地」を訪ねた。

 鳥居をくぐると、まず眼前に現れる巨大な岩に圧倒される。磐船神社のご神体である「天の磐船」だ。高さ12メートル、幅12メートルの巨岩。拝殿の後ろにのしかかるようにそそり立っている。頂上部は平らで、上や横から見るとまさしく船の形をしている。

 同社の創建の時期は不明だが、自然の巨岩や巨石に神の御霊(みたま)が宿るとして敬う「磐座(いわくら)信仰」と呼ばれる神道最古の信仰形態をとっていることから、有史以前に遡るという。宮司の西角明彦さんは「ご神体の岩が地上に完全に露出している磐座信仰の神社は、ここぐらい。古代人が受けた衝撃は大きかったはず」と話す。

 ご神体の隣には多くの岩や巨石が重なり合った岩窟が広がる。古来、神道家や修験道の行場として使われてきたが、現在は一般の人も拝観料(大人500円)を納めれば、岩窟めぐりを体験できる(年齢制限あり)。

 「古代の人々と同じ空間を体感できますよ」。社務所で渡された白いたすきを肩に掛け、岩と岩の隙間に身をねじ込んだり、細い板きれのような橋を渡ったり、狭い穴を足から滑り降りたりと、ハリウッド映画の「インディ・ジョーンズ」的なミニ冒険(約20分)を、古代の人々には失礼ながら堪能できた。

 磐船神社が他の神社と異なるもう1つの大きな特徴は「天孫降臨の社」であることだ。

 天孫降臨といえば、普通は天照大神の孫(天孫)であるニニギノミコトが、天上の国・高天原から地上(日向=現在の宮崎県)へ統治のために降り立った説話を思い浮かべるだろう。実は天照大神にはもう1人、ニギハヤヒノミコトという孫がいて、そのニギハヤヒをご祭神として祭っているのが磐船神社だ。

773よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/16(土) 23:11:12 ID:YyH67sgo0
>>772

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO42507760S2A610C1EL1P01/?df=2

 日本書紀や伝承によると、ニギハヤヒは高天原から「天の磐船」に乗って、河内国河上哮ケ峯(いかるがみね)に降臨した。哮ケ峯は磐船神社周辺の一帯を指し、ご神体の船形の巨岩を「天の磐船」と呼ぶのはこの伝承に由来する。全国にニギハヤヒを祭る神社は少なからずあるが「天孫降臨の地であり、社であると衆目が一致するのは、磐船神社だけ」(西角さん)という。

 さらに、古代においてニギハヤヒを祖先神としてあがめたのが、皇室と並び立つ勢力を誇った物部氏。同氏に関する独自の記述の多い「先代旧事本紀」は、ニギハヤヒはニニギの兄で、降臨も先と明記する。日本書紀も神武天皇(ニニギのひ孫)の東征より前にニギハヤヒが大和に降臨していたと記している。

 ニギハヤヒは神武天皇に帰順するが、見方によっては大和朝廷の成立の真相や禁忌に触れかねない伝承を内蔵し、今に伝えているのが磐船神社なのだ。

 同社を含む周辺一帯は金剛生駒紀泉国定公園に属し、複数のハイキングコースも整備されている。途中で「星のブランコ」と名付けられた全国有数の長さの木床式の人道つり橋を渡れるコースもあり、岩窟めぐりの後、さっそく約2時間かけて歩いてみた。つり橋や展望台からの眺めは美しく、時折吹く涼風はほおに心地よかった。

 古代人が駆け抜けたかもしれない山あいや川沿いの道――。古代の神々や天孫降臨の伝承に思いを巡らしながら、同じ道をゆっくり歩くのも一興だろう。

(編集委員 中川内克行)

<旅支度>駅から車で 七夕伝説も

 最寄り駅はJRなら学研都市線の河内磐船駅、京阪電車なら交野線の私市(きさいち)駅。河内磐船駅前にはタクシー乗り場があり、所要時間は10〜15分。私市駅からは磐船神社前を通る京阪バスが出ているが、土日のみで、本数も少ない。
 磐船神社を含む交野市の一帯は古くは「交野が原」と呼ばれ、七夕伝説発祥の地として知られる。市内には織姫を祭る「機物(はたもの)神社」があり、毎年7月6、7日に開かれる七夕祭りは大勢の人でにぎわう。七夕にちなむ地名も多い。

774名無しさん:2012/06/17(日) 00:02:46 ID:A2/jRzH.0
「天皇陵を発掘せよ」(31新書)における住井饐えの言動は、妖怪だからと言えばそれまでかもしれないが
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/2012-06.html?p=4#20120601
次の西村真悟氏の時事通信には、地方公務員による皇室破壊行為が行われている事が伝えられています。
なんと、天皇御陵をユネスコの世界遺産に申請したというのですから、あきれ返ります。
エジプトのピラミッドと仁徳天皇御陵を同じにしようというのか。

調査という名目で御先祖様のお墓をひっくり返し、観光名所にするという罰当たりな行為が許されると思う人間ばかりになってしまったのでしょうか。しかも、パンフレットには「仁徳陵」と記し、

わざわざ「天皇」の言葉を外していたというから意図的に天皇制破壊をねらっているとさえ思えます。全く、とんでもない事ばかりで眩暈がしますね。


天皇の御陵  西村真悟の時事通信

No.737 平成24年 5月28日(月)

まず概略から、我が郷里である旧国名で言えば、泉州、河内そして摂津の地には、まず、
日本武尊(やまとたけるのみこと)の皇子にして三韓征伐の最高指揮官である神功皇后を后とする第十四代仲哀天皇の御陵が造営され(藤井寺)、
以後、その皇子である八幡さんの祖である第十五代応神天皇の御陵(羽曳野)、その皇子である第十六代仁徳天皇の御陵(堺)が造営されてゆく。 第十六代仁徳天皇の三人の皇子は
第十七代履中天皇(堺)、第十八代反正天皇(堺)、第十九代允恭天皇(藤井寺)である。

 第二十代の安康天皇の御陵は、奈良に造営されるが、
第二十一代の雄略天皇陵は藤井寺、第二十六代継体天皇は茨木、第三十三代推古天皇陵と聖徳太子廟は太子町、そして、南北朝時代の第九十七代後村上天皇陵(河内長野)までが泉州、河内そして摂津の天皇陵である。

 このうち、仁徳天皇と履中天皇と反正天皇の親子三人の御陵は、堺の中心部の三国ヶ丘に南北に並んでいる。
そして、その周辺には多くの陪塚(家臣の墳墓)があり、東側には御廟山、にさんざい、いたすけなどの巨大古墳が並んでいる。このうち、御廟山古墳は、
近くに百舌鳥八幡神社があることから応神天皇の御陵ではないかと古くから言われている。

 この古墳群を抱える田園の丘陵が、子供達の遊び場だった。三国ヶ丘とは、泉州、河内、摂津の三国の堺にあるからそう呼ばれるようになった。古代、船が西から
明石海峡を抜けて茅渟の海(大阪湾)に入ってくると、正面に丘の上の巨大な仁徳天皇陵が遠望できる。そこが進路である。そして、神功皇后が朝鮮から帰着した
現在の住吉神社の南の津に着いた船から揚げられた物資と人は、仁徳天皇陵と反正天皇陵の間の竹内街道を通り、御廟山古墳の側を通り聖徳太子廟のある

