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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

541よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/05(木) 20:22:00 ID:tn2a95cY0
一年の健康祈願 住吉大社で「福の餅神事」
2012年1月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120105/20120105014.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で4日、新春の行事「踏歌(とうか)神事」が執り行われた。神楽奉納や神前に供えられた餅の振る舞いが行われ、参拝客が一年の健康などを祈願した。

 踏歌神事は朝廷で行われた儀式に由来し、五穀豊穣(ほうじょう)と福を招く神を祈る行事とされている。式の最後に紅白の餅を参拝者に投げ渡すことから「福の餅神事」とも呼ばれている。

 神事は第1本宮で行われ、神職らが祝詞を奏上し、神楽女が「白拍子」を舞った。

 このあと振る舞われた餅は2斗分。大黒天などに扮(ふん)した神職が、神楽女らとともに高く投げ上げると、参拝者は競うように拾い集めていた。

542よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/05(木) 20:54:34 ID:tn2a95cY0
第60代「福娘」がやってきた!
http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html

来週の十日戎を前に5日、関西テレビに一足早く「福」が届けられました。

やってきたのは…そう、大阪・今宮戎神社の福娘14人!

【山本浩之アナウンサーー】「みなさんこんにちはー!今年は第60代。3000人の中から選ばれたんですよね」
【村西利恵アナウンサー】「すごい倍率ですね」さっそく縁起物の「辰の額」をいただきました」

個性豊かな福娘のみなさん。
中にはこんな人も…。

【山本アナ】「今、サッカーの試合真っ只中。市立西宮出身の方はいませんよね?うそー!すごい!今同点に追いつかれたで」
【福娘・宇野名都美さん】「今、同点なんですか?さっき2点勝ってたのに」
【山本アナ】「2対2になってるで!」
【宇野さん】「え、そうなんですかー?」

543よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/05(木) 20:55:55 ID:tn2a95cY0
>>542

【山本アナ】「ちょっと気になったんですけど、国際色豊かですね。アーユージャパニーズ?」
【福娘・ジェイキシンダスアルチャナさん】「ノー!インド、インドです」
【山本アナ】「キャンユースピークジャパニーズ?」
【ジェイキシンダスアルチャナさん】「関西弁大丈夫!大阪生まれなんで。めっちゃ関西弁なんですよ」

その時、福娘に近付く怪しげなカメラが…。

【気象予報士・片平敦さん】「あ、いいですね、笑顔いただけますか。福娘さんが来られると聞いて、うずうずして借りてしまいました」
【山本アナ】「十日戎の天気、これを言わないと、来てる意味がないで」
【片平さん】「今年の十日戎は平年並みの冬の寒さ。朝晩は寒いんですけどめちゃくちゃ冷え込むことはなさそう。気になる天気はズバリ、晴れ。ですからみなさん安心してくだハレ」

福娘のみなさん、判定は??

【山本アナ】「せーの」
【村西アナ】「バツ多い!」
【山本アナ】「あなた笑ってたやん!」
【福娘・岡田明恵さん】「もうちょっとひねってほしい」
【山本アナ】「パンチがたりひんねんパンチが」

【福娘】「みなさま、お手を拝借。打ーちましょ、よいよい、もうひとつせい、よいよい、祝うて三度、よよいのよい。おめでとうございます!!」 .

544よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 20:21:41 ID:MUDUgLfI0
今宮戎神社福娘が「十日戎」PR
2012年01月06日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001201060001

 商売繁盛の神様として親しまれる今宮戎神社(大阪市浪速区)の福娘14人が5日、「十日戎」(9〜11日)のPRに、朝日新聞大阪本社を訪れた。


 若草色の着物に白い千早、金烏帽子(えぼし)をつけた福娘らは、明るい声で「打ちましょ」「祝うて三度で」と「上方締め」を披露した=写真。


 今宮戎神社では、十日戎で参拝客の福笹(ざさ)に縁起物を結ぶ福娘を毎年募集しており、今回の選考会で60回目となった。応募者2984人から選ばれた40人と立命館大と関西大の留学生10人が福娘に決まった。このほか60回を記念して歴代の福娘ら約100人も9日、十日戎に参加する。福娘代表の京都産業大4年の岡田明恵さん(22)=京都市=は「きらきら輝く福娘が憧れでした。元気いっぱいの笑顔でお迎えします」と話した。

545よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 20:36:57 ID:MUDUgLfI0
関西から笑顔届けたい 今宮戎の福娘来社
2012年1月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120106/20120106021.html

 “えべっさん”の愛称で親しまれる商売繁盛の神様、今宮戎(えびす)神社(浪速区恵美須西1丁目)の「十日戎」を前に5日、同神社の福娘14人が大阪市中央区の大阪日日新聞を訪れ、ことし一年の福を授けた。

 福娘は、着物に白い千早を羽織り、金色の烏帽子(えぼし)をまとった華やかな姿で来社。代表の岡田明恵さん(22)が「お手を拝借」と言うと、それに続いて残りの福娘が「打ちまひょ」「もうひとつせい」「祝うて三度で」と上方締めを披露。大阪日日新聞大阪本社の畑山博史代表に今年のえとの辰(たつ)を描いた縁起物の額を手渡し、新年の門出を祝った。

 今年の福娘は、外国人留学生10人を含む総勢50人。2984人の応募者の中から選ばれた。岡田さんは「今年で60代目を迎える伝統ある福娘。代表として責任を持って奉仕していきたい。関西から笑顔を届け、みんなで日本を元気にしていきたい」と抱負を語った。

 福娘は十日戎で「商売繁盛でササ持って来い」の掛け声とともに参拝者に福ザサを授ける。

546よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 20:46:56 ID:MUDUgLfI0
今宮戎福娘:「笑顔と元気届ける」 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120106ddlk27040247000c.html

 商売繁盛などを願う「十日戎(えびす)」(9〜11日)を前に、今宮戎神社(大阪市浪速区恵美須西1)の福娘14人が5日、大阪市北区の毎日新聞大阪本社を訪れた。

 そろいの若草色の着物に白い千早、金色の烏帽子(えぼし)をまとった福娘は、「上方締め」で商売繁盛を祈願。岡田明恵さん(22)は「昨年は東日本大震災の影響で暗いニュースが多かったので、笑顔と元気を届けたい」と話した。【林田七恵】

547よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 21:19:35 ID:MUDUgLfI0
船場伝統の正月もてなし 北原で「初市」
2012年1月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120106/20120106022.html

 衣料製品卸の「北原」(大阪市中央区博労町、北原祥三社長)は5日、年始あいさつに訪れた取引先に酒や料理を振る舞う船場繊維問屋街伝統の正月行事「初市」を行い、にぎやかに来訪者をもてなした。

 船場の商店では、正月に店先にたる酒やおせちを置き、杯を酌み交わしながら話の輪を広げる習慣があった。近年は繊維の製造拠点が海外や地方に移り、問屋街も4日ごろまで休むなど商売のスタイルが様変わりし、“船場式”の正月のもてなしを続けているのはごく一部となった。

 同社では、創業50周年を迎えた15年前に初市を復活させ、おでんやすしの屋台も設置して来訪者をもてなしている。この日は、大阪プロレスの松山勘十郎さんも訪れ「ここに来るまでに何人もびっくりされた」と会場を和ませた。このあと来訪者がペア観戦券をめぐってじゃんけん大会を繰り広げた。

 北原社長は「景気の悪い時期だが、東日本大震災の復興も祈念し、経済の中心の大阪が頑張らなければいけない。今年は65周年の年で私の社長元年の年でもある。勝負の年として経済・文化をリードするかつての大阪の姿を目指したい」と抱負を話していた。

548よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 21:49:09 ID:MUDUgLfI0
阪神梅田駅で「えべっさん」をPR−「戎舞」披露、大熊手の贈呈も
http://umeda.keizai.biz/headline/1233/

 阪神梅田駅東改札口前で1月6日、今月9日〜11日に西宮神社で執り行われる「十日えびす」のPRイベントが行われた。

 新春恒例となった十日えびすのPRと電車の安全運行を祈願する同イベント。縁起の良い「戎舞(えびすまい)」の披露や、非売品のトラッキー人形付き熊手の配布が行われることから、毎年来場する人も多い。2010年からは難波・奈良方面からの来場も見込み、梅田駅、大阪難波駅の2カ所でイベントを開いている。

 イベントでは、淡路人形座による「戎舞」を披露。淡路人形芝居は約500年前、西宮の傀儡師(かいらいし=人形操りを業とする者)である百太夫が淡路島に伝えたもので、現在の文楽人形浄瑠璃の元祖とされるもの。「戎舞」は、えびす様が庄屋を訪れ、世界平和や豊漁・豊作、海の安全を肴(さかな)に酒を飲み、酔っ払って漁に出てタイを釣り上げる縁起のいいストーリーで、観客からはえびす様が願い事を言って酒を飲み干す度に拍手が起こった。

 被災地で公演した淡路人形座の吉田史興さんは「復興は進んでいなかったが、そこに住んでいる人たちは笑顔で逆に勇気づけられた。笑顔は大事。西宮えびすで福をもらって、笑顔で一年を過ごしてもらえたら」と話す。戎舞披露の後には、西宮神社の巫女(みこ)が梅田駅駅長に大熊手を贈り、運行の無事を願った。

 十日えびすでは、前日の8日に特大マグロを奉納する「大マグロの奉納」、9日14時からは日本最古の温泉・有馬温泉の金泉を奉納する「有馬温泉献湯式」、10日6時からは赤門が開くと同時に約5000人が走り参る「開門神事福男選び」が行われる。期間中、約800軒の露店が軒を連ね、毎年約100万人が参拝に訪れにぎわう。

 8日には阪急梅田駅1階で福娘が福ザサを授与するキャンペーンも行う。

549よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/06(金) 21:53:30 ID:MUDUgLfI0
華やかに宝恵駕籠行列、今年も開催へ−十日戎への参拝行事
http://namba.keizai.biz/headline/2120/

 商売繁盛の神様「えべっさん」として親しまれている今宮戎(いまみやえびす)神社(大阪市浪速区)の「十日戎」が1月9日〜11日に行われるのに合わせ、福娘らを乗せた宝恵駕籠(ほえかご)行列が10日、ミナミの中心部を練り歩く。

 宝恵駕籠行列とは元禄(げんろく)期、南地の芸妓(げいこ)が船場の旦那衆の代わりに今宮戎神社に参拝したことから始まった新春の恒例行事で、現在はミナミの各商店街らが参加する宝恵駕振興会が主催している。毎年、芸妓や福娘のほかタレントなどが宝恵駕籠に乗り込み、今宮戎神社への参道だった「戎橋」を中心にミナミを練り歩くもので、昨年8月には、地域文化の発展に貢献したとして「第33回サントリー地域文化賞」を受賞した。

 行列の本隊は、9時50分に道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で出発式を行った後、10時に宗右衛門町の元・南地大和屋前(現・ホテルビスタグランデ大阪前)を出発。宗右衛門町から堺筋を回って道頓堀を進み、10時40分ごろに戎橋横に設けた「戎舞台」に到着。市川右近さん、間寛平さんら文楽、歌舞伎役者、芸能人などがあいさつし、「大阪締め」で出立を祝う。

 その後行列は、「ほえかご、ほえかご」の掛け声と共に戎橋筋商店街を南下、難波センター街商店街、吉本会館など各商店街を巡りながら12時10分ごろに今宮戎神社に到着、参詣を行う。12時40分ごろ、再びなんば駅方面に向けて折り返し、神官や福娘らとともになんばCITY、高島屋、なんばマルイ、大丸などに福ザサを授け歩く。

 宝恵駕籠行列は数百メートルにも及ぶ。今年は、大阪松竹座から市川右近さん、日本舞踊上方舞山村流家元の山村若さん、吉本興業の間寛平さん、NHK連続テレビ小説「カーネーション」ヒロインの小野真千子さん、OSK日本歌劇団の桜花昇ぼるさん、オリックスバファローズの選手、松竹芸能のチキチキジョニーさん、文楽劇場の文楽人形、テイチクレコードの山口ひろみさん、福娘代表の岡田明恵さん、杉本由希さん、浪速区商店会連盟から井岡弘樹さんらが駕籠に乗る予定。

550よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 10:10:16 ID:30Jyuwpg0
堀川戎神社:「絆大切にし経済発展を」 福娘、毎日新聞大阪本社に縁起物届ける /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120107ddlk27040367000c.html

 商売繁盛を願う「十日戎(えびす)」(9〜11日)を前に6日、堀川戎神社(大阪市北区西天満5)の福娘や神職らが同区の毎日新聞大阪本社を訪れ、福笹(ふくざさ)など縁起物を届けた。

 金色の烏帽子(えぼし)に白い千早姿の福娘5人は元気よく「商売繁盛、家内安全、お神楽」と声を合わせ、鈴を振り祈願。甲南女子大4年の大塚咲季さん(21)は「昨年は東日本大震災があったが、人と人との絆が確かめられた年でもあった。この絆を大切にし、商売の街大阪から日本中に福を届け、経済発展につながれば」と話していた。【堀江拓哉】

551よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 10:28:05 ID:30Jyuwpg0
野田恵美須神社で「絆」をより強く 福娘、宝の市大祭PR 大阪
2012.1.8 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120108/osk12010802100001-n1.htm

 大阪市福島区の野田恵美須神社で9〜11日に「宝の市大祭」(十日戎(えびす))が開かれるのを前に、同神社の福娘が7日、産経新聞大阪本社(同市浪速区)を訪れ、祭りをPRした。

 大祭では、福島区花のノダフジをあしらったかんざしを挿した福娘たちが、参拝者に福笹(ざさ)などの縁起物を授与する。福娘のひとり、北口千裕さん(21)は「今年はみなさんが『絆』をより強められるように笑顔で福をお授けしたい」と話していた。

552よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 14:03:59 ID:lki74tA60
「笑顔で福を」 福娘が十日えびす控え来社
2012年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120108/20120108022.html

 商売繁盛など新年の幸福を願う「十日えびす」(9〜11日)を前に、野田恵美須神社(大阪市福島区)の福娘3人が7日、同市中央区の大阪日日新聞を訪れた。

 朱色の着物に白い羽織をまとい、地域のシンボルの花・藤の花をあしらったかんざしを挿した福娘らは、鈴でおはらいをすると、大阪締めの手打ちをしながら商売繁盛を祈願。福俵などの飾りを付けた縁起物の福ザサを大阪日日新聞大阪本社の畑山博史代表に手渡した。

 同神社は、約900年前の創建とされ、十日えびすの期間中は毎年約10万人が参拝。今年は、80年ぶりに改修した朱色と金箔(きんぱく)があでやかな鯛鉾(たいほこ)を飾り付け、13人の福娘が参拝者を出迎えるという。

 また、各日とも夕方ごろからだんじりばやしを奏で、祝い酒を振る舞う。福娘の梅野美紀さん(21)は「昨年は東日本大震災が起き、大変な日々が続いているからこそ、明るく笑顔で福を届けたい」と話していた。

553よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 14:06:05 ID:lki74tA60
軽快 邪気はらい 住吉大社で「白馬神事」
2012年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120108/20120108021.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で7日、邪気をはらう行事「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。神事の最後で同大社の神馬が本宮の周りを駆け回り、多くの見物人から歓声が送られた。

 同大社は平安時代ごろから白い馬が神馬として奉納されている。新春を向かえ、馬が境内を回ることで邪気をはらう儀式として、毎年同日に神事を行っている。今回は3連休の初日に重なったため、例年よりも多くの人出でにぎわった。

 今回は昨年5月に奉納されたばかりの雄の3歳馬「白雪号」が初登場。神馬守に引かれて四つある本宮を巡拝したのち、境内を軽快に駆け回った。初めは興奮していたが、神事後、御利益に預かろうとする参拝者に鼻先などをなでられると、落ち着きを取り戻していた。

554よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/08(日) 15:26:02 ID:lki74tA60
シャープ、ヤンマー、通天閣… 関西で100周年続々
http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819A96E2E4E2E09C8DE2E4E2E3E0E2E3E09E9693E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E5

 シャープやヤンマー、通天閣やひらかたパークなど、関西の有力企業や名所が2012年、相次ぎ100周年を迎える。1912年は明治から大正に改元された年で、大阪は紡績業を中心に発展し、「東洋のマンチェスター」と称されるほどの繁栄を見せていた。各企業や施設では今年、記念の催しや事業が計画されており、経済効果への期待も高まっている。

 9月15日に創業100周年を迎えるシャープは20年ぶりに社史を出す計画だ。「100」をかたどったロゴマークも作成。国内外で名刺や商品カタログに使う。ホームページには今月から100周年の記念コーナーを開設。創業者・早川徳次氏の功績やこれまでの代表的な商品を紹介する。

 ヤンマーは同社の歴史や製品を一般客に紹介する「ヤンマーミュージアム」(仮称)を滋賀県長浜市に建設する。12年5月に着工し、13年4月に開業する。ディーゼルエンジンを使った農漁業の体験コーナーを設置。社会見学に訪れる学生や観光客らの来場を見込む。

 明治から大正に変わる時期の関西は、都市化が進展し、大衆文化が生まれた時期でもあった。今年は観光やエンターテインメントの分野でも100周年が相次ぐ。

 通天閣は初代通天閣の開業から100年を迎えるのを機に、大阪の街を一望できる展望台を改装する。内装を金色で統一して観光客を呼び込む狙いだ。通天閣周辺の名所、新世界でも商店会などが100周年を祝う。

 京阪電気鉄道系の遊園地「ひらかたパーク」は3月から来年2月までを100周年特別イヤーとして、人気アニメ「ワンピース」のイベントなどを矢継ぎ早に展開する。

 吉本興業は4月からグループの旗艦劇場「なんばグランド花月」で、吉本の歴史を題材にした芝居を1年間、月替わりで上演する。映画やテレビ、舞台を記録したDVD集やCD集も発売する。

