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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

2020名無しさん:2015/04/03(金) 04:11:02 ID:Wvxiq3ZQ0
難波京の朱雀大路か、側溝を確認 道幅は33メートル
http://news.livedoor.com/article/detail/9956626/

大阪市にあった難波京のメーンストリート「朱雀大路」の側溝とみられる溝跡が同市中央区で見つかり、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が1日までに明らかにした。これまで見つかっていない難波京朱雀大路の一部の可能性がある。道幅は藤原京(奈良県橿原市、694〜710年)の約24メートルを上回り、推定約33メートルとみられるという。

 京の中枢部に当たる難波宮は、7世紀中ごろの孝徳天皇の時代から整備された「前期」と、聖武天皇が726年から造営した「後期」に分かれる。

 昨年の発掘調査で溝を発見。1993年に見つかった前期難波宮の朱雀門跡から南に約140メートルの地点。

2021名無しさん:2015/04/04(土) 20:07:19 ID:.MP.3pLc0
二代目吉田玉男さん襲名披露公演始まる
2015年04月04日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150404-OYO1T50021.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の人形遣い、吉田玉女改め二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露となる4月文楽公演が4日、国立文楽劇場(大阪市中央区)で始まった。

 口上では、緊張した面持ちの玉男さんと太夫の豊竹嶋大夫さん(83)、人形遣いの桐竹勘十郎さん(62)らが並び、文楽三味線の人間国宝、鶴澤寛治さん(86)が「先代の元で一生懸命修業し、立派になられ、さぞかし亡き師匠も喜んでいられると思います。将来の文楽を担ってくれることを期待しています」とあいさつした。

 初代は立役(男役)で活躍した人間国宝で、2006年に87歳で死去。玉男さんは1968年に初代に入門し、存在感のある立役として活躍している。

 公演は26日まで(15日は休演)。玉男さんは「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」の師匠の当たり役、熊谷次郎直実などを勤める。

2015年04月04日

2022名無しさん:2015/04/05(日) 09:43:58 ID:BGEOr9gg0
二代目玉男襲名披露始まる 初代の当たり役で登場
2015年4月4日 13:02
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150404/20150404045.html

 人形浄瑠璃文楽の人形遣い二代目吉田玉男さん(61)の襲名披露公演が4日、大阪市中央区の国立文楽劇場で始まった。「玉男」の名の復活は、人間国宝で文楽界を代表する人形遣いだった初代が亡くなって以来、8年半ぶり。

「口上」では、公演の中軸となる太夫と三味線、人形遣いが登場。三味線の人間国宝鶴沢寛治さん(86)は「師匠に勝るとも劣らぬ立派な人形遣いになられ、将来の文楽を担ってくれることを期待しています」と述べた。続く「一谷嫩軍記」で、二代目玉男さんが初代も当たり役とした悲劇の主人公、熊谷直実を遣うなど、華やかな襲名披露公演になった。

2023名無しさん:2015/04/07(火) 18:40:29 ID:u4Ex5cK20
「幸村の謎」展 連日にぎわう なんばマルイ
2015年4月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150406/20150406015.html

 “日本一の兵(つわもの)”とうたわれ、大坂の陣で活躍した武将、真田幸村の企画展「真田幸村の謎」が、大阪市中央区の商業施設「なんばマルイ」の2階特設会場で開かれている。根強い人気を誇る幸村だけに連日、来場者でにぎわっている。26日まで。

会場内には、絵巻作家の正子公也さんが描いた幸村ら武将の大型作品と、「幸村の本名は」「幸村は関ケ原でなぜ西軍に味方したのか」など幸村に関するエピソードをパネルで展示。来場者は、入り口で渡された「5つの謎」と書かれた紙を手にパネルを見ながら問題を解いていた。

 真田幸村は来年のNHKの大河ドラマにも決定。大阪市西区の男性(35)は「自分は大阪の人間なので、幸村は豊臣家を守ってくれた英雄のイメージ」と語っていた。

 企画展は、大阪にゆかりの戦国武将を紹介する「戦国武将列伝フェア」の第1弾。幸村にちなんだオリジナルグルメとグッズの販売、等身大パネルを置いた撮影スポットも設置している。

2024名無しさん:2015/04/16(木) 21:52:03 ID:Mq9yPwJ.0
大阪城の石捨て場か 豊臣、徳川時代の破片
2015年4月15日 18:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150415/20150415101.html

 大阪城(大阪市中央区)の西側で豊臣期の堀跡などが見つかり、大阪府文化財センターが15日、発表した。堀跡付近では、石垣に使えず廃棄された石(長さ0・6〜1・5メートル)など38点以上が出土。石捨て場とみられ、豊臣期や徳川期の石もあった。

うち4点には墨で丸に線を引いたマークや扇形のような印が記されていた。石工らが管理用に記した可能性があるという。

 堀跡は1991年度から調査を実施。今回新たに見つかったのは、幅18メートル、長さ11メートル、深さ2・6メートルで、堀を埋め立てた土からは金箔を張った瓦や陶磁器も見つかった。

2025名無しさん:2015/04/18(土) 04:15:00 ID:hPUaIHUw0
落語家の故桂米朝氏に従三位 政府が閣議で決定
2015年4月17日 8:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150417/20150417023.html

 政府は17日の閣議で、3月19日に89歳で死去した人間国宝で文化勲章受章者の落語家桂米朝(本名中川清)氏に従三位を贈ることを決めた。

2026名無しさん:2015/04/19(日) 20:42:49 ID:bVu/8Q020
特別展「大坂」開幕 大阪城跡出土瓦など展示
2015年04月18日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150418-OYO1T50041.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣400年にちなんだ特別展「大坂―考古学が語る近世都市―」(読売新聞社など主催)が18日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開幕した=写真=。発掘調査で出土した遺物約200件が並び、近世大坂の歴史と文化、生活、産業を知ることができる。大坂城跡から出土した「方形桐文(きりもん)金箔(きんぱく)瓦」や、「黒織部茶碗(くろおりべちゃわん)」などに来場者が見入っていた。火曜(5月5日は開館)と5月7日休館。6月8日まで。入館料は大人600円、高校・大学生400円。

2015年04月18日

2027名無しさん:2015/04/21(火) 08:42:19 ID:L6BvP.dg0
藤棚 優雅に 福島区で「のだふじ」が開花時季
2015年4月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150418/20150418037.html

 大阪市福島区で、区の花「のだふじ」が開花時季を迎えた。関係者の努力の積み重ねによって公園、神社、学校など各地の藤棚で優雅に咲き連なり、人々に晩春の訪れを告げている。

福島区の野田地区は古来「吉野の桜」などと並び称される藤の名所で、豊臣秀吉も藤の見物に訪れたと伝わる。現在は63カ所に171基の藤棚があり、このうち「藤の宮」の別名がある春日神社周辺では五分咲きに。薄紫色の房が花の波を演出している。

 ボランティアで手入れに尽力する「のだふじの会」事務局長の藤三郎さん(75)は「今季は順調に開花。区内の藤棚を巡って花を堪能してもらいたい」と話している。

 開花状況は場所によって異なり、春日神社周辺では来週いっぱい楽しめる見込み。

2028名無しさん:2015/04/22(水) 21:20:47 ID:eKrZkGco0
四天王寺で「聖霊会」
04月22日 19時07分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/3816541.html

大阪の四天王寺で、聖徳太子をしのぶ大規模な法要、「聖霊会」が行われ、大勢の人が訪れました。
大阪・天王寺区にある四天王寺は聖徳太子が建てたと伝えられることから命日とされる4月22日に、毎年「聖霊会」と呼ばれる法要を行っています。
法要は午後0時半から始まり、僧侶や寺の関係者ら約100人が列を作り、笛や太鼓を吹き鳴らしながら境内を練り歩きました。
このあと、国の重要文化財の「石舞台」で、長方形の布に丸や三角で人の顔をかたどった面をつけて踊る独特の舞、「蘇利古」など約1400年の歴史を引き継ぐとされる舞楽が次々と奉納されました。
四天王寺によりますと境内には約2000人が訪れたということで、兵庫県尼崎市の男性は「厳かで、見ていて心がスッキリとあらわれます。貴重なものが見られて良かったです。」と話していました。
また、アメリカのカリフォルニアから来た男性は「音楽がとてもいいです。平和で穏やかな気持ちになります」と話していました。

2029名無しさん:2015/04/22(水) 22:05:01 ID:eKrZkGco0
古墳群 展示室新設し公開へ
04月22日 06時31分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150422/4064061.html

大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が古墳や埴輪などの出土品を集めた展示室を新たに設置し、5月から一般に公開することになりました。
この展示室は、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産への登録を目指す大阪・羽曳野市が、市役所の敷地内に設置しました。
展示室は広さがおよそ80平方メートルで、「百舌鳥・古市古墳群」のうち羽曳野市内の古墳から出土した埴輪などおよそ100点が展示されています。
また展示室につながる通路からは古墳群の1つである向墓山古墳を間近に見ることができます。
羽曳野市教育委員会の井原稔課長補佐は「この施設をきっかけにして、羽曳野市などが世界遺産への登録を目指す百舌鳥・古市古墳群についてより多くの人に関心を持ってもらいたい」と話していました。
展示室は、5月7日から一般に公開されます。

2030名無しさん:2015/04/22(水) 22:23:53 ID:eKrZkGco0
僧侶「絵解き」が好評 四天王寺絵堂特別御開扉
2015年4月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150421/20150421024.html

 聖徳太子創建の和宗総本山四天王寺(大阪市天王寺区、森田俊朗管長)で、太子の偉業を描いた壁画がある境内・絵堂の特別御開扉「飛鳥から未来へ」が開かれている。僧侶による解説「絵解き」や記念品授与もあり、多くの参詣者から好評を得ている。拝観無料。30日まで。

絵堂内には7面で構成する「聖徳太子絵伝」(杉本健吉氏作)を奉納。特別御開扉は2022年に迎える年忌法要「聖徳太子御聖忌(ごせいき)1400年」に向けた取り組みの一環で昨春から実施している。

 注目の記念品はポストカードで、「聖徳太子孝養半跏(はんか)像」(白鳳〜室町)「童子と遊ぶ太子」(鎌倉)「蘇我・物部の合戦」(同)と、同寺所蔵の文化財をデザインした3種類を用意。入堂した参詣者全員に1枚配布され、封筒入りで絵柄が分からない点も楽しみの一つとなっている。

 絵解き担当の僧侶の数も以前よりも増えており、同寺参詣課の山岡武明課長は「仏教徒としてもレベルアップを図る機会。さらに多くの方に太子の偉業を知っていただきたい」と話している。

 午前8時半〜午後4時半。絵解きは連日午後1時、同3時の2回。

2031名無しさん:2015/04/25(土) 20:48:26 ID:dXaVnBx.0
みやびな舞 太子慰霊 四天王寺で大法要
2015年4月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150423/20150423022.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で22日、開祖・聖徳太子の命日にちなんだ「聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要」が盛大に執り行われた。初夏の日差しの中、太子慰霊の法要と舞楽が繰り広げられ、参詣者を魅了した。

同法要は国の重要無形文化財に指定されており、四天王寺の年中行事のうち重要かつ最大規模。住吉大社、厳島神社とともに「日本三舞台」と称される境内・石舞台では僧侶による声明(しょうみょう)に続いて、天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)の舞人、楽人がみやびやかな舞楽の数々を奉納した。

 朝鮮半島伝来で太子の目覚めを慰める供養舞とされる「蘇利古(そりこ)」や、王朝時代の武官の正装をした舞人による「春庭花(しゅんていか)」などが舞台上で披露され、周囲に集まった人々が歴史絵巻を思わせる光景に見入っていた。

2032名無しさん:2015/04/26(日) 20:17:32 ID:Lp2ugnhw0
みやび境内に響く 大阪天満宮で「鎮花祭」
2015年4月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150426/20150426025.html

 大阪市北区の大阪天満宮で25日、「鎮花祭(ちんかさい)」が執り行われた。快晴の下、雅楽や神楽などの奉納があり、初夏の伝統行事をみやびやかに飾った。

同祭は「はなしずめのまつり」とも呼ばれ、疫病の流行する季節の変わり目に花に乗って散り広がる精霊を鎮めて心身の健康を祈願する。

 雅楽奉納では神職らが笙(しょう)や篳篥(ひちりき)などを演奏し、「賀殿急(かでんのきゅう)」「胡飲酒破(こんじゅのは)」の2曲を境内いっぱいに響かせた。

 このほか同宮の神職とみこが神楽を、関西雅楽松風会が舞楽をそれぞれ奉納。いずれも繊細で息の合った所作と優美な装束が相まって、多くの参拝者を魅了した。

2033名無しさん:2015/04/26(日) 20:32:05 ID:Lp2ugnhw0
三代目「桂花団治」襲名 70年ぶりの名跡復活祝う
http://www.sankei.com/west/news/150426/wst1504260047-n1.html

上方落語の桂蝶六改め三代目桂花団治さん(52)の襲名披露公演が26日、大阪府池田市の市民文化会館で行われ、桂福団治さん(74)や桂文枝さん(71)らが70年ぶりの名跡復活を祝った。

 「花団治」は、二代目が歌手や俳優もこなすなど多彩な才能を誇ったが、昭和20年の大阪空襲で亡くなった。襲名した三代目は大阪府豊中市出身。古典落語のほか狂言にも精通し、将来が期待されている。

 口上では、一門を代表して福団治さんが「上方落語にまた新しい花が咲きました。よろしくお願いします」とあいさつ。桂ざこばさん(67)は「大阪の名前がまた一つ復活できてうれしい。どっしり、そして明るい名前、応援してあげてください」と激励。花団治さんは「これからも精進してまいります」と神妙に語った。

2034名無しさん:2015/05/01(金) 20:53:26 ID:GQ7PWjh.0
「卑弥呼展」開幕…大阪・弥生文化博物館
2015年05月01日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150501-OYO1T50017.html?from=oycont_top_txt

古代史最大の謎、邪馬台国の女王の新たな実像に迫る春季特別展「卑弥呼―女王創出の現象学―」(読売新聞社など主催)が1日、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で始まった。卑弥呼にまつわる鏡など約300点が並ぶ。7月5日まで。

 「卑弥呼と出会う博物館」として同館が3月、大規模刷新したのを記念して開催。「魏志倭(わ)人伝」に登場する伊都(いと)国の王墓とされる福岡県糸島市・平原(ひらばる)方形周溝墓の超大型内行花文鏡(国宝、直径46・3センチ)、「卑弥呼の鏡」候補の一つ、神戸市・西求女塚(にしもとめづか)古墳の画文帯神獣鏡(重文)などが並ぶ。

 月曜(4日は開館)と7日休館。問い合わせは同博物館(0725・46・2162)。

2015年05月01日

2035名無しさん:2015/05/03(日) 01:55:41 ID:ag9OrMUw0
荘厳の世界 大念佛寺「万部おねり」
2015年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150502/20150502027.html

 大阪市平野区の融通念佛宗総本山大念佛寺で1日、伝統行事の「万部(まんぶ)おねり」(市指定無形民俗文化財)が始まった。文字通りの五月晴れの下、菩薩(ぼさつ)が現世から極楽浄土へ向かう来迎の光景を再現。多くの参詣者が荘厳な儀式に見入っている。7日まで。