太子町を抜け二上山の竹内峠を越えて奈良の明日香に入ってゆく。墳丘の面積では世界一の広さである仁徳天皇陵は南北に囲む皇子である

履中天皇陵と反正天皇陵とともに正確に南を向いており、空から見ても宇宙から見ても絶好の目印になる。

八尾にある陸上自衛隊航空基地の隊員に聞くと、仁徳天皇陵は、おそれおおいので真上は飛ばないが絶好の目印だと言っていた。航空機のない古代には、
仁徳天皇陵を空から目印とした人はいないが、海からは絶好の目印だった。但し、竹取物語には、月から来た姫もいる。当時の人が、空からの目印の為に仁徳天皇陵を造形したのかも知れない。

誰が、このことを否定できようか。

775名無しさん:2012/06/17(日) 00:15:13 ID:A2/jRzH.0
現実に戻る。私の子供の頃(昭和三十年代)、三国ヶ丘の巨大天皇陵と巨大墳墓は、ほぼ田園に囲まれていた。
その墳丘の森には数千羽の白鷺が舞っていて、彼等の餌であるドジョウやモロコやフナは、付近の田園で生息していた。しかし、現在、白鷺は
カラスに変わり、彼等の餌である人間の残飯は、住宅街と繁華街が提供している。そして、土地開発により、多くの陪塚が破壊された。今でも、三国ヶ丘駅近くの
巨大な前方後円墳がブルトーザーで一挙に破壊されたときの無惨な情景を思い出す。
 
仁徳御陵の東側の田園は宅地で覆い尽くされ、家庭排水とガソリンスタンドの廃油は、
仁徳天皇陵の堀に流れ込み、僕たちが「キンタイ」と呼んでいたすばらしく綺麗な小さな魚はいち早く姿を消し、コイやフナ、ナマズや台湾ドジョウまで姿を消した。そして、履中天皇の堀沿いにあった
空き地は、分譲されて、仁徳天皇と履中天皇の親子の御陵を結ぶ緑の空間は建ち並んだ新築住宅によって分断された。その上で、堺市は何をしているのかとと、仁徳天皇陵を中心とする百舌鳥古墳群と

応神天皇陵を中心とする古市古墳群をあわせてユネスコの「世界遺産」に申請しているのである。

 一体全体、天皇陵を囲む歴史的風土を破壊されるに任せている堺市に、天皇陵を「世界遺産」にと

申請する資格があるのか。断じてない。その理由は、「天皇陵を囲む歴史的風土」が「世界遺産」に
ふさわしいのであり、「天皇陵」それ自体は「遺産」ではないからである。
冒頭に述べたように、天皇陵は、我が国が万世一系の天皇を戴く国家である限り、「現在に生きている我が国の聖域」であり、「世界遺産」として外国の学者が
掘り起こして「学術調査」をしたり、観光客がソフトクリームを舐めながら墳丘を歩き回るなど許されない地域なのだ。このこと、諸兄姉の先祖の墓のことを思えば分かるであろう。自分のご先祖の墓を
大切にするように、天皇陵を大切にしなければならない。

いや、天皇陵を大切にすることが自分のご先祖の墓を大切にすることにつながるのだ。
「かくの如きは、独り朕が忠良の臣民たるのみならず、また以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん」(教育勅語)
 万世一系の基に断絶することなく今に生きており尊ばれるべき存在としての天皇をいただく国家。

これが、我が国の国柄であり、この国柄と不可分であることに天皇陵の本質がある。従って、天皇陵は「遺産」ではなく、「天皇陵を戴く周辺の歴史的風土」こそが遺産なのだ。ここがエジプトのピラミッドと我が国の天皇陵とが決定的に違うところだ。
ピラミッドの被葬者と現在のエジプトは無関係である。

しかし、天皇の御陵は、万世一系の現在の天皇と不可分である。従って、「世界遺産」申請は、まさに、この決定的違いを前提にして為されねばならないのだ。
しかるに、堺市は、周辺の「歴史的風土」を破壊させながら、「天皇陵」を「世界遺産」として申請している。

 そもそも堺という地方自治体の職員は、「天皇陵」を何だと思っているのか。彼等は、世界一の「巨大古墳」を「世界遺産」として申請しているという意識なのだ。つまり、驚くべきことに、申請の対象を「天皇陵」だとは思っていない。従って、「天皇陵」という性格をできるだけ捨象し捨て去ろうとしている。

 これは、左翼的自治体職員による、歴史破壊、歴史的風土破壊という文化破壊であり暴挙そのものである。堺に来られたら、堺市発行のパンフレットを手に取られたし。そこには、「仁徳天皇陵」とは書かれていない。
 
天皇を捨象して外し、単に「仁徳陵古墳」と書かれている。従って、このパンフレットによるプロパガンダが続くと、仁徳天皇陵は単なる「巨大古墳」になる。

文化の破壊とはこういうことだ。

つまり、天皇制否定の自治体に巣くう反日組織によって、「天皇陵」が単なる「遺産」にされ、世界の考古学者の「発掘調査」に委ねられようとしている。

 そうなれば、現実には、歴史を自国に有利なプロパガンダとファンタジーだとみなす、反日侮日の使命をおびた支那や朝鮮の「学者」が日本の反日学者と
反日政治家と共同して、仁徳天皇陵を掘り起こして調査という「破壊」を行うことは目に見えている。

(三年前の民主党幹事長による韓国の大学での講演内容を思い出されよ)以下略

776名無しさん:2012/06/17(日) 00:18:58 ID:A2/jRzH.0
6月1日分である。その上における志村の某糞芸no人に対する当てこすりはお見事。

777名無しさん:2012/06/17(日) 00:52:51 ID:A2/jRzH.0
>>763における我がカキコは、無知の産物とはいえ撤回せざるを得ない。トホホ。
でも堺の東西交通は松原あたりに伸ばして欲しい。

778よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/17(日) 05:51:26 ID:Xu9rLtCY0
[碑にきく]<6>七夕伝説に永遠の愛詠む
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120617-OYT8T00059.htm

 古木が茂る参道を抜けると、朱塗りの社殿が姿を現す。七夕伝説の織姫を祭る機物(はたもの)神社(交野市倉治)。境内に、平安時代の歌人・紀貫之(きのつらゆき)(868頃〜945頃)の歌碑がある。

 〈一年(ひととせ)に 一夜と思えど 七夕の 逢(あ)ひ見む秋の限りなき哉(かな)〉

 中国が起源とされる伝説では、天帝の娘・織姫は、牽牛(けんぎゅう)(彦星(ひこぼし))と出会い、楽しさのあまり機織りの仕事を怠ける。天帝の怒りで、天の川の両岸に引き離された2人は、年に一度だけ、七夕の日に会うことを許された。

 1年のうち一晩しか会えないと思うと寂しいが、会うことができる秋の日は、毎年、限りなく巡って来る――。紀貫之は、悲恋のイメージが濃い伝説を、永遠の愛として詠んだ。七夕(7月7日)は現在は夏だが、旧暦(今年は8月24日)では秋と位置付けられている。

 一帯は平安時代、交野が原と呼ばれ、貴族以外の狩りを禁じた「禁野(きんや)」だった。天野川という名の川が流れ、京の都から狩りに訪れた貴族が、空の「天の川」になぞらえた歌も伝わる。「枕草子」では、美しい野原の一つに挙げられている。

 歌が詠まれた場所は定かでないが、交野市は1991年、有名な紀貫之の歌で伝説ゆかりのまちをアピールしようと、境内に歌碑を設けた。伝説を顕彰する市民団体・天の川七夕星まつりの会会長の鳥居貞義さん(76)(枚方市宇山町)は「天野川のほとりに立つと、水面(みなも)に星が映り、空の天の川にいるような気持ちになれたはず。紀貫之も訪れ、想像を膨らませたに違いない」と推測する。

 その交野が原に機物神社があるいきさつも、記録には残されていない。周辺には、4世紀に渡来人が住み着いたという伝承があり、中村武三宮司(97)は「養蚕技術を持った渡来人が、織物の神様として織姫を信仰したのが始まりでは」とみる。