 国産魔法瓶の第1号も100年前の大阪で誕生した。当時の大阪はガラス工業の中心地で、魔法瓶の真空構造を作るのにガラスの生産技術が生かされた。象印マホービンは本社1階に開設した「まほうびん記念館」(大阪市北区)で、魔法瓶の歴史や過去の製品を紹介。100周年にちなんだ企画展も検討する。

 四条烏丸周辺に出店して100周年となる大丸京都店は4月以降、年内に4回のキャンペーンを実施する計画。京都にゆかりのあるオリジナル商品を開発・販売する。

555名無しさん:2012/01/08(日) 19:04:26 ID:9/iOb5lY0
>>554
おお、これはまためでたい話ですね。

>9月15日に創業100周年を迎えるシャープは20年ぶりに社史を出す計画だ。
>ヤンマーは同社の歴史や製品を一般客に紹介する「ヤンマーミュージアム」(仮称)を滋賀県長浜市に建設する

節目の年に自社の歴史を再認識するのは大事なことです。
その上で、さらなる発展への目標設定をすれば、未来は安泰でしょう。

>通天閣は初代通天閣の開業から100年を迎えるのを機に、大阪の街を一望できる展望台を改装する。内装を金色で統一して観光客を呼び込む狙いだ

展望台改装はいいけど、全面金一色ってのはちょっと・・・
展望台は景色を楽しむものですから、室内は地味でいいんですよ。
金一色に染めるくらいなら、新世界の街の紹介のパネルでも展示したほうがいい気がします。

>京阪電気鉄道系の遊園地「ひらかたパーク」は3月から来年2月までを100周年特別イヤーとして

かつてほぼ全ての鉄道会社が持っていたテーマパークですが、
生き残っているのはこのひらかたパークとみさき公園のみですからね。
名物の菊人形は残念ながら終わってしまいましたが、テーマパークの部分だけでも
今後とも続いてほしいものです。

>吉本興業は4月からグループの旗艦劇場「なんばグランド花月」で、吉本の歴史を題材にした芝居を1年間、月替わりで上演する

なんだかんだでここも100年ですか。
いろいろと黒いうわさも絶えない企業ですが、曲がりなりにも大手芸能事務所であることには変わりないので、
これからは正しい方向での芸能活動を目指して生まれ変わってほしいものです。

556名無しさん:2012/01/08(日) 22:58:37 ID:HBsCf/nY0
今宮戎神社が「祝い箸」授与 食の安全願い、今年から
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201201040014.html

 商売繁盛の神様をまつる大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社が、新年の台所や食卓を飾る「祝い箸」を販売している。初めての試みで、初穂料込みで3千円。

 放射能汚染や生肉の集団食中毒など、食の不安が広がった2011年。新たな年、安全を願って十日戎の最終日の11日までに3千膳を授与する。

 縁起物の福笹(ふく・ざさ)にちなんだ竹製で、塗り箸で有名な福井県小浜市の業者に特注した。「竹のように真っすぐな気持ちで自然の恵みに感謝する1年に」と宮司。

557よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/09(月) 18:44:14 ID:5RgP4Qg20
十日戎:野田恵美須神社、きょうから11日まで 福娘3人、毎日新聞大阪本社でPR /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120109ddlk27040158000c.html

 野田恵美須神社(大阪市福島区玉川4、玉田義宣宮司)の福娘3人が7日、毎日新聞大阪本社(同市北区)を訪れた。

 同神社では恒例の十日戎(えびす)を9〜11日に開催。境内では昨年80年ぶりに改修した鯛鉾(たいほこ)などが出迎える。毎年期間中に計約10万人が訪れる。

 福娘の北口千裕さん(21)は「昨年の漢字に選ばれた『絆』を今年はより強めてもらい、みなさんが笑顔で過ごせるように福を授けたい」と抱負を語った。【三上健太郎】


季語刻々:その前にデートせえへん?宵戎
http://mainichi.jp/enta/art/news/20120109ddm041070050000c.html

 ◆今

 ◇その前にデートせえへん?宵戎(よいえびす)−−児玉硝子(がらす)

 「せえへん?」は大阪弁、「しませんか」と誘っている。OKの返事、大阪弁だと「ほんまか?」だろうか。「ほんとう? うれしいなあ」という返事である。

 宵戎は明日の十日戎の前夜祭。大阪の今宮、兵庫の西宮など関西各地の戎神社がにぎわう。戎信仰は関東の「酉(とり)の市」に相当し、人々が商売繁盛を願って参詣する。<坪内稔典>

558よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/09(月) 18:45:34 ID:5RgP4Qg20
福あめ売り:家庭養護促進協、今宮戎周辺できょうから11日まで /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120109ddlk27040160000c.html

 大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社の「十日戎」に合わせ、家庭養護促進協会(大阪市天王寺区)は9〜11日、神社周辺で恒例の「福あめ売り」をする。

 同協会は、家庭の事情などにより施設で暮らしている子どもたちの里親探しをしており、棒あめや福豆(200〜300円)の売り上げは、協会の活動資金に充てられる。

 各日とも午前8時半〜午後11時ごろ(11日は売り切れ次第終了)で、出店場所は神社北門西側と、地下鉄恵美須町駅5番出口から神社に向かう参道北側の2カ所。「ぼくにもほしいパパとママ」と書かれた緑色ののぼりが目印。【矢島弓枝】

559よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/09(月) 19:06:40 ID:5RgP4Qg20
■十日戎始まる〜大阪・今宮戎神社
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120109112300528306.shtml

 商売繁盛の神様「えべっさん」を祀る大阪・今宮戎神社の十日えびすが9日から始まりました。

 十日えびす初日の9日は「宵えびす」です。

 祝日ということもあって朝から多くの人がご利益を授かろうと訪れています。

 今年は「福娘」を選び始めて60年を迎えるため、現役だけでなく歴代の福娘も参加し、参拝者に笹を授けるということです。

「きょうは福をいただきに参りました。たくさんいただいて帰ろうと思います」(30年前の「福娘」)

 十日えびすは11日の「残り福」まで3日間開かれ、およそ100万人の参拝が見込まれています。
(01/09 12:28)

560名無しさん:2012/01/09(月) 21:09:11 ID:Li85Ryj.0
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5E4E2E7E3E3E2E0E5E3E0E0E2E3E39393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4
しめ飾り、大阪と東京でこんなに違う
2012/1/6 7:00

 昨年末、大阪の街でしめ飾り(正月飾り)が目に入った。しめ縄が横に伸び、そこにダイダイなどが付いている。大阪で生まれ育った会社の先輩によればこの形が関西風という。関東でよく見かける縄の部分が輪になったものと形が異なる。大阪伝統のしめ飾りにはどんな特徴があるのだろうか。

 大阪府豊能町で約40年にわたってしめ飾りやしめ縄を作っている「注連縄職人」を訪ねた。しめ飾りは年間8万個を生産している。

 「うちで作っているものの9割はこの形かな」。代表の島袋浩二さんは大阪の街で見たものと同じ形の商品を見せてくれた。縄の部分は向かって右側が太く、左側にいくほど細くなる。

◇            ◇

 ごぼうに似ていることから、縄自体は「ごぼう締め」と呼ばれることが多い。浩二さんの父親で40年のキャリアを持つ信夫さんによると、昔からこの形が出回っていたため、見よう見まねで作るようになったという。縄の形に合わせてごぼう締め型のしめ飾りと呼んでみたい。

 ほかの地域はどうなのか、調べていたところ、耳寄りな情報に出合った。三重県伊賀市の伊賀鉄道上野市駅に毎年、長さ約2メートルの「関西風のしめ縄」が飾られるとのこと。地域おこしグループ「伊賀地域研究会Be」が地元繁栄の願いを込めて寄贈している。

 関西風とはどのようなものか。グループ代表の池沢基善さんに聞いてみた。




 「向かって右側が太いしめ縄です。同じ三重県でも伊勢地方は左側が太い。伊賀は文化圏としては関西なので、しめ縄でもそれを示したいと考えました」。しめ飾りに関しても、伊勢、伊賀ともにごぼう締め型が主流だが、伊勢は左が太く、伊賀は大阪と同じで右が太いという。

 全国にはどんな形があるのか。各地のしめ飾りを調べ、絵本「しめかざり」にまとめたグラフィックデザイナーの森須磨子さんを東京の自宅に訪ねた。

 「想像以上にたくさんの種類がありますよ」。森さんは各地の写真を次々と見せてくれた。例えば京都。竜が玉を抱いた形をイメージしたものもあれば、江戸時代に流行した大道芸「ちょろけん」をモデルにした変わり種もある。

561名無しさん:2012/01/09(月) 21:10:22 ID:Li85Ryj.0
>>560

http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5E4E2E7E3E3E2E0E5E3E0E0E2E3E39393E082E2E2;df=2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 「大阪風」の定義は難しいかもしれないと頭を抱え始めたところ、森さんが助け舟を出してくれた。「調査不足かもしれませんが、大阪でしめ飾りというと、この形になります」

 写っていたのは右が太いごぼう締め型だった。「関東などに多い、扇やエビなどいろいろなものが付いているしめ飾りに比べるとシンプルで、実質本位という印象ですね」


◇            ◇


 起源を探りたいと思い、京都大学こころの未来研究センター教授(宗教学)の鎌田東二さんを訪ねた。

 「アマテラスが天の岩戸から引き出されたとき、二度と戻れないようにフトダマが戸をふさいだと日本神話にあります。そこで使った『尻久米縄(しりくめなわ)』がしめ縄の始まりとされます」とのことだった。

 ごぼう締め型が大阪に多い理由について「はっきりした文献がないので推測になりますが」と前置きしたうえで、分析してくれた。

 ごぼう締め型と縄を輪にしたような型では、ごぼう締め型の方が古くから存在した可能性が高い。大阪ではそれを残そうとする伝統の力が働いたのではないか。

 続いて縄の太さの問題。原則として南に向かって建てられる神社にとって、日の昇る東、つまり左側が上位となる。「すなわち参拝者から見れば向かって右側に、しめ縄の綯(な)いはじめ(太い部分)を置くのが一般的です」(鎌田さん)

 変わっていると感じた大阪伝統のしめ飾り。実はオーソドックスなものだった。

(大阪・文化担当 中野稔)

562よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/10(火) 20:58:29 ID:TlUVxi4c0
今宮戎神社:福呼び込め 宵戎に福娘OG−−大阪
http://mainichi.jp/kansai/news/20120110ddn001040004000c.html

 大阪市浪速区の今宮戎神社は9日、「十日戎」の宵戎。今年は同神社が毎年恒例の「福娘」の募集を始めて60周年を迎え、過去の福娘約100人も駆けつけた。

 同神社では例年、約50人の福娘を募集。最近は3000人前後の応募がある。同日集まった歴代の福娘は、19〜57歳の女性96人で、金色の烏帽子(えぼし)をかぶり「千早」と呼ばれるみこ風の着物を着用した。「商売繁盛でササ持って来い」のかけ声が響く中、今年の福娘約50人とともに、福ザサに「商売繁盛」の札などの縁起物を結び付け、参拝客に手渡していた。

 99年度に福娘を務めたOGの波根田ゆかりさんは、参拝客が手にした福ザサに縁起物の飾りをつけながら「境内いっぱいにあふれる活気が懐かしいです。参加してよかった」と話した。【宮武祐希】

563よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/11(水) 20:44:01 ID:5E7Z7l/s0
おはやしと掛け声 「宝恵かご」練り歩く
2012年1月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120111/20120111015.html

 「商売繁盛笹持ってこい」の掛け声が飛び交う今宮戎神社(大阪市浪速区)の十日戎「本えびす」の10日、恒例の「宝恵かご行列」が行われた。道頓堀川を起点に芸妓衆や有名人を乗せたかごなど約500人の列が、ミナミのまちを華やかに練り歩いた。

 川沿いの遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で行われた出発式では、歌舞伎役者の市川右近さん、OSK日本歌劇団の劇団員、NHK連続テレビドラマ小説「カーネーション」のヒロイン、尾野真千子さん、間寛平さんらが、船乗り込みで登場。

 法被姿の若い衆がちょうちんや小判などで飾った宝恵かごを担ぎ、観光客など大勢の人々が見守る中、おはやしと「ほえかーご」の軽快な掛け声に乗せて巡行した。劇場前など随所で「大阪締め」を繰り広げた。

564よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/11(水) 21:09:37 ID:5E7Z7l/s0
福こい、宝恵駕行列 今宮戎神社の十日戎
2012年01月11日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001201110002

 商売繁盛を願う今宮戎神社(大阪市浪速区)の十日戎(えびす)は本戎の10日、宝恵駕(ほえかご)行列があった。NHK連続テレビ小説「カーネーション」のヒロインを演じる尾野真千子さんや福娘らを乗せたかご20台が「ほえかご、ほい」のかけ声とともにミナミの繁華街を練り歩いた。


 大阪市中央区の道頓堀川遊歩道で出発式があり、タレントの間寛平さんが「今年一年商売繁盛しますよう、言葉を言いたい。アヘアヘウヒハ〜」とギャグを披露。その後、地元商店主や芸能関係者ら約500人の行列が道頓堀や難波の商店街を回った。


 道頓堀でそば店を経営する堀寿郎(ひさお)さん(46)は「行列のかけ声を聞くと1年が始まった実感がわく。震災の影響で海外からの観光客が減ったが、今年はいい年にしたい」と意気込んだ。

565よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/11(水) 23:38:42 ID:1as3MsJ20
宝恵駕籠行列が道頓堀を出発−500人の大行列がミナミを練り歩く
http://namba.keizai.biz/headline/2121/

 道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で1月10日午前、宝恵駕籠(ほえかご)行列の出発式が行われ、吉本興業の間寛平さん、NHK連続テレビ小説「カーネーション」ヒロインの尾野真千子さんらが登場した。

 宝恵駕籠行列は元禄(げんろく)期、南地の芸妓(げいこ)が船場の旦那衆の代わりに今宮戎神社に参拝したことから始まった新春の恒例行事。戦後、花街の衰退に伴い途絶えていたものを、1966(昭和41)年に「宝恵駕保存会」(現、宝恵駕振興会)を結成し復活。庶民の正月の恒例行事として定着している。

 出発式には、間さん、尾野さん、松竹芸能のチキチキジョニーさんら芸能人のほか、役者、スポーツ選手、歌手らが登場。あいさつを行った後、全員で駕籠の形をしたくす玉を割ると、詰めかけた観客らからは拍手が沸き起こった。その後、「大阪締め」で出立を祝い駕籠上げを行った。

 行列の本体は10時20分、宗右衛門町の元・南地大和屋前(現・ホテルビスタグランデ大阪前)を出発し、堺筋、道頓堀、戎橋筋など地元商店街を巡り、12時10分ごろに今宮戎神社に到着、参詣を行う予定。12時40分ごろ、再びなんば駅方面に向けて折り返し、ミナミの各所に福を届ける。

566よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/12(木) 22:28:39 ID:hFISGPjA0
えべっさんでさい銭勘定 大阪・今宮戎神社、参拝客減少
2012年1月12日 10:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120112/20120112039.html

 「えべっさん」の愛称で親しまれている大阪市浪速区の今宮戎神社で12日、「十日えびす」で集まったさい銭の勘定が始まった。

 午前9時すぎ、法被姿の銀行員10人が拝殿でおはらいを受け、集計作業を開始。さい銭の入った白い収納袋を開けていくと、テーブルは紙幣や硬貨のほか、「29451(福よ来い)」と縁起を担いだ金額の小切手でいっぱいになった。

 同神社によると、今年の十日えびすは9日からの3日間で約94万人の参拝客が訪れた。例年に比べ数万人少なく、過去10年で最少だったという。

 正確な集計は約2週間かかるが、総額は4500万円程度を見込んでいる。

567よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/13(金) 05:07:12 ID:qpxboUGs0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/235 安倍晴明 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120112ddlk27070395000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇特別な霊力、キツネの子か 神社境内に産湯井戸跡

 昨年末の回で、阿倍野が平安時代の陰陽師(おんみょうじ)、安倍晴明とゆかりが深い土地だというところまで紹介した。小説やマンガ、映画にもなっているから、ご存じの方も多いだろう。

 陰陽師は、天文に通じ、世の中の先行きなどを占う術師で、式神という鬼神を使って常人にできないことをやってのける。安倍保名という武士と白ギツネの間に生まれたとされる安倍晴明は、陰陽師の中でもずばぬけた能力を持ち、天皇にも仕えた。天皇の退位を予告したり、大江山の鬼退治を指揮したり。キツネの子だから特別な霊力を授かったのか。

 1005年に85歳で亡くなるが、この時代としては異例中の異例の長寿だ。05年が没後1000年にあたった。子孫が興した土御門(つちみかど)家は陰陽師を統率する陰陽頭を務め、江戸時代は暦も作っていた。土御門家の家紋が、五角の星をかたどった五芒星(ごぼうせい)。陰陽五行の木・火・土・金・水を表し、魔除(よ)けの印として用いられた。ちなみにイスラエルの国旗のダビデの星は六角の星、六芒星(ろくぼうせい)だ。

 松虫通とあべの筋が交差する松虫交差点から、あべの筋の一筋西の細い道に入る。そのまた西側には阪堺電車が走っている。「これが旧熊野街道です」と大阪案内人の西俣稔さん。京から船で淀川を下ると八軒家(今の天満橋南詰め)に着く。ここから四天王寺を通過し、今のあべの筋を通って、この細い通りに入ったのだ。

