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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

272名無しさん:2011/06/28(火) 21:05:55 ID:1dusWSDI0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110628/20110628022.html
7月9日「浪花の映画事始め」 貴重な映像2本上映
2011年6月28日
 大阪市中央区の大阪歴史博物館で7月9日午後2時から「浪花の映画事始め」と題した上映会が行われる。1930年代の懐かしい大阪の街を映した貴重な映像「大阪百景」(30分)と、1933(昭和8)年に大阪で撮影された日活のサイレント映画「僕らの弟」(春原政久監督。56分)を上映。7月23日〜9月2日に大阪・九条のシネ・ヌーヴォで開催される「浪花の映画大特集」を記念しての特別イベント。

 「大阪百景」は大阪駅、御堂筋、中之島、安治川河口、大阪城、道頓堀、通天閣、商工祭、水都祭、カフェー丸玉など昭和初期に撮影された大阪の情景や風物を紹介。モダンな建築、レビュー、カフェーなど経済、文化、芸術が花開いた黄金期「大大阪」を映した映像集だ。大阪芸術大教授の太田米男さんが解説する。

 「僕らの弟」は大阪・四貫島小学校であった実話を基に現地でも撮影敢行。貧困の中でひたむきに生きる子どもたちとそれを支える社会をリアリティー豊かに描く。後に「三等重役」などを撮った名匠・春原政久監督のデビュー作。関西唯一の活動弁士・井上陽一さんの活弁付き。

 入場料=前売り1400円、当日1700円。問い合わせは電話06(6582)1416、シネ・ヌーヴォへ。

273名無しさん:2011/06/30(木) 20:52:53 ID:6sXyerKs0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110630/20110630015.html
にぎやかに「船乗り込み」 大阪夏の風物詩
2011年6月30日
 歌舞伎の人気俳優が大阪市内の河川を巡る大阪夏の風物詩「船乗り込み」が29日、天満橋の八軒家浜から出発し大川−東横堀川−道頓堀川のコースで古式ゆかしくにぎやかに行われた。

 7月3日に開幕する「七月大歌舞伎」(27日まで)の出演者、片岡仁左衛門さん、秀太郎さん、孝太郎さん、愛之助さんらが浴衣姿で乗り込んで「松嶋屋!」の声が歌舞伎ファンの間で飛び交った。

 仁左衛門さんは終点の戎橋のとんぼりリバーウォークで下船し松竹座へ直行。劇場前に詰め掛けたファンに「今年は“関西・歌舞伎を愛する会”の20回記念になる公演。浪速の暑さを吹き飛ばすような楽しい舞台にしますのでぜひお出かけください」とあいさつ。続く中村時蔵さん、坂東三津五郎さんらも「今年の大阪は暑い」と噴き出す汗をぬぐいながら手を振って公演の成功を誓っていた。

274名無しさん:2011/06/30(木) 21:51:05 ID:6sXyerKs0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110630/osk11063021240022-n1.htm
華やか「宝恵かご行列」 大阪で夏告げる「愛染祭」
2011.6.30 21:15

 大阪に夏の訪れを告げる「愛染(あいぜん)祭」が30日、大阪市天王寺区の四天王寺の支院・勝鬘院(しょうまんいん)愛染堂で始まり、公募の愛染娘を乗せた名物「宝恵(ほえ)かご行列」が沿道を練り歩いた。

 6台のかごに浴衣姿の愛染娘が乗り込み、笛や太鼓のリズムに合わせ、担ぎ手らが「愛染さんじゃ」などと声を張り上げながら、JR天王寺駅周辺から愛染堂を目指した。境内到着後は、愛染娘を乗せたままかごを高々とかかげる「かご上げ」が盛大に行われ、祭りを盛り上げた。

 愛染祭は、天神祭、住吉祭と並ぶ大阪の三大夏祭りの一つ。愛染祭を機に女性が浴衣を着始めるため「浴衣まつり」とも呼ばれている。祭りは7月2日まで続き、縁結びや商売繁盛などを願う人でにぎわう。

275名無しさん:2011/07/01(金) 06:36:09 ID:6sXyerKs0
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110701-OYT8T00088.htm
象山の櫓時計 動いた

 幕末の思想家・佐久間象山(1811〜64年)が使ったとされる江戸時代の櫓(やぐら)時計の修理が終わり、30日、再び時を刻み始めた。西洋の時間制に改造された江戸時代の時計は珍しく、保管先の高槻市立しろあと歴史館(城内町)で16日から公開される。

 同市内の美術品愛好家が1990年に市に寄贈。高さ87センチで、おもりが下がる力で歯車を動かし、毎正時や設定した時刻にかねが鳴る。時計の針は24時間で1周し、おもりを手動で上げることで約12時間動き続ける。

 18世紀に作られた和時計を19世紀半ば、西洋にならって24時間制の時計に改造しているという。「午(うま)」など十二支の文字が書かれていたとみられる文字盤を洋数字にし、世界地図を描いた七宝焼も施されている。

 同館によると、佐久間家の家紋が入っているほか、「佐久間象山先生 時計」の貼り紙があることなどから、象山が西洋風に改造させて愛用した時計とみられるという。

 今年になって、和時計研究家の澤田平さん(76)(大阪市東成区)が鑑定したところ、修理すれば動くことがわかった。約120点の部品を分解、おもりのひもを新調したほか、鉄製歯車のゆがみなどを直すと、「カチカチ」と音をたてて動きだした。毎正時に「カーンカーン」というかねをたたく仕掛けもうまく動いた。澤田さんは「時計が動いたことで文化財としての価値も上がり、うれしい」と話していた。公開は8月28日まで。問い合わせは同館(072・673・3987)。

(2011年7月1日 読売新聞)

276名無しさん:2011/07/01(金) 23:20:44 ID:KE4DzwJ60
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110701/20110701020.html
待ってました浴衣美人 愛染まつり始まる
2011年7月1日
 夏祭りの始まりだ!−。大阪の祭りシーズンのトップを飾る「愛染まつり」が30日、大阪市天王寺区夕陽丘町の愛染堂勝鬘(しょうまん)院(山岡武明住職)で始まった。祭りに花を添える「愛染娘」らが、宝恵(ほえ)かごから笑顔を振りまき、道行く人に夏到来を告げた。2日まで。

 この祭りから浴衣を下ろすことから「浴衣まつり」などとも呼ばれる大阪三大祭りの一つ。あべのキューズモール(同市阿倍野区)にキャンペーンガールの愛染娘ら12人が黒地にピンクの花模様の浴衣姿で登場した。

 愛染娘らは六つのかごに分乗し、初日恒例の「宝恵かごパレード」へ出発。公募の担ぎ手チーム「愛染女組」「愛染男組」らと「愛染さんじゃ宝恵かご、べっぴんさんじゃ宝恵かご」の掛け声とともに約2キロ先の勝鬘院を目指して谷町筋をにぎやかに練り歩いた。境内では活気に満ちたかご上げが披露された。

 期間中、本堂の秘仏「愛染明王」や多宝塔の「大日大勝金剛尊」が特別開帳されるほか、宝恵かご体験コーナー、浴衣の参詣者へ数珠腕輪プレゼント(各日先着100人)、「ミス愛染娘・愛嬌(あいきょう)コンテスト」(1日午後7時から)などが予定されている。

277名無しさん:2011/07/01(金) 23:27:05 ID:KE4DzwJ60
http://mainichi.jp/kansai/news/20110701ddn041040013000c.html
愛染まつり:夏の風物詩−−大阪

大阪三大夏祭りの一つで、関西で一番早い夏祭りとして知られる「愛染(あいぜん)まつり」が30日、大阪市天王寺区の四天王寺支院・愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)で始まった。2日まで。

 呼び物の「宝恵(ほえ)かご行列」は、JR天王寺駅前から出発し、愛染堂までの約1・5キロを約1時間かけて練り歩いた。宝恵かごに乗った浴衣姿の12人の愛染娘らが、男組らに担がれ「べっぴんさんじゃ」「商売繁盛」などの掛け声と共に見物客らに愛嬌(あいきょう)を振りまいた。到着後、境内で宝恵かごに乗った愛染娘らが高々と担ぎ上げられると、歓声と拍手がわき起こった。【宮武祐希】

278よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:23:29 ID:2romIYFg0
7月「夏祭りのご馳走」
http://www.kuidaore-osaka.com/jp/starting_point/senba/7_2.html

江戸時代、大坂の町、すなわち大坂三郷の、内にあった氏神さんの夏祭りは、6月(現在は7月)に集中していました。旧暦6月は大坂の祭り月でした。

船場安土町の水落家の氏神さんは、現中央区久太郎町4丁目の坐摩神社です。ふつう、「ざまさん」と親しみを込めて呼ばれます。水落家の「行事帳」(文政6年:1823年)から、6月22日坐摩神社御祭礼の献立を見てみましょう

「 六 月
御祭禮  廿二日
右神事、御客仕来りなし、内祝之酒肴、少々手當有、
尤、膳部者四五人前手當、是ハ臺所客ハぜひ有之候故なり
献 立
朝  平  (薄くず)なすび    汁  見斗   めし
昼  鱠  はもかハ、白うり、しそふ    汁  はも摺りながし
平皿  (ゆ)すり身油上ケ、ねき  焼物  (塩やき)あじ」
これによると、水落家では、坐摩さんの夏祭りの日に特別にお客さんを招いて接待するというようなことはなく、内らでお祝いする酒肴を少々用意するだけだったようです。しかし、台所へ伺いに来るお客さんはきっとあるから、お膳は4、5人前用意しておくとあります。献立は、夏祭り、晴れの日ですから、ご馳走です。

朝は、ふだんはお茶漬けとお漬物(おつけもん)のところ、お平とおついがついています。一日に一回、昼に御飯を炊く水落家では、お昼がお祭りの御馳走、は もの料理です。といっても、私たちがすぐ思い浮かべる「はものつけ焼き(照焼き)」は、まだ登場していません。焼き魚は、あじの塩焼きです。

現在、夏祭りの宵宮にあじの塩焼きを、本祭りの日にはもを食べるお家もあります。鱠に、はもの皮の和え物、汁は、はものすり流し、お平には、(はもの)すり身の油揚げ、とはもづくしです。はものすり流しは、はもの身を包丁でたたいてから、すり鉢で充分にすり、お出しでのばして、火にかけます。これは、はも がよっぽど新鮮でないとおいしくないと思われます。雑喉場魚市場がひかえた大坂の町ならではのお料理です。
夜については、記載がありません。夜はふだん通りのお番菜だったのでしょう。

279よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:24:42 ID:2romIYFg0
>>278

水落静さんに、昭和初期の坐摩さんの夏祭りのお話をお聞きしました。坐摩さんの夏祭り(7月21日・22日)の日、家の表には、上が白、下が浅葱(水色)に染め分けられた幕を張ります。上の白い部分に「抱き茗荷」の紋(水落家の家紋)が黒で染めてあります。門口に は、男の子の数だけ子祭の提灯が立てられました。水落家は男の子が二人なので、子祭を2張立てました。子祭の提灯は非常に高価なものだったということです。ふつう、船場で商売をしている商家では、家宝の屏風を店の間に飾るのですが、その当時水落家はすでに商売をやめて、多くの家作と財産で裕福に暮らす仕 舞屋(しもたや)で、表が格子づくりになっていましたから、屏風を飾るということはされなかったそうです。お祭りの日、朝早くに男衆(おとこし)さんが、 献湯料と御膳料を坐摩神社へ奉納しに行きます。坐摩さんでは、朝から「お湯」と言われる献湯神事が行われるからです。家族はそろって夕方からお参りに行き ました。

さて、そのころのお祭りの御馳走は次のようです。

・宵宮の昼(7月21日)
冷やそうめん、お澄まし(白天 越瓜のつらら)
・本祭の昼(7月22日)
「森吉」から、はものつけ焼きをとる

家では、おなま、はもの皮ときゅうりのざくざくを用意する
「森吉」は、安土町の水落家の近くにあった船場屈指の料理屋です。「森吉から取るはものつけ焼きほど、おいしいものはなかった」と、かつて、静さんの御主人九代目水落庄兵衛さんが述懐されました。おなまは、大根のなますのことで、船場の年中行事の日の献立にはかならずつきました。

280よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:25:58 ID:2romIYFg0
>>278>>279

白天とかいわれ菜のおつい

水落家の献立では、白天と越瓜のつらら(注1)のおついとなっていますが、夏祭りの時、船場で一般的に出されるのは、白天と貝割菜のおついです。水落家で も、越瓜のつららをおついに入れるのは、お上(主人家族)だけで、女中さんらはおねぎを一寸ぐらいに切ったのを入れました。これは、お家さん(注2)がお ねぎを嫌われたために、越瓜のつららに替わったそうです。
白天とかいわれ菜のおついは、お澄ましのおついにするお家と、おついがちょっと多めの煮物にするお家があります。

ここで、白天について、考えてみたいと思います。
大阪では、魚のすり身を油で揚げたものを「てんぷら」といいます。いわゆる「薩摩揚げ」のことです。その中で、白い、平べったい円形のてんぷらを白天と呼んでいます。白天の中には、刻んだ木耳が混ぜ込まれています。白天のおいしさと木耳の歯触りが抜群の相性です。この白天は、大阪地方にのみ存在するたべものなのです。京都の祇園祭の御馳走もはも料理ですが、白天とかいわれ菜のおついは出てきません。大阪の蒲鉾屋さん、「大寅」、「北浜ますせん」、「和田八」、などの老舗では、それぞれに工夫をこらした、おいしい白天を販売しておられます。

白天は一体いつごろから、大阪で食べられてきたのでしょうか。なかなか史料が見つかりませんでしたが、上記水落家の「行事帳」の祭礼献立こそ、白天の証拠となると思います。

平皿  (ゆ)すり身油上ケ、ねき

のところです。(ゆ)は柚のことです。ここには「すり身」油揚げとあるだけで、はものすり身であったかどうか分かりません。ところが、幸い、水落家にはもう一冊、さらに古い「文化二年(1805)十二月」と記載のある「行事帳」(注3)が残されており、そこには

平   はもすりみ、 わりねき

と 出ていて、はものすり身であったことがわかります。はものすり身の油揚げなら、まさしく白天です。このお平は、ねぎといっしょに盛りつけされていますか ら、煮物だったかもわかりません。わりねぎとは、勝手な解釈ですが、おねぎを焼いたり煮たりしたとき、白い部分の熱い中身が飛び出して口の中をやけどした りしないように、あらかじめおねぎに切目を入れたのではないでしょうか。

281よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:26:54 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280

『守貞謾稿』(注4)では、京坂では半平の胡麻油揚げをてんぷらというとしています。また、江戸の摘入は京坂には 無いが、鱧肉をすりて、之を制(製)することがあり、常には売らず、多くは自製であったとしています。はものすり身を油で揚げた白天が蒲鉾屋さんの店頭に ならぶようになるのは、もう少し時代が下ってからのことでしょうか。

いつ頃から、白天に木耳を混ぜるようになったのか、また、白天とかいわれ菜がセットになったのか、というような点については、史料が確認できませんでした。しかし、とにかく、白天に木耳を混ぜ込んだ人と、白天の相方にかいわれ菜を考えついた人は、天才です。

白天をはじめ、赤天、牛蒡天、各種野菜や、タコ、イカの入ったてんぷら、など、大阪の「てんぷら」は、大阪人が作って、育んできた、大阪の誇る食の文化財だと思います。

(注1)越瓜のつららとは、越瓜を桂むきをして、くるくる巻いて,小口から切ったもので、氷柱に見立てたのか、あるいは、つらつら(ならびつらなるさま)が約まった言い方なのかもしれません。
(注2)船場では、当主夫妻を「旦那さん、だんさん」、「御寮人さん」と呼び、当主の両親を「親だんさん」、「お家さん」と呼びます。お家さんは、つまっ て、「おえさん」と発音することが多いようです。親だんさんが、隠居すると、「御隠居さん」と呼ばれることもあります。
(注3)水落家の文化2年の帳面は、後に張り混ぜて作り直したものであり、内容も文政6年の「行事帳」の方がくわしいので、「船場の料理 12ヶ月」では、文政6年の「行事帳」をもとにして、話を進めています。
(注4)喜田川守貞が、江戸時代の江戸、京、大坂の風俗について、記した考証的随筆。天保8(1837)年ごろから書き始め、慶応3(1867)年ごろまで、追記、追考を重ねたということです

282よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:28:09 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280>>281

天神祭の歴史

鉾流神事
当宮鎮座の翌々年の天暦5(951)年に鉾流神事が始まったと伝えられます。これは社頭の浜から神鉾を流し、その漂着した地を斎場と定めて、そこに神様を御迎えする神事です。

鉾流神事は、鉾に託して「穢れ」を祓うとともに、年に一度、神様が氏地を巡見されるという意味合いも持っています。この神様のお出ましを奉祝するために「天神祭」が始められたのです。

ところが、寛永21(1644)年の還御後は、常設の斎場(御旅所)が設けられたため、鉾を流す必要がなくなり、神事は途絶えてしまいました。しかし、昭和5(1930)年に至って鉾流神事が復活され、現在も古式ゆかしく斎行されています。

陸渡御
神様に氏地の平安を御覧いただこうと、氏子たちが御迎えの行列を組んだのが陸渡御・船渡御の始まりです。陸渡御列の中心は、神霊を奉安する御鳳輦ですが、この前後を催太鼓や神輿、神具、牛車、旗、鉾などが供奉して氏地を巡回し、天神橋北詰めの乗船場まで進みます。

かつての氏地各町では、地車(だんじり)を曳いて神様の渡御を悦びましたが、安永9(1780)年には八十四輌もの地車が宮入りした記録があります。現在では、一輌だけ残った三ツ屋根地車が渡御列に御奉仕しています。

船渡御
江戸時代には、氏子・崇敬者の仕立てた数多の船が、舳先に御迎人形を立て、意匠を競って船体を飾りたて、御旅所へ御迎えの船列を整えました。昭和12(1937)年の船渡御列は、二百艘に達したといいますが、現在は警備の都合もあり、約百艘に制限しています。

昭和28(1953)年、地盤沈下により橋桁が下がって船列の航行に支障が生じたために、それまでとは逆方向に大川を遡行するというコースの大変更を行い、現在に至っています。

283よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:29:40 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280>>281>>282

【天神祭祭儀一覧】

二十二日
伏見三十石船献酒祭 午後二時〜三時於本殿
ドラゴンボート国際選手権 午前八時〜四十五分

二十三日
天神祭前夜祭ツイン及びOBP地区 午後五時〜八時
御羽車巡行 午前十一時〜午後三時半於 天二〜天六
包丁式(京繁協友会) 正午於 本殿
ギャル神輿宮入り 午後四時頃

二十四日 宵宮
宵宮祭 午後四時於 境内
午前七時四十五分於 本殿
流し神事(神鉾講) 午前八時五十分於 鉾流橋畔

二十五日 本宮
夏大祭 午後二時於 本殿
神霊移御祭 夏大祭に引き続き本殿にて斎行
陸渡御 午後四時半
船渡御 午後六時 出発
水上祭
帰着 先頭 午後八時
天満宮還御 午後九時五十分
還御祭 午後十時於 本殿
花火 午後七時於 川崎公園於 桜宮公園

天満宮のホームページ

284よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:30:54 ID:2romIYFg0
>>278>>279>>280>>281>>282>>283

