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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

2912名無しさん:2021/03/03(水) 22:33:13 ID:NrdB.GxU0
親方と新人宮大工

金剛組の宮大工たちは総勢100人で8つの組に分かれています。親方は8人いて、それぞれに弟子が所属しています。

2020年4月に金剛組に入社した山崎神聖さん(19)。木口孝文さんが親方の「木口組」に入りました。

(「金剛組」木口組 木口孝文親方)
「(山崎さんは)むちゃくちゃ真面目やね。怒られても怒られてものう、やる気満々なんやねんな。そこそこは仕事をこなせるようになってね。」

親方にとっては初めての弟子です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c?page=2

この日、木口さんが山崎さんに教えていたのは、2つの木を1つにつなぐ「継手」です。親方の教えの下、作業を進めていきます。

(「金剛組」木口組 木口孝文親方)
「それで繋がったはずや。いい、いい!上等上等!」

釘を使わずに強度のある1本の柱になりました。

(記者)「意外と丁寧に教えられるんですね。」
(木口親方)「最初は教えておかないとわからんしね。(昔は)よー指金でどつかれてましたわ。頭をノミでガーンとやられて。」

金剛組では2020年に3人が入社。宮大工を志しても半数以上が辞めてしまうといい、“技術の継承”が重い課題となっています。

(新人宮大工 山崎神聖さん)
「親父が元々一般住宅の大工していたんですけれど、小さいころから親父の背中を見て育ったので。『僕も大工になりたい』と言ったところ、宮大工の方が技術的にも細かく教えてもらえるので、宮大工を目指そうかなと思いました。」

入社以来初めての現場作業

新人宮大工の山崎さん、2020年12月に入社以来初めて現場の作業を任されました。本堂の建て替え工事が行われている大阪府箕面市の「正念寺」。

山崎さんが担当するのはお寺の玄関・薬医門の両側にある「袖塀」です。屋根の土台となる板を寸法に合わせて切断して貼り合わせていきます。

2913名無しさん:2021/03/03(水) 22:35:07 ID:NrdB.GxU0
新人宮大工は、自分の持ち場の作業を進めつつ、兄弟子の仕事も手伝います。

 (兄弟子)「もっと上やぞ。」
(山崎さん)「はい。」
 (兄弟子)「もっと上やぞ。」
(山崎さん)「あ、入ったっす。」

本堂内の柱に木材を固定する重要な工程。定規で測りながらミリ単位で表面を削り、釘などを使わずに設置していきます。

そして、親方の仕事。熟練した技で「継手」をはめていきます。
寸分のくるいもない仕上がりです。

昼休憩になりました。山崎さんは美味しそうなお弁当です。

 (記者)「誰が作ったの?」
(山崎さん)「おかん…おふくろっすね。」
(木口親方)「うらやましい。わしは30年前から手弁当みたいな感じ。」
 (記者)「棟梁は怖い?」
(山崎さん)「はい、怖いです。」
(木口親方)「もうあしたから来んでいいわ。ははは。」
(山崎さん)「(親方は)すごい宮大工だと思います。」
(木口親方)「まあ、辛抱せなあかんけどな、10年は。一人前になるまでは。僕らの仕事は何年経っても建物はずっと残っていくから、50年100年ね。孫の代、ひ孫の代に『じいちゃんやったんどー』と、自慢気にこの商売を言えるんちゃいます。」

宮大工で一人前になるには30年かかるといわれています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6da81f77cfee5e3712c64d1759a586240964537c?page=3

「袖塀」の屋根板の出来は?

山崎さん、「袖塀」を作り始めて5か月、屋根板が完成しました。

(山崎さん)「すみません、親方見てもらっていいですか?」
(木口親方)「終わった?はいよ。(屋根板を見て)おー上等上等!はい、OKOK!」
(山崎さん)「はい。」
(木口親方)「ここまでできるようになるとは。ちょっと時間かかるけどね。」

2914名無しさん:2021/03/03(水) 22:36:05 ID:NrdB.GxU0
宮大工を目指したきっかけは「大工の父」

この日、仕事終わりに山崎さんの実家を訪ねました。宮大工を目指したきっかけは大工である父親・功さん(51)の存在でした。

(父親 功さん)
「宮大工といえば大工の頂点なので。僕もほんまはそっちの方に進みたかったんですけれど、僕がやっぱりなられへんかった分、息子に一人前の宮大工になってほしいなというのがあったので。頑張ってほしいですね。」

父親の夢だった宮大工。その思いも受け継いでいます。

引き継がれる宮大工の技術

宮大工として初めて挑んだ「正念寺」。作業最終日、「袖塀」も美しく仕上がっていました。

(山崎さん)「おはようございます。」
(正念寺 吉田正志住職)「ほんまに満足のいく立派なものを建ててもらったわ。やっぱり普通の大工さんとは違うもんね。それがいいところやね。」
(山崎さん)「はい。」
(正念寺 吉田正志住職)「普通の大工さんになったらあかんで。」
(山崎さん)「はい。」

宮大工として技を極める。1400年にわたって受け継がれてきた技術は、今もなお後世に引き継がれています。

(3月2日放送 MBSテレビ「Newsミント!」内『特集』より)

2915名無しさん:2021/03/06(土) 02:39:17 ID:NrdB.GxU0
全国的にも珍しい双方墳の古墳発掘調査 9日からHPで映像配信 大阪・太子町の「二子塚古墳」
3/5(金) 19:02配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b8be092f6e86e5191cd94306d85aaabf5a92822

 大阪府太子町にある国の史跡「二子塚古墳」で発掘調査が行われ、古墳の造り方や構造の一部が明らかになった。

 二子塚古墳は、四角い墳丘を2つつなげた全国的にも珍しい双方墳の古墳で、7世紀後半に造られたみられている。石室が盗掘を受け、中にある石の棺があらわとなっており、今後の整備に向けて、太子町が5年前から発掘調査を続けてきた。

 調査では、東側の墳丘で大きな石を積み上げて石室の入り口をふさいでいた様子や、石室につながる墓道が長さ4.4mであることが判明し、太子町では古墳時代終わりごろの築造方法が分かる貴重な成果としている。

 町では、感染対策のために現地説明会を取りやめ、ホームページなどで9日から映像配信を行う。

2916名無しさん:2021/03/07(日) 22:08:04 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子かるた完成 生涯や偉業 楽しみながら
2021年3月7日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210307/20210307024.html

 聖徳太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は13日から、新たな授与品「聖徳太子かるた」を販売する。今秋から来春にかけて営まれる年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」記念として5年以上の歳月をかけて製作。太子の一生や数々の偉業、同寺の縁起などが分かりやすく描かれており、記念にふさわしい授与品に仕上がっている。

 同寺では、2014年秋にオリジナルトランプカード「四天王寺厳選五十四図」を販売。美しい写真と詳しい解説文で構成され、資料として活用できる点でも評判だった。

 かるたはトランプに続く品として企画し、46枚のイラストは「猟奇王」シリーズなどの執筆で知られる漫画家・川崎ゆきお氏に依頼。川崎氏は同寺から、日本中の太子絵伝の基になっている伝記「聖徳太子伝暦(でんりゃく)」など多くの関連史料の提供を受け、それらを参考に研究しながら一枚ずつじっくり手描きした。

 太子誕生の場面をはじめ、「冠位十二階」「十七条憲法」「遣隋使」などをモチーフに、独特のタッチで表現。同寺建立の由縁でもある壮大な「丁未(ていび)の乱」の描写などは2枚一組で描いてある。

 読み札は、日頃、同寺で太子の一生を描いた壁画の絵解き説法を担当している僧侶の面々が協力して考案。川崎氏の完成イラストを見て、「【か】冠位こそ 政治整う 第一歩」「【や】八耳(やつみみ)を 駆使し太子は 指導者に」「【ぬ】濡(ぬ)れ仏 天王となり 戦勝祈願」-などと知恵を絞った。

 裏面には、それぞれ関連した詳しい解説文がコラム風にまとめてあり、読み札だけでも資料として楽しめる。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「幅広い世代がかるたから聖徳太子に親しんで、さらに四天王寺の絵解きや講演会などを通じて、研究を深めてもらうことにもつながれば」と、御聖忌記念の大きな動きに期待を寄せている。

 ◇かるたの価格は1500円。13〜23日には境内・南休憩所でお披露目パネル展を開催する。入場料100円。中心伽藍(がらん)拝観チケット(300円)購入者は当日の入場無料。午前8時半〜午後4時(17日以降は午後5時)。問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2917名無しさん:2021/03/10(水) 22:00:46 ID:NrdB.GxU0
百舌鳥古墳群ビジターセンター 13日開館 「仁徳天皇陵」などの古墳群を8K高画質映像で体験
3/10(水) 19:17配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/19333f8926cbfe2adc403b5348718f7b29ff5d5d

一昨年、世界遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群の魅力を伝える施設が13日、堺市にオープンする。

 堺市で10日、報道関係者に公開されたのは「百舌鳥古墳群ビジターセンター」。

 8Kの高画質で撮影された古墳群がプロジェクションマッピングで楽しめ、古墳が目の前に迫ってくるような迫力があるという。

 国内最大の「仁徳天皇陵古墳」などの空からの映像を楽しめるほか、世界遺産の登録証のレプリカが展示されている。

 13日にオープンする予定で、堺市の担当者は「観光客が古墳めぐりを楽しむ際の拠点にしていきたい」と話している。

2918名無しさん:2021/03/11(木) 21:56:10 ID:NrdB.GxU0
大阪空襲犠牲者の銘板 更新へ
03月11日 12時15分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210311/2000042360.html

大阪の平和資料館、「ピースおおさか」では、太平洋戦争末期の大阪空襲で犠牲になった人たちの名前が刻まれた銘板を、新年度、10年ぶりに更新することになり、今月末の期限で情報の提供を呼びかけています。

大阪は、太平洋戦争末期に五十数回にわたる空襲にあい、1万2000人を超える人たちが犠牲になったと言われています。
大阪・中央区の平和資料館、「ピースおおさか」では、一連の空襲で犠牲になった人たちを追悼する銘板を設置していて、遺族が公開を望まない人を除く8987人の名前などが刻まれています。
「ピースおおさか」では、その後に寄せられた情報をもとに、新年度、10年ぶりに銘板を更新することになりました。
今月末を期限に情報の提供を呼びかけていて、それまでに判明した名前を、新たに刻むことにしています。
「ピースおおさか」の田中優生さんは、「戦後76年となる中で、空襲の記憶を伝えるものとしてさらに銘板の重要性は増している。これを機に、1人でも多くの名前を追加するため、情報を寄せてほしい」と話しています。

2919名無しさん:2021/03/13(土) 12:27:43 ID:NrdB.GxU0
寄り添う思い響く 四天王寺で追悼の打鐘
2021年3月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210312/20210312034.html

 東日本大震災発生から10年を迎えた11日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で、発災時刻に合わせて犠牲者を追悼する鐘が鳴らされた。

 同寺では2011年の発災以降、若手僧侶による被災地慰問や復興支援募金などさまざまな活動に取り組み、追悼の打鐘は一周忌の12年から継続している。

 境内の鼓楼(ころう)、北鐘堂(黄鐘楼(おうしょうろう))、南鐘堂(鯨鐘楼(げいしょうろう))に入堂した僧侶は午後2時46分に、それぞれ天井内の鐘につながる綱を引き、快晴の空に深い響きを7回響かせた。

 打鐘前には、参詣者に鐘の趣旨を伝える境内アナウンスがあり、多く人々がしばし東北に向けて手を合わせた。

 同寺参詣課の小嶋光英さんは「10年の節目に多くの方々と追悼できる機会となった。今後も遠く離れた大阪から追悼するとともに、被災地の復興を祈念したい」と思いを込めた。

2920名無しさん:2021/03/14(日) 22:17:48 ID:NrdB.GxU0
鎌倉時代の聖徳太子像に胎内仏
03月14日 06時43分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210314/2000042462.html

奈良県斑鳩町の寺が所蔵する鎌倉時代の「聖徳太子立像」の胎内に小さな仏像などが納められているのがわかりました。
調査した奈良国立博物館は「平安時代の後期以降に広まった聖徳太子を、観音の化身とする信仰がうかがえる」としています。

胎内から仏像などが見つかったのは斑鳩町の成福寺の本尊で、鎌倉時代に作られた「聖徳太子立像」です。
4月から始まる特別展に先だって、国の重要文化財に指定されているこの像を、奈良国立博物館がX線CTスキャンを使って調べたところ、像の胸のあたりの胎内に、高さ6センチ余りの木製の菩薩半跏像や仏舎利を模したとみられる紙に包まれた16点の鉱物が納められていることがわかりました。
この菩薩半跏像は、聖徳太子が建立したとされる大阪の四天王寺の本尊とおおむね同じ姿勢で、一般的な「如意輪観音」と同じように岩をかたどった台に座っています。
調査にあたった博物館の山口隆介主任研究員は「四天王寺の本尊に対する信仰と平安時代の後期以降に広まった聖徳太子を如意輪観音の化身とする信仰が重ね合わせられていることがうかがえ、非常に興味深い発見だ」と話しています。
今回の調査結果は4月27日から奈良国立博物館で開かれる特別展「聖徳太子と法隆寺」で紹介されます。

2921名無しさん:2021/03/18(木) 22:09:21 ID:NrdB.GxU0
彼岸の入り 春の陽気 四天王寺 参詣者が先祖供養
2021年3月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210318/20210318028.html

 春の彼岸の入りとなった17日、大阪各地の霊園や寺院などでは朝から多くの人たちが訪れ、春本番の陽気の中で手を合わせた。

 このうち大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、「春季彼岸会(え)」(23日まで)が始まり、境内の諸堂で参詣者が先祖供養に並んだ。

 お彼岸恒例の露店は、新型コロナウイルス感染拡大予防対策として間隔を空けて出店。骨董(こっとう)品や古着、日用品、食品など多彩なテントやブースが並ぶ中、掘り出し物を探し求めて境内を巡る人たちの姿が見られた。

 親類と訪れた女性(69)=同市東淀川区=は「人出はまだ少ない印象だが、本当に春らしいお天気の日に、ゆっくりお参りすることができた」と話した。

 20日の「春分の日」(彼岸の中日)は、午後5時20分から極楽門(西大門)で、真西に沈む夕日に極楽浄土を思う伝統行事「日想観」が行われる。

2922名無しさん:2021/03/21(日) 19:30:18 ID:NrdB.GxU0
彼岸 極楽浄土へ思い 四天王寺で「日想観」
2021年3月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210321/20210321032.html

 彼岸の中日「春分の日」の20日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)の極楽門前で伝統行事「日想観」が執り行われた。多くの参詣者が石鳥居の向こうに極楽浄土を思い、静かに手を合わせた。

 日想観は、かつて同寺の西側に海が広がっていた時代、西門からの光景が極楽浄土に続く入り口として信仰されたことに由来。春・秋の彼岸の中日のみ、夕日が石鳥居の中央に沈むことで知られるが、この日は午後から天気が崩れ、夕日を拝むことはできなかった。

 日没が近づく午後5時ごろから僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、真西に向かって般若心経などを読経。参詣者も合わせてお経を唱えながら伝統行事を見届けた。

 堺市から訪れた木下恭子さん(67)は「夕日が見られなくて残念でしたが、皆さんと手を合わせることができて心が落ち着きました」としみじみと話した。

 午前中は天候に恵まれたこともあり、朝から家族連れなどが続々と参詣。露店は新型コロナウイルス感染拡大予防対策として間隔を空けて出店され、にぎわった。

2923名無しさん:2021/04/03(土) 23:18:11 ID:NrdB.GxU0
斑鳩町 世界遺産の法隆寺 聖徳太子没後1400年の特別法要
04月03日 17時06分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210403/2000043429.html

 ことしは聖徳太子が亡くなって1400年にあたるとされています。
世界遺産の法隆寺では、3日から聖徳太子の遺徳をしのぶ特別法要が始まりました。

ことしは、聖徳太子の没後1400年の「御遠忌(ごおんき)」とされ、奈良県斑鳩町の世界遺産、法隆寺では、聖徳太子の遺徳をしのぶ特別法要が、3日から3日間、行われます。
初日は、金堂や五重塔がある西院伽藍で法要が営まれ、県内外の寺社の関係者など450人余りが参列しました。
法要では、鮮やかな衣装をまとった4人の子どもたちが極楽にいるとされる鳥にふんし、雅楽に合わせて華麗な舞を奉納しました。
そのあと、法隆寺の古谷正覚住職が、聖徳太子の事績をたたえる「表白(ひょうびゃく)」を読み上げ、遺徳をしのびました。
最後に、僧侶が経を唱える中、参列者は、会場の中心に設けられた焼香台で次々に焼香を行いました。
法要を見学した愛媛県の70代の女性は「勇壮な舞や雅楽が印象に残りました。連綿と続く歴史を感じ、記念すべき1日になりました」と話していました。
法隆寺の特別法要は5日まで行われます。

2924名無しさん:2021/04/03(土) 23:22:19 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の命日法要で使うみこし初公開 四天王寺 光る江戸の技
4/1(木) 11:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c014a4b706e38dff38b4c8402c847efaf5005186

 四天王寺(大阪市天王寺区)宝物館で、毎年4月22日に営まれる聖徳太子の命日法要「聖霊会(しょうりょうえ)」で使われる2台のみこし「鳳輦(ほうれん)」「玉輿(ぎょくよ)」(いずれも江戸時代)が初めて一般公開されている。それぞれ太子の像と仏舎利(釈迦の遺骨)という寺の信仰の核となる宝物を載せる特別なみこし。当初の飾り金具がほぼ残るきらびやかな姿を間近に見ることができる。【花澤茂人】

 聖霊会などの大きな法要は境内の六時礼讃(ろくじらいさん)堂で営まれ、聖霊院に安置される太子の像を鳳輦に、金堂に安置される仏舎利を玉輿に載せ、法要の本尊となる太子の絵像「楊枝御影(ようじのみえい)」の両脇に置く。寺によると、かつてはそれぞれのお堂から練り歩いていたが近年は実施しておらず、法要中も参拝者は堂内に入れないため、みこしを見られる機会はなかった。

 鳳輦は高さ217・5センチ、玉輿は同234センチ。金具の様式から、江戸時代初期に徳川家によって寺が再興された時に作られたとみられる。これまで通常時は蔵に保管していたが、聖徳太子(622年没)の「千四百年御聖忌(ごせいき)」に合わせて宝物館に移し、今後は一般公開することにしたという。

 同寺の一本(いちもと)崇之学芸員は「豪華な金具は特別なみこしにふさわしい。江戸初期の最高の職人技を見てほしい」と話す。

 宝物館は正月と春、秋に公開され、今春は5月5日まで。拝観料は大人500円、高校・大学生300円。聖霊会の前後数日はみこしは見られない。問い合わせは同寺(06・6771・0066)。

2925名無しさん:2021/04/04(日) 00:13:26 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子ゆかりの手拭い作成 大阪の町、没後1400年記念
2021年3月30日 16:39
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210330/20210330079.html

 大阪府太子町が町名の由来となっている聖徳太子の没後1400年を記念し、太子を祭る廟がある叡福寺など町内施設を紹介する手拭いを作った。施設には20種を超える布用のスタンプを置いてあり、周遊しながら押して楽しめる。

 手拭いは町役場の観光産業課の窓口と竹内街道交流館で観光アンケートに答えた人にプレゼントする。千本を用意した。叡福寺や日本最古の官道とされる竹内街道、歴史資料館のほか、ブドウ、ミカンといった特産品などの絵を描いている。

町によると、太子の没年は621年と622年の二つの説があり、町は今年を没後1400年として記念事業をしている。

2926名無しさん:2021/04/06(火) 22:34:50 ID:NrdB.GxU0
豊臣秀吉 家臣に領地与えた書状2通発見
04月06日 17時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210406/2000043553.html