 安倍晴明は阿倍野の地名のいわれともされる豪族、阿倍氏の出で、阿倍野生まれと伝えられる。阪堺電車の西側の町名は晴明通。古い蔵が建つ旧熊野街道をぶらぶらと歩きながら、西俣さんが民家の「保田」という表札をさして、「保田さんは保名の子孫だという説もあるんです」と解説する。

 しばらく歩くと神社が現れた。その名も安倍晴明神社。こぢんまりした境内には、安倍晴明やキツネの像が建ち、「誕生地」の石碑や晴明の産湯井戸の跡が残る。

 社務所のおばあさんに、神社の由緒を記したものがないか尋ねたら、「そこにあるでしょ。よう見なさい」と怒られた。

 その由緒によると、安倍晴明の没後2年目に、時の上皇の意向で創建されたと伝わる。安倍晴明の子孫とされる保田家が社家(一つの神社の神職を世襲する家)として奉仕していた。しかし幕末に没落し、大正時代に社家の子孫の保田伊之助氏が土地を寄進して復興したという。

 すぐ東をあべの筋が通っているが、境内は静けさに包まれていた。【松井宏員】

568よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/13(金) 21:01:51 ID:ZSGTIuA.0
よみがえる大正ロマン 大阪府庁の式典会場「正庁」復元
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201201130059.html

 現役の都道府県庁舎では全国で最も古い大阪府庁本館(大阪市中央区)にある式典会場「正庁(せいちょう)」が、建設当時の大正時代の姿に復元された。最近は職員の執務室に使われていたが、橋下徹前知事が昨春に「歴史的価値が高い。府民に本来の姿を見てもらおう」と改修を決定。ほぼ工事が終わり、近く公開される。

 府庁本館は1926(大正15)年に完成。正庁は建物中央の5、6階部分にあり、吹き抜け構造で約250平方メートル。天井には計55平方メートルのステンドグラス、壁は金色の獅子や天使のレリーフで装飾されるなど豪華な造りになっている。

 かつては府民や職員の表彰など公式行事の際に使用され、映画「ブラック・レイン」(1989年)にも登場した。しかし職員数の増加で執務室となり、約20年前からは装飾を覆うように蛍光灯を取り付け、レリーフの一部もペンキで塗られていた。改修費は約4200万円という。(池尻和生)

569よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:35:13 ID:JOdNOGg60
魔よけの札求め「どやどや」四天王寺
2012.1.14 17:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120114/osk12011419200004-n1.htm

 紅白の鉢巻きにしめこみ姿の中高生らが魔よけの札を奪い合う恒例の「どやどや」が14日、大阪市天王寺区の四天王寺境内で行われた。

 元日から続けられる五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る法要の締めくくり。魔よけの札をもらおうと、地元の農家が境内に「どやどや」と集まったのが起源とされる。

 幼稚園児や中高生計約1100人が参加。中高生らは紅白に分かれ、舞い落ちる札を取ろうと、裸の体を激しくぶつけ合って手を伸ばしていた。

570よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:38:22 ID:JOdNOGg60
大阪と京都だけなぜ「府」なのか
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5EBE3E7EAE4E2E3E3E2E3E0E2E3E09393E082E2E2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4
http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A90889DE1E5EBE3E7EAE4E2E3E3E2E3E0E2E3E09393E082E2E2;df=2;p=9694E3E6E2E4E0E2E3E2E4EAE6E4

 「『府』は『県』と何が違うのだろう」。大阪都構想が争点となった昨年の大阪府知事・市長選挙をきっかけに、こんな疑問が湧いた。現在、「府」を使うのは大阪府と京都府だけだ。ただ戦前までは東京都の前身「東京府」があった。明治維新直後には「奈良府」なども存在したという。「府」の歴史を調べた。

 「大政奉還後に明治政府が、幕府直轄地のうち奉行が支配した土地や開港した港などを『府』、代官の支配地を『県』と称したのが始まりです」。幕末・明治期の歴史が専門の佐々木克・京都大学名誉教授を訪ねると、明快に教えてくれた。「『府』という漢字は軍事・政治の拠点や大都市を意味します。要地として直接管理する意志を示すため『府』と称したようです」

 「府」になったのは1868年に設置された京都府を皮切りに江戸府、神奈川府、奈良府、大阪府、長崎府などの計10カ所。ただ神奈川府がわずか2カ月足らずで神奈川県に変わるなど、地方制度や境界線はめまぐるしく変わった。

 「この時期の府県の統合分離は、各地にあった飛び地を整理統合する狙いがありました」。明治期の地方制度を研究している神奈川県立鶴見高校の石田諭司教諭が教えてくれた。

 1869年、「京都、東京、大阪以外は府と呼ばない」との内容の太政官布告が発令され、3都市のみの呼称となった。なぜこの3都市に限られたのか。

 佐々木名誉教授は「行政の中心である江戸、経済の中心である大阪、天皇が住まう京都と、江戸以来の『三都』を引き継いだようです」と話す。最重要地だった3都市を、他と「別格扱い」する意味があったという。

571よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:41:22 ID:JOdNOGg60
>>570

 「3都市が首都候補地だった表れでは」と唱えるのは、都道府県の由来に詳しい琵琶湖博物館(滋賀県草津市)の戸田孝主任学芸員。事実、明治政府は当時3都市を念頭に、遷都論を活発に議論していた。浪速(大阪)遷都論、江戸(東京)と京都(西京)の東西二京論などだ。

 戸田学芸員は「開発余地やインフラから、江戸はもともと本命でした。ただ戊辰戦争で江戸が戦禍に巻き込まれていれば、財政難の明治政府には新都を造る余力はありませんでした」と指摘。戊辰戦争後も各地で反乱が続き、「決して安泰ではなかった東京から、再び天皇の居所を変える事態も視野に入れていたのでは」と付け加える。

 「府」は、1871年の廃藩置県を経て1890年の府県制で確立。太平洋戦争中に東京府が東京市と統合して東京都になるまで、3府が続く。戦後の地方自治法施行で「府」の立場は「都」「道」「県」と対等になったが、名称は引き継がれた。

 大阪都構想を唱える大阪維新の会の幹部は「東京と同じ行政の枠組みが実現した場合、名称も『大阪都』にしたい」と話す。確かに「都」について地方自治法には「首都所在地に限る」との規定がない。

 そもそも現在は東京を首都とする法律自体がなく、政府や天皇の居所などがあることから慣習的に「首都」とされているという。「実は維新の際、京都から東京に移るにあたって天皇は、詔を出すなど明確な形で遷都を宣言していません」と佐々木名誉教授が教えてくれた。いまだに京都を都と見なす説もあるという。「大阪都構想の余波で『首都とは何か』という議論が起きるかもしれませんね」(大阪社会部 舩越純一)

572よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 21:49:02 ID:JOdNOGg60
阿部寛が映画のヒット祈願、福娘からパワー
2012.1.14 10:21
http://www.sanspo.com/geino/news/120114/gnj1201141025013-n1.htm

 俳優の阿部寛(47)が13日、大阪市浪速区の今宮戎神社で主演映画「麒麟の翼〜劇場版・新参者〜」(28日公開)のヒット祈願を行った。

 劇中で阿部ふんする刑事が追う謎の刺殺事件解明のカギが日本橋七福神巡りであることから、全国6都市で七福神を回ることに。大阪では十日戎の装飾が残る本殿前で福娘に囲まれた。

 「人を愛するすばらしさに感動して涙が止まりませんでした」と映画を見た谷口菜月さん(20)。若い福娘の感涙コメントに、「人が元気な大阪からいつも元気をもらって帰ってる」と思わずニンマリだった。

573よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/14(土) 22:33:24 ID:JOdNOGg60
天地の邪気払い天下太平を祈願 御結鎮神事
2012年1月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120114/20120114030.html

 大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)で13日、弓で邪気などをはらう「御結鎮(みけち)神事」が行われた。大阪府弓道連盟(中野英夫会長)の会員ら30人が参加し、一年の天下太平などを祈願した。

 「お弓神事」とも呼ばれている同大社の伝統行事。弓のつるや、矢の風きりの音などで、天の魔や地の邪気をはらうとされている。境内に設けられた会場で烏帽子(えぼし)に直衣(ひたたれ)姿の9人の射手が18本の矢を放ち、一年の安全を祈願した。

 同連盟の中野会長(67)は「昨年は全国優勝者が出るなど個人が活躍した。今年は国体での団体優勝を目指し、飛躍の年にしたい。府内に弓道場をつくるなど競技の普及にも努めていきたい」と抱負を話していた。

574名無しさん:2012/01/15(日) 03:27:04 ID:J4nD8NLc0
上方   江戸時代以降の呼称。本来京都(あるいは京都の方向)を指すが、大阪を含む広い範囲をも指す。
上方舞や上方落語など、近世以降の上方文化に関わってよく用いられる。

京阪神 京都市・大阪市・神戸市およびその周辺。 近畿 畿内とその周辺。通常、大阪府・京都府・兵庫県・
奈良県・滋賀県・和歌山県・三重県の2府5県を指す。

畿央   近畿の中央部。首都機能移転候補地である三重・畿央地域などと用いられる。

関西   関東に対応して大正時代以降、関東の民間で使われだした語。 「近畿」または「京阪神」と
同じ範囲を指して用いられることが多いが、西日本を広く指す場合もある。

575名無しさん:2012/01/15(日) 04:41:52 ID:BDRsFnXA0
>>571
大久保利通の大阪遷都の話をもう少し書いて欲しかったな…

576名無しさん:2012/01/15(日) 14:30:04 ID:8L2DpcDE0
すぐに潰されてしまった大久保の浪華奠都案を晒して、大阪を笑おうという工作ですか。

577名無しさん:2012/01/15(日) 19:53:48 ID:pr3MS3dk0
今度は東京から遷都もありうるので、その事前の勉強かと思ってましたが

578よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/15(日) 20:32:26 ID:zQMN/bBE0
道頓堀で綱引神事
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005209281.html

大阪の道頓堀で、神話に登場する大蛇、ヤマタノオロチに見立てた綱を引っ張り、ことし1年の無病息災を祈る「綱引神事」が行われました。
「綱引神事」はスサノオノミコトが大蛇のヤマタノオロチを退治した神話にちなんだ行事で、大阪・浪速区の「難波八阪神社」が毎年、1月の第3日曜日に開いています。例年は神社の境内で行われていますが、ことしは、より多くの人に神事を知ってもらおうと、初めて大阪・道頓堀の戎橋で行われました。
ヤマタノオロチに見立て、両端が8つに分かれた長さ18メートル、重さ約500キロの綱が道頓堀に姿を見せると大勢の買い物客や観光客などが足を止めて集まりました。
そして、地元の人など約100人が「難波の綱引き、よーいよい」と威勢よく掛け声をあげながら今年の恵方である北北西に向けて綱を引っ張り、1年の無病息災を祈っていました。
難波八阪神社の氏子総代、鳥居学さんは「最近はミナミも元気がないので、1年の始まりに元気の出る神事を皆で行うことで、多くの人が笑顔で元気に、この1年を過ごせたらいいですね」と話していました。

01月15日 19時16分

579よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/15(日) 20:45:32 ID:zQMN/bBE0
「天皇陵の調査を」の声相次ぐ 世界遺産目指すシンポ
http://www.kobe-np.co.jp/knews/0004745399.shtml

 世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが15日、堺市で開かれた。

 世界遺産としての価値を見極める必要性から、国内外の研究者からは、宮内庁が管理する天皇陵の調査を求める声が相次いだ。

 二つの古墳群は4世紀後半から6世紀前半に大阪平野に造営され、10年に世界文化遺産の候補地として、ユネスコの暫定リストに掲載された。

 シンポでは、古墳群について、(1)日本にしか見られない前方後円墳が多くある(2)副葬品が東アジアとの活発な交流を示す-などの点を評価する声が上がった。

580よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/16(月) 20:34:58 ID:d/Z1YlW60
被災地復興を祈願 難波八阪神社で綱引神事
2012年1月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120116/20120116018.html

 ヤマタノオロチに見立てた綱を引き合う伝統行事「綱引神事」が15日、大阪市浪速区の難波八阪神社で開かれ、氏子らが地域の発展や東日本大震災の被災地復興を願った。

 同神社の祭神・スサノオノミコトが、八つの頭と八つの尾があるヤマタノオロチを退治した説話に由来。江戸時代から伝わり、同市の無形民俗文化財に指定される。

 境内では、氏子たちでつくる綱引神事保存会が、ヤマタノオロチに見立てた綱作りから開始。暴れる大蛇を制するように3本の綱を数十人がかりで編み上げる作業を繰り返し、太さ約25センチ、長さ約22メートルの大綱に仕上げた。

 完成した大綱を使い、頭に見立てた側を今年の恵方の北北西に向けながら綱引き。その後、「難波の綱引き、よーいよい」と掛け声を上げながら近隣の地域を巡行した。

 同保存会の竹立威三雄会長は「東日本大震災の被災地に元気を送る気持ちで取り組んだ。一日も早い復興を願っている」と話していた。

581よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/16(月) 21:05:06 ID:d/Z1YlW60
王権の強大さ誇示
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120115-OYT8T00846.htm

世界遺産目指すシンポ 堺

 堺、羽曳野、藤井寺3市にまたがる「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録を目指す国際シンポジウムが15日、堺市北区の堺市産業振興センターで開かれ、約700人の聴衆を前に、国内外の考古学研究者らが同古墳群の価値について語り合った。

 福永伸哉・大阪大教授が「国家の形成と前方後円墳の時代」と題して講演。「古墳の形や大きさで有力者の社会的地位や政治的立場を表した。文字を介さずとも王権の強大さや地位の正統性を人々に示した」と説明。その典型例の同古墳群には普遍的な価値があると結論づけた。

 続くパネルディスカッションでは、国内のほか、韓国と中国、イギリスの研究者が参加。「中国や北米では墳墓は人々が集まる儀礼の場。そうした視点で調査することも必要」などとの指摘があった。

(2012年1月16日 読売新聞)

582名無しさん:2012/01/17(火) 22:36:34 ID:pQ3u6GtE0
大阪企業家ミュージアム
ナイトミュージアム講演会

関一と近代大阪 大大阪を築いた、第7代市長

http://blog.kaigisho.jp/museum/
http://www.osaka.cci.or.jp/b/pdf12/120215kan.pdf

583名無しさん:2012/01/17(火) 22:47:07 ID:8L2DpcDE0
關一の偉大さは、彼自身が優れた教育者であり、社会政策の専門家であったこと
によります。このような大人物はもう出ないでしょう。

584名無しさん:2012/01/18(水) 00:15:11 ID:QvFIS.uo0
>579

毎度のことだが発掘調査を妨害するのは宮内庁。
大阪に文化財ができるのを阻止。

585名無しさん:2012/01/18(水) 11:12:56 ID:LzOM4R1Y0
宮内庁管理の古墳とそれ以外の古墳を見てまず気付くのは、堀の周りに
巡らされている柵についての金のかけ方。

子供が間違って中に入り込めない程度のに作られた高さの柵ではなく、
あからさまに不法侵入禁止!と言っているような、高さ2M近くもある
周辺住民は信用していない!といわんばかりの金をかけて設置した柵。

固定資産税なども払っていないのに、市や周辺住民には清掃も暗に強要
して維持を求める態度。

一番ヒドイのはそこに誰が埋葬されているのかを全く調査しようとしない
姿勢。考古学者がそこを追求した後に善良な市民が「私たちは何を信じれば
良いの?」と問うと「大丈夫です。100年以上ここでおまつりさせて
いただいていますので、御霊はここへ移られています。ご安心を。」
と説明する。つまりここに誰が埋葬されていようが関係なく、仁徳天皇陵
だと私たちが言えばここが仁徳天皇陵であることに決まるのだと
言っているに相違ありません。それが事実であれば全く活用されない
不毛な土地が市内に放置されている状況であると言っても間違いでは
ないでしょう。

その代償として多少だけでも観光資源として市や府が活用させていただく
のはある意味当然の権利であり、宮内庁がとやかくいう筋合いのものでは
ありません。

宮内庁と喧嘩をするのは不毛な事ですし無駄な時間ですが、世界遺産登録
に向けて何らかの妨害があるのであれば徹底的に戦っていくべきです。

586名無しさん:2012/01/18(水) 19:56:54 ID:4Q6nqwkI0
それはどういう戦いですか?
血を流しての戦いですか?
それでしたら私も是非戦いたい。この命を郷土のために捧げたい!