 伝説は、時代が下っても多くの人の心を引きつけ、江戸時代には、七夕の日に願い事を記した短冊をササに結ぶと、希望がかなうと広く信じられるようになった。江戸初期に幕府の代官が描いた絵図には、機物神社の場所に「織女」と書かれ、当時、織姫の社として信仰を集めていたことがわかる。江戸後期の書物には、七夕の日に祭りが行われていたと記されている。

 祭りはやがて途絶え、神社が1979年に再興。参拝者は年々増え、昨年は約2万人でにぎわった。

 天野川の両岸には今、住宅が立ち並ぶが、空の天の川では今年も、年に一度の逢瀬(おうせ)がかなう。その幸せは、紀貫之が歌を詠んだ1000年以上前から毎年続き、これからも繰り返される。(中田敦之)

779よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/17(日) 05:52:40 ID:Xu9rLtCY0
>>778

◇古代の想像力生かそう 作詞家・もず唱平さん

 男と女の様々な物語を描いてきた作詞家は、「夜空を仰ぎ見て、年に一度だけ会う男女の物語を作り出した古代人の発想力、想像力」に感心する。「伝説のおかげで、古代人の思いが現代にまで伝わった」

 交野市の北側、枚方市に30年以上暮らす。交野が原は両市にまたがって広がっており、枚方市側にも牽牛ゆかりの大きな石がある。「はっきりした史実はわからなくても、貴重な伝承文化がこの地域にある。両市や住民、企業が力を合わせれば、おもしろいことができるはず」

 枚方や交野の里山に育つ竹で作った楽器の国際音楽祭、七夕伝説の語り部検定、ササ飾りで電車の駅舎を覆い尽くす――。次々にアイデアが飛び出す。「古代人のように想像力を働かせば、この文化をこれからの私たちの生活に生かすことができる」と語る。

 「電子望遠鏡で天の川の正体も何もかもわかってしまうと、夢がしぼんでしまう。便利にはなったが、古代よりも幸せになったかというと、そうではない。このあたりで立ち止まって考えた方がいい」。七夕の夜、いにしえのロマンに思いをはせることで、現代の生き方を見つめ直すきっかけになれば、と願う。

 <もず・しょうへい> 1938年神奈川県生まれ。枚方市在住。67年に「釜ヶ崎人情」で作詞家デビュー。代表作は「花街の母」など。日本音楽著作権協会監事。

 ◆交通手段 JR片町線津田駅の南約900メートル。京阪交野線交野市駅からは北東約2キロ。機物神社には、紀貫之の歌碑のほか、万葉集にある七夕の和歌(作者未詳)を刻んだ七夕万葉歌碑もある。

(2012年6月17日 読売新聞)

780よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/19(火) 23:54:48 ID:bnzUXJGQ0
「幸せ、届けるわぁ」祭り彩る愛染娘がPR
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120615-OYT1T00609.htm

 大阪三大夏祭りの一つ、四天王寺別院・愛染(あいぜん)堂(大阪市天王寺区)の愛染まつり(30日〜7月2日)を前に、催しを彩る愛染娘らが14日、読売新聞大阪本社を訪れた。

 愛染娘は一般公募で選ばれた10人と、韓国、中国からの留学生各1人。30日午後2時からのパレードでは、かごに乗って「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区)から愛染堂境内まで約3キロを練り歩く。

 愛染娘の同志社大3年の女性(20)(大阪市中央区)は、「はじける笑顔でまつりを盛り上げ、皆さんに幸せを届けたい」とPRした。

(2012年6月18日14時55分 読売新聞)

781よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/20(水) 22:39:33 ID:uZlSJteI0
歩いて知る「暗越奈良街道」 有志がガイドブック編集 大阪
2012.6.20 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120620/osk12062002070004-n1.htm

 ■AEDの場所も地図に

 大阪と奈良を暗峠(くらがりとうげ)経由で結ぶ「暗越(くらがりごえ)奈良街道」沿線の見どころをまとめた「暗越奈良街道ガイドブック2012−歩いて知る街道の歴史と生活文化−」が読書館(奈良県生駒市)から出版された。歴史的、文化的施設や著名飲食店などのガイドを載せたほか、沿線にあるAED(自動体外式除細動器)設置場所などを地図上に示し、防災にも役立つよう工夫している。

                   ◇

 沿線の大阪市、東大阪市、生駒市、奈良市のまちづくり団体や行政機関の関係者らで平成20年に組織した「暗越奈良街道倶楽部」の有志が編集委員会をつくり、執筆を分担するなどして一冊の本にまとめた。

 暗越奈良街道は、大阪市中央区の高麗橋から、東成区、東大阪市、暗峠、生駒市を通って奈良市の春日大社に至る約34キロ。ガイドブックでは、難波津▽布施▽生駒山西麓▽平城京▽春日大社と奈良町−など計17項目に分け、写真や地図などを使って寺社、古墳、文化施設などのガイドや、地域の歴史に関するコラムなどを掲載した。

 また防災の観点から、コンビニエンスストア、トイレ、AED設置場所など緊急時に利用できるポイントを地図上に示している。

 編集委員会メンバーで一部執筆を担当した大阪市東成区わがまち推進会議世話人の松下和史さんは「これをとっかかりに街道沿線の魅力を発見、発掘していきたい」と話している。216ページ。1500円。問い合わせは読書館((電)0743・73・0676)。

782よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/20(水) 23:59:05 ID:uZlSJteI0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

浪花名物の商品券
2012年6月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120620/20120620033.html

鰻券・鮮魚券

 梅雨の訪れとともにお中元の時季がやってきた。あの顔、この顔とお世話になった方々を思い浮かべ、好みや趣味を勘案して贈り物を考えるのも日本ならではの風習だ。近年、官公庁をはじめ勤務先での贈答の自粛がけん伝されるが、百貨店における贈答コーナーの盛況ぶりを見る限り、どこまで徹底されているかは疑わしい。

 本来は、世話になった先様へ直接持って伺うのが礼儀だが、近年は注文先から配送業者を経て届けるのが一般化しており、甚だ形式化されている。

 現在、生ものはクール宅配便が便利だが、これとて冷蔵庫の空きスペースの問題もあり、ときにありがた迷惑なこともある。その点、ここに紹介する「鰻(うなぎ)券」や「鮮魚券」の商品切手は随時、有用の時に交換できるのがありがたい。以前紹介した「饅頭(まんじゅう)切手」などとともに生もの故の欠点を補って余りある知恵才覚の現れだろう。いずれも明治期のものと思われるが読み下しは以下の通りだ。

 「一 鮮魚 一折 この券を以て、引き換えお渡し申し上ぐべく候也 安土町 森田吉五郎一 鰻 一箸 ご入用の節、差し上げ申し候 なには橋 網彦」

 「鮮魚一折」は額面通りでいけば、折り箱1箱分の鮮魚ということになるが、関西では折り詰めに入ったコイを一折と言うそうな。安土町の森田商店ではこの券と引き換えに随時、鮮魚を用立てた。

 一方、「鰻一箸」は箸が2本で用を足すように、かば焼き2枚ということであろうか。やはり、引き換え時に、さっと焼いて渡したものであろう。興味深いのは、「なには橋 網彦」だ。

 聞くところによると、創業は寛永年間というから360年余の歴史がある老舗だ。今日、鰻料理で有名だが、その昔は川魚商でもあったという。ともあれ、難波橋のたもとで鰻好きの大阪人の嗜好(しこう)を一手に引き受け、現在も北浜(現、阿み彦北浜店)で営業を続けているというからすごい。