豊臣秀吉が家臣に領地を与えたことを示す書状2通が、兵庫県たつの市の旧家で見つかりました。
専門家は、秀吉が土地を与えて政権を支える家臣団を作っていった過程を知ることができる貴重な資料だと評価しています。

豊臣秀吉の書状は、たつの市の旧家に残されていた、およそ4000の古文書の中から見つかりました。
たつの市によりますと発見された2通は、秀吉が家臣の垣屋孫市にあて送ったもので、1通は天下統一前の1583年に、もう1通は「太閤」と呼ばれるようになった時期の1594年に書かれたものです。
2通とも現在の神戸市の東部に、200石の領地を与えるという内容で、このうち秀吉の書であることを示す、赤い朱印が押された1594年の書状は、高級和紙の「大高檀紙」で、紙の大きさも限られた権力者しか使うことができなかったものだということです。
日本の中世史が専門の兵庫県立歴史博物館の前田徹学芸員は、「秀吉が領地を与えることで家臣を束ね、政権を支える集団を作っていったことを知るうえで貴重な資料だ」と話しています。
発見された書状は、今月24日から兵庫県たつの市の市立龍野歴史文化資料館で一般公開されます。

2927名無しさん:2021/04/08(木) 23:23:45 ID:NrdB.GxU0
いとし・こいし 兄弟の絆紹介 ワッハ上方で特別展
2021年4月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210408/20210408037.html

 大阪市中央区の大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)で、昭和から平成にかけて活躍した兄弟漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の足跡をたどる特別展が行われている。幼少期から、紫綬褒章をはじめ数々の勲章を授かり「上方漫才の至宝」と称された晩年まで、兄弟の絆を紹介している。

 同館では、「上方演芸の殿堂入り」した芸人を特別展で紹介しており、昨年10月から2カ月開催した故ミヤコ蝶々(ちょうちょう)展に続いての第2弾。同コンビは2004年に殿堂入りしている。

 「夢路いとし・喜味こいし 上方漫才を支えた兄弟コンビ展」と題した展示では、前コンビ名の「荒川芳博・芳坊」時代から、漫才作家の故秋田實氏が主催する若手漫才集団「MZ研進会」に参加し、現コンビ名に改名した後の活躍ぶりを当時のパンフレットや出番表、写真などで振り返っている。

 また、著作物から引用し、2人の漫才の考えや兄弟への思いを紹介している。

 企画を担当した同館の五味誠さんは「2人の漫才は、感情移入してしまう身近なネタだった。大人から子どもまで楽しめるネタを作るため、どのように漫才に取り組んできたのか、2人の人柄を合わせて見ていただきたい」と話している。

 入館無料。毎週月曜休館(月曜が祝日の場合は翌平日が休館)。

2928名無しさん:2021/04/10(土) 08:39:09 ID:NrdB.GxU0
壁一面に「龍」の字 北区・国分寺「花まつり」
2021年4月9日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210409/20210409024.html

 大阪市北区の真言宗国分寺派大本山国分寺で8日、お釈迦(しゃか)様の誕生を祝う伝統行事「花まつり」が行われた。堂内墓地が同日オープンし、新型コロナウイルス感染症収束祈願の初護摩と書道パフォーマンスも行われ、参拝者が神妙な表情で見守った。

 堂内墓地は、霊園墓石のヤシロ(箕面市、八城正明代表)が運営する「国分寺御廟(びょう)」。境内の会館を改修し、地上4階地下1階の施設に4千基の遺骨を収蔵する。

 護摩炊きは、近隣住民が記名した護摩木を合田和教管長と僧侶4人が読経しながら燃やし、書道家の真澪(しんれい)さんが壁一面に仏法の守護獣「龍」の字を書き入れる書道パフォーマンスを繰り広げた。

 初護摩を終えた合田管長は「(昨年の感染拡大当初は)コロナはただのコロナだった。それが時間がたち、人災が入ってきている。ごく普通に暮らし、守るべき常識を守り、手を合わせれば早期に収束するのではないか」と参拝者に語り掛けた。

 境内では、花見堂の仏様に甘茶をかけたり、花のアロマキャンドルを作るワークショップ、写経体験が行われた。

2929名無しさん:2021/04/12(月) 23:24:49 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子1400年忌法会 大阪・太子町の寺で始まる
2021年4月10日 14:59
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210410/20210410048.html

 聖徳太子を祭る廟がある大阪府太子町の叡福寺で「1400年御遠忌大法会」が、10日から始まった。5月11日まで関連行事が営まれる。

 近藤本龍住職は初日の法要で、仏教の興隆とともに「十七条憲法」や「冠位十二階」を制定した太子の功績をたたえるとともに、新型コロナウイルスの感染拡大が収まるよう願った。雅楽師の東儀秀樹さんは演奏を奉納した。参拝した大阪府富田林市の50代女性は「厳かですね」と話した。

 大法会の期間中、京都の知恩院や奈良の法隆寺、和歌山の金剛峯寺などから僧が赴き、法要を営む。

2930名無しさん:2021/04/17(土) 22:33:57 ID:NrdB.GxU0
人間国宝、吉田簑助さん今月引退 文楽人形遣いの第一人者
2021年4月15日 19:37
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210415/20210415143.html

 文楽協会(大阪市)は15日、人形浄瑠璃文楽の人形遣いの第一人者で人間国宝の吉田簑助さん(87)が、国立文楽劇場(同)で開催されている4月文楽公演の25日の千秋楽をもって、舞台を引退すると発表した。協会を通じ「人形遣いとして持てる力の全てを出し尽くしました」とコメントを出した。

 同協会によると、引退後の活動は未定としている。体調面での問題はないという。

 吉田さんは大阪市出身。1940年に吉田文五郎に入門し、61年に吉田簑助を襲名。94年に人間国宝に認定され、2009年に文化功労者、12年に日本芸術院会員となった。

 女形で高い評価を獲得した。

2931名無しさん:2021/04/18(日) 11:16:47 ID:jqEGNHaE0
「言われるがままに次々とハンコを…」大阪の名刹「正圓寺」 悪名高き “事件屋”に乗っ取られ解体寸前
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a05f7aa1f01d9f7e3e3c866926f6f2abca77ad0?source=pc-detail-subcolumn

 ナニワの名刹が乗っ取られ、解体される危機に瀕している。

 大阪市阿倍野区の聖天山(しょうてんやま)に建つ真言宗「正圓寺(しょうえんじ)」は、遡ること千年前の平安時代に開基され、「おおさか十三仏霊場」にも列せられる由緒正しき寺院。地元では親しみを込め、「天下茶屋の聖天さん」と呼ばれている。

 ところが、目下、15代目住職の脇の甘さも一因で、名うての「事件屋」らの介入を招き、千年の歴史も無に帰すことになりかねない状況なのだ。

 当の辻見覚彦住職その人が、事の顛末を明かす。

「きっかけは、寺の敷地内に特養老人ホームを建設しようとしたことでした。父親の代に計画は立てられていたのですが、“聖天山古墳”という史跡に指定されているので開発許可が下りなかった。しかし、“橋下市政”の規制緩和で、鉄筋コンクリート造りの建物でも建設可能になりました」

2932働き方改革:2021/04/24(土) 07:21:31 ID:m.mdbzyo0
※新型コロナウィルス感染拡大防止!
煙草の販売!、喫煙禁止! 既設の喫煙所の撤去解体。

新型コロナウィルス感染の騒ぎが終息するまで。

「コロナ重症化の背景はタバコ?」志村けん死去でテレビが伝えにくい”真実”
多くの人々に愛された志村けんのあまりにあっけない死。死後に遺体が近親者が触れることもできないまま袋づめされて荼毘に付されたことは改めて新型コロナウイルスの怖さを思い知らせることになった。

 志村けんの死で新型コロナウイルスがどのようにして肺に炎症を起こしていくのかが注目されている。

 各テレビ局の情報番組などでは3月31日の放送でそのプロセスをくわしく説明していたが、

喫煙の習慣との新型コロナ重症化の関係が注目された。 
 以下、主な番組でこの点についてどのような説明があったのかを見てみよう。

ヘビースモーカーだった一面を指摘したフジテレビ『とくダネ!』
 番組では52歳当時の志村けんのインタビュー(2002年4月23日『とくダネ!』)映像を放送。そのなかで志村がインタビューの最中にタバコをくゆらせる場面もあったのが印象的だ。

 志村けんの兄・知之さんは「4年前に肺炎になってからお酒もだいぶ減らしてタバコも1日3箱吸っていたのが全然吸わなくなった」と話していた。

※検索!「志村けん 死因」

2933名無しさん:2021/04/24(土) 22:20:27 ID:NrdB.GxU0
万部おねりコロナ自粛 平野・大念仏寺
2021年4月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210424/20210424034.html

 大阪市平野区の融通念仏宗総本山大念仏寺は、新型コロナウイルス禍を受け、5月1〜5日の伝統行事「万部(まんぶ)法要」を職員のみで行う。

 期間中は万部おねり、伝供(でんぐ)を自粛するほか、各種イベントや布教、境内の出店を中止し、朱印、物品販売のみ行う。

 万部おねりは「二十五菩薩聖聚(ぼさつしょうじゅ)来迎会」と「阿弥陀(あみだ)経万部会(え)」が融合した伝統行事で、境内で二十五菩薩が現世から極楽浄土に導く来迎の様子を厳かに再現する。2002年度に大阪市指定無形民俗文化財となった。

2934名無しさん:2021/04/25(日) 01:31:43 ID:jqEGNHaE0
「なぜこの時期に?」強行した岸和田だんじり入魂式に地元から困惑の声
https://news.yahoo.co.jp/articles/9959ec9cc7c66196a233782d820261db4c054169

 4月11日、大阪府岸和田市で「だんじり」の入魂式が行われたことがネットで拡がり、物議を醸している。

⇒【写真】コロナ禍になり、めっきり人が減ったという岸和田の商店街

 入魂式とは新調したり修理した「だんじり」に魂を入れる行事のことで、この日は2年前に破損して修理した「だんじり」に魂を入れ、街中で曳行してお披露目された。その「だんじり」を見ようと集まった人や引き手たちが密になっている様子がSNSを通じて拡散されたのである。

 これに対してネットでは「コロナ禍でも決行してくれて嬉しい」や「自粛一辺倒の生活の中、よくやってくれた」という声が上がる一方で「なぜこの時期に?」という批判的な意見も多く見られた。なお、だんじりの本祭は毎年9月に行われているが、昨年は新型コロナウイルスの影響を受け、だんじりの曳行を自粛している。コロナ感染拡大の第3波、第4波といわれる中で入魂式を行ったことに対し、地元の住民はどう思っているのか。現地で声を聞いてみた。

これでコロナが増えたら岸和田には誰も来なくなる……
 岸和田駅に到着したのは「入魂式」が行われた5日後の夕方、入魂式の影響でさぞ盛り上がっているのでは……と駅前商店街に足を運んでみるも、客足はほとんどなく静まり返っていた。まずは、商店街周辺で話を聞いてみた。

「入魂式では感染対策としてマスクやアルコール除菌ボトルを用意して、だんじりへの声援は自粛するよういわれていました。それでもかなり密になっていたし、だんじりの綱を曳く青年団の中にはマスクをしていない人もいました。見物人も顎マスクで話している人をたくさん見かけましたね。

 祭りの総括責任者は毎年順番で決まるのですが、昨年も今年も中止となったら来年以降の参加者が減ってしまうし経済効果も期待してやらざるを得なかったという話を聞きましたね。特に最近は祭に参加する若者が少子化とか、『ケガするから危ない』と親から反対されて減少しているので、何とかしたいという気持ちは分かるのですがね……。

 入魂式が行われて、ネットでは一部『よくやってくれた!』なんて称賛の声もありましたが、近隣の私達からしたらたまったものではありません。市内のコロナ感染者は増加していて。入魂式が原因でこれから増えたら、岸和田には誰も来なくなってしまいますよ」

 入魂式を決行した英断よりも、その後の風評や感染拡大を気にした住民は少なくないという。特に商店は「岸和田はコロナの街」となれば、近隣からの買い物客は激減する。そのため、「勘弁してほしいわ」が本音だったとも。

入魂式の日は客に来てほしくなかった
 更に取材を進めると、近隣の飲食店からはこんな声を聞くこともできた。

「この辺はだんじりの曳行ルートなのですが、入魂式付近の日程をあえて避けるように休業している飲食店をわりと見かけました。特に昼カラオケやスナックでは入魂式後1週間までは休業するというところもありましたね。

 うちは飲み屋なので時短を守って営業はするけれど、入魂式があった日はなるべく客に来てほしくなかったというのが正直なところです。入魂式は朝からだったのですが、それでもだんじり好きな人は見物に行くんですよね。

 昼頃には町会や見物客が大人数で飲みに来たけれど、入店するときに『マスク会食でなるべく会話を控えてほしい』と言ったら帰っていきました。今でも、大人数の客はなるべく来てほしくないので食材を必要最低限しか仕入れないようにしています」

 時短営業で、ただでさえ厳しい状況の飲食店。もちろん、本音は客に来てほしい……のだが、この日ばかりは事情が違ったと苦しい胸の内を明かしてくれた。

入魂式の日は府外に出張という名の避難
 居酒屋にいた男性は今回の報道に対して次のような持論を述べた。

「入魂式は日曜日だったのですが、この辺りが密になることは分かっていたのであえて出張して府外に避難していました。ここ数日で岸和田市内の感染者が増加したこともあり、この周辺は商店街を見ても分かる通り出歩いている人はほとんど見かけません。

 今回はたまたま中之濱町の入魂式の様子がフォーカスされてしまいましたが、先月には別の町会がやっていましたし来月にも別の町会の入魂式があるのでまた批判されると思います。でも、大阪の緊急事態宣言解除がなければ入魂式自体も自粛していたと思うんですよね。今回は吉村さんの判断があまりにも甘すぎたのでは……とも思いますね」

 地元だからあまり大声では言えないが……と男性は口をつぐむが、想像以上に密になってしまった入魂式に対して地元からも避難の声は多いようだ。伝統を継承することも大切だが、今は非常事態ともとれる時期。なにか他の方法はなかったのだろうか。

2935名無しさん:2021/04/26(月) 23:01:38 ID:NrdB.GxU0
文楽 人間国宝の吉田簑助さん「引退」 81年の舞台生活に幕…最後の舞台では客席から大きな拍手
4/26(月) 19:46配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0c6ba670ba461b0fcd3ba3e27b54670a5dcea38

大阪の伝統芸能・文楽の人形遣いで人間国宝の吉田簑助さんが、24日、81年の舞台生活に幕をおろしました。

緊急事態宣言中の公演が中止となり吉田簑助さん(87)にとっては一日早い引退となりました。

簑助さんは6歳から81年にわたり人形遣いとして活躍、人間国宝にも認定されました。

98年には脳出血で倒れ、言語障害が残りましたが、舞台に立ち続け、文化功労者にも選ばれました。

出演後、一番弟子の桐竹勘十郎さんが簑助さんの言葉を代読しました。

「これからも文楽をどうぞよろしくお願いいたしします。皆さま、本当にありがとうございました」

三味線奏者で人間国宝の鶴澤清治さんから花束を受け取った簑助さんは、目を潤ませながら「ありがとう」と応じていました。

最後の舞台を終えた簑助さんに対し、客席からは大きな拍手が送られました。

関西テレビ

2936名無しさん:2021/04/30(金) 00:13:50 ID:NrdB.GxU0
江戸時代に絵師が落書 大阪・叡福寺、年代や名前
2021年4月30日 0:02
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210430/20210430001.html

 大阪府太子町教育委員会は29日、叡福寺の多宝塔(同町、国重要文化財)の内部で江戸時代前期に彩色した絵師が自身の名と制作年を記した落書が見つかったと発表した。同寺は聖徳太子の墓とされる叡福寺北古墳があることで知られる。

 町教委によると、社寺などの建造物の彩色は制作年代や絵師名の分かる事例が少ないが、落書の年代から彩色の年代が判明、江戸時代前期の建造物がどのような色で塗られていたかを知る手掛かりになるとしている。

 墨書の落書は西側上部の長押の裏側に3行に分けて「よしおか 二郎吉かたミ 承応二天六月吉日」と記されていた。

2937名無しさん:2021/05/01(土) 23:30:01 ID:NrdB.GxU0
伝統の工程、鮮やか実演 上方浮世絵館
2021年4月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210430/20210430026.html

 浮世絵制作の実演や体験をする催しが29日、大阪市中央区の上方浮世絵館で開かれた。同館の開館20周年を記念し、新型コロナウイルス感染拡大の対策を講じた会場で実施。伝統技術を受け継いだ専門家が刷る工程を披露し、5色の色彩豊かな作品を仕上げていた。

 同館は、上方浮世絵を常設展示する私設美術館。上方の歌舞伎や浮世絵にゆかりの深い大阪・道頓堀で2001年4月28日に開設した。上方浮世絵は、江戸後期から明治初期まで、主に大坂で作られていた浮世絵版画。地元の歌舞伎芝居を描いた役者絵が多く、美化しない人間味のある描写が特徴という。

 浮世絵の実演は、市村一房堂四代目の摺(すり)師、古川元偉さんが披露。富士山を背景に、波間を舟が進む「冨嶽(ふがく)三十六景 神奈川沖 浪裏」を現代風に5色で制作した。

 色を付けたい部分が凸状になった木版の上に、絵の具を塗り、紙を載せて馬連で刷り込む作業を5回実施。濃淡をつけるぼかしの技術も駆使した。

 実演後は、体験会も実施。参加者が丁寧に作業に臨む姿が見られた。

 同館の高野征子館長は「『継続は力なり』の言葉を念頭に置き、今後も上方浮世絵の魅力を伝えていきたい」と話していた。

2938名無しさん:2021/05/05(水) 22:06:39 ID:NrdB.GxU0
豪商・淀屋 実像迫る 研究会設立15周年で新資料集
2021年5月5日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210505/20210505032.html

 “天下の台所・大坂”の基盤を築いた江戸期の豪商・淀屋。北浜に米市場開設や「淀屋橋」架橋といった多くの偉業と歴史を顕彰する人々の集い「淀屋研究会」(大江昭夫代表)が昨年設立15周年を迎え、記念事業として資料集の総集編を発刊した。10年がかりで編集した淀屋の実像に迫る内容で、会員をはじめ歴史愛好家の注目を集めている。

 大阪市内中心部を流れる土佐堀川に架かる「常安(じょうあん)橋」にその名が残る淀屋初代・常安は、中之島一帯の開拓に尽力したことで知られる。2代・言當(げんとう)の時代に米市場を確立、発展させるも、5代・廣當(こうとう)の時代の1705(宝永2)年、幕府によって全財産を没収される闕所(けっしょ)処分、所払いとなった。

 しかし、闕所以前にのれん分けしていた淀屋番頭の牧田仁右衛門が、現在の鳥取県倉吉市に「牧田淀屋」を開店。後年に子孫が再び大坂で「淀屋」を開店させた、といった劇的なドラマがある。

 同研究会は、闕所から300年に当たる2015年当時、倉吉市大阪事務所長だった伊藤博章さん(故人)を初代代表に設立した。活動として、月例会や淀屋ゆかりの地を訪ねるフィールドワークに取り組むほか、大阪と倉吉の交流にも注力。一般対象イベントとしては、秋恒例の「船場まつり」(実行委)の一環で講演会を開き、毎年好評を得ている。

 今回の「淀屋関連資料集総集編」(220ページ)は、同研究会が11年以降に発刊した複数の資料をベースに、以後の研究で判明した内容を加筆、改訂してまとめた。淀屋の歩みや家系、文化人との交流、大阪市と谷町と京都・八幡市に残る菩提(ぼだい)寺などを詳しく解説している。