天神祭のご馳走

天満宮の参道にあたる西天満の旧家、内藤壽一さんの家では、天神祭には門にちょうちんを出し、家紋の入った幕をはって迎えます。住まいは明治43年(1910)に上棟された大阪の町屋から、いまはビルになっていますが、天神祭のご馳走は変わりません。
壽一さんの妻の芳美さんは、帰省する子どもたちや孫たちのために、毎年お祭りの料理を用意します。芳美さんに内藤家の天神祭のご馳走を披露していただきました。

メニュー
1.鱧ちり
熱湯にくぐらせた鱧を氷水にさらして冷まします。水気をとって盛りつけ。梅肉、ミョウガとともにいただきます。

2.鱧の照り焼き
骨切りした鱧の切り身にタレをつけてじっくり焼き上げます。はじかみショウガが添えられています。

3.小芋の煮物
ぬめりをとった小芋を薄味で炊き、色よくさっと炊かれた絹さやが添えられます。だされる直前には、すりおろした柚子をかけます。

4.タコとキュウリの酢の物
生タコの足をゆでて、薄切り。輪切りキュウリは塩をした後に水にさらしてしぼり、タコとともに合わせ酢で和えます。ミョウガが添えられています。

5.冷やしそうめん
深鉢に氷と青しそがあしらわれ、薬味には、きざみねぎ、椎茸の煮物、錦糸たまご、えび、すりおろした土ショウガが並びます。

6.白天とかいわれ菜のおすまし・きくらげ入りの白天、かいわれを盛りつけた椀にすまし汁を注いでいただきます。

7.枝豆・ゆでた枝豆も、冷えたビールとともに夏には欠かせないメニューです。
あっさりとした味付け、しゃきっとした歯ごたえ。夏にふさわしい食感と、味を引き締める薬味にも気をつかってだされる料理。どれもおいしそうで、食もすすみます。

285よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 08:37:07 ID:2romIYFg0
天神祭宵宮祭「薪能」を船上から鑑賞−帝国ホテル大阪が企画
http://kyobashi.keizai.biz/headline/940/

帝国ホテル大阪(大阪市北区天満橋1、TEL 06-6881-1111)は現在、「天神祭宵宮祭 奉納水上薪能鑑賞プラン」を販売している。

 天神祭前日の7月24日に大阪天満宮で行われる「天神祭宵宮祭(よみやさい)」に合わせて、OAP港に係留した「天神祭船渡御列・舞台船」の一つである「能船」で「三番叟(さんばそう)」、「羽衣」、半能「石橋(しゃっきょう)・大獅子」などの演目を上演する「奉納水上薪能」。

 「薪能を船上から楽しんでもらおう」と2005年に企画されて以来、今年で6年目となる同プラン。天神祭や天満宮の歴史、天神祭などの背景を解説するボランティア「天満天神御伽(おとぎ)衆」によるセミナーや、中華料理の「ジャスミンガーデン」での夕食会、船上からの薪能鑑賞がセットになっている。併せて宿泊プランも用意する。

 同ホテル1階ロビーでは大阪指定文化財の「御迎人形」「鳳講子供神輿」の展示や、「天神祭写真コンテスト」作品展なども行っている。

 料金は、セミナー・夕食・奉納薪能鑑賞付き=1万8,000円、1泊朝食付き=1室7万円。

286よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 09:05:54 ID:2romIYFg0
四天王寺で「七夕のゆうべ」開催へ−今年は鎮魂と復興を祈願
http://abeno.keizai.biz/headline/111/

 四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺1)境内で7月7日〜10日、今年で4回目となる「七夕のゆうべin四天王寺」が開催される。主催は地元商店主などで構成された実行委員会。

 会場では、全長約22メートルのササトンネルとイルミネーションで彩られた天の川、今年は仙台たなばた祭り応援のための吹き流しを設置する。併せて、地下鉄・四天王寺前夕陽ケ丘駅より同寺までの参道でササ飾りを展開。ほか、特製短冊も用意しササに飾りつけできる(7日13時〜10日19時)。今年は東日本大震災の鎮魂と復興を祈願し、「鎮魂のともしび」ろうそくなども用意する。

 七夕当日の7日は19時より「ササトンネルオープニングセレモニー」が始まり、イルミネーションが点灯(24時まで)。「七夕縁日」(17時〜21時)は多数のフードブース、ゲームブース、東北物産展などを用意する(9日まで)。

 9日は、仁王門メーン会場で地元小・中学校やプロ・アマチュアアーティストが参加する「七夕復興祈念コンサート」(16時〜21時)を、東門ステージで大阪スクールオブミュージックの学生が運営する「星空コンサート」(19時〜22時)を、東重門付近で天体望遠鏡数十台を用意する「星空観望会」(19時〜22時)を、それぞれ開く。

 10日は20時より願いが天に届くよう短冊を焼く儀式「お炊き上げ」でフィナーレを迎える。

 今年は「上本町YUFURA」(天王寺区上本町6)新歌舞伎座前野外ステージで、7日17時〜19時と9日15時〜19時、関西で活動するインディーズアーティストのコンサートも行われる。

287よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 12:04:16 ID:2romIYFg0
文学の都大阪と文学碑
高橋 俊郎 オダサク倶楽部・図書館司書
2011年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/110701/20110701025.html

 明日7月2日(土)午後2時から、第32回文学碑記念の集いが夕陽丘の太平寺を会場に開かれる。大阪市の文学碑建立第1号が、1980(昭和55)年に口縄坂の登りつめに建てられた織田作之助『木の都』文学碑であるところから、毎年7月第1土曜日にこの碑の近くの太平寺で開催され、32年目になる。

 今年は、ミナミや新世界を舞台にした小説『通天閣』で2007年織田作之助賞を受賞した西加奈子さんを招いて開かれる。大阪市の文学碑は織田作之助の後、森本薫、三好達治、水上瀧太郎、梶井基次郎、宇野浩二、百田宗治、直木三十五、武田麟太郎、薄田泣菫、谷崎潤一郎、折口信夫、林芙美子、伊東静雄、川端康成と建てられてきた。

 市が建てたもの以外にも東住吉区北田辺には開高健『破れた繭』、中央区道修町には谷崎潤一郎『春琴抄』などもある。この6月5日には、西区湊橋南詰に宮本輝『泥の河』文学碑が建立され、宮本輝さん出席のもとで除幕式が行われた。

 その他にも句碑、歌碑は大阪市内に数多くあるが、織田作之助が「万葉以来、源氏でも西鶴でも近松でも秋成でも、文学は大阪のもんだ」と書いているように、大阪の文学に関わる人材の輩出は現代に至るまで数えきれないほどである。大阪市は文学の都でもある。

 ついせんだって、市民交流センターすみよし北の春講座で「作家の原風景をたどる」をテーマに文学散歩を行った。難波、木津、今宮、日本橋、上汐を結ぶ半径1キロメートル圏内に限っても、折口信夫、司馬遼太郎、高橋和巳、武田麟太郎、織田作之助の生まれた場所がある。もちろんその生家が残っているわけではなく、文学碑についても、鴎町公園に折口信夫生誕の地碑と十日戎の文学碑が建てられているだけである。

 それぞれに生家あたりを記した小説やエッセーを読みながら、今の風景にイメージを重ねて訪ねることになるが、せめて生誕の地碑でもあればと思う。文学碑は作家や作品を今に知らしめ未来に伝えるため、その地域にゆかりの深い作品の一部を石に刻み銅板に彫り遺す。文化は耕さなければ新しいものを生み出すことができない。

 他の都市を見てみれば、金沢市では石川近代文学館をはじめとして室生犀星、泉鏡花、徳田秋声のそれぞれの文学館があり、金沢文芸館には金沢五木寛之文庫が常設され、それぞれ街角には文学碑が建てられている。そこには郷土が生んだ、また郷土にゆかりがある文学者を誇りにしている気持ちがうかがわれる。

 湯村温泉にはかの地が舞台となった早坂暁原作テレビドラマ『夢千代日記』の夢千代像があり、太宰治生誕100年だった一昨年には、故郷の青森県五所川原市に太宰治像が建立された。林芙美子が若き日を過ごした尾道市には林芙美子像が、童謡詩人金子みすゞが生まれた山口県長門市には金子みすゞ像がある。彼女が20歳から亡くなるまでを過ごした下関市には、金子みすゞ詩(うた)%TAこ)%TAち)%TA詩碑や顕彰碑を巡るコースまで開設されている。

 その人物の人となりを伝えようとするには銅像がふさわしい。そこで織田作之助生誕100年の2013年には、織田作之助が戎橋をとんびを着てハットをかぶって闊(かっ)%TA)%TAや、『夫婦善哉』の蝶子柳吉が法善寺に参り道行きする姿を銅像で再現したいと考えている。文学の都大阪には、それこそ辻々に文学碑や銅像が立っていても不思議ではない

 (たかはし・としろう 大阪市西区)

288よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/02(土) 15:07:10 ID:2romIYFg0
【戦後に5年実在!】「大阪警視庁」ホンマやで
http://www.asahi.com/kansai/travel/kansaiisan/OSK201012010130.html

  「戦後しばらく大阪警視庁があった覚えがあります。どんな経緯で『警視庁』は東京だけになったんですか」。編集部に妙な投稿が届いた。大阪にも警視庁? そんなアホな。でも、投稿主の井上勉さん(72)によると、小学校時代、住んでいた姫路から国鉄で大阪に行くと、車体に「警視庁」とあるパトカーが駅前にいてカッコイイと思ったという。「橋下知事がしきりに『大阪都』や言うてるでしょ。ほんで思い出しまして」

   ◇

 1874(明治7)年に創設された東京の警視庁。大阪の警察も、“西の警視庁”と評されることはあったが、正式に警視庁を名乗れるのは内務省直轄の東京だけ。戦後、好機がきた。1947年、自治体警察を導入する警察法が制定され、警察の名称や組織を市の裁量で決められるように。「大阪のような事件の多い大都会では、善良な一般市民には安心感を、不法分子には重圧感を与える意味で、“警視庁”ほど適切な名称は他にない」。当時の大阪市警察局長で、初代警視総監となる鈴木栄二は自著に思いをつづっている。だが、警視総監の独裁につながる、との批判もあり、「市公安委員会は『警視庁』の名前が官僚的で面白くないと強く反対」(49年8月10日付朝日新聞)するなど紛糾が続いた。最終的に正式名は「大阪市警視庁」で決着したが、「大阪市警察誌」(56年)には、鈴木が「市」抜きの大阪警視庁にこだわった逸話が紹介されている。

   ◇

 府内に住む80代OBは、警視庁時代の辞令を大切に保管する。「ネームバリューは確かにあり、周囲から羨望(せんぼう)と尊敬の眼差(まなざ)しでみてもらった」。「庁」の語感とは裏腹に、大阪警視庁は「O・P・P(OSAKA POLICE POST)」なる連絡箱を設置して市民の声を採り入れたほか、徒歩や自転車でのパトロールに重点配置した英米モデルの警ら制度を全国に先駆け導入。「オイコラ警察」でなく、市民奉仕の「日本一の警察」を目指した。

 だがわずか5年で幕を閉じる。自治体警察と国家地方警察を廃止して都道府県警に一本化されることになり、54年、大阪から警視庁の看板が外された。以来、警視庁は「東京都の警察行政をつかさどる官庁」(広辞苑)となった。

 数少ない名残が大阪城近くに残る。桜田門ならぬ桜門のそば、31年に陸軍第4師団司令部として建てられ、長く市立博物館だった洋館こそ、警視庁時代の本部庁舎だ。「庁」とか「都」とか肩書がどうであれ、市民目線のお役所ならばそれでいい――。戦後の混沌(こんとん)期、試行錯誤の歴史が塗り込まれた厳かな建物を眺めながら、そんな思いを抱いた。(宮崎園子)

■推薦  フリーライター 久保博司さん(69)

いつまでも「市民警察」で

 新宿署や曽根崎署などを密着取材し、1984年に「日本の警察 警視庁VS大阪府警」(講談社)を刊行しました。その頃の大阪府警で上の世代の人は警視庁のことを「東京警視庁」って言っていましたね。どこか対抗意識が残ってたんでしょう。でも、僕は大阪の警察が好きだなあ。内緒で調べ室にも入れてくれたし、開放的です。

 本でも書いたけど、東京は「人を捕らえる」で、大阪は「街を守る」。根本が違う。人情があって飾り気がない。名称はさておき、いつまでも「市民警察」でいてほしいです。

289よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/03(日) 18:36:32 ID:Jps.k3eA0
大阪城起点15キロと6キロ KANSAIウオークに700人
2011.7.3 02:10
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110703/osk11070302100000-n1.htm

 関西の歴史にふれながらウオーキングを楽しむイベント「KANSAIウオーク2011」(産経新聞社主催、ライオン特別協賛)が2日、大阪市中央区の大阪城天守閣前広場を発着点に開催された。家族連れら約700人が参加。天守閣が復興80周年を迎え、NHK大河ドラマ「江」や映画「プリンセス トヨトミ」の舞台にもなった大阪城から近隣にある神社仏閣などの名所を巡った。

 3回シリーズの第1回で、この日は「大阪市内エリア」を実施。参加者は体力に合わせて約15キロ、約6キロの2コースに分かれて、同広場を次々に出発した。玉造稲荷神社などを回り、ゴールした人には「完歩証」とライオンの製品詰め合わせが贈られた。

 9月10日に第2回の「奈良エリア」を、11月5日には第3回の「南大阪エリア」を予定している。

290よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/03(日) 19:27:28 ID:Jps.k3eA0
七夕伝説発祥の大阪・枚方で婚カツ合コン 300人集う
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK201107030031.html

 天野川(あまのがわ)や鵲橋(かささぎばし)など七夕にちなむ名所がある大阪府枚方市。2日、七夕伝説発祥の地とされる同市に独身男女300人が集い、「婚活合コン」が開かれた。

 市民有志が市中心部のカフェや居酒屋など計14店舗を借り切り。午後7時から4時間半、参加者は店を次々と移動しながら気の合う異性を探した。

 参加者が「ステキな人と会えますように」と書いた短冊を屋外に飾った店も。「七夕伝説のように一夜限りの出会いにしないで」と有志の一人。

291よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/04(月) 22:04:03 ID:IijEAETg0
古市古墳群:世界遺産に適した景観、模型でアピール−−あすから大阪 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110704ddlk27040199000c.html

 世界遺産登録を目指している「古市古墳群」などの歴史遺産に適した景観づくりを提案する展示「藤井寺市を世界遺産のまちへ 緑と歴史の回廊」が5日、NHK大阪ホールアトリウム(大阪市中央区)で始まる。藤井寺市教委と大阪芸術大(河南町)の共催。住宅街や高速道路など都市化した街並みの中で、どうしたら世界遺産にふさわしい姿に近づくか、200分の1サイズの模型で見せる。18日まで。

 市教委によると、古市古墳群は、全長425メートルの応神天皇陵など127基で構成される。百舌鳥古墳群とともに昨年、世界遺産暫定リストに記載された。

 模型は縦約10メートル、横約4・5メートル。航空写真を張り合わせた上に古墳や高速道路、一部の住宅などを造った。視界から古墳を遮る形となっている鉄道沿いの斜面、高速道路、住宅の周囲に木を植えて、奥に見える古墳の緑と結んだり、国道170号を「古墳街道」と命名し、広告規制などをかけて古墳を見やすくしたりするなど、同大環境デザイン学科の3年生17人が出し合ったアイデアを表現した。5日午前11時から提案を発表する。塩崎昌さん(20)は「自分の街を見下ろせる機会はあまりない。巨人になって街の上を歩く感覚で見に来てもらえたら」と話す。

 入場無料。午前10時〜午後8時(18日は午後5時まで)。問い合わせは同学科(0721・93・3781)。【三上健太郎】

292よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/04(月) 22:10:46 ID:IijEAETg0
大阪天満宮で「星愛七夕まつり」−前夜祭でのど自慢大会も
http://umeda.keizai.biz/headline/1098/

 天神橋筋商店連合会は7月7日、大阪天満宮境内(大阪市北区天神橋2)で天神橋筋商店街1・2・3丁目合同イベント「2011星愛(ほしあい)七夕まつり」を開催する。

 当日は16時から、天神橋3丁目「夫婦橋」から子ども織り姫・ひこ星を先頭に、大阪市立扇町総合高校吹奏楽部、天神天満花娘らが1丁目までパレード。その後大阪天満宮までパレードを行い、17時から境内特設ステージで今年の天神天満花娘10人を初お披露目する。

 境内では、本殿前から星合池まで、「恋愛成就」「学徳向上」「心身健康」「商売繁盛」「厄除」「交通安全」「家内安全」の願いを書いた7つの茅の輪を用意し、それぞれの茅の輪をくぐって祈願。星合池では、昨年から本格実施となった大川の「平成OSAKA天の川伝説」で放流するものと同じLED光源の「いのり星」とお札を奉納金1,000円で販売し、星合池に浮かべ奉納。500円を東日本大震災の義援金として日本赤十字社へ寄付する。「いのり星」は、今月7日まで開催する「星愛七夕セール」抽選会場(りそな銀行前、天三おかげ館前)でも販売。限定300個。

 特設ステージでは17時30分から、「第13回天満・天神街道芸祭」の決勝大会を開催。当日の予選を勝ち抜いた5〜6組がストリートパフォーマンスを繰り広げる。境内では、商店街青年部による屋台も出店し、焼きそば、ポップコーン、フランクフルトなどの飲食屋台やヨーヨー釣り、スーパーボールすくいなどの縁日屋台など、手作り屋台12店が出店する。

 前日の6日には、今年初開催の「星愛七夕まつり前夜祭」も開催。18時からは、予選を通過した8組が昭和の歌を披露する「昭和歌謡ヒットパレード」を開催。ゲスト歌手に大地誠さん、審査員に中村鋭一さんらを招き、のど自慢大会を展開する。19時からは16ミリ映写機で「ガメラ対大魔獣ジャイガー」を上映。会場では「食べながら音楽ショーや映画を楽しんでもらいたい」と、津山ホルモンうどんなどB級グルメも登場する「ふるさと物産展」も開催する。

 「星愛七夕まつり」の開催時間は16時〜21時。入場無料。雨天決行。

293よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/04(月) 22:40:49 ID:IijEAETg0
鯨まつり、57年ぶり復活へ 堺・堺区、20人試し曳き
2011.7.4 03:43
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110704/osk11070403440001-n1.htm

 ■クジラ山車「ずっしり」

 57年ぶりに今夏復活する大阪・堺の伝統行事「鯨まつり」で使われるクジラ山車の骨格が出来上がり、3日、堺市堺区の南海湊駅前で試し曳(び)きが行われた。全長約12メートルという竹製の巨大なクジラ山車。地元住民らが担ぎ具合などをチェックし、本番に向けて決意を新たにしていた。

                  ◇

 試し曳きでは、地元の「出島ふとん太鼓保存会」のメンバーら約20人が担ぎ手として参加。台車に積んだ山車をロープで引っ張って移動させたり、かけ声をかけながら担いで歩いたりして、台車の車輪の強度や担ぎ棒の感触、重みなどを確かめた。今後、黒布で山車を包み、クジラの目などを装飾。24日に住吉大社(大阪市住吉区)の境内、8月1日に住吉大社から堺市内に向けて練り歩くという。

 「鯨まつり」は鎌倉時代末期、クジラを捕り逃がした漁師らを慰めるため踊ったのが始まりと伝えられている。明治以降は約20〜30年に1回のペースで開催されていたが、昭和29年を最後に中断。今年、地元住民で実行委を結成し、復活することになった。