 南無阿弥陀仏

587よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/18(水) 21:20:46 ID:KPKleE7U0
射抜け好景気 御霊神社で御弓神事
2012年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120118/20120118023.html

 大阪市中央区の御霊神社(園文夫宮司)で17日、御弓神事が行われ、静寂に包まれた境内に弓で的を射る音が響き渡った。

 国の平和を祈るとともに、商人の町・北船場にある同神社では矢を放ち景気を占う神事として行われている。

 本殿での神事に続き参拝者らが見守る中、神職や大阪ガス弓道部の部員が2度矢を放つ前までの所作をした後、境内に設けられた的に向けて、力強く矢を放った。

 園宮司は「昨年は東日本大震災などがあったが、矢を放つことで昨年の災いを力強く乗り越えられるようになれば」と話していた。

588よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/18(水) 21:26:04 ID:KPKleE7U0
「南部陽一郎賞」を創設 豊中市が発表
2012年1月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120118/20120118026.html

 大阪府豊中市は、同市名誉市民でノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎さん(91)の名を冠した「南部陽一郎賞」を創設すると発表した。21日に同市内で開かれる科学をテーマにしたイベント「サイエンスフェスティバル」の出展団体の中から来場者の投票で選出される。南部さんも選考に当たるとともに、受賞団体に賞状などを贈る。

 南部さんは1949〜52年に同市に居住していた。現在は米国在住だが、日本に帰国した際は同市の自宅で過ごしているという。昨年10月には同市から第1号となる名誉市民称号を贈られた。

 同フェスティバルは今年で7回目を迎え、同市立第十一中学校自然科学部をはじめ、17団体が科学の実験などを行うブースを出展する。当日は投票により、子どもたちに科学の有用性などをアピールし科学に対する興味・関心を高めた1団体に同賞が贈られる。

 イベントについての問い合わせは電話06(6844)5294、同市教育センターへ。

589よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/20(金) 05:41:45 ID:7RejEkk60
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/236 阿倍王子神社 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120119ddlk27070362000c.html

 ◆大阪市阿倍野区

 ◇府内唯一現存の王子社 南側に「花将軍」北畠顕家の墓

 安倍晴明神社を出て、旧熊野街道を南へ少し行くと、阿倍王子神社がある。安倍晴明神社の本社であるこの神社は、熊野街道と密接な関係がある。

 前回述べたように、熊野街道は、京からの船が着く天満橋のたもとの八軒家から、四天王寺、阿倍野を経由して熊野三山へ至る。平安から室町時代にかけて、貴族から武士、庶民までに大流行し、アリのように人々が行き交ったことから「蟻(あり)の熊野詣」と称されるほどだった。

 熊野街道には「熊野九十九王子」と呼ばれる末社があった。地名を取って「○○王子」と名付けられた九十九王子は、長い道中の休憩所の役割があり、今で言うなら高速道路のサービスエリアみたいなものか。熊野まで行けない人は、王子社から熊野を遙拝した。

 大阪案内人の西俣稔さんと境内に入る。「王子社は南北朝の戦乱で焼けるなどして、大阪で現存するのはここだけです」と解説。四天王寺と住吉大社のちょうど中間に位置していた阿倍野王子は、もともとは第四王子社、スタートから数えて4番目の王子社だったが、西俣さんが言うように戦乱でほかの王子社が焼け、安土桃山時代には第二王子社となった。

 「厄除(やくよけ)祈願」ののぼりがはためく境内では、若いお母さんたちが井戸端会議中。今も昔も、神社は人が集まり、語り合う場なのだ。

 あべの筋を200メートルばかり南へ下ると史跡がある。北畠顕家(きたばたけあきいえ)の墓だ。「藁(わら)打石」(昨年11月10日付)の回で紹介したが、顕家は南北朝の戦乱で南朝につき、遠く奥州からはせ参じた若武者。「徒然草」の吉田兼好は、「花将軍」と称された顕家の死を悼んで阿倍野に隠棲(いんせい)したと伝わる。

 顕家は、北朝の武将、高師直(こうのもろなお)と阿倍野で戦うも敗走し、最後は堺・石津で戦場に散る。

 北畠公園の一画の鉄柵で囲われた中に、立派な墓石がある。きれいに手入れされ、まだ新しい花が供えられていた。のちに触れるが、顕家をまつる阿倍野神社が「北畠顕家公顕彰会」の事務局を兼ねている。若いお母さんが墓所には目もくれず、携帯電話とにらめっこしていた。

 もともと、ここは「大名塚」と呼ばれる古墳だったのだが、並河誠所(なみかわへいしょ)という江戸時代初期の学者が顕家の墓と断じて、1733年に自ら墓を建てた。ありていに言えば、ここが顕家の墓かどうかはわからないのだが、地元の人たちが阿倍野の誇りとして守り続けておられる。顕家の命日は5月22日で、月命日には墓前で祭礼を行っているそうだ。顕彰会に敬意を表したい。それに、歴史というのは空想を働かせる余地があった方が面白い。

 顕家が戦死したという堺市西区の石津川のたもとにも、1936年に建てられた顕家の墓がある。【松井宏員】

590よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/22(日) 23:11:17 ID:Bk8q0uzM0
府内45遺跡の最新情報紹介 大阪・近つ飛鳥博物館
2012.1.22 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120122/osk12012202000003-n1.htm

 府内で行われた発掘調査の最新情報を紹介する「歴史発掘おおさか2011」が21日、河南町の府立近つ飛鳥博物館で始まった。45遺跡から出土した土器や瓦などの遺物が解説パネルとともに展示されている。3月25日まで。

 縄文時代に煮炊きに使った後に棺に転用したミヤケ北遺跡(太子町)の土器棺、子供の成長を願って奈良時代の銭貨「神功開寶(じんぐうかいほう)」5枚を入れて土に埋めた畑ケ田(はたけだ)遺跡(富田林市)の甕(かめ)などが並ぶ。

 関連イベントとして、2月5日に白石太一郎・同館館長が「藤井寺市津堂城山古墳の再検討」、3月11日に水野正好・奈良大名誉教授が「天平勝宝四年と明治七年の考古学−大仏開眼会と旧大阪府庁舎」をテーマにそれぞれ講演する。問い合わせは同館((電)0721・93・8321)。

591よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/26(木) 22:16:41 ID:ZHOORM0I0
四天王寺 後世に 文化財防火デー訓練
2012年1月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120126/20120126028.html

 大阪市消防局は25日、同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で文化財防火デー消防総合訓練を行い、貴重な文化財を後世に伝えようと、関係者が放水や文化財搬出などの訓練に真剣に取り組んだ。

 文化財防火デー(26日)は、1949年1月26日に国宝の法隆寺金堂から出火し、十二面壁画が消失したことを機に55年に国が定め、今年で58回目を迎える。

 訓練は、境内の五重塔の1階部分から出火した想定で行われた。四天王寺の自衛消防隊は119番通報や初期消火、文化財の建物外搬出を行った。消防局は、車両14台とヘリコプター1機を投入し、負傷者2人を救出した後、五重塔に向けて放水した。奥田管長は「多くの文化財を後世に伝える義務がある。特に防火体制が重要で、万一のときは今日学んだことを忠実に行いたい」と話していた。

592よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/26(木) 22:43:01 ID:ZHOORM0I0
消防訓練:文化財防火デー前に、府内の神社仏閣で /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120126ddlk27040369000c.html

 文化財防火デー(26日)を前に、大阪市など府内の各自治体で25日、歴史ある寺院などでの消防訓練があった。各訓練では消防車やヘリが出動し、手際よく文化財搬出やけが人救出にあたった。

 文化財防火デーは1954年1月26日の法隆寺(奈良県斑鳩町)の火災をきっかけに文化庁などが定めている。

 東大阪市では、平安時代以前の創建とされる同市加納の宇波神社から出火という想定で訓練を実施。消防職員など約30人が参加し、拝殿から逃げ遅れた参拝客を救出したり箱に入った文化財を運び出した。

 同神社の氏子総代、河西定行さん(71)は「ちょっとした油断で起こった火事が、人命や貴重な財産に取り返しのつかない被害を出す。こうした訓練で注意を呼びかけたい」と気を引き締めていた。【稲生陽】

593よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/26(木) 23:04:07 ID:ZHOORM0I0
2基、古墳じゃなかった…世界遺産目指す百舌鳥・古市古墳群
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120126-OYO1T00771.htm?from=top

 大阪府などが世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(4世紀後半〜6世紀前半)の構成資産候補とされていた堺市内の「古墳」2基が、中世以降に土を盛って築かれた「塚」であることが、堺市教委の発掘調査で分かった。2基はすでに候補から除外された。同古墳群には、日本最大の「仁徳陵古墳(大山古墳)」をはじめ、周辺の87基が資産候補に挙げられているが、調査を必要とする古墳が多く、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への正式推薦までに、さらに絞り込まれそうだ。

 大阪府立大の敷地内にある「聖塚古墳」と、南西約500メートルの「舞台塚古墳」。いずれも小規模ながら、皇族が葬られた陵墓の可能性がある大型前方後円墳「ニサンザイ古墳」(5世紀後半頃)の近くに位置することから、同古墳の被葬者の臣下らが葬られた同時期の古墳とみられてきた。

 このため、府などは2007年、この2基を含め、堺、羽曳野、藤井寺の3市に広がる前方後円墳42基、方墳22基、円墳23基を、文化遺産を構成する古墳の候補として文化庁に提案。ところが、09年度に市教委が初めて聖塚古墳を発掘調査したところ、墳丘とみられていた部分(高さ約1・5メートル)の最下層から、江戸時代の磁器が出土し、18世紀以降に土を盛ってつくられたことが判明。舞台塚古墳からも、13世紀頃のものとみられる土器が見つかり、市教委は、いずれも古墳の可能性が極めて低いと判断した。

 同古墳群は、文化庁が10年に世界文化遺産の国内候補地リストに入れ、府と3市は、15年の登録を目指している。府と3市は現在、世界遺産への正式推薦に備え、ユネスコに提出する推薦書に記載する構成資産を精査中で、今後、候補に挙げた87基のうち、宮内庁が管轄する陵墓を除き、未調査のものなど約10基について発掘を進める予定。登録が実現すれば、大阪では初の世界遺産となる。

 府教委文化財保護課は、今回の調査結果について「思わぬ結果だが、百舌鳥・古市古墳群の価値が損なわれたわけではない」としている。

(2012年1月26日 読売新聞)

594名無しさん:2012/01/27(金) 01:39:28 ID:BDRsFnXA0
>>593
一方で古墳が住宅地になったりね
天皇陵以外の古墳って価値ないんかね
高槻・茨木あたりも古墳多かったけど、住宅地になってるみたいだし

595よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/29(日) 14:14:56 ID:GTZyIh/60
堂島薬師堂節分お水汲み祭り:2月3日、大阪で 「北新地に春を」毎日新聞大阪本社でPR
http://mainichi.jp/kansai/news/20120128ddn012040041000c.html

 大阪・北新地の早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲(く)み祭り」が2月3日、大阪市北区の堂島アバンザ周辺で行われる。舞を奉納する北新地芸妓(げいぎ)の清一さんと小牧さんらが27日、毎日新聞大阪本社を訪れ、「おめでたい曲を舞って北新地に春を呼び込みたい」とPRした。

 鬼が飲食店を回り客が福豆を投げて厄をはらう「鬼追い」や、僧侶が参拝者の竹筒に薬師寺(奈良市)の水を汲む「お水汲み」、薬師堂に祭られる竜や僧侶ら約80人が通りを練り歩く「竜の巡行」などが行われる。【鈴木一也】

596よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/01/31(火) 22:32:36 ID:BqW4EDaI0
五六市・京街道ウォーク:ひらにゃんこ・くらわんこと枚方宿を歩こう 歴史の街PR−−来月12日・3月11日 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120131ddlk27040316000c.html

 ◇一緒にね

 ゆるキャラ「くらわんこ」「ひらにゃんこ」と枚方の街を歩きませんか−−。江戸時代に宿場町として栄えた枚方宿(ひらかたしゅく)地区をPRしようと、実行委は2月12日と3月11日に枚方文化観光協会のゆるキャラと歩くイベント「五六市・京街道ウォーク」を開く。参加無料。【牧野宏美】

 枚方宿地区は京阪電鉄枚方市−枚方公園駅間の北側を中心とした一帯で、かつて東海道品川宿から数えて56番目の宿場町だった。現在も街道や史跡が残り、地元住民らでつくる実行委員会は07年から、青空市「枚方宿くらわんか五六市」(露店約180)を毎月第2日曜日に開いている。

 「くらわんこ」は江戸時代、淀川を往来する大型船に「飯くらわんか」と声を掛け、飲食物を売った小舟「くらわんか舟」の船頭がモデルの犬のキャラクター。09年に枚方市に枚方観光大使に任命された。「ひらにゃんこ」はくらわんこの友達という設定の猫のキャラクター。

 今回のウオークイベントは、五六市の開催日にあわせ、正午に市民ふれあいセンター前(枚方市駅東口改札前)に集合。枚方宿地区の市立枚方宿鍵屋資料館までの1・5キロを1時間半かけて歩き、途中、同行する観光ガイドが枚方宿の歴史の紹介などを行う。問い合わせは同協会(072・804・0033)。

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598よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/01(水) 21:42:20 ID:F7438Scs0
浪華紙魚百景  大商大商業史博だより

土地台帳はいつから
2012年2月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120201/20120201045.html

水帳

 水帳は「みずちょう」と読む。『広辞苑』では、「検地帳・人別帳」とある。「『御図帳』の当て字」とも書いている。近世初期に出された『日葡(にっぽ)辞書』も「御図帳」となっている。『日本国語大辞典』『国史大辞典』なども似た解釈を示している。念のため歴史事典や古語辞典も見たが右記の理解の範疇(はんちゅう)にある。

 水帳は今の土地台帳のことである。所有者の名前・役数・表口・裏行が書かれ、家屋敷の売買(帳切り)の場合には、新しい所有者名を貼り紙するので、当該地の所有者は前回の水帳作成時まで遡及(そきゅう)できる。土地所有に関するもっとも基礎的な帳簿で、大切に保管された。

 水帳の表紙か裏表紙に袋を作り、絵図を収納する。そこには、方位・所有者の名前・表口・裏行・大道幅・水道幅・水道の上に架けた石橋などが記されており、二つそろって水帳・絵図と呼んでいる。

 絵図があれば往時の町を復元することができる。故矢内昭氏により玉造方面、伏見町・道修町・平野町などが復元されている。商業史博物館には安政3(1856)年の旧南区(現中央区)の絵図がそろっているので、旧南区の復元が可能である。

 水帳は3部作成され、惣(そう)年寄(北組・南組・天満組それぞれの組の上級町役人)、町年寄、地方役所(東町奉行所・西町奉行所)が1部ずつ所有し、帳切りにより所有者が変わると、貼り紙を6枚作成し水帳・絵図に1枚ずつ貼り付ける。

 現存する大阪の水帳は、明暦年間を最初に以後、寛文・延宝・天和・元禄・宝永・享保・宝暦・明和・安永・寛政・文化・文政・安政・明治と作成されてきた。横堀炭屋町の水帳奥書に、「前廉之水帳四拾年ニおよひ申候故」という記述がある。明暦元(1655)年からさかのぼること40年といえば元和だが、現物はいまだに発見されていない。

 (大阪商業大学商業史博物館元学芸員・小田忠)

599よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/01(水) 22:08:46 ID:F7438Scs0
戦国武将の実像伝える 大阪城天守閣、資料71点紹介
2012.1.29 03:20
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120129/osk12012903200002-n1.htm

 戦国武将の実情や人柄に迫る展示「武将たちの生きざま」が、大阪市中央区の大阪城天守閣で開催中だ。強くて指導力もあるとして人気の戦国武将だが、生き方はさまざま。それらを知るエピソードや戦いの臨場感を伝える資料71点を展示している。3月2日まで。

 注目は、豊臣秀吉の家臣、仙石秀久(1552〜1614年)の鎧(よろい)「革包伊予札菱綴二枚胴具足(かわづつみいよざねひしとじにまいどうぐそく)」。保存状態が良く、戦国の世を生き延びて後に徳川氏に仕えるなど成功した背景も感じ取れる。

 一方、やりで突かれた傷痕がある鎧「色々威腹巻(いろいろおどしはらまき)」や、弾痕がみられる鉄兜「黒塗一(くろぬりいち)の谷張懸兜(たにはりかけかぶと)」など激しい戦いを伝える無名武将の武具も。

 また、関ケ原の戦いで大垣城にたてこもった女性の体験談を筆録した「おあむ物語」には、身分の高い武将に見せかけようと、討ち取った首に細工している様子が紹介されている。

 学芸員は「戦国ブームだが、生と死が隣り合わせの中、かっこいいばかりではない。自分の道を必死に生きた武将がいたことに気付いてほしい」

 午前9時〜午後5時。高校生以上600円。問い合わせは大阪城天守閣((電)06・6941・3044)。

600よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/01(水) 22:33:48 ID:F7438Scs0
百舌鳥古墳群:仁徳陵、水清く 堺市、井戸補修し浄化 世界遺産へ弾み
http://mainichi.jp/kansai/news/20120201ddf041040022000c.html

◇宅地化、水源減少し周濠汚濁

 世界遺産への登録を目指す堺市の大仙陵古墳(仁徳天皇陵)など百舌鳥古墳群について、市は来年度から仁徳陵と周辺3古墳の周濠(しゅうごう)の抜本的な水質浄化に乗り出すことを決めた。仁徳陵は水源が井戸1本だけで、水質は悪化の一途をたどっており、故障中の井戸を補修したり、新たに井戸を掘る。このほか、それぞれの古墳の周濠をつないで水を循環させることも視野に、古墳群一体で浄化する研究にも着手する。水質改善でイメージアップをはかり、遺産登録へ弾みをつけたい考えだ。【内田幸一】

 市によると、古墳群の多くの周濠はかつて、狭山池(大阪狭山市)からの水路でつながり、農業用水としても使われていた。しかし、宅地化などで水路が分断されたため水が滞留し、水質の悪化につながったという。

 仁徳陵の周濠には、さらに排水管を通じて生活排水の流入が増加。1970年代、古墳を管理する宮内庁の要望で排水管が閉じられたが、同じく排水管をつたって注いでいた雨水の流入がなくなり、水量の低下とともに水質悪化が進んだ。

 00〜05年度、市は府の工業用水を導水し、水質は一時的に改善。現在は約1・5キロ東にある井戸から池や水路を通じて導水しているが、井戸2本のうち1本は不調で使えなくなった。このため1日の導水量は500トン程度と、工業用水導水時の5分の1にとどまっている。水の汚れは昨年度、前方部の最も外側で、BOD(生物化学的酸素要求量)が1リットルあたり15ミリグラムで02年度の6倍、T−P(総リン)が同0・36ミリグラムと、01年度の約6倍になるなど、改善前の水質に逆戻りする事態となっている。