 3代目代表を務める大江さん(70)は「次代に見てもらえる一冊を残したかった。闕所処分で滅びたゆえに現存資料が極めて乏しい中、ようやく完成した」と、発刊までの道のりを振り返る。

 現在の会員数は約70人。昨年来の新型コロナウイルス禍で、月例会をはじめあらゆる活動に支障が出ているが、「100人を目標に会員を増やし、より多くの人に『淀屋』を知ってもらいたい」と意欲を燃やす。

 ◇「総集編」は2千円。初心者向けの資料「淀屋物語〜10分で分かる入門の入門編」(切手代140円で頒布)も用意。問い合わせは電話090(3263)4108、大江代表。

2939名無しさん:2021/05/17(月) 23:08:22 ID:NrdB.GxU0
聖霊院絵堂を22日特別公開 四天王寺
2021年5月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210517/20210517032.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は22日、聖徳太子を祭る境内・聖霊(しょうりょう)院(太子伝)絵堂で、太子の生涯を描いた壁画を特別に一般公開する。拝観無料。

 新型コロナウイルス対策として、一度に入堂できる人数は15人まで。午前8時半〜午後4時半。閉堂後は同寺僧侶がオンラインで絵解き説法(約30分間)を配信する。

 21、22両日の月例の露店出店は、緊急事態宣言延長を受けて中止する。供養と祈とうは通常通り行う。

 21日(大師会)は弘法大師、22日(太子会)は聖徳太子のそれぞれ月命日で、古来「お大師さん」「お太子さん」の通称で多くの市民に親しまれている。

2940名無しさん:2021/05/19(水) 22:34:41 ID:NrdB.GxU0
日本三大祭りで一番多くの観客を集める天神祭、今年も残念ながら規模を縮小しての開催です。

大阪 天神祭 花火や船渡御ことしも中止 陸渡御は一部実施へ
05月19日 18時08分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210519/2000045824.html

例年7月24日と25日の2日間、開催され、大阪の夏を代表する祭り、「天神祭」について、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で去年に続きことしも多くの人が集まる行事を一部中止とすることが決まりました。
花火や多くの船が川を行き交う船渡御はことしも中止になるということです。
一方、まちを練り歩く陸渡御については人数をおよそ3000人から50人ほどに減らしたうえで、一部、実施し、観客が集まらないよう詳しい時間を事前に周知しないとしています。

大阪 生國魂神社 夏祭りの「渡御列」 2年連続で中止決定
05月19日 19時58分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210519/2000045831.html

大阪の三大夏祭りのひとつ、生國魂神社の夏祭りは、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、大阪城までみこしを担いで練り歩く行事が2年連続で中止となることが決まりました。

大阪・天王寺区の生國魂神社の夏祭りは、平安時代から続く伝統行事で、例年、7月上旬に行われてきました。
この祭りの中心的な行事は「渡御列」と呼ばれ、大阪城までの道のりをおよそ500人の氏子や高校生などがみこしを担いで練り歩きます。
神社では新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、この行事を去年に続き中止することを決めました。
本殿などで行う神事については、一般の参列者は入れず神職など関係者のみで執り行うということです。

2941名無しさん:2021/05/24(月) 22:21:54 ID:NrdB.GxU0
「結縁綱」復元へ 100年ぶり 資金支援募る
2021年5月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210524/20210524030.html

 今年は聖徳太子没後1400年の節目。太子創建で、日本仏法最初の官寺として知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)は、100年に1度の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌」記念として、さまざまな事業に取り組んでいる。このうち1921(大正10)年の「千三百年御聖忌」でも行われた「結縁綱(けちえんづな)」を復元する一大プロジェクトが進行中。文字通り、多くの縁を結ぶよう目標金額500万円のクラウドファンディング支援を呼び掛けている。

 結縁綱に関する詳しい資料は現存しないが、鳥取出身の日本画家・菅楯彦(1878〜1963年)の作品に、五重塔や境内の諸堂が綱でつながった光景が細やかに描かれている。

 同寺では、かねて結縁綱と支柱「結縁柱」の設置を計画していた。新型コロナウイルス禍にあって、大々的に参詣者に寄進を募ることが困難な状況下だが、同区の近鉄グループの広告会社、アド近鉄から、沿線活性化を目指す新たなクラウドファンディングサービス「エールレール」の提案があり、双方の思惑が一致、プロジェクト始動の運びとなった。

 復元する綱は鮮やかな5色で、聖霊(しょうりょう)院に祭られている本尊・聖徳太子像の御手(みて)から空中に延び、五重塔、金堂、講堂、仁王門、六時堂とをつなぐ。総延長は約350メートルにもおよび、途中の3カ所に高さ約7メートルの結縁柱を設置。参詣者が綱や柱に触れることで、太子との縁を結ぶことができるという趣意だ。

 御聖忌は10月から来年4月まで続き、法要が中心となる。同寺参詣課の河邊啓法さんは「コロナ禍で参詣者がお堂内に参列できない現状では、お寺や法要、僧侶との距離が離れがちになる。皆さんが綱や柱に触れることによってご縁を結んでいただき、距離が縮まるという点で大変意義深い」と大きな期待を寄せる。

 クラウドファンディングは11日にスタートし、出足は好調。8月8日まで募集する。支援額は5千円からで、返礼品としては御聖忌終了後に回収し、ループ状に加工した「結縁綱」(きり箱入り)の実物をはじめ、金額に応じて複数の品々や組み合わせが用意されている。支援は同寺、同社のホームページで。

2942名無しさん:2021/05/24(月) 22:30:38 ID:NrdB.GxU0
戦前の建築特徴、今に 大規模化の過程示す史料
2021年5月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210522/20210522022.html

 大阪市浪速区の旧松坂屋大阪店(現・高島屋東別館)が21日、国の重要文化財(重文)として指定されることになった。同別館は2019年に国の登録有形文化財に指定されているが、今回の答申で戦前期に最も繁栄した商業地区、堺筋の都市景観を形成した歴史的建造物として、さらに高い評価を受けた形になる。

 同別館は、明治末から昭和前期にかけて、数多くの銀行などの設計を手掛けた鈴木禎次(1870〜1941年)の代表作。

 外観の1階から2階にかけ、下層部に11連のアーチを並べ、半円部分にテラコッタ彫刻を施している。内部の大階段やエレベーターホールなどには大理石がふんだんに用いられ、豪華な空間を醸し出している。

 創建当初の大規模商業建築の特徴も有している。2カ所の避難専用階段や消火栓などが設置され、全館に向けた冷暖房設備、エレベーターなどの当時の最新機器が一部保存されている。

 豊かな装飾を施した細部意匠や平面計画、建築設備、防火対策を入念に施すなど、百貨店建築の大規模化の過程を知る上で貴重な建物として、重文指定基準の「歴史的価値の高いもの」と評価された。

 高島屋大阪店では「歴史的、文化的な価値を評価していただき、このたびの重文指定の運びとなったことは大変ありがたい」とコメントを寄せた。

2943名無しさん:2021/05/29(土) 01:55:21 ID:NrdB.GxU0
歌舞伎俳優 人間国宝 片岡秀太郎さん死去
05月27日 12時26分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210527/2000046258.html

上方歌舞伎を代表する女形として活躍した、人間国宝の歌舞伎俳優、片岡秀太郎さんが、今月23日、慢性閉塞性肺疾患のため大阪の自宅で亡くなりました。
79歳でした。

歌舞伎俳優の片岡秀太郎さんは、十三代目片岡仁左衛門の次男として大阪で生まれ、5歳の時に初舞台を踏みました。
昭和31年に二代目片岡秀太郎を襲名し、上方歌舞伎特有のはんなりとした芝居を受け継ぐ女形として、多くの舞台で個性的な役柄を演じてきました。
また、平成9年には関西で活躍する歌舞伎役者を育成する「上方歌舞伎塾」を開講するなど、後進の育成にも力を入れてきました。
おととし、いわゆる人間国宝に認定され、この春、旭日小綬章を受章しています。
松竹によりますと、去年12月の京都・南座での舞台が最後の出演となったということで、今月23日、大阪・吹田市の自宅で慢性閉塞性肺疾患のため亡くなりました。
79歳でした。

【片岡仁左衛門さんと片岡愛之助さんのコメント】。
片岡秀太郎さんの弟で、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さんは、「兄は当人の理想どおりの最期を迎えられ、安らかに旅立ちましたことが、私どものせめてもの救いでございます。生前、皆様から賜りましたご支援、ご厚情に深く御礼申し上げます」とコメントを発表しました。
また、秀太郎さんの養子となった片岡愛之助さんは、「父は私を歌舞伎の世界に、そして、松嶋屋に入れて下さった大恩人で有ります。普段はとても優しいのですが、芝居の事になるととにもかくにも厳しい方でした。上方にこだわり、上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」とコメントしています。

2944名無しさん:2021/05/29(土) 22:34:03 ID:NrdB.GxU0
300株、心に潤い 坐摩神社のアジサイ
2021年5月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210527/20210527022.html

 大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)でアジサイが見頃間近となり、色とりどりの花が境内の随所を飾っている。

 アジサイは北岡忠澄権禰宜(ねぎ)が、約20年前から挿し木で増やし続けており、現在は地植えと鉢植えの計約30品種、約300株を植栽。

 梅雨空の下で白色のカシワバアジサイやアナベルのほか、色彩豊かなマジカルなどが豪華に咲き誇り、参拝者の目を楽しませている。

 北岡権禰宜は毎年、鉢植えの位置などを工夫しながら装飾。「新型コロナウイルス禍で落ち着かない情勢が続いているが、お参りに来られた方の気持ちが少しでも和んでもらえれば。いずれは心ゆくまで花を観賞していただけるよう、事態の早期収束を願いたい」と話した。花は6月中旬まで楽しめる見込み。

2945名無しさん:2021/05/29(土) 22:57:08 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭が平日公演再開、大阪 なんばグランド花月も
2021年5月29日 18:40
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210529/20210529089.html

 上方落語協会(大阪市)は29日、大阪府が新型コロナ緊急事態宣言期間中の演芸場や劇場などへの要請を緩和させたことを受け、上方落語の定席「天満天神繁昌亭」(同市)の平日の公演を6月1日から再開すると発表した。宣言期間の同20日まで土日は休館し、平日も午後9時までに終演する。全216席のうち使用は102席のみとする。

 吉本興業も29日、「なんばグランド花月」「よしもと漫才劇場」「森ノ宮よしもと漫才劇場」(いずれも大阪市)の3カ所で6月1日から平日に観客を入れた公演を再開すると発表した。

 「よしもと祇園花月」(京都市)は観客を入れた公演の再開を見送る。

2946名無しさん:2021/06/02(水) 21:53:51 ID:NrdB.GxU0
上方落語「天満天神繁昌亭」再開 にぎわい取り戻す一歩
06月02日 18時42分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210602/2000046582.html

1日から緊急事態宣言が再延長されたことに伴い、無観客での開催が要請されていた劇場などは平日、定員の半分まで客を入れての営業が可能になりました。
営業を休止していた上方落語専門の寄席「天満天神繁昌亭」も再開。
以前のにぎわいを取り戻すための一歩を踏み出しました。

2947名無しさん:2021/06/02(水) 23:19:52 ID:NrdB.GxU0
家康、豊臣秀次宛ての新たな書状 「伊達政宗は味方」と伝達
2021年6月1日 17:31
https://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/210601/20210601084.html

 静岡市は1日までに、徳川家康が豊臣政権下で秀吉のおい、秀次に宛てた書状が新たに見つかり、原本を入手したと発表した。ともに東北地方の平定を担っていた秀次に「伊達政宗は味方」との情報を伝える内容。

 市によると、書状は1590年12月8日付。北条氏を攻めた小田原合戦後、家康が秀吉の命で居城を駿府(現在の静岡市)から江戸に移した時期に当たる。

 当時は東北で一揆が起き、伊達政宗の関わりがうわさされていた。書状では一揆鎮圧に当たった浅野長吉(のちの長政)から報告を受けたとして「政宗の動向が分からないとのことだったが、味方であるのは間違いない」と記されている。

2948名無しさん:2021/06/05(土) 20:28:48 ID:NrdB.GxU0
大阪とは 日ノ本の中心 である。
そう言っても良いぐらいに芳醇な歴史を持つ場所なのであります。
だから大阪の人間は大阪に対してもっと自信を持っていい。

来年生誕500年、「最初の天下人」の顕彰碑
6/5(土) 19:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a54cf5312e1d420c238067a0848d1fe6978893a0

戦国時代に織田信長らに先駆けて近畿一円を支配し、<最初の天下人>とも呼ばれた武将・三好長慶(1522〜64年)が来年生誕500年を迎えるのを前に、長慶が本拠とした大阪府高槻市で、市民グループが顕彰碑を建立した。地域住民や全国の歴史ファンらから寄せられた協賛金(約300万円)を活用。メンバーは「大きな功績を広く知ってほしい」と願う。

市民らでつくる「三好芥川城の会」(大和實会長、約150人)の顕彰碑建立委員会が制作。長慶の居城だった芥川山城跡の麓にある摂津峡公園の桜広場に設置し、市に寄贈した。

 完成した石碑は高さ約2メートル。鎮座する座像は、長慶の菩提(ぼだい)寺である聚光院(京都市)に伝わる重文の肖像画に倣った。台座には、聚光院の小野澤虎洞(こどう)住職が揮毫(きごう)した「文武両道 理世安民」の文言が刻まれている。理世安民は「道理を持って世を治め、民を安心させる」という意味で、長慶の信条という。

 長慶は1553年に芥川山城に入城し、飯盛城(大東市、四條畷市)に移る60年まで居城とし近畿などを支配した。当時の長慶は権勢の絶頂期で、「三好政権」と呼ばれることもある。

 長慶の死後、三好氏は織田信長に敗れた。歴史上の人物としてあまり注目されてこなかったが、高槻市の市民有志が2002年に三好芥川城の会を設立。「高槻まつり」に武者行列を繰り出し、大東市や生誕地の徳島県三好市といった長慶ゆかりのグループと連携するなどして、長慶の功績や歴史を伝えてきた。

 一方、高槻市内には長慶を顕彰する像が1基もなかった。市ゆかりの戦国武将としては、長慶の死後に高槻城主となったキリシタン大名・高山右近が、ローマ法王庁から「福者」の敬称を与えられるなど広く知られ、市内に像が3基設置されている。

 三好芥川城の会は昨年2月に建立委員会をつくり、資金集めなどの活動を始めた。新型コロナウイルスの影響で一時活動を自粛するなど難航したが、市内外から協賛金が集まり、制作が実現。5月23日の除幕式では、関係者約20人が完成を祝った。同委員会の堀孝会長(87)は「長慶は高槻の誇り。市民の手で顕彰碑を建立するのが、会員にとって長年の念願だった」と話している。

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2950名無しさん:2021/06/08(火) 22:02:05 ID:NrdB.GxU0
最近、豊臣秀吉sageな動きが目につきます。
明智光秀の末裔が唱える明智光秀超優秀説を際立てさせるために、ことさらに豊臣秀吉を極悪人かのように扱ったりしている。
また徳川家康ひいては徳川政権が優秀であり、豊臣秀吉や豊臣政権はダメだった、とする小説が夕刊紙で始まったり。
徳川政権260年と言うが、これは単純に西洋列強の技術進化がその間緩慢であったに過ぎなかったから徳川政権は260年続いたに過ぎないとも言えるのですがね。
それが証拠に幕末に西洋列強が怒涛の如く亜細亜に進出してくると、良く状況を判断し我が国が植民地になるのを防ぎはしたが、徳川政権は持ちこたえられなかった。
この西洋列強の動きが、もし八代将軍吉宗の頃にあったのであれば、やはり徳川政権はそこで終わっていたのではないかな。
何にせよ必要以上に持ち上げる事も押し下げる事もする必要はない。これから紹介するのは豊臣秀吉が行った良い事です。

「日本人の奴隷化」を食い止めた豊臣秀吉の大英断、被害者の数はなんと5万人
6/8(火) 15:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21

当初は織田信長の政策を継承し、日本でのキリスト教布教を容認していた豊臣秀吉。だが、後に「バテレン追放令」によって布教を禁ずるようになる。秀吉がキリスト教の布教を防ごうとした背景には、ポルトガル人による「奴隷貿易」があった。5万人の日本人が国外に連行されたという、その実態とは?  作家の新晴正氏による『謎と疑問にズバリ答える!  日本史の新視点』より一部抜粋・再構成してお届けする。

日本にキリスト教が伝わったのは、戦国乱世まっただ中の天文18年(1549年)に薩摩、今の鹿児島・祇園之洲に上陸したイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってであった。

 このザビエルからバトンを受け継ぐように永禄6年(1563年)、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスが来日すると、ときの権力者の織田信長から布教活動を許されたこともあって、京都や西九州中心にキリシタンが急増した。信長が本能寺で斃れた天正10年(1582年)ごろには全国で約15万人の信者がいたと言われている。

 この数字は当時の京都の全人口のほぼ半数に匹敵するものだった。その後、信長の後継者となった豊臣秀吉は最初こそ信長のキリシタン保護政策を踏襲したが、天正15年になり、突然手のひらを返すかのように「伴天連(ばてれん)追放令」を発する。伴天連とはポルトガル語で宣教師を意味するパードレが訛ったものだという。

 秀吉にはこのとき、布教や商用のために日本にやってくる西欧人に対し、どうしても許せないことがあったのだという。それは一体何だったのだろうか。

2951名無しさん:2021/06/08(火) 22:03:42 ID:NrdB.GxU0
 ■最初は布教を許していたが…

 秀吉は権力の座についた当初こそ、信長の政策を継承し、キリスト教の布教を容認していた。布教の裏にある西欧諸国との交易――いわゆる南蛮貿易にうまみを感じていたからである。

 この交易では鉄砲や火薬、中国製の生糸などが輸入され、日本からは主に銀、金、刀剣類などが輸出された。そんな信長以来のキリシタンの保護政策に対し、秀吉に見直すきっかけを与えたのが、天正14年(1586年)7月に秀吉自身が始めた「九州平定」だと言われている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=2

 九州平定といっても実質的には九州統一を目論んだ薩摩の島津氏と秀吉との争いだった。この合戦では島津軍は九州各地でよく善戦したが、いかんせん20万ともいわれる秀吉軍の前に次第に薩摩一国に追い詰められ、翌15年4月21日、ついに島津家当主義久は秀吉に和睦を申し入れている。

 その後、秀吉は薩摩にしばらく滞在して戦後処理をすませると、帰国の途につき、途中、博多に立ち寄った。史上有名な「伴天連追放令」はこの地で発令されたものだ。

 それは6月19日のことで、この日秀吉は、九州遠征に勝手に秀吉軍に同行していたポルトガル人でイエズス会の日本における布教の最高責任者であったガスパール・コエリョを引見すると、次のような四カ条からなる詰問を行っている。

 一つ、なぜかくも熱心に日本の人々をキリシタンにしようとするのか。

 一つ、なぜ神社仏閣を破壊し、坊主を迫害し、彼らと融和しようとしないのか。

 一つ、牛馬は人間にとって有益な動物であるにもかかわらず、なぜこれを食べようとするのか。

 一つ、なぜポルトガル人は多数の日本人を買い、奴隷として国外へ連れて行くようなことをするのか――という四カ条で、同時に秀吉はコエリョに対し追放令を突き付けている。

 この追放令が出されたことで九州各地や京・大坂にあったイエズス会の教会や病院、学校などが次々に破壊された。しかし秀吉が、交易やキリスト教の信仰自体を禁止したわけではなかったため、ほとんどの宣教師たちは九州などにとどまり、非公認ながら布教活動を細々と続けたことがわかっている。