 同寺の数多い年中行事のうち最大規模を誇る。今年は開宗900年記念に加えて、第46世上人で江戸時代の宗門再興に尽力した大通上人の300回御遠忌(おんき)という節目の大法要として執り行われる。

 本堂沿いの特設回廊では諸講元ら奉仕者の行列に続いて、きらびやかな面と装束の観世音菩薩や普賢菩薩など二十五菩薩が順次登場。また大法要にあたり特別に地蔵菩薩も厳かにお練りを繰り広げ、極楽浄土に見立てた本堂へ入堂した。

 期間中は声明コンサートや郷土芸能といった奉納行事も行われる。お練りは連日午後1時から。

2036名無しさん:2015/05/03(日) 09:08:28 ID:DlWd16nY0
桂文珍さんら磨き抜かれた話芸披露 上方落語名人会
http://www.sankei.com/west/news/150502/wst1505020076-n1.html

産経新聞社が昭和39年に上方芸能の振興を目指して創設した「上方落語名人会」(産経新聞社など主催、上方落語協会提供、大阪製紙、近鉄タクシー協賛)が2日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで開かれた。

 52回目となる今回は、1月の新進落語家競演会で新人賞を受賞した桂二乗さんがトップバッターを務め、桂春蝶さん、桂文三さん、桂文之助さんが続いた。

 中入り後は、笑福亭枝鶴さん、トリは桂文珍さんが「憧れのホーム」を披露し、会場を大いに沸かせていた。

 上方落語名人会は、新進芸術家の育成を目指し39年から続いている総合芸術祭「なにわ芸術祭」の演目の一つとして定着。若手、中堅、大御所それぞれの魅力が楽しめる落語会として人気を博している。

 今年も日本舞踊、落語、クラシック音楽、ジャズ、洋舞の5部門で新人賞を選出し、7月17日には各受賞者が一堂に会して演目を披露する「受賞者記念公演&表彰式」が同ホールで開催されることになっている。

2037名無しさん:2015/05/03(日) 19:51:23 ID:ZS0bIma.0
道明寺合戦から400年
05月03日 12時33分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150503/4216441.html

「大坂夏の陣」からことしで400年を迎えるのにあわせて、激戦が繰り広げられた大阪・藤井寺市で3日、武者行列が行われました。
「大坂夏の陣」の「道明寺の戦い」が行われた大阪・藤井寺市にある道明寺天満宮に、かっちゅうや華やかな着物を身にまとったおよそ70人の市民が集まりました。
豊臣方の武将の真田幸村や淀君などにふんした一行は、おはらいを受けたあと、1キロ近い道のりを20分ほどかけて「えい、えい、おー」と声をあげながら練り歩きました。
そして、ゴール地点の河川敷に到着すると、鉄砲隊が火縄銃を次々に放ち、沿道につめかけた人たちが盛んに写真を撮っていました。
1歳の子どもを連れて見物に来ていた女性は「武者行列はかっこよかったです。娘にも見せられて子どもも喜んでいると思います」と話していました。
主催者の森田剛浩さんは「400年の節目となることし、この地で合戦があったことを多くの人に知ってもらう機会になればいいと思います」と話していました。

2038名無しさん:2015/05/04(月) 08:15:21 ID:0rRfemIw0
歴史や武将など紹介 「るるぶ」発行、無料配布
2015年5月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150503/20150503039.html

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会(事務局・大阪市経済戦略局)は、情報誌「るるぶ特別編集・大坂の陣400年天下一祭」を発行した。大坂の陣の歴史や武将、各軍の配置図を紹介。市役所、区役所、図書館、大阪城天守閣で無料配布している。

 「るるぶ-」は12ページオールカラー。大坂の陣以外の歴史スポットや食の情報も掲載している。発行部数は8万部で、東京都内の旅行代理店やバスターミナルなどにも配布。7月中旬には第2弾の発行を予定している。

 天下一祭は9月30日まで開催。期間中は金箔(きんぱく)貼りの御座船による大阪城内堀の遊覧があり、7日は「大阪城天下泰平の灯(ともしび)」、16、17の両日は「大坂ノ陣合戦祭り」が予定されている。

2039名無しさん:2015/05/04(月) 14:38:08 ID:PL380kNM0
華麗な舞 魅了 住吉大社で卯之葉神事
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504026.html

 住吉大神の鎮座を記念する伝統の祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が3日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で盛大に執り行われた。多くの参拝者が見守る中、舞楽奉納もなされるなど初夏の境内をみやびやかに飾った。

卯の花(ウツギ)の開花期となる5月最初の「卯」の日の伝統行事。境内・第一本宮で斎行された「本殿祭」では祝詞奏上や献香、献茶に続いて、参列者の代表がサカキではなく卯の葉の玉串を神前にささげた。

 舞楽は大阪の四天王寺、広島の厳島神社と並び日本三舞台として知られる境内・石舞台(国指定重要文化財)で奉納された。天王寺楽所雅亮会の舞人が東西の楽所から響く雅楽の調べに乗せて登場。舞楽の幕開けを告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「萬歳楽(まんざいらく)」「登天楽(とうてんらく)」などを次々と舞い、装束や勇壮華麗な所作で参拝者を終始魅了した。

2040名無しさん:2015/05/05(火) 22:19:25 ID:FkT34vbs0
大みこし復活へ 来夏の住吉祭に向け修繕
2015年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150504/20150504034.html

 住吉大社(大阪市住吉区)の大(おお)みこしが、修復を終えて来年春にお披露目される。70年以上にわたって倉庫で“眠っていた”が、地元有志が3千万円の修繕費用を確保。担ぎ手不足を乗り越え、来年夏に開かれる大阪三大夏祭りの「住吉祭」での復活を目指している。

大みこしは、1881(明治14)年に同神社に奉納された。現在、同神社で使われているみこしと比べて二回り以上の大きさを誇り、重さは約2・6トンとされている。「住吉さんのみこしと言えば大みこし」と言われるほど住民に愛されてきた。

 しかし太平洋戦争を背景に住吉祭のうち、みこしを担いで練り歩く「神輿(みこし)渡御」が中止に。戦後になって再開され、その後、再度の中止をはさんで2005年に再開されて現在に続くが、この間は新調した別のみこしなどを使っていた。

 かつての勇姿を見てもらおうと住吉祭神輿渡御実行委員会は昨年6月から奉賛金を募り、修繕に必要な3千万円以上を確保。かざり金具は京都で、木彫部などは富山に分かれ、それぞれの箇所ごとに復元作業が進められている。

 昔の熱気を取り戻そうとする動きを肌で感じ、同委員会の中野紀久雄会長(74)は「この機会を逃したら次はない。できることは何でもしたい」と意気込む。

 課題は担ぎ手の確保だ。現在は約200人が交替でみこしを担いでいるが、大みこしはその倍の人数が必要。「今も少ない20、30代の若手にどんどん参加してほしい」と中野さん。次男で担ぎ手をまとめる若者頭の光典さん(43)は「今のみこしとは大きさがまるで違う。自分たちも成長しないといけない」と気を引き締めている。

 同神社の権禰宜(ごんねぎ)の岡康史さんは「祭りが人をつなぎ、一つにする。20年、30年先を見据えて、地域をもり立てたい」と話していた。

2041名無しさん:2015/05/07(木) 11:33:29 ID:zCNjF7qc0
幸村 悲運から400年 最期の地で慰霊祭
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506089.html

 信州上田の武将真田幸村が「大坂夏の陣」(1615年)で戦死した場所と伝わる大阪市天王寺区の安居神社(中島一熈宮司)で5日、「真田幸村公戦没400年慰霊祭」が盛大に執り行われた。氏子衆や幸村崇敬者など多くの参拝者が参列。境内を静かに見守る幸村座像にじっと手を合わせた。

天王寺口の戦い」で徳川家康に迫りながらも境内で絶命した悲運の武将を悼み、戦前から「幸村祭」として毎年斎行。座像前では祝詞奏上などに続いて長野県上田市の関係者や大阪城真田鉄砲隊、大阪城甲冑(かっちゅう)隊ら参列者代表が玉串をささげた。

 このほか同鉄砲隊代表で砲術史家の澤田平さん=同市東成区=が、大坂の陣ゆかりの貴重な品々を展示した。歴史愛好家に解説しつつ「あらためて歴史を検証する好機であり、幸村公の無念を晴らすことができたと思う」と感無量の表情を浮かべた。中島宮司は「大きな節目を迎えたが、今後も皆さんとともに幸村公を温かく見守っていきたい」と話した。

2042名無しさん:2015/05/07(木) 11:42:17 ID:zCNjF7qc0
歌劇武将隊さっそうと 大阪城ファミリーフェス
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506086.html

 大阪城の歴史・文化を身近に感じてもらうイベント「大阪城ファミリーフェスティバル2015」の最終日が5日、大阪市中央区の大阪城天守閣前本丸広場で開かれた。天守閣前特設ステージには、宝塚歌劇団とOSK日本歌劇団の出身者による「大阪城歌劇武将隊」が登場。晴天の下、りりしい姿で来場者を魅了した。

歌劇武将隊は、桜花昇ぼるさん(元OSK)が真田幸村、鳴海じゅんさん(元宝塚)が後藤又兵衛に扮(ふん)するなど、大坂の陣で活躍した5人の武将をそれぞれ女性が歌やダンスで演じた。

 5人を中心とした舞台公演「太鼓×歌劇 大阪城パラディオン」(5月30、31日・サンケイホールブリーゼ)が予定されており、この日はテーマ曲「将星」や舞台の一場面を披露した。

 桜花さんは「大坂の陣から400年の年に、この作品に巡り合うことができて本当に幸せ。夏の陣の場面は、涙なしでは見られない」と公演をPRしていた。

2043名無しさん:2015/05/07(木) 11:48:23 ID:zCNjF7qc0
伝統の神事に流鏑馬の型奉納 生国魂神社
2015年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150506/20150506090.html

 「いくたまさん」と呼ばれて親しまれている大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で5日、端午の節句の伝統行事「走馬(そうめ)神事」が執り行われた。流鏑馬(やぶさめ)の型が奉納され、大勢の参拝客らは勇壮な礼法に見入った。

同神社の流鏑馬は、豊臣秀吉が大坂城を築城する約400年前、現在の場所に神社が移って武士が稽古していたことから始まったとされる。明治に入って途絶えてしまい、神事のみが続いていた。

 型は「木馬の型」といわれ、かつて武士が流鏑馬の稽古として行っていたもの。昨年の夏の大祭で、大阪城への渡御列が70年ぶりに復活するにあたり、弓馬術礼法小笠原教場の協力で、102年ぶりに復活した。

 大阪の繁栄を願う神事が本殿で営まれた後に型を披露。武士の衣装を身にまとった同教場の3人が、順次木馬にまたがり、回転しながら鏑(かぶら)矢で三つの的を射抜くと、参拝客から拍手が送られた。

 かつて流鏑馬が行われていた表参道は現在、谷町筋によって遮られているため、同神社は「氏子の皆さんとともに、流鏑馬が再び行えるように願っている」と話している。

 また、近くの生玉公園では、新庄乗馬クラブの協力で子ども向けの乗馬体験も開かれた。

2044名無しさん:2015/05/07(木) 21:27:01 ID:vjPUMxfM0
大坂城落城400年イベント開始 あんどんの明かりに願い
2015年5月7日 19:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150507/20150507096.html

 大坂夏の陣で大坂城が落城してから7日で400年となるのにちなみ、大阪市中央区の大阪城天守閣前で、400個のあんどんに明かりをともすイベントが始まった。

 大坂の陣400年プロジェクト実行委員会が、天下太平の世が訪れた重要な日に、大阪のさらなる発展を祈願したいと主催した。特設の台に並べたあんどん400個全てに、城の来場者が書いた未来の大阪への願いが貼られた。

 夕暮れとともに明かりがつくと、天守閣前の広場には幻想的な光景が広がり、訪れた人たちは城と穏やかな光の共演を楽しんだ。あんどんの展示、点灯は9日まで毎日午後6〜8時に行われる。入場無料。

2045名無しさん:2015/05/07(木) 21:43:29 ID:vjPUMxfM0
落城400年 来訪者に証明書
05月07日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150507/4393251.html

大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になるのを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られています。
徳川家康が豊臣氏を滅ぼした1615年の大坂夏の陣で大坂城が攻め落とされてから、7日で400年になります。
これを記念して、城の天守閣を訪れた人に記念の証明書が配られることになり、配布が始まる午前9時前から、約80人が列を作りました。
かぶとをかたどった証明書には、城が攻め落とされてから400年になる7日、天守閣を訪れたという内容が日本語と英語で書かれています。
静岡県から家族で訪れた男性は「いい記念になりました。4歳の息子が大きくなったら話して聞かせたい」と話していました。
台湾から訪れた男性は「どうしても証明書がほしくて会社を休んで来ました。大阪城は台湾でも人気があるので、帰って自慢したい」と話していました。
広報を担当する青木美佐子さんは「落城の日が過ぎても400年記念のイベントは続くのでたくさんの人に訪れて欲しい」と話していました。
8日は、豊臣秀吉の子、秀頼が自害した日とされ、大坂の陣終結から400年の証明書が配られます。

2046名無しさん:2015/05/07(木) 22:15:36 ID:vjPUMxfM0
夏の陣400年武将悼む…大阪の神社で慰霊祭
2015年05月07日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150507-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

大坂夏の陣から400年に合わせ、大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、慰霊祭が営まれ、地元の住民ら約50人が、戦いで命を落とした武将らを悼んだ。

 夏の陣では、慶長20年(1615年)5月7日に最後の決戦があり、大坂城が落城。翌日、豊臣秀頼と母の淀殿が自害した。

 同神社は大坂城三の丸があった地に立ち、豊臣、徳川の時代に「大坂城の鎮守神」として信仰を集めた。境内には秀頼が寄進した鳥居が残っている。

 慰霊祭では、祭主を務めたサントリーホールディングスの鳥井信吾副会長らが玉串を奉納した。

2015年05月07日

2047名無しさん:2015/05/08(金) 21:19:11 ID:VXCIbyd.0
幻のからくり人形を再現…右半身不自由な人形師
2015年05月08日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150508-OYO1T50020.html?from=oycont_top_txt

大阪府寝屋川市のからくり人形師、東野進さん(65)が、立ち姿の武者が矢を射るからくり人形「弓射り武者」を製作した。幕末から明治時代の発明家で、東芝創業者の田中久重(ひさしげ)の「幻の人形」を再現したものだ。東野さんは、脳梗塞で右半身が不自由になりながら、3年半かけて完成させた。

 高さ約35センチの武者人形が矢立から取った矢を弓につがえ、首を傾けて狙いを定める。放たれた矢は2・5メートル先の的に突き刺さった。台座の中のからくりは、ぜんまいが生み出す動力をカムや腕木と呼ばれる部品を介して14本の糸に伝える。両脚を通って両腕や首につながった糸に操られ、人形は4本の矢を次々と放つ。

 田中のからくり人形は、これまでに5体が確認されている。東野さんは、このうち座った童子が弓を射る「弓曳(ひ)き童子」など4体を国内外で発見し、修復。弓曳き童子は日本機械学会の機械遺産に認定された。