 これらから市は来年度当初予算で、故障した井戸の改修費と新たな井戸の建設費を計上、水の流入量を確保して水質改善を図ることを決めた。また、履中天皇陵など仁徳陵周辺の周濠も、昨夏の市の調査で、アオコの発生をうかがわせるデータが出ており、水質改善が急務な状況。このため、仁徳陵の周濠と周辺古墳の周濠を水路でつなぎ、水を循環させることや、水質浄化システムを設置することも含めて、研究する費用も計上する。

601よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/03(金) 05:50:58 ID:o/dFDFeI0
縄文後期の集落裏付け 豊中の内田遺跡 大阪
2012.2.2 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120202/osk12020202030002-n1.htm

 豊中市桜の町の内田遺跡で、縄文時代後期の土坑(穴)2基と古墳時代後期の竪穴住居2棟、掘っ立て柱建物4棟が見つかった。昨年12月から行われていた第10次調査で発見され、縄文時代後期には同遺跡周辺で集落が営まれていたことが確実となった。また古墳時代の須恵器生産に関わると考えられる建物群が見つかり、短期間に多くの建物が立ち並ぶ集落であったことが確認された。

 内田遺跡は古墳時代後期〜終末期(6世紀後半〜7世紀初頭)に千里川の河岸段丘上を中心とした集落で東西400メートル、南北350メートルに広がる遺跡。

 昨年10月に同地への共同住宅の建築に先立って行われた試掘調査で、古墳時代の遺構などが確認されたことから発掘調査を行うことになった。同市内では縄文時代の遺物は出土していたが、住居など人間の暮らしの痕跡が残されていることは少なく、野畑遺跡(西緑丘)以外に集落として特定された遺跡がなかった。

 今回発見された土坑はごみを廃棄するために掘られた穴とみられ、一定期間居住した集落跡であると推定される。

 また昭和61年の初調査で同遺跡周辺から古墳時代の建物群が見つかるとともに須恵器を廃棄した穴も多く見られ、須恵器生産に関連する集落であることも判明。須恵器を焼くためには燃料のまきが大量に必要なため、新たに窯を築く場を求めて次第に山奥に入っていったと考えられている。

 福永伸哉・大阪大学大学院文学研究科教授は「今回の確認で千里川流域に縄文時代の人の活発な活動域があったことが明らかとなった」と話している。

 現地説明会は、2月4日午前10時〜午後3時に同遺跡で行われる。雨天決行、申し込み不要。問い合わせは同市地域教育振興室((電)06・6858・2581)。

602よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/03(金) 05:55:13 ID:o/dFDFeI0
願い込め「火渡り修行」 箕面・帝釈寺 大阪
2012.2.3 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120203/osk12020302050003-n1.htm

 箕面市粟生外院の帝釈寺で2日、節分会(え)があり、焼けた護摩木(ごまぎ)の残り火の上を素足で歩く「火渡り修行」に参拝者らが挑んだ。

 厳しく冷え込み、雪が舞う境内に設けられた護摩壇に火がともされるとほのおが大きく上がり山伏らが祈祷(きとう)。参拝者らは「家内安全」「厄除」などと書かれた護摩木を火の中へ投げ入れた。

 このあと火渡り修行。長さ5メートルほどにならした残り火の上を、小さな子供からお年寄りまで、さまざまな年齢層の参拝者が素足で次々と進んでいき、今年一年の無病息災を祈った。修行に臨んだ女性(18)は「熱かったけれど、周囲の人たちが健康で幸せに過ごせるようにと願って渡りました」と話していた。

603よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/03(金) 22:07:18 ID:b9dl4Xe.0
節分:復興豆まき−−大阪・成田山不動尊
http://mainichi.jp/kansai/news/20120203ddf041040013000c.html

 節分の3日、大阪府寝屋川市の成田山不動尊(成田山大阪別院明王院)で恒例の豆まき式があった。今年は東日本大震災の被災地復興への祈りも込め、集まった参拝客1万8000人(主催者発表)に向けて福豆がまかれた。

 境内には、NHK連続テレビ小説「カーネーション」に出演中の女優の尾野真千子さんや松井一郎・大阪府知事らが登場。「不動明王がいる境内に鬼はいない」とする言い伝えから、「福は内」だけの独特の掛け声で豆をまいた。不動尊はこの日3回行う豆まき用に約1トンの落花生を準備。福豆の販売も行い、売り上げの一部を震災の義援金として寄付するという。【牧野宏美】

604よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/04(土) 23:08:37 ID:oo.UD1I60
「福よ来い」祈り込め 尾野真千子さんら豆まき
2012年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120204/20120204037.html

 節分の3日、大阪府内各地で豆まきや巻きずし丸かじりなどの恒例の行事が行われ、参拝者らが厄よけや交通安全など、思い思いにことし一年の願いを込めた。

 寝屋川市の成田山不動尊の節分祭では、NHK連続テレビ小説「カーネーション」に出演している尾野真千子さんや松井一郎府知事らが特設舞台から豆をまき、交通安全や被災地の復興を祈願した。

 同祭は、落語家やお笑いタレント、関西政財界の関係者らが福豆をまくことで毎年多くの人が集まる。不動明王を祭る境内に鬼はいないという考えに基づき、「福は内」のみの掛け声が特徴だ。

 今年も日本一大きな「千升大福升」に山盛りの落花生約2トンを用意。「カーネーション」人気で例年より多い計約3万3千人が訪れた。境内を埋め尽くした来場者は、帽子や紙袋を使って「福」を受け止めていた。

 松井知事は「福を感じることが増える大阪府にしたい」とあいさつ。尾野さんは「人が多くてびっくりした。役名で声を掛けられ、自分も福をもらえた」と笑顔。同じドラマ出演者でいずれも大阪府出身の黒谷友香さんと田丸麻紀さんは「大阪で豆まきができて光栄」と話していた。


堂島薬師堂節分お水汲み祭り:竜勇ましく−−大阪・北新地
http://mainichi.jp/kansai/news/20120204ddn041040007000c.html

 節分の3日、大阪市北区堂島1の「堂島アバンザ」周辺で、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲(く)み祭り」があった。商売繁盛を祈る「竜の巡行」などがあり、多くの参拝者でにぎわった。

 祭りは曽根崎新地の伝統行事「節分祭」と、地域活性化を目指して始まった「堂島薬師堂お水汲み祭り」を一つにしたもので、今回8回目。一年の厄を払い、福を招くとされる。

 参拝者に奈良・薬師寺の水を清めた「お香水(こうずい)」が振る舞われたほか、北新地の芸妓衆が舞を披露。華やかに着飾った北新地の飲食店に勤める女性ら約150人が北新地一帯を練り歩き、祭りを盛り上げた。【三上健太郎】

605よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/04(土) 23:24:22 ID:oo.UD1I60
内田遺跡:縄文時代後期の土坑2基を確認−−豊中 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120204ddlk27040353000c.html

 豊中市教委が、同市桜の町3の内田遺跡で進めていた発掘調査で、縄文時代後期(今から4000年ほど前)の土坑2基が見つかった。縄文時代後期にすでに集落があったことを示す資料といえ、同市地域教育振興室は「千里川周辺に散在する他の縄文期の小規模遺跡と合わせ、縄文人が短期間で集落を移転させていた生活実態が浮かび上がる」としている。

 内田遺跡は古墳時代後期(600年ごろ)に千里川の河岸段丘上を中心に形成された集落で、東西400メートル、南北350メートル。遺構の発見により、同じ場所に縄文期にも集落があった可能性が高まった。

 発見された土坑は、大きさや、中から出土した土器が破片だらけであることなどから、ごみを廃棄するために掘られたものとみられる。このため、一定期間縄文人が生活したと推定され、集落跡であったと考えられるいう。

 4日には現地説明会を開催する。午前10時〜午後3時。雨天決行。【高橋隆輔】

606よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 06:12:56 ID:FrDQZGeA0
昭和初期のバスツアー復活 大阪・富田林、正成ゆかりの地
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819A91E2E6E2E3828DE2E6E2E0E0E2E3E09391EAE2E2E2

 現在の近鉄南大阪線や長野線を戦前に運営していた「大阪鉄道」が1935年に企画し、人気があったバスツアーが今月下旬と3月上旬に計4日間、復活する。

 大阪府千早赤阪村が生誕地とされる南北朝時代の武将、楠木正成ゆかりの地を巡るコース。同府富田林市と同市観光協会が、昭和初期のパンフレットを基に再現する。

 パンフレットは地元郷土史家の松本浩さん(66)が2005年、古本屋で見つけた。新たなツアー名は「復権 楠公遺蹟めぐり」。2月24、29日、3月2、7日に運行する。〔共同〕

607よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 11:03:21 ID:FrDQZGeA0
秀吉の家臣・片桐且元の裁許状見つかる 加古川 
http://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0004792444.shtml

 豊臣秀吉の家臣で「賤ケ岳の七本槍」の一人に数えられる武将片桐且元(通称・市正、1556〜1615)が、草を刈り取る権利をめぐる加古川地域での争いで下した裁許状が、兵庫県加古川市の旧庄屋宅から見つかった。市内で安土・桃山時代の文書が見つかるのは珍しいといい、同市は「新たな史実を明らかにするものではないが、秀吉や家臣団を研究する上で貴重」とする。(武藤邦生)


 裁許状は旧庄屋宅の蔵に保管されており、同市文化財調査研究センターの職員らが調査。肥料にする草を得る場所をめぐり、益田村(同市東神吉町升田)と平村(同市平荘町)の間で起きた争論の裁定が記され、天正14(1586)年8月6日付で益田側に示された。

 草は当時、田畑に敷き込んだり、焼いて灰にしたりし、貴重な肥料となったため、しばしば草場争いが起きたという。両村で問題となった草場について、裁許状は益田側に「苅可申候」と刈ることを許可。ただし境界を越えて草を刈った者は成敗される、とした。

 末尾に「片桐市正」と、もう一人が連署し、花押もあることから、写しではなく原本とみられる。且元は秀吉没後、豊臣秀頼の後見役になり、昨年の大河ドラマ「江」では俳優三田村邦彦さんが演じた。当時は秀吉の命で、この地域の代官的な立場を担っていたらしい。

 この争いでは、相手の平側に示された裁許状も写しの存在が確認されている。ただし、「苅可申候」の部分が「益田之者ニからセ可申候」(益田の者に草を刈らせること)となるなど、裁許状が下された先によって微妙な違いもある。

 同市は「双方への裁許状が明らかになるのは珍しく、400年以上前の争論が立体的に把握できる」としている。

608よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 11:07:30 ID:FrDQZGeA0
江戸時代の堂島、先端マネー術…豪商日記に記述
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120205-OYO1T00084.htm?from=top

コメ権利担保に借金、再買い付け

 世界初の先物市場として知られる江戸時代の大阪・堂島(大阪市北区)の米市場について、取引を支えた金融の仕組みを示す240年前の史料が大阪市内で見つかった。米の買い取り証書を担保に両替商がお金を貸し、小さな元手で大きな取引ができる仕組みを作り上げていた。関連史料は戦災で大半が焼失しており、専門家は「当時の金融機能が分かる初の史料だ」と評価している。

 両替商などを営み、明治期に大同生命保険(大阪市)の創業にかかわった大阪・堂島の豪商・加島屋(広岡家)が戦後、大同生命へ寄贈した史料約2500点の中から見つかった。表題は「御用(ごよう)日記」。1772年に加島屋当主の広岡久右衛門(きゅうえもん)が作成した。B5判程度の大きさで158ページにわたり墨で書かれている。


 他の史料と併せて読み解くと、堂島周辺には各藩が集めた年貢米を保管する「蔵屋敷」が約100か所あり、卸売業者「米仲買(こめなかがい)」を集めて競争入札をしていた。米仲買は競り落とした米を現物では引き取らず、藩から米10石(1・5トン)当たり1枚の保管証「米切手」を受け取った。米仲買は約1300人おり、米切手は堂島米会所で売買された。相場が上がっている時に米会所で米切手を売れば、もうけが出る仕組みだ。

 競争入札は年貢米の収穫後、10〜12月に集中し、米仲買は1年分の買い付け資金をこの間に一気に調達する必要があった。

 御用日記によると、その仕組みが用意されていた。米仲買が米切手1枚(平均600匁(もんめ)、現在の60万円相当)を加島屋に担保として差し出すと、時価が600匁ならば約8%割り引いた550匁を貸した。金利は月0・45%程度だった。

 仲買が米切手1枚を加島屋に持ち込んで550匁を借りれば、自己資金50匁ほどを追加するだけで新たに米切手を1枚買える。担保にした代金との合計650匁で2枚の米切手を入手できることになる。仮に2枚目の米切手が米会所で700匁で売れたら、50匁のもうけが出る。これを短期に繰り返してもうけを増やし、担保に入れた米切手も取り戻した。最終的には米切手は現物の米に替えて消費者に販売していた。

 御用日記を調べた高槻泰郎・神戸大学経済経営研究所講師(日本経済史)は「当時の大阪で経済活動の大動脈である金融の仕組みがすでに完成したことに驚いた。米市場を支えた資金の流れが初めて分かったと言える」としている。

(2012年2月5日 読売新聞)

609よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 20:59:46 ID:koYZ1tos0
東洋紡、南海、三和銀…大阪財界の生みの親は維新の志士 藤田伝三郎に学ぶ
2012.2.5 07:00
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120205/bsg1202050700000-n1.htm
http://www.sankeibiz.jp/business/news/120205/bsg1202050700000-n2.htm

 大阪商工会議所の第2代会頭を務めた明治期の関西財界のリーダー、藤田伝三郎(1841〜1912)とその一族の財界人脈にスポットを当てたユニークな特別展が、藤田の出身地、山口県萩市の萩市博物館で開かれている。後の財閥、企業グループにつながる会社「藤田組」を設立するなどし、日本の近代化にも大きく貢献した藤田。特別展は当時の写真や資料とともに、「気骨の人」といわれた藤田の企業家精神も伝えている。

 藤田伝三郎は、幕末に萩の酒造家に生まれ、長州藩の奇兵隊に身を投じた。明治時代には大阪で維新政府の軍関係の仕事を請け負い、明治14年に藤田組を設立、京都・大津間鉄道や琵琶湖疎水の建設工事などを行った。大阪市都島区の太閤園と隣接する藤田美術館は、藤田の大阪本邸跡だ。

 また大阪紡績(後の東洋紡)、阪堺鉄道(同南海電鉄)、北浜銀行(同三和銀行)などの創設にも関わった。まさに“大阪経済界の生みの親”だ。さらに秋田県の小坂鉱山開発や、岡山県の児島湾干拓事業を成功させるなど日本の近代化にも貢献した。

 明治11年に大阪商法会議所(現商工会議所)を五代友厚らとともに設立したのも藤田で、五代に続き第2代会頭に就任した。吉田松陰の親戚で大阪の戦後復興に尽力した萩市出身の杉道助も後に大商会頭を務めており、大阪経済界は萩市に足を向けて寝られないともいわれた。

 同館学芸員の樋口尚樹副館長によると、大阪などでの藤田の事業を支えたのは、長州藩出身の政治家、井上馨の紹介による藩主毛利家からの融資だったという。

610よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 21:00:42 ID:koYZ1tos0
>>609

「藩の産業振興策で稼いだ資産を、藩会計とは別に“特別会計”として毛利家資産に積み立てていた。幕末に藩の戦費にも使われたが、明治維新後もかなりあったようだ」と樋口さんはみる。

 同展では、藤田とその一族が設立した企業から、ゆかりの写真や資料など171点を出品。藤田の立像や実業家としての歩みを紹介したパネル・書簡、大阪本邸で撮影した写真などを展示している。

 樋口さんは「井上馨と一緒に写っている藤田一族の写真を見ると、藤田が気概と気骨が感じられる企業家だったことが分かる。萩の出身者は政治家ばかりが有名だが、経済界で活躍した人もいることを知ってほしい」と話す。ただ、「藤田は写真が嫌いだったようで、自身の写真はあまり残っていない」という。

 藤田の事業はその後、おいにあたる久原房之助と、房之助の義兄の鮎川義介が継承発展させ、日立製作所、日産自動車、日本水産など、日本を代表する名だたる大企業の基礎を作った。同展には、こうした企業に関する資料や写真も多く出品されている。

 日産自動車所蔵の「ダットサン14型ロードスター」は、昭和10年に最初に製造された乗用車で、同年萩市で開かれた産業大博覧会にも出展され、市内で乗車会が開かれたという。



 特別展は、4月10日まで。同館は年中無休。観覧料は大人500円、高校大学生300円、小中学生100円。問い合わせは同館((電)0838・25・6447)。

611よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 23:02:49 ID:koYZ1tos0
ザビエル像が300年間潜んだ大阪の隠れ里 キリシタン遺物史料館(大阪府茨木市) 古きを歩けば(17)
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819A91E0E1E2E0958DE0E7E2E3E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;m=96948D819791E18D8D8D8D8D8D8D
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819A91E0E1E2E0958DE0E7E2E3E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;df=2;m=96948D819791E18D8D8D8D8D8D8D
http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C93819A91E0E1E2E0958DE0E7E2E3E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;df=3;m=96948D819791E18D8D8D8D8D8D8D

 大阪北部、茨木市の山あい。小さな棚田が連なる山裾の道を行くと家々の並ぶ一角が現れる。千提寺(せんだいじ)地区。戦国時代から江戸時代にかけ、禁じられる中で信仰を続けたキリスト教徒が住んでいた集落だ。隠れ里という先入観があるせいだろうか。家々は、ひっそりした山中でもとりわけ目立たぬような場所にあるように思えた。

■墓碑に発見した「マリア」の名

 この地はキリシタン大名として知られた高槻城主・高山右近の領地だった。布教を許した織田信長、宣教師を追放し信仰を禁じた豊臣秀吉、禁教令を出し信者を厳しく弾圧した徳川幕府……。権力者に翻弄された山里の民の信仰をうかがわせる遺物や旧跡が点在する。

 千提寺が隠れキリシタンの里だったことが知られたのは大正8年(1919年)2月。地元の元教師が千提寺地区にある雪の積もった丘陵(寺山)で「マリア」と刻まれた墓碑を発見したのがきっかけだった。以後、同地区や北に少し離れた下音羽地区の民家の屋根裏や土蔵などから、キリシタン遺物が次々に見つかった。墓碑は寺山の隣のクルス山(名前の由来不明)や下音羽の曹洞宗の寺・高雲寺からも発見された。

 明治維新でキリスト教禁教が解かれてから40年以上が経過していたが、住民には当時でも発覚への恐怖があったようだ。「知れたらお縄になる」と心配した家もあったという。多くの遺物が見つかった東家は、それらを木製の櫃(ひつ)に入れ、わかりにくい場所にくくり付け、当主だけに伝えてきた。教科書にも載る有名な「聖フランシスコ・ザビエル像」(重要文化財、神戸市立博物館所蔵)は「あけずの櫃」と呼ばれるこの中にあった。

612よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/05(日) 23:05:13 ID:koYZ1tos0
>>611

 発見された遺物は、聖母マリアらを描いた絵画、キリスト磔刑(たっけい)像などの彫刻、金属製のメダルなど。一部は現在、茨木市が千提寺地区に建設したキリシタン遺物史料館で公開されている。史料館で案内役などを務めるのは、東家の満理亜さん(62)と同じく多くの遺物が見つかった中谷家の早苗さん(55)。2人にとって遺物は歴史資料であると同時に、先祖からの貴重な伝承品でもある。

■京都所司代が暗黙の承認?