2952名無しさん:2021/06/08(火) 22:04:57 ID:NrdB.GxU0
■西洋人が胸に秘めた「日本侵略」の意図

 さて、秀吉がなぜこの追放令を出したかだが、その理由の一つに、西欧人たちが胸に秘めた日本侵略の意図を読み取ったからだと言われている。宣教師コエリョが秀吉を博多で出迎えた際、自分が建造させた最新鋭の軍艦に秀吉を乗船させて、自分ならいつでも世界に冠たるスペイン艦隊を動かせると自慢半分、恫喝半分に語ったという。このとき秀吉は彼らの植民地化計画を瞬時に看破したのであった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=3

 もう一つ許せないのが、日本の大事な国土が西欧人たちによって蚕食され始めていることだった。

 たとえば、キリシタン大名の大村純忠は自分の領地だった長崎と茂木を、同じくキリシタン大名の有馬晴信は浦上の地をすでにイエズス会に寄進していたのだ。

 日本国の支配者たる秀吉にとって、いかに信仰のためとはいえ、外国人に日本の領土の一部を勝手に譲渡するなど言語道断の出来事だった。西欧人たちがそれを足掛かりとして領地を広げていくことは火を見るよりも明らかだったからだ。

 最初に宣教師を送り、続いて商人、最後に軍隊を送って国を乗っ取ってしまうという西欧列強お得意の植民地化計画が今まさに実行されようとしていたのだ。

 秀吉はそれを防ぐためには、キリシタン大名や宣教師たちの勝手な振る舞いに一日でも早く歯止めをかける必要があると考えたのである。

 さらに、秀吉がこの伴天連追放令を出した理由として、実はこれが最も大きかったのではないかと研究者たちの間でささやかれている理由がもう一つある。それこそが、先の四カ条の詰問にもあった、日本人の奴隷問題だった。

 日本人の貧しい少年少女が大勢、タダ同然の安さで西欧人に奴隷として売られていることを秀吉はこのたびの九州遠征で初めて知ったのだった。

 九州遠征に同行した秀吉の御伽衆の一人、大村由己は著書『九州御動座記』の中で日本人奴隷が長崎港で連行される様子を大要、次のように記録している。

■『九州御動座記』の記録

 「日本人が数百人、男女問わず南蛮船に買い取られ、獣のごとく手足に鎖を付けられたまま船底に追いやられた。地獄の呵責よりひどい。──中略──その上、牛馬を買い取り、生きながら皮を剝ぎ、坊主(宣教師を指す)も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼下に広がっている……」

 同胞の若者たちが鎖につながれて次々と南蛮船に押し込まれていく光景は大村由己にとってはこれ以上ないカルチャーショックだったに違いない。

2953名無しさん:2021/06/08(火) 22:06:08 ID:NrdB.GxU0
 何とも酷たらしい場面だが、当時の海外に出た西欧の商人にとって有色人種の奴隷交易はなんら恥じることのない商取引だった。これはそもそも、1452年にローマ教皇がポルトガル人に対し異教徒を奴隷にしてもよい、という許可を与えたことが根底にあるという。

 なお、牛馬の肉を手づかみで食べるというのは、西欧ではこの当時、食事にフォークやスプーンを使う習慣がまだ定着していなかったからだ。ルイス・フロイスも日本人が器用に箸を使って食事する様子を驚きをもって本国に伝えている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/18eb9427a939883a22f35c495b73131d05897f21?page=4

 大村由己は自分が目撃したことを秀吉に報告したところ、秀吉は激怒し、さっそく宣教師コエリョを呼びつけ、なぜそんなひどいことをするのかと詰問した。するとコエリョは、「売る人がいるから仕様が無い」そうケロッとして言い放ったという。

 この言葉からも、こうした日本人奴隷の交易にキリシタン大名たちが直接的にしろ間接的にしろ何らかの形でかかわっていたことは間違いないだろう。

 海外に連行されていった日本人奴隷は、ポルトガル商人が主導したケースがほとんどで、その被害者はざっと5万人にのぼるという。彼ら日本人奴隷たちは、マカオなどに駐在していた白人の富裕層の下で使役されたほか、遠くインドやアフリカ、欧州、ときには南米アルゼンチンやペルーにまで売られた例もあったという。

 この5万人という数字に関してだが、天正10年にローマに派遣された有名な少年使節団の一行が、世界各地の行く先々で日本の若い女性が奴隷として使役されているのを目撃しており、実際にはこの何倍もいたのではないかと言われている。

 こうした実情を憂慮した秀吉はコエリョに対し、日本人奴隷の売買を即刻停止するよう命じた。そして、こうも付け加えた。

 「すでに売られてしまった日本人を連れ戻すこと。それが無理なら助けられる者たちだけでも買い戻す」といった主旨のことを伝えている。

 その一方で、日本国内に向けてもただちに奴隷として人を売買することを禁じる法令を発している。こうして秀吉の強硬な態度がポルトガルに対し示されたことで、日本人奴隷の交易はやがて終息に向かうのであった。

2954名無しさん:2021/06/08(火) 22:08:19 ID:NrdB.GxU0
 もしも秀吉が天下を統一するために九州を訪れていなかったら、こうした当時のキリスト教徒が持つ独善性や宣教師たちの野望に気づかず、日本の国土は西欧列強によって侵略が進んでいたことだろう。秀吉はその危機を瀬戸際のところで食い止めたわけである。

■日本史の新視点

 慶長元年12月19日(1597年2月5日)、スペイン船サン・フェリペ号の漂着をきっかけとして、スペイン人の宣教師・修道士6人を含む26人が長崎で処刑された。これはポルトガルよりも露骨に日本の植民地化を推し進めてくるスペインに対する秀吉一流の見せしめであった。

 ともすれば現代のわれわれは秀吉に対しキリシタンを弾圧した非道な君主というイメージを抱きがちだが、実際はこのときの集団処刑が、秀吉が行った唯一のキリシタンへの直接的迫害であった。それもこのときはスペイン系のフランシスコ会に対する迫害で、ポルトガル系のイエズス会に対しては特に迫害というものを加えたことはなかった。

 ここまで見てくると、当時の秀吉は日本の為政者として領土や国民の安全を守るために最善の選択をしたように思えてくるのだが……。



戦国最大のナゾ「豊臣秀吉」が朝鮮出兵した真相
名誉のためなのか、土地が欲しかったのか??
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related

これは日本史上の難問題。秀吉はいったいなにを考えて朝鮮まで出兵したのでしょうか。

昔から言われてきた説として、まずあげられるのが名誉欲。日本のすべてを手に入れてしまった秀吉は、言ってしまえば「思い上がっていた」。権力を手にした秀吉が、それに酔ってしまい、日本を征服した自分の力をもってすれば中国でも支配できると考えた。そして実際に大陸を目指す。

もともと、朝鮮を自分のものにしようと考えていたわけではありません。本来の目的は中国大陸です。中国を手に入れて天皇を移すと、そこまで考えていたのですね。もはや妄想に近いような構想ですが、それくらい思い上がっていた、という解釈です。

そしてもう1つ、これも昔からよく言われる説として「土地が足りなくなっていた」というもの。日本全国を攻め取ってしまった結果、家来たちに配分する土地がなくなった秀吉は、家来たちの期待に応えるために、新しい土地の獲得を目指したという説。

家康1人ですら苦労したのに…
最初の「思い上がり説」ですが、果たして人間は、そこまで思い上がれるものでしょうか。本当に秀吉は「日本を全部平定した俺なら、中国大陸も取れる」と考えていたのか。

しかし新刊『「失敗」の日本史』で述べたように、結局、秀吉は家康を潰せなかった。そもそも潰す以前に、家康を家来にすることだけでも相当に苦労しているのです。

豊臣秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営がぶつかった「小牧・長久手の戦い」の当時、もし総力をあげて戦えば、秀吉は家康に勝つことができただろうと思います。しかし彼の立場も繊細なバランスの上に成り立っていた。秀吉にしてみれば「ここで1つ下手を打ったら、今は一応、俺に従っている連中まで牙をむくに違いない。なるべく早く家康と手打ちをしよう」と考えていたはず。

2955名無しさん:2021/06/08(火) 22:09:18 ID:NrdB.GxU0
実際に早々と講和した秀吉が、家康を服従させるために目をつけたのが天皇の権威でした。それまでの秀吉は、もともと天皇や官職にまったく興味がなかった。しかし家康と講和するために、これは使えると目をつけたわけです。

https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=2

すると秀吉は、朝廷の伝統をことごとく破り、官職をもの凄いスピードで獲得し始めます。本来、朝廷には朝廷なりの官職を与える手順がある。これはつまり日本の学校教育として、小学校の次に中学校があり、さらにそこから高校、大学といった段階があるようなもの。

そこで秀吉は、朝廷の記録を改ざんするという荒業に出ます。朝廷には、昔から「何年に誰々がどういう官職に就いた」という『公卿補任』という史料、つまり朝廷の職員録があります。それを秀吉は改ざんし、前歴を詐称して、圧倒的な速度で太政大臣関白まで成り上がった。天皇の権威を利用して、ようやく家康を屈服させることができたのです。

言い換えれば、家康たった1人を屈服させるためにそこまで苦労した。その大変さを秀吉もよくわかっていた。もちろん家康以外、たとえば長宗我部を倒した際も、島津を討った際も、それなりに苦労している。平定、征服というものが、それほど簡単ではないことぐらい、秀吉もわかっていたと思います。

その秀吉が、自らの名誉欲のためだけで、中国にまで手を伸ばそうとするものでしょうか。あれほど慎重だった秀吉が。僕には、そこがわからない。豊臣秀吉の影武者が存在し、どこかで入れ替わっていたのなら、まだしも納得できるのですが。

推測その1「世界を知らなかったのでは」
たとえばの話ですが、世界地図をまだ見ていなかった、ということはあるでしょうか。中国を、それこそ日本の四国くらいに考えていたのなら「よし、じゃあ行こうか」という話にもなる。しかし宣教師が持ってきた地図ぐらいは見ているでしょうし、いかに中国が広大かも、いくらなんでも知っていたはず。

実際のところ、秀吉は「中国は皇帝と官僚が治めている国。つまり基本的に貴族、長袖の連中しかいない」と理解していたようです。それも間違いではないのですが「つまり武力は弱い」という感覚でいたらしい。だとしても、中国の国土はとんでもなく広い。征服するのは決して簡単ではないと、それはわかっていたでしょう。

だから名誉欲に駆られ、思い上がって、朝鮮、中国の迷惑も顧みずに兵を送ったという説明はどうだろうと思うわけです。

2956名無しさん:2021/06/08(火) 22:10:04 ID:NrdB.GxU0
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=3

もう1つ、家来に与える土地を獲得するため海外へ出兵した、という説もよく耳にします。こちらはこちらで、秀吉という人が、果たしてそこまで家来思いだったとも思えないのです。

確かに家来にきちんと恩賞を与えないと、豊臣政権が安定しないという事情はあったのかもしれない。しかしそれを言うのであれば、繰り返しとなりますが、総力を挙げて家康を潰したほうが、よほど豊臣政権は安定したし一石二鳥ではなかったのか。

しかも日本の武士に、言葉も通じない土地を征服して支配するノウハウはありません。海の向こうの土地を与えられても、実際にどう治めたらいいのか。甲子園初出場の高校は多くの場合、1回戦で負けてしまいますが、それは実力と言うより、常連校に比べて甲子園で戦うノウハウが蓄積されていないためではないでしょうか。

これがたとえば中国の異民族、モンゴルや満州族のような北方の異民族が中国を支配するのであれば、歴史の中で蓄積してきたノウハウを持っています。しかしノウハウどころか外国と戦った経験さえない自分たちが、海の向こうの土地を征服して、支配していく。現実として秀吉がそれを構想していたとは到底思えないのです。

推測その3「東シナ海貿易の権益を握ろうとしたのでは」
 結論。では秀吉はなぜ朝鮮出兵をしたのでしょうか?

それは、東シナ海貿易の権益を握ろうとしていたのではないか。これは東北大学名誉教授の平川新先生が出された解釈なのですが、僕はこちらが今のところ、いちばん納得できる説だと思います。

当時はいわゆる大航海時代。ヨーロッパ諸国の船が東シナ海まで来て、貿易を行っていた。その貿易の主導権を握りたい。そうした織田信長以来の思惑が秀吉にもあったのではないでしょうか。

傍証的なことを言うと、秀吉はもともと土地よりも、経済を重視するタイプでした。たとえば徳川に与えた領地は250万石。しかし豊臣は220万石しか持っていない。その代わり秀吉は、日本全国の港や金山、銀山を持っていた。秀吉は金の重要性をわかっていたのです。言ってみれば、かつて明との貿易を行った室町幕府的な感覚を持ち合わせていました。

そういう面から考えると、当時の南蛮貿易、ヨーロッパとの交易に秀吉は目を向けていたのではないでしょうか。その貿易の主導権を取りたい。しかし入り口で外国との交渉を間違えてしまい、結果として出兵することになった。そういうことだったのではないでしょうか。

2957名無しさん:2021/06/08(火) 22:11:49 ID:NrdB.GxU0
https://toyokeizai.net/articles/-/417735?page=4

玄界灘を渡った日本軍は、ふいを突いたので、まあ当たり前といえば当たり前かもしれませんが、半島の北まで快進撃を続けます。ところがそこで明の援軍がやってきた。まあでも、長袖の国の兵だし弱いだろう、などと思っていたら、彼らは荒くれものの異民族とのバトルを経験してきた軍隊。とても強かった。

日本軍も簡単には勝てなくなり、勝ったり負けたりの膠着状態に陥る。加えて朝鮮の民衆たちも立ち上がり、補給線が維持できなくなってきた。そうなると、これはもう泥沼の戦いになる。知らない土地を征服するノウハウがまったくない状態で始めた戦いですから、そうしたところで準備のなさが出てしまった。

何のために戦うのか目的がハッキリしなかった
九州や関東を平定するのとはわけが違う。そうした状況を考えないまま開戦したのは秀吉の完全な失敗です。

そもそも秀吉は「この戦争はなんのために戦うのか」という目的を、きちんと掲げることができていなかった。海を渡った諸将たちも「いったいなにをすればいいんだろう」という心境だったはず。

昔の秀吉なら「これはうまく行かない、引くべきだ」と考えた時点で、早々に手を引くことができたと思います。しかしやはり、秀吉も権力者としてかなり思い上がっていたのか「なんだ。俺に逆らうのか」といった感じで引けなくなっていた。

明と講和を結んだときも「なにかおいしいことがあるだろう」と思っていたら、明のほうから言ってきたのは「汝を日本国王に任命する」。そんなことは当たり前だと激怒し、再び出兵してしまう。もはや昔の秀吉とまるで別人になってしまった。そう感じます。

結局、朝鮮出兵について、まだ定説はない状況が続いています。研究も行われているのですが、現代では繊細な政治問題も関わってくる。なかなか難しいのが現状です。

2958名無しさん:2021/06/08(火) 22:49:06 ID:NrdB.GxU0
長柄橋南詰で慰霊法要 第3次大阪大空襲から76年
2021年6月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210608/20210608036.html

 太平洋戦争末期、1945年6月7日の「第3次大阪大空襲」から76年を迎えた7日、大阪市北区の長柄橋南詰の観音像前で、犠牲者の慰霊法要が執り行われた。新型コロナウイルス禍を受けて例年よりもやや縮小された中、参列者が手を合わせて犠牲者を悼んだ。

 76年前は米爆撃機や戦闘機など約550機が白昼に飛来し、同市北東部や豊中市などを空襲。旧長柄橋では橋の下や淀川河川敷に避難していた市民が米軍機の爆撃や機銃掃射の犠牲となり、推定で約400人が亡くなったとされる。

 法要は地元の正蓮寺(渡島正教住職)が、終戦直後から代々手掛けている。同寺にある愛の恵幼稚園、愛のめぐみ保育園の園児らも観音像前で手を合わせ、渡島住職の読経に続いて仏教賛歌「恩徳讃(おんどくさん)」をささげた。

 渡島住職は、園児に空襲の惨状や観音像の由来を説明。「戦争は悲しい出来事。一人一人が平和を忘れず、優しい気持ちを持ちながら、輝く命を大切に思ってください」と呼び掛けた。

2959名無しさん:2021/06/18(金) 23:37:41 ID:NrdB.GxU0
大阪 飯盛城跡が国の史跡に 戦国時代の山城 三好長慶が居城
06月18日 17時28分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210618/2000047289.html

大阪・大東市と四條畷市にまたがる飯盛山にあった戦国時代の山城、飯盛城跡が、新たに国の史跡に指定されることになりました。

飯盛城は、飯盛山の山頂一帯に築かれた山城で、戦国時代に畿内一円を支配した三好長慶が、居城としたことでも知られています。
城跡は、南北およそ700メートル、東西およそ400メートルの範囲に及び、大東市と四條畷市が、平成28年度から3年かけて調査を行った結果、詳しい城郭の構造のほか、城の全域に石垣が多用され、それらが良好に保存されていることや、瓦の利用などが確認されました。
国の文化審議会は、飯盛城が、戦国時代末期の重要な政治拠点や文化交流の場として機能していたことや、当時の城郭構造が良好に残され、山城における石垣の使用と、構築技術を示す貴重な事例であることなどを評価し、国の史跡に指定するよう文部科学大臣に答申しました。
大東市と四條畷市は、城跡の適切な保存を図るとともに、市民に郷土への誇りを持ってもらえるような活用事業に取り組んでいきたいとしています。
これで、大阪府内の国指定の史跡はあわせて70件となります。

2960名無しさん:2021/06/20(日) 20:52:41 ID:NrdB.GxU0
豊作祈り一苗ずつ 新田で氏子ら田植え
2021年6月18日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210618/20210618027.html

 平野区平野宮町の杭全神社(藤江正謹宮司)の神田(しんでん)で10日、田植えが行われた。約100平方メートルの田に藤江宮司や氏子、近隣住民ら10人が苗を植え、豊作を祈った。

 同神社では2011年から境内の南側に水田をつくり、神事に使う米を栽培している。昨秋はウンカによる虫害で例年の半分の30キロの収穫にとどまった。神田でつくられた米は神事や懸税(かけぢから)とよばれるお供えもの、参拝者に配られる「福の種」として使われている。

 この日は晴天に恵まれ、絶好の田植え日和。参加者は泥に足をとられながら、約30分かけて一苗ずつ丁寧に手植えした。藤江宮司は「今年は豊作となり、新型コロナウイルスで苦しんでおられる皆さんに少しでも多く福をおわけできれば」と話した。

 参加した歌手の中村美優さん(23)=同区=は「田植えは初めてで楽しかった。このような取り組みを続けておられる皆さんの姿勢に頭が下がる。ぜひ、稲刈りにも参加したい」と笑顔を見せた。

2961名無しさん:2021/06/23(水) 23:05:34 ID:NrdB.GxU0
住まい清め決意も新た 神童・柳生君「自宅清祓式」
2021年6月21日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210621/20210621022.html

 天神祭の神童に任命された柳生晃希君(12)=西天満小6年=の家をはらい清める行事「自宅清祓(きよはらい)式」が20日、大阪市北区内で執り行われた。柳生君は、大役を果たそうと気持ちを新たにしていた。

 神童は、7月24日の鉾流(ほこながし)神事で、船の上から堂島川に神鉾を流す重要な役割を担う。本人や家族らは、天神祭が終わるまで日々の礼拝や食べ物の制限などさまざまな取り決めを守って過ごす。

 昨年は、新型コロナウイルス禍の影響で神童関連の行事を見送ったが、本年は伝統の継承の観点から、対策を講じつつ運営。この日は、例年よりも人数を絞り、換気などにも配慮しながら斎行した。

 式には、祭りの神事を担う大阪天満宮の神職をはじめ、柳生君の家族や、神童に推薦した西天満連合神鉾講の関係者が出席。神職が室内に祭壇を設けて祝詞を読み上げ、各部屋を清めて回った。