 弓射り武者は、田中の業績を伝える昭和初期の本で「丈(た)け一尺(約30センチ)餘(あまり)の見事な甲冑(かっちゅう)人形」と紹介されているものの、現在は所在不明となっている。東野さんは以前、高さ50センチほどの一回り大きな弓射り武者を作ったことがあるが、原寸大での再現にも挑戦したいと考えていたという。

 2011年2月、脳梗塞で倒れ、右半身が自由に動かなくなった。だが、半年間の入院中も枕元に鎧(よろい)を置いて構想を練り、退院後に製作に着手。子供の頃は左利きだったため、やすりや彫刻刀を左手で扱った。ただ、木や鉄の部品は約200個に及び、「手間は右手が使える時の倍はかかった」と振り返る。

 弓射り武者は16年の正月、江戸東京博物館(東京都)で披露する。東野さんは「渾身(こんしん)の作で、これでやり残したことはない。多くの人に楽しんでほしい」と話している。

田中久重 1799年(寛政11年)、筑後国(現福岡県)でべっこう細工師の長男として生まれた。からくり人形製作のほか、佐賀藩に招かれ、蒸気機関や大砲の技術開発にも取り組んだ。1875年(明治8年)に東京・銀座に構えた工場兼店舗が後に、東芝へと発展した。

2015年05月08日

2048名無しさん:2015/05/08(金) 21:45:58 ID:VXCIbyd.0
秀頼、淀らしのぶ ”鎮守”玉造稲荷で慰霊祭
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508022.html

 “大阪城の鎮守”として知られ、豊臣家と縁が深い大阪市中央区の玉造稲荷神社で7日、「大坂の陣400年慰霊祭」が営まれた。関係者や氏子が出席し、豊臣、徳川両家をはじめ戦いで命を落とした全ての人をしのんだ。

玉造稲荷神社は紀元前12年に建立されたが、その後は荒廃し、1603年に秀頼によって再興された。境内には、秀頼と母の淀を結ぶ胎盤と卵膜が鎮まる「秀頼公胞衣(よな)塚」がある。

 400年前の7日、大坂の陣は最後の決戦を迎え、大坂城は落城。翌8日に秀頼と淀が自害した。

 この日は、胞衣塚の前で鈴木一男宮司が祝詞を奏上。サントリーの鳥居信吾副会長、森下仁丹の駒村純一社長らが玉串を奉納した。境内にある秀頼の銅像にも献花した。

 鈴木宮司は「平和で大阪が発展していくことを祈念致します」とあいさつ。氏子代表の二ノ宮※治さん(76)=中央区=は「無事に終わって良かった。できる限り、神社を守るお手伝いをしていきたい」と話していた。

※は王ヘンに秀

2049名無しさん:2015/05/08(金) 21:52:48 ID:VXCIbyd.0
「大坂城落城」思いはせ 来館者に登閣証明書配布
2015年5月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150508/20150508020.html

 大阪市中央区の大阪城天守閣で7日、400年前の「大坂夏の陣」での落城の日にちなみ、来館者へ記念の天守閣登閣証明書が配布された。大きな節目に当たり、多くの人々が日本を揺るがした壮大な歴史ドラマに思いをはせた。

大阪城天守閣による「大坂の陣400年プロジェクト」の一環。大坂の陣関連の多彩な展示会や事業を通じて大阪の歴史や魅力に触れてもらおうと企画した。

 証明書の配布は、「大坂冬の陣終結」400年に当たる2014年12月22日に続いて2度目。城の屋根をモチーフにした前回に対し、今回はかぶとをデザインした。前回同様、日本語と英語で歴史と登閣を証明する内容が表記され、国内外の来館者が見入っていた。

 大阪歴史博物館で長年ボランティアを務める山田康広さん(74)=豊中市=は証明書を受け取り「大阪城が大好きなので、ぜひこの日に訪れたかった。これからも全国の皆さんに歴史と魅力を広めたい」と笑みを浮かべていた。

 大坂の陣終結400年の8日には「高麗橋擬宝珠」をデザインした証明書(5千枚限定)を配布。同天守閣では「縁あって皆さんがお越しになったこの場所で、積み重なってきたさまざまな歴史に思いをはせてもらえるきっかけとなれば」と話している。

2050名無しさん:2015/05/12(火) 19:12:05 ID:2Go/SKJY0
幸村博 歴女が行列 天王寺、イベント沸く
2015年5月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150511/20150511023.html

 大坂の陣400年にちなんだ歴史顕彰イベント「天王寺真田幸村博〜赤備えの章」が10日、大阪市天王寺区の近鉄大阪上本町駅周辺で行われた。戦国武将の真田幸村にスポットを当てたステージが開かれるなど、大勢の歴史ファンでにぎわった。

イベントは、同区役所などでつくる実行委員会が主催。大坂の陣を代表する戦国武将の幸村が大坂城の出城「真田丸」を築き、最期を迎えた同区の魅力を発信しようと、昨年から区内各地でさまざまなプログラムを実施している。

 10日は、同駅に隣接する商業施設「うえほんまちハイハイタウン」で、殺陣パフォーマンスや、武者行列と演武、幸村の子孫の真田徹さんを招いてのトークショーが開かれた。また、幸村関連のゲームのグッズや工芸品の販売があり、買い求める“歴女”の長い行列も。真田丸のジオラマや特設の幸村神社を参拝する幸村ファンの姿もあった。

 同区長の水谷翔太実行委員長は、来年のNHK大河ドラマに真田丸が決まって天王寺が盛り上がってきたといい「今から400年前に悲しい戦いがこの地で繰り広げられた。今回を機に、新しい400年を刻むことができれば」と話していた。

2051名無しさん:2015/05/12(火) 19:39:39 ID:2Go/SKJY0
天神祭成功へ一丸 実行委が初会合
2015年5月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150512/20150512035.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の実行委員会は11日、2015年度の初会合を大阪市北区の大阪天満宮会館で開き、7月24日に宵宮祭、翌25日に本宮祭と奉納花火を行うことなどを確認した。また実行委員長に栗原宏武氏が就任したことが報告された。

会合には大阪天満宮の寺井種伯宮司や氏子代表ら関係者約80人が出席。会の冒頭、寺井宮司が、体調不良のため京極俊明氏が実行委員長を退任し、栗原氏が就任した経緯を報告した。

 栗原氏は「伝統のある天神祭をなんとしても盛り上げ、次の時代に引き継いでいかないといけない。皆さんに協力いただき、力を一つにして頑張っていきたい」と決意を述べた。

 会合では、14年度の決算や15年度の予算が報告され、累積赤字の解消策などが話し合われた。事業計画も発表され、25日の奉納花火では約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が披露される。

2052名無しさん:2015/05/14(木) 21:12:57 ID:RoDNhHXk0
初夏の薫り 住吉大社で卯の花見頃
2015年5月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150514/20150514028.html

 13日の近畿地方は高気圧に覆われ、台風6号の影響で大荒れとなった前日から一転、各地でさわやかな五月晴れとなった。

大阪市住吉区の住吉大社境内にある「卯(う)の花苑」では卯の花(ウツギ)が見頃を迎え、一帯は初夏の薫り。13種約500株が植栽されており、純白のウツギをはじめ紅白織り交ぜたハコネウツギ、八重のサラサウツギが参拝者を迎えていた。

 大阪管区気象台によると、大阪市の最高気温が25・5度まで上昇。このほか枚方市26・0度▽堺市26・0度▽八尾市25・9度と各地で夏日となり、軒並み平年を0・3〜2・9度上回った。

2053名無しさん:2015/05/14(木) 21:44:48 ID:RoDNhHXk0
「くすりの町」に薬の史料館
05月12日 22時44分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150512/4212221.html

大手製薬会社「田辺三菱製薬」の本社が「薬のまち」として知られる大阪の道修町に移転し薬の歴史などを学べる史料館が12日オープンしました。
この史料館は、「田辺三菱製薬」が大阪・中央区の道修町に新しく建設した本社ビルに設けられ、薬にまつわる歴史や知識を学ぶことができます。
このうち、明治初期の薬を扱う商店を再現したコーナーでは、店主の姿がスクリーンに映し出され、薬のまち、道修町がどのように発展してきたかを紹介しています。
また、「産前産後打ち身によし」などと書かれた江戸時代の看板や、昭和初期のはかりなども展示されています。
このほか、体の中で薬が作用する仕組みを説明する立体画像や、薬の知識を問うクイズを楽しめる展示などもあります。
見学した男性は、「薬の歴史を物語る貴重なものを見ることができてよかったです」と話していました。
田辺三菱製薬広報部の原健司さんは、「所蔵品を入れ替えて展示していくので、歴史を感じてもらいたい」と話していました。
この史料館は事前に申し込めば誰でも見学できるということです。

2054名無しさん:2015/05/19(火) 04:53:22 ID:4U8lp5tg0
感謝を込めて「家族」と別れ 大阪天満宮で人形祭
2015年5月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150518/20150518034.html

 思い出の詰まった人形に感謝の思いを込めて奉納する「人形祭」が17日、大阪市北区の大阪天満宮で行われた。納められた日本人形やひな人形、フランス人形、縫いぐるみなどを前に祝詞があげられ、玉串が奉納された。

関西節句人形工業協同組合の主催で2011年から毎年5月に開催。「200人以上の人が人形を持って来られ、1500体前後の人形が納められた」と元賀圓治同祭実行委員長。

 午後3時から行われた神事「人形奉謝祭」には人形を納めた人や組合の関係者、地域の人らが参列。今までの恩恵に感謝し、これからの加護も祈った。

 同組合の小出康雄理事長は「さまざまなお祝いごとで贈られ長い間親しんできた人形など、お役目を終えた後どうしたらいいかと困っている人は多い。作り手として、今後も最後まで面倒を見ていきたい」と話していた。

2055名無しさん:2015/05/22(金) 21:51:44 ID:fw7ynx6A0
まだ地中に眠る不発弾 多く残存の可能性
2015年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150520/20150520032.html

 全国各地で不発弾の発見が続いている。大阪市では3月にミナミの繁華街で見つかり、5月9日に撤去作業が行われた。70年前の大阪大空襲による不発弾は、まだ地中に眠っていると指摘する声も多い。戦争の記憶が風化する中、関係者は警戒感を緩めないよう呼び掛けている。


 繁華街は一時、1個の不発弾処理で機能停止に陥った。約2200人が避難を強いられ、商業施設は休業、電車も一時運休した。

 ミナミのマンション新築工事現場で見つかったのは長さ1・8メートル、直径60センチの1トン爆弾。地上で爆発すれば半径1キロの範囲で破片が吹き飛ぶサイズだ。

 「まさかこんな商業地に70年前の遺物が埋もれているなんて」。近くの団体職員、丸尾三郎さん(72)は声を震わせた。

1発の破壊力
 太平洋戦争末期、米軍は大阪を約50回にわたって空爆。100機以上の来襲も何度か繰り返され、そのたびに数百発の爆弾が投下された。空襲後は地面のあちこちに大きな穴ができたという。

 空襲による被害を調査してきた大阪電気通信大の小田康徳名誉教授(日本近代史)は「恐ろしい破壊力。1発でも直撃すれば人の体は跡形もなくなり、工場の鉄骨はあめ細工のように折れ曲がった」と指摘する。

 市内で不発弾が発見されたのは、記録がある1955年以降、今回で87個目。城東区や都島区など大阪城周辺の工事現場で見つかることが多い。民家の庭で見つかることもあり、高齢者が自宅で保管していたケースもあった。

 不発弾の処理について、近畿2府4県を管轄する陸上自衛隊第3師団への通報は年間100件程度で推移し、年数回ペースで処理されている。これまでの撤去作業はすべて成功し、けが人はない。

70年経ても機能
 しかし、全国で撤去された不発弾数の約半分を占める沖縄県では、子どもが石を投げ付けて爆発したり、処理中にさく裂するなどの事故が発生。同県防災危機管理課のまとめでは、本土復帰した72年以降の不発弾による死者は6人、負傷者は51人に上る。

 陸上自衛隊の推計によると、全国に埋もれた不発弾は約2600トン。都市開発が進む大阪市でも今後、工事現場などで見つかることが想定される。

 このため、大阪市危機管理室の橋口博之住民保護企画担当課長は「民家の下に眠っている可能性も否定できない。見つけた場合はすぐに警察へ通報し、絶対に触れないでほしい」と呼び掛け、第3師団広報班の塩津知明班長は「70年を経た不発弾の信管であっても衝撃を加えれば機能する可能性がある」と警鐘を鳴らす。

 戦後70年。不発弾の相次ぐ発見について、小田名誉教授はこう説く。

 「戦地だけでなく、市民の暮らしや命までも奪った。そんな戦争の一端を不発弾が物語っている。歴史は未来の平和を照らす。戦争が問うたことを若い世代にも考えてもらいたい」

2056名無しさん:2015/05/24(日) 18:55:36 ID:DjGiuHxM0
仁徳陵石室 CG映像で再現
2015年05月23日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150523-OYTNT50023.html

◇堺市博物館 ミニシアター映像公開

 世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥(もず)古墳群」を紹介する堺市博物館(堺区百舌鳥夕雲町)内のミニシアターに、仁徳天皇陵の内部の石室をコンピューターグラフィックス(CG)で再現した映像が登場し、来館者を楽しませている。

 宮内庁が管理する仁徳陵では発掘調査ができないが、1872年(明治5年)に何らかの原因で前方部が崩れた際、大王ゆかりの人物の石室が見つかり、内部で長持形石棺(幅約2・4〜2・7メートル、長さ3・9メートル)が確認された。今回のCGは、当時の様子を描いた絵図をもとに再現した。

12分間の映像はまず、多くの埴輪(はにわ)が並ぶ築造当時の外観を紹介。続いて古墳の前方部にある石室をのぞき込むようにして、内部に収められた石棺を映し出し、朱色に塗られた表面外側の突起の一部を見ることができる。石棺の傍らで発見された副葬品の甲冑(かっちゅう)や剣なども再現された。

 昨年3月に整備されたミニシアターでは、百舌鳥古墳群の上空を飛んでいるような体験ができる映像が公開されており、今後は新しい映像と交互に上映する。

 入場無料。午前10時〜午後4時30分。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・245・6201)へ。

2015年05月23日

2057名無しさん:2015/05/24(日) 19:53:31 ID:DjGiuHxM0
淀屋の闕所 謎迫る 研究会10周年記念シンポ
2015年5月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150524/20150524032.html

 江戸時代の大坂の豪商「淀屋」を題材にした淀屋研究会(毛利信二代表)の創立10周年記念シンポジウム「豪商淀屋の闕所(けっしょ)から310年」が23日、大阪市中央区で開かれた。幕府の命で財産没収と大坂追放の闕所となった「日本一の豪商」淀屋の謎に迫った。

同研究会は、淀屋闕所300年後の2005年に発足し、淀屋に関する真実の探求や、鳥取県倉吉市など関係する自治体への貢献などを目的に活動を展開。これまでにシンポジウムを開催するほか、関係資料などの調査を進めてきた。創立10年を記念した今回は、いまだ謎に包まれている闕所をテーマに開催した。