 試し曳きに参加した同保存会会長の鎌苅顕行さん(52)は、「祖父や父もかつて参加した祭りに加わることができて本当にありがたい。担ぐと、思ったよりもずっしりと重かった。本番は全員で息を合わせて頑張りたい」と話していた。

294よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/05(火) 18:53:48 ID:e38fXT1Q0
あべのキューズモールで「スマイル七夕」−安倍晴明神社に奉納
http://abeno.keizai.biz/headline/118/

  「あべのマーケットパーク キューズモール」(大阪市阿倍野区阿倍野筋1)3階スカイコートで7月2 日・3日、短冊(ポラロイド写真)に願い事を書きササに取り付けるイベント「スマイル七夕」が開催された。

 スタッフが撮影した顔写真に願い事を書き、ササに飾り付ける同イベント。集まった短冊は安部清明神社(阿倍野元町)に奉納する。ササ・竹は阿倍野神社(北畠3)から提供された。併せて、阿倍野王子神社・安部清明神社が伝えるくす玉も用意。くす玉は5年前から七夕の時期に近隣の小学校・幼稚園・福祉センター・商店街などに飾られている。

 当日は、子どもたちが願い事を書く姿が見られ、中には東日本大震災の復興を祈願した内容もあった。テナント従業員の願い事も事前に集め飾り付けた。

 同イベントは地域貢献を目的に行われている「あべのスマイルプロジェクト」の一環で、グランドオープン時の「スマイルこいのぼり」が始まり。今回が4回目。

 ササ、くす玉の展示は7日まで。

295よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/07(木) 06:04:24 ID:nexq186g0
「天神祭の歩き方」一冊に 「大阪人」8月号増刊発売
2011.7.7 02:03
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110707/osk11070702040004-n1.htm

 隔月刊誌「大阪人」を発行している大阪市都市工学情報センターは、8月号増刊「天神祭の歩き方地図」を発売した。780円(税込み)。

 水都大阪の夏を彩る「天神祭」は、今年も24日の宵宮と25日の本宮、奉納花火(3千発)を中心に大阪天満宮(大阪市北区)などで多彩な行事が行われる。

 数が多く広範囲にわたる神事や行事の日程と見どころ、由来や意味の解説、名物・名所案内、地図などを旅行ガイド風に見やすくまとめた。B5判で持ち運びにも便利で、一冊で天神祭のすべてがわかる内容に仕上がっている。

 監修した高島幸次・大阪天満宮文化研究所研究員(大阪大招聘(しょうへい)教授)は「天神祭の千年以上の歴史の中で初めてといっていい持ち歩いて使える実用的なガイドブックです」と話していた。書店、駅売店、コンビニエンスストアなどで販売している。

296よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/07(木) 22:02:02 ID:5IZa.vMU0
「ラジオ塔」に集まれ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110706-OYT8T00045.htm

堺・大浜公園、戦前の遺構復元

堺市堺区大浜北町の大浜公園に、戦前にラジオ放送普及のために全国の公園や広場などに設置されていたラジオ塔が復元された。公園内で遺構が見つかったのをきっかけに、市が公園中心地の広場に当時の形で作り直し、朝昼夕とラジオ体操曲や童謡のメロディーを流して当時の面影を伝える。市の担当者は「健康ブームにあやかり、ラジオ体操の拠点になってほしい」と期待を寄せている。(中筋夏樹)

 市によると、ラジオ塔は戦前、ラジオが高級品で家庭に広がらなかったため、大阪中央放送局(現NHK大阪放送局)が1930年に大阪市の天王寺公園に設置したのを始めに、全国各地に約460基が作られた。

 大浜公園には33年に蘇鉄(そてつ)山(約7メートル)のふもとに鉄筋コンクリート造りの塔(高さ3・3メートル、幅2・5メートル、奥行き1・7メートル)が設置。現在は空洞になっている塔の内部に受信機があり、塔頂に四方を向いたスピーカーがあったという。いつまで使われていたのかわかっていないが、戦後しばらくは庶民を楽しませていたらしい。

 数年前まで半分ほどの高さまで土に埋まり「ごみ焼却炉では」とも思われていたが、2007年に堺市の市民団体「戦争遺構研究会」の柴田正己代表(66)が「ラジオ塔では」と市に伝えて判明。全国でも遺構が現存しているのは二十数基だけという。

 市は移設を考えたが老朽化がひどく断念。代わりに4月、500万円かけて約100メートル西側の中央広場に、鉄骨モルタル造りで忠実に再現した。市は、「かつてはラジオ塔の前でラジオ体操をしたのでは」と考え、毎朝6時30分から録音したラジオ体操第一を流す。正午や午後3時、同5時などにも鐘の音や童謡などのメロディーを流している。

 柴田代表は「戦況を伝えたであろう戦時中のラジオ放送も再現すれば歴史の教材にもなる。実物の方も文化財として保護してほしい」と話している。

 復元を記念し、各地を巡回して開かれる「ラジオ体操・みんなの体操会」(NHK、かんぽ生命保険など主催)が8月25日、同公園のラジオ塔近くで開かれる予定。

(2011年7月6日 読売新聞)

297よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/08(金) 20:45:50 ID:cgFmRBH.0
1930年代の大阪 特別上映会 
2011年07月08日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001107080001

 1930年代の大阪で撮影された記録映像と無声映画が9日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で特別上映される。商都として栄えた昭和初期の建造物や風俗、戦時中の学校の様子を垣間見ることができる。


 記録映像「大阪百景」はプラネット映画資料図書館(大阪市北区、安井喜雄代表)が、40年間かけて収集した約5千本のフィルムから30年代の大阪の映像を抜き出し、20分の作品に編集した。今回が初上映だ。


 道頓堀にあったキャバレー「カフェー丸玉」や心斎橋の大丸百貨店、同市港区にあった遊園地「市岡パラダイス」などが登場する。市岡パラダイスは浴場、スケート場、映画館が併設された一大テーマパークだったが、34年の室戸台風で被害を受け、閉鎖された。


 無声映画「僕らの弟」(1933年制作)は、同市此花区の四貫島小などで撮影された。満州事変後の「非常時」のスローガンの下、大阪毎日新聞が「非常時、涙の少年」の見出しで報じた実話をもとに、母を亡くした男子児童と幼い弟の姿を描いた。


 当時の16ミリフィルム4巻が西山高校(現・京都西山高校、京都府向日市)の倉庫で24年前に見つかり、大阪芸術大の太田米男教授らが補修・復元した。上映は99年以来、12年ぶり。活動弁士は井上陽一さん。


 上映会「浪花の映画事始め」は9日午後2時から。太田教授の講演もある。前売り1400円。問い合わせはシネ・ヌーヴォ(06・6582・1416)へ

298よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/08(金) 20:49:54 ID:cgFmRBH.0
七夕のゆうべin四天王寺「復興を」
2011年07月08日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001107080002

 七夕の7日、大阪市天王寺区で「七夕のゆうべin四天王寺」が始まった。約22メートルのササのトンネルに「東日本みんなで支えよう」「一日も早い復興を」など、東日本大震災の被災地の復興を願う短冊が揺れた。


 会場には「仙台七夕まつり」(8月6〜8日)の色鮮やかな七夕飾り30個も並び、被災3県の物産展が開かれている。短冊は1枚100円で販売され、願い事を書いた後、仙台七夕まつりで飾りつけてもらうこともできる。収益の一部は義援金にあてる。


 近くに住む主婦東谷内(ひがしやち)久仁江さん(42)は次男の翔君(3)と訪れ「震災はひとごとではない。被災地の復興と家族の健康を願いました」。


 10日まで。イベントを主催する実行委の家田裕光(ひろみつ)委員長(47)は「関西からも息長く関わることが大事だ」と話した。

299よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/08(金) 20:51:09 ID:cgFmRBH.0
七夕のゆうべin四天王寺「復興を」
2011年07月08日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001107080002

 七夕の7日、大阪市天王寺区で「七夕のゆうべin四天王寺」が始まった。約22メートルのササのトンネルに「東日本みんなで支えよう」「一日も早い復興を」など、東日本大震災の被災地の復興を願う短冊が揺れた。


 会場には「仙台七夕まつり」(8月6〜8日)の色鮮やかな七夕飾り30個も並び、被災3県の物産展が開かれている。短冊は1枚100円で販売され、願い事を書いた後、仙台七夕まつりで飾りつけてもらうこともできる。収益の一部は義援金にあてる。


 近くに住む主婦東谷内(ひがしやち)久仁江さん(42)は次男の翔君(3)と訪れ「震災はひとごとではない。被災地の復興と家族の健康を願いました」。


 10日まで。イベントを主催する実行委の家田裕光(ひろみつ)委員長(47)は「関西からも息長く関わることが大事だ」と話した。

300よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/08(金) 21:54:50 ID:cgFmRBH.0
2011年7月 8日
屏風絵にみる「豊臣期の大坂」 16日にシンポ城下の風俗、文化など討論
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/08/20110708-055031.php

 オーストリアで発見された「豊臣期大坂図屏風」をめぐって、屏風絵に描かれた大坂城下の風俗・文化について専門家が討論するシンポジウムが16日、大阪産業創造館(大阪市中央区)で開かれる。

 平成18年、オーストリア・エッゲンベルク城で存在が確認されたこの屏風は、豊臣期の大坂の町を描いた作品。江戸初期のものとされ、オランダに輸出されるなどしてエッゲンベルク城に収蔵されたとみられる。当時の大坂城下を描いた作品は少なく、研究者の間で高い評価を得ている。

 シンポジウムでは、屏風絵に描かれた人物や意匠、行事など、当時の風俗・文化について、中・近世絵画史が専門の狩野博幸氏(同志社大教授)と、日本絵画史を研究するマシュー・マッケルウェイ氏(コロンビア大准教授)が基調講演。その後、大阪城天守閣館長の松尾信裕氏▽同天守閣研究主幹の北川央(ひろし)氏▽宝塚大学講師の木村展子氏―がパネルディスカッションを行う。

 主催は関西大学大阪都市遺産研究センター。定員300人。参加無料だが、事前に申し込みが必要。

 希望者は、往復はがき、ファクス(06・6368・0092)、eメール(osaka−toshi@ml.kandai.jp)で住所・氏名・電話番号を記入の上、「7月16日 国際シンポジウム申込」と明記して、〒564−8680 吹田市山手町3の3の35、関西大学博物館内 大阪都市遺産研究センターへ。締め切りは11日(消印有効)。問い合わせは同センター(電話06・6368・0095)。

301よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/08(金) 22:06:47 ID:cgFmRBH.0
「七夕のゆうべin四天王寺」始まる−短冊に被災地への応援メッセージ
http://abeno.keizai.biz/headline/123/

 四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺1)境内で7月7日、「七夕のゆうべin四天王寺」が始まった。

 同寺住職による復興祈願開眼法要で始まり、全長約22メートルのササトンネルにイルミネーションが点灯された。極楽門前には仙台七夕まつりの吹き流しも設置。

 今年は「鎮魂のともしび」ろうそく(500円)を販売し、収益の70%を東日本大震災の義援金に充てる。義援金目的で製作したオリジナルタオル(1,000円)も販売。

 会場では、被災地への願いを短冊に書くコーナーを設け、手動の印刷機で短冊に「がんばれ東北」の文字を印字できるようにした。短冊は仙台七夕まつりに持参するという。

 9日は、地元小・中学校やプロ・アマチュアアーティストが参加する「七夕復興祈念コンサート」(16時〜21時)、大阪スクールオブミュージックの学生が運営する「星空コンサート」(19時〜22時)、天体望遠鏡数十台を用意する「星空観望会」(19時〜22時)を開く。

 10日の最終日は20時より、願いが天に届くよう短冊を焼く儀式「お炊き上げ」が行われる。

302よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/08(金) 22:07:46 ID:cgFmRBH.0
天神花娘口上華やか 星愛七夕まつり
2011年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110708/20110708022.html

 七夕恒例の「星愛七夕まつり」(同実行委員会主催)が7日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。あいにくの雨模様となったが、「恋愛成就」や「家内安全」などを願う多くのカップルや家族連れが訪れ、境内の「茅(ち)の輪」をくぐり祈りを込めた。

 天神祭の関連行事。大阪天満宮で行われる神事「天満天神七夕祭」に花を添えるイベントとして、親しまれている。

 この日、お披露目となる天神天満花娘は七夕パレードとして天神橋筋商店街を練り歩いた後、大阪天満宮に到着。特設ステージに上がり、「そうらえ 聞きそうらえ われら天神花娘」と口上を披露。このほか会場では「天満天神街道芸祭」として、パフォーマーらによるジャグリングなどが披露された。

 境内では参拝者が「恋愛成就」や「家内安全」などの文字が書かれた茅の輪をくぐり抜けて身を清め、願い事を書いた短冊をササ飾りに結んでいた。

303よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/10(日) 07:06:36 ID:fnUvl3vw0
なにわ人物伝 

−光彩を放つ−
蔀 関月

2011年7月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110709/20110709035.html

努力の末、名所図会の大家に 月岡雪鼎のトップ門弟

三善 貞司
 浮世絵といえば江戸が本場のように思われるが、大坂にも彼らに負けない浮世絵師が多い。その代表が月岡雪鼎(つきおかせってい)で、およそ千人もの門弟がいたという。蔀関月はそのトップだ。

 彼は延享4(1747)年京町堀(大阪市西区)の本屋「千草屋」の子に生まれた。名は徳基、字(あざな)は子温。幼い頃から絵の才能は抜群で、「千草屋の絵かき坊(ぼん)」と呼ばれて評判になる。成人して家業を継ぎ商才もあって繁盛させるが、絵が忘れられない。あるとき雪鼎の浮世絵を見て驚嘆、早速「ゼニはなんぼでもだすさかい、教えて」と頼みにいってひどく叱られた。

 「このどあほ! ゼニで絵が描けるかい。それにお前は、二足のわらじをはくつもりか」

 一喝された絵かき坊は、増長していた自分を真っ赤になって恥じ、なんと店は他人に譲り、堂島1丁目(北区)の小さな借家に移住、あらためて雪鼎の前にひざまずき弟子入りを志願する。

 雪鼎は技法については、ほとんど教えなかった。

 「色彩や線は熟練が解決する。熱心に稽古すれば、誰でもある水準まではいける。問題は何をどのように描くかだ。そのためにはまず教養を深めねばならぬ」

 諭された関月は詩歌や学問を修め、和漢古今の名画の模写に、寝食忘れて取り組んだ。しかし十数年の歳月が流れたが、どんなに努力しても師の足もとにも寄れない。なんでやろ、才能がないからやろか…と悩んだり、絶望して挫折しかけたりするうちに、はっと気付いた。

 「そうや。真似(まね)ばかりしてるからや。先生の描かない画題を見つけて、自分らしさをださなあかん」

 雪鼎は美人画か武者絵が得意だ。正反対の画題を探して関月は試行錯誤を繰り返すうち、鳥羽僧正(平安時代の画僧。延暦寺座主。『信貴山縁起』や『鳥獣戯画』で知られる)と、雪舟(室町時代の画僧。個性的な水墨画家。山水・人物に秀でる)に引かれる。軽妙滑稽な戯画と、重厚枯淡な水墨画とは対照的だが、根源ではつながっているような気がする。それからの彼は筆をかついで旅に出て、僧正らしきもの、雪舟らしきものの画題を探してはスケッチを続けた。

 ある日、そんな関月の自宅を、みるからに裕福そうな旦那(だんな)が訪れる。堀江(西区)の大きな酒造業「坪井屋」の主人、木村吉右衛門だ。彼は「蒹葭堂(けんかどう)」の号を持つ大坂一の博学者でもある。彼の偉いのは芸術や学問は道楽ですといい放ち、収集した膨大な内外の珍奇物を、一般に惜しげもなく公開した点だ。だから彼の自宅は図書館・美術館・博物館の総合施設のありさまだった。

 「遠方の方にもお見せしたい。絵にしてくれませんか」。吉右衛門の心意気に感じた関月は、渾身(こんしん)の力を絞って収集品の一部を描いたのが、名著『日本山海名所図会(ずえ)』である。

 今とは比較にならぬ情報伝達の貧困な時代だ。旅に出るのさえ夢物語の閉鎖社会にあっても、人々の好奇心は旺盛だ。かつての勉学や諸国遊歴も糧となり、『伊勢参宮名所図会』『東海道名所図会』『須磨明石名所図会』『近江名所図会』なども刊行し大評判、名所図会の大家と呼ばれ、名声は高まり寛政2(90)年には法橋(ほうきょう)に叙せられている。しかし師雪鼎の高恩は忘れず武者絵や、雪舟の影響を受けた山水画も多数残しており、彼の人柄が偲(しの)ばれる。晩年は多くの門人を育成、丹羽桃渓(にわとうけい)、中井藍江(なかいらんこう)、流光斎如圭(りゅうこうさいじょけい)、それに息子の蔀関牛(かんぎゅう)らを世に出した。

 寛政9年10月、50歳没。墓は正通院(淀川区木川東1丁目)にある。剥落(へきらく)がひどいため、最近美しく再建されたが、旧墓の映像を掲げておく。

(地域史研究者)

304よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/10(日) 07:38:15 ID:fnUvl3vw0
天神祭:わっしょい、わっしょい 大阪を元気にギャルみこし−−選考会
http://mainichi.jp/kansai/news/20110709ddf041040011000c.html

大阪・天神祭を盛り上げる恒例の「ギャルみこし」の担ぎ手選考会が9日、大阪市北区の天神橋筋商店街であった。今年は330人が応募し、15〜30歳の252人が書類選考を通過した。今年の審査のテーマは「仮装」で、空手着やチャイナドレスなど思い思いの衣装を着た参加者が、80人の定員入りを目指して猛アピールした。「本番」は今月23日。

 ギャルみこしは今年で31回目。審査では自己紹介の後、「わっしょい」と大声を上げながら重さ70キロの俵を下げたてんびん棒を担ぎ元気と体力をPRした。

 手作りの「太陽の塔」の着ぐるみで参加した大阪市城東区の大学2年、友繁夏鈴(かりん)さん(19)は「大阪らしい衣装を着ようと、3時間かけて手作りした。震災で自粛ムードもあるが、ギャルみこしで大阪を元気にしたい」と話した。【古関俊樹】

305よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/10(日) 19:35:37 ID:ul4/4ZOs0
「福島」地名つながり、不思議な縁
2011.7.10 16:00
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110710/art11071016010006-n1.htm

 大阪市中央区に「安土町」という地名がある。大坂城が作られた際、滋賀県の安土から町人たちが移住した場所という説があります。

 京都の町人が移り住んだという「伏見町」(大阪市中央区)など大阪には他地域の名を冠した名前が数多く残っています。そういえば、京都市下京区にも「安土町」がありましたね。

 ならば、東北にちなんだ地名は関西にないものか、とインターネットや地名辞典を探し回ったが見当たらない。

 おいおい「福島」はどうなんや、と思われた大阪市福島区民の皆様。残念ながら、福島県人が大阪に移り住んだり、逆に大阪の福島人が福島に行ったから付いた地名ではなさそうです。

 不親切な大阪市のホームページではなく地名辞典によると、大阪の「福島」は元々「餓鬼(がき)島」という地名で、平安時代に菅原道真が「福島」と改名したとか。

 福島の「福島」は木村吉清という戦国武将が、現在県庁などが立っている杉目城の名を「福島城」に改めたことが始まりとされる。

 福島の由来を調べていたら、平成16年7月に起きた新潟・福島豪雨を思い出した。福島県では会津地方を中心に豪雨に襲われ、死者も出た。そんなとき「救援活動にあたる警察官のために」と、県警福島署に大量のタオルが届けられた。