 晃希君は「言葉遣いから気をつけ、決まりを守って本番に臨みたい」と決意を示し、父・勝敏さん(51)は「大変光栄な話。自分のできることを一生懸命やってほしい」と思いを込めていた。

2962名無しさん:2021/06/28(月) 22:41:10 ID:ylDuNnHU0
大阪三大夏祭り「愛染まつり」開催へ 今年は規模縮小
6/28(月) 16:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/53c1108f9d2bdcb9217a5adc8cf21b594b17028f

四天王寺の支院「愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日・7月1日、「愛染まつり」が開かれる。(あべの経済新聞)
愛染まつりは、天神祭、住吉祭と並んで大阪三大夏祭りの一つに数えられ、夏祭りの先駆けとして知られる。2018(平成30)年から、愛染娘らの「宝恵駕籠(ほえかご)パレード」や露店営業などは近隣住民に配慮して行っていない。

 今年も新型コロナウイルス感染症対策で規模を大幅に縮小する。例年は3日間だが2日間の開催とし、「愛染明王」「大日大勝金剛尊」の特別開帳、お守りや御朱印の授与を行う。愛染娘は公募ではなく、関係者から推薦された50人の中から5人を選んだ。愛染娘が宝恵駕籠に乗る「駕籠上げ」、四天王寺の僧侶による「夏越しの祓(はら)えの大法要」は一般公開せず、ツイキャスでの配信を予定する。

 同寺では今月27日、本年度の愛染娘が宝恵駕籠に乗るのを体験した。愛染娘の福本唯奈さんは「コロナで楽しくない時期だが、みんなで楽しい愛染まつりにして自分も楽しみたい」と話し、宝恵駕籠は「自分が持ち上がるのを初めて経験した。アトラクションみたい」と振り返った。

 開門時間は10時〜18時。

2963名無しさん:2021/06/29(火) 22:44:00 ID:NrdB.GxU0
東大阪・旧河澄家で「昔の道具展」 江戸時代の蔵公開、ゆかりの人物も紹介
6/29(火) 22:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/087caf2caa553f3fc0f20418841d5387a8e0bec7

東大阪市指定文化財「旧河澄家」(東大阪市日下町7、TEL 072-984-1640)の蔵で6月22日、企画展「昔の道具展」が始まった。(東大阪経済新聞)

展示会場の土蔵は5メートル×11メートル、切り妻造りの2階建てで、外側と内側に白漆喰(しっくい)が塗られており窓は6カ所。外からの光を最小限に抑える工夫がされている。江戸時代後期の「河澄家屋敷絵図」によると、この蔵は現在の位置になく、別の位置から動かされたものと考えられるという。蔵の公開は今回で4回目。

 同展では、河澄家の所蔵の品、約1200点のうち約110点を展示。手前のスペースでは、河内地方の庄屋の仕事、食、娯楽、生活に関連する所蔵品をまとめた。

 庄屋の役割として年貢の納入のほか、村人の健康管理などを行っていたことから、薬剤を砕く薬研(やげん)や薬だんすなどが並ぶ。食に関するものでは、祝い膳や重箱、弁当箱など、華やかな品も多い。娯楽に関するものでは、将棋盤や碁盤、百人一首や笛など、生活の品は、灯明道具や火鉢などを選んだ。

 奥のスペースでは、河澄家にゆかりのある人物に関する品を展示。富田林の豪商・杉山家に嫁いだ河澄家19代当主・雄次郎の娘・ナミの娘で、1882(明治15)年に生まれた石上露子(いそのかみつゆこ、本名=杉山孝)は、与謝野晶子や山川登美子らとともに「新詩社の五才女」と称された歌人。初恋の人に対するかなわぬ思いを詠んだ「小板橋」を発表した後、文学界から身を引いた。

 同展では、露子直筆の書や、露子が仲の良かったいとこの冬子に贈った杉材の小箱、冬子がその小箱にしまっていた鈴虫の姿が彫られた真竹製の帯留めなどを展示する。

 母屋西側に建てられた数奇屋風書院造りの建物「棲鶴楼(せいかくろう)」は、第15代当主・常之と親交が深かった国学者で文学者の上田秋成ら、文人が集う文芸サロンになっていたといい、秋成が目の療養で滞在した際にたしなんだ煎茶の道具や、棲鶴楼から枯山水庭園を眺めながら読んだ歌を紹介する。

 学芸員の道岡陸哉さんは「河澄家にゆかりのある人物を知ってほしい。コロナ禍の大変な時期なので、秋成のように棲鶴楼から庭を眺めていやされてほしい」と話す。

 開館時間は9時30分〜16時30分。月曜休館(祝日の場合は翌日)。入館無料。9月26日まで。

2964名無しさん:2021/06/30(水) 22:17:26 ID:NrdB.GxU0
大阪に夏の訪れ告げる「愛染まつり」始まる コロナで規模縮小
06月30日 12時04分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210630/2000047807.html

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が30日から始まり、浴衣姿の女性を乗せた「宝恵かご」の行列が規模を縮小して行われました。

大阪・天王寺区にある愛染堂勝鬘院の「愛染まつり」は、天神祭、住吉祭とともに大阪の三大夏祭りとして親しまれています。
初日の30日は、「愛染娘」と呼ばれるそろいの浴衣にマスクを着けた女性がちょうちんや色とりどりの造花で彩られた「宝恵かご」に乗り込みました。
例年は街を練り歩きますが、ことしは新型コロナ対策として見物する人で密を作らないようにと、境内だけで行われ、太鼓と鐘の音に合わせて「べっぴんさんじゃ-、ほ-えっか-ごっ」と威勢のいいかけ声を響かせていました。
愛染堂勝鬘院の山岡武明 住職は「縁日は開催されていませんが、疫病退散の法要も行っているので、元気に来年を迎えられるよう、手を合わせに来てもらえたら」と話していました。
愛染まつりは7月1日までで、「愛染明王」や「大日大勝金剛尊」が特別に公開されています。

2965名無しさん:2021/06/30(水) 22:32:43 ID:NrdB.GxU0
鎮魂碑再建、追悼の祈り 第5次大阪大空襲から76年
2021年6月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210627/20210627025.html

 太平洋戦争末期の第5次大阪大空襲から76年を迎えた26日、大阪市西淀川区の市立佃小で犠牲者の慰霊祭が行われた。佃地区では防空壕(ごう)に避難した人らが爆撃を受け、一度に亡くなったとされる。台風被害で倒壊し、再建された鎮魂碑の除幕も兼ね、住民らが犠牲者の冥福を祈った。

 地誌の「佃史探求」によると、1945年6月26日の同空襲では、左門殿川堤防下にあった防空壕付近に着弾し、避難していた五十数人が犠牲になった。鎮魂碑は以前、校舎の約50メートル西側にあったが、2019年秋の台風19号でほこらとともに損壊。その後行方不明になり、有志が再建した経緯がある。

 法要はしめやかに営まれ、遺族や住民ら約50人が参列。犠牲者を悼み、碑前で静かに手を合わせた。

 出席した望月貞子さん(88)=守口市=と丸田道子さん(80)=枚方市=の姉妹は、当時13歳だった姉と母、おじが犠牲に。二人は親類宅に疎開中だった。「慰霊碑がなくなってショックを受けていた。立派なものができ、涙が出るほどうれしい」と声をそろえ、目を潤ませた。

 地元で世話役を務める平田房夫さん(78)は「ご遺族が喜んでくれたことに感謝。地域が歴史を継承していかないといけない」と思いを新たにした。

2966名無しさん:2021/06/30(水) 22:40:00 ID:NrdB.GxU0
「篝の舞楽」鑑賞者募集 7月1日から受け付け
2021年6月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210630/20210630027.html

 天王寺舞楽協会は8月4日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺伽藍(がらん)内講堂前庭で「第66回篝(かがり)の舞楽」を開催する。午後6時〜7時半。雨天中止。

 今年は完全事前申込制とし、定員は先着300人(当日券販売なし)。申し込み期間は7月1〜19日までで、定員に達し次第終了する。

 鑑賞料千円(小学生以下無料)。希望者は同寺ホームページから申し込むか、はがきに鑑賞希望者全員の氏名、住所、電話番号を明記し、〒543-0051 天王寺区四天王寺1の11の18、四天王寺内 天王寺舞楽協会事務局へ。後日受付証を送付する。問い合わせは電話06(6771)0066、同事務局。

2967名無しさん:2021/06/30(水) 23:01:46 ID:NrdB.GxU0
コロナ禍 気持ち新たに 生国魂神社で「茅の輪」設置
2021年6月29日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210629/20210629029.html

 30日に執り行われる大祓(はらえ)「夏越(なごし)の祓」を前に、大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で28日、神職手作りの高さ約5メートルにもなる「茅(ち)の輪」の設置作業があった。

 大阪一大きいとされる同神社の茅の輪には、琵琶湖水系のヨシを使用。毎年、神職が地元ヨシ業者の協力を得て、刈り取り作業から取り組んでいる。

 同神社では、自動車も輪をくぐるため馬てい型にするのが通例。前々日に神職が全長約13メートル、太さ約50センチのヨシの束を作り上げており、設置当日は業者が朝からクレーンや足場を使って、鳥居の内側に合わせて美しく装飾した。

 中村文隆権禰宜(ごんねぎ)は「新型コロナウイルス禍の中、おはらいで気持ちのお掃除をして、次の生き生きとした生活のスタートを切っていただきたい」と話した。同神社の「夏越の祓」は午後4時から。茅の輪は7月15日まで設置される。

2968名無しさん:2021/06/30(水) 23:09:48 ID:NrdB.GxU0
大阪市史跡探訪
 家のご近所、見慣れた建物、公園の前に石碑が立っていないだろうか。その一つ一つが貴重な歴史資料であったり、今は見ることのできない跡を示していたり。身近にあふれるマジカルミステリー。碑文を読めば膝をぽん! 意外な発見、感心、納得の大阪市顕彰史跡を写真で紹介する。

大阪市史跡探訪(1) 淀川区
2021年6月1日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/sisekitanbou/210601/20210601028.html

十三渡し跡 (新北野1丁目)
 十三には、街道を通る人たちが淀川を舟で越えるために利用した渡し場があった。1878年に木橋ができたため、渡しはなくなった。川の北側の乗り場は、現在の十三大橋北詰の辺り。南側は、淀川の大改修で川幅が広がったため今は川底となった。

三津屋城跡伝承地 (三津屋中1丁目)
 光専寺の周辺は「字 城之前」と呼ばれ、この一帯が城跡と推測される。『摂陽群談』(1701年刊)では戦国武将の三好政長や長慶が拠点とした中島城の跡にあてる。『大阪府全志』(1922年刊)では楠木正行の築城としている。

堀城跡伝承地 (十三本町2丁目)
 十三渡し北岸の要地にあった城で、『西成郡史』(1915年刊)では1566(永禄9)年に細川藤賢の築城とされる。31(享禄4)年の大物崩れの戦い時にはすでにあった堀城にあてる見解もある。武田薬品工業大阪工場前にある解説板には、城郭の一部とみられる方形区画のある堀村地籍図を紹介している。


三国の渡し跡 (西三国4丁目)
 1873年、神崎川に三国橋が架かる以前は渡しがあり、南北朝の争乱を描いた軍記物語「太平記」にも登場する。三国橋は明治以降、神崎川に架けられた最初の橋で、その後しばしば架け替えられ、1960年に現在の鋼製になった。阪急電鉄三国駅の北約250メートル。

2969名無しさん:2021/07/03(土) 21:05:52 ID:NrdB.GxU0
「岸和田だんじり祭り」2年ぶり開催へ…運営団体「中止とした場合、築き上げた伝承という財産失う」
7/2(金) 20:09配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3059ba127ae4f6e53bb1e3ecf2e4242f37955187

去年は中止された大阪の「岸和田だんじり祭」は、2年ぶりの開催を目指しています。

重さ4トンのだんじりが豪快に街を駆け抜ける大阪府岸和田市の伝統行事「だんじり祭」

去年は、新型コロナウイルスの影響で開催が中止されましたが、今年は感染対策を徹底し無観客で開催する方針が示されました。

運営団体はワクチンの職場接種の申請をしていて、祭の参加者が希望すれば接種を受けられるよう検討しているほか、密を避けるため、例年よりも道幅の広いコースが用意されるということです。

約300年の歴史を持つと言われる「だんじり祭」について運営団体は「中止とした場合、築き上げた伝承という財産を失うこととなる」と話し、実施に向け対策を検討するとしています。

関西テレビ

2970名無しさん:2021/07/08(木) 00:38:28 ID:NrdB.GxU0
“七夕伝説発祥の地”で人々が短冊に込めた『願い事』とは?伝統の七夕まつりは中止
7/7(水) 19:18配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/1195292eabd2a7655c96acfe41b2531ee849ae90

大阪には“七夕伝説発祥の地”と呼ばれる神社があります。人々は短冊にどんな願いを込めたのでしょうか。

 大阪府交野市にある「機物神社」。織姫をまつる全国でも珍しい神社で、毎年七夕の時期になると多くの人が願いを胸に訪れます。人々が短冊を結ぶ笹は毎年神社の裏山で用意されています。毎年7月6日と7日の2日間で5万人が訪れるという伝統の「七夕まつり」。今年は中止となり、例年なら40本近く用意する笹は、今年は4本だけ用意されました。多くの人が集まる露店は無く、神事は規模を縮小して行い、笹と短冊は人々の願いと共に焚き上げられます。

 7月6日と7日に短冊に願いを書いた方々に話を聞きました。映像でご覧ください。

2971名無しさん:2021/07/11(日) 22:22:11 ID:NrdB.GxU0
論説委員 日曜に書く
太子に学んだ経営の神様 山上直子
2021/7/11 15:00
https://www.sankei.com/article/20210711-K2TOECTK7BJ6BPJ3AXU7XZOK6Y/
今年は聖徳太子の1400年遠忌にあたる。

ゆかりの寺院での法要に始まり、その生涯や信仰、実像を追う「和をつなぐ」を紙面やウェブサイトで連載中だが、思った以上に反響がある。背景には、誰もが知る歴史上の偉人というだけにとどまらない太子の魅力があるのだろう。古くは最澄(天台宗の宗祖)や親鸞(浄土真宗の宗祖)も信奉していた。

そして現代ではこの人も。経営の神様と呼ばれ、優れた思想家でもあった松下幸之助(1894〜1989年)である。

◆十七条憲法

まず昭和20年8月16日の午前にさかのぼる。幸之助は大阪・門真の松下電器産業(現パナソニック)の一室に幹部社員を集め、敗戦のショックから仕事が手につかない彼らを前に急遽(きゅうきょ)、「臨時経営方針」を語った。これまでの軍需産業がすべて復興産業に転換するだろうという見通しを述べ、取り組む心構えについてこう言ったという。

「この至難な仕事に成功を収めるには、これを適切に処理遂行しうる心がまえと知識、才能をもっていなければならない。その知恵才覚はしからばどうして生まれてくるか。それは三千年来培った真の日本精神を把握し、これにもとづいて的確な判断を下すことである」(『日本と日本人について』PHPビジネス新書)。

以来、幸之助は「日本の伝統精神」について考え続けた。やがて次の3つを挙げる。

その一「衆知を集める」、その二「主座を保つ」、その三「和を貴ぶ」である。

実はいずれも天皇制と、聖徳太子が定めたとされる「十七条憲法」と深くかかわる。例えば二の主座とは天皇のこと。そして一の「衆知」は憲法の第十七条「夫れ事独り断(さだ)むべからず。必ず衆と論(あげつら)ふべし」から、その三は第一条の「和を以て貴しと為(な)し」からだ。

◆四天王寺との縁

「人間の本質に即し、人情の機微をうがった、まことに高尚で立派なものだと思います。そしてこの十七条憲法には、仏教の精神も儒教の考え方も生かされている」(同書から)

実際、十七条憲法は現在の憲法とは趣が違い、人や役人の道というべきものを説いた内容だ。それを理解した上で自身の考えに取り入れ発展させた。

幸之助は多くの寺院に多額の寄付をしたことで知られるが、太子建立の寺として日本書紀にも登場する四天王寺(大阪市天王寺区)にも西大門(極楽門)や茶室などを寄進している。

2972名無しさん:2021/07/11(日) 22:22:44 ID:NrdB.GxU0
「歴史的に地元の民衆が支えてきた、いわば大阪のシンボルとしての四天王寺ということが大きかったのでは。ご自身も大阪の方ですから」というのは、学芸員で同寺勧学部文化財係主任の一本崇之さん。

第百一世管長、出口常順との親交が厚く信徒総代も務め、昭和41年度には「繁栄と平和」と題した講演を行う。このとき太子の事績に触れて、日本には外国に負けない「日本魂」というものがあり、「その日本魂のうちの大きな一つは、私は和の精神だと思います」と述べた。

◆日本精神こそ

興味深いのは昭和39年に「聖徳太子の十七条憲法と四天王寺縁起をパンフレットにして100万部くばりたい」と言っていることだ。PHP研究所によると結局、実現はしなかったそうだがどんな思いがあったのか。

こんなことも言っている。

日本人には〝和を貴ぶ精神〟すなわち平和愛好の伝統というものがある。ところが不幸にして日本は何度か戦争をし、太平洋戦争によって悲惨な姿に陥ってしまった。大いに反省しなければならない。ただ戦争そのものを憎むあまりに、本来平和を愛好する国民ではなく、戦争を好む軍国主義的な国民ではないかという考え方も一部に生まれてきたが、それは長い歴史を知らないのだ―と。

現代に生きる聖徳太子を追ううちに、松下翁の日本人論にたどりついた。

昭和39年の東京五輪を前に米有力雑誌「ライフ」が日本特集を組んだ。幸之助の写真とともに「最高の産業人、最高所得者、思想家、雑誌発行者、ベストセラー作家」の5つの顔を持つ人物と紹介されている。今も学ぶべきところがあると思うが近年、この経営の神様を知らない若者が増えているそうだ。

政治も企業も不祥事がいっこうになくならない。「無意識のうちに日本精神が顕れてくるようでありたい」と松下翁が願った世界はまだ遠い。(やまがみ なおこ)

2973名無しさん:2021/07/14(水) 22:06:21 ID:NrdB.GxU0
「生国魂祭」本宮 大阪城で「元宮駐輦祭」
2021年7月13日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210713/20210713020.html

 大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)の伝統行事「生国魂祭」が12日、本宮を迎えた。新型コロナウイルス禍を受けて陸渡御(とぎょ)などの行事は中止されたが、元の鎮座地である同市中央区の大阪城公園内で、恒例の「元宮駐輦(もとみやちゅうれん)祭」が粛々と執り行われた。

 同祭の陸渡御は、戦時中の大阪大空襲で社殿や神具一式が焼失したため戦後は途絶。御鳳輦(ごほうれん)をはじめ新たな神具の完成に伴い、2014年から約500人が参加する渡御行事が行われていたが、新型コロナ感染防止対策として2年連続で取りやめとなった。

 神職ら関係者は拝殿での「本宮祭神幸(かんこう)祭」の後、「御羽車(おはぐるま)」など神具を乗せたトラックに分乗し、同公園・大手前芝生広場の一角にある御旅所跡に到着。現地で合流した奉仕者ら参列者一同がおはらいを受けた後、伝統の手締め「生国魂締め」で締めくくった。

 中山宮司は「大阪の繁栄と市民の安寧に加えて、疫病退散を祈願。来年こそは元のお祭りができるよう望みたい」と話した。

2974名無しさん:2021/07/14(水) 22:54:13 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子の足跡たどる 1400年御遠忌パネル展
2021年7月10日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210710/20210710034.html