 紹介する鰻券には1銭印紙が貼ってあるのは興味深いが、この券はあくまでも持ち帰り用の商品券であろう。うまいもん好きの御仁であれば、店で蒲焼きを待つ間に、1本銚子(ちょうし)を付けてチビリチビリとやりながら「もうここで食べていくわ」とのたまうに違いない。

 (大阪商業大学商業史博物館主席学芸員・明尾圭造)

783名無しさん:2012/06/21(木) 18:44:08 ID:A2/jRzH.0
>>775 カラスをホームレスや凶悪犯に見立てれば、その餌を供給するヤカラがいるわけで。それはな〜に?
ホームレススレへGo

784よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/24(日) 15:03:27 ID:7MwzBGYg0
平和の意義伝えたい 戦争遺跡の調査記録を出版
2012年6月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120624/20120624016.html

 大阪東部地域に残る戦争遺跡の調査、研究を進める郷土史家の大西進さん(71)=八尾市黒谷=が、9年間の研究成果をまとめて出版した。タイトルは「日常の中の戦争遺跡」。現在、八尾空港として使われている旧陸軍大正飛行場を中心に紹介し、「歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史があることを身近な戦争遺跡から知ってほしい」と訴えている。

 大西さんが戦争遺跡を調べ始めたのは、太平洋戦争の激戦地、ニューギニア島で戦死した父の足跡探し。調査は難航を極めたが、防衛省防衛研究所に1冊だけあった所属部隊の陣中日誌から父の名を発見。「記録がない出来事は存在しないことと同じで、後世に伝わらない」と記録の大切さを実感し、2004年から郷土の戦争遺跡を調べ、記録を続けている。

 大正飛行場は、旧陸軍が飛行学校だったところを接収し、1941年に軍用飛行場として整備。終戦後は米軍に接収されたが、54年に返還された。八尾市周辺には、旧陸軍の航空機を格納するための掩体壕(えんたいごう)(同市垣内)や戦闘指揮所(現陸上自衛隊八尾駐屯地・広報展示室)などが現存している。

 大西さんは「飛行場に建設された全長1600メートルのコンクリート舗装の滑走路は東洋一の規模といわれた。中四国の東部から阪神、中部地方まで統括する第11飛行師団や、大阪航空廠が置かれていた」と、役割の大きさを強調。

 一方、現在の「日常の中」の視点から「こんなものを作らないといけなかったのが戦争。戦争の無残さやむなしさを目で見て、手で触れて感じることができる」と説明する。

 同書は、2006年から12年まで地域史に発表した論文を再編。元軍人や地域住民、研究者ら約250人から聞き取り、資料などと照らし合わせながらまとめている。大正飛行場については戦争時のパイロットらの証言から、所属部隊の動きや戦争末期の状況などを克明に記録。地道な資料調査やフィールドワークで「水濠(ごう)」「官舎」「合宿所」にも迫っている。

 A5判、2730円。アットワークス。

 大西さんは、「河内の戦争遺跡を語る会」を立ち上げ、会員を募りながら戦争を各地域の住民目線で把握する活動を続けている。7月21日には八尾市生涯学習センターで開かれる市民大学講座(参加無料)で、「八尾の空襲と防空施設」について報告する。

 「八尾には史跡として保存するべき戦争遺跡がたくさん存在する。これを戦争の無残さ、そして平和の意義を伝える教材として多くの人に知ってもらいたい」

785よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/24(日) 15:57:37 ID:7MwzBGYg0
桂米朝さん「病床日記」70年ぶり見つかる 米朝落語の原点
2012.6.24 13:59
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120624/ent12062413590009-n2.htm

 人間国宝で落語家の桂米朝さん(86)が第二次大戦中、腎臓病を患い陸軍病院に入院中に書いた「病床日記」が約70年ぶりに自宅で見つかっていたことが23日分かった。日記は昭和20年3月から終戦間際までの約5カ月間。「今研究中の(落語の)東西比較についても益多かりき」などと落語の研鑽(けんさん)を積んでいた。演劇評論家は「芸への貪欲さが若くして揺るぎない。米朝落語の神髄に触れる思いだ」と話している。

 日記は、今春、米朝さんの自宅書庫で整理にあたっている落語研究家が見つけた。几帳面な性格を伺わせるように大学ノート2冊にびっしり書かれている。

 米朝さんは大東文化学院(現大東文化大学)在学中に招集を受け、昭和20年2月に地元・姫路の十師団三九連隊に入隊。当時、作家で寄席研究家の大御所、正岡容(いるる)(1904〜58年)に師事していた。

 日記は3月2日から始まり、約2カ月後から落語に関する記述が増え始める。「今日あたりより、また何か始めんと思い居りしに…。東西共存落語を書きぬく」(5月25日)

 「米之助(四代目米團治)の小咄(こばなし)二題、明ばん丁稚、鶴の由来、巧みなれど話そのものは良からず」(同26日)とラジオ寄席を評論。

 翌27日、落語家の橘ノ円都(たちばなのえんと)(1883〜1972年)が慰問にきた際には、「急いで楽屋に行き円都に会い、余の病棟へ案内す」。面談の様子を「(前座の)『紀州飛脚』の解説、珍しいネタを話してくれ、且(か)つ、余の今研究中の東西比較についても益多かりき」と記している。

 8月9日、体調の回復がみられ、療養所の演芸大会で落語「がまの油」を披露している。また、20歳の青年らしく「ああ、家にて療養せば、全癒も早かるべし。ああ母恋し」と母への心情を綴っている。さらに夏目漱石など150冊に及ぶ読書の記録もある。

 今回、日記が見つかったことについて米朝さんは、「よくこんなものが出てきたなぁ。入院中は暇で、落語ほど面白い芸はないと思って、夢中で日記に書いていた。昔のことが甦ってくる」と話している。

 演劇評論家の権藤芳一さんの話「桂米朝の博識ぶりは広く知られているが、芸に対する真摯(しんし)な態度と貪欲さが20歳にしてすでに揺るぎのないものであったことを示している」

786よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/29(金) 05:29:34 ID:j3m9RK.M0
新選組・近藤勇、幕府復活へ大金無心? 借用書公開 結局、敗死で借金は返済されず…
2012.6.28 20:53
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120628/wlf12062820570014-n1.htm

 幕末史を彩った新選組局長、近藤勇(1834〜68年)が慶応3(1867)年、豪商から現在の2千万円に相当する大金を借り入れたことを示す借用書が7月14日から、大阪市西区の大同生命保険本社で公開される。同社が所蔵している古文書約2500点の一つで、新選組が幕府再興へ多額の資金を必要とするなど、明治維新前後の実態がうかがえる。

 借用書には、「預申金子之事(あずかりもうすきんすのこと)金四百両 但し月四朱利息慶応三年十二月」などと記載。新選組副長の土方歳三とともに、保証人として近藤の名が記されている。同社の母体となった豪商「加島(かじま)屋」から400両を借り、毎月4朱の利息で翌年5月に返済するという内容で、いずれも直筆という。

 慶応4(1868)年1月には、新政府軍と旧幕府軍による戊辰(ぼしん)戦争が始まり、新選組は当時、緊急に資金を必要としたらしい。しかし新政府軍に敗れた近藤は同年4月25日に東京で処刑。返済期日にはすでに亡くなっており、同社の担当者は「借用書が残っているということは、借金は返済されなかったのだろう」と話している。

787よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/29(金) 22:33:07 ID:SyRbuKqI0
大阪に夏の訪れ、道頓堀川で「船乗り込み」 歌舞伎俳優らがあいさつ
2012.6.29 21:02
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120629/trd12062921050018-n1.htm