 聴衆約300人が集まった会場では、有識者らが登壇し、それぞれの視点を披露。佛教大学歴史学部の渡辺忠司教授は「近世大坂の商業的発展と淀屋」と題して講演。淀屋が中心的な役割を担なった米や青物、塩干魚といった市場の整備によって、大坂が全国の物流拠点となったことが、江戸中心の社会を築きたい幕府の妨げとなったといい、闕所は「個人のうらみだけではなく、徳川政権が進めたい社会構造との兼ね合いによるものでは」と持論を述べた。

 また、同研究会の蒲田健三副代表と丹波紀美子幹事、淀屋の闕所を題材にした『謀(たばか)る理兵衛』の著者、松本薫さん=鳥取県米子市在住=ら3人が対談。このうち、松本さんは淀屋の番頭の出身地、伯耆・倉吉でひそかにのれんを守り、闕所から約60年後に大坂で再興を遂げたことから「大坂商人の意地を感じる。謀ったのは幕府ではなく、淀屋だったと思う」と話した。

2058名無しさん:2015/05/27(水) 04:25:47 ID:4pA.d1f.0
「天神祭」実行委員長に就任 栗原宏武さんに聞く
2015年5月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150525/20150525026.html

 日本三大祭りの一つ「天神祭」の宵宮祭は7月24日、本宮祭は翌25日に盛大に催される。千年余りの歴史と伝統を誇る大阪の夏の風物詩。絢爛(けんらん)豪華な時代絵巻を繰る広げる渡御行事や夜空を彩る約4千発の奉納花火など、100万人以上の参拝者や見物客でにぎわう。大阪の観光や経済活性化にも寄与する同祭の実行委員長に、天神祭渡御行事保存協賛会副会長の栗原宏武さん(75)が就任した。重責を担うことになった新実行委員長に祭りへの意気込みなどを聞いた。

-実行委員長就任を打診されたときの心境は。

 「大変に責任のある仕事。困ったことになった、というのが正直な気持ちだった。前実行委員長の京極(俊明)さんとは、2011年以降、(天神祭渡御行事保存)協賛会の副会長を一緒に務め、実行委員長としての仕事ぶりを拝見してきた。その京極さんのご推薦でもあり、やらないかんのかな、と覚悟を決めた」

 -新実行委員長としての抱負は。

 「天神祭は、大阪のにぎわいにも関わってくる一大イベント。元気な大阪の象徴でもある。近年は協賛企業も少なくなり、厳しい運営となっているが、この素晴らしい伝統は、次の時代にきちんと伝えないといけない。幸い、経済情勢も上向いてきた。経済界はもちろん、各界の協力を頂きながら、さらに祭りを発展させ、盛り上げていきたい」

 -これだけの祭り、運営するのも大変だ。

 「事故なく終えることが重要だ。警察や消防などの関係機関とも十分に協議して、万全の体制を整えたい。併せて、熱中症対策にも力を入れたい。異常気象の影響か、近年は熱中症の人がものすごく増えた。医師会や医療系大学の協力も頂き、救護対策を充実しようと考えている。ただ、対策はするが、一番いいのは、熱中症にならないで祭りを楽しんでもらうこと。来場者自身に熱中症対策をしていただけるよう、事前にPRすることも考えたい」

 -宵宮祭や本宮祭の当日にも重要な役割がある。

 「陸渡御では、総奉行として馬に乗らないといけない。映画撮影用の人に慣れた馬で、引き手もいるそうだが、何といっても、身動きできないくらいのものすごい人出。馬も興奮して暴れることがあり、何度も落馬しそうになった、と京極さんに伺ったことがある。初めてのことでもあり、無事に務められるか心配だ。しかも、夏の炎天下で、時代装束。体力的にも厳しく、私より10歳年長の京極さんが、これまでよくやってこられたと感心している」

 -体力強化や体調管理も必要だ。

 「天神祭に向けて、というわけではないが、普段からバスや電車を利用して、できるだけ歩くようにしている。現在も大学で少年法の講義を持っており、学会や各種の会議などで出掛けることも多い。万歩計で測ると、1日1万歩以上。何とかなるかな、とは思っている」

 【プロフィル】栗原宏武(くりはらひろむ) 1939年、大阪市出身。関西大法学部、同大学院法学研究科を経て、64年に司法試験に合格した。67年4月に京都地裁判事補となり、大阪高裁部総括判事や大阪家裁所長などを歴任。2004年に定年退官し、同年9月に関西大法科大学院教授、10年4月から同名誉教授を務める。05年に大阪府公安委員となり、06年から14年まで同委員長。

2059名無しさん:2015/05/28(木) 20:09:57 ID:PGaBWCHM0
仁徳陵陪塚で築造時の葺石 堺市、全長も判明
2015年5月28日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150528/20150528079.html

 仁徳天皇陵とされる大山古墳に付属する陪塚の一つ、収塚古墳(5世紀半ば、前方後円墳)で、築造時の状態とみられる葺石が見つかり、堺市が28日、発表した。前方部の端が確定し、古墳全長は従来の57・7メートルではなく約59メートルと分かった。

市によると、収塚古墳は、大山古墳のすぐ南東にあり、世界文化遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群の一つ。前方部が短い帆立て貝形だが、前方部はほとんどが削られており、明治30年代の地図には円墳として描かれていた。

 1972年ごろ前方後円墳と認識したが、円墳として国指定史跡になったままという。

2060名無しさん:2015/05/28(木) 21:19:03 ID:PGaBWCHM0
額に宝印 伝統行事で注目集める長宝寺
2015年5月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150528/20150528038.html

 「えんまさんのお寺」として親しまれる大阪市平野区平野本町の長宝寺(西脇慈容住職)が注目を集めている。中世から現在に至るまで広く信仰を集めるえんま信仰の拠点。今年3月には大阪市指定文化財に寺関連の習俗や宝物など5件が登録された。参拝者の額にえんま王の花押を彫りこんだ宝印を授与する行事は全国的にも珍しく、毎年多くの参拝者が訪れて加護を願っている。

長宝寺は坂上田村麻呂の娘春子の創建とされる真言宗寺院。永正10(1513)年の年紀を持つ『よみがへりの草紙』では、長宝寺の比丘尼がえんま王の取り計らいで蘇生した話が記される。

 『よみがへり-』にも書かれるのが宝印授与の儀式。毎年、えんま王の縁日にあたる5月18日に行う。「全国的に見ても珍しく、中世の信仰習俗が現代まで継続して行われているという、大阪市内に残る特別なえんま信仰」として、他の宝物とともに市の無形民俗文化財に指定された。

 今月18日も多くの人が参拝。「坂上田村麻呂公の守護仏」「えんま大王」の年1回の開扉の中、宝印の授与式が粛々と行われ、約300人が、えんま王と縁を結び地獄に落ちなくなるという“天国へのパスポート”を授かった。

 宝印を授与された瀬戸正樹さん(59)=福島区=は「毎年、家内安全を願い、一年健康で過ごせるようにと参拝している」と話していた。

2061名無しさん:2015/05/31(日) 19:09:35 ID:yDNiVAjE0
猪飼野だんじり新調 「地域結束の象徴に」
2015年5月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150530/20150530040.html

 約130年前から大阪市生野区の猪飼野地区に伝わるだんじりが34年ぶりに全面修復され、夏祭りを前にこのほど完成した。中高生から80代の長老まで、まちぐるみで受け継いだ“宝”が31日の「入魂式」でお披露目される予定だ。まちの活性化に取り組む猪飼野保存会では「地域結束の象徴に」と新たな希望を託している。


保存会によると、猪飼野の地名は、四足獣を食用とすることが禁じられていた明治維新以前、「ヤマクジラ」という隠語を使ってイノシシを養殖したことからその名が付いたという。旧村が集まる地域だが、戦後はコリアタウン(御幸通商店街)が形成され、観光地としてもにぎわう。

 地域に残る資料によると、だんじりが製作されたのは1887(明治20)年で、1981(昭和56)年の改修まで使用された初代の見送り幕は、その鮮やかさを表現するため、ヒヒの血で真っ赤に染め、金の刺しゅうを施したという言い伝えが残っている。

 記録では戦後51(昭和26)年と81年の2度改修。「大阪型幕式地車」と呼ばれ、棒に肩を入れ、みこしのように持ち上げる「担ぎ上げ」が特徴で、大阪では福島区の海老江と並んで知られている。また、眼光鋭い魔よけの獅噛(しがみ)も特徴で、先代に倣う赤地に勇壮な竜虎が描かれた豪華な飾り幕も新調するなど、約半年がかりで完成させた。

 村の鎮守、御幸森天神宮に入庫するだんじりは、地域にとって大きな求心力。「だんじりを残してくれたお陰で地域の結束がある」としみじみ話すのは地車修復事業実行委員長の川野恵弘さん(68)。世代間交流のツールにもなっており、保存会会長の村井公一さん(65)は「だんじりがあるから、隣の家を行き来できる。都市部でこんなことはない」と胸を張る。

 日頃から、祭りの担い手である中高生や20代の若手が、だんじりばやしの太鼓とかねの練習に来ることは年長者たちを喜ばせる。「譜面がないので耳で覚え、肌で感じてもらうしか思いは伝わらない。若い人が魅力を感じて集まってくれている」と村井さん。伝統は生き生きと受け継がれている。

 31日には、御幸森天神宮から先人たちが眠る霊園を墓参し、往復約2キロをえい航する予定だ。

2062名無しさん:2015/06/02(火) 22:12:49 ID:YABl/d1I0
「すずやか」天満に集う
2015年06月02日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150602-OYTNT50025.html

大阪市北区の大阪天満宮で1日、全国各地の風鈴工房が手作りの作品を販売する「大阪風鈴まつり」が始まり、ガラスや陶器、銅製など、さまざまな風鈴が境内の風に揺れて涼しげな音色を立てている。

 天満が、日本の産業ガラス発祥の地と言われることから、4日まで開催。全国16の工房から届いた風鈴は、1個2000〜3500円が中心という。

 同まつりの実行委員長で、東大阪市で空き瓶をリサイクルした「河内風鈴」を販売している菅二弥さん(67)は「ガラス産業の伝統を守り、風鈴の良さを伝えていきたい」と話していた。

2015年06月02日

2063名無しさん:2015/06/07(日) 18:50:11 ID:GAPePzGk0
■戦後70年 大阪市内の千人塚で慰霊法要
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007799.shtml

70年前の6月7日、大阪を襲った米軍による大空襲の犠牲者を弔う法要が、大阪市内の淀川河川敷で営まれました。
 
 法要は大阪市旭区の淀川堤防にある千人塚の石碑の前で営まれ、空襲の体験者ら150人余りが参列しました。

 70年前の1945年6月7日、アメリカ軍による3回目の大空襲で、大阪市の北東部は焦土と化しました。
 
 淀川河川敷に避難した大勢の市民も低空飛行した戦闘機の機銃掃射で狙われ、河原には数えきれないほどの遺体が積み上がったといいます。

 法要は終戦の翌年から市民らの手で毎年行われてきましたが、空襲体験者の高齢化に伴い、現在のような形で行うのは、70回目となる今年が最後になるということです。

 参列した人たちは犠牲者を弔うとともに、平和への誓いを新たにしていました。 (06/07 11:40)

2064名無しさん:2015/06/07(日) 20:58:58 ID:GAPePzGk0
笑顔でアピール 「天神天満花娘」の最終選考会
2015年6月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150607/20150607033.html

 天神祭に花を添える「天神天満花娘」の最終選考会が6日、大阪市北区の大阪天満宮で行われ、候補女性が花娘に懸ける思いや熱意などを審査員にアピールした。

天神天満花娘は、みこに準じる仕事で、天神祭を中心に1年間、同天満宮や地元商店街に関わるイベントに参加する。天神橋筋商店連合会などが、2003年から、19〜28歳の独身女性を対象に公募で10人を選んでおり、今年も大阪府を中心に関西地区から約200人が応募した。

 最終選考会に残ったのは、書類選考で選ばれた39人。13人ずつ3組に分かれ、同連合会の役員らが面接審査を行った。

 候補者の自己PRに続いて、面接官が天神祭や商店街への思いなどを質問。花娘候補は「ずっと花娘に憧れていました」「楽しむ側から行う側になって、祭りや商店街を盛り上げたいと思います」「明るさと元気で精いっぱい頑張ります」などと一人一人が笑顔で答えていた。

 選考結果は後日、本人に通知される予定。天神天満花娘に選ばれた10人は、20日に同天満宮で行われる研修会に参加し、天神祭の歴史やしきたり、花娘の役割などを学び、来月の祭り本番に備える。

2065名無しさん:2015/06/10(水) 00:34:03 ID:aAZ6sBh.0
大空襲の日に平和の折り鶴 大阪市営地下鉄3駅
2015年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150608/20150608032.html

 戦後70年の節目を迎えて大阪市交通局は7日から、市営地下鉄3駅で、利用客と共に千羽鶴の制作を開始した。70年前の米軍による第3次大阪大空襲と重なったこの日、参加者たちは平和への願いを折り紙に込め、鶴を作った。

千羽鶴の制作は、市営地下鉄の利用客と一緒に千羽鶴を作って平和の尊さを学び、思いを形にしようと企画。7月19日までの毎週日曜日に、心斎橋駅、梅田駅、なんば駅の3駅に会場を設けて実施する。出来上がった千羽鶴は、長堀鶴見緑地線の心斎橋駅で展示するほか、8月に開かれる大阪戦没者追悼式に献納する。

 初日となったこの日、心斎橋駅では同線沿線で行われるイベントのために大勢の利用客で大にぎわい。時折、制作の趣旨に賛同した人が足を止めては、鶴を折っていた。

 参加者のうち、名古屋市から家族3人で訪れた向文博さん(51)は、今国会に提案された安全保障関連法案や、憲法改正を不安視。「子どもたちを戦地へ行かせたくない。平和への意識を高めるために、こういうイベントを増やしてほしい」と話していた。

2066名無しさん:2015/06/10(水) 00:52:10 ID:aAZ6sBh.0
天満天神繁昌亭が値上げへ
06月09日 19時10分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150609/5433511.html

上方落語の寄席を毎日楽しめる大阪の天満天神繁昌亭が、ことし9月から入場料を値上げすることになりました。入場料は平成18年のオープン以来、据え置かれてきましたが、運営する上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
大阪・北区の天満天神繁昌亭を運営する上方落語協会によりますと、入場料の値上げはことし9月16日からです。一般の入場料を500円引き上げ、前売りは2500円に、当日は3000円になります。小中学生の料金、1500円はそのまま据え置かれるということです。
天満天神繁昌亭は、上方落語を毎日楽しめる専門の寄席として平成18年9月にオープンしました。
入場料が値上げされるのは初めてで、上方落語協会は、「消費税の増税などで施設の維持費がかさんでいるため」としています。
上方落語協会は、「これまで入場料を据え置いてきたが、安定した経営をしていくため値上げを決断した。これからもよい落語を提供できるようがんばっていきたい」と話しています。

2067名無しさん:2015/06/17(水) 04:15:22 ID:IkqBpCjg0
文楽の魅力をわかりやすく
06月15日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150615/5132031.html