 今年の「聖徳太子1400年御遠忌(おんき)」に合わせたパネル展が、東大阪市の府立中央図書館・1階展示コーナーで開かれている。闘争や「憲法十七条」に代表される政治施策、東アジア外交などをパネル約40枚で紹介。多くの来館者が、太子の壮大な足跡に見入っている。25日まで。

 同館と歴史街道推進協議会の共催の展示事業。会場では、関係略系図や年表をはじめ、日本仏法最初の官寺で知られる四天王寺(大阪市)など、太子建立7大寺のうち現存する寺院について、それぞれの特色も交えて紹介している。

 このほか、100年前の1921(大正10)年4月に奈良・法隆寺で営まれた奉賛法要の様子や、30(昭和5)年以降、多くの日本銀行券の肖像として採用されていた経緯を、分かりやすく解説したパネルも並び注目を集めている。

 約300冊の関連蔵書を集めたラックも併せて設置。同館担当者は「多くのパネルや書籍を通じて、太子が歩んだ時代のイメージを膨らませていただきたい」と話している。

 午前9時〜午後7時(土日祝は午後5時まで)。12、19日は休館。

2975名無しさん:2021/07/17(土) 01:36:34 ID:NrdB.GxU0
人形浄瑠璃 文楽 桐竹勘十郎さん人間国宝に認定へ
7/16(金) 23:35配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0118e528d407f63dd925209e92ee84f3dbbebff

人形浄瑠璃文楽の桐竹勘十郎さんが国の重要無形文化財「人間国宝」に認定されることになりました。

桐竹勘十郎さん(68)は、女方・立役を問わず抜きん出た表現力を持つ人形遣いで文楽の上演に欠かせない存在です。

後進の育成にも尽力するなど業績が評価され秋にも「人間国宝」に認定されることになりました。

【桐竹勘十郎さん】
「日に日に身が引き締まるといいますか、これはえらいことになったなという感じです」

師匠で人間国宝の吉田簑助さんは今年4月に引退したばかりでした。

【桐竹勘十郎さん】
「おめでとうおめでとうおめでとう、ずっとおめでとうを言ってくれはったんです。それがものすごく嬉しかったんです」

勘十郎さんは8月3日まで大阪の国立文楽劇場の公演に出演しています。

関西テレビ

2976名無しさん:2021/07/17(土) 21:51:42 ID:NrdB.GxU0
勘十郎さん人間国宝 父、師匠に次いで栄誉
2021年7月17日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210717/20210717025.html

 父親、そして師匠に続き人間国宝に認定された人形浄瑠璃文楽座人形遣いの桐竹勘十郎さん(68)。連絡を受けた時は実感がなかったというが、「日に日に身が引き締まる思い。これは偉いことになったなという気持ち」と吐露。「認定を受けたからと言って劇的にうまくなるわけではない。これまでやってきたことを、続けてやっていく」と誓った。

 大阪市出身で、父は二代桐竹勘十郎。1967年に14歳で三代吉田簑助さんに師事し、翌年文楽協会技芸員となり初舞台を踏む。2003年に三代桐竹勘十郎を襲名。08年に紫綬褒章を受章したほか、芸術選奨文部科学大臣賞、日本芸術院賞など多数の受賞歴を持つ。

 師匠から女方(おんながた)、父から立役(たちやく)の人形遣いを学び、数々の作品に出演してきた。人形遣いとして自信を付けたのは、襲名披露で演じた「尼ケ崎の段」の武智光秀役だったという。「立役として大きな人形の経験がなかった中で、父親が選んでくれた。大阪や東京、地方も巡り、これで大きな人形への不安がなくなった」と振り返る。

 新作の上演にも力を入れており、思い入れのある作品に、今年2月に京都で上演した自作品「端模様夢路門松(つめもようゆめじのかどまつ)」を挙げる。「自分が主役をできない頃に、足遣いをやりながら考えた最初の作品で、足遣いから左遣い、そして主(おも)遣いになりたいがなかなか思い通りにならない、当時のそんな思いと重なる作品」だという。

 本公演以外にも、他ジャンルとの連携などを通して文楽の普及に努めてきた。それらの活動も許容し見守った簑助師匠への感謝の思いも強く、人間国宝認定の知らせを受けてすぐに連絡した際に、「何度も『おめでとう』と言ってくれて、ものすごくうれしかった」と頬を緩めた。

 今後も「古くから埋もれている作品を復活させることも続けたいし、後進の育成にもっともっと力を入れていく。また、幾度も再演してもらえるような新作も作っていきたい」と文楽の未来に向け、一路邁(まい)進する。

2977名無しさん:2021/07/17(土) 21:58:22 ID:NrdB.GxU0
人間国宝 関西から新たに2人認定へ
07月16日 20時13分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210716/2000048652.html

伝統的な芸能や工芸技術の分野で高度な技術をもつ国の重要無形文化財の保持者いわゆる人間国宝に、関西から2人が新たに認定されることになりました。

このうち1人は大阪・東大阪市に住む茶の湯釜の角谷勇圭さん、本名、角谷勇治さん78歳です。
昭和17年、人間国宝である父、一圭さんの次男として生まれ、27歳のときに父の工房を手伝ったのをきっかけに釜作りを始め、その後は父のもとで伝統的な技術を習得しました。
鋳型にへらを押し込みへこませることで釜の表面に図柄を表現する「箆押(へらおし)」という技法が特徴で、日本の花鳥風月を繊細で優美に描いています。
角谷さんは「とても父には及びませんがやってきたことが認められてうれしい反面、責任も感じ、身が引き締まる思いです。今までどおり、1点1点をこつこつと作っていきたいと思います」と話していました。
もうひとりは、大阪市に住む人形浄瑠璃「文楽」の人形遣い、桐竹勘十郎さん、本名、宮永豊実さん68歳です。
昭和28年に人間国宝の父、二世桐竹勘十郎さんの長男として生まれ、14歳で入門。
のちに人間国宝に認定される吉田簑助さんのもとで修行を積みました。
女の人形=女方(おんながた)遣いの名手である師匠と、男の人形=立役を得意とする父からの教えを受け、さまざまな役柄を繊細な動きで感情豊かに表現する卓越した技量が高く評価されました。
桐竹さんは「まさか自分が認定されるとは思っておりませんでした。まことに身が引き締まる思いです。これから後進の指導育成に力を入れ、携わる方をどんどん募って増やしていきたい」と話していました。

2978名無しさん:2021/07/17(土) 22:14:22 ID:NrdB.GxU0
奉仕活動伝統継続していく 2年ぶり本宮で清掃実施
2021年7月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210716/20210716025.html

 日本三大祭りの一つ、大阪市の天神祭で清掃に従事するボランティア団体「ダストバスターズ」が、25日の本宮で2年ぶりの活動に臨む。昨年は、新型コロナウイルス禍と天候の影響で実施できなかったが、奉仕活動の伝統を小規模でも継続していく。

 ダストバスターズは、1993年に発足。祭りの神事を担う大阪天満宮(大阪市北区)が事務局となり、美化委員会を組織して運営してきた。新型コロナ流行前は、本宮と24日の宵宮の2日間で延べ500人前後が参加している。

 昨年は、天神祭の練り歩きや奉納花火といった主要行事が新型コロナ禍の影響でなくなったのを踏まえ、規模を縮小して実施を計画。奉仕活動の精神を受け継いでいく重要性を踏まえた。

 神事を執り行う近隣の川べりの事前清掃は、主要スタッフ10人程度で取り組んだものの、本宮の際の大阪天満宮周辺の掃除は、雨で中止になった。

 今年も新型コロナ禍によって、祭り自体が2年連続規模縮小となったが、ダストバスターズは本宮での清掃に改めて臨む。今年は神事が昨年よりも拡充するため、それに合わせて清掃場所も加える予定。昨年同様、神事がある川べりの事前清掃にも取り組む。

 大阪天満宮の園博年権禰宜(ねぎ)は「奉仕活動の伝統を来年につなげていきたい」と話した。

2979名無しさん:2021/07/17(土) 22:15:24 ID:NrdB.GxU0
古墳時代の生活調査資料を展示 近つ飛鳥博物館
2021年7月16日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210716/20210716028.html

 大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町)は17日から、夏季企画展「古墳群に暮らした人たち-集落遺跡からみる古市古墳群-」を開催する。世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群では発掘調査が行われており、多くの調査資料から生活に直接関わる資料を紹介する。9月5日まで。

 調査では、古墳のそばで生活していた人たちの活動の痕跡や資料も確認されている。今回は古市古墳群内で行われた最近の調査・研究成果、これまでの資料の中から古墳時代の生活に関わる資料を展示し、集落遺跡について考える。

 期間中には土曜講座(7月24日、8月28日)のほか、8月22日には舘野和己館長による講演会も予定している。午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。月曜休館。問い合わせは電話0721(93)8321、同館。

2980名無しさん:2021/07/21(水) 20:53:08 ID:NrdB.GxU0
100年前に作られたステンドグラス 大阪市議会の議場で発見 旧庁舎の議場にあった「後世への宝物」
7/21(水) 20:34配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/f12bd1537929093ad42456f6161960e9f27c4d7f

大阪市役所の議場で、100年前に作られたステンドグラスが見つかりました。

【大阪市会事務局 満島健太郎さん】
「この板の間に挟まっていました。物品の整理していたときにたまたま見つかった。残っているということ自体を想像していなかったのでびっくりした」

大阪市役所にある議場の一角から見つかったものとは…
ステンドグラスは40枚。
多少の傷はありますが、綺麗な状態のまま保管されていました。

これらは、約40年前に取り壊された旧庁舎内の、市議会の議場の天井に飾られていたものです。

制作に携わった1人とされるのは、木内真太郎という作家。
大阪市中央公会堂のステンドグラスをはじめ、数多くの作品に携わっています。

今回発見されたステンドグラスが作られたのは、今から100年前の大正10年。
当時、大阪市では、産業が急速に発展し人口も急増。
市のさらなる発展のため、庁舎を建て替えることにしていました。

当時の記録には「庁務いよいよ激増し、その結果、庁舎新築の必要を感ずる」と書かれています。
建て替えらた庁舎は、当時、制作の全盛期であったステンドグラスが取り入れられた最新式の庁舎となりました。

今回の発見に、ステンドグラスの研究者は…

【ステンドグラス史研究者 金田美世さん】
「ステンドグラスだけでも残ったのは、後世への宝物で、大阪市の誇れる美術がそこにあったということ。歴史的価値も含めて本当にすばらしいこと」

その後、再び現在の庁舎に建て替えられ、処分されたと思われていた大阪市のステンドグラス。

今後修復され、大阪市北区の「大阪くらしの今昔館」で展示される予定です。

関西テレビ

2981名無しさん:2021/07/21(水) 20:55:53 ID:NrdB.GxU0
江戸期祭り 体感を 船形山車や大型人形
2021年7月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210719/20210719023.html

 日本三大祭りの一つ天神祭が、新型コロナウイルス禍で2年連続規模縮小となる中、大阪市北区の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」は、江戸期の祭りの様子を体感できる装いを整え、来館者を出迎えている。かつては祭礼の日に引き出されていた全長8メートルの船形山車や、今も設置される伝統が続く大型人形などがずらり。打ち上げ花火の演出もあり、関係者は「祭りの雰囲気を楽しんでほしい」と呼び掛けている。8月末まで。

 約3千人の大行列が練り歩き、約100隻の船が行き交う「渡御行事」や、約5千発の奉納花火などの行事が昨年同様に中止となる中、毎年恒例の「夏祭りの飾り」をテーマに、祭りの文化を発信し続けているのが大阪くらしの今昔館だ。

 同館には、江戸期の大坂の町並みを実物大で復元したフロアがあり、大型展示物をはじめ、家屋の飾り付けから食まで、当時の様子を味わえる。

 目玉の展示の一つが同市指定有形民俗文化財の船形山車「天神丸」。江戸期に舟運業者らが造り、1926年まで天神祭に登場していたという。2001年の同館開館に合わせて修復。大名の御座船を模した山車で、全長8メートル、高さ3メートル、幅2メートル。屋形部分には豪華な彫り物が見られる。

 大型人形「御(お)迎え人形」のうち「雀踊(すずめおどり)」も展示。新型コロナ禍前は、市内各所でさまざまな人形が披露されたが、今年は、24、25日に大阪天満宮(同市北区)で展示される3体を除くと同館でしか見られない。

 ハモの照り焼きやばらずしといった食文化の見本なども紹介。フロアは、一日の移り変わりを照明などで演出しており、夜には打ち上げ花火がにぎやかな音と共に映し出される。

 映像による解説を充実させて非接触型の運営にも尽力。上田祥悟学芸員は「コロナ対策を講じた中で夏祭りの雰囲気を楽しんでいただければ」と話していた。

2982名無しさん:2021/07/21(水) 22:32:58 ID:NrdB.GxU0
祭り継承に協力を 渡御行事保存協賛会 一般会員募集中
2021年7月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210720/20210720019.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭を斎行する「天神祭渡御(とぎょ)行事保存協賛会」(大阪市北区)は、一般会員を募集している。今年の天神祭は2年連続で規模を縮小して斎行するものの、伝統を継承する観点から、昨年よりも神事を充実させる。経費を巡って一定の損失を見込んでおり、祭り存続の基盤づくりの一環で会費を生かしたい考えだ。

 今年の天神祭は、約100隻が川を行き交う船渡御や奉納花火といった、人が集まる行事を中止。ただ、神様が氏地を巡り、街の平穏を願うという祭りの伝統を来年につなぐため、み霊を移したみこしを担ぎ、近隣の川までを往復する神事などを計画している。

 会員は、氏地外からも募集。年会費は、「3千円以上」から「10万円以上」まで6段階あり、各会費料に応じた記念品を用意。会員証や会員限定のお守りをはじめ、天神祭記念扇子といった物品関連から、初詣招待券などの体験系まである。

 会員年度は6月1日〜翌年5月末。毎年5月に更新する必要がある。入会は、大阪天満宮のホームページか境内で申し込める。

2983名無しさん:2021/07/24(土) 01:43:47 ID:NrdB.GxU0
住吉祭、堺にも関わり 神輿渡御パネルで紹介
2021年7月22日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210722/20210722032.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の「住吉祭・神輿渡御(みこしとぎょ)」を紹介するパネル展が21日、堺市堺区の町家歴史館山口家住宅で始まった。今年は新型コロナウイルス禍を受けて、8月1日の渡御の取りやめが決まっているが、8枚の解説パネルを通じて夏祭りを締めくくるのにふさわしい壮大な伝統行事の姿を伝えている。8月2日まで。

 展示では、境内から堺市の宿院頓宮(とんぐう)まで約7キロを練り歩く渡御の行程や、1704(宝永元)年の大和川の付け替えまで堺までは地続きであった歴史などを、写真や図解を交えて解説。

 大和川で大阪側と堺側の担ぎ手が交代する「神輿受渡式」のパネルでは、双方の担ぎ手が豪快に川を渡る様子を紹介している。

 主催した堺市文化観光局文化部文化財課は「大阪の祭りというイメージがあるが、古来、堺と深い関わりがあることを知ってもらう機会となれば」と話している。午前10時〜午後5時(入館は午後4時半まで)。入館料200円。火曜休館。

2984名無しさん:2021/07/24(土) 19:57:29 ID:NrdB.GxU0
大阪の夏の風物詩「天神祭」始まる 初日は「鉾流神事」
07月24日 12時10分
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20210724/2000048934.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」が24日から始まりました。

去年に続いて、新型コロナウイルスの影響で多くの行事が中止される中、24日は、無病息災を願って、木の鉾を川に流す「鉾流(ほこながし)神事」が行われました。
大阪天満宮の「天神祭」は、例年、7月24日と25日に行われる、大阪の夏の風物詩ですが、新型コロナウイルスの感染対策として、100隻もの船が堂島川を行き交う「船渡御(ふなとぎょ)」など多くの行事が去年に続いて中止となりました。
午前中、大阪天満宮では、祭りの無事を祈る神事が行われ、神の使いの役の「神童」に選ばれた西天満小学校の6年生、柳生晃希くんにひのきで鉾を形づくった「神鉾」が授けられました。
柳生くんは堂島川の川岸に移り、川に浮かべられた船に乗り込みました。
そして、笛の音が流れる中、川の中ほどで「神鉾」を川に流して無病息災を祈りました。
「天神祭」は25日、本宮を迎えますが、関係者のみで行うとしています。
大阪天満宮では、「天神祭」の様子をおさめた動画を、およそ1週間後にYouTubeで配信することにしています。
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2985名無しさん:2021/07/24(土) 21:31:12 ID:NrdB.GxU0
2年ぶり、堂々姿 生根神社「だいがく」立て起こし
2021年7月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210724/20210724023.html

 大阪市西成区の生根(いくね)神社(吉見友伸宮司)で23日、夏祭り「だいがく祭」(24、25日)で特別公開する「玉出のだいがく」(大阪府指定有形民俗文化財)の立て起こし作業があった。新型コロナウイルス禍の影響で公開は2年ぶりとなり、境内に高さ約20メートルのだいがくが堂々復活した。

 「だいがく」は干ばつに苦しむ農民の雨乞いが由来とされる。同日は「だいがく保存会玉神会」などから奉仕者約20人が参集し、午前6時半から作業開始。寝かせた状態で台座や高さおを組み上げ、約80灯のちょうちんを装飾した後、吉見宮司のおはらいを受けて一気に立て起こした。

 吉見宮司は「コロナ禍で祭りは縮小となるが、シンボルのだいがくを立てることで皆さんに元気になってもらうとともに、組み上げる技術の継承にもつなげたい」と話した。今年も玉出西公園での「だいがく担ぎ」などの行事や露店などは中止。福ササ授与や、みこしの地域巡行(25日)は復活する。

2986名無しさん:2021/07/25(日) 22:53:08 ID:ylDuNnHU0
天神祭「本宮祭」コロナで今年も規模縮小
7/25(日) 18:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0bbc666caa7a564b14d5c10f87054b0db0e0c59

大阪の天神祭は本宮を迎え、無病息災を願う神事が関係者のみで行われました。

大阪天満宮では25日、天神祭の主要な神事「本宮祭」が行われました。
宮司が供え物をして祝詞を読み上げ災害や疫病がないよう街の平安と繁栄が祈願されました。

例年、祭を盛り上げる船渡御や奉納花火などは新型コロナの影響で2年連続で中止となりましたが、神事の神幸列などは2年ぶりに行われました。

今年の天神祭の様子は約1週間後にYouTubeで配信されるということです。

関西テレビ

2987名無しさん:2021/07/31(土) 22:42:21 ID:NrdB.GxU0
写経と手紙 次の100年に 御聖忌タイムカプセル
2021年7月30日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210730/20210730026.html

 今年は聖徳太子の没後1400年。太子ゆかりの寺院では遠忌法要が営まれるほか、各地の博物館や美術館で特別展が行われている。太子創建で知られる大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)では、「聖徳太子千四百年御聖忌(ごせいき)」として多様な関連行事や記念事業が進行中。中でも次の1500年に向けた「御聖忌タイムカプセルプロジェクト」は、一般も参加できるとあって注目されている。

 タイムカプセルとはいえ史跡地のため土地の掘削は制限があり、埋設ではなく建物内で厳重保管する。プロジェクトは三つの企画で構成。このうち「奉納写経」と「未来への手紙」が一般対象となる。「奉納写経」は来年4月22日まで募集中。奉納料込み1枚2千円で、専用用紙に写経と写仏を行う。

 木製のタイムカプセルに収納後、境内・西大門(極楽門)の上層部で未来永劫に奉安され、以後50年ごとの御聖忌で記念法要が営まれる。

 例年、写経会で奉納された写経は10月の「経供養」でたき上げられるため、永代奉安を希望していた参加者も多かった。今回のプロジェクトは大歓迎で、申し込みが相次いでいる。