 送り主は大阪府警福島署。同名の職場で働く県警の警察官の姿をテレビで見て、府警福島署員が職場でポケットマネーを募り購入した。やっぱり、同じ名前というのは気になるものですね。

 そういえば「福島城」の名付け親・木村吉清は豊臣秀吉や荒木村重、明智光秀ら関西ゆかりの武将に仕えたことがある人。両府県の「福島」に浅からぬ縁を感じます…という結びは浅はかです。もし、お住まいの地域の近くで東北由来の地名があったら教えてください。(渡部圭介)

      ◇

 投稿やお便り、質問は下記のアドレス(「ゆうSANKEI編集部」)までお寄せください(編集長・白岩賢太)。u35@sankei.co.jp

306名無しさん:2011/07/12(火) 17:07:45 ID:rpDEow8U0
桂三枝さん「文枝」襲名へ 来年7月「一層精進」
2011年7月12日
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201107120025.html
 人気タレントで、上方落語協会会長の桂三枝さん(67)が、桂文枝の六代目を、69歳の誕生日にあたる来年7月16日に襲名する。今週末に記者会見して正式に発表する。文枝は上方落語の大名跡で、幕末に活躍した初代は「近代上方落語の中興の祖」と評され、上方で「桂」を名乗るすべての噺(はなし)家のルーツにあたる。

 三枝さんは堺市出身で、1966年に桂小文枝(後の五代目文枝)に弟子入り。間もなく、ラジオ・テレビ番組で一躍人気タレントとなり、長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」の司会など、第一線で活躍を続ける。高座では80年代から創作落語に精力的に取り組み、息子の塾の問題に悩まされる父を描く「宿題」、いけすの魚たちの物語「鯛(たい)」など、他の一門に受け継がれている噺も少なくない。2003年には上方落語協会会長に就任、定席「天満天神繁昌亭」(大阪市)の開設にこぎつけるなど、リーダーシップを発揮してきた。

 初代文枝は幕末から明治初めにかけての大看板で、話芸の実力のみならず、人望も厚く、明治の落語全盛期を担った優れた門人を残した。05年3月に亡くなった五代目は桂米朝さん(85)、桂春団治さん(81)、故・笑福亭松鶴とともに「四天王」と呼ばれ、戦後滅亡の危機にさらされた上方落語界を支えた。

新時代の「文枝」誕生 桂三枝さん 桂派源流ゆかりの大名跡に意欲
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/12/20110712-055164.php
 タレントとして一時代を築き、落語家としても創作派の旗頭として知られる桂三枝さん(67)が、師匠の名を継ぎ、由緒ある名跡(みょうせき)「桂文枝」の六代目を名乗ることになった。江戸時代末期から明治初年にかけて活躍した初代文枝が源流となって、現在の米朝、春団治、文枝の各一門につながっていく。だから文枝の名跡は大きく、魅力がある。 (金森三夫)

 桂派は東西にあるが、その最も源流になる名跡は「文治」。その四代目文治の弟子が初代文枝を名乗った。文治はもとは大阪の名だったが、江戸時代末期に東京に移った。先月、東京・落語芸術協会所属の桂平治さんが十一代目を継ぐと発表されたばかりだ。

 三枝さんは入門当初、古典に励んだ。しかし桂枝雀さん(故人)の高座をきいて「とてもかなわない」と思い、創作の道にすすんだのはよく知られる。マスコミでの仕事の口調が古典落語にはなじまないと見極めた結果が、“三枝落語”の原点になっている。

 かつて先代の文枝夫人にお会いしたとき、「文枝」の名は古典のイメージがあう、と話されたことを三枝さんに伝えたことがある。後日、三枝さんは、初代が大ネタに仕立て、先代も得意にしていた「三十石」の稽古をしたが、今のところ大きな高座にはかけていない。

 本紙は2年半前、「三枝さん、文枝襲名」を報じたが、このとき取材に応じた三枝さんは「文枝を継ぐ強い意志があります」と話していた。

 全国に知られた名前でビジネスが十分成り立つのに、変える必要があるのかという意見がある中、来年創立100周年を迎える吉本興業では、三枝さんの要望にこたえてにぎやかに襲名披露興行を展開していくことにしたようだ。
 さらに、三枝さんが「ぼくにはあまり時間がないんです」と何度も繰り返したのが印象に残っている。

 「襲名は50代のうちに」といわれる。話術を高め、さらに練り上げるのに必要な時間を考えれば、50代でということなのだろう。

 三枝さんの師匠が五代目文枝を継いだのは62歳だったが、これには理由があった。前名「小文枝」に愛着があり、変えたくないと強く思っていたのである。

 三枝さんの襲名会見は、68歳の誕生日となる16日に予定されている。襲名披露公演は来年7月から始まり、全国を巡演する。歴代とはひと味違ったイメージの「文枝」誕生に注目が集まる。

 2011年7月12日

307名無しさん:2011/07/12(火) 17:17:04 ID:WLRvktcQ0
ちょっと名前とのイメージと違うような。

308よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/12(火) 21:44:52 ID:hJczuyXE0
掛け声 威勢良く 杭全神社・夏祭り
2011年7月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110712/20110712019.html

 大阪市平野区の杭全(くまた)神社(藤江正謹宮司)の夏祭りが11日、始まった。早朝から太鼓台を担いだ祭り装束の若者たちが神社周辺を練り歩き、「おせよー、おせよー」の威勢のいい掛け声を響かせた。

 太鼓台の巡行には当番である「野堂東組」をはじめ約600人が参加。みこしも練り歩き、橋に設けた祭壇で清めの神事が執り行われ、14日まで4日間行われる祭りの無事を祈願した。

 祭りのクライマックスは九つの組に分かれてだんじりが境内に入る「宮入」で、13日に行われる。

 同区平野東2丁目の会社員、田島輝行さん(59)は「物心ついたころから参加している。気持ちはお祭りモード。時代は移り変わっているが、若い人に確実に引き継がれているいい祭りだと思う」と話していた。

309よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/13(水) 06:15:50 ID:2hUTTP5M0
豊作願い 愛 鴨入れ
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110713-OYT8T00083.htm

大阪市住吉区の住吉大社で12日、境内の田んぼにアイガモを放つ「鴨入れ」が行われた。市立墨江幼稚園の園児約30人がひな約20羽を放し、雑草や害虫を食べる姿を見守った。

 同神社の田んぼは、神様へ供える米を作る神聖な「御神田(ごしんでん)」とされる。人ぷんなど肥料の使用は厳しく禁じられており、神社は約20年前から、無農薬のアイガモ農法を取り入れている。

 先月14日、豊作を祈る「御田植神事」が行われ、約20アールの田んぼに苗が植えられた。放たれたひなは早速、高さ約50センチに成長した青々とした稲の中をせわしなく泳ぎ回っていた。

 秋には約1.2トンの収穫を見込んでおり、園児の河野朔也君(6)は「おいしいお米ができるよう、頑張って」と声をかけていた。

(2011年7月13日 読売新聞)

310名無しさん:2011/07/13(水) 14:15:36 ID:WLRvktcQ0
平成23年度 大阪府立中之島図書館 特別展「城下町・大坂 武士が見た風景〜なにわのサムライ・ライフ〜」

「町人の都」「商人の町」の印象が強く、武士の影が薄い江戸時代の大坂。しかし、江戸幕府にとって大坂は西国支配の要の地であり、大坂城はその前線基地でもありました。大坂城とその城下では、たくさんの武士たちが暮らしていたのです。
中之島図書館では、大阪城絵図、大阪城勤方文書など大坂の武士に関する当館所蔵資料の展示会と関連講演会を開催いたします。
大阪城天守閣復興80周年の今年、江戸期の城下町・大坂とそこで暮らした武士の姿を思い起こしていただきたいと思います。

期間
平成23年 7月6日(水)〜 7月30日(土)
(日曜日・祝日は休館日)
午前10時から午後5時

会場 大阪府立中之島図書館 3階 文芸ホール
大阪市北区中之島1-2-10(地図)
【入場無料】

http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/event/bushi.html
http://www.pref.osaka.jp/annai/moyo/detail.php?recid=7628

311よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/13(水) 20:56:35 ID:OplAg9cE0
クジラ形山車、57年ぶりに登場 堺「鯨まつり」
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20110713-OYO1T00663.htm?from=newslist

 堺市の「鯨まつり」に57年ぶりに登場する巨大なクジラ形山車(だし)(全長約12メートル)=写真=が、ほぼ完成した。24日に住吉大社(大阪市住吉区)に奉納され、8月1日には同社御旅所の宿院頓宮(堺市堺区)まで約4キロを練り歩く。

 まつりは、鎌倉時代に漁師が大漁を祈って始め、20〜30年ごとに開かれてきた。漁師の減少で途絶え、3年前に復活したが、巨大山車の奉納は、1954年を最後に行っていなかった。

 新たな山車は、竹の骨組みに布張り。中に3人が入って口やヒレを動かすといい、その一員の鎌苅一身さん(63)は「水鉄砲を使って、潮も吹かせます」。

(2011年7月13日 読売新聞)

312名無しさん:2011/07/14(木) 16:59:02 ID:WLRvktcQ0
正岡容:寄席文化研究家、桂米朝宅に新作2編の直筆原稿 東京・紀伊国屋画廊で展示

 ◇強い師弟関係、貴重な資料に

 寄席文化研究家で、落語家の桂米朝の師として知られる正岡容(いるる)(1904〜58年)が、上方落語復興のために書いたとみられる新作落語2編の直筆原稿が、兵庫県尼崎市の米朝宅で見つかった。21日から東京・新宿の紀伊国屋画廊で開かれる「桂米朝展」で展示される。【濱田元子】

 正岡は、戦前・戦後を通して「雲右衛門以後」「随筆 寄席風俗」や、「小説 円朝」の著作活動などを通じ、寄席演芸への関心を高めるのに大きく貢献した。同県姫路市出身の米朝は、東京の大学に進学。落語研究を志し、43年に一番弟子として師事した。門弟はほかに俳優の小沢昭一や劇作家・演出家の大西信行らがいる。

 米朝は47年、正岡に「米団治の弟子になって、灯の消えかかった大阪落語を復興するように」と勧められ、四代目米団治に入門。六代目笑福亭松鶴らとともに上方落語の復興に尽力。現在の隆盛に導いた。発見された直筆落語は、正岡と米朝の深いかかわりを示す貴重な資料だ。

 今回見つかった新作落語は「夜櫻(よざくら)ばなし」と「慶應(けいおう)三年」。正岡専用の400字詰め原稿用紙10枚程度。「夜櫻」は、土佐稲荷を舞台にキツネに化かされる噺(はなし)。「慶應」は、伊勢神宮のお札が降ってくるという設定で、米朝が放送用に録音した記録が残っている。いずれも大阪弁の上方落語で、はめもの(落語の中で演奏される音楽)もふんだんに指定されている。

 同展は、米朝の文化勲章受章を記念して開催。米朝自筆の独演会ノートなど、軌跡をたどる資料約230点も展示される。8月2日まで。

毎日新聞 2011年7月13日 東京夕刊

http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110713dde012200002000c.html

313よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/14(木) 22:00:57 ID:b9O58STU0
にぎやかに川面往来 難波八阪神社の船渡御巡幸
2011年7月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110714/20110714016.html

 大阪天満宮の天神祭と並び江戸時代には盛大に行われていたと伝わる難波八阪神社(大阪市浪速区、藤枝春紀宮司)の船渡御巡幸が13日夜、大阪・ミナミの道頓堀川で行われた。約20隻の渡御列が川面を往来。にぎやかに夏祭りのムードを盛り上げるとともに、東日本大震災の被災地復興を祈った。

 同神社と同神社道頓堀川船渡御行事保存会(羅辰夫会長)が実施。同神社の船渡御は江戸中期に途絶えたが、2001年に氏子衆と地元企業の支援で約230年ぶりに復活した。

 夕方、渡御水域で水上神事が執り行われた後、氏神のみ霊を載せた鳳輦(ほうれん)船などが湊町船着場を出発し、日吉橋〜日本橋間を往来した。

 道頓堀川では、地元の商店街関係者らによる恒例のライトアップイベントも行われ、888個のちょうちんがともされた。このうち600個は防水型LED(発光ダイオード)電球を採用し、節電にも努めた。

 14日には同神社の陸渡御が執り行われる。


道頓堀で船渡御 LED導入
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110714-OYT8T00055.htm

 難波八阪神社(大阪市浪速区)の伝統行事「船渡御(ふなとぎょ)」が13日夜、大阪・ミナミの道頓堀川で行われた。ちょうちんの明かりに照らされて進む22隻の台船などの上では、氏子衆らがおはやしやジャズなどを演奏し、見物客を楽しませた。

 午後7時ごろ、法被姿の地元商店会役員が、太左衛門橋や川沿いの遊歩道に取り付けた888個のちょうちんに点灯。かがり火をたいたり、奉納の舞を披露したりする船が通るたび、大勢の観光客がカメラや携帯電話で写真を撮っていた。

 今年は600個のちょうちんに消費電力が少ない発光ダイオード(LED)電球を導入し、節電に対応。協賛金の一部88万8000円を日本赤十字社を通じて被災地に寄付する。道頓堀商店会の今井徹会長は「ミナミから被災地に元気を届けたい」としている。

 川沿いのちょうちんは8月24日まで、午後7時〜午前2時に点灯される。

(2011年7月14日 読売新聞)

314よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/14(木) 22:05:01 ID:b9O58STU0
町人の楽しみ追体験 御迎え人形スタンプラリー
2011年7月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110714/20110714017.html

 かつて天神祭の船渡御を迎えるために仕立てた船に乗せられていた御迎え人形。このほど、現存する16体すべてが大阪府の有形民俗文化財に指定されたことを記念し、大阪天満宮は市内で展示される8体を巡るスタンプラリーを実施している。

 御迎え人形は江戸中期の元禄文化のころ、天神祭に登場。多くが当時、流行していた歌舞伎や浄瑠璃などに登場するキャラクターを採用している。幕末期には50体を超えていたが、現存するのは16体のみ。1973年に「八幡太郎義家」など14体が府の有形民俗文化財に指定され、今年1月に残る「雀踊(すずめおどり)」と「豆蔵(まめぞう)」の2体も追加指定された。

 展示の場所と人形は次の通り。

 大阪天満宮=八幡太郎義家、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、胡蝶舞(こちょうのまい)、豆蔵▽帝国ホテル大阪=関羽▽OAP(大阪アメニティパーク)=酒田公時(さかたのきんとき)▽追手門学院大阪城スクエア=羽柴秀吉▽大阪くらしの今昔館=雀踊(大阪天満宮の展示は23〜25日、それ以外は25日まで)。

 大阪天満宮で25日までスタンプシート(御迎え人形修復基金として1枚につき100円)の授与を行っている。大阪くらしの今昔館のみ入館料が必要。

 問い合わせは電話06(6353)0025、大阪天満宮へ。

315よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/14(木) 22:08:16 ID:b9O58STU0
水郷のヨシを大阪天満宮へ奉納 近江八幡
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20110714000094

 日本三大祭りの一つ、大阪の「天神祭」(24、25両日)を前に、大阪天満宮(大阪市)へ奉納するヨシの刈り取りが14日、滋賀県近江八幡市円山町の水郷地帯で行われた。ヨシは舟で岸まで運ばれ、その日のうちに天満宮へ納められた。

 ヨシは、20〜25日に天満宮が表門に設ける「大茅(ち)の輪」に編まれ、多くの参拝者がくぐる。水郷めぐりを営む近江八幡和船観光協同組合が、水と自然の大切さを伝えようと、1998年から毎夏奉納している。

 この日は、組合の船頭2人が舟でヨシ原に赴き、鎌で刈った。ヨシの束は北之庄町の船着き場でトラックに積み替えられ、天満宮の神職からおはらいを受けた後、大阪へ向かった。

316よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/14(木) 22:17:16 ID:b9O58STU0
道頓堀川で「道頓堀川船渡御」−難波八阪神社の夏祭り神事
http://namba.keizai.biz/headline/1913/

 道頓堀川で7月13日、難波八阪神社(大阪市浪速区)の夏祭り神事「道頓堀川船渡御(ふなとぎょ)」が行われた。

 道頓堀川船渡御は江戸時代、大阪天満宮の天神祭と並び盛大に行われていたと伝わっているもので、江戸時代中期以降に途絶えていたものを、氏子や地元企業の支援により、2001年に230年ぶりに復活した。復活初年度は神事船1隻と、どんどこ船2隻の計3隻の構成だったが、回を重ねるごとに参加船舶が増え、11回目の開催となった今年は14隻の神事船(参加人数約600人)のほか、列外船としてどんどこ船2隻、補助船1隻が参加した。例年7月12日に行っていたが、今年から13日に変更。同神社の宵宮と日を合わせ、より連携を強めた。

 日が落ちた道頓堀川に、船渡御の始まりを知らせる手こぎのどんどこ船が太鼓を打ち鳴らしながらやって来ると、道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」や戎橋、太左衛門橋などに観光客が集まり始めた。

 その後、船渡御行列の先頭で社旗を掲げる「御旗(みはた)船」を先頭に、太鼓をたたきながら音頭を取る「太鼓船」、氏神様の行列の道を照らす「篝火(かがりび)船」、神器である鉾を掲げる「御鉾(みほこ)船」をはじめ、地元商店街やエフエム大阪など地元企業が提供する「供奉(ぐぶ)船」も加わり、888灯のちょうちんでライトアップされた道頓堀川を、船団がにぎやかに行き来した。

317よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/14(木) 22:21:08 ID:b9O58STU0
天王寺公園で「百年縁日」初回開催へ−ゆるキャラ12体も集合
http://abeno.keizai.biz/headline/126/

 新世界100周年プレイベント「第1回百年縁日」が7月23日・24日、天王寺公園(大阪市天王寺区茶臼山町)で開催する。

 プログラムは「ゆるキャラ」のショー、キッズダンス(以上両日)、「プロレスリング紫焔(しえん)」のプロレス、小川千春さん・関学JAM(以上23日)・チュッパチャップス・ふじおかみゆきさん(以上24日)のライブなど。

 ゆるキャラは、「くしたん」(新世界)、「くまモン」(熊本県)、「蓮花ちゃん」(葛城市)、「まごりん」(和歌山市)、「こうやくん」(高野山)、「えべっちゃん」(三田市)、「獣兵衛」(千葉県)、「いしきりん」(石切参道商店街)、「たいしくん」(太子町)、「キララちゃん」(京田辺市)、「ゴーヤ先生」(福知山市)、「若武者もとちかくん」(高知県)の12体。24日には一般公募で選ばれた、「くしたん」のテーマソングお披露目ライブも予定する。

 屋台は「新世界串かつ振興会」が参加し、串カツ・お好み焼き・たこ焼き・かき氷・ワッフル・クレープなどを用意。

 24日には天王寺動物園新世界ゲートに人力車が待機し、新世界を周回する。1人=500円、2人=1,000円。

 開催時間は10時〜19時。観覧無料(天王寺公園の入園料150円は必要)。スケジュールなどの詳細はホームページで確認できる。

318よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/14(木) 22:33:57 ID:b9O58STU0
2011年7月14日
古代人になれるかな 箕面、キャンプ参加者募集
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/14/20110714-055265.php

 日ごろ自然とふれあう機会の少ない子供たちに、古代人と同様の体験をしてもらう恒例のキャンプ「君は古代人になりきれるか」(少年少女文化財教室主催、箕面市教委後援)が8月5〜7日の2泊3日で、大阪箕面市の市立青少年教学の森野外活動センターを会場に開かれる。小学3年〜中学生を対象に、参加者を募集している。