 「遺物から考えると、単なる信者だったとは思えません。宣教師をかくまっていたのでしょうか」と東さん。「歴史を知ると、きちんと後世に伝えていかねばならないなと思います」と中谷さん。隠れキリシタンに関する謎は多く、今も研究は続く。茨木市文化財保護審議会委員で考古学研究者の井藤暁子さん(66)は遺物の質と量から、江戸初期にかけては治める側と治められる側の間に暗黙の承認があったかもしれないと推測する。

 キリシタンの有力者を庄屋などの村役人にして地域をまとめさせ、京都所司代だった板倉勝重・重宗親子が禁教や弾圧を強くはせずに済ませた可能性だ。貴重な遺物の数々を知ると、確かに「日本の中でなぜこの地で残ってきたのか」という疑問が膨らんでくる。

■ザビエル像を巡る宿縁

 ザビエル像を巡っては近年、因縁めいた巡り合わせがあった。この絵の入手に執念を燃やした神戸の資産家・池長孟(はじめ)の子息、潤氏(74)=カトリック大阪大司教、日本カトリック司教協議会会長=が2010年11月、千提寺地区を訪れ、住民にミサやザビエル像についての講演をしたのだ。「若い頃、突然この道に進もうと決めたのです。幼い頃から父の収集した美術品に触れていたこともキリスト教に関心を持った要因です」と池長さん。東家が「断腸の思いで手放した」(満理亜さん)絵が日本のカトリック教会のトップになる若者に啓示をもたらしたのだろうか。

【アクセス】名神高速茨木ICから車で約20分。
 この地域では近く、新名神高速道路の建設工事が始まる。寺山やクルス山で見つかり現地に置かれていた3つの墓碑は史料館に“一時避難”という形で移され、展示されている。道路が完成すれば地域の景観は一変するだろう。「ここがどんな歴史を持った場所なのか、多くの人に知っていただきたい」。東さんと中谷さんは口をそろえた。

(文 編集委員 堀田昇吾、写真 上間孝司)

613よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:23:33 ID:9bE6.2LU0
裁縫技術向上を祈願 大阪天満宮で「針供養祭」
2012年2月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120209/20120209018.html

 古くなった針を供養する「針供養祭」が8日、大阪市北区の大阪天満宮内にある吉備社で行われた。参拝者が持参した針を針塚前に置かれたこんにゃくに刺し、針の供養を行うとともに裁縫技術の向上を祈願した。

 大阪和服裁縫協同組合、日本和裁士会大阪府支部の主催。同社での針供養は1926年から毎年行われ、例年約1500人が参拝する。

 この日はまず、大阪天満宮の神職による祝詞の奏上などの神事が執り行われた。その後、着物姿の女性の参拝者らが古くなった針をこんにゃくに刺して手を合わせた。境内では同祭に合わせて裁縫用具や和装小物の販売なども行われた。

 同組合の岡村博之理事長は「先輩方が続けてこられた針供養祭を絶やさずに続けていきたい」と話していた。

614よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:28:19 ID:9bE6.2LU0
楽しく歴史散策 「とらとうちゃん」と行くまち歩きツアー
2012年2月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120210/20120210021.html

 玉造を「勝手に盛り上げよう」というちゃめっ気たっぷりのマスコットキャラクター「とらとうちゃん」と戦国時代の武将・真田幸村ゆかりの地を訪ねるまち歩きツアーが5日、大阪市内で開かれた。参加者はマスコットが歩くまちの風景とともに歴史散策を満喫した。

 同ツアーは、上町台地の建物や空間を公開する大型イベント「オープン台地in OSAKA」の一環。アートディレクターの藤田ツキトさんの企画で、事前予約の歴史愛好家やとらとうちゃんファンら20人が参加した。

 JR玉造駅を出発し、天王寺区の三光神社で史跡「真田の抜け穴」を見学。後半にはとらとうちゃんとともに電車に乗り込み天王寺に移動し、茶臼山一帯を散策した。

 とらとうちゃんはツアー客を誘導したり、写真撮影に応じたりと大活躍。通行人や買い物客との交流にも汗を流し、人気を集めていた。

 羽曳野市から参加した津村元さん(49)は「とらとうちゃんも玉造に着実に浸透しているようでうれしい。歴史のロマンも感じることができて良かった」と喜んでいた。

615よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:39:03 ID:9bE6.2LU0
樹齢200年など20品種50鉢 大阪天満宮で大盆梅展
2012年2月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120211/20120211029.html

 大阪市北区天神橋2丁目の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で「大盆梅展〜天神様と梅〜」が始まり、樹齢約200年の梅の古木などが会場を飾り、訪れた人を魅了している。3月4日まで。

 梅をめでた菅原道真にちなんだ行事「てんま天神梅まつり」の一環として開かれる恒例行事。20品種約50鉢を展示している。

 畳敷きの参集殿内には樹齢約200年の「鶯宿(おうしゅく)」や「天草野梅」、同100年の「大和野梅」などが並び、訪れる人がじっくりと見入っている。同宮所蔵の「天神画像掛け軸」や大阪府指定文化財の「御迎え人形」も併せて展示されている。

 入場受け付けは午前9時半〜午後4時(午後4時半閉場)。22〜26日は夜間拝観として午後7時半まで入場を受け付ける(午後8時閉場)。拝観料は大人500円、小学生300円。

616よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:54:41 ID:9bE6.2LU0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/239 紹鴎の森 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/archive/news/2012/02/09/20120209ddlk27070401000c.html

 ◆大阪市阿倍野区−西成区

 ◇先人の恩受け継ぐ 天満宮勧請、紀州街道の元に

 「岸の姫松」が残る府立住吉高校から、さらに西へと歩を進めると、阿部野神社に行き当たる。これまで何度も触れてきた北畠顕家を祭っている神社で、境内には銅像と、「花将軍 北畠顕家」という題名の歌の歌詞まで掲げられている。

 南北朝時代、南朝について戦場の花と散った美丈夫の若武者は、いつの時代もモテるようだ。同じく南朝の若武者で、戦場の露と消えた楠木正行(まさつら)は四條畷市の四條畷神社に祭られている。死後、神様となった2人をほふったのは北朝の高師直(こうのもろなお)だから、大変な敵役だ。

 大阪案内人の西俣稔さんが、玉垣の一角を指さす。懐かしい名前があった。「大屋政子」。派手な衣装と甲高い声で「うちのお父ちゃんなあ」と言うてた。「うちのお父ちゃん」は帝人社長の大屋晋三。「天下茶屋の政子ちゃん」と呼ばれていたそうで、生まれはこの辺りなのだろう。

 阿部野神社から下っていくと、阪堺電車の天神ノ森駅。西成区になる。天神ノ森というからには、天神さんがあるはず。しばらく歩くと、天神森天満宮が現れた。ここは「安産の神様」。境内に「子安石」が鎮座する。古来から信仰を集めた霊石だといい、豊臣秀吉も淀君のご懐妊の時に安産祈願をしたと伝わる。この石の周囲にある小石を持ち帰ると御利益があるとされ、出産後は小石を元の場所に戻してお礼参りをするという。

 鳥居の脇に、大きな石塔が二つ並んでいる。「天下茶屋あだ討ち供養塔」。岡山藩士の林重次郎、源三郎の兄弟が、父を闇討ちにした当麻三郎右衛門を追って艱難辛苦(かんなんしんく)、母は病没、兄重次郎は返り討ちに遭う。かたきを追って9年、1609(慶長14)年4月7日、弟源三郎が父と兄の恨みを、ついに天下茶屋で晴らした。返り討ちもあって世間の同情を集めた「天下茶屋のあだ討ち」は、歌舞伎や浄瑠璃となって人気を博した。

 西俣さんが着目するのは、石塔の裏に刻まれた文字だ。1829(文政12)年建立の石塔に「大阪」とあるのだ。確か、江戸時代の表記は「大坂」で、明治になって「大阪」に変わるのではなかった? 「土へんは『土に還る』といって縁起が悪いとされ、厄災など悪い時代の時は大阪を使っていたんです」と西俣さんの解説。

 神社の前を通る道が旧紀州街道。境内にはこんもりと木が茂り、森閑としている。昔はもっと緑深く、「天神ノ森」と呼ばれていた。「別名、紹鴎(しょうおう)の森です」。戦国時代、天神ノ森は交通の障害となっていて、東の熊野街道か西の勝間(こつま)街道に迂回(うかい)せざるを得なかった。この辺りに茶室を構えていた茶人、武野紹鴎が私財をなげうって森を開いて道を通し、天満宮を勧請した。これが紀州街道となる。人々はこの功績をたたえて「紹鴎の森」と呼ぶようになったという。

 この連載で歩いてきた道々には、人名が冠せられた橋や町がいくつもあった。そこには、恩人を忘れまいとする人々の情が込められている。この森もそう。私たちも先人の思いを受け継いで、こういう名前を残していかなくては。【松井宏員】

617よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/11(土) 16:58:48 ID:9bE6.2LU0
堺刃物まつり
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2005774511.html

約600年の歴史がある大阪・堺市の伝統産業、刃物づくりの魅力を知ってもらおうという催しが、きょうから堺市で開かれています。この「堺刃物まつり」は地元の刃物業者でつくる団体が毎年この時期に開いてるもので、今回で25回目です。
堺市北区にある堺市産業振興センターにはプロの料理人が使う包丁や家庭用の包丁、それに植木の枝切りに使うはさみなど、300種類を超える刃物が通常より2割以上安く販売されていて、大勢の人たちでにぎわっています。
このうち、家庭で使う刃物を安い価格で研ぎ直すコーナーでは熟練の職人たちが研磨機や、といしを使い、預けられた刃物を1つ1つ丁寧に磨き上げ切れ味をよみがえらせていました。
また、80年前まで行われていたふいごや金づちを使った刃物づくりを体験できるコーナーも設けられていて、訪れた人たちは伝統産業の魅力を改めて確認していました。
堺市に住む68歳の男性は「自分ではうまく研ぐことができないので来ました。ここで研いでもらうと1年間は切れ味が持つので重宝しています」と話していました。この「堺刃物まつり」は、あすも開かれます。

02月11日 12時40分

618よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/14(火) 05:25:58 ID:GodMSqiU0
大阪市電の起点 歴史にスポット キララ九条商店街、17日にイベント
2012.2.14 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120214/osk12021402100003-n1.htm

 大阪市電の“発祥の地”を知っていますか−。同市の市電が花園橋−築港桟橋間で開業した歴史にスポットを当てた催しが17日、かつて花園橋停留所のあった付近の「キララ九条商店街」(大阪市西区)で開催される。

 市電は明治36年、大阪港と都心を結ぶ交通手段として開業。日本初の公営電気鉄道だった。以降、路線が延長され、60年以上の間、市民の足として活躍してきた。

 しかし今では、同商店街付近に市電の起点があったという歴史を知る人も減り、九条新道交差点に「大阪市電創業の地」の碑がひっそりとたたずむのみ。そこで、同商店街の店主らでつくる「九条新道3丁目振興組合」が、「市電と関わりの深い町の歴史を若い世代や新しい住民にも伝えたい」と催しを企画した。

 会場では当日、午前10時から計5回、市電についての説明会を開催。市交通局の職員が車両模型などを使って市電の歴史や運行当時の町のにぎわいなどについて解説する。また、広島県の広島電鉄が買い取った旧市電車両の写真パネルも展示されるという。

 同組合の芝本勝利理事長は「町の歴史を知ると地元への愛着も増すのでは。これを機に商店街に足を運んでくれる人が増えればうれしい」と張り切っている。問い合わせは同組合((電)06・6584・0700)。

619よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/14(火) 05:29:09 ID:GodMSqiU0
「白鳥伝説」歌い継ごう 羽曳野市民合唱団、26日に初舞台 大阪
2012.2.14 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120214/osk12021402100004-n1.htm

 世界遺産の暫定リストに記載されている古市古墳群(羽曳野、藤井寺両市)にまつわる伝説を歌い継ごうと、羽曳野市の有志らが市民合唱団を結成した。都市開発の波から古墳群を守るとともに古墳に眠る古代の英雄の魂を鎮めようと、歌声を響かせる。合唱団は26日、同市のLICはびきので開かれる古代史フォーラムで初舞台に立つ。

 日本書紀などには、日本武尊(やまとたけるのみこと)が「東方遠征の帰りに能褒野(のぼの)(三重県亀山市)で亡くなり、琴弾原(ことひきはら)(奈良県御所市)に降り立ったあと埴生野(はにゅうの)(羽曳野市)に飛び去った」と記されている。その飛翔の様子から「白鳥伝説」と呼ばれ、同古墳群の中にある日本武尊の墓とされる前方後円墳は「日本武尊白鳥陵」と名付けられている。

 都市開発が進む同市では白鳥陵の周りにも住宅が立ち並ぶ。文化財を取り巻く環境の保全が課題となるなか、歌で伝説を語り継ぎ、古墳群の存在をアピールしようと市民らが「シグナス混声合唱団」を結成した。

 歌い継ごうとしている歌は、作曲家の三枝成彰さんらが手がけた楽曲「ヤマトタケル」。参加費千円。問い合わせは主催のNPO法人「フィールドミュージアムトーク史遊会」((電)080・5328・1137)。

620名無しさん:2012/02/14(火) 20:00:47 ID:8ceuOVv60
羽曳野という地名自体が日本武尊の神話に由来しています。羽曳野が市制化する
時、当初予定の市名であった南大阪市を即時否定して羽曳野市としたのは大変良かった
と思います。

621よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/15(水) 05:48:29 ID:G5slulOE0
ものづくりの伝統 脈々と 出土鋳型基に銅鐸復元 東大阪
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120215-OYT8T00064.htm

破片わずか3個から

 東大阪市弥生町の鬼虎川(きとらがわ)遺跡で約30年前に出土した弥生時代中期の銅鐸(どうたく)鋳型のかけらを参考に、同市内の鋳物業者が、銅鐸(高さ31センチ、重さ3キロ)を復元した。ものづくりのまち・東大阪市のルーツを感じてもらおうと市教委が企画した。17日まで同市役所1階で展示している。(浦野親典)

 市教委によると、同遺跡では1981年に鋳型の破片が3個出土した。約2000年前のものとみられ、石製で、つなげると長さ約15センチ、幅約7センチ。銅鐸のすそ部にあたる。

 同遺跡ではこのほか、銅剣や腕輪などの複数の鋳型も出土し、青銅器製造の拠点だった場所として知られる。96年に島根県の加茂岩倉遺跡で出土した「12号銅鐸」(国宝)が、鬼虎川遺跡の鋳型で製造される銅鐸と特徴が類似することも判明しており、弥生時代に河内で製造した銅鐸が出雲に運ばれたとされている。

 銅鐸の復元は、文化財の復元作業を手がける同市内の鋳物製造会社「上田合金」が手がけた。

 市教委の委託を受けて同社では「12号銅鐸」や、鬼虎川遺跡出土の銅鐸のかけらを参考に復元図を作成。木型を製作した後、鋳物用の特殊な砂を木型に押しつけたうえで、炭酸ガスを吹き付けて鋳型を完成させた。

 鋳型の中に、銅やスズを混ぜ合わせて高熱で溶かした合金を流し込んだ。12号銅鐸は厚さ3〜4ミリで、高度な技術が必要だったという。上田富雄社長(76)は「穴が開く可能性もあった。古代の技術レベルは高い」と感心している。

 市教委の芋本隆裕次長は「銅鐸は技術を大切にする東大阪の原点とも言える。まちの魅力をPRするために活用したい」と話している。

(2012年2月15日 読売新聞)

622よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/16(木) 20:56:45 ID:Msh.lAJM0
大阪天満宮の七不思議を探る 18日からボランティアガイドが紹介
2012.2.16 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120216/osk12021602100000-n1.htm

 大阪天満宮(大阪市北区)にまつわるさまざまな謎をボランティアガイドが紹介する「大阪天満宮七不思議めぐり」が18日から境内で開かれる。昨年初めて実施し、参加者から「新たな一面を発見できた」と好評だったため、再び企画した。