 水都・大阪の夏の風物詩、歌舞伎俳優の「船乗り込み」が29日、大阪市の道頓堀川などで行われ、浴衣姿の中村吉右衛門さんらが声援を送る川岸のファンにあいさつした。

 船乗り込みは7月3日から大阪松竹座で始まる「七月大歌舞伎」の前触れとして行われてきた古式ゆかしい行事。

 色とりどりの幟(のぼり)や提灯で飾られた船に乗り込んだ吉右衛門さんや、七月大歌舞伎で襲名披露を行う中村又五郎さん、中村歌昇さんら一行は、大阪市中央区の八軒家浜から出発。真夏のような日差しの中、東横堀川、道頓堀川などをめぐり、橋の上から「播磨屋!」などと声が掛かると、笑顔で手を振って応えた。

788よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/06/30(土) 22:10:24 ID:iwZd5NV60
愛染まつり 大阪三大夏祭りのトップを飾り
http://news24.jp/nnn/news8894574.html

 大阪の三大夏祭りのトップを飾る「愛染まつり」が30日始まり、恒例の宝恵かごパレードが難波の街を練り歩いた。「愛染まつり」は、この日に浴衣をおろすことから「浴衣まつり」とも呼ばれる。初日のきょうは、小雨の降るあいにくの天気の中、華やかな浴衣姿の愛染娘11人が、6台の宝恵かごに乗って天王寺から愛染堂までを練り歩き、威勢のいい掛け声で浪速の街を彩った。まつりは来月2日まで行われる

789よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:18:06 ID:q.YnI.gY0
震災復興へ「国旗掲げ、心一つに」広がる 創祀2670年の枚岡神社
2012.6.30 19:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n1.htm

 子供だった昭和40年代(1965〜1974)、自宅玄関の壁には国旗立て金具が付いていた。国民の祝日にはそこに国旗(日の丸)が立てられた。隣近所も大抵国旗を玄関に立てていた。今ではあまり見かけない。そんな中、大阪府東大阪市の枚岡(ひらおか)神社が昨年の東日本大震災後、「祝日に国旗を掲げましょう」という活動を始め、氏子地域の東大阪市松原自治会では約150軒が祝日に国旗を掲げる。枚岡神社の中東弘(なかひがし・ひろし)宮司(71)は「せめて祝日には国旗を掲げ、日本の歴史と文化を見つめ直していただきたい。それが日本人の絆にもなる」と話している。

(野瀬吉信)

 国旗掲揚活動のきっかけは昨年3月11日発生の東日本大震災だった。

 たまたま中東宮司は所用で上京していた。地震発生後、電車は全線不通となり、いつ来るのかわからないタクシー乗り場も長蛇の列ができていた。寒風の中、ひたすらさまよい歩き、なんとかホテルを探し当てた。

 何度も余震が続く中、ホテルのテレビには、津波によって家屋や車がまるで玩具のように壊れ、流されていく姿が繰り返し映し出され、絶句した。

 「被災した方には申し訳ないが、震災を通じてある“気付き”をした。いかに日本人が傲慢になっていたか。自然に対していかに無力であるか」

790よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:19:18 ID:q.YnI.gY0
>>789

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n2.htm

 反省のいい機会だったと中東宮司は振り返る。

 そして、震災を通じてのもう一つの反省が「国を思う」ということ。祝日に国旗を掲げる家などほとんどない現状。「この国難を乗り越え、復興するには、日本人の心を一つにすることができる国旗掲揚が必要だ」という考えに至ったという。


地元・松原自治会が呼応

 中東宮司の国旗掲揚の呼びかけに応じたのは氏子総代の一人、松原功典(こうすけ)さん(79)だった。松原さんは昨年10月中旬、松原自治会(約450世帯)の役員会で国旗掲揚を提案した。役員からは「大賛成」「掲げるべきだ」という前向きな意見が相次ぎ、「やろう」ということになった。

 松原自治会は近鉄花園ラグビー場北側の旧伊勢街道沿いで、松原さんは自治会員宅を一軒一軒回り、理解を求めた。そして、初めての祝日となった昨年11月3日の「文化の日」、多くの国旗が玄関前に掲げられた。今では自治会員宅約150軒が祝日に国旗を掲げるまでになったという。

 「若い世帯も多く、国旗掲揚に問題がないわけではない。しかし、今後も理解を求め、半分ぐらいの自治会員の家に国旗が掲げられるようにしたい」と松原さんは話す。

791よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:21:55 ID:q.YnI.gY0
>>789>>790

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n4.htm

高まる掲揚の機運

 国旗掲揚の動きは松原自治会にとどまっていない。

 「祝日に国旗を掲げようという機運が高まり、近隣の自治会にもどんどん広がっている」

 松原さんはいう。

 祝日には各家の玄関前に国旗が掲げられ、町中に日の丸がはためく。40年ほど前には当たり前だったそんな風景を再び目にすることができるのだろうか。

 「松原地区はもともと歴史のある町。誇りある日本の国づくりを再び松原地区から日本中に広げていきたい」と松原さんは意気込んでいる。

  「来年を境に世の中はいい方向に進む。日本人の心の転換期にもなる。その流れに乗って多くの人が国を思い、国旗掲揚も広がりをみせるに違いない」。中東宮司も期待している。

                           ◇

 【用語解説】枚岡神社

 創祀(そうし)=起こり=は社伝によると神武天皇即位の3年前で、今から2670年以上前になる。平安末期以降は「河内国一之宮」となり、明治4(1871)年に「官幣(かんぺい)大社」の一つとなった。特殊神事として粥占(かゆうら)神事(大阪府無形民俗文化財)や別名・お笑い神事と呼ばれる注連縄掛(しめかけ)神事(東大阪市無形民俗文化財)が知られる。大阪府東大阪市出雲井町7の16。

792よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 08:28:24 ID:q.YnI.gY0
ナニワ初夏の風物詩「愛染まつり」始まる 
2012.6.30 22:34
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063022380022-n1.htm

 大阪の初夏の風物詩、愛染まつりが30日、大阪市天王寺区の四天王寺の支院、愛染堂勝鬘院(しょうまんいん)で始まり、浴衣姿の愛染娘を乗せた「宝恵(ほえ)かご」の行列が、威勢のいいかけ声とともに沿道を練り歩いた。

 愛染まつりは天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭のひとつで、商売繁盛や縁結びに御利益があるとされる。祭りを境に女性が浴衣を着始めるため、「浴衣まつり」とも呼ばれる。

 宝恵かごには公募で選ばれた愛染娘が乗り込み、天王寺公園から愛染堂までの約1・5キロを行進。あでやかな浴衣姿の愛染娘らは「愛染さんじゃ!」「ほーえーかーごー」とかけ声をうけながら、集まった見物客に笑顔で手を振り、愛嬌(あいきょう)を振りまいていた。

793よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 10:07:55 ID:xXsuLPyE0
大阪ロマン紀行
大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。

七夕伝説と羽衣伝説の地

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年6月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120629/20120629033.html

星田神社・星田妙見宮 交野市星田

 前々から気になっていたのが枚方・交野に伝わる一連の星にまつわる伝説。実際に天野川が流れ、星田や河内磐船(かわちいわふね)など、駅名を見ただけでも伝説にまつわるような地名が存在する。そこで、もうすぐ七夕でもあることだし、交野市星田の星田神社へと向かった。

 「ここは七夕伝説、羽衣伝説、そして北辰(ほくしん)信仰のすべてが重なる地なのです」と佐々木久裕宮司。詳しくお話を伺い、資料も見せていただいた。

 七夕伝説は、皆さんご存じの織姫と彦星の話だが、交野市には織姫を祀(まつ)る機物(はたもの)神社があり、天野川の対岸には彦星の牽牛石(けんぎゅうせき)があり、逢合(あいあい)橋やかささぎ橋(かささぎが翼を連ねて橋を架け二人を逢わせた)という名の橋も架かっている。伝説が実際の地名になっているのが興味深い。