 現代に残る遺物や遺構が、かつてどのような使われ方をしたのか、再現実験などによって解明する「実験考古学」の手法を応用したキャンプ。今回は「古代の土笛作り」をテーマに、土笛を作って太古の音色を響かせる。また古代米を使った調理や水辺でのレクリエーションなどを楽しむ。

 参加費は2万円(教材、保険料、食費込み)。定員20人で先着順。希望者は往復はがきに名前、生年月日、住所、学校名、学年、電話番号を書き〒530―8692 大阪中央郵便局私書箱254号、少年少女文化財教室へ。問い合わせは同教室(電話072・729・7318)。

319よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/14(木) 22:34:54 ID:b9O58STU0
イネ守って!! 住吉大社・御神田にカモのひな放つ
2011年7月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110713/20110713015.html

 大阪市住吉区住吉2丁目の住吉大社(真弓常忠宮司)の御神田で12日、合鴨農法に使うカモを放流する行事が行われた。近隣の幼稚園児が22匹のひなをおっかなびっくりの手つきで次々と田んぼの中に放っていった。

 同大社では毎年、境内にある約2300平方メートルの御神田で神事などに使用するイネを育成している。無農薬で育てているため、20年以上前からアイガモを放し、除草や害虫駆除などを行っている。

 例年は業者が放流しているが、ことしは墨江幼稚園(同区墨江2丁目、中山教子園長)の園児32人が参加。田んぼに放たれた生後10日ほどのひなたちは“ピヨピヨ”とかわいらしい声を上げながら、苗の間を楽しそうに泳いでいた。

 参加した河野朔也君(6)は「ひなはフワフワしていて気持ちよかった。カモが泥だらけになっちゃったけど、楽しかった」。亀井悠人君(5)は「秋までにカモが大きくなってほしいし、お米ができるのも楽しみ」と話していた。

320名無しさん:2011/07/15(金) 00:01:26 ID:6a7zJdkY0
神様は合鴨のフンは気にならないのかな
まあ、合鴨がいなくても雀などもいるから同じことかな、

321よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/15(金) 22:09:11 ID:DeneZx1.0
氏地練り歩く 難波八阪神社で夏祭本宮祭
2011年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110715/20110715019.html

 大阪市指定無形民俗文化財「綱引神事」で知られる難波八阪神社(浪速区元町2丁目、藤枝春紀宮司)で14日、夏祭本宮祭があり、前日の道頓堀川での船渡御に続き、陸渡御が斎行された。

 境内の渡御祭典でおはらいを受けた氏子衆らが午前10時半すぎ、先導役の猿田彦に続いて太鼓やみこし、だんじりなどの列をなし、神社を出発。厳しい日差しが照りつける中、約300人の渡御行列が同区や西区、中央区の氏地をにぎやかに練り歩いた。

 藤枝宮司は「宵宮も盛大にさせていただいた。暑い一日になり、皆さんには熱中症に注意していただくとともに、東日本大震災で被災された方々のためにも日本が元気になれるよう、みんなで支えていきたい」と話していた。

322よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/15(金) 22:21:05 ID:DeneZx1.0
猛暑の中・・御霊神社の船渡御が約140年ぶりに復活
http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html

江戸時代には、大阪の夏の風物詩として親しまれていた御霊神社の船渡御が、およそ140年ぶりに復活しました。
いにしえの祭りが沈んだ日本に元気を送ります。

鎧に、兜。
御堂筋に突如現れた鎧武者達。
その数なんとおよそ100人。
これは大阪の御霊神社のお祭りで、東日本大震災で暗くなっている日本を元気にしようと企画されました。
実はこの祭りは、「船渡御」といって、江戸時代の後期から明治維新まで90年近く行われていたものが140年ぶりに復活しました。
当時は、甲冑を着込んだ武士たちおよそ500人が20艘の船に乗り込んで商業の発展を願っていたということです。
一方、現代の武士たち。
着ている甲冑はおよそ20キロ。
15日の大阪の最高気温は33・8度です。
【甲冑を身に着けた参加者】「暑くて死にそうです。汗たらたらで。ここに保冷剤持ってるんです。」
鎧武者のご一行は、暑い日差しに耐えながら、船で中之島を沿いを進み、道頓堀川通って大阪に元気を届けていきました。

323よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/16(土) 18:31:01 ID:oWtz/lN20
140年ぶり復活 御霊神社の船渡御
2011年7月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110716/20110716025.html

 武士の守り神を祭る御霊神社(大阪市中央区、園文夫宮司)の船渡御が15日、約140年ぶりに復活した。武者姿などに扮(ふん)した約100人が船に乗り込み、土佐堀川などを巡った。阪神大震災を機に途絶えていた武者行列も行われた。

 同神社の船渡御は安永9(1780)年に始まり、明治維新による中断まで90年近く続いた神事。江戸時代には甲冑(かっちゅう)姿の武士ら約500人が乗り込み、夏の風物詩の一つとされた。3月の東日本大震災の発生を受け、「大阪から元気を発信しよう」と復活の機運が高まり、この日を迎えた。

 神社を出発した約100人は、大阪のメーンストリート・御堂筋を練り歩いた。このあと淀屋橋港から船に乗り込み、土佐堀川や堂島川を勇壮に巡る船渡御を繰り広げた。

324よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/16(土) 18:32:15 ID:oWtz/lN20
140年ぶり「船渡御」復活 御霊神社
2011年07月16日
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000001107160003

 御霊神社(大阪市中央区淡路町4丁目)の夏祭りで江戸時代に氏子らが甲冑(かっちゅう)姿で航行した神事「船渡御」が15日、約140年ぶりに復活した。「水都」らしい行事で地域を盛り上げようと氏子たちが尽力。当時を再現した勇ましい姿で船に乗り、川面を行き交った。


 御霊神社は江戸時代、武士からも信仰を集め、その縁で1780(安永9)年から1868(明治元)年まで続いた船渡御は、甲冑などを身につけた約500人が船20隻で巡航する華やかなものだったとされる。地元で老舗のコーヒー店を営む小川清さん(54)や老舗のすし店会長の橋本英男さん(69)ら氏子有志が神社と復活計画を進め、実現にこぎつけた。


 この日、氏子たちは甲冑や和装姿で神社から淀屋橋まで練り歩き、旅客船3隻に乗り、堂島川や道頓堀川などを航行した。通りがかった人たちは珍しそうに足を止め、携帯電話のカメラに収めるなどしていた。

325よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/16(土) 19:18:14 ID:oWtz/lN20
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

一井 鳳梧
2011年7月16日

浪華代表する町人学者の先駆 116歳まで現役

 三善 貞司
 儒学者。浪華(なにわ)を代表する町人学者の先駆だが、その長寿は驚異的で他例を知らぬ。

 彼は元和元(1615)年雲州(島根県)松江に生まれた。名は先宣、字(あざな)は桐助、別号桐吾。青年時代に学者を志し、京に出て勉学した後江戸に下り、林羅山(徳川家康の侍講。幕府学問所『先聖殿』の創始者)に師事。全国から秀才の集まる羅山門下でも頭角を現す。何度か仕官したようだが堅苦しい勤めが肌に合わず、50近くになってふらっと大坂に来て両替町(大阪市中央区)で開塾した。

 石田誠太郎の名著『大阪人物誌』に、「儒書講説す 遠近其名(そのな)を聞き従游(しょうゆう)するもの一千二百人 蓋(けだ)し浪華の地に儒学を講ずるもの鳳梧を以(もっ)て嚆矢(こうし)とす」と出るから、塾は大繁盛だったようだ。

 当時の儒学の講義の大半は素読(そどく)である。四書(論語・孟子・大学・中庸)の一部を筆写し、師に加点してもらい大声で読み下す。次に単語の意味を教わり、指名に応じて今度も大声で全文を訳す。これで終わりだ。ところが鳳梧の教授法は全く異なる。

 「よいか。論語は孔子という中国人の男の生きかたの滓(かす)を、まとめたものだ。それを誰か知らぬが偉い先生がたがなめて、さらに吐きだしたものを、また我々(われわれ)がなめておる。ばかばかしいと思わぬか」

 「ただ論語には、孔子が大勢の弟子たちと議論し、見解がちがって口論になったものまで書きとめておる。我々はそこにあやかりたい」

 これが持論で、異国の大昔の孔子や孟子の文言を、現在の社会情勢や暮らしむきに置きかえて、常に討論を勉学の根幹としたから、誰もが喜んで入塾し、大いににぎわった。また学者センセイのように気取るところがなく、大学や中庸も日常語で解釈する分かりやすい講義も、「おちょくり精神」旺盛ななにわっ子に受けている。それにしてもこの時代、門下1200とは驚くべき数字だ。

 もっと驚くのは彼の寿命である。没年は享保16(1731)年7月だから、生年から数えてみると116歳になる。当時の平均寿命は40代の後半ぐらいとみられるから、これはもう言語に絶する。しかも目も歯も丈夫で髪も黒々としていたそうで、記憶力も抜群、弁下さわやか、数十歳は若く見えたといわれる。

 他界する数カ月前に、鳳梧は何人目かの妻を迎えているが、彼女はたったの16歳であった。これは嘘(うそ)ではない。結婚記念に総朱塗りの盃(さかずき)に寿字を黒漆したものを配っているが、これに短冊を添え、「百のけて相生年(あいおいどし)の片白髪」と一句したためた。

 百を引けば同じ年だとの意味である。有名な狂歌師油煙斎貞柳(内裏の御用菓子商『鯛屋』の主人永田清兵衛の雅号)は、「桐助の寿命を誰も学びつつ百十六で志(し)のたまはく」と追善狂歌を詠んでいるが、貞柳は鳳梧死亡の3年後に、これまた高齢の80歳で亡くなっており親交も厚く、116歳没説を支える資料にはなろう。

 長寿の秘訣(ひけつ)はと聞かれると、欲の少ないこと、心配せずになんでもいい方に考えること、頭は怠けぐせがつくから勉学を怠らぬことの3点を挙げた。臨終の前日、死を予感したのか講義のあと紙束をとりだし、「お前たちが聴聞した内容をまとめておいた。死後刊行してほしい。これがたった一つの欲である」と門人に渡した。彼の唯一の著作『鳳梧論説』は、こうして世に出る。

 主のいなくなった小さな家屋には、書籍は無論、器物も絵画も、およそ奇美に属するものはなにひとつなかった。

 円妙寺(大阪市中央区中寺2丁目)に、「一井鳳梧顕彰碑」が立っている。

(地域史研究者)

326よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 07:57:58 ID:9tz2QpHo0
熱く、暑く太鼓台 貝塚
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110717-OYT8T00136.htm

泉州地域の夏祭りの先駆けとされる、貝塚市の太鼓台祭りが16日始まり、猛暑のなか、重さ約1・5トンの7基の太鼓台が寺内町を練り歩いた。

 宵宮の16日は、午後1時から5時までが昼の運行、午後7時から10時までは、ちょうちんに灯を入れての運行が行われた。17日の本宮も同様に行われ、午後1時半から、感田神社前で、メーン行事の練り合い(担ぎくらべ)がある。

(2011年7月17日 読売新聞)

327よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 08:01:58 ID:9tz2QpHo0
扇子ひらひら、心うきうき 大阪くらしの今昔館で「堺すずめ踊り」披露
2011.7.17 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110717/osk11071702040002-n1.htm

 大阪市北区の大阪くらしの今昔館で16日、「夏祭りの飾り」として天神祭の御迎人形「雀踊」が展示されていることから、同じ名前をもつ「堺すずめ踊り」が披露された。

 「すずめ踊り」は江戸時代初め、仙台城完成の宴席で、石垣づくりに呼ばれていた堺出身の石工職人が、城主の伊達政宗の前で即興で踊ったのが始まりとされ、スズメが餌をついばむような軽妙な動きが特徴。

 堺市で実技に取り組む「堺すずめ踊り連盟」のメンバー約30人が、扇子をひらひらと動かし、跳ねるような軽快な足取りで舞った。

 小学5年の津田茉晴さん(11)は「少し狭かったけど、うきうきした気分で楽しく踊れました」と話していた。

328よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 12:57:42 ID:7vAFMXGA0
桂三枝:“文枝”襲名しても「“三枝”は誰にも渡さない」
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20110717spn00m200008000c.html

 【桂三枝に聞く】

 −−襲名が決まった現在の心境は?

 桂三枝として45年、皆さんに大きくしていただいたので、この選択で良かったのかと思い、発表前は眠れませんでした。今は皆さんの後押しで覚悟ができた感じですね

 −−関係者へ報告は?

 桂米朝師匠はじめ、東京の方々にも連絡させていただきました。桂春団治師匠は「三枝の名はもったいないけど、良いことだから頑張りなさい」と言ってくださいました

 −−いつごろから文枝を意識したのか?

 師匠がお亡くなりになってからです。桂の源流の文枝という名がないのは寂しいんじゃないかと

 −−正式決定はいつ?

 今年4月ごろに発表という感じのところに東日本大震災があって延びてしまったんです。延びてホッとしていたところも、正直あったんですけど

 −−吉本100周年の年の襲名だが?

 会社も落語に力を入れてくださってる中、来年は69歳。ここでやっとかんと、70歳になってしまう。全国襲名ツアーも体力的にも厳しくなるし、100周年で60代最後の年のここかなと

 −−三枝の名前が離れることへの寂しさは?

 まだ三枝なので、決別するという気持ちはあまりないんです。サインも変えようと思いますが、裏に三枝って書くかもしれませんね

 −−師匠のように襲名での船乗り込みなどのイベントは考えている?

 一門からきん枝らが名を連ねているプロジェクトチームがあり、いろんなことを考えてくれると思います。きん枝はよくやってくれてますよ。選挙のお返しでしょうね

 −−三枝の名前は?

 私が持っていて誰にも渡しません。誰かに継ぐとなってモメたりすると困りますし、昔からあって残さないかん名前という訳でもないですしね(スポニチ)

329よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 14:18:13 ID:7vAFMXGA0
桂三枝、史上初“Wネーム”で新たな一歩
2011.7.17 05:06
http://www.sanspo.com/geino/news/110717/gnf1107170507002-n1.htm
http://www.sanspo.com/geino/news/110717/gnf1107170507002-n2.htm

来年7月に上方落語の大名跡「六代 桂文枝」を襲名する落語家、桂三枝(68)が16日、都内で会見し、「新しい平成の文枝を作ります」と抱負を語った。一方、入門から45年使い続けた三枝について「誰かに継がせる考えはない。落語の時は文枝、バラエティーでコケる時は三枝で」と襲名後も使用すると明言。落語界史上初の“Wネーム”で新たな一歩を踏み出す。

69歳の誕生日を迎える来年7月16日に大名跡を継ぐ三枝は、晴れやかな顔を見せる一方、襲名を決意するまでの悩んだ日々を振り返った。

 「文枝という名前があまりに大きく、三枝への愛着もあり、継ごうか継ぐまいか、行ったり来たりした」。

 唯一、相談したのが尊敬する江戸落語の重鎮、立川談志(75)。昨年、体調不良で入院していた談志を訪ねると「せっかく三枝の名を大きくしたんだからやめとけ」と言われた。思いは三枝自身も同じ。襲名発表後の今月12日、大阪市内で行った記者懇談会で「三枝は誰にも渡さない」と口にしたほどだ。

 だが、師匠の五代目桂文枝が他界して7年。「文枝という名をいつまでもほっとけない。年齢的にも69歳がギリギリ」と考えていたのも事実。今月11日、決断を報告すると、声が出ない談志はファクスで「人生なりゆき 文枝のほうがよくなったのか ぢゃあ 仕方がない 勝手にしろ 三枝のバカヤローへ」と返事を寄こしたという。談志らしい愛情のこもった毒舌のエールを紹介し、思わず涙ぐんだ。

 今後の「三枝」について、会見に同席した弟弟子の桂文珍(62)が冗談で「私が襲名します」と立候補したが、三枝は即、却下。三枝の名で約220本の創作落語を作ってきた自負を語り「今後は三枝作、文枝で演じたい」とWネームでの活動を宣言した。

 寄席の舞台である高座に上がる時は文枝、落語の作家名や40年司会を務めるテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」では三枝を使うといい、「文枝では椅子からコケにくい。三枝でひっくり返りたい」と笑わせた。

 大名跡の責任と「三枝」へのあふれる愛で揺れた上方落語の雄は、「今は堂々と胸を張り、何の迷いもない。自分の歩むべき道はこれしかない」ときっぱり。この日夜、地元大阪の京橋花月の独演会で襲名を伝えると、客席から「六代目!」のかけ声が飛んだ。

330よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 14:20:41 ID:7vAFMXGA0
企画展「プリンス・豊臣」 秀吉の血筋は絶えたのか
2011年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110717/20110717023.html

 豊臣秀吉の血筋はいつどのように絶えたのだろうか。いや断絶などしていないという「プリンセス・トヨトミ」の設定が史実として成り立つ余地はないだろうか−。公開中の映画「プリンセス・トヨトミ」のパンフレットに、こんな論評が載っている。映画よろしく豊臣家の末裔(まつえい)は存在する仮説を立てた論者は、大阪城天守閣の企画展「プリンス・豊臣」を担当する主任学芸員の跡部信(あとべまこと)さん(43)。映画の宣伝効果に乗じ、豊臣家の歴史の魅力を発信している。

■近くにいる?
 太閤秀吉の実子だった秀頼には一男一女があり、息子の国松は8歳で幕府によって処刑され、男子禁制の尼寺に押し込められた息女の天秀尼が37歳で世を去った1645年、秀吉の血筋は断絶する。

 この通説に対し、映画「プリンセス・トヨトミ」製作の歴史監修を務めた跡部さんは、国松の“兄弟”を史料の「細川家記」で発見したとパンフレットの論評に記述している。

 それによると、息女捕獲の翌日、幕府から若君探索の指令を受けた豊前小倉藩主の細川忠興が「御一人は十、御一人は七つ」になる2人の「秀頼様御子」を探し出せと明確に家臣に伝えている。

 そこで、跡部さんの推測では、秀頼に2人の息子がいたが、国松の処刑に対する世間の反応を見た徳川家康は同じことをもう一度決行することはできなくなり、うやむやのうちにもう1人の息子の捜索は打ち切られ、息子は国松だけだったかのように語られた。

 「ゆえにプリンセス・トヨトミは今あなたの近くにいるかもしれない」と跡部さんは映画鑑賞者の興味をそそる論を展開する一方、「プリンス・豊臣」の企画を通して秀吉と養子、実子の関わりを紹介している。

■父と息子
 展示した史料は50点。「学問に精を出せ」「五日に一度ツメを切れ」と秀吉が当時11歳だった養子の秀俊(後の小早川秀秋)に与えた訓戒状や、「思いきりそなたの口を吸う(キスする)ことができなかったのが残念」と離れて暮らす愛児の秀頼に宛てた秀吉の自筆書状などを並べ、秀吉が豊臣家の将来を子どもたちに託そうとする姿を伝えている。

 「プリンセス・トヨトミは父と息子の物語。父子の大切な時間が描かれ、感動的」と語る跡部さんは、秀吉とその子どもについても「子どもの時の秀俊をかわいがっていたが、実子の秀頼への愛情は強いものがあった」と分析し、映画と史実双方に親子愛の共通点を見いだしている。