人形浄瑠璃「文楽」の魅力を初心者にもわかりやすく紹介する催しが、14日、大阪・北区で開かれました。
この催しは文楽の魅力を広く知ってもらおうと大阪市と文楽協会が初めて企画し会場の大阪市中央公会堂にはおよそ700人が集まりました。

最初に語り手の豊竹英大夫さんなどが、発声の方法についてユーモアを交えながら分かりやすく説明しました。
続いて、主人公が、恩人の息子とその恋人を守るためしゅうとを殺してしまう「夏祭浪花鑑」と、戦国時代敵同士だった上杉謙信の娘と武田信玄の息子の恋愛を描いた「本朝廿四孝」の2つの有名な演目が披露されました。
会場では初心者でも楽しめるよう太夫の語りがスクリーンに字幕で映し出され、大勢の観客が舞台に見入っていました。
家族連れで来た小学3年生の女の子は「はじめて見ましたが、人形が本当の人のように動くことにびっくりしました」と話していました。

この催しは16日まで開かれています。

2068名無しさん:2015/06/17(水) 04:17:16 ID:IkqBpCjg0
踊りや舞奉納 古式ゆかしく 住吉大社
2015年6月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150616/20150616028.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、伝統行事「御田植神事」が盛大に執り行われた。境内には約420人の奉仕者が参集し、古式ゆかしい田植えをはじめ踊りや舞などの芸能を奉納、秋の豊作を祈った。

同神事は同大社鎮座の際、神功皇后が御田(おんだ)を定め、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源とされ、1979年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 神事では、神前で田植えを奉告し、早苗を授かる本殿祭の後、境内南の御田(約20アール)で御田式を斎行。田の中央に設けられた舞台上では、八乙女(やおとめ)による「田舞(たまい)」や、御稔女(みとしめ)の「神田代舞(みとしろまい)」などが奉納される中、植女から苗を受け取った替植女(かえうえめ)ら奉仕者が、たすき姿で苗を植え付けていった。

 このほか住吉踊(おどり)、風流武者行事、棒打合戦などを次々と奉納。約3500人の参拝者が伝統の重みを実感しつつ、奉仕者の一挙一動を見守った。

2069名無しさん:2015/06/20(土) 10:30:08 ID:3eG0V.Gk0
大阪大空襲、写真と祈りと
2015年06月06日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150606-OYTNT50024.html

大阪大空襲70年に合わせ、犠牲者の慰霊と平和を祈る写真パネル展「石町一丁目の歴史〜三橋楼とハリストス正教会」が5日、大阪市中央区の府立労働センター(エル・おおさか)9階ギャラリーで始まった。7日まで。

 吹田市の大阪ハリストス正教会(水口優明神父)が主催した。同教会は1878年、大阪・天満橋南詰め付近(石町一丁目)にあった高級料理旅館「三橋楼(さんきょうろう)」の建物を利用して創立。1910年、木造ビザンチン式の聖堂に建て替えたが、45年6月の大阪大空襲で焼失し、62年、吹田市で再建された。

 会場には、1875年に明治政府の方針を協議した「大阪会議」を控え、大久保利通らが最初の会合を持った三橋楼や、焼失前の聖堂の写真、大空襲当時の神父の罹災(りさい)証明書、防空壕(ごう)に保管していた燭台(しょくだい)など計約40点が並ぶ。大阪市中央区の山岡照明さん(64)は「身近に歴史ある場所があることがよくわかり、平和の大切さを改めて実感した」と熱心に見入っていた。

 無料。入場は午前10時〜午後7時(7日は午後4時まで)。問い合わせは同教会(06・6388・4512)へ。

2015年06月06日

2070名無しさん:2015/06/20(土) 12:06:51 ID:3eG0V.Gk0
父子2代で追悼70年 第3次大阪大空襲
2015年06月08日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150607-OYTNT50361.html

太平洋戦争末期、大阪市北東部を中心に約2800人が犠牲となった「第3次大阪大空襲」から70年を迎えた7日、多くの住民らが逃げ込み、命を落とした同市旭区の城北公園で慰霊法要が営まれた。体験者や遺族ら約150人が参列し、鎮魂の祈りをささげた。

同空襲は、米軍が1945年3月13日〜8月14日にかけ、8度にわたり大阪市内を襲った爆撃の3度目。

 住民らは、B29の大編隊が投下した大量の焼夷(しょうい)弾や爆弾から逃れようと城北公園に集まったが、多くが戦闘機による機銃掃射の標的となった。身元不明の遺体は淀川河川敷で荼毘(だび)に付され、遺骨はそのまま埋められた。

 地元有志でつくる「千人塚慰霊法要協賛会」会長の東浦栄一さん(86)は、公園に逃げ込んだ一人。射撃され、変わり果てた姿の子供や女性の遺体を数多く目の当たりにしたという。

 一緒にいて無事だった父の栄二郎さんが終戦の翌年、「千人つか」と刻んだ碑を河川敷に建立し、私費を投じて毎年、この日に法要を行ってきた。栄二郎さんが62年に亡くなった後は、東浦さんが引き継いだ。

 法要では、僧侶による読経の後、参列者たちが静かに焼香し、手を合わせた。

 この空襲で母を亡くした茨木市中村町の浅野日出子さん(83)は、「ここに来るとお母ちゃんに会える気がして、70年間毎年欠かさず参列してきた。今日は、『私も年をとったよ』と語りかけました」とつぶやいた。

 当初30人近くいた協賛会メンバーは今、数人に減ったが、東浦さんは「体力が続く限り、法要を続けたい。それが生き残った者の使命だ」と話している。

2015年06月08日

2071名無しさん:2015/06/20(土) 12:39:07 ID:3eG0V.Gk0
幕末の高槻、京守る砲台
2015年06月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150610-OYTNT50497.html

幕末期の京都を防衛するため、高槻市内に建設された砲台「梶原台場」などを通して当時の歴史を学ぶ展示会「幕末の梶原台場と長州藩の上洛(じょうらく)」が、同市のしろあと歴史館で開かれている。8月2日まで。無料。

 同台場は、長州藩の上洛を防ぐため、幕府側が1865年に設置。明治以降に解体されたが、当時の市の状況を知ってもらおうと、展示会では旧高槻藩士や旧家が残した古文書や絵図、同時代の甲冑(かっちゅう)など約30点を紹介。中には、洋装で刀を腰に差した旧高槻藩士を撮影した明治初期の珍しい写真もある。

 中西裕樹学芸員(城郭史)は「京都の入り口に位置し、幕末期にも重要な場所だった高槻の歴史を知ってほしい」と話していた。

 入場は午前10時〜午後4時30分。月曜と祝日の翌日は休館。7月23、30日には学芸員の講座もある。問い合わせは、しろあと歴史館(072・673・3987)へ。

2015年06月11日

2072名無しさん:2015/06/20(土) 12:46:17 ID:3eG0V.Gk0
■登呂遺跡より大規模 大阪・高槻で弥生前期の集落跡
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007897.shtml

大阪府高槻市で、弥生時代前期のものとみられる大規模な集落の跡が発掘されました。

 登呂遺跡よりも古くて規模も大きく、近畿に進んだ農耕文化が発達していたことを物語る貴重な発見だということです。

 大規模な集落跡が見つかったのは、高槻市の京大農場跡の安満遺跡です。

 水田跡は約2500年前、弥生時代前期のものとみられ、縦100メートル、横90メートルの広さに水田が整然と並んでいたことがわかります。

 有名な静岡県の登呂遺跡より時期が古くて規模も大きく、棺を収めたとみられる墓の跡が16か所で出土したことが特徴です。

 水田と住居、墓地が1つのエリアにまとまって見つかったことで、大規模に組織化された集落だったと推定されます。

 「弥生人がどのように農業を始めて、どういうところに村をつくって、どういう生活をしていたのかが、ここを分析することでよりわかってくるだろう。弥生文化の本質に迫れるのでは。今後大いに期待される重要な遺跡」(高槻市教育委員会 文化財課 森田克行主幹)

 高槻市教育委員会では来週末、一般向けの現地説明会を行います。
(06/19 19:11)

2073名無しさん:2015/06/20(土) 14:01:51 ID:3eG0V.Gk0
安満遺跡、弥生前期の大規模水田 洪水後は墓地に
2015年6月19日 17:54
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150619/20150619090.html

 弥生時代の環濠集落跡として知られる大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期(約2500年前)の大規模な水田跡や木棺墓などが確認され、市教育委員会が19日、発表した。

集落と水田、墓の三つが一緒に見つかった例は、百間川沢田遺跡(岡山市)や、中の池遺跡(香川県丸亀市)など全国的にも珍しい。

 市教委によると、遺跡南西部を調査。約9千平方メートルの水田跡が確認された。南東部ですでに見つかっている遺跡と合わせると、弥生時代前期には、集落の南側に約1・5ヘクタールもの水田が広がっていたとみられる。

 洪水で耕せなくなった水田の上に築かれた方形周溝墓など計16基も発掘。

2074名無しさん:2015/06/20(土) 15:40:21 ID:3eG0V.Gk0
浮かぶ小舟は濠浄化…いたすけ古墳で堺工科高生
2015年06月13日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150612-OYTNT50388.html

堺市堺区、府立堺工科高校の生徒たちが、同市北区の「いたすけ古墳」の濠(ほり)に浮かべた手作りの浄化装置で、水質の改善に取り組んでいる。これまでの実地試験で水質の改善が期待できるデータを取得。同古墳は百舌鳥(もず)・古市古墳群の一つで、生徒たちは「濠を少しでもきれいにして、世界文化遺産登録を後押しできれば」と張り切っている。(吉田誠一)

生徒たちは同校エコデザイン部の13人。濠を管理する市から浄化の協力を依頼され、2012年11月に装置を製作した。約2メートル四方の木枠に発泡スチロールをはめ込み、太陽光パネル2枚とバッテリー、エアポンプを載せ、「水質浄化船」と名付けた。

 水底に垂らしたチューブから空気を送り込んで水を環流させ、微生物が汚れの原因となる有機物を分解するのを促す仕組みだ。13、14年は秋の2か月間、濠に浄化船を浮かべて水質を調査し、効果を確かめた。その結果、浄化船を設置した期間は、汚れを示す数値が下がったことが分かった。

 同部の3年、岡田弘司さん(17)は「浄化船の周辺で水質が改善されるのは確か。時間をかけて取り組めば、濠の汚れた水を浄化することも可能」と話す。

 「環境の日」の5日朝、生徒たちは濠の脇で約20分かけて組み立てた浄化船を、ゴムボートで濠の中央部まで移動させ、コンクリートブロックをいかりにして固定した。取り組みがスタートして4年目の今年は、汚れが最も目立つ夏場(6〜8月)のデータを取り、浄化船の改良などにも役立てる方針だ。

 指導する小寺雅仁教諭(39)は「自分たちで工夫して、地元の環境保全に熱心に取り組んでくれていることがうれしい」と、教育効果に手応えを感じている。

 浄化船の設置を見守った田村恒一副市長は「古墳群の世界文化遺産登録には、市民の『守ろう』という高い意識が不可欠。子供たちの取り組みは心強く、とても感謝している」と語った。

2015年06月13日

2075名無しさん:2015/06/21(日) 10:21:19 ID:JQntJ/sg0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産 今年度候補に
2015年06月16日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150615-OYTNT50404.html

◇知事や議連、文科相らに要望

 世界文化遺産登録を目指す百舌鳥(もず)・古市古墳群(堺市、羽曳野市、藤井寺市)について、松井知事と登録を推進する超党派国会議員連盟のメンバーらが15日、東京・霞が関で下村文部科学相、青柳正規・文化庁長官と相次いで会談し、登録に向けて同古墳群を今年度の国内推薦候補に選定するよう要望した。

 会談には、竹山修身・堺市長や北川嗣雄・羽曳野市長らも同席した。

 下村氏との会談では、松井知事らが要望書を手渡し、議連会長を務める自民党の谷垣幹事長が「応神陵や仁徳陵はどこへ出しても恥ずかしくない歴史遺産だ」と強調。公明党の北側副代表も「日本が国家として形成される5世紀頃の代表的な古墳が百舌鳥・古市古墳群だ」と価値を説明した。

 下村氏は「世界遺産に早く名前が出てもおかしくない」と評価し、「機会があれば現地を視察したい」と述べた。

 会談終了後、松井知事は記者団に「熱意は伝わったと思う。大阪初の世界遺産だという点をぜひわかっていただきたい」と期待感を示した。

 府魅力づくり推進課によると、政府は同古墳群を含む4候補から7月下旬に国内推薦候補を一つに絞る。その後、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関による審査を通過すれば、2017年度の登録が決まる。

2015年06月16日

2076名無しさん:2015/06/22(月) 22:56:08 ID:TYS/gX7k0
高山右近を「福者」認定へ ローマ法王庁
2015年6月22日 5:59
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150622/20150622002.html

 【アテネ共同】江戸時代に幕府の禁教令で国外追放となり、1615年に死亡したキリシタン大名、高山右近について、ローマ法王庁(バチカン)は22日までに、カトリックで最高の崇敬の対象とされる「聖人」となる前段階の「福者」に認定する手続きを進めることを了承した。バチカン関係筋が明らかにした。

 枢機卿らによる会議で認定を決定し、法王フランシスコの承認を経た上で、年内か来年初めにも正式に発表される見通し。福者認定の儀式「列福式」は来年日本で行われる予定という。

2077名無しさん:2015/06/26(金) 04:26:34 ID:s1yKMUEI0
高山右近生誕の大阪訪問 「福者」申請代理人の神父
2015年6月25日 12:46
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150625/20150625052.html

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近をカトリックの崇敬対象である「福者」に認定するための申請手続きに関わったアントン・ビットベル神父らが25日、右近が生まれた摂津国高山があった大阪府豊能町を訪れた。

生誕碑や、没後400年を記念し今年5月に完成した「高山右近夫婦石像」などを視察。通訳を通じて「右近が幼少のころにどのような経験をしたかを感じることができ、大変良かった」と話した。

 ビットベル神父は法王庁立グレゴリアナ大の教授。大名の地位を捨て信仰に命をささげた右近を殉教者として福者に認定するよう、ローマ法王庁に申請した日本カトリック司教協議会の代理人を務めた。

2078名無しさん:2015/06/28(日) 10:59:15 ID:HXBxFNrU0
■弥生時代前期の水田跡・安満遺跡で現地説明会
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000007950.shtml

大阪府高槻市の安満遺跡で、弥生時代前期のものとみられる大規模な水田や集落の跡が発掘され、27日、現地説明会が行われました。

 説明会が行われているのは、大阪府高槻市にある京都大学農場跡の安満遺跡です。

 安満遺跡では、約2500年前の弥生時代前期のものとみらる水田や住居、墓などの跡がまとまって見つかりました。

 弥生時代の水田跡として有名な静岡県の登呂遺跡よりも、古く規模も大きいということで、弥生時代に農業が始まった過程を知る貴重な遺跡として注目されています。

「びっくりした。こんな近くに」(参加者)

「想像していたより、すごい発見」(参加者)

「弥生時代にどの程度の人が住んでいたか、興味がある」(参加者)

 現地説明会は28日も行われます。 (06/27 17:23)