 また、星田神社の近くの星田妙見宮(正式名:小松神社)には、太古の昔から存在するといわれる巨石が祀られていて、俗称「織女石(たなばたせき)」と呼ばれている。

 星田妙見宮は、弘法大師が唐から宿曜経(しゅくようきょう)を持ち帰り、星の道場を創建したことに始まる。宿曜とは、天体の動きと人間の運命の関係を表したもので、後に陰陽道(おんみょうどう)に吸収された。

 この織女石を頂点とした妙見山は、大きく馬蹄形(ばていけい)にえぐられた形をしていて、それは、弘法大師が天より七曜星(北斗七星)を降臨させた跡といわれている。具体的には隕石(いんせき)落下の跡で、天体の専門家によると、たしかに弘仁(こうにん)7(816)年7月23日に北斗七星の方角からペルセウス流星群が通過していて、そこから隕石が落下したと考えられるという。

 また、この枚方・交野一帯は、古くは交野が原といわれ、物部(もののべ)一族の本拠地であった。その物部氏が最高神として祀る「豊受大神(とようけのおおかみ)」は北斗七星から降臨した天女であるといわれ、この地の羽衣伝説と結びついていく。このように興味深い話が続くのだが、ここでの文字数では、とても書ききれない。

 取材した日は早朝におじゃまして、毎朝行っているラジオ体操に参加させていただいた。多いときには周辺の方々100人以上が参加される。その後、佐々木宮司が制作した、この地の伝説を歌にした曲(4曲)をみんなで歌う。

 星田妙見宮が2016年に創建1200年を迎えるに際し、星空の下で市民1000人の大合唱を行う予定である。

 取材した日は途中で雨が降りだしたが、傘をさしてでも一緒に歌う人々がここにいる。夢はきっと4年後に実現するに違いない。

794よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/01(日) 12:41:11 ID:xXsuLPyE0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」始まる−宝恵駕籠パレードで盛り上がる
http://abeno.keizai.biz/headline/493/

 大阪三大夏祭りの幕開け「愛染まつり」が6月30日、「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区)3階スカイコートでの出発式で始まり、谷町筋で恒例の宝恵駕籠(ほえかご)パレードが行われ、雨の中でも多くの人が訪れた。

  「愛染まつり」は、毎年6月30日〜7月2日に寺院「愛染堂・勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)」(天王寺区夕陽丘町)で開催。天神祭・住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りの一つ。「愛染まつりで始まり、天神祭でピークを迎え、住吉祭で終わる」といわれる。

 当日は、311人から公募で選ばれた10人と外国人枠2人の愛染娘が浴衣姿で宝恵駕籠に乗り込み、谷町筋を同寺院までパレード。「愛染さんじゃ」「ほっえっかご」などの掛け声を出しながら約2時間かけて練り歩いた。同寺院に着くと、かごを持ち上げる(かご上げ)が盛大に行われた。

 寺院周辺には多くの夜店が出店。1日19時には、今年の愛染娘のナンバーワンを決めるミス愛染娘コンテストも行われる。

795よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/03(火) 20:22:09 ID:1VdD5MlY0
大阪天満宮で「星愛七夕まつり」−流氷・風鈴展示で「涼」を演出
http://umeda.keizai.biz/headline/1366/

 大阪天満宮境内(大阪市北区天神橋2)で7月7日、天神橋筋商店街1・2・3丁目合同イベント「2012星愛(ほしあい)七夕まつり」が開催される。主催は天神橋筋商店連合会。

 当日は16時から、天神橋3丁目「夫婦橋」から子ども織り姫・ひこ星を先頭に天神天満花娘、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部らが同1丁目までパレード。その後、大阪天満宮までパレードを行い、17時から境内特設ステージで、約70人の応募者から選ばれた今年の天神天満花娘10人をお披露目する。ステージでは、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部の演奏や大道芸コンテスト「第14回天神天満街道芸祭」などを開催。伊賀上野観光協会のブースには伊賀上野おまねき隊が登場し、手裏剣体験や津ギョーザの実演販売も行う。

 境内の本殿前から星合池には、「恋愛成就」「学徳向上」「心身健康」「商売繁盛」「厄よけ」「交通安全」「家内安全」の願いを書いた7つの茅(ち)の輪を用意し、短冊を持って7つの茅の輪をくぐって祈願する「茅の輪くぐり」も執り行う。星合池では、大川の「平成OSAKA天の川伝説」で放流するものと同じLED光源の「いのり星」とお札を1,000円で販売し、池に浮かべて奉納する。

 昨夏比15%以上の節電目標が設定され各所で節電対策が実施される中、同祭では「涼」を感じるさまざまな演出を企画。境内や南森町交差点北側、天三おかげ館には、網走市役所の協力でオホーツク海の氷柱を設置。天三おかげ館では、岩手県の南部風鈴、富山県の高岡風鈴など10県を代表する風鈴を展示する「ふるさと風りん展」を開催する。

 昨年に続き、前日の6日には「星愛七夕まつり前夜祭」も開催。18時からは6月の予選を勝ち抜いた9人が自慢の歌を披露する「昭和歌謡ヒットパレード」を開催。審査員に中村鋭一さん、桂福団治さん、塩乃華織さんを招き、のど自慢大会を展開する。19時からは「昭和野外映画祭」と題し、人形アニメ「てんまのとらやん」、実写「ふるさとのどうぶつえん」を上映する。会場ではトルコアイスや台湾かき氷、タイラーメンなどを販売する「ワールド屋台」も出店する。ワールド屋台と7日の夜店ではエビせんで作った「食べられるトレー」も試験的に導入する。

 同連合会の築部健二さんは「流氷や風鈴の展示では電気を使わず涼を感じられ、食べられるトレーはゴミを減らすことができる。いずれもエコを取り入れ企画した」と話す。

 「星愛七夕まつり」の開催時間は16時〜21時。入場無料。雨天決行。

796よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/03(火) 20:48:53 ID:1VdD5MlY0
あまりに昔過ぎて現実感が無いのですが、これも大阪の歴史の一部です。


大阪で発見の化石、海の最強爬虫類の仲間
2012/7/1 0:00
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG30023_Q2A630C1CR8000/

 大阪府泉南市の中生代白亜紀末期(約7千万年前)の地層から見つかった海生爬虫(はちゅう)類「モササウルス類」の顎の化石が、当時海で最強だったとされるプログナソドンに近い種のものであることが30日、分かった。

 ロイヤル・ティレル古生物学博物館(カナダ)の小西卓哉研究員と大阪府東大阪市の会社員、宇都宮聡さんらのチームが解明した。チームによると、プログナソドンの近縁種が見つかったのは国内で初めて。

 モササウルス類は、陸で繁栄したティラノサウルスと並び、白亜紀に栄えた。この中でプログナソドンは大きさ、凶暴性などから「海のティラノサウルス」とも称される。

 化石は顎の一部で、茶色。長さ約15センチ、幅は約8センチ。2010年3月に宇都宮さんが発見し、きしわだ自然資料館(大阪府岸和田市)で展示されている。

 生える前の歯が顎の中に残っており、表面が滑らかで直線的という特徴などが海外のプログナソドンの顎の化石と一致した。ただ、今回の部位だけでは種の特定は難しいという。

 顎から推定した体長は8メートル以上で、モササウルス類では国内最大級。

 プログナソドンの化石は、ニュージーランドやカナダ、モロッコなどの地層で見つかっており、頑丈な顎に太く巨大な歯が密に生え、他の海生爬虫類などを襲って食べていたとみられる。