 映画公開に合わせて始まった「プリンス・豊臣」は20日まで。跡部さんは「展示期間があとわずかなので映画を鑑賞し、大阪城に訪れ、歴史の面白さを体感してほしい」と呼び掛けている。

331よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 14:22:07 ID:7vAFMXGA0
西郷さんの書贈る 住吉大社から返納、「南洲記念館」へ
2011年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110717/20110717027.html

 鹿児島県出身で神戸で郷土料理店「薩摩道場」を経営している郷原達人さん(71)=神戸市中央区=は住吉大社(住吉区住吉2丁目、真弓常忠宮司)に奉納していた明治維新の三傑、西郷隆盛(1828〜1877)ゆかりとされる墨書を返却してもらい、17日に開館する「和泊西郷南洲記念館」=鹿児島県の奄美諸島沖永良部島(和泊町)=に「参考資料の一つとして鑑賞してもらえれば幸いです」と寄贈した。

 郷原さんは鹿児島県(薩摩)出水(いずみ)市出身。高校を中退して来神し、ホテルなどで働いた後、神戸・三宮で郷土料理店「薩摩道場」を開店。店を経営する一方、旅館を改築した神戸市内の自宅で茶室(裏千家)を開いたり、華道水月流を学ぶなど文化にも造詣が深い。

 郷原さんは西郷隆盛が一時、薩摩藩主、島津久光公の逆鱗(げきりん)に触れ、遠島された沖永良部島の「西郷隆盛謫居(たっきょ)の地」に町制施行70周年を記念して観光施設、西郷南洲記念館が完工されることを知り、同記念館へ資料参考にと寄贈を思い立った。西郷ゆかりとされる墨書は「愛長」と認められ、郷原さんは「『世の人を永く慈しむ』と解釈している」という。西郷は数多くの墨書を残し、「敬天愛人(けいていあいじん)」の思想は有名。西郷の生き方は現在も鹿児島出身で京セラ創業者の稲盛和夫氏らにも多大な影響を与えている。

 郷原さんは住吉大社の宮内に薩摩の初代藩主、島津忠久公の誕生石があることから墨書「愛長」(軸一幅)をはじめ書家で神戸大学教授、魚住卿山(和晃)氏が認めた「露柱億劫(ろちゅうおくごう)」の掛け軸や薩摩焼花瓶(約1メートル)などを同大社「神館玉座」の間に奉納していた。郷原さんは墨書「愛長」を5月に執り行われた「住吉大社御鎮座千八百年記念大祭」の直後に同大社から返納してもらい、自宅にある西郷のコピー墨書6曲(半双)とともに同記念館へ寄贈した。

 郷原さんは「墨書の歴史的な由来など学術的なことは分かりませんが、記念館を飾る資料のひとつとなれば幸いです」と話している。

332よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 14:23:14 ID:7vAFMXGA0
ギャルみこし盛り上げへ 掛け声や大阪締め練習
2011年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110717/20110717024.html

 「ギャルみこし」の愛称で知られる「天神祭女性御神輿(みこし)」に参加する女性たちを集めた合格者説明会が16日、大阪市北区の大阪市立住まい情報センターで行われ、発声練習やみこしをかつぐリハーサルに挑戦した。

 24、25日に行われる天神祭を盛り上げるための事前イベントとして23日に巡行し、大阪天満宮の表参道である天神橋筋商店街やその周辺地域の振興を目的に1981年から行われているギャルみこし。今年は330人の応募者から、15〜30歳までの女性80人が選ばれた。

 集まった女性たちはギャルみこしの実行委員から「天神橋の看板であることを心得て責任を持った行動をして」と呼び掛けられると、真剣な表情で聞き入った。

 続いて「わっしょいわっしょい」という掛け声や、大阪締めを練習。参加した女性たちは「すごく暑いので水分補給と日焼け対策をしっかりして頑張りたい」と笑顔を見せていた。

333よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/17(日) 23:51:52 ID:LWinZWLw0
質問なるほドリ:三枝さんが襲名する師匠の名前「文枝」って?=回答・油井雅和
http://mainichi.jp/kansai/news/20110717ddm003070146000c.html

 <NEWS NAVIGATOR>

 ◆三枝さんが襲名する師匠の名前「文枝」って?

 ◇上方落語家「桂」のルーツ 人気、実力を考慮 関係者が後押し
 なるほドリ 「いらっしゃーい」でおなじみの落語家、桂三枝さんが来年7月、69歳の誕生日に六代目桂文枝を襲名することが決まったね。

 記者 襲名は「したい」と言ってできるものではありません。人気、実力を考慮して関係者が後押しした上で本人が決断します。三枝さんの場合は師匠の五代目が05年3月に亡くなって今年は七回忌。「師匠の名前を残したい」と、一門、関係者の総意もあり決断しました。

 Q 文枝って大きな名前なの?

 A 初代は「近代上方落語の中興の祖」と言われ、桂米朝さんや三代目桂春団治さんら上方落語界で「桂」の亭号を名乗る落語家のルーツにあたります。

 Q 五代目の文枝さんは「上方落語四天王の一人」?

 A 上方落語は今は200人を超す落語家がいますが、戦後すぐは落語家が減り、「廃れてしまうのでは」とまで言われました。そこで上方落語を復興させようと頑張ったのが当時の若手4人。仁鶴さんや鶴光さん、鶴瓶さんらの師匠にあたる故・六代目笑福亭松鶴さん、人間国宝の桂米朝さん、三代目桂春団治さん、そして五代目の文枝さん(当時は小文枝)でした。現在の上方落語の隆盛があるのは、四天王を中心とした先人たちのおかげでもあります。

 Q 先代はどんな芸風の師匠だったの?

 A はんなり(上品で華やか)とした芸風で、特に女性の描き方に定評がありました。筆頭弟子の三枝さんをはじめ、きん枝さん、文珍さん、文福さん、小枝さん、あやめさんら20人もの直弟子を育てました。

 Q 三枝さんは筆頭弟子なのになんで「三」枝なの?

 A 三枝という名前は過去に名乗った人が2人いるそうです。「鳩(はと)に三枝の礼あり」(子鳩は親鳩より3本下の枝にとまる。礼儀を重んじ親孝行しなさい)が由来です。落語家の名前は師匠の名前から1字いただいて命名されることが一般的です。ちなみに三枝さんの弟子18人には三の字が必ず付いていて、今春、18番目の弟子として入門した、人気のお笑い芸人「世界のナベアツ」さんは、桂三度と命名されました。

 Q 僕もハトに負けずに親孝行しなくっちゃ。ところで文枝を襲名した後、三枝の名跡はどうなるの? 誰かが継ぐの?

 A 三枝さんにとっては66年の入門から今年で45年も名乗り続けた愛着のある名前ですが、誰かに継がせようという気持ちはないそうです。一方、創作落語の作者としては襲名後も「桂三枝・作」を使い続けたいそうです。(大阪学芸部)

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 なるほドリコーナーへの質問をお寄せください。〒100−8051(住所不要)毎日新聞「質問なるほドリ」係 naruhodori@mainichi.co.jp

334よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/18(月) 00:04:41 ID:LWinZWLw0
天神天満花娘が天神祭をPR
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003780391.html

大阪の夏を彩る天神祭まで1週間となり、祭りをPRする催しが開かれました。
天神祭の宵宮までちょうど1週間となった17日、祭りの会場に近く、利用客の多い大阪・都島区の京阪電車の京橋駅構内で駅を利用する人たちに天神祭をPRする催しが開かれました。
17日は、菅原道真が愛した梅の花の化身とされる、天神天満花娘の5人が紅白の梅をあしらった冠をつけるなど正装姿で登場し「天神祭をよろしくお願いします」などと口上を披露したり、祭りの開催日の入ったうちわを配ったりして来場をよびかけていました。
また、かねや太鼓の「だんじり囃子」の音にあわせて祭りの本番さながらの「龍おどり」も披露されて、祭りのムードを盛り上げていました。
天神祭は、今月24日に宵宮、25日に本宮が行われます。

07月17日 20時11分

335よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/18(月) 16:23:36 ID:RI0sEK3.0
岸和田だんじり祭:無事故で 500人参加し祈願−−浪切神社 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110718ddlk27040128000c.html

 秋の岸和田だんじり祭の無事故を祈る安全祈願祭が17日、岸和田市港緑町の浪切神社で開かれた。祭礼関係者や市、岸和田署、消防本部などの関係機関から約500人が参加、期間中の無事を誓った。

 安全祈願祭は今年で13回目。主催者を代表して岸和田だんじり祭安全祈願碑運営委員会の鳥野敦志委員長が「事故のない安全な祭礼を推し進めることが私たちの責務」とあいさつ。神官のお払いの後、各町の曳行(えいこう)責任者らが玉串を奉納して安全を祈願した。【山田泰正】

336よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/18(月) 17:00:18 ID:RI0sEK3.0
海守る歴史にふれて 旧堺燈台 内部を公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110718-OYT8T00054.htm

 堺市堺区大浜北町の海岸沿いにある国史跡で国内最古の木造洋式灯台「旧堺燈(とう)台」で17日、内部の一般公開が行われた。18日午後4時まで。

 海の日(18日)に合わせて毎年堺市が企画。1877年に建築された灯台は高さ約12メートルで白い外観が目立つ。約1世紀にわたり大阪湾を照らしてきたが、埋め立て地が沖に向かって広がったために役割を果たさなくなり1968年に消灯。市が2001年から7年がかりで保存修理を行った。

 3階建てだが階段が急で危険なため1階だけを公開し、市職員が明治や昭和初期の頃の外観写真やイラストを手に歴史を解説。海辺の散歩を楽しんでいた人たちが立ち寄り、歴史を感じさせる造りに触れている。窓からは淡路島も眺められる。

 南海堺駅から西に徒歩約15分。見学無料。

(2011年7月18日 読売新聞)

337よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/18(月) 17:17:18 ID:RI0sEK3.0
天神祭:うちわでPR 京阪京橋駅で花娘が配布 /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110718ddlk27040126000c.html

 大阪の夏を彩る天神祭のPRイベントが17日、京阪京橋駅(大阪市都島区)の中央改札前であった。公募で選ばれた天神天満花娘の5人が通行人らに来場を呼び掛け、うちわ約1000枚を配布。天神橋筋商店連合会(土居年樹会長)によるだんじり囃子(ばやし)と「龍おどり」が会場を盛り上げた。

 イベントでは、花がさをかぶった花娘たちが「天神祭よろしくお願いします」と口上。配ったうちわは瞬く間になくなった。イベントを見ていた枚方市東牧野町の会社員、近藤忍さん(39)の長女華憐ちゃん(5)は「踊りが楽しかった。お祭りに行きたいな」と話していた。

 天神祭は24日に宵宮、25日に本宮がある。【平川哲也】

338よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/19(火) 18:31:58 ID:6zsLYk/E0
120人歌声高らか 水都・大阪カラオケ祭り
2011年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110719/20110719017.html

 天神祭奉納花火の協賛事業「第6回水都・大阪カラオケ祭り」(同実行委員会主催、大阪日日新聞特別後援)が18日、大阪市都島区の大阪リバーサイドホテルで開かれ、約120人が出場して自慢の歌声を響かせた。

 イベントは、天神祭奉納花火を盛り上げよう実施。会場には、大阪だけでなく近隣府県からカラオケ愛好家が集結した。

 出場者は、こだわりの衣装をまとって日ごろの練習の成果を発揮。イベント開催に尽力した実行委員の二宮宗晴さんは「皆さまのおかげで盛大な催しにできた」と感謝の意を示した。

 また、ゲスト歌手として、にしきこうじさんや浜本利恵子さんらが招かれ、美声を披露。にしきさんは「天神祭を前に開くイベントとして、関西の大事なイベントにしていきたい」と抱負を語っていた。

 今回、会場では東日本大震災の被災地に義援金を送るため、募金箱も設置。ゲスト歌手の春川うららさんは「私たち歌手は、歌うことで心のケアにつなげていければ」と思いを寄せていた。

339よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/19(火) 19:27:07 ID:6zsLYk/E0
大阪発 世界遺産へ結束
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110718-OYT8T00809.htm

 堺、羽曳野、藤井寺3市にまたがる「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の世界文化遺産登録に向け、府と3市が本格的に動き始めた。昨年11月に悲願だった正式な国内候補に挙がり「大阪初の世界遺産」への期待が高まるが、自治体が一丸となって民間や府民の機運を高められるかがスムーズな登録の鍵を握る。(中筋夏樹)

 「世界遺産は京都も奈良も兵庫も和歌山もあるけど大阪だけがない。でも、いよいよもう一歩。頑張りましょう」。大阪市内で5月に開かれた推進会議の初会合で、会長の橋下知事はあいさつした。

 47基の百舌鳥古墳群で最も大きい「仁徳陵古墳」を抱える堺市の竹山修身市長は、「立ち入りできない陵墓に入ったような体感ができるガイダンス施設を造りたい」と宣言。羽曳野市の北川嗣雄市長も、古墳近くに建て替え予定の中学校があることに触れて「今まで通りの鉄筋ではなく古墳を生かした造りにする」と説明した。

 会合では、▽国内外へのアピール▽国が国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)に提出する推薦書案の作成――などのスケジュールが示されたほか、最短で2015年の登録を目指す方針を決定した。

      ◎

 近年、ユネスコは世界遺産の数が増えたため新規登録を抑える傾向にあり、国がユネスコに推薦するのも原則年1、2件だけだ。一方、国が自治体に候補地を公募したこともあり、候補地リストには現在、12件が記載されている。推薦する順番は決まっておらず、文化庁は「準備が整ったものから」としているものの、百舌鳥・古市古墳群のリスト入り前から候補に挙がっているのは10件ある。

 「彦根城」(滋賀県)や「古都鎌倉の寺院・神社ほか」(神奈川県)のように、類似する世界遺産がすでに国内にあることなどから、リスト入りから20年近くも足踏み状態が続くケースもある。この点、国内に例のない同古墳群は障壁が少ない候補地と言える。ただ、6月に登録された「平泉の文化遺産」(岩手県)は、暫定リスト入りから10年がたっていた。

      ◎

 百舌鳥・古市古墳群も、早期実現には専門家の意見を反映させて世界中に普遍的な価値をアピールすることが大切だ。竹山市長は「古墳の周りに民家が連なっているので、バッファゾーン(緩衝地帯)をどうするかが問題」と課題を挙げる。

 仁徳陵古墳は「世界三大古墳」に数えられるが、このうち「クフ王のピラミッド」(エジプト)と「秦の始皇帝陵」(中国)はすでに世界遺産に登録された。残る一つが加われば話題性もあり、過去のケースから地域が観光客でにぎわうのは間違いないだろう。

 平泉の世界遺産登録が東日本大震災の被災地に勇気を与えたように、不況にあえぐ大阪で世界遺産が誕生すれば府民に元気をもたらすことになる。オール大阪で盛り上げていきたい。

(2011年7月19日 読売新聞)

340よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/19(火) 21:32:12 ID:6zsLYk/E0
2011年7月19日
繁昌亭前を石畳に 大阪市
http://www.sankei-kansai.com/2011/07/19/20110719-055453.php

 落語の定席「天満天神繁昌亭」などがある大阪天満宮(大阪市北区)の北門周辺の市道を石畳で舗装する計画=完成予想図=が18日、発表された。

 歴史的な町並みの復元と保存を図る大阪市事業の一環。今年秋から約1億5千万円をかけて市道計約270メートルに石畳を整備し、今年度中の完成を目指す。

 大阪天満宮・天神祭は日本三大祭りのひとつ。境内での計画披露会に出席した平松邦夫市長は「景観整備を契機に、日本最大の祭りへと飛躍を」。

341よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/19(火) 21:51:58 ID:6zsLYk/E0
京橋コムズで「天神祭前夜祭」−ギャルみこし・アイドルコンサートも
http://kyobashi.keizai.biz/headline/949/

 京橋コムズガーデン(大阪市都島野田2)で7月24日、天神祭前夜祭「コムズフェスタ2011」が開催される。

 毎年恒例となっている同地下街のイベント。昨年も好評だった天神祭の新たな風物詩「ギャルみこし」に加え、今年はゴールデンウイークに行ったイベント「ズムコン」を盛り上げたアイドルらによるコンサートも行う。出演は、「Mari7」「SKETCH」「Mary Angel」、エイベックス・タレントアカデミー所属のグループ「サリジュア」「KRYSTAL BURNISH DOLLS」、昨年1月にメジャーデビューした「東京女子流」。当日は、コムズのイメージキャラクター「ズムコ」が登場するほか、アイドル演歌歌手の笹ゆり佳さん、埼玉県秩父由来の太鼓を披露する「秩父屋台囃子」なども出演する予定。

 アイドルらが登場するコンサートは2部構成。「アイドルコンサートvol.1」はイベント開始の15時〜。17時15分から「秩父屋台囃子」、演歌歌手の笹ゆり佳さんが登場し、ギャルみこしが来場、祭りを盛り上げる。その後「アイドルコンサートvol.2」として、エイベックス・タレントアカデミーのアイドルらのコンサートを行う。終了後はアイドルらの物品販売も予定。

 当日は、抽選応募券300枚を配布し、当選者には同地下街の飲食店で利用できる500円の食事券が当たる企画も用意する。

342よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/19(火) 22:51:39 ID:6zsLYk/E0
みこし渡御や多彩な演芸 大阪市高津宮で夏祭り宵宮
2011.7.18 02:41
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110718/osk11071802410000-n1.htm

 大阪市中央区の高津宮で17日、夏祭りの宵宮が開かれ、子供らによるみこしの渡御が行われたほか、境内ではダンスや合気道演舞、雅楽など多彩な演芸が奉納された。

 疫病や害虫、風水害など夏の災いを鎮めるため行われてきた伝統行事。子供らによるみこしは、高津宮の祭りに合わせて絆を強めようと、黒門市場商店街振興組合が中心となり行っているもので、地域の幼児や小学生、専門学校生ら約160人が参加、祭りを盛り上げた。

 1歳8カ月の娘と参加した地元の佐野修平さん(31)は「黒門市場から高津宮まで約1時間半。抱っこだけでなく、自分でも歩きました」と笑顔。祭りは18日に本宮を迎える。

343よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/21(木) 18:30:03 ID:lCjZM4Tk0
一足早く魅力発信 天神祭総合情報サイト開設
2011年7月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110721/20110721025.html

 日本三大祭の一つに数えられる天神祭(24、25日)を目前に控え、祭りの魅力を伝える「天神祭総合情報サイト」(www.tenjinmatsuri.com/)が、一足早く祭り本番の魅力を伝えている。

 同サイトは昨年、天神祭に合わせて開設された。大阪天満宮の後援を受け、経営コンサルティング事業などを手掛ける「アリエリンクス」(大阪市北区)が、同サイト事務局を務めている。

 「天神祭あれこれ」では、天神祭の歴史や祭りを支える「講」などについて解説。「天神祭情報」では、周辺の飲食店などを紹介している。このほか天神祭にまつわる写真の投稿も受け付けている。25日の本宮では、陸渡御と水都祭「天神祭奉納花火」の様子をUSTREAMで配信する。

 同サイト事務局は「東日本大震災の影響で自粛ムードもあったが、天神祭の楽しさを伝えるたくさんの情報を発信していきたい」としている。

344よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/21(木) 18:51:37 ID:lCjZM4Tk0
ムード一色 大阪市信金職員が浴衣で祭りPR
2011年7月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110721/20110721023.html

 天神祭(24、25日)を前に大阪市信用金庫は20日、祭り主会場に近い本店営業部(大阪市中央区)と北支店(同北区)で、女性職員が浴衣姿、男性職員が法被姿での勤務を始めた。25日まで期間限定で“衣替え”し、天神祭を盛り上げる。