2079名無しさん:2015/06/28(日) 12:11:08 ID:2nAE9jAc0
高山右近の領地に隠れキリシタンの墓…茨木で発見
2015年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150628-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

キリシタン大名・高山右近の領地だった大阪府茨木市千提寺(せんだいじ)地区の山中で、江戸時代中頃の「隠れキリシタン」を埋葬した墓とみられる遺構が見つかった。近世以前のキリシタン墓で現存するものは全国でも珍しいという。現場は市立キリシタン遺物史料館の移転予定地だったが、市は「思わぬ歴史遺産の出土」で新たな場所を探す方針だ。

 市によると、現場は付近の民家で伝えられてきたキリスト像などを展示する現史料館から約500メートル南の山中。移転に向けて昨年秋に試掘したところ、遺構が15基ほど見つかった。

 うち1基を4月から詳しく調べたところ、縦1・7メートル、横0・95メートル、深さ0・7メートルと判明。その形状から、近世まで一般的だった体を折り曲げる「屈葬」ではなく、足を伸ばして埋葬するキリスト教式の「伸展葬」とみられることがわかった。骨の一部も確認された。

 一帯は江戸時代の「隠れキリシタン」たちが信仰を守り続けてきた地として知られ、日本人絵師が描いたとみられる「聖フランシスコ・ザビエル像」(国重要文化財、神戸市立博物館所蔵)も民家で発見された。2012、13年度には今回の遺構近くで、新名神高速道路の建設に伴ってキリシタン墓とみられる遺構計30基が出土したが、工事が優先され、遺構は壊された。

 市は今回の遺構をさらに調査し、保存・活用する方針。元長崎歴史文化博物館研究員で、キリシタン墓に詳しい大石一久さん(63)は「当時のキリシタン墓は大分県臼杵市など数か所しか現存しておらず、貴重な発見。新施設と連携すれば、キリスト教徒が置かれた状況を学べる希少な場所になるのではないか」と話している。

高山右近 1552〜1615年。織田信長や豊臣秀吉に仕え、秀吉の軍師・黒田官兵衛に洗礼を受けさせたことでも知られる。江戸幕府のキリスト教取り締まりを受けて現在のフィリピン・マニラに追放され、翌年亡くなった。

2015年06月28日

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2081名無しさん:2015/06/28(日) 14:46:14 ID:2nAE9jAc0
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産へ市民の会
2015年06月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150628-OYTNT50004.html

「百舌鳥(もず)・古市古墳群の世界遺産登録を応援する堺市民の会」が27日、発足した。様々な立場の市民が、ともに同古墳群の世界文化遺産登録と、その前段階で7月下旬にも公表される国内推薦に選ばれるよう機運を盛り上げる。

 同会は20団体と個人193人でスタート。会員を増やし、古墳周辺の清掃をはじめとする運動を市全体に広げる。この日、市総合福祉会館で行われた設立記念式典には、各種団体の代表や市民ら390人が集った。

 会長に就任した前田寛司・堺商工会議所会頭が、「市民がこの古墳群への理解を深め、一体となって盛り上げることが登録への大きな推進力になる」と呼びかけた。来賓の竹山修身市長は「市民の誇りである古墳群が、世界の誇りになるよう登録を目指す」と誓った。

 式典後、近畿で世界文化遺産に登録されている自治体の関係者が、観光活用や市民運動のあり方をアドバイス。読売奈良ライフ社長の朝廣佳子さんは、奈良市で毎夏2万個のろうそくをともす催しを紹介し、「地元市民には世界の財産を守る義務がある。活用しながら街づくりを」と語った。

 式典には、旅行者らを案内している堺観光ボランティア協会の約50人も、そろいの黄色ジャンパーで駆けつけた。活動歴17年という堺市南区槇塚台、松永澪二さん(79)は「様々な団体が集まって心強い。早く登録実現を」と願っていた。

2015年06月28日

2082名無しさん:2015/06/28(日) 15:52:26 ID:2nAE9jAc0
日本画や御迎え人形展示 天神祭の関連事業発表
2015年6月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150627/20150627042.html

 大阪市北区の大阪天満宮は26日、同宮会館で会見を行い、今年の天神祭の概要や関連事業を発表した。7月1日から関連事業を行い、24日の宵宮祭、翌25日の本宮祭を盛り上げる。

関連行事は「OAP天神祭展」と「天神祭御迎え人形スタンプラリー」で始まる。天神祭展は大正・昭和期に大阪画壇で活躍した女流日本画家、花田花朝の天神祭を描いた作品を25日までOAP(大阪アメニティーパーク)で紹介。スタンプラリーは大阪府有形民俗文化財である天神祭の御迎え人形を、街歩きを楽しみながら観賞してもらう試みで、現存する16体のうち7体を、同天満宮や帝国ホテル大阪、OAPなどに25日まで展示する。

 7日には七つの茅ノ輪をくぐって学徳向上や健康、厄よけなどを祈願する「天満天神七夕祭・星愛七夕まつり」を実施。同日夕には、天満橋付近から北浜周辺の大川を、約5万個の青色発光ダイオー(LED)でライトアップする「平成OSAKA天の川伝説」が催される。

 2000年から始まった御迎え人形のレプリカの製作も今回の真田幸村で完成。16体全てがそろい、愛好者に販売される。

 他の主な関連行事は次の通り。

 ▽落語で楽しむ天神祭(21日・大手門学院大阪城スクエア)▽天神祭北新地巡行(23日・北新地上通り-本通り)▽天神橋筋商店街ギャルみこし(23日・天神橋5丁目-大阪天満宮)▽OBP天神祭前夜祭(23日・ツイン21タワー中央広場)

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2084名無しさん:2015/07/03(金) 01:12:08 ID:f8JWCUYE0
夏祭り 季節到来 「愛染まつり」始まる
2015年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150701/20150701033.html

 大阪の夏祭りのトップを飾る愛染堂勝鬘(しょうまん)院(大阪市天王寺区)の伝統行事「愛染まつり」が30日、華やかに幕開けした。初日恒例の宝恵かごパレードでは12人の愛染娘があでやかな浴衣姿で登場。「愛染さんじゃ宝恵かご」の掛け声を響かせながら沿道に愛嬌(あいきょう)を振りまいた。

祭りは約1400年の歴史があると伝わり、今春、大阪市の無形民俗文化財に指定された。この日は約100人の隊列が同市阿倍野区のあべのキューズモールを出発し、約1・4キロ北の境内を目指して谷町筋をパレード。境内では勇壮華麗なかご上げが繰り広げられ、夏祭りにふさわしい盛り上がりを見せた。

 同院の山岡武明住職は「大阪には数々の素晴らしい伝統があるが、その一つとして今後も多くの方々に歴史や文化を伝える祭りとして手掛けていきたい」と話した。

 祭りは2日まで。秘仏の特別開扉をはじめ、1日午後7時からは「ミス愛染娘コンテスト」が行われる。

2085名無しさん:2015/07/03(金) 04:16:36 ID:f8JWCUYE0
ドローン使用禁止 天神祭、安全確保へ合同会議
2015年7月1日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150701/20150701029.html

 日本三大祭りの一つ天神祭を主催する同祭渡御行事保存協賛会と警察、消防の合同会議が30日、大阪市北区の大阪天満宮会館で開かれた。100万人以上の人出でにぎわう天神祭を今年も事故なく実施できるように話し合い、「ドローン」については使用禁止の措置が報告された。

会議には、警察や消防、医師会、鉄道、花火会場の管理者など、天神祭の運営に関わる各機関の担当者ら約80人が出席。同天満宮の担当者が、宵宮祭や本宮祭の行事を説明した後、安全な運行について意見を交わした。

 出席者からは、ドローンへの対応や救急対応についての質問や要望が出た。ドローンについては、同天満宮の担当者が、祭りが行われる会場での使用を全面的に禁止したことを報告。救急対応についても、昨年の反省を踏まえ、救護艇での搬送方法を見直したことや、救護所に設置する救急用具などを充実させる方針を説明し、理解と協力を求めた。

2086名無しさん:2015/07/03(金) 16:20:53 ID:Mii5n1..0
高山右近に再び熱視線 没後400年のキリシタン大名…「福者」として年内にも認定へ 
2015.7.3
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n2.html
http://www.sankei.com/west/news/150703/wst1507030052-n3.html

 織田信長や豊臣秀吉に仕えたキリシタン大名で、キリスト教を禁教とした江戸幕府から国外追放され、フィリピン・マニラで病死した高山右近(1552〜1615年)が、ローマ法王庁から、カトリック教徒の崇敬対象「福者(ふくしゃ)」として、早ければ年内にも認定される見通しになった。正式決定を前に、バチカンからイエズス会司祭が訪日し、その足跡をたどるなど、没後400年の節目の年に右近が再び世界から注目を集め始めている。

 12歳で洗礼を受けた右近は、生涯を通じてキリスト教に強く帰依していた武将として知られる。高槻城主時代の領民のうち約7割がキリスト教徒だったとされるほか、秀吉の側近、黒田官兵衛(孝高)などに入信を勧めるなど、布教活動にも熱心だった。

 秀吉からの棄教命令を拒否して大名としての地位や領地を失い、徳川家康によるキリシタン国外追放令により母国を追われたが、信仰を捨てなかった。

 こうした信仰への真摯(しんし)な態度が、在日宣教師らを通じ当時からヨーロッパ社会に伝えられ、日本を訪れた戦国時代のイエズス会宣教師、ルイス・フロイスは、著書で「全キリシタンの柱」として紹介した。

 福者は、カトリックにおいて聖人に次ぐ崇拝の対象で、マザー・テレサなども認定されている。

 右近についても、福者として認められるための列福(れっぷく)手続きに備え、死去直後に生前の足跡を記録した文書が作成された。しかし、キリスト教を禁教とした江戸幕府の政策により、日本国内での調査はできず、正式な手続きが行われることはなかった。

 第2次世界大戦前にも「右近を福者に」という機運が盛り上がることはあったが、戦時下の混乱などによって頓挫。ようやく、昭和40年になってカトリック大阪教区(当時)が「右近列福運動本部」を設立し、運動を再開した。しかし、史料の散逸や関係者の高齢化も相まって活動は先細っていった。

 転機が訪れたのは平成21年。日本カトリック司教協議会が右近の没後400年となる27年までの列福を目指し、「高山右近列福運動推進委員会」を設立。「殉教者」としての列福を目指し活動を本格化させた。

 推進委の川邨裕明委員長は「地元の方々とともに、右近の信仰の強さを確認するとともに、顕彰するための地道な活動を続けてきました」と振り返る。

 右近の生誕地とされる大阪府豊能町や、居城があった同府高槻市などで右近関連の史跡や史料などを精査。審査を行うローマ法王庁にアピールした。そして同庁は先月18日、「信仰のため国を追われた殉教者」として、列福認定手続きを進めることを了承した。

 同25日には、列福申請の日本側代理人を務めている法王庁立グレゴリアナ大学教授のアントン・ヴィットヴェル神父(67)が豊能町などを訪れ、地元住民らが建立した右近夫妻の石像や、生誕地の碑、祈祷所があったとされる寺院などを見学。

 ヴィットヴェル神父は「生まれ育った環境は人格形成に大きな影響を与える」としたうえで「右近の故郷を知ることは非常によい経験になると思う」と話した。

 同行した川邨委員長も「福者として認められ知名度が上がることで、日本国内だけでなく、世界中の人に右近の思想について知ってもらえるきっかけになれば」と期待を寄せた。

 今後、手続きが順調に進めば今年末〜来年1月にも福者として認定されるとみられ、大阪市内で式典が行われる見通しだ。

2087名無しさん:2015/07/04(土) 22:47:35 ID:H1R.jbLo0
みんなの文楽に支援の輪、ミニ公演や移動式舞台
2015年07月04日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150704-OYO1T50021.html?from=oycont_top_txt

民間団体や企業の間で、大阪市の補助金改革で岐路に立つ文楽界を支援しようと、ミニ公演を企画し、制作費などを負担する動きが広がっている。文楽の専用劇場ではなく、都心の商業施設を会場に若者層にもアピール。10月には、大阪・難波宮跡公園での野外公演も行われる。演者が所属する文楽協会は「新しいファンの獲得につながる」と歓迎している。(倉岡明菜、坂成美保)

 今月2日、大阪市北区の阪急うめだ本店。フロアに三味線の音色が響き、2体の人形が激しい立ち回りを披露すると、買い物客らから歓声が上がった。13日まで、同店で開催中の「文楽の世界展」の会場の一角に特設舞台が設けられ、今月国立文楽劇場(大阪市中央区)で上演予定の新作「ふしぎな豆の木」の一場面が上演された。「文楽を応援したい」と、百貨店側が文楽協会や国立文楽劇場に持ちかけて実現したイベントだ。

 伝統文化やスポーツの振興を目的にした「日本財団」(東京)は、「にっぽん文楽プロジェクト」を始動。約1億円を投じて、移動式の組み立て舞台を製作し、文楽公演を支援する。「日本の宝である文楽を盛り上げるために一役買いたい」と、5年かけて全国を巡演する取り組みだ。

 3月の第1回公演は、東京・六本木ヒルズを望む屋外の特設舞台で開催。飲食を楽しみながら観劇できる形態にしたところ、若者層に好評で4日間で延べ約2000人が入場した。

 会場の使用料、設営費、演者の出演料などの必要経費は財団が負担。10月17〜20日に開催される第2回公演の会場は難波宮跡公園で、屋外に舞台を設置する。

 読売テレビなど在阪民放5局も支援に乗り出した。5局が費用を分担し、2月、若手・中堅演者中心の座組による「うめだ文楽」を大阪・キタのグランフロント大阪にある劇場「ナレッジシアター」で初開催。来春、第2回公演を計画している。

 「にっぽん文楽プロジェクト」で総合プロデューサーを務める中村雅之・横浜能楽堂館長は「公演をきっかけに文楽の保存・継承について、みんなで議論してほしい」と話している。

 文楽劇場へ波及、鑑賞教室入場増

 民間支援の広がりを受けて、本拠地である国立文楽劇場の入場者数も快調だ。毎年6月開催の初心者向け鑑賞教室の入場者数は今年、2万500人に達し、過去10年で最多を記録。劇場の宣伝担当者は「ユニークなミニ公演がメディアで紹介された効果で、文楽劇場を訪れる観客も増えているのでは」と分析。協会の三田進一事務局長は「協会の事務経費や職員の人件費を捻出するのにも四苦八苦しているのが現状で、企業、団体の支援はありがたい」と期待をかける。

2015年07月04日

2088名無しさん:2015/07/09(木) 10:48:11 ID:gz4q1sG.0
難波宮跡で野外文楽開催へ
07月08日 21時18分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150708/5876201.html

大阪で生まれた人形浄瑠璃「文楽」を広く気軽に楽しんでもらおうと、ことし10月、大阪・中央区の難波宮跡公園で野外公演が行われることになりました。
これは8日、公演を主催する「日本財団」が記者会見して明らかにしました。
記者会見では日本財団の尾形武寿理事長が「もともとは、庶民の芸術だった文楽を気軽に楽しんでもらえるようにしたい」と述べ、ことしの10月17日から20日まで、大阪・中央区の難波宮跡公園に移動式のヒノキ造りの舞台を設置し、野外公演を行うと説明しました。
文楽は通常、劇場などで演じられ、屋外の開放的な空間で公演が行われるのは珍しいということです。
10月の野外公演では、食べ物と飲み物の持ち込みを自由にして、飲食をしながら、文楽を楽しめるようにするということです。
記者会見に加わった人形遣いの桐竹勘十郎さんは「お客さんの箸の動きを止めるくらい熱中してもらえる舞台にしたい」と話していました。
文楽の野外公演は、東京オリンピックが開催される平成32年にかけて、全国各地を巡業する計画だということです。