 宇都宮さんは「海の暴れん坊が日本にもいたと分かってうれしい」と話している。成果は日本古生物学会の英文誌に掲載された。〔共同〕

797よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:05:58 ID:qV2f.g4I0
4役6人決意新た 大阪天満宮で装束賜式
2012年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120701/20120701034.html

 天神祭(7月24、25日)で奉仕する神童ら4役6人に辞令を交付し、当日に着用する装束を渡す儀式「装束賜(たばり)式」が30日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。6人は緊張した面持ちで装束に身を通し、本殿に参拝し拝命を奉告した。

 今年の神童に任命されたのは西天満小学校6年、大槻英生君(11)。長年、猿田彦を務める波多野肇さん(71)のほか随身の尾上正憲さん(23)、上谷隼太さん(20)、牛曳(びき)童児の田中大地君(11)、牛曳童女の関野佑さん(11)らととに、寺井種伯宮司から辞令を交付された。

 寺井宮司が「きちっと御奉仕できるよう健康に留意してください」とあいさつ。寺井種治権宮司は、四足の動物の肉を食べないなど、天神祭までに奉仕者が守らなければならない決まり事を言い渡した。その後、6人は装束を着て本殿に参拝し、拝命を奉告する「社参之儀」が執り行われた。

 神童の装束を身に着けた大槻君は「(装束は)重たいけど、実感が湧いてきた。頑張って神童を務めたい」と話していた。

798よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:07:21 ID:qV2f.g4I0
神童役務める大槻君宅で清祓式 神職らが訪問
2012年7月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120702/20120702022.html

 天神祭(24、25日)に奉仕することしの神童に任命された西天満小6年、大槻英生君(11)の「自宅清祓(はらい)式」が1日、大阪市北区で執り行われた。大阪天満宮の神職らが大槻君宅を訪れ、各部屋をはらい清めた。

 神童は24日の鉾流(ほこながし)神事で、船上から大川に神鉾を流すなどの重要な役割を担う。毎年、神鉾講の推薦を受けた同小に通う児童から選ばれる。

 この日は寺井種治権宮司ら同宮の神職をはじめ、講の関係者らが大槻君の自宅を訪問。神職が祝詞を読み上げ、家族らのおはらいの後、各部屋をはらい清めた。清祓式を終えた大槻君は「健康に注意して、立派に大役を果たしたい」と話していた。

799よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:11:20 ID:qV2f.g4I0
クライマックスの奉納花火 個人協賛を募集
2012年7月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120703/20120703023.html

 大阪天満宮花火実行委員会は、25日に行う天神祭のクライマックスを飾る奉納花火の個人協賛を募集している。協賛金は1発5千円で、3号玉の花火玉のレプリカ1個が記念品としてもらえる。

 大阪市都島区の桜宮公園野球グラウンドから打ち上げられる2・5号玉(直径約9センチ)の「紅梅」が対象。打ち上げられると、ピンクの大輪の梅の花びらが咲いたように夜空に浮かび上がる。協賛金が10万円以上なら5号玉、30万円以上なら10号玉の花火玉のレプリカが進呈される。

 受け付けは23日まで。問い合わせは電話06(6353)0025、大阪天満宮社務所へ。

800よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 00:19:29 ID:sy71M6uc0
「『文枝』の名に恥じぬよう頑張る」 三枝さん、大阪で盛大に襲名披露パーティー
2012.7.5 21:32
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120705/wlf12070521370014-n1.htm

 7月16日に上方落語の大名跡「六代目桂文枝」を襲名する桂三枝さん(68)の襲名披露パーティーが5日、大阪市内のホテルで行われ、各界から約1千人が駆けつけ祝福した。

 2日の東京でのプリンセス天功さんのイリュージョンによる華やかな演出と違って、この日の三枝さんは上方落語隆盛の象徴で、初代桂春団治(1878〜1934年)ら人気者が移動に使った「赤い人力車」の復刻版に乗って登場。三枝さんは、阪神タイガースの和田豊監督や作家の藤本義一さんから贈られたサインボールと色紙も披露、「文枝の名に恥じないよう頑張りたい」と誓った。

801よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 05:46:33 ID:sy71M6uc0
彦星・織姫キャラ初対面
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120705-OYT8T00130.htm

 七夕伝説にゆかりの枚方、交野両市は7日、京阪電鉄と共同で、両市のゆるキャラ「ひこぼしくん」「おりひめちゃん」をPRするイベントを枚方市役所前の岡東中央公園などで開く。伝説になぞらえ、枚方市の「ひこぼしくん」が京阪電車で交野市の「おりひめちゃん」に会いに行く。

 両市には「天の川」にちなんで和歌に詠まれた天野川が流れ、七夕ゆかりの地とされる。枚方市が5月、新ゆるキャラの「ひこぼしくん」を発表し、2年前から活躍中の交野市の「おりひめちゃん」との<出会い>を演出し、地域を盛り上げることにした。

 イベントでは、7日午前9時45分、京阪枚方市駅に「ひこぼしくん」が登場。車体などに両キャラのイラストをあしらったラッピング電車で交野市の私市(きさいち)駅へ出かける。「おりひめちゃん」と対面した後、そろって枚方市に戻り、午後1時半、岡東中央公園で開かれる青空市場「七夕マルシェ」に参加する。問い合わせは枚方市地域振興総務課(050・7102・3222)へ。

(2012年7月5日 読売新聞)

802よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 06:10:44 ID:sy71M6uc0
大阪城天守閣に「七夕かざり」−2000人の願い、色とりどりの短冊に
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1054/

 大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城1、TEL 06-6941-3044)で7月6日・7日、ササを飾る「七夕かざり」が行われる。

  3年前に始まった同イベント。小天守台に高さ1メートル80センチのササを5本設置し、来場者が書いた願い事の短冊を飾る。両日で2000人分の短冊を用意。短冊は小天台に設置したテーブルで書いてもらい、自分でササに飾ってもらう。色とりどりの短冊が天守閣を彩る予定だ。

 イベント担当の高満津子さんは「ぜひ思いをしっかり込めて自分の手で飾ってほしい」と話す。「昨年の東日本大震災を風化させないよう、イベントを通して復興の願いも込められれば」とも。

 同日夜には「七夕ライトダウン(クールアース・デー)」も行う。環境省が地球温暖化防止のために施設の消灯を呼び掛ける「CO2削減/ライトダウンキャンペーン」の一環で、今回が10回目。20時〜22時の2時間完全消灯し、ライトアップに慣れた日常生活の中、電気を消すことでいかに照明を使っているかを実感し地球温暖化問題について考えるもの。大阪城天守閣をはじめ、1万7297の企業や施設が参加予定。

 「七夕かざり」の開催時間は9時〜16時。

803よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:04:20 ID:Hs9jW./.0
短冊に願い事 大阪城天守閣「七夕かざり」
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707040.html

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は6日、来場者に願い事を書いてもらい短冊を笹(ササ)に飾り付ける「七夕かざり」を始めた。平日のこの日は海外からの観光客が多く、英語や中国語、韓国語で書かれた短冊が日本の夏の風物詩を彩っていた。7日午後4時まで。

 夏休み前に季節の行事を楽しんでもらおうと3年前から行っている。今年は1・8メートルの笹を5本と2千枚の短冊を用意。初日は617枚の短冊が飾られた。

 大阪の祖母に会いに来たというハワイに住む岡田大画君(9)は「いつもみんなでいろんなところにいけますように」とつづり、新婚旅行で英国から訪れたルークさん(28)とメリッサさん(29)は「ビューティフル」と言い、色とりどりの笹を眺めていた。