 同信金は、地域密着の理念から天神祭に23年連続で協賛し、天満橋の欄干に多数の奉納提灯(ちょうちん)を掲げる。新堂友衛会長は大阪天満宮の氏子総代(法人総代)を務めている。

 両店は、店頭に提灯や天神祭の看板が掲げられ、祭りばやしの音楽が流れるなど、お祭りムード一色。女性職員は、涼しげな浴衣姿で窓口に立ち、来店客に特製うちわを手渡して祭りをPRしていた。

 来店客からは「かわいいわ」との声もあり、本店営業部の内海清次長は「見られていることで職員の意識も高まる。地元とともに日本三大祭りの一つの天神祭を盛り上げたい」と話していた。

345名無しさん:2011/07/24(日) 02:28:46 ID:.nu8D3dE0
みこしや獅子舞が練り歩き 二つの講 北新地巡行
2011年7月23日


 天神祭(24、25日)を前に、かつて陸渡御のコースだった北新地(大阪市北区)での陸渡御復活を願い22日夜、現地で鳳(おおとり)講と天神講獅子の二つの講による巡行が行われた。みこしや獅子舞の行列が練り歩き、天神祭のにぎわいを夜の北新地に演出した。

 天神祭の陸渡御はかつて北新地も巡行していたが、御堂筋の交通量増加などによる安全面の問題でコースから外された。北新地での陸渡御復活を求める地元の声を受けて2年前、両講が復活への足掛かりにと約40年ぶりに祭りを前に巡行。今年で3回目を迎える。

 両講のメンバーや地元の北新地社交料飲協会の関係者ら約150人が参加し、ANAクラウンプラザホテル大阪付近からスタート。子どもみこしや獅子舞、傘踊りの列が北新地のメーンストリート・新地本通などをにぎやかに練り歩いた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110723/20110723020.html

346名無しさん:2011/07/24(日) 03:29:53 ID:.nu8D3dE0
「天神祭へは京橋駅がおすすめ」−手書きポスターなどで呼び掛け

JR京橋駅は今月25日に迫った大阪天神祭に向け、京橋駅の利用を呼びかけている。

 例年100万人以上が集まる大阪天神祭。最寄り駅は、桜ノ宮駅をメーンに、京橋駅、大阪城北詰駅、大阪天満宮駅、天満駅、南森町駅など。

 多くの人が「祭り場所から一番距離が近い」と考える桜ノ宮駅では例年、同駅常勤の3人と他駅、支社などから職員が集まり総勢100人以上の職員で対応する。当日は臨時改札も設け、西口・東口の改札総数を7台に増やし、通行規制も行い混雑緩和に努めるが、ホームから改札口はもちろん、出札後も人の山で混雑を免れられず、当日は現地到着まで約30分かかることもあるという。
 
 桜ノ宮駅混雑緩和のため、京橋駅、天満駅などの利用を呼び掛けるJR西日本。最寄り各駅の中でも最も規模が大きい京橋駅では、昨年同様、京橋駅職員の野世佳織さん(23)が手掛けたポスターを構内で展示するほか、朝・夕のラッシュ時に、読売テレビアナウンサーによる京橋駅利用を促すアナウンスを流すなど、同駅利用を呼び掛けている。

 同駅営業総括の山村雄治さんは「京橋駅からなら天神祭り見物スポットまで改札を出て約15分でたどり着くことができる。お客さまの安全を確保するという意味でも、京橋という大きな駅を利用して天神祭を楽しんでいただければ」と話す。

 当日、駅の混雑ピーク予想は18時〜(行き)、21時30分〜23時(帰り)。

http://kyobashi.keizai.biz/headline/952/

347名無しさん:2011/07/24(日) 03:35:15 ID:.nu8D3dE0
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

江戸川乱歩 (上)
2011年7月23日

雑誌「新青年」に掲載、好評 『二銭銅貨』で作家デビュー

三善 貞司(地域史研究者)

 「怪人二十面相」で胸を高鳴らせた少年時代を、懐かしく回想する人は多いはずだ。その作者江戸川乱歩を本項に入れると怪訝(けげん)に思われようが、彼が推理作家としてデビューした地は大阪である。

 地下鉄谷町線守口駅で降り、2番出口を上がると「桃町緑道」(大阪府守口市八島町)が見えるが、その入り口の広場裏の民家に「江戸川乱歩寓居(ぐうきょ)跡」の銘板が掛かっている。後に乱歩は東京に永住するが、それまでは46回も転居した引っ越し魔で、守口だけでも5回も変わり、5回目がここだ。

 「私が処女作『二銭銅貨』を書いたのは、大正十一年の夏、雑誌『新青年』に掲載されたのが翌年の四月号だから、数え年三十の遅いスタートであった」

 彼はこう回顧している。日本で最初の本格的推理小説『二銭銅貨』は、失業中で貧乏のどん底にあった乱歩が、この借家で書き上げたものだ。代表作の一つ『屋根裏の散歩者』も、ここで想を練っている。

 「天井を眺めると好都合にも、多分電燈(でんとう)工夫の出入り場所であろうが、押してみるとグワグワする。板をはずし首だけを真っ暗な天井裏に差し入れて見回すと、なんとなかなか捨て難い眺めだ。それがあの作品の背景になっている」との文言もある。

 乱歩の本名は平井太郎。明治27(1894)年三重県名張町に生まれた。父繁夫は郡役所書記。祖父の代まで藤堂藩に仕えた武士。筆名はエドガー・アラン・ポー(アメリカの作家。恐怖・推理小説の開拓者)をもじったものだ。

 小学生のころ、読書好きの母から菊池幽芳(きくちゆうほう)訳の『秘中の秘』を毎晩読んでもらって眠りにつき、探偵小説に興味をもつ。中学生になると押川春浪(おしかわしゅんろう)の冒険小説や、黒岩涙香(くろいわるいこう)の怪奇小説に熱中するが、父繁夫が経営した平井商店が倒産。飛び出して苦学を重ねながら大正5(1916)年早稲田大学政経学部を卒業する。数奇な生涯をたどった耽美(たんび)派のポーにはまったのは、早稲田時代だ。真似(まね)て習作も試みるが反響はゼロ。貿易会社、造船所、役所吏員、活版工、古本屋経営、化粧品会社勤務と転々と職を変えるが、なにひとつ長続きしない。大阪に移り、弁護士手伝い、大阪時事新報記者、大阪毎日広告営業マンと尻軽ぶりを発揮、同8年恋人の隆子と結婚したときは、流しの中華ソバ屋であった。新婚早々乱歩は大八車を引きチャルメラを吹き、隆子が湯を沸かしネギを刻むありさまだ。

 日本一の推理作家になってみせると妻に大言壮語した乱歩は、大正11年ようやく守口の借家で『二銭銅貨』と『一枚の切符』をまとめ、細い糸をたぐって「文学界」の馬場孤蝶(ばばこちょう)に送るが、返事ももらえず原稿のみ戻ってくる。自信喪失した夫を隆子は励まし、今度は創刊されて間もない「新青年」に同稿を投稿したところ、見ず知らずの編集長森下雨村(もりしたうそん)(作家。海外の推理小説紹介者)が認め、翌12年の4月号と7月号に両作とも掲載された。『二銭銅貨』はポーの『黄金虫』や『盗まれた手紙』をヒントに、独特の暗号解読を混ぜたもの。『一枚の切符』は自殺にみせかけた他殺事件で、今読んでも実に新鮮だ。

 好評に気を良くした乱歩は、『D坂の殺人事件』『心理試験』『黒手紙』『赤い部屋』と次々に同誌に発表。同14年にまとめて単行本『心理試験』を刊行して世に出る。この中で『D坂の殺人事件』に初めて名探偵明智小五郎(あけちこごろう)が登場。棒縞(ぼうじま)の浴衣と格子戸を組み合わせて錯覚をおこす謎を見事に解いて喝采を浴び、熱烈な小五郎ファンを生んだ。

 こうして推理の新鋭作家となった乱歩は、大阪に横溝正史(よこみぞせいし)らと「探偵趣味の会」を創設、機関紙「探偵趣味」刊行、『人間椅子』『屋根裏の散歩者』などの傑作を発表する。

348名無しさん:2011/07/24(日) 03:36:18 ID:.nu8D3dE0
>>347

http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110723/20110723027.html

349よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/24(日) 14:28:40 ID:Hf/q7UPY0
さあ天神祭! 獅子舞や催太鼓…前夜祭、にぎやかに
2011.7.23 21:24
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110723/osk11072321350017-n1.htm

 大阪の夏を彩る天神祭(24、25日)の前夜祭が23日、大阪市中央区の商業施設「ツイン21」であり、獅子舞や催(もよおし)太(だい)鼓(こ)など、天神祭の代表的な出し物が披露され、家族連れなどでにぎわった。

 天神祭の伝統的な催しを知ってもらおうと、大阪天満宮が企画し、昭和61年に始まった恒例行事。祭りを支える支援組織「講(こう)」のメンバーらがリズミカルに太鼓を打ち鳴らし、会場を盛り上げた。

 同市北区の主婦、堤真理子さん(40)は「いよいよ天神祭と思うと気分も盛り上がってきた。24日からも楽しみ」と話した。

350よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/24(日) 14:29:38 ID:Hf/q7UPY0
天神祭始まる
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003851081.html

大阪の夏を代表する「天神祭」はきょう、神鉾を川に流して市民の安全を祈願する神事が行われ、2日間の祭りが始まりました。
「天神祭」は、1000年余りの伝統を誇る大阪天満宮の夏祭りです。
祭りの始まりは、「鉾流神事」と呼ばれる神事で、本殿で授かった神鉾を川に流し、市民の安全を祈願します。
大阪・北区にある大阪天満宮本殿では、けさ、厳かに神事が始まり、神の使いを務める「神童」と呼ばれる子どもが白木で出来た神鉾を授かったあと、200人の行列とともに近くの堂島川まで練り歩きました。
川岸に到着した神童は、神職とともに手こぎの舟で川の中ほどまで進み、神鉾を流して、天神祭りの幕が開きました。
天神祭はあすが本宮で、あす夕方には、100隻の祭り船が華麗に川を行き交う「船渡御」で祭りの最高潮を迎えます。

07月24日 12時41分

351よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/24(日) 14:46:33 ID:Hf/q7UPY0
大阪View:七夕のゆうべin四天王寺 東北復興 天まで届け、この祈り /大阪
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20110724ddlk27040196000c.html

 ◇仙台七夕まつり 短冊に思いを込めて
 大阪市天王寺区の四天王寺で今月7〜10日、「七夕のゆうべ」があった。例年の企画を変更して、東日本大震災の被災地復興を願う内容となった。【竹内紀臣】

 今年で4回目。実行委員長の家田裕光さん(47)が「仙台七夕まつり」の飾りの6〜7割を制作している「鳴海屋紙商事」(仙台市)の鳴海幸一郎さん(43)と知り合いだったことから、周囲に復興支援を呼びかけ実現した。鳴海さんによると「震災で飾りを作る和紙の約3分の1が使えなくなった。行方不明になった従業員の家族もいる」という。

 イベントの当日、四天王寺の境内には同商事から購入した30個の吹き流しが飾られ、鎮魂の

ろうそくがともされた。短冊を仙台に届ける箱も設置され、来場者は短冊に復興の祈りを書いた。また、明晃印刷(大阪市福島区)の協力で「かんばれ!!東北」の文字を活版印刷した。

 集まった短冊約1000枚は、家田さんらが来月6日に始まる「仙台七夕まつり」の会場を訪ねて飾るという。家田さんは「復興の道は長い。物資や資金と共に心も届けたい」と話している。

352よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/25(月) 06:03:58 ID:W7ZyWZqk0
伝統の「鯨まつり」が復活
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004080191.html

鯨の形をした大きな山車を堺から大阪の住吉大社に奉納する伝統の「鯨まつり」が24日、57年ぶりに復活し、大勢の見物客でにぎわいました。
「鯨まつり」は鎌倉時代に、堺の沖に現れた鯨を取り逃がした漁師を慰めるために始まったとされ、堺市から大阪市の住吉大社までの道のりを鯨をかたどった大きな山車を引いて練り歩く伝統行事でしたが、昭和29年を最後に途絶えていました。
祭りは、ことしが住吉大社の鎮座1800年になるのにあわせて堺市の住民たちが中心になって復活させたもので、地元の自治会の人たちなど約60人が新調した鯨の山車を担いで大阪・住吉区の住吉大社の境内に繰り出しました。
山車は、全長約12メートルあり、境内の反橋を渡る際には山車に仕掛けられた水鉄砲を使って鯨が勇壮に潮を吹く場面も再現され訪れた見物客からは大きな歓声が上がっていました。
鯨まつりの復活を呼びかけた堺市の鎌苅一身さんは「57年ぶりに復活できほっとしてます。たくさんの人に喜んでもらえたならうれしいです」と話していました。
この鯨の山車は来月1日には、住吉大社から堺市内までを練り歩くことになっています。   

07月24日 19時29分

353名無しさん:2011/07/25(月) 22:12:06 ID:RKfFGcMU0
地元講が巡行復活、商店街練り歩く 福島天満宮
2011年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110725/20110725025.html

 天神祭宵宮にあたる24日、大阪市福島区の福島天満宮でも福島天満宮八丁目西町会神輿(みこし)講(渡部基義総代)が神輿を担いでの巡行を復活させ、子どもたちからお年寄りまで地域が一体となって祭りを盛り上げた。

 同講と隣の町会が交互に一番神輿を担当してきたが、高齢化で15年ほど前から台車に載せた神輿を引っ張って巡行を行っていた。しかし、「神輿はやっぱり担ぐもの」(渡部総代)として同講が担ぎ手を募集したところ、43人の担ぎ手と3人のうちわ隊が応募し、長らく途絶えていた神輿を担いでの巡行が実現した。

 巡行は上福島小を出発し、「打ちまーしょ、もひとつせ、祝うて三度」と子どもらが大阪締めで拍子木を打ち鳴らして元気よく先導、大きなうちわを手にした女性が担ぎ手の男たちを懸命にあおぎ、担ぎ手は「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声とともに商店街などを練り歩いた。

 担ぎ手の一人、平沢暢央さん(40)は「若い時にも担いでいたが、(地元の)今の小学生は担ぐ神輿を知らなかったので、見せてやりたかった」と汗まみれで笑い、同町会の池田弘朋会長(73)は「若い人がたくさん参加してくれ、まちの活性化にもなる」と喜んでいた。

354名無しさん:2011/07/25(月) 22:13:34 ID:RKfFGcMU0
幽玄の世界 天神祭宵宮に奉納水上薪能
2011年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110725/20110725026.html

 天神祭の宵宮に合わせ24日夜、大阪市北区の帝国ホテル前に係留した船上で「奉納水上薪能」が行われ、詰め掛けた人たちが船上で上演される幽玄な能の世界を堪能した。

 能楽奉賛会、能楽協会大阪支部の共催。天神祭の船渡御列の舞台船の一つ、「能船」の船上を舞台に薪能を上演した。

 大阪天満宮の神職による火入れ式に続き、「三番叟」「羽衣」「石橋−大獅子」の3曲が上演された。演目の前後には、人形船や落語船など講社によるおはやしが能船を盛り上げた。

355名無しさん:2011/07/25(月) 22:15:14 ID:RKfFGcMU0
勇壮 大阪の夏 「天神祭」きょう本宮
2011年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110725/20110725020.html

 日本三大祭の一つに数えられる「天神祭」が24日、大阪天満宮(大阪市北区、寺井種伯宮司)などで始まった。大阪天満宮の境内では早朝、催(もよおし)太鼓の一番太鼓が打ち鳴らされ、祭りの到来を告げた。今年は東日本大震災の復興に向け「大阪から元気を届けよう」の思いも託され、2日間にわたる大阪の夏の風物詩が幕を開けた。

 午前には本殿で宵宮祭が執り行われ、その後、神童、神職伶人(れいじん)らの鉾流(ほこながし)行列が大阪天満宮を出発。堂島川に架かる鉾流橋のたもとの斎場で、多くの見物客が見守る中、鉾流神事が斎行された。このほか催太鼓や獅子舞の氏地の巡行やどんどこ船の宮入りなどが行われた。

 25日の本宮は午後3時半に大阪天満宮を陸渡御列が出発する。その後、同6時すぎから大川一帯で船渡御が催される。

 第65回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は25日午後7時20分から、大川沿いの造幣局前など2カ所で行われる。約3千発の打ち上げ花火をはじめ仕掛け花火が大阪の夜空を染め上げ、船渡御列のにぎわいに花を添える。

356名無しさん:2011/07/25(月) 22:26:14 ID:RKfFGcMU0
■天満橋がライトアップ
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE110724224600477750.shtml

大阪の天満橋では、24日に宵宮を迎えた天神祭に合わせてライトアップが始まりました。

 およそ300のライトに照らし出された天満橋。

 天神橋や難波橋とともに「浪華三大橋」と呼ばれるこれらの橋で行われているライトアップは、大阪から全国に元気を発信しようと大阪府が企画したもので、「水の都」・「光の都」としての大阪をアピールしています。

 環境に配慮して、天満橋の古い照明は全てLEDライトに付け替えられ、橋全体の消費電力をおよそ1割減らすことができたということです。

「いま電気足りないのに何やってんだと思うかもしれないが、夜は全然大丈夫なので、パァーと照らして観光客を呼ぶので」(大阪府・橋下徹知事)

 天満橋のライトアップは日没から午後10時まで毎日行われ、光の色は30分ごとに次々と変わるということです。 (07/25 07:22)

357名無しさん:2011/07/25(月) 22:47:39 ID:RKfFGcMU0
天神祭「陸渡御」「船渡御」
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004326542.html

大阪の夏を彩る「天神祭」は色鮮やかな神輿や地車が町を練り歩く「陸渡御」とおよそ100隻の船が川を行き交う「船渡御」が行われ、祭りのクライマックスを迎えました。
大阪の「天神祭」は本宮のきょう、大阪天満宮に祭られている神様が年に一度、陸からと船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した「陸渡御」と「船渡御」が行われました。
午後3時半、勇壮な催太鼓の音を先頭に色とりどりの衣装をまとったおよそ3000人の大行列が天満宮を出発しました。
東日本大震災の復興を願う神輿や地車がおよそ3キロのコースを練り歩き船渡御の乗船場となっている天神橋に向かいました。
そして午後6時すぎから神輿が祭り船に乗り込み、大阪市の中心部を流れる大川ではおよそ100隻が川面を行き交う船渡御が行われました。
川沿いの公園や橋の上には大勢の見物客が訪れ、にぎやかなお囃子にあわせて川をゆっくり進む祭り船の美しさと、夜空を染める3000発の花火を楽しんでいて、天神祭はクライマックスを迎えました。

07月25日 20時08分

358名無しさん:2011/07/26(火) 18:16:23 ID:NnUBGaRk0
模擬原爆 追悼式

太平洋戦争の末期に、原子爆弾の投下に向けた訓練として落とされた、「模擬原子爆弾」の犠牲者を追悼する式典が、大阪で行われました。

66年前のこの日、模擬原爆が落とされ7人が亡くなった東住吉区では、住民ら120人が犠牲者に黙祷を捧げました。

模擬原爆は、長崎に落とされた原爆と同じ形・同じ重さの爆弾に火薬を詰めたもので、米軍が原爆の投下訓練に使いました。

日本各地で50発が落とされ、約400人が死亡しました。

当時の目撃者・宇田恭子さんは、「空を見上げたら飛行機が飛んでいて、そこからシャーッと落ちてきた。ものすごい土ぼこりで、しばらくは顔を上げられない感じだった」と体験を語りました。