2089名無しさん:2015/07/09(木) 20:43:26 ID:GJBqMdrk0
天神祭の幕開け告げる七夕神事 所願成就祈る
2015年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150708/20150708022.html

 天神祭の幕開けを告げる「天満天神七夕祭」と「星愛七夕まつり」が7日、大阪市北区の大阪天満宮を中心に盛大に営まれ、多くの人出でにぎわった。今年の天神天満花娘が地元商店街をパレードしたほか、大勢の参拝客が天満宮の境内に設置された茅(ち)の輪をくぐって所願成就を祈った。

大阪天満宮の七夕神事は江戸時代に一度途絶えたが、1995年に復活。24日の宵宮祭、25日の本宮祭へと続く天神祭の幕開けとして盛大に営まれるようになった。

 神事に当たる天満天神七夕祭は午後3時に本殿で始まった。同宮の寺井種伯宮司の祝詞に続いて、2人のみこがササと鈴を手に神楽を披露。参列者が神前に進み、願い事を書いた短冊を供えた。

 星愛七夕まつりは織り姫、ひこ星に扮(ふん)した地元の小学生や天神天満花娘10人のパレードでスタート。扇町総合高校吹奏楽部の演奏に合わせて地元商店街を大阪天満宮まで行進し、花娘が福を招く口上を披露した。

 境内にはササ飾りのほか、恋愛成就、学徳向上、心身健康、厄よけ、交通安全、商売繁盛、所願成就の願意を込めた七つの茅の輪が設置され、浴衣姿の若者や家族連れなどが次々に訪れて、願い事を書いた短冊をササに結んだり、茅の輪をくぐった。

2090名無しさん:2015/07/09(木) 20:48:22 ID:GJBqMdrk0
寄港地の魅力探る 大阪市で北前船フォーラム
2015年7月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150704/20150704039.html

 かつて、大坂-北海道間を日本海経由でつないだ北前船(きたまえぶね)の寄港地が連携して広域観光のルートをつくる本年度の「北前船寄港地フォーラム」が、17、18の両日に大阪市で開かれる。地方創生の風が吹く中、航路の発着点となった大阪から各寄港地の魅力を発信する考え。

 フォーラムは、2007年11月の山形県酒田市での第1回以降、秋田県男鹿市や京都府宮津市など日本海側を中心にこれまでに15回開いた。現在では、民間レベルのフォーラムとして国内最大級の規模を誇る。

 16回目を迎える大阪市でのフォーラムは太閤園(都島区網島町)で開催。同フォーラム議長で作家の石川好氏や、東京国立博物館の銭谷真美館長らが基調講演。フォーラム形式で「日本遺産と北前船寄港地文化」をテーマに、国が観光資源の掘り起こしを狙った日本遺産の認定を目指して、文化庁や観光庁、認定を受けた自治体の首長らが登壇する。また、「大阪から巡る寄港地、日本遺産」と題し、陸海空の三つの交通手段から、寄港地を巡る観光ルートについて考える。

 北前船の発着点となった大阪で開かれることについて、同フォーラム実行委員会の堀井良殷副委員長は、北前船が集まり、物流の拠点となったことが大阪が栄えた理由だと指摘し、「日本海と瀬戸内海の地方と共に元気になることに、大阪の未来はあると思う。今回は、国内だけではなく、海外からも(北前船の寄港地などに)来てもらうためのキックオフの大会だ」と意気込んでいる。

 北前船 江戸時代〜明治時代にかけて繁栄した商売で、船主が西回りで大坂-北海道間を、各港で物を売り買いしながら往復。船で米や魚などを運んで巨万の富を築き、中には藩の財政を立て直すほどの豪商も生まれた。また、各地域の文化にも大きな影響を与え、船に乗って届いた北海道の昆布が使われるようになったことから、関西の“だし文化”が築き上げられたともされる。

2091名無しさん:2015/07/11(土) 23:21:08 ID:8MjPhBmc0
大阪 いくたま夏祭始まる
07月11日 12時29分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150711/3208781.html

大阪の三大夏祭りのひとつといわれる生國魂神社の夏祭りが始まり、無病息災を願って、「願人」と呼ばれる若者たちの一行が太鼓をたたきながら、街を練り歩きました。
大阪・天王寺区の生國魂神社で11日から始まった「いくたま夏祭」は、大阪天満宮の「天神祭」や住吉大社の「住吉祭」とともに大阪の三大夏祭りのひとつとして親しまれています。
境内では、11日朝、地元の人たちが参列して、祭りの成功を祈る神事が行われました。
このあと、そろいの、赤い頭巾と法被を着た「願人」と呼ばれる若者たちが、無病息災を願って、直径1メートルあまりの太鼓をたたきながら、大阪の街を練り歩きました。
見物していた女性は、「たまたま運よく見ることができました。勇壮で、格好よかったです」と話していました。
「いくたま夏祭」は12日まで行われ、去年、69年ぶりに復活した「渡御列」が大阪の中心部を練り歩きます。

2092名無しさん:2015/07/12(日) 18:55:43 ID:Dz4Vmwrw0
「真田丸」新たな出演者
07月10日 14時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150710/3228341.html

戦国の武将、真田幸村の生涯を描く来年放送のNHKの大河ドラマ「真田丸」の新たな出演者21人が10日、発表され、最大の宿敵となる徳川家康役を内野聖陽さんが演じることになりました。
来年の大河ドラマ「真田丸」は、幸村の名で知られる真田信繁が、家族のきずなとみずからの知恵を頼りに戦国の世を駆け抜けるドラマで、原作はなく、人気劇作家の三谷幸喜さんが一から脚本を手がけます。
10日は東京・渋谷のNHK放送センターで新たな出演者21人が発表され、すでに主役の信繁役が決まっている堺雅人さんも出席して会見が開かれました。
このうち▼信繁の前に立ちはだかる最大の宿敵、徳川家康役を大河ドラマ「風林火山」で主役を務めた内野聖陽さんが演じることになりました。
また、▼信繁の兄で、のちに敵と味方に分かれて戦うこととなる真田信幸役は大泉洋さんが、▼信繁の父、真田昌幸役を草刈正雄さん、▼主人公の側室の「きり」役を長澤まさみさんが演じます。
会見では堺さんが、「非常にわくわくしています。信繁が戦国の武将たちにほんろうされたように私も共演の皆さんにほんろうされながらこの役を楽しみたいです」と話していました。
家康役の内野さんは「三谷さんの描く家康は思わず台本を落としそうになるくらい奇想天外でした。
見ている人が驚くような家康をお見せできると思います」と話していました。
また、会見では、脚本を手がける三谷さんが突然、記者席から記者に扮して質問する場面もあり、思いがけない登場に出演者たちが驚きの声をあげました。
大河ドラマ「真田丸」は、ことし9月から撮影が始まる予定で、来年の1月から1年間放送されます。

2093名無しさん:2015/07/15(水) 03:07:16 ID:VPoJH9io0
「ギャルみこし」天神祭をPR
07月14日 16時22分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150714/5748331.html

大阪の夏を彩る「天神祭」が今月24日から始まるのを前に、祭りを盛り上げる「ギャルみこし」の担ぎ手たちがNHK大阪放送局を訪れ、まつりをピーアールしました。
ことしで35周年を迎える「ギャルみこし」は毎年「天神祭」の前日に行われ、女性たちが長さおよそ4メートル重さ200キロのみこしを担ぎ天神橋筋商店街を練り歩きます。
14日は祭りをピーアールするため担ぎ手の女性10人が赤のそろいのはっぴ姿でNHK大阪放送局を訪れました。
担ぎ手たちは「わっしょい、わっしょい」と威勢のいいかけ声を上げたり、大阪独特の手締め「大
阪締め」を元気に披露したりしました。
「ギャルみこし」の担ぎ手は例年、一般からの公募で選ばれますがことしは、35周年ということで公募をせず歴代のメンバー合わせて105人が参加するということです。
担ぎ手の一人、豊田百佳さんは、「来てくれたみなさんに元気になってもらえるよう、笑顔で担ぎます」と意気込みを話していました。
「ギャルみこし」は、今月23日の正午に天神橋四丁目をスタートする予定です。

2094名無しさん:2015/07/15(水) 04:09:05 ID:VPoJH9io0
「生国魂祭」宵宮で幕開け 勇壮華麗なお練り披露
2015年7月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150712/20150712084.html

 「いくたまさん」で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂神社(中山幸彦宮司)で11日、伝統行事「生国魂祭」が宵宮で幕を開け、枕太鼓などの列がにぎやかに氏地を練り歩いた。

この日は本殿で宵宮祭が執り行われ、豊臣秀吉が奉納したと伝わる枕太鼓をはじめ、獅子舞、金、銀のみこしなどに奉仕する多くの氏子衆が参集。それぞれの奉仕者は、同神社に伝わる手締め「いくたま締め」を豪快に決め、境内を次々と出発、同区や中央区の上町台地を中心に巡行を繰り広げた。夕刻の宮入り後は境内で勇壮華麗なお練りを披露し、多くの参拝者を魅了した。

 中山宮司は「多くの方々にご参加いただき、前年以上の盛り上がりをうれしく思う」と話し、奉仕者一行を見守った。

 本宮の12日は陸渡御が行われ、約500人からなる渡御列が同神社本来の鎮座地である大阪城を目指す。

2095名無しさん:2015/07/15(水) 04:25:54 ID:VPoJH9io0
荘厳、500人街練る 生国魂祭・本宮「陸渡御」
2015年7月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150714/20150714027.html

 大阪三大祭りの一つ、生国魂神社(大阪市天王寺区)の「生国魂祭」が12日、本宮を迎え、境内から大阪城(同市中央区)までの陸渡御が執り行われた。伝統衣装を身にまとった約500人の一団が大阪の中心部を練り歩いた。

古式にのっとった大行列の陸渡御は、1945年の大阪大空襲で、行列の中心に当たる御鳳輦(ごほうれん)などが焼失。長らく途絶えていたが、氏子の寄進などでみこしや神具が整えられ、2014年に復活した。

 渡御列は、参道を経て谷町筋を北上。祭神を乗せた御鳳輦をはじめ、より代を担当した子どもや、祭神が通るのを知らせる「枕太鼓」などが、同神社の本来の鎮座地である大阪城へと向かった。

 沿道には多くの観客が集まり、カメラで撮影したりしながら荘厳な渡御列に見入っていた。太鼓をたたく役で参加した姉を応援しようと家族連れで見守っていた大久保智貴君(8)=同市中央区=は「(将来)僕もたたいてみたい」と目を輝かせていた。

2096名無しさん:2015/07/19(日) 10:25:16 ID:SOZYfEC60
床ごと吹き飛んだ火薬庫跡を発見 大阪、39年に大爆発
2015年7月15日 17:21
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150715/20150715083.html

 古墳―平安時代の集落跡が残る禁野本町遺跡(大阪府枚方市)で、1939年に約700人の死傷者を出す大爆発を起こした旧陸軍「禁野火薬庫」の建物や土塁跡が見つかり、大阪府文化財センターなどが15日発表。裏返った床の破片が折り重なって見つかっており、爆発で建物が床ごと吹き飛んだことを示していた。禁野火薬庫に詳しい鳥取県教育文化財団の駒井正明副主幹は「爆発のすさまじさが実感できる」と話している。

文化財センターなどによると、火薬庫跡地の西端を調査し、建物の周囲に巡らされた石組みの溝やコンクリート製の床の一部が見つかった。当時の配置図から五号乾燥火薬庫とみられる。

2097名無しさん:2015/07/20(月) 19:41:08 ID:Hhi3G8W.0
人間国宝 竹本源大夫さん死去
07月20日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150720/3485711.html

重厚な語り口で観客を魅了した人形浄瑠璃「文楽」の語り手で、人間国宝の竹本源大夫さんが、けさ、大阪市内の病院で亡くなりました。
83歳でした。
竹本源大夫さんは、昭和7年、大阪で生まれ、祖父の代から4代にわたって文楽の語り手の「太夫」や三味線を務める一家で幼い頃から義太夫節に親しみました。
戦後まもない昭和21年、14歳の時に入門して太夫となり、昭和38年、竹本織大夫の名跡を襲名しました。
平成6年、物語の重要な場面を語る「切場語り」となり、平成8年に師匠の名の「綱大夫」を、平成23年には祖父の名跡「源大夫」を襲名しました。
登場人物の心境や状況によって声を巧みに使い分け、重厚な語り口で聴かせる時代物を得意とする一方で、「曾根崎心中」など近松門左衛門の作品を伝承する第一人
者としても高く評価されました。
こうした功績で、平成19年にいわゆる人間国宝に認定され、平成21年には旭日小綬章を受章しました。
源大夫さんの長男の鶴澤藤蔵さんは三味線の奏者で、およそ17年にわたって相三味線を務め、息の合った義太夫節を披露したほか、平成23年には「源大夫」と「藤蔵」を同時に襲名し、話題となりました。
源大夫さんはおととし5月の東京公演のあと体調不良を理由に休演し、去年7月、引退を表明しました。そして、後進の指導などにあたっていましたが、20日、午前8時すぎ、心不全のため大阪市内の病院で亡くなりました。

2098名無しさん:2015/07/20(月) 20:31:12 ID:Hhi3G8W.0
中村鴈治郎さんが お練り
07月20日 18時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150720/5645041.html

ことし1月、上方歌舞伎の名跡、「鴈治郎」を襲名した四代目「中村鴈治郎」さんが、襲名披露の公演を前に、人力車に乗って大阪・岸和田市内を練り歩きました。
中村鴈治郎さんは、ことし1月、父親で人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが名乗っていた名跡、「鴈治郎」を襲名しました。
20日から2日間、岸和田市で襲名披露公演が行われるのを前に鴈治郎さんや、坂田藤十郎さんらが岸和田駅前の商店街を人力車に乗って練り歩きました。
岸和田市で歌舞伎俳優による練り歩きが行われるのは、平成19年の父親の坂田藤十郎さんの襲名公演以来です。
商店街には、歌舞伎俳優を一目見ようと大勢のファンが集まり、鴈治郎さんは、笑顔で手を振って声援に応えていました。
岸和田市内から訪れた60代の女性は、「実際に近くでお姿を見ることができて、とてもうれしかったです。歌舞伎を見るのが楽しみです」と話していました。
中村鴈治郎さんは、「たくさんの方からご声援を頂き、舞台ではじけて精一杯演じたいです」と話していました。

2099名無しさん:2015/07/20(月) 20:41:25 ID:Hhi3G8W.0
地車ばやし 60年ぶり復活 山阪神社夏祭り
2015年7月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150719/20150719030.html