 天守閣の広報担当者は「この時季に来るお客さまに楽しんでいただき、東日本大震災を風化させないよう復興の願いも短冊に込めてもらえたら」と話していた。

804よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:07:58 ID:Hs9jW./.0
墨一色の躍動感 割り箸で天神祭描く
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707047.html

 大阪府和泉市池上町4丁目の府立弥生文化博物館で、割り箸を筆代わりに墨で天神祭などの風景を描いたぼく画家、潮見満英さん(72)の作品展「天神祭とたつ」が開かれている。目前に迫った天神祭(24、25日)の魅力を、一足早く伝えている。14日まで。

 ぼく画は、割り箸を使い墨の色のみで独自の絵を描き上げる手法で、潮見さん自身の「僕」、割り箸の「木」、絵の具代わりの「墨」の三つの意味を指す。今展では天神祭やことしのえとの「辰(たつ)」をテーマにした約50点を展示している。

 会場には天神祭の宵宮の24日に行われる鉾流(ほこながし)神事をはじめ、大阪市の大川を行き交う船渡御の様子などが墨一色で描かれ、一味違った祭りの魅力を伝えている。

 同館学芸員の角南なつみさんは「墨の色だけで描かれた躍動感を感じてもらうとともに、実際の天神祭と比べて楽しんでもらえれば」と話している。

 9日休館。入館料は一般400円、65歳以上・高大生300円。

805よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:22:39 ID:Hs9jW./.0
大阪、ゆるキャラが七夕イベント 
2012年7月7日 12時38分
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2012070701001423.html

 七夕伝説ゆかりの地とされる大阪府枚方市と交野市が7日、京阪電気鉄道と合同で、七夕にちなんだ両市のゆるキャラが出会うイベントを開いた。

 「天野川」が流れる両市と、川に並走する京阪交野線を「七夕伝説 出会いのまち」としてPRし、地域活性化につなげるのが狙い。

 枚方市のゆるキャラ「ひこぼしくん」が枚方市駅から京阪電車に乗って交野市の私市駅に行き、同市の「おりひめちゃん」に出会った。2人は抱き合って喜び、寄り添ってイベントに参加した。

 電車の車体には、ひこぼしくん、おりひめちゃんがラッピングされており、交野線で8月26日まで運行される。

806よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:42:02 ID:Hs9jW./.0
四天王寺で七夕のゆうべ
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003359121.html

七夕の昨夜、大阪の四天王寺の境内に200本のササと天の川をイメージしたイルミネーションがお目見えし、大勢の家族連れなどでにぎわいました。
「七夕のゆうべ」と名付けられたこの催しは、大阪・天王寺区の四天王寺で、地元の商店街などが中心となって4年前から行われています。
境内では、200本のササが約20メートルに渡って飾りつけられ、頭上には、天の川をイメージしたLEDのイルミネーションがともされました。
昨夜はあいにく雲が広がり星空を見ることはできませんでしたが、浴衣姿の家族連れなどが大勢訪れて、「家族みんなが笑って過ごせますように」などと願い事を書いた短冊をササに結びつけていました。
幼い息子と夫と一緒に初めて訪れたという女性は「イルミネーションがきれいだと聞いていましたが、実際に見てみるととてもきれいで、来てよかったです」と話していました。
この催しはきょうも四天王寺で午後1時から行われ、イルミネーションは午後7時から午後9時まで点灯されます。

07月08日 07時21分

807よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/09(月) 22:27:39 ID:sJcBjt8U0
「花娘」口上を披露 大阪天満宮星愛七夕まつり
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708062.html

 大阪市北区の大阪天満宮で7日、七夕恒例の「星愛七夕まつり」が開かれた。家族連れやカップルらが「恋愛成就」や「家内安全」を願い、境内に設置された七つの「茅(ち)の輪」をくぐった。

 天神橋筋商店連合会の主催で、天神祭の関連行事。同宮の神事「天満天神七夕祭」に花を添える催しとして親しまれている。

 今年は「エコ感たっぷり」に涼んでもろうと、会場内にオホーツク海の流氷による40センチ角の氷柱を設置。忍者による「冷や汗の出る」演技などもあり、参拝者らがひとときの涼を楽しんでいた。

 またこの日お披露目となる天神天満花娘らが、扇町総合高吹奏楽部の演奏に合わせて商店街をパレード。境内の特設ステージで、「そうらえ、聞きそうらえ、われれ天神花娘」と口上を初披露した。

 たくさんの声援を受け励みになったという田中梨乃さん(20)は「天神祭では暑い中でも笑顔と元気を与えられるように頑張りたい」と意気込んでいた。

808よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/10(火) 00:07:25 ID:sJcBjt8U0
創業110年迎える大同生命 所蔵文書を公開
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708061.html

 15日に創業110周年を迎える大同生命保険は、記念事業として行っている同社所蔵文書研究プロジェクトの研究成果の一部とその資料を14日から、同社大阪本社で一般公開する。同社の創業一族である大坂の豪商・加島屋(広岡家)より伝わる米取引にまつわる文書や新撰組の借用書をはじめ、戦前から残る同社の株主総会議事録など歴史的意義のある文書と、その研究成果を展示する。

 同社は、3社合併による創業時に中核をなした大阪の豪商「加島屋」に伝わる江戸時代からの文書を含め約2500点の文書を保存している。今回、110周年記念事業の一環として、大阪大や神戸大、秀明大の教授らの協力を得て、産学協同で保存文書の研究を進めている。

 6月28日には研究の中間報告が行われ、保存文書を基に得られた研究成果の一部が報告された。

 米の現物ではなく米切手と呼ばれる兌換(だかん)券を流通し世界初の先物市場といわれた堂島米会所を舞台に、米切手を担保に融資を行う入れ替え両替として市場を金融的に支えた加島屋久右衛門と、大名の過剰発行による米切手の信用低下に悩む幕府との間の対応策に向けてのやりとりや、米価安定のために幕府が米の買い支え資金として御用金の拠出を求めた際のやりとりなど。

 今回の展示では、これら加島屋の足跡や堂島米会所の概要などを紹介するほか、同社創業時の様子や肥後橋のランドマークといわれた旧本社ビルの建築を手掛けたヴォーリズについてなど、同社の源流とその発展の歴史を貴重な資料とともにたどる内容となっている。

 会場は同社大阪本社(西区江戸堀1の2の1、大阪市営地下鉄四つ橋線肥後橋駅すぐ)2階メモリアルホール。展示期間は9月28日まで。入館無料。開館は午前10時〜午後4時(入館は同3時半まで)。毎週土、日曜日、祝日は休館(7月14〜16日、8月11〜12日、9月15〜17日は開館)。

809よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/12(木) 07:05:40 ID:wcJK9wmk0
枕太鼓の練習 小学生威勢よく 大阪・茨木神社
2012.7.12 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120712/osk12071202020002-n1.htm

 茨木市元町の茨木神社で今月13、14日に行われる夏祭りに向け、小学生たちが祭りを盛り上げる枕太鼓の練習に取り組んでいる。境内では威勢のいいかけ声と太鼓をたたく音が鳴り響き、祭りの準備が着々と進んでいる。

 同神社の夏祭りは約300年の伝統があるといい、古くから「島下郡の祇園祭」として親しまれてきた。14日の本宮には、神輿(みこし)や枕太鼓が登場し、神社周辺を練り歩く。

 境内で行われている練習には、近くの小学校に通う5、6年生ら二十数人が参加。子供たちは太くて短い木製のばちを握り、「ヨイサー、ヨイサー」との大きなかけ声とともに、本番用の枕太鼓2台と太鼓に見立てた古タイヤを一生懸命たたいていた。


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