住民らは、「大阪で原爆の投下訓練が行われていた歴史を語り継ぎたい」と話しています。

http://www.ktv.co.jp/news/date/main.html

359名無しさん:2011/07/26(火) 18:22:24 ID:NnUBGaRk0
■被災者も見物 天神祭フィナーレ

日本三大祭の一つ、大阪天満宮の天神祭がフィナーレを迎え、今年は東北から関西に避難してる被災者も見物に訪れました。

 天神祭は、平安時代菅原道真を祭る大阪天満宮から、みそぎのために流した神鉾を町の人々が船で迎えたのが始まりといわれています。

 日が傾き始めると天神祭のクライマックス、船渡御が始まりました。

 大阪市の中心部を流れる大川に、飾り立てたおよそ100隻の船が繰り出し、提灯の明かりやかがり火が川面をほのかに照らします。

 今年は、関西に避難している被災者も招待され、天神祭を堪能しました。

「すごく楽しい」(福島県からの避難者)
「子どもたちが楽しんでいるので、満足しています」(福島県からの避難者)

 祭りのフィナーレには、およそ5,000発の奉納花火が次々と上がり、大阪の夜空を彩りました。

(07/26 00:00)

http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE110725230400478029.shtml

360名無しさん:2011/07/26(火) 18:35:20 ID:NnUBGaRk0
東も照らして天神さま 奉納花火3千発 大阪・天神祭

大阪天満宮の天神祭が25日、本宮を迎えた。最大の見せ場となる「船渡御(ふなとぎょ)」では、大阪市の中心部を流れる大川を約100隻の祭り船がにぎやかに行き交い、約3千発の奉納花火が夜空を鮮やかに照らした。

 菅原道真の神霊を祭る御鳳輦船(ごほうれんせん)をはじめ大小の船に約1万5千人が乗船。太鼓やかねの音が鳴り響く中、約7キロの航路を2時間かけてゆっくりと進んだ。船には東日本大震災の復興を願い、「がんばろう!日本」と描かれたのぼりや横断幕が掲げられた。

 大阪府は震災後に関西に居住した約60人を招待。福島県伊達市から実家のある枚方市に避難してきた主婦舟山洋子さん(32)は、両親と3人の子供と参加。長男の昊志(こうし)君(5)は「おっきくてきれい。福島にいるお父さんにも見せてあげたい」と話した。

http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201107260010.html

361よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/27(水) 21:52:33 ID:DNau3vkM0
府庁旧庁舎の遺構見つかる
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004330101.html

大阪・西区で明治時代から大正時代にかけて使われていた大阪府庁の建物の跡が見つかり、明治時代の都道府県の庁舎の建築様式や特徴を知る上で貴重な資料として注目されます。
大阪府文化財センターが大阪・西区のマンションの建設予定地およそ5000平方メートルを調査したところ、大阪府庁が大阪城の横の現在の場所に移転するまで、明治時代から大正時代にかけて使われていた古い庁舎の基礎部分などが見つかりました。
基礎部分は石やれんがを積み重ねたもので、明治7年に建てられた庁舎中央のドームの基礎の跡や東西に延びる排水施設の跡が確認されました。
また大正時代に増築された南北2つの建物の跡も見つかり、赤れんがを積んでできた暖炉の跡が残されていました。
明治初期に作られたことを示す刻印の入ったれんがもあり、明治時代の庁舎のれんがを転用して大正時代の増築を行ったと見られています。
当時の庁舎については設計図などが残されておらず具体像が明らかになっていませんでしたが、今回、見つかった建物の跡は、明治時代の都道府県の庁舎の建築様式や特徴を知る上で貴重な資料として注目されます。
大阪府文化財センターでは今月30日に現地説明会を開くことにしています。

07月27日 19時25分

362よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/28(木) 06:00:01 ID:l76m.YEI0
「模擬原爆」の犠牲者 小中学生ら冥福祈る 東住吉で追悼式 大阪
2011.7.27 02:05
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110727/osk11072702050002-n1.htm

 昭和20年7月26日、大阪市東住吉区田辺に投下された“模擬原爆”の犠牲者の追悼式が26日、「模擬原子爆弾投下跡地の碑」の前で行われ、遺族や広島、長崎の被爆者、地元の小・中学生らが黙祷(もくとう)をささげた。

 模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4・5トンの爆弾。長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”と呼ばれた。20年7月20日〜8月14日の間、全国各地に約50発が投下されたという。この事実が明らかになったのは平成3年、愛知県の市民グループが、国立国会図書館で機密解除された米軍資料から発見。全国で400人以上が犠牲になったこともわかった。

 その後、13年に大阪の犠牲者遺族が、投下跡近くに碑を建立。以後、地元の市民グループ「7・26田辺模擬原爆追悼実行委員会」が追悼式を開いている。

 今回は、遺族らのほか、平和教育として模擬原爆を学ぶ府内の小中学校の児童・生徒も参列。市立我孫子中の生徒会長、南星渚(せな)さん(14)は「原爆というと広島と長崎しか知らなかったが、こんな身近にも原爆の恐怖があった。犠牲になった人の冥福を祈りたい」と、平和への思いを強くしていた。

 同会の吉村直樹さん(64)は「若い世代の参加が増え、まだあまり知られていない悲劇を後輩に語り継いでくれていることが心強い」と話していた。

363名無しさん:2011/07/29(金) 23:51:18 ID:MXDBV.Qo0
 与謝野晶子の愛用品50点展示

 堺の文芸館

 堺市堺区の市立文化館与謝野晶子文芸館で、堺出身の歌人・与謝野晶子の日常生活を紹介する企画展「晶子さんのお宅拝見」が開かれている。

 愛用した家具や食器など約50点を展示。11人の子どもを育てた晶子がヨーロッパ旅行で土産に買ったニワトリの玩具=写真=や、子どものために仕立て直した友禅の着物、8回の転居の末に住んだ、洋室のある東京・荻窪の自宅間取り図などが並び、暮らしぶりや人柄を伝えている。

 企画した林茂郎学芸員(27)は「『情熱の歌人』としてだけでなく、幅広い活動の背景には家族への思いや家族の支えがあったことを知ってもらえれば」と話している。8月27日午後2時から、林学芸員が展示の解説をする。

 9月11日まで。月曜休館。入館料は一般500円、高校・大学生300円、小中学生100円。問い合わせは堺市立文化館(072・222・5533)。

 (2011年7月29日 読売新聞)

 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110729-OYT8T00064.htm

364よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/31(日) 07:34:23 ID:yZHPx7o.0
■大阪大空襲の体験語る
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE110730163900479615.shtml

 第二次世界大戦中に起きた大阪大空襲の被災者らが集まり、体験を語るつどいが開かれました。

 大阪市此花区で開かれたつどいには大阪大空襲の被災者や遺族らおよそ50人が集まり、66年前の悲惨な体験や長く続く後遺症などを語りあいました。

 今回、被災者11人の証言をDVDにまとめたことがきっかけで、改めてこうした会が開かれたということです。

「足に破片が入ったまま傷が癒えず退院しました。通院費もなく、家でボロきれをあてながら1年半ほどしたので足がだんだん腐ってきて、また再度入院しなくてはならなくなりました」(大阪大空襲の被災者)

 被災者のうち23人は3年前、国に謝罪と損害賠償を求める裁判を起こしていて、今月11日に結審、12月7日に判決が言い渡される予定です。
(07/30 18:04)

365よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/31(日) 07:38:41 ID:yZHPx7o.0
奉納落語会や笑い相撲 9月3、4日「彦八まつり」
2011年7月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110730/20110730024.html

 上方落語協会の落語家たちが総出で落語会や出店などさまざまな催しで落語ファンをもてなす感謝祭的イベント「彦八まつり」がことしも9月3、4の2日間、天王寺区生玉町の生國魂(いくくにたま)神社で開かれる。今年は東日本大震災の被災地を支援するため、落語家の出展するブースでも東北の物産などを扱う予定。

 上方落語の祖といわれる米沢彦八が活躍した同神社の境内を会場に毎年開催。恒例となっている奉納落語会(3日)は、「一門対抗落語会」と題し、「笑福亭孫弟子対林家一門」(午後1時)、「米朝孫弟子対春団治一門」(同5時)を行う。

 また「神事でよく見かける泣き相撲を笑い相撲としてやってみては」と昨年実行委員長を務めた桂ざこばさんが提案したアイデアをもとに、「まわりを元気にする笑い方」を競う「笑い相撲いくたま場所」(4日午前11時半)を初めて開催する。

 ことしは被災地支援の取り組みのほか、実行委員長を務める桂梅団治さんが熱心なSLファンであることから、小さな子どもも楽しめるよう実際に乗って遊べる12分の1サイズのSL「C62」を用意。隣接する公園に120メートルという長いレールを敷き、家族連れも楽しめる彦八まつりを演出する。

 事前に楽しみ方を案内するプレイベント「'11彦八まつりにいらっしゃ〜い!」(8月11日)や後夜祭「彦八まつり・あとの祭り」(9月5日)も天満天神繁昌亭(北区天神橋2丁目)で行う。(山本聖子)

366よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/07/31(日) 07:44:59 ID:yZHPx7o.0
なにわ人物伝 −光彩を放つ−

江戸川乱歩 (下)
2011年7月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/110730/20110730032.html

全集災い、検閲で発禁同然に 戦後推理小説界発展に尽力

  三善 貞司
 推理小説のパイオニア江戸川乱歩は、大正15(1926)年大阪から東京に移り、『闇に蠢(うごめ)く』『湖畔亭事件』『パノラマ島奇談』『お勢登場』『鏡地獄』などの、かつて日本にはなかった神秘・怪奇小説を次々に発表する。大衆的人気を集めただけではない。詩人萩原朔太郎でさえ、「ファンタジックな残酷美がある」と激賞したぐらいだ。

 しかしこれらの作品は、人肉嗜好(しこう)やレンズによる浴室のぞき、球体鏡の内面恐怖といった異常心理を下敷きにしており、エスカレートするに従って作者の神経を痛め続けた。翌昭和2(27)年『一寸法師』を最後に絶筆宣言をして旅に出るが、ひどい躁鬱(そううつ)病に悩み、医師も腕を拱(こまぬ)くありさまとなる。

 同4年ふたたび筆を執るが、『陰獣』『蜘蛛(くも)男』『黒蜥蜴(とかげ)』などのゲテモノ化した通俗小説に走り、文壇は顔をしかめた。自分でも自分に絶望した乱歩が、無邪気な子どもに立ち返るつもりで書き始めたのが、同11年から「少年倶楽部」に連載する『怪人二十面相』である。変幻自在に出没する変装の名人二十面相と、聡明(そうめい)で正義を愛する名探偵明智小五郎、小五郎の助手で利発な小林少年の三者が織り成すトリックや人間模様は、少年少女たちに爆発的人気をもたらした。ブームに目を付けた平凡社が、『江戸川乱歩全集』を出版したほど人気を集める。

 だがこの全集が災いとなる。同16年12月、日本は無謀な太平洋戦争に突入。言論は統制され厳しい検閲を受けるが、全集に収録された乱歩の旧作『芋虫』が反戦文学だと削除を命じられ、以後彼の作品は発禁同然となった。この事件は生活態度まで一変させる。人間嫌いでつきあい下手だった乱歩は、突然隣組防空班長になり、戦闘帽にゲートル姿で防空演習の指揮をとる。物資配給の世話をして地域の人々のために献身的に働く。かと思えば不眠症に悩み、徹夜してポーやトレントら外国作家のトリックを研究翻案し、発表のあてのない原稿を書き続ける。「乱歩先生はきさくで社交的だ」「とんでもない。自分の穴に閉じこもる孤高の人だ」と、知人たちの評価が正反対に分かれるのは、このせいである。

 終戦後の乱歩は、ひたすら海外の推理小説の紹介や評論活動、あるいは昭和22年には「探偵作家クラブ」を結成して会長になり、また雑誌「宝石」の刊行に協力して若手作家たちの育成に努め、推理小説界の発展に尽力した。「乱歩の才能は枯れた」「トリックのネタが尽きたのであろう」などの悪口も聞こえるが、同26年刊の評論集『幻影城』を読めば、学問的な立場で推理小説の文芸的地位の向上を目指したことが、はっきりと分かる。その3年後刊の類別トリック集成ともいえる『続・幻影城』と合わせて、推理小説を志す者のバイブルであろう。

 乱歩の作品は、異常な怪奇心理と妖美性にあふれているため、その人物像も誤解された部分が多い。前記のように相反する知人たちの言葉から、二重人格だとか、同性愛好者だとか、サドとマゾの両面をもつ不気味な密室型作家だなどと言う人もいるが、いずれも作品内容と作者の人格を混同するからである。また酒席は好んだが元来酒には弱く、無理に忘我の境地を体験したくての飲酒だったと思われる。学生時代に陶酔した数奇な人生をたどるポーへの憧れも、人に倍して強かった。

 同38年「推理作家協会」初代理事長に就任するが、難病パーキンソン氏病に苦しみ、同40年7月、71歳で死亡した。

 「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」、まるで中国の哲学者荘子のような言葉を、よく色紙に書いている。同36年刊『探偵小説四十年』は自伝的推理小説史で、彼を知る最高の手掛かりになる。異能の植物学者岩田準一から得た知識も、彼の独自の世界を補強する。

(地域史研究者)

367名無しさん:2011/08/01(月) 02:16:19 ID:tKoiZ6x60
船場センタービルが大変なことになるらしいけど・・・

http://farm6.static.flickr.com/5284/5360053580_b8f4fd873e.jpg
http://farm6.static.flickr.com/5206/5359450567_23e079c8b6.jpg
http://farm6.static.flickr.com/5290/5359452169_934c9e226e.jpg

368名無しさん:2011/08/01(月) 02:17:11 ID:tKoiZ6x60
ごめんなさいスレ違いでした。

369名無しさん:2011/08/02(火) 01:28:47 ID:JatGnxYI0
住吉祭「神輿渡御祭」で勇壮に大和川渡る 大阪・住吉大社
2011.8.1 20:30

海の神を祭る住吉大社(大阪市住吉区)の「住吉祭」は1日、最後を飾る神事「神輿渡御祭」(みこしとぎょさい)が行われ、担ぎ手約300人を中心に武者や獅子舞など総勢約900人が住吉大社から「御旅所」の宿院頓宮(しゅくいんとんぐう、堺市堺区)まで約4キロを練り歩いた。

 大阪市と堺市の境を流れる大和川では川の中を神輿が進み、中州で大阪側の担ぎ手から堺側に受け渡された。「ベーラッ、ベーラッ」という勇壮なかけ声とともに力強く川を渡り終えると、川岸の見物客から大きな拍手が送られた。

 行列には、住吉祭に合わせ57年ぶりに復活した、巨大なクジラ形山車(全長約12メートル)も参加。内部に仕込んだ水鉄砲から“潮”を吹きながら進んだ。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/110801/osk11080120470005-n1.htm

370よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/02(火) 23:21:33 ID:/62hH2s20
なるほドリ:天神祭「よいみや」「よみや」どっちが正しい? /大阪
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110802/20110802032.html

 <NEWS NAVIGATOR>

 ◇公式見解は「よいみや」 「よみや」は大阪独特の口語表現
 なるほドリ 7月24、25日に大阪天満宮の天神祭に行ったよ。そこで宵宮(よいみや)のことを「よみや」と呼ぶ人がたくさんいたんだけど、どちらが正しい読み方なのかなあ。

 記者 確かに観光パンフレットには「よみや」とありますね。地元の参加者も皆「よみや」と呼んでいますが、天満宮の公式見解は「よいみや」です。天神祭研究の第一人者である高島幸次・大阪大学招聘(へい)教授によると、正しい読み方は京都の公家文化に由来する「よいみや」ですが、大阪では京都文化に対抗してか、他の祭りでも「よみや」と呼ぶのが一般的だそうです。口語表現の名残で、言葉自体には特に変わった意味はないとか。

 逆に、なぜ本祭である「本宮」の前夜を宵宮と呼ぶのか、なるほドリ君は知っていますか?

 Q 宵っていうのは夕方のことでしょ? 前夜祭という意味かなあ。

 A 残念、外れです。現代の時間は夜の午前0時から一日が始まりますが、日本古来の文化では、一日は日没から始まります。夕べ、宵、夜中、暁、朝(あした)の順です。つまり宵宮は丸1日をかけて催す本宮の開幕ということです。祭礼に詳しい黒田一充・関西大学教授(民俗学)によると、「えべっさん」として有名な西宮神社のように、宵宮は神社にこもって神が降りてくるのをじっと待つ祭りも多いようです。

 ちなみに毎年7月23日夕に開かれている天神祭の前夜祭は、現代の時間感覚では本祭の「前々夜祭」にも感じますが、夕方から一日が始まると考えると前夜祭に違いありませんね。

 Q 一日が夕方から始まるなんて、夜の遊び人みたいだね。同じような言葉の違いで、本宮にある時代行列「陸渡御(りくとぎょ)」を「おかとぎょ」と呼ぶ人もいるよね。これも昔はそうだったのかな?

 A いえ、こちらは昔から「りくとぎょ」が正解です。高島氏によると、陸渡御は船渡御と区別するためにつけられた名前で、「おかとぎょ」と呼ばれたことは歴史上で一度もないそうです。<回答・稲生陽(社会部)>

==============

 あなたの質問をお寄せください。

 〒530−8251(住所不要)毎日新聞社会部「質問なるほドリ」係(o.shakaibu@mainichi.co.jp)

371よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/02(火) 23:26:05 ID:/62hH2s20
歴史的地下水復活へ 大阪天満宮境内で掘削開始
2011年8月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/110802/20110802032.html

 かつて多くの酒蔵が並び、くみ上げた地下水を使って盛んに酒造りが行われていた大阪・天満地区。そんな「天満の地下水」を地域の活性化につなげようと、天神橋筋商店連合会(土居年樹会長)と関西大が大阪天満宮(大阪市北区)境内で地下水を掘削することになった。1日、掘削用の設備が設置され、大阪天満宮の神職によるおはらいが行われた。

 文化・文政期の天満地区には135の酒造家があったとされる。酒造業は同地区の特色でもあり、かつては酒樽(さかだる)を作っていた職人の町を示す「樽屋町」の町名もあった。

 天神橋筋商店街内に地域研究と社会連携のハブ拠点を設けていた関西大の研究プロジェクト「社会的信頼システム創生センター」の与謝野有紀センター長と土居会長が、酒蔵が立ち並んだ当時の天満について語り合う中、「天満の地下水」を地域の活性化につなげられないかと模索。大阪天満宮の寺井種伯宮司の協力を得て、境内で掘削することになった。

 大阪天満宮でも以前は井戸水を利用しており、岸本政夫禰宜(ねぎ)は「井戸水は年間を通して温度の変化が少なく、夏は冷たく冬は温かい」と当時を振り返る。今後、かつて境内にあった井戸に近い場所を50メートルほど掘削し、水質調査などを行う予定だ。

 与謝野センター長は「“水都・大阪”は川だけでなく、地下水も豊か。そうした歴史をつなぎ、今回の地下水を中心に人がつながるきっかけになれば」とし、「地域の力を借りていずれは地下水を使ったお酒ができれば」と期待を込める。

 土居会長は「街の活性化につながるよう、活用法について関西大、大阪天満宮と研究を重ねていきたい」と話している。


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