 ボランティアガイドが参加者とともに約1時間かけて境内を歩き解説する。大阪天満宮文化研究所の高島幸次研究員が「七不思議」を選定し、ボランティアガイドが説明できるよう指導した。

 「七不思議」のひとつが火除けの石垣。寛政7(1795)年に戎門の西側に石垣が築かれたが、天保8(1837)年の大塩平八郎の乱では、東側から火が迫ったため天満宮も類焼。江戸時代に少なくとも7回火災に見舞われたため、明治以降は北側にも石垣が設けられた。その結果、明治42(1909)年のキタの大火や第二次世界大戦の空襲では類焼を免れたという。

 「七不思議めぐり」の開催日は18、19、25、26日、3月3、4日。定員先着20〜30人。午後3時に大阪天満宮表門に集合。無料。

623よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/16(木) 21:31:26 ID:Msh.lAJM0
475種類を味見せよ!!日本一の梅酒決定戦
http://www.ktv.co.jp/news/date/20120215.html

日本一の梅酒とリキュールを決める大会が大阪天満宮で開かれています。
475種類のお酒が味見し放題です。

梅の花が咲くのが待ち遠しいこの季節。
しかし、もっと待ち遠しいものを求める人たちが、大阪天満宮に集まりました。

【参加者】
「毎年来てるんですけど、この1年が待ち遠しくて」

梅酒とリキュールの日本一を決める「天満天神梅酒大会」。
今年で6回目の開催となり、過去最多となる475の銘柄が出品されています。
東日本大震災で蔵が半壊した福島県の酒蔵から日本酒ベースのヨーグルトリキュールなどが出品された他、中には、ちょっと変わった梅酒も・・・

【記者】
「ゴーヤの梅酒を飲んでみます。少し苦くて、お酒も強いですが、梅酒好きには、オススメできそうです」

好きなだけ梅酒やリキュールを試飲することができるとあって、お酒好きの参加者たちが、ハイペースでコップの中身を空けていきます。

【参加者】
「おいしいよ、ここから、一個ずつ飲んできている。これだけ呑めたら幸せ」

大会は2月21日まで開かれていて、来場者の投票をもとに3月4日に「日本一のお酒」が発表されます。 .
(

624よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/19(日) 12:27:33 ID:iIrjJCXM0
刀装具、名品の数々 「装剣奇賞」展にぎわう
2012年2月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120219/20120219030.html

 刀装具や根付の細密工芸に関する初の本格的な手引書「装剣奇賞(そうけんきしょう)」が1781年に大阪で出版されて230年の節目を迎えた記念展示が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。15日に開幕し、最初の週末を迎えた18日は大勢の愛好者らでにぎわった。

 装剣奇賞の著者は大阪の町人、稲葉通龍。もともと刀剣や刀装具を扱う商人だったが、商いの対象を深めるため、商売を後進に譲って調査、執筆に専念したとされる。

 「大阪の偉人でありながら埋没した存在になっていた」として、同博物館は通龍に焦点を当て、装剣奇賞に掲載された作家の手による刀装具、根付、絵画など約110点を展示。金工の名門・後藤家が手掛け、大阪の豪商・鴻池家に伝来した刀装具も紹介している。

 「細密工芸の華」と題した記念展示を担当する同博物館学芸員の内藤直子さんは「昔の日本人の手先の器用さは今では再現できない。その細密な作品に注目してほしい」と説明。内藤さんは、4月1日に関連する講演会も開く。

 同博物館によると、年配者を中心に来場があり、梅の花が見ごろの大阪城を訪れる途中に立ち寄る人の姿も。八尾市の女性(62)は「これだけきれいに残っているのが不思議」と名品の数々を眺めていた。

 4月2日まで。火曜休館。

625よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/19(日) 13:09:03 ID:iIrjJCXM0
盆梅見頃 香り堪能
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120219-OYT8T00061.htm

 学問の神様・菅原道真をまつる大阪天満宮(大阪市北区)で、鉢植えの梅を楽しむ「大盆梅展〜天神様と梅〜」が開かれている。会場となった書院造りの参集殿には甘い香りが漂い、来場者が見頃を迎えた花や、枝ぶりをじっくりと眺めている。

 梅を愛したとされる道真をしのぼうと、毎年開催。奈良県桜井市の盆栽業者の協力で、樹齢約200年の野梅など約60鉢を並べた。紅白それぞれに色づいた梅の古木2本に流木を組み合わせて2匹の竜に見立てたものなどが注目を集めている。

 神戸市東灘区、会社員城戸秀雄さん(59)は「寒い季節にあって美しい花を咲かせる梅のパワーはすごい。私も見習いたい」と話していた。

 3月4日まで。入場の受け付けは午前9時30分〜午後4時(22〜26日は午後7時30分まで延長)。拝観料は中学生以上500円、小学生300円。問い合わせは大阪天満宮(06・6353・0025)へ。

(2012年2月19日 読売新聞)

626よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/19(日) 21:44:38 ID:Hu8P8qxs0
川端康成「初掲載」の雑誌発見 大正期、恩師の葬儀つづる
http://www.kobe-np.co.jp/knews/0004827235.shtml

 日本人で初めてノーベル文学賞を受賞した小説家川端康成(1899〜1972)が、旧制中学時代に執筆した文章を掲載した大正6(1917)年刊行の雑誌を、熊本市の尚絅大の宮崎尚子助教が19日までに見つけた。

 川端は、初めて雑誌に掲載された自分の文章と紹介、川端文学の研究に役立つ貴重な資料といえそうだ。

 見つかったのは、大阪市にあった出版社が発行した家庭雑誌「団欒」の大正6年3月号。大阪府立茨木中学の恩師を追悼する「生徒の肩に柩を載せて 葬式の日、通夜の印象」と題した文章で、同中5年生だった川端が、同級生とひつぎを担いだ葬儀などの模様を記した。

627よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/20(月) 22:14:49 ID:CAVPZLkc0
日韓台コラボ てんま天神梅まつり水墨画奉納式
2012年2月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120220/20120220020.html

 「てんま天神梅まつり」が開かれている大阪市北区の大阪天満宮で19日、水墨画奉納式が行われ、水墨画のライブペインティングと琴伝流大正琴、朝鮮民族楽器のコラボレーションパフォーマンスが本殿正面で披露された。

 「境内に絵でも梅を増やそう」と、NPO法人アジア文化芸術連盟の李鴻儒代表が水墨画奉納を提案、毎年行っており今年で9回目。李さんの水墨画制作に合わせ、琴伝流大正琴の前垣友紀さんらが、韓国の伝統楽器、チョッテ(笛)とチャング(太鼓)の「男寺党(ナムサダン)」と演奏を披露。韓国の楽器で日本の「赤とんぼ」、大正琴で韓国の「アリラン」を同時に披露する趣向を凝らした演奏で、パフォーマンスは大いに盛り上がった。

 30分ほどでえとにちなんだ力強い竜と梅の絵が描かれると参拝者からは大きな拍手が送られた。李さんは「音楽のイメージが絵で浮かび上がるのを楽しんでもらえたら」、前垣さんは「台湾、韓国、日本のコラボができて良かった」と話していた。

628よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/21(火) 21:37:47 ID:gQE57xZ60
推古天皇陵、謎秘める2つの石室 23日に初の立ち入り調査
2012.2.21 19:21
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120221/osk12022119330006-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120221/osk12022119330006-n2.htm

 初の女性天皇で飛鳥時代の第33代・推古天皇(554〜628年)と息子の竹田皇子を葬ったとされる大阪府太子町の推古天皇陵で23日、考古学研究者らによる初の立ち入り調査が行われる。宮内庁の調査で2つの横穴式石室があるとされているが、詳細は分かっておらず、今回の立ち入り調査で被葬者をめぐる謎解明の一歩へ期待がかかる。

 推古天皇陵は東西63メートル、南北55メートルの長方形で、7世紀前半の築造とされる。同庁による約20年前の調査で、墳丘南側に横穴式石室の一部とみられる幅2〜3メートルの巨石が3・5メートル間隔で東西に2つ並んでいるのを確認。石室が2つある可能性が高まった。

 古事記や日本書紀によると、推古天皇は奈良・大野岡の竹田皇子の墓にいったん埋葬。この墓は奈良県橿原市で2つの横穴式石室が見つかった植山古墳とほぼ確定され、その後に現在の推古天皇陵に移されたという。

 推古天皇陵でも、植山古墳と同様に2つの石室が並んでいれば、被葬者の信憑(しんぴょう)性は学術的により高くなる。ただし、石室とみられる東西2つの巨石は、宮内庁の調査では表面を覆う落ち葉などを除去しただけで本格的な発掘ではなく、石室の規模や副葬品などは不明。東西どちらが推古天皇の石室かなどは、謎のまま。今回の立ち入り調査で、石室の状況が少しでも分かれば研究が進む可能性もある。

 陵墓問題に詳しい大久保徹也・徳島文理大教授(考古学)は「宮内庁によって確認された石材が石室の一部かどうかなど、現地で詳しく観察できれば、被葬者に迫るヒントが得られるかもしれない。トップクラスの古墳を直接観察できる意義は大きい」と話す。

 23日の調査は、日本考古学協会などの研究者が墳丘1段目を歩いて観察するもので、発掘や測量はできない。同日は約1キロ離れた聖徳太子の父の用明天皇陵(太子町、一辺60メートル)でも立ち入り調査が行われる。

 陵墓は原則的に宮内庁関係者以外は入れないが、平成20年から研究者団体の要請を受けて立ち入り調査を許可。これまでに神功(じんぐう)皇后陵(奈良市)、国内2番目の巨大前方後円墳、応神天皇陵(大阪府羽曳野市、全長約420メートル)など計5カ所で行われている。

629よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/22(水) 05:07:17 ID:gQE57xZ60
スマホに往時の難波宮 AR技術で再現“記念撮影”も 大阪歴史博物館
2012.2.22 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120222/osk12022202050002-n1.htm

 ■4月アプリ配布

 かつて「難波宮(なにわのみや)」にあった大極殿や倉庫群などの建造物をスマートフォンやタブレットPCなど多機能情報端末の画面上に再現するシステムを、大阪歴史博物館(大阪市中央区)が導入し、報道関係者に21日公開した。今年4月以降、このアプリケーションソフトのダウンロードが可能になるという。

                   ◇

 AR(拡張現実)技術を活用した「難波宮展示ガイドシステム」。かつて600〜700年代に難波宮が存在した場所に立地する同館の館内と、隣接する難波宮史跡公園内で利用できる。遺跡を対象にしたAR技術の活用は、全国でも珍しいという。

 利用方法は、館内の場合、所定の位置に表示されたARマーカーを端末で読み込み、かつて建物が存在した方向に端末をかざすと、端末の画面に復元された建物の画像が浮かびあがる。

 また、難波宮史跡公園でも、大極殿の基壇に向けて端末をかざすと、大極殿が画面上に“出現”するだけでなく、基壇上で大極殿の内部も体感できる。

 また、聖武天皇や鑑真ら難波宮ゆかりの人物と“記念撮影”できる機能も備えた。

 同館の積山洋学芸課長代理は「想像が難しい往時の姿を、現代の技術を駆使して示すことで利用者の理解を助け、現在と過去との結びつきを実感してほしい」と話している。

630よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/23(木) 23:16:15 ID:X2EnvB/c0
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/241 天下茶屋公園 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120223ddlk27070402000c.html

 ◆大阪市西成区

 ◇阿倍氏の氏寺なぜここに 枯れた大木は霊木?

 天下茶屋跡から天神森天満宮前へ戻る。かつて紹鴎(じょうおう)の森と呼ばれた森を切り開いて付けられたという旧紀州街道を北へ約30メートル歩くと、天下茶屋公園がある。

 この辺りの地名は岸里東。大阪案内人の西俣稔さんが「地名ネタいきましょか」と語る。「岸里、敷津、粉浜、津守」と大阪市南西部の地名を指折り数えて、「古代、海べりだったから、岸や津、浜が付いてるんです」。地名が、遠い昔の地形の記憶を伝えているわけだ。

 西俣さんの天下茶屋公園のお目当ては、石だ。もちろん、ただの石ではない。真ん中に丸い穴が開いただ円形の石は、府指定有形文化財「阿倍寺塔心礎」だ。文化財だけど、公園の中に無造作に置かれているから、思わず上に乗りたくなる。ああ、文化財を踏んづけてしまった。

 塔心礎とは、塔の芯柱の礎石のこと。中央の直径約60センチ、深さ約13センチの穴は柱を立てる柱穴で、その真ん中にある直径約10センチの小さい穴は、舎利、つまりお骨を入れる穴だ。

 阿倍寺とは、豪族「阿倍氏」の氏寺ともいわれる奈良時代のお寺だ。ここに阿倍寺があったのかというと、そうではなく、今の阿倍野近鉄の南側の阿倍野区松崎町にあった。なのに、なんで約2キロも南西のここに礎石があるのか?

 しかも、礎石のすぐそばには、茶色く変色した見上げんばかりの石碑があって、人を恐れぬハトの群れが止まったりして遊んでいる。「明治天皇駐□遺址」と刻まれているが、□の字は見たこともないから読めやしない。西俣さんも首をひねるばかり。

 その西側には、柵で囲われた枯れた大木がある。灯明台が据えられているところをみると、たぶん霊木として信仰されているのだろうが、はて? 枯れた幹には、とうに過ぎた季節を惜しむように、セミの抜け殻が二つ残っていた。

 この公園には謎が多い。多すぎる。しかも、文献に記されている、この公園にあるはずの碑が見当たらない。見過ごして先を急いでもいいのだが、気になる。とりあえず、市の公園管理事務所に電話したら、公園の近くに住む寺田靜雄さん(81)を紹介してくれた。

 寺田さんは前の岸里連合振興町会長で、天下茶屋跡の邸宅を所有していた芽木家とは親戚筋にあたる。しかも天下茶屋跡愛護会と天下茶屋公園愛護会の会長として、両方の清掃などに当たって、案内もしているので、謎解きにはうってつけの人だ。

 芽木家と寺田家は、互いをよく知る天下茶屋の名家。芽木家は空襲で邸宅が焼けたあと、泉州に越したという。その芽木家の珍しい名前の由来を、寺田さんはこう語る。

 「河内から出て来て、紹鴎の森に住んでいたんやけど、住吉大社や堺にいてた千利休に会いに行ったりする豊臣秀吉さんに、道を通せと言われたそうです。最初は抵抗したそうやけど、太閤はんが『おまえは木の芽のように芽が出るやっちゃ』と。まあ、おだてられて、芽木いう名前をもろたと聞いてまんのやけど」

 オモロイ話ですな。当時は武士以外は名字などないから、名字を付けてやって心をくすぐるという秀吉の人心掌握術はさもありなんと思わせる。ただ、ほかの文献では、紹鴎の森の呼び名のもととなった茶人、武野紹鴎が道を付けたとなってますけど……。「紹鴎が道付ける金も必要もおまへんわ」と寺田さん。寺田家の前を通るのがその道で、秀吉の時代は住吉街道と呼ばれ、次第に南へ南へ、紀州まで延びたので紀州街道と呼び名が変わった。

 天下茶屋公園の数々の謎を解き明かすのは次回。【松井宏員】

631よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/23(木) 23:17:43 ID:X2EnvB/c0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

大阪町人の救民記録   
2012年2月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120222/20120222038.html

仁風便覧

 小説の題材を江戸時代の事蹟(じせき)に求めた鴎外は、考証のため「武鑑」を蒐集(しゅうしゅう)したが、江戸時代の弘前の医者が自分と同じく武鑑を蒐集していたことに親しみを覚え、史伝「渋江抽斉」を書いた。大阪では「難波丸」「難波丸綱目」がこの類の資料で、地誌としても名所案内としても役立つが、商人に特化したものが本欄第7回で紹介した「商人買物独(ひとり)案内」である。

 来阪する仕入れ客が便利なように業種別、イロハ順に商工業者を記載した「江戸時代のタウンページ」は、同種のものが明治時代まで発刊されたが、掲載料負担が掲載条件と推察でき、「武鑑」と違って掲載情報の偏りは否めない。

 今回紹介する「仁風便覧(じんふうべんらん)」は、天保の大飢饉(ききん)に際しての大阪他兵庫の一部の施行(せぎょう)者名を町ごとに一覧にした本である。何を商う、どんな人物かは分からないが、掲載人数は9600余名、単純に比較すれば「独案内」の2000軒を優に超える。

 天保の飢饉(天保4〜7年)では大阪も大打撃を受けたが、豪商たちが救民のため施行を行った。施行者やその額、内容を記した1枚刷りの番付が出版され、誰がどれくらい御救に貢献したのかが一目瞭然となった。

 この「仁風便覧」は、天保8(1837)年8月、大塩の乱後に出版されたが、実は天保5年の施行の記録を幕府の意向によって出版したもので、施行者名を公開して施行を奨励することを意図した。施行者には無料かと思いきや、価格は銀八匁(もんめ)と町触れにある。

 天保8年2月、大塩平八郎は天保の飢饉での幕府の救民対策の不十分さ、上方米の江戸廻送(かいそう)を批判して武力蜂起した。大阪の豪商が施行に消極的なことも非難した。大塩の乱で大阪三郷の5分の1が焼けたが、その町も天保5年に施行している。数多く出た施行番付も大塩にはアピールしなかったのか。

 大塩焼け(火災)で焼け出された人のため御救い小屋が造られ、町人が施行し、また番付が出版された。天保8年の施行については「仁風便覧」中に予告があるが、同様の本は出版されなかった。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

632よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/25(土) 21:55:25 ID:stFeFhaA0
■推古天皇陵 初の民間人調査入る
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE120223223000542858.shtml