 「未来への手紙」(1枚5千円、奉納料込み)は、秋頃から来年4月下旬まで受け付け予定。50年、100年と2種類のカプセルがあり、手紙の受け付け時に「奉納之証」を授与する。奉納場所は太子を祭る聖霊(しょうりょう)院(太子殿)内。手紙は最終的に焼納されるが、いずれかの開封時、本人または関係者が事前に閲覧できるように告知するという。

 同寺参詣課の山岡武明課長は「手紙の内容は自由。自分の家系が続くという自信や、社長であれば100年企業を目指す励みにつながれば」と、さまざまな活用の方法を提案する。

 三つ目は、同寺が奉納者となって現代の品々を100年後に伝えるため、カプセルに納める企画だ。場所は同じく聖霊院で、奉納品は法要などに使用する装束や多彩な授与品、年中行事を記録した写真や資料が中心になる。

 このほか紙幣・硬貨、地図、改元を報じる新聞、携帯電話など、時代を彩った品々が納められる予定。山岡課長は「いずれも1400年以上の歴史がある四天王寺ゆえに可能な企画。皆さんとともに50年、100年という時間を共有しながら次代に伝えたい」と思いを込める。

 ◇プロジェクトに関する問い合わせは電話06(6771)0066、四天王寺。

2988名無しさん:2021/08/04(水) 22:19:02 ID:NrdB.GxU0
繁昌亭15周年で記念公演 30日から 豪華顔ぶれ
2021年8月2日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210802/20210802024.html

 上方落語協会は9月15日に開場15周年を迎える天満天神繁昌亭の「記念特別公演」を行う。昼席(開演午後2時)は8月30日から笑福亭松鶴一門▽9月6日から三代目桂春団治・露の五郎兵衛一門▽同13日から五代目桂文枝一門▽同20日から林家染丸一門▽同27日から桂米朝一門がそれぞれ1週間ずつ。夜席(同6時)は9月13〜19日の1週間日替わりで、メインの15日は生誕落語会として桂米団治、月亭八方、桂文枝、笑福亭仁智の豪華顔ぶれ。

 開場時と10周年時は天神橋筋商店街を赤い人力車に当時の協会長が乗り込み練り歩いたが、今回はコロナ禍で自粛。来場客100万人は7年で達成できたが、最近1年半はコロナ禍で閉館時期も長く、再開後の今も定員の216席を半分以下の102席に減らし、公演も平均して半分程度の入りで観客動員は苦戦する。15周年での200万人達成には届かず、190万人に乗せるのがやっとだった。

 今後の協会の方向性について、仁智会長は「これまで長い間“(亡き)四天王におんぶにだっこ”という状態だったが、次の15年に向け“親離れ”を目指す。皆でワンチームとなって新しい上方落語界を構築するため新たな第一歩を踏み出す」と決意を述べた。

 米団治副会長は開場当時を振り返り「最初は正直“経営していけるのか?”と心配していたが、3年目ぐらいから商店街が活気づいて協力してくれるようになった。噺(はなし)家にとってもホームグラウンドができた」としみじみ。遊方実行委員長は、一度も繁昌亭を訪れたことのない新規客獲得を念頭に「寄席にはテレビにない笑いがある。いろいろな方に来てほしいし、行ってみたいと漠然と思われている方の背中を押せるようPRを頑張る」とアピール。

 記念特別公演の期間中、来場者特典として特製パンフレットと、特製手ぬぐい(落語家のサイン入りまたはネタ番付のいずれか)をプレゼント。ロビーでは記念写真展も開催。なお昼席のネット配信は行わない。

2989名無しさん:2021/08/04(水) 22:20:28 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子研究識者の講演会 四天王寺、10月開講
2021年8月4日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210804/20210804028.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺は、今年の「聖徳太子千四百年御聖忌」にちなみ、10月〜来年4月まで毎月1回、日本古代史や聖徳太子研究の識者を講師に招いた「聖徳太子講演会」(全7回)を開講する。

 完全予約制で事前申し込みが必要。参加費は各回500円(7回通しは3千円)。会場は本坊・五智光院。定員は各回先着200円。

 開催日と講師は次の通り。(1)10月3日=中西進氏(国文学者、高志の国文学館館長)▽(2)11月14日=石井公成氏(駒沢大名誉教授)▽(3)12月5日=桑谷祐顕氏(叡山学院学監)▽(4)1月9日=有栖川有栖氏(作家)▽(5)2月6日=北川央氏(大阪城天守閣館長)(6)3月6日=東野治之氏(斑鳩町文化財活用センター長)(7)4月3日=阿部泰郎氏(龍谷大教授、名古屋大客員教授)。

 時間はいずれも午後1時半〜同3時(予定)。受け付け開始は同0時半。問い合わせは電話06(6771)0066、同寺「聖徳太子講演会」係。

2990名無しさん:2021/08/07(土) 01:24:36 ID:NrdB.GxU0
大阪市立美術館で「聖徳太子展」開催へ ゆかりの作品が集結
8/6(金) 11:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8f4b0e93e21c43987cba39b29f278eb6140c8d8
千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処(ところ)の天子」が9月4日から、大阪市立美術館(大阪市天王寺区、天王寺公園内)で開かれる。(あべの経済新聞)

 2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に開かれる同展。太子信仰の中核を担ってきた和宗総本山四天王寺(天王寺区)の所蔵品を中心に、「聖徳太子絵伝」や「聖徳太子立像」など太子に関わる美術の全貌を紹介する。

 7月7日に行われたオンライン会見で四天王寺の瀧藤尊淳執事長は「当山の寺宝のみならず、全国各地から貴重なご宝物を出品いただく。一つ一つが太子への厚い信仰の結晶であり、宝物を一堂に会して行われる本展覧会はまさに太子信仰の集大成」と話した。「1400年もの長きにわたり、脈々と受け継がれてきた太子の和の精神を心の中にとどめ、聖徳太子のご遺徳と共に、広く皆さんに知っていただく機会になれば」と期待を寄せる。

 開館時間は9時30分〜17時。月曜休館(9月20日は開館)。観覧料は一般=1,800円ほか。10月24日まで。

みんなの経済新聞ネットワーク

2991名無しさん:2021/08/11(水) 20:49:25 ID:NrdB.GxU0
四天王寺でお盆行事「万灯供養」 コロナ対策徹底し2年ぶりに
8/11(水) 14:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e563ffa64732d334c4e6b6e6842f643b9eb030dd

 和宗総本山 四天王寺(大阪市天王寺区)で8月9日、お盆の先祖供養のために行う恒例行事「万灯供養」が始まった。(あべの経済新聞)

 「万灯供養」は平安時代から続いているといわれ、毎年多くの人が訪れる行事。五重塔がある中心伽藍(がらん)内にろうそく立てを設営し、参詣者が先祖の霊名を「万灯ろうそく」に記入して供養する。多くのろうそくに灯がともって幻想的な雰囲気となり、僧侶が般若心経を唱えて練り歩く「万灯供養法要」も行われる。

 昨年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった。今年は密集・密接を避けるため、中心伽藍内の拝観可能エリアを入り口(西重門)の軒下までに制限するなどしてコロナ対策を徹底する。

 実施時間は17時〜20時。献灯料(ろうそく)は1本700円。今月16日まで。

2992名無しさん:2021/08/11(水) 22:59:55 ID:NrdB.GxU0
太子ゆかりの宝物結集 大阪市立美術館で特別展
2021年8月11日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210811/20210811015.html

 2022年に没後1400年を迎える聖徳太子に関する仏教美術を集めた展覧会「聖徳太子 日出づる処の天子」が9月4日から10月24日まで、大阪市天王寺区の市立美術館で開かれる。聖徳太子信仰の中核を担ってきた同区の和宗総本山四天王寺の所蔵品を中心に、飛鳥時代から現代の貴重な宝物など約200件を展示する。

 聖徳太子が没して1400年を迎えるにあたり、ゆかりの寺院では聖霊会(しょうりょうえ)など太子の偉業をしのぶ大規模な法会が催される。この節目に合わせ太子にかかわる美術を紹介しようと、四天王寺などが主催する。

 四天王寺は、聖徳太子が593(推古天皇元)年に建立。自然災害や織田信長による焼き打ち、大阪大空襲など幾度も焼失の憂き目に遭ったが、その度に民衆らの強い意志で再建されてきた。

 四天王寺の所蔵からは、太子が所持したと伝わる国宝の「丙子椒林剣(へいししょうりんけん)」(7世紀)と「七星剣」(同)を展示。今年作られた「聖徳太子童形半跏像」は、みこしの「鳳輦(ほうれん)」(17世紀)と合わせて公開し、同展の後は毎年の聖霊会でのみ公開する。

 また全国各地からは、「聖徳太子童形立像(孝養像)」(13〜14世紀、東京・坂東報恩寺)、「慧慈和尚坐像」(10世紀、山口・般若寺)、「聖徳太子絵伝」(15〜16世紀、大阪・杭全神社)などが展覧会初出品となる。

 四天王寺の瀧藤尊淳執事長は会期前に開かれたオンライン記者発表会で「本展覧会では当山のみならず、全国から貴重な宝物を出陳いただく。その一つ一つが先人による太子への厚い信仰の結晶であり、そうした宝物を一堂に会してごらんいただく、本展覧会はまさに太子信仰の一つの集大成になるだろう」と説明。

 昨年から続く新型コロナウイルス禍にも触れ、「今こそ1400年もの長きにわたり脈々と受け継がれてきた、太子の和の精神を改めて心の中にとどめ、太子の御遺徳と共に広く皆さまに知っていただく機会になれば」と期待していた。

2993名無しさん:2021/08/12(木) 21:39:31 ID:NrdB.GxU0
200回記念鴈治郎さん出演 上方伝統芸能ナイト
2021年8月12日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210812/20210812025.html

 大阪市中央区の山本能楽堂(山本章弘代表理事)は、さまざまな上方伝統芸能を一度に楽しめる公演「初心者のための上方伝統芸能ナイト」が21日に200回を迎えることを記念し、今年は各回「○○スペシャル!」と題して通常より演目を増やして企画する。

 お能や狂言、文楽、上方歌舞伎、上方舞、上方講談、上方落語、浪曲、お座敷遊びなど一晩に数種の芸能をダイジェストで上演する初心者にも親しみやすい公演。通常は1回の公演で4演目を上演しているが、今年は5演目に増やす(10月30日の落語スペシャル除く)。

 200回目の21日には、歌舞伎の中村鴈治郎さんが文楽の人形と一緒に踊る初めての試みも用意する。演目は「義経千本桜 道行」で、文楽の「道行初音の旅」と歌舞伎の「吉野山」を組み合わせたような上演になるという。「これまでにご覧になったことがないものをお見せいたします。お楽しみになさってください」と鴈治郎さん。

 能楽師の山本章弘さんは「回を重ねるごとに新しい出会いがあり、上方伝統芸能の層の分厚さ、その魅力の奥深さを感じている。これからも皆さまのご協力をいただきながら公演を続け、“芸能の都・大阪”の魅力を発信し、大阪のまちを伝統芸能の力で活性化させていきたい」と話している。

 正面席4500円、ワキ・2階席3500円、ライブ配信2千円。問い合わせは電話06(6943)9454、山本能楽堂。

2994名無しさん:2021/08/14(土) 21:15:59 ID:NrdB.GxU0
「京橋駅空襲」から76年 大阪で慰霊祭
8/14(土) 17:52配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e80b6d95427d49b8cf7d2a18bf2345c9b6128a4b
読売テレビ

 終戦の前日、大阪市で500人以上が犠牲となった「京橋駅空襲」から14日で76年となり、慰霊祭が営まれた。

 慰霊祭は、新型コロナの影響で規模を縮小して行われた。

 「京橋駅空襲」は1945年(昭和20)8月14日、アメリカ軍が、京橋駅近くの軍需工場を爆撃し、行方不明者を含む500人以上が犠牲となった。

 参列した女性は「悲惨な出来事を伝えて行かないといけない」と話していた。

 爆撃では、駅にいた大勢の民間人が巻き添えとなり、参列者は犠牲者を追悼し、平和への祈りをささげていた。

2995名無しさん:2021/08/15(日) 22:10:39 ID:NrdB.GxU0
成田山不動尊 コロナ禍死者の位牌祀り供養
8/15(日) 19:07配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5f8450ce747450484c9664bb8eede2cc7fb5c492
読売テレビ

 お盆に入り、大阪府寝屋川市の成田山不動尊で15日、新型コロナウイルスで亡くなった方への供養が執り行われた。

 大阪の成田山不動尊は、新型コロナウイルス感染症で亡くなった方々の位牌を祀り、供養する「盂蘭盆会施餓鬼供養大法会」を行った。

 昨年に続き、密集を避けるため、例年は多くの人が訪れる野外での大規模な護摩法要などは中止が決まっていて、法要でも参拝者同士の間隔を開け、検温・消毒をするなど感染防止対策を取った。

 参拝者たちは、新型コロナウイルスの一日も早い終息を願いながら、静かに手を合わせていた。

2996名無しさん:2021/08/15(日) 22:14:28 ID:NrdB.GxU0
明治以降の戦没者追悼 「みたままつり」始まる
2021年8月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210815/20210815025.html

 明治以降の戦没者を追悼する「みたままつり」が14日、大阪市住之江区の大阪護国神社で始まった。神話や神社をテーマにした絵画コンクールの出品者を招く「奉納奉告祭」も同時に執り行われ、ちょうちんに添えた作品が境内を明るく彩った。祭りと作品の掲示は15日まで。

 同宮では明治維新前後から太平洋戦争まで、府出身の戦没者ら10万5千柱余りを祭っており、15日の終戦記念日に合わせて神事を斎行している。戦没者遺族に支えられている一面があり、若い世代にも広く関心を集めようと昨年からコンクールの企画を始めた。

 絵画のモチーフは、「古事記」「日本国旗」「神社」のいずれか。幼児から高校生まで67の出品があり、愛らしいウサギを描いた「因幡の白兎」の物語や荒々しいヤマタノオロチ退治など神話の一シーンをはじめ、各地にある鳥居や社殿を荘厳に描いたものなどユニークな世界観が集まった。

 藤江正鎮宮司(57)は「力の入った良い絵が集まりうれしい。今後はインターネットも活用し、広く作品を募集したい」と期待を寄せた。

2997名無しさん:2021/08/15(日) 22:16:13 ID:NrdB.GxU0
明治以降の戦没者追悼 「みたままつり」始まる
2021年8月15日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210815/20210815025.html

 明治以降の戦没者を追悼する「みたままつり」が14日、大阪市住之江区の大阪護国神社で始まった。神話や神社をテーマにした絵画コンクールの出品者を招く「奉納奉告祭」も同時に執り行われ、ちょうちんに添えた作品が境内を明るく彩った。祭りと作品の掲示は15日まで。

 同宮では明治維新前後から太平洋戦争まで、府出身の戦没者ら10万5千柱余りを祭っており、15日の終戦記念日に合わせて神事を斎行している。戦没者遺族に支えられている一面があり、若い世代にも広く関心を集めようと昨年からコンクールの企画を始めた。

 絵画のモチーフは、「古事記」「日本国旗」「神社」のいずれか。幼児から高校生まで67の出品があり、愛らしいウサギを描いた「因幡の白兎」の物語や荒々しいヤマタノオロチ退治など神話の一シーンをはじめ、各地にある鳥居や社殿を荘厳に描いたものなどユニークな世界観が集まった。

 藤江正鎮宮司(57)は「力の入った良い絵が集まりうれしい。今後はインターネットも活用し、広く作品を募集したい」と期待を寄せた。

2998名無しさん:2021/08/19(木) 23:12:43 ID:NrdB.GxU0
厳かな雰囲気 配信中 大阪天満宮、ユーチューブで
2021年8月19日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210819/20210819028.html

 大阪天満宮(大阪市北区)は、今年の天神祭の宵宮(7月24日)と本宮(同25日)の様子を動画投稿サイト「ユーチューブ」の公式チャンネルで配信している。新型コロナウイルス禍の影響で2年連続規模を縮小し、人が集まらないように各神事の時間を公開せずに斎行。代わりに神事の様子を動画にまとめ、解説文を付けて行事の様子を分かりやすく紹介している。

 見どころは、昨年にはなかった神事の創出。昨年の天神祭は、祭神・菅原道真公のみ霊をみこしに移して地域を巡る行事を取りやめ、境内で神事を完結したが、今年は、天神祭の起源にかかわる巡行を2年連続中断させてはならないと、近隣の川までの約300メートルを約70人で往復する「神幸(しんこう)列」に臨んだ。

 動画では、雅楽を響かせながら、厳かな雰囲気で歩みを進める一団を紹介。川べりでは、神の休憩所となる「御旅所(おたびしょ)」を設け、疫病退散を祈願した神事の様子を伝えている。

 また今年は、祭りで重要な役割を担う神童の選定を2年ぶりに実施。「鉾流(ほこながし)神事」で大役を果たした姿を発信している。

 動画の時間は約20分。それぞれの神事の内容について解説文を付け、千年余り続く祭りへの理解を促している。

2999名無しさん:2021/08/25(水) 22:08:12 ID:jVHXvq2s0
戦後の大阪に「警視庁」実在 GHQの影、東京に対抗心も とことん調査隊

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOHC102LG0Q1A810C2000000/

現在、2度目の大阪勤務中の記者(37)の前任地は東京。大阪府警幹部との雑談で警視庁を担当していたことを告げると、「大阪も昔は『警視庁』やったんや」と教えてくれた。半信半疑で調べてみると、確かに終戦後に5年間、「大阪市警視庁」なる組織が実在していた。その歴史から透けて見えるものとは?

