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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

57よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/01/30(日) 04:00:14 ID:3Ko7/4PU0
慰霊続け「安全」継承
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110129-OYT8T00076.htm

 大阪市此花区の西成線(現・JR桜島線)で通勤電車が脱線し、191人が死亡した安治川口駅列車脱線事故の犠牲者を供養する取り組みをJR西日本の駅員が続けている。「福知山線脱線事故を上回る死者を出した事実を忘れてはならない」と、定期的に慰霊碑を訪れ、献花や草むしり、清掃を行い手を合わせる。日本の鉄道史上、最悪とされる惨事から29日で71年を迎える。

 事故は1940年1月29日朝に発生。列車が通過し終わる前に信号係がポイントを切り替えたため、最後尾の3両目が脱線し、横転した。はずみで燃料のガソリンが漏れて引火し、多くの乗客が逃げ遅れて死亡した。

 大阪環状線・弁天町駅長の須藤周一さん(54)は、安治川口駅を管轄する西九条駅で勤務していた2003年、安治川口駅近くにある慰霊碑の存在を知り、同僚と初めて訪れた。慰霊碑の裏面に刻まれた犠牲者の名前の下に「発願主」として添えられた「安治川口駅員一同」の文字にくぎ付けとなった。

 当時、JR西として追悼行事はしておらず、慰霊碑の周りを雑草が覆っていたといい、須藤さんは「先輩たちは、安全な鉄道を作るという思いを慰霊碑に込めたはず。受け継ぎたい」と決意し、他の駅員らにも訪問を勧めた。

 遺族の多くは亡くなり、記憶の風化が進む中、命日とお盆の頃に付近の駅員が集まって手を合わせるほか、当時の新聞記事を若い駅員に読ませるなど安全意識を植え付ける教育にも力を入れている。

 この事故では、脱線した列車が3分半、遅れていたこともあり、これ以上、後続列車を遅らせてはいけないと考えた信号係がポイントを切り替えるタイミングを誤ったとされる。須藤さんは「この慰霊碑は、どんな時も落ち着いて行動することが大事というメッセージを伝えてくれている」と話している。

(2011年1月29日 読売新聞)


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