 日本で最初の女帝推古天皇を埋葬したとされている大阪の陵墓に考古学者ら民間人が初めて調査に入りました。

 23日午後2時半過ぎ、大阪府太子町にある推古天皇陵に考古学者ら16人が民間人として初めて足を踏み入れました。

 推古天皇陵は7世紀前半に造られたとみられる長方形の陵墓です。

 日本書紀などによると当初は、奈良県の植山古墳に竹田皇子とともに埋葬され、その後いまの場所に移されたと見られていて、陵墓内に植山古墳と同じような2つの石室があれば推古天皇が葬られている信ぴょう性が高くなります。

 23日は石室1つを確認できたということで今後、飛鳥時代の謎を解くきっかけになると期待されています。
(02/24 00:02)

633よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/26(日) 03:03:21 ID:stFeFhaA0
直木三十五の暮らし感じて
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120225-OYT8T00050.htm

 直木賞の由来となった作家・直木三十五(さんじゅうご)の生まれ故郷にある「直木三十五記念館」(大阪市中央区谷町6)は命日にあたる24日、昨年取り壊された直木の旧宅(横浜市)の所有者から備品約40点を譲り受け、展示を始めた。

 記念館が譲り受けたのは、トイレに張られていた黒色のタイル、オリーブ色の革張りの椅子など、いずれも旧宅が建築された昭和初期のもの。入れ替えながら15点前後を常時、展示する。

 椅子を眺めていた横浜市戸塚区、会社員坪井達也さん(56)は「直木が実際に座ったかと思うと歴史を感じる。直木賞のルーツを知る手がかりになった」と感動した様子。記念館運営委員の山根秀宣さん(46)は「名前は有名だが、どんな作家だったか知る人は少ない。譲り受けた品を見て、直木の息吹を感じてほしい」と話している。

 開館は午前11時〜午後5時。水曜休館。入場料は一般200円、小学生以下100円。問い合わせは同記念館(06・6767・1906)へ。

(2012年2月25日 読売新聞)

634よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/26(日) 14:32:50 ID:rMMmLjbw0
よみがえる江戸期和時計 泉南 山田家住宅、きょう公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120226-OYT8T00046.htm

 江戸時代の庄屋屋敷で、国登録有形文化財の「山田家住宅」(泉南市新家)にある、350年以上前の江戸時代前期に作られたとみられる「和時計」が修復され、新たな時を刻み始めた。26日午前10時〜午後4時、同住宅で一般公開される。

 山田家は代々、庄屋を務めた豪農。時計は高さ約30センチ、横10センチ、奥行き10センチで、ひもで垂らした重りで歯車を回して動く。明治時代に旧暦から新暦に切り替えられて以降は使われなくなっていた。

 住宅を所有する山田洋二さん(70)らが、「貴重な時計なのに動かないのは寂しい」と、和時計の修復に取り組む沢田平さん(76)(大阪市東成区)に修理を依頼。沢田さんは時計を分解し、無くなっていたネジなどを作ったり、サビを磨いたりして、3か月かけて調整した。

 山田さんは「屋敷も時計も江戸時代のものなので、当時の暮らしぶりを想像してもらえるはず」と期待。沢田さんは「日本が誇るハイテク技術のルーツである和時計を見て、歴史に思いをはせてほしい」と願っている。

 3月以降も同住宅の一般公開(12月を除く毎月第4日曜)の際に、見学できる。

(2012年2月26日 読売新聞)

635よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 22:54:17 ID:VggRuJrM0
難波宮跡に往時の姿 仮想体験ソフト開発
2012年02月26日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001202270002

 7〜8世紀に大阪の中心部にあった難波宮(なにわのみや)跡にスマートフォン(高機能携帯電話)など端末のカメラを向けると、画面上の現実の風景に古代宮殿がCG映像で浮かび上がる展示ガイドシステムを、大阪市博物館協会が開発した。4月から一般利用される予定。

636よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 22:58:37 ID:VggRuJrM0
地元紙にみる「カーネーション」時代
2012年02月26日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001202270001

 NHK連続テレビ小説「カーネーション」の舞台となっている岸和田市で戦前に発行された地元紙5紙が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で展示されている。現存する戦前の地方紙は貴重という。

 現在の新聞と同じ大きさか一回り小さいタブロイド判(縦40・6センチ、横27・3センチ)などの大きさで2〜4ページ。1925(大正14)年から1937(昭和12)年までに発行された。

 25年発行の南海自由民報は、約1年後に実施予定の市議選について「新顔連が多く激戦になる」と予想する記事を掲載。ほかの紙面には市内屈指の大企業だった岸和田紡績の社長「甚さん」を批判する記事や、花街で働く女性の紹介記事があり、「カーネーション」の時代の世相がうかがえる。

 岸和田市内では地元で発行された同様の新聞が20紙ほどあったとみられ、飯田直樹学芸員は「広告が多いものもあり、現在の新聞とは違う機能を持っていたのでは」と話す。

 3月26日まで。常設展の入場料は大人600円、高校・大学生400円、中学生以下無料。問い合わせは大阪歴史博物館(06・6946・5728)へ。

637よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 23:09:09 ID:VggRuJrM0
「大大阪」築いた市長・関一 没後80年前に足跡脚光
2012年2月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120227/20120227032.html

 大阪商工会議所の大阪企業家ミュージアムが15日開いた講演会で焦点を当てた先人は、大正・昭和初期に大阪市長を務めた関一(1873〜1935年)。「大阪の世論が日本の政策を定める鍵を握るかどうかは大阪に“健全なる世論”が起こるかどうか、そこが問題だ」との関語録を紹介した講演は、昨年12月に就任した橋下徹市長が「大阪都」構想を進める現在にあって、問題提起の場になった。「大大阪」を築いた関の足跡が、没後80年を前に脚光を浴びつつある。

■健全なる世論

 「大阪への関心が全国的に高まることに対し、大阪で暮らす私たちがどう応えるかが問われている」

 講師を務めた大阪市史料調査会調査員の松岡弘之さん(35)は、関が言及した“健全なる世論”に着目し、「(現在の大阪は)複雑で難しい問題がゴロゴロ転がっている。だからこそ多くの人々がより良い大阪の在り方を探らなければいけない」と続けた。

■新たな時代
 大阪企業家ミュージアムが仕事帰りの市民を迎えるため水曜日の夜に開くナイトミュージアム講演会は、主に電鉄や工務店の創設者など企業家の精神を紹介し、歴代市長を題材にしたのは今回が初めて。

 「新市長主導のもと、大阪は今、新たな時代の扉を開こうとしています…これからの大阪を考えるきっかけになれば」と同ミュージアムが受講者を募ったところ、初めて定員80人を満たす応募が寄せられた。

 当日は、静岡県に生まれ、東京高等商業学校(現・一橋大学)の教授だった関がそれまで無縁だった大阪市の助役に転じ市長に就任した背景や、市役所内で関を支える人物の有無を尋ねる受講者の声が上がるなど、関心の高さをうかがわせた。

■メッセージ
 御堂筋の整備や地下鉄の導入など全国の都市行政をリードした関の「大大阪時代」は、大阪商工会議所が7月1日に開く「なにわなんでも大阪検定」のテーマでもあり、市民が関の足跡を振り返る機会は増す。

 昨年の大阪ダブル選挙を経て変革の機運が増す大阪にあって、関の足跡をどう捉えるか。

 『関一の手帖』(大阪市史料調査会発行)の編集、解題も手掛けた松岡さんは、この日の講演を次のように締めくくった。

 「関は没後80年弱を経て、今を生きる私たちを試しているというか、“俺の言葉”をどう読み取ってくれるのかを見ているように思います」

638よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/27(月) 23:21:36 ID:VggRuJrM0
世界発信へ助言続々
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120227-OYT8T00099.htm

上方伝統芸能演者ら外国人と交流会

 大阪市中央区徳井町の山本能楽堂で、外国語の指導助手などとして関西に長期滞在する外国人と、上方伝統芸能の演者らの交流会が開かれている。外国人に日本の伝統文化を楽しむ機会を提供するとともに、日本語がわからなくても理解しやすい方法をアドバイスしてもらい、海外からの観光客らを呼び込むのが狙いだ。能楽堂の関係者らは「交流を深め、上方伝統芸能のすそ野を広げたい」と意気込んでいる。(安田弘司)

 交流会初回の先月中旬。夜、大阪、兵庫両府県に住む18か国出身の約40人が能楽堂に集まり、桟敷席に座った。舞台には、能楽師の林本大さん。「上を向くと喜びで、うつむくと悲しみを表します。手をかざすと、泣いていることになります」と、顔を上げ下げしながら説明し、日本語が堪能な参加者の一人が通訳した。このあと、酒の妖精が主人公の「猩々(しょうじょう)」が披露された。

 ほかに、落語家や講談師、芸妓(げいこ)らが演じる舞台があり、それぞれの演目について、出演者が歴史や特徴などを解説。演目が終わるごとに出演者と参加者の意見交換の時間が設けられ、参加者は「一つの動作ごとに説明をつければわかりやすい」「謡を英語に訳してはどうか」などと、活発に注文を付けた。

 2年前に米国テネシー州から来日、和泉市の小中学校で英語指導助手をするケイリー・カストロヴェールデさん(25)は「伝統文化に興味があったが、どこに行けば鑑賞できるのかわからなかった。歴史がある上方芸能は宝物のようだ」と話した。



 交流会を提案したのは、自治体や国の「外国青年招致事業」で来日した外国人の支援・交流団体会長で、大東市の英語指導助手、マシュー・クックさん(32)。昨秋、能楽堂で開かれた外国人向けの公演を鑑賞した。事前に英語での説明があり、舞台の横で字幕が流れたが、「語学指導助手らは滞在期間が1〜3年のことが多く、これだけでは理解できないだろう。出演者と直接、話をできないか」と考えたという。

 能楽堂では日頃、能や狂言、文楽、上方舞、落語などの上方伝統芸能を紹介している。外国人のファンも一部いるが、一般の外国人観光客にはなじみが薄いといい、能楽堂側も「どうすれば外国人に広く興味を持ってもらえるか、何がわかりにくいのかを知ることができる」と提案を快諾した。

 交流会は今後、毎月1回程度開かれる予定だ。能楽堂事務局長の山本佳誌枝さん(48)は「私たちだけでは気づかないような助言を頂いてありがたい。英語での説明や字幕などの工夫を重ね、上方の伝統芸能を世界に広めたい」と話している。

■山本能楽堂 1927年に建設され、戦災で焼失したが、50年に再建された。現在は、公益財団法人「山本能楽堂」が運営する。木造3階建てで、能舞台、桟敷席があり、国の登録有形文化財。

(2012年2月27日 読売新聞)

639よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/02/29(水) 05:42:18 ID:2H.zCFlk0
七夕伝説歌ってつなごう 交野・星田妙見宮 宮司らでオリジナル曲
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120229-OYT8T00042.htm

4年後に創建1200年祭 市民1000人の合唱計画

 七夕伝説の残る交野市の神社・星田妙見宮が2016年に創建1200年を迎えるのを記念し、佐々木久裕宮司(60)と知人の信田隆司さん(65)が伝説を織り込んだ記念の歌3曲を作った。節目の年に祭りを開き、星空の下で市民1000人に歌ってもらう計画で、佐々木宮司は「郷土の歴史や伝説を皆で共有し、後世に残したい」と意気込んでいる。(中田敦之)

 「平安(いにしえ)の天地(あめつち)ゆるぎ 降りたまう」と神社の起こりを厳かに歌う「千年の杜(もり)」、天女と人間の男性との悲恋を描く「交野の天女ものがたり―天の川羽衣伝説より」、「空には星が輝いて 笑顔の君を照らしてる」と軽やかに唱和する「妙見さんの七夕まつり」の各曲。近くに住む信田さんが佐々木宮司らから09年に記念祭の話を聞いて、「歌を作ろう」と提案し、ピアノ伴奏をつけて昨年11月に仕上げた。

 信田さんは、佐々木宮司に交野や妙見宮の歴史を教わり、平安時代の歌集などの文献を参考に歌詞を創作。定年退職後に作曲や編曲を学んでおり、「伝説をたたえ、守り続けたいという願いを込めた」と話す。

 東大阪市出身の佐々木宮司は、コンピューター関連会社を経営していた30年前、妙見宮を初めて参拝。社殿は荒廃していたが、山の中の厳粛な雰囲気に感動し、「復興しよう」と神主の資格を取り、1996年から宮司を務める。途絶えていた七夕祭りを再開させるなどしてきた。

 創建記念祭は16年7月に開かれる。妙見宮の境内で、神楽などを奉納し、ペンライトを掲げた浴衣姿の市民らが3曲を歌う。1月末に、歌を吹き込んだCDを作っており、今後、市民コーラス団体などに協力を依頼し、歌い手を募る。

 佐々木宮司は「天地、自然をおそれつつしむ気持ちが、交野の伝説や言い伝えを生んだ。歌を通じ、郷土愛を育んでほしい」と話している。

星田妙見宮 816年、弘法大師が修行に訪れ、空から星が降った妙見山(162メートル)の山頂に建てられたと伝えられる。佐々木宮司によると江戸時代の学者・貝原益軒の著書で「牽牛織女(けんぎゅうしょくじょ)の社」と紹介された。

(2012年2月29日 読売新聞)

640よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/03/01(木) 21:52:01 ID:zPMy.ybM0
行ってみよっと:大阪歴史博物館(大阪市) 古代人の気分堪能 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120301ddlk27040360000c.html

 ◇難波宮に思いはせ

 大阪城の足元に、にょっきりと建つビル、大阪歴史博物館(大阪市中央区、13階建て)。名前からくるイメージとこの姿が、どうもそぐわない、とずっと思っていた。行ってみて最後にわかった。なぜ、こんなのっぽビルにしたのか−−。

 開館は01年。古代から現代までの大阪の歴史と文化を紹介している。くまなく回るのはきっと大変。「大極殿を復元したフロアが見応えあります」と同館広報担当者の言葉に、難波宮をテーマに回ることにした。この付近は、難波宮の宮殿が置かれたところでもあるし。

 見る前に、少し予習−−。難波には過去2回、都が置かれた。前期難波宮と後期難波宮と呼ばれ、前期は7世紀半ばの孝徳天皇の時代、後期が8世紀前半の聖武天皇の時。都が置かれた際、一番重要な建物となるのが大極殿。外国の使者が天皇に謁見(えっけん)したり、国家的儀式が行われる場だ。

 これぐらいを頭において、エレベーターで一気に10階へ。朱塗りの柱がドーン、ドーンと立つ。直径70センチ、高さは約6メートル。後期難波宮の大極殿を、原寸大で復元している。

 「怖ッ」と思ったのは直立姿勢で整列している官人や女官たち。リアルな人形なのだ。装いなどは「中国の壁画などを参考にしています」と学芸員の伊藤純さん(55)。

 人形の顔をのぞき込む。丁寧にメークしている。いつの時代も、女性が求めるのは美。よく見れば、地位が高いほど、ヘアスタイルもファッションも凝っている。ひがみ、ねたみ、あっただろうな……。みんな小柄なところが愛らしい。男163センチ、女152センチ。原始・古代の出土人骨の平均身長を採用しているとか。

 室内が暗くなり、エキゾチックで緩やかな音楽をバックに映像が流れ出す。744(天平16)2月26日、大極殿で催されている遷都の儀式だ。

 終わると、窓の幕がスッと上がる。まぶしい! と同時に大きな窓から57メートル下の地上に見えたのは、史跡難波宮跡の中にある、ホンモノの大極殿跡だ。1200年以上前の世界にどっぷり浸った直後に、ヒョイと今ある姿を目に飛び込ませる。この演出、見事!

 次は「遺構見学ガイド」に参加する。参加者5、6人に、ガイドしてくれるのは伊藤さん。「足元を見てください」。1階の床の一部がガラス張りになって、その下に発掘調査の跡を残している。「これは前期難波宮が置かれたころの建物の柱跡です」。発掘調査で、こうした柱跡がわんさと見つかった。

 1階の床のタイルにはたくさんの丸い模様がある。まさにそれが、柱跡。フロア続きのNHKの入り口近くには丸が一列に並んでいる。「これは建物でなく、塀の柱だったのでしょう」。なるほどーと参加者がうなずく。

 細い階段を下りて、地下へ。ちょっとミステリアスな気分。地下通路からガラス越しに室内を見る。部屋の中は全て発掘跡。天井から円柱のちょうちんがぶら下がる。ちょうちんは、1階フロアの丸い模様と同様、柱に見立てたものだ。

 昔の土木作業も大したもんだが、保存した現代人の根性もすごい。この遺構の上にビルを建て、下には駐車場をつくったのだから。この遺構、月1回業者がきてメンテナンスをしており、ひび割れなどを防いでいる。年間数百万円かかっているとか。

 博物館前の外の広場に出る。「ここに難波宮よりも古い古墳時代中期の遺跡が見つかりました。16棟の倉庫跡でした」。広場の舗装に、黒っぽく四角く色が付いているのは、倉庫跡を表示したものだ。

 さて、これで冒頭の疑問が解決。「この遺跡を壊さないため、建物をここまで広く建てられなかったのです」(伊藤さん)。面積が小さくなった分、上に高いビルとなった。

 広場に、高床式倉庫1棟が復元されて建つ。のっぽビルの横で今は目立たないが、「古墳時代には、この高さが権力を見せつけるものだったかもしれません」と学芸員の岩佐伸一さん(40)。柱跡が、いろんなことを語っている。【三角真理】

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 ◇大阪歴史博物館

 9時半〜17時(金曜は20時まで)。火曜休館。電話06・6946・5728。常設展の入館料大人600円、高大生400円、中学生以下無料。遺構見学ガイド(無料)は毎日6回。


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