大阪市警視庁が存在したのは1949〜54年。当時を直接知るOBにはたどり着けなかったが、70代の府警OBは「新人のころ『俺は警視庁採用やからな』と言う先輩もいた。警視庁という響きに強い誇りを感じた」と語る。

その誕生には、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策が関係している。戦争推進に加担した戦前の国家警察の旧弊を除くため、自治体の権限を強める警察改革を企図。47年制定の旧警察法で、比較的大きな自治体が自前の警察を持ち、名称や運用も自らの裁量で決められるようにした。


大阪府には、大阪市や堺市などをそれぞれ管轄する「自治体警察」、それ以外を管轄する「国家地方警察」が併存。大阪市の自治体警察は当初「警察局」だったが、機構改革を機に49年から「警視庁」を名乗った。ただ、名称を巡っては激論があったという。

「大阪市警察誌」(56年)などで当時の記録をひもとくと、大阪市警視庁の初代警視総監を務めた鈴木栄二氏は「大阪のような事件の多い大都会では、善良な一般市民には安心感を、不法分子には重圧感を与える意味で警視庁ほど適切な名称はない」と熱弁。大阪以外の大都市も警視庁を名乗るべきだと訴えた。

一方、当時の市長、近藤博夫氏は「警察局でいいのでは」と反対した。ところがGHQ幹部から「東京だけに警視庁を置くのはいけない」という私信を受け取り、「名称をどうしようか、とにかく随分苦しんだ」と回想している。

警察の歴史に詳しい青山学院大の小宮京教授は「名古屋や横浜も警視庁を名乗る可能性はあったが、大阪だけだった。GHQの意向もあったが、西の大都市の治安を守る立場として東京への対抗心もあったのでは」と推測する。

民主化の旗の下で誕生した大阪市警視庁は、市民目線の革新的な施策を導入。「O・P・P(Osaka police post)」という目安箱で市民の声を吸い上げ、さらに戦前の「オイコラ警察」を脱却しようと、自転車や徒歩でのパトロールを重点的に行う英米式の制度を全国に先駆けて始めた。

大阪市警視庁の本部は、大阪城内の旧陸軍第4師団司令部庁舎(現ミライザ大阪城)に置かれた。中世ヨーロッパの古城を模した同庁舎は、31年の大阪城天守閣再建に合わせて建設。天守閣の2倍近い費用をかけた堅固な建物で、国家地方警察大阪府本部が当時、城外の府庁庁舎内にあったのと比べ、特別待遇だったことがうかがえる。

全国的にも存在感が大きかった大阪市警視庁だが、54年、歴史に突如幕が下ろされた。自治体警察と国家地方警察の2本立て体制を都道府県警に統一する警察法施行で、同年7月に廃止。55年に現在の大阪府警本部の形になった。一連の経緯を当時の関係者は本部所在地になぞらえ「大阪城落城」と呼んだという。

小宮教授はその歴史的意義について「短い間ではあったが独自の施策に取り組み、地方自治の一つの挑戦だった」と評価。「警察制度改革にとどまらず、大都市に権限をどこまで与えるべきか、大都市はどのような業務を担うべきかという現在に通ずる問題を投げかけた」と指摘する。

東京への対抗心が透けて見えるという点では、2020年に2度目の住民投票が否決された「大阪都構想」とも共通項がある。名前や形はどうあれ、市民目線の行政を貫いてほしい。歴史を振り返りながら、ふとそう思った。(村越康二)

3000名無しさん:2021/08/25(水) 22:33:11 ID:NrdB.GxU0
>>2999

ゴジラの第二作「ゴジラの逆襲」で大阪市警視庁が出てきますな。

>大阪市警視庁の本部は、大阪城内の旧陸軍第4師団司令部庁舎(現ミライザ大阪城)に置かれた。

この庁舎も出てきますし、澪標を使った大阪市警視庁のマークの付いた警官も出てきます。


※ゴジラの逆襲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%81%AE%E9%80%86%E8%A5%B2
>数日後、大阪市警視庁では古生物学者の山根恭平博士と、同僚の田所博士を招いての緊急会議が開かれる。
>月岡と小林の証言により、ゴジラと戦っていた怪獣は、ゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜のアンキロサウルス、
>通称アンギラスであることが判明する。

3001名無しさん:2021/08/25(水) 23:20:11 ID:NrdB.GxU0
今年 太子没後1400年 壮大な事業 100年前に思い
2021年8月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210824/20210824021.html

 聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、加藤公俊管長)で10月から太子没後1400年の年忌法要「聖徳太子千四百年御聖忌(ごせいき)」が執り行われる。大きな節目にちなみさまざまな記念事業が進む中、一世紀前の1300年遠忌の壮大な記念事業にも関心が集まっている。かつて世界一の大きさを誇った釣り鐘「頌徳(しょうとく)鐘」と大鐘楼「頌徳鐘楼」(現「英霊堂」、市指定有形文化財)の建造もその一つで、多くの人々が当時の時代背景や先人の熱意に思いをはせている。

 釣り鐘の鋳造計画は、「第5回内国勧業博覧会」(1903年)が地元の天王寺公園で開催されるという好機に当たり、21年の聖徳太子1300年遠忌記念事業の一環で国の安寧を願う象徴として計画された。

 同寺勧学課主任学芸員の一本崇之さんは「当時は廃仏毀釈(きしゃく)、工業の西洋化などの時代で仏教界には危機感があり、近場の一大イベントに合わせて科学技術と融合した世界一の記念事業に取り組んだ」と経緯を説明。寄付を募るためのポスターの制作や勧進相撲も興行した。門前町でも盛り上がりを見せ、現在も地元名物として親しまれている「釣鐘(つりがね)まんじゅう」が誕生している。

 高さ約8メートル、口径約5メートルの釣り鐘は03年に完成。鐘をつるす大鐘楼は06年に着工、翌年に建立された。

 現存する巨大な天井画「雲龍画」は森下仁丹創業者の森下博(1869〜1943年)が30代半ばで寄進。作品は大阪の日本画家・湯川松堂(しょうどう)が描いた。

 大阪商業大公共学部公共学科の明尾圭造教授は「森下氏は、京都の画家も数多い中、大阪の画家を後押ししようと湯川氏を選んだのでは」と推測。「作品がこうした形で残り、画家冥利(みょうり)に尽きる作品ではないか」と評価する。

 釣り鐘は太平洋戦争中の43年に金属回収令を受けてばらばらに裁断、搬出されて姿を消した。鐘なき大鐘楼は戦後、戦没者を慰霊する「英霊堂」に改修されて今日に至る。

 同寺の瀧藤尊淳執事長の案内で英霊堂を訪ね、天井画を拝観した森下仁丹の森下雄司社長は「聖徳太子の遠忌事業に関われるという創業者の喜びや栄誉はいかばかりだったかと想像する。創業者が明治の時代に描いた社会還元の思いは、時代が進んだ現代もすべての企業の命題となっていることが興味深い」と話した。

 瀧藤執事長は「100年にわたる森下さんとのご縁は聖徳太子のお導きと改めて喜んでいる。新型コロナウイルス禍など激変する日常の中、いま一度、太子の和の精神に立ち返り、感謝を忘れず日々精進したい」と気持ちを込めた。

3002名無しさん:2021/08/25(水) 23:33:18 ID:NrdB.GxU0
高野街道は文化財宝庫 保護活動呼び掛け
2021年8月25日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210825/20210825025.html

 異業種交流会「社交サロン ザ・クラブジャパン関西」(原田忠義会長)の「CS・ホスピタリティ・アカデミー交流会-」が18日、北区西天満2丁目の中之島LOVE CENTRALで特別ゲストに高野山学園法人本部本部長・常務理事、芝田啓治氏を招いて開かれた。
 
 芝田氏は「〜高野山 奥河内 ふるさと学〜 空海、山を下る」をテーマに講演し、「かつて京・大坂から高野山への参詣道として用いられた高野街道(大阪府河内長野市〜和歌山県橋本市)の地域には日本の国宝、重要文化財の45%がある。この地域は文化財の宝庫。心を一つにして守っていかなければならないと思います」と文化財保護を呼び掛けた。

 原田会長のあいさつに続いて、芝田氏は「関西と近畿という呼び方があるが、定義は違う」と前置きした上で「関西という言葉が使われ始めるのは平安時代中期。逢坂関(おうさかのせき)(現在の大津市)が置かれるところから西を関西と称するようになった。近畿の畿は都(みやこ)を意味し、大和、山城、摂津、河内、和泉を五畿と呼ぶ。五畿にはかつて都がありこの地域は歴史的にみても国宝、重文が多く、日本の宝」と歴史的経緯を紹介した。

 この後、高野山を開いた真言宗の開祖、弘法大師空海に言及し、「空海は中国・唐で真言密教を学び帰国し、43歳のときに仏教の修行の場として高野山を開いた。将来の国造りには教育が大切と、55歳の晩年になって私財を投じて教育施設を開設している。高野山大学は弘法大師の教えを引き継ぎ、人間性豊かで創造力にあふれた人材の育成を教育理念としている」と述べた。

 第2部では友情ゲストとして公益社団法人「浪曲親友協会」理事、4代目・天光軒(てんこうけん)満月氏が浪曲「空海一代記」を情感を込めて披歴した。

3003名無しさん:2021/08/25(水) 23:35:11 ID:NrdB.GxU0
天守閣前で豊国踊り 河内音頭「大阪城物語」初披露
2021年8月23日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210823/20210823019.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で21日夜、踊りの催し「豊国(ほうこく)踊りと河内音頭〜大阪城物語」があった。多くの市民が参加して踊りを楽しみながら、格別な夏の夜のひとときを過ごした。

 「豊国踊り」は、豊臣秀吉七回忌に当たる1604(慶長9)年にあった「豊国臨時祭礼」の締めくくりに京都の町人がささげた踊りと伝わる。同天守閣では2015年に文献史料などから学術的に踊りを復元。以降、夏の風物詩として多くの市民に親しまれているが、今回は新型コロナウイルス禍を受けて、参加者は等間隔の席に座ったままの状態で手踊りにとどめる対策が講じられた。

 会場の天守閣前・本丸広場では、宝塚歌劇団OGとOSK日本歌劇団OGが出演し、舞台上で華麗な踊りを披露。参加者も手踊りながらも舞台と一体となって会場を盛り上げた。

 このほか今年の天守閣復興90周年記念事業の一環で新たに制作された河内音頭「大阪城物語」が初めて披露された。音頭取りで制作者の天龍小若丸さんがライトアップされた天守閣をバックに登壇。大阪城の劇的な歴史を盛り込みながら名調子を夜空に響かせた。

 区内から踊り仲間と参加した女性(83)は「皆さんと夏らしい催しを楽しめた」と笑顔。同天守閣の北川央館長は「来年こそは、コロナ以前みたいに踊りの輪を広げて自由に楽しんでもらえるような状況に戻ること願いたい」と話した。

3004名無しさん:2021/08/29(日) 22:28:25 ID:NrdB.GxU0
秀吉が演じた能再現 5演目、12月まで毎月上演
2021年8月28日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210828/20210828038.html

 全国の能楽師が所属する能楽協会(全国に7支部)は「日本全国能楽キャラバン!」と題して、全国20都道府県の35施設で、71の能公演を行っている。大阪では能楽師家5家が山本能楽堂(大阪市中央区)で、能を愛好した豊臣秀吉が自ら演じた演目を29日から毎月連続で上演する。

 文化庁は大規模で質の高い文化芸術の振興を推進することを目的とした支援「大規模かつ質の高い文化芸術活動を核としたアートキャラバン事業」を実施。同協会はその採択を受け、コロナ禍で疲弊した能楽界の閉塞(へいそく)感を打ち破り、新たな挑戦をしようと「キャラバン」を企画した。

 山本能楽堂公演は上野家、梅若家、大西家、生一家、そして山本家の能楽師家が一丸となって「新たなチャレンジを行わせていただく場」と捉え、「野村美術館(京都市)には秀吉が書き残し、自らが演じた能の番組、つまり、プログラムが掛け軸となって残っている。そこに記された5演目を12月まで毎月上演する」ことを決めた。

 「秀吉はわずか50日間で15〜16種類の演目を驚異的なスピードで覚えたと言われていて、正室の北政所に送った手紙には『能に暇なく候』と書かれていた。能以外のことをする暇はないという意味で、能に熱中していた様子がよく分かる」と同能楽堂の山本佳誌枝さん。

 「のふの事〜能に暇なく候」と題し、其の一(8月29日)「弓八幡」に始まり、「芭蕉」(9月20日)▽「融」(10月16日)▽「杜若」(11月7日)▽「大会」(12月4日)。佳誌枝さんは「連続でご覧いただくと秀吉の趣向が感じられ、“大阪ならでは”の催しとして楽しんでもらえるのでは」と話す。また、番外編として、秀吉ゆかりの大阪城を見上げる場所にある大阪城音楽堂で10月21日、野外能を実施。人気の「羽衣」と「石橋」を披露する。

 チラシやパンフレットには、秀吉が能を鑑賞している様子が描かれている神戸市立博物館に残る「観能図」の屏風(びょうぶ)を使用。京都の邸宅に天皇を招いた「聚楽第行幸」の様子を描いたとされるもので、「描かれている観客の中には南蛮人の一行の姿もある。この屏風のように、日本の方も外国の方も、一緒に能を楽しんでいただけるような日が早くくれば」と佳誌枝さんは願う。

3005名無しさん:2021/08/29(日) 22:29:48 ID:NrdB.GxU0
秀吉の常山城攻略 陣立て文書確認 滋賀、軍事作戦の一端伝える
https://www.sanyonews.jp/article/1168886

戦国時代末期の織田信長による中国攻めで、織田勢を率いた羽柴(豊臣)秀吉が、毛利氏が支配する瀬戸内海航路の要衝、常山城(玉野市宇藤木など)の攻略を目指し、自軍の陣容を記した文書が26日までに、滋賀県長浜市で確認された。毛利氏との直接対決に向け、秀吉が行った具体的な軍事作戦の一端を伝える貴重な史料として注目される。

 文書は縦30・4センチ、横46・8センチで、中国攻めのクライマックス・備中高松城水攻め(1582年5〜6月)間近の同年3月17日付。加藤光泰、仙石秀久ら秀吉配下の武将名とそれぞれが率いる人数が記され、秀吉の花押も確認できる。冒頭には「はまて(浜手)の衆」とあり、編成されたのは水軍で、文書はいずれかの参加武将に送ったものとみられる。

 中国攻めでは秀吉が、山陰、山陽両方面から中国地方の覇者毛利氏の勢力圏に侵攻し、山陽では備前の戦国大名・宇喜多氏の協力で作戦を進めた。

 常山城を巡っては、信長の一代記「信長(しんちょう)公記」の中に、信長の五男で秀吉の養子になった秀勝の初陣として備前国児島の敵城を攻撃する旨の報告が秀吉からあったことが記されている。この敵城が常山城と考えられているが、他に資料がなく、実際に攻城戦があったかどうかは不明だった。

 文書を調査した長浜市歴史遺産課は「かなり具体的な計画が記され、軍勢の出動が行われた事実が裏付けられた」とし、「秀吉が高松城をはじめとする備前・備中境の城を攻撃できた背景には常山城攻略による周辺の制海権掌握があり、(秀吉の天下取りの契機である)中国大返しにもつながった」とみている。

 一方で調査に協力した倉敷市歴史資料整備室の畑和良専門員は「この文書だけで実際の戦闘行為の有無までは判断できないが、少なくとも出陣を詳細に計画したことは証明される重要な発見」としている。

 文書は長浜市在住の歴史愛好家の男性が、昨年末にネットオークションで入手。照会を受けた同課が紙質や花押から秀吉のものと判断した。
(2021年08月26日 21時39分 更新)

3006名無しさん:2021/08/29(日) 22:30:39 ID:NrdB.GxU0
大化の改新の舞台は大阪であります。

大化の改新の裏側を紹介 来月26日に平野区歴史講座
2021年8月27日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210827/20210827029.html

 「令和3年度 第2回平野区歴史講座」が9月26日に大阪市平野区平野南1丁目の平野区民ホールで開かれる。午後1時半(正午開場)〜同3時。受講料(資料代)500円。定員は事前申込で先着100人(定員になり次第受け付けを終了)。

 大阪市コミュニティ協会平野区支部協議会主催。当日は大阪府高齢者大学講師で関西大非常勤講師の岩井敏明氏が「大化の改新の裏側」と題して講演する。参加希望者は平野区民センター(同区長吉出戸5丁目)に直接来館または電話で申し込む。

 オープニングイベントとして同0時45分から市立加美中吹奏学部によるミニコンサート(約30分)も予定している。

 問い合わせは電話06(6704)1200、平野区民センター。

3007名無しさん:2021/09/04(土) 02:57:21 ID:NrdB.GxU0
大阪市立美術館で「聖徳太子展」 国宝や重文などゆかりの作品が集結
9/3(金) 17:20配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/5fac150897aa56f2682351be41b05cb8366c3428
 
 千四百年御聖忌記念特別展「聖徳太子 日出づる処(ところ)の天子」が9月4日から、大阪市立美術館(大阪市天王寺区、天王寺公園内)で開かれる。(あべの経済新聞)

 2022年に聖徳太子(574〜622)が没して1400年を迎えることを機に開かれる同展。太子信仰の中核を担ってきた和宗総本山四天王寺(天王寺区)の所蔵品を中心に、日本各地から飛鳥時代から中世、現代までの太子ゆかりの作品を集める。「聖徳太子絵伝」や「聖徳太子立像」など国宝8件、重要文化財41を含む181件を展示する。会期中には展示替えを行う。

 開館時間は9時30分〜17時。月曜休館(9月20日は開館)。観覧料は一般=1,800円ほか。10月24日まで。

3008名無しさん:2021/09/08(水) 23:08:59 ID:NrdB.GxU0
「なにわの考古学」土器など展示 10月27日から
2021年9月8日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210908/20210908026.html

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)は、10月27日から8階特集展示室で特集展示「新発見!なにわの考古学2021」を開催する。12月20日まで。会期中は、船出遺跡出土の朝鮮半島の土器(5世紀)のほか、難波宮跡出土の漆が付着した須恵器(7世紀)▽豊臣期大坂城詰ノ丸の石垣(パネル展示)と金箔(ぱく)瓦(16世紀末〜17世紀初頭)▽野崎町所在遺跡出土の大量の陶磁器(17世紀末〜18世紀初頭)など約350点を展示する。

 詳しくはhttp://www.mus-his.city.osaka.jp/

3009名無しさん:2021/09/12(日) 19:51:23 ID:NrdB.GxU0
聖徳太子が亡くなって来年で1400年 太子ゆかりの品を集めた展覧会 大阪市立美術館
9/12(日) 12:25配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6614fb0c8f229c41c5d1923eb13be938283c232
読売テレビ

 聖徳太子が亡くなってから来年で1400年になるのを前に、聖徳太子について知ってもらおうと、大阪市立美術館で展覧会が開かれている。

 展覧会には、日本各地のお寺や神社約60から集められた聖徳太子にまつわる宝物が展示されている。

 国宝の「丙子椒林剣」や重要文化財の「聖徳太子童形立像」、さらに今回初めて展示される神輿など、総数は約180件に上るという。

 毎週土曜日には四天王寺の僧侶による絵画の説明会も行われている。訪れた人たちは、太子ゆかりの貴重な品々を真剣な表情で見入っていた。

 この展覧会は10月24日まで開かれている。

3010名無しさん:2021/09/22(水) 23:14:13 ID:NrdB.GxU0
秋の大古本祭り 10月8〜12日、四天王寺
2021年9月20日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210920/20210920025.html 

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で「四天王寺 秋の大古本祭り」(同寺、関西古書研究会共催)が10月8〜12日に開催される。

 秋恒例の古書市として長年多くの愛好家に親しまれており、今年で21回目。広い境内には、大阪を中心とする古書店のテントブースが並び、文学や歴史、芸術などあらゆる分野の古書類を販売する。古書以外では古地図や古写真、音楽CDなども人気。好評の絵本・児童書コーナーや100円均一コーナー、スタンプラリーも予定している。

 毎回「特集」として各店が統一テーマを決めて関連書籍を展示販売しており、今回は「聖徳太子とその時代」がテーマ。くしくも今年は同寺を創建した太子の没後1400年という大きな節目に当たる。同寺は「古今の書物が集まる大古本祭を通じて、人としての豊かな教養が育まれ、聖徳太子の和の精神が実践されますことを祈念」と言葉を寄せている。

 午前10時〜午後5時(最終日は同4時)。問い合わせは電話072(994)8852、事務局(大仙堂書店)。

3011名無しさん:2021/09/25(土) 21:49:22 ID:NrdB.GxU0
荘厳な景色 心穏やかに 四天王寺で「日想観」
2021年9月24日
https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/210924/20210924031.html

 秋分の日の23日、真西に沈む夕日を拝む彼岸の伝統行事「日想観(じっそうかん)」が、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(加藤公俊管長)で厳かに執り行われた。天候に恵まれたこともあり、多くの参詣者が丸くまばゆいほどの太陽が石鳥居(いしのとりい)に沈み行く荘厳な景色を見届けた。

 日想観は夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環。かつて四天王寺のそばまで海が広がり、境内の真西は極楽浄土へ続く場所と信仰されていたことに由来する。春、秋の彼岸の中日にのみ、鳥居の中央に沈むことで知られる。

 この日は午後5時15分頃から僧侶らが西大門(極楽門)付近に参集し、法要を営んだ。参詣者は真剣な表情で読経に声を合わせ、境内は荘厳な雰囲気に包まれた。

 暮れなずむ境内では、ゆっくりと傾き始めた夕日を集まった人々がカメラに収めたり、手を合わせたりして見届けた。

 区内から訪れた女性(67)は「ここ数年、見たことがないほどきれいな夕日で感動しました。心が穏やかになりました」と、しみじみと話した。


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