 祭りばやしが約半世紀ぶりに復活へ-。東住吉区にある山阪神社(山坂2丁目)の夏祭りで、担い手不足によって途絶えていた地車(じぐるま)ばやしが60年ぶり、獅子舞巡行は40年ぶりに復興する。子どもたちが商店街をにぎやかに練り歩く予定で、地元は「夏祭りは夜店だけじゃない」と張り切っている。

同宮の夏祭りは、境内周辺が夜店でにぎわう恒例行事だが、神事としては氏子地域を3年ごとに持ち回る子どもみこしがあるのみ。近くに住む自営業の匂梅文彦さん(40)は、祭りばやしが聞こえないことを寂しく思っていた。日本舞踊や和太鼓など伝統芸能の素養もあり、自身が呼び掛け人となってこの春、「山坂地車囃子会」を立ち上げた。

 地車は既に譲ってしまい、踊りやはやしも継承されていないため、会では各地の祭りを視察したり、地道に音源を集めるなどして手探りで素材を収集。他地域から踊りの指導を仰いだりと、計画から半年余りで古典を参考に形を仕上げた。

 同宮に近い南田辺本通商店街や町会も物心両面で支援しており、和太鼓も地元からの寄贈品だ。21日の本宮では獅子舞や傘踊り、篠笛、締太鼓が列をなし、商店街を中心に約700メートルを約1時間かけて練り歩く。氏子地域は、東住吉区の山坂や田辺をはじめ、阿倍野区の一部など広範だが、幼児や小中学生をはじめ世代間の交流が生まれ、匂梅さんは「聞いたことのないおはやしや踊りを一生懸命練習してくれている」と目を細める。

 祭りに合わせて法被を新調し、はかまは40年ぶりに境内の蔵から引っ張り出して京都で縫い直した。篠笛を担当する苗代小6年の難波洸君(11)=阿倍野区=は「吹いているときの感触、音色が好き。できることをしっかりやりたい」と胸を躍らせる。

 「3年、5年たって地域にしっかり根付いていけば」と匂梅さん。境内は大相撲春場所中に九重部屋の大阪宿舎が設けられることでも知られているが、まちの「新しい名物」として、活性化の起爆剤になれるか。

  ◇   ◇

 21日は、午後4時20分ごろから同5時半まで獅子舞巡行がある。20、21の両日とも、同8時半まで地車ばやしの演奏が続く。

2100名無しさん:2015/07/20(月) 22:17:52 ID:Hhi3G8W.0
「気負わず 歌舞伎に尽力」 仁左衛門さん
2015年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150718/20150718022.html

 人間国宝に認定された歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さん(71)が、大阪市内のホテルで記者会見を開き、喜びと抱負を語った。「今日ほど緊張したのは初めて。ありがたいのと同時に大変おそろしく、責任を感じています」と苦笑いをしながらも、表情は晴れ晴れしていた。


 最初に内定の報を聞いたときは「ええっ」と驚いたが、「これからは良いか、悪いかではなく、悪いでは済まなくなる」と思ったという。それでも「気負うことなく、先輩から受け継いだものを後輩に伝えていくことを心掛け、歌舞伎繁栄に尽力したい」と語った。

 父の十三代目片岡仁左衛門さんも人間国宝だった。「父は喜んでくれていると思うが、半分は『お前が!』と嘆いているかもしれない。親孝行はできたような気はするが、一番喜んでくれているのは母親だと思います」と話した。

 1949年に片岡孝夫の名で初舞台。98年に十五代目片岡仁左衛門を襲名。「父から教えてもらったことが今日の基盤になっている」と振り返る。

 今後の抱負は「大阪道頓堀で年の8カ月は歌舞伎興行をやりたい」。自らも「まだまだ芸域を広げたい」と意欲的だ。上方歌舞伎の若手には「自分に厳しく、基本を大事に」。

2101名無しさん:2015/07/20(月) 22:33:22 ID:Hhi3G8W.0
太鼓など勇壮に練る 御霊神社・夏祭り宵宮祭
2015年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150717/20150717028.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の御霊神社で16日、伝統の夏祭り「宵宮祭」が執り行われた。台風11号が接近するあいにくの天候の中、800人を越える氏子衆が「安全第一」を合言葉に、威勢よく氏地を練り歩いた。

祭礼には氏地の同市西区内に所在する「江戸堀猿田彦講」「西船場獅子講」「靱太鼓講」が奉仕した。このうち靱太鼓講は約100人の奉仕者が境内に参し、安全確認の後、拝殿前で勇壮なお練りを披露。神職や多くの参拝者に見送られて境内を出発し、都心に豪快な太鼓の音を響かせて夏祭りの幕開けを告げて回った。

 幼少期から太鼓講に携わってきた講元の玉井英夫さん(63)は、「一生懸命練習してきた子どもたちのために皆で頑張りたい。やがて子どもたちが指導する側として成長し、地域の伝統を継承してほしい」と期待を寄せた。

 園文夫宮司は「夏祭りの台風は初めての経験だが、皆さんの協力でさらなる安全対策に取り組むことができた。この教訓を今後に生かしたい」と語った。

2102名無しさん:2015/07/25(土) 00:40:47 ID:d.TA6vno0
太鼓や踊り、はや熱気 天神祭前夜祭
2015年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150724/20150724032.html

 大阪天満宮の「天神祭」(24、25日)を目前に控え、大阪市中央区の大阪ビジネスパークで23日夕、恒例の「OBP天神祭前夜祭」が開かれた。関係者約200人が見せ場を紹介し、天神祭のムードを盛り上げた。

会場のツイン21タワー中央広場で、同宮神職によるお払い後、渡御などに参列する各講社の関係者が伝統の所作や演奏を披露した。

 帰宅途中の会社員らが見守る中、催(もよおし)太鼓に奉仕する太鼓中が豪快に太鼓をたたく所作「からうす」(大阪府無形民俗文化財)を繰り広げた。

 地車講は軽快なおはやしに乗せ、伝統の龍踊りを紹介。獅子舞を務める天神講の踊り子や、舞を奉納する講「菅公会(かんこうかい)」の面々が会場いっぱいに踊りの輪を広げ、勇壮華麗な一挙一動に歓声が沸いた。

2103名無しさん:2015/07/25(土) 10:49:05 ID:Mii5n1..0
大阪・都島で「地車囃子」 天神祭りに併せ地元保存会が披露
2015年07月25日
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1388/

 大阪・都島の櫻宮境内(大阪市都島区中野1)で天神祭最終日となる7月25日、櫻宮地車囃子(だんじりはやし)保存会が地車囃子を披露する。


 和楽器の大太鼓・小太鼓・鉦(しょう)の構成で演奏する地車囃子。普段は地車を動かす際に演奏されるが、今回は舞台囃子として天神祭の奉納花火に併せて披露。当日は地元の小学生や中学生も囃子に参加する。

 同会副会長の佐藤正豪さんは「天神祭の花火が見える櫻宮境内で地車囃子をやれば、もっとにぎやかになるのではという思いから開催したのが始まり。もう10年以上たつ」と経緯を話す。「開催当初に比べ、年々観客が増えてうれしい。今では天神祭の定番スポットになっている」とも。

 同行事の他にも、伝統を残そうとさまざまな催しで地車や地車囃子を披露し活動している同保存会。「近年では地域の仲間に声を掛け、大阪の祭りを全国に発信できるよう活動している。自分たち自身も楽しんでいる」と佐藤さん。花火終了後は、境内や川沿いの道路の清掃活動も行っているという。「迫力ある花火を見ながら地車囃子を楽しんでもらえたら」と意気込みを語る。

 開催時間は、花火の上がる19時ごろを予定。

2104名無しさん:2015/07/25(土) 21:25:05 ID:Kk0DL0t.0
天神祭の船渡御にぎわう
07月25日 18時41分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150725/4759831.html

大阪の夏を彩る天神祭は25日
「船渡御」が行われ、大勢の人たちで賑わっています。
大阪の天神祭は25日本宮を迎え、夕方からは「船渡御」が行われています。
「船渡御」は大阪天満宮にまつられている神様が年に1度、船の上から地域を見回ったという言い伝えを再現した行事です。
太鼓をのせた船を先頭におよそ100隻の船が大阪中心部の大川を行き交い、船に乗り込んだ人たちが互いに太鼓やカネを鳴らし、声をあげて祭りを盛り上げていました。
25日の大阪市は日中の最高気温が32度4分という厳しい暑さとなりましたが、川沿いや橋の上には浴衣姿の女性や家族連れなど見物の人たちが大勢詰めかけまつりの雰囲気を楽しんでいました。
天神祭は午後7時半から、およそ5千発の花火の打ち上げが行われまつりは最高潮を迎えます。

2105名無しさん:2015/07/26(日) 03:57:47 ID:Kk0DL0t.0
浪速の街は祭り一色 天神祭宵宮、あふれる熱気
2015年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150725/20150725042.html

 日本三大祭りの一つ天神祭は24日、宵宮を迎えた。大阪市北区の大阪天満宮をはじめ市内各地で多彩な行事があり、25日の本宮に向け、浪速の街は祭りのにぎわいに包まれた。

早朝に天満宮本殿で宵宮祭の神事が行われ、講社の一つ「神鉾(かみぼこ)講」を中心にした約300人の渡御列が同宮を出発。堂島川に面した斎場に到着すると、天神祭の本格的な幕開けを告げる鉾流(ほこながし)神事が厳かに執り行われた。

 氏地巡行で御神霊がお休みになる「御旅所」が設けられた千代崎行宮(同市西区)でも宵宮祭の神事が行われたほか、祭りの花形「催太鼓」が豪壮な太鼓の音を響かせて氏地を巡行。市内の川でも「どんどこ船」が中之島周辺から道頓堀川まで縦横に行き来して祭りムードを盛り上げた。

 この日の大阪市は前日までの雨も上がり、絶好の祭り日和。天満宮の境内には多くの参拝者が訪れ、熱気あふれる祭礼に見入っていた。

 25日は午後3時半に陸渡御が天満宮を出発。同6時から大川一帯で船渡御を展開する。第69回水都祭・天神祭奉納花火(同実行委員会、大阪日日新聞主催)は午後7時20分から実施予定。大川沿いの2カ所で計約4千発を打ち上げ、船渡御のにぎわいに花を添える。

2106名無しさん:2015/07/26(日) 10:12:08 ID:SMNMZkJc0
天神祭に船100隻、夜空に花火 大阪に夏本番
2015年7月25日 20:58
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150725/20150725098.html

 夏の風物詩、大阪天満宮(大阪市北区)の「天神祭」は25日、多くの船が市中心部の大川を行き交う伝統行事「船渡御」があった。クライマックスでは約5千発の奉納花火が披露された。

約1万2千人が乗り込んだ100隻ほどの船が手拍子や三味線の音とともに、にぎやかに大川を行き来し、赤や緑、黄など色とりどりの打ち上げ花火が夜空と川面を鮮やかに照らした。河岸や橋では多くの見物客がうちわやビールを手に夏本番の訪れを楽しんだ。

 奉納花火は近年約4千発だったが、今年は市民らから資金を募り、千発増やした。天神祭には千年以上の歴史があるとされる。

2107名無しさん:2015/07/26(日) 19:28:19 ID:AwlO8qWU0
浪速の夏4000発彩る 水都祭・天神祭奉納花火
2015年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150726/20150726026.html

 日本三大祭りの一つに数えられる大阪天満宮(大阪市北区)の例大祭「天神祭」が25日、本宮を迎え、大阪の街は祭りの熱気に包まれた。約3千人が市街を練り歩く陸渡御や約100隻の船が川面を行き交う船渡御が盛大に行われ、第69回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が浪速の夜空を鮮やかに彩った。

千年余の歴史がある天神祭は、菅原道真公の御神霊を「御鳳輦(ごほうれん)」と呼ばれるみこしに移し、渡御行事として陸路や航路を巡る祭り。市中の人々の暮らしぶりを見ていただき、加護を祈願する。

 この日の大阪市は、日中の最高気温が32・4度。強い日差しが照りつける中、陸渡御では大行列が都心部を練り歩いて“一大歴史絵巻”を展開。船渡御では船上の個性豊かなイルミネーションが見物人らの心を捉え、水都・大阪をあらためて印象づけた。

 天神祭のクライマックスを飾ったのが奉納花火。高さ15メートル、幅約60メートルの仕掛け花火「ナイアガラ」が数年ぶりに復活したほか、約4千発の花火が打ち上げられ、船渡御列でにぎわう川面を華やかに彩った。

2108名無しさん:2015/07/26(日) 19:40:11 ID:AwlO8qWU0
華やぐ水都、5000発花火で船団彩る…天神祭
2015年07月26日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150726-OYO1T50019.html?from=oycont_top_txt

 大阪天満宮の天神祭が本宮を迎えた25日、大阪市中心部の大川を約100隻の船が行き交う「船渡御ふなとぎょ」があった。例年より1000発多い約5000発の打ち上げ花火が船団を照らし=写真、本社ヘリから、里見研撮影=、見物客約114万人(大阪天満宮発表)でにぎわった。

 午後6時頃、氏子ら計1万2000人を乗せた船団が天神橋と飛翔橋から出発、鉦かねを鳴らし水面みなもを進んだ。今年はインターネットサイトで寄付を募る「クラウドファンディング」を活用。287万円が寄せられ、花火を増やした。

2015年07月26日

2109名無しさん:2015/07/26(日) 21:57:46 ID:m82BFQa20
■大阪市東住吉区で模擬原爆追悼式
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008177.shtml

70年前、アメリカ軍が広島や長崎へ原爆を投下する訓練として、日本各地に「模擬原爆」を落としました。模擬原爆が投下された大阪市東住吉区では、26日、追悼式が営まれました。

 爆弾の投下時刻=午前9時26分に始まった追悼式には、地元の住民ら約250人が参加しました。

 「模擬原爆」は、アメリカ軍が広島や長崎への原爆投下の前に、訓練のため日本各地で同じ形状の爆弾を投下したもので、大阪市東住吉区では7人が死亡、73人が重軽傷を負いました。

「(姉の親友は)朝、私の家に来ていた。『警戒警報が出ているから帰る』が最後の言葉」(姉の親友を亡くした龍野繁子さん)

 龍野さんは、「今の日本は私が子どもの頃の状況と似てきた。体験を語り継ぐことはその後を生きた者の使命だ」と、静かに話していました。 (07/26 18:46)

2110名無しさん:2015/07/29(水) 00:47:25 ID:8aWuiCHY0
世界文化遺産推薦ならず
07月28日 18時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3591211.html

文化庁の審議会は再来年の世界文化遺産への登録を目指し、福岡県の「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
28日、文化庁の審議会の世界文化遺産特別委員会は、再来年の登録を目指す4件の候補について審議しました。
その結果、福岡県宗像市の沖ノ島や宗像大社など5つの資産からなる「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを決めました。
審議会は、「古代の祭りのあとがほぼ手つかずの状態で保存されており、現代でも神聖な島として信仰の対象であることなどが世界的に見ても顕著だ」などと評価しています。
一方、このほかの▼「北海道・北東北の縄文遺跡群」、▼新潟の「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」、それに▼大阪の「百舌鳥・古市古墳群」は、「改善すべき課題が残されている」と判断されました。
世界遺産をめぐっては、今月、登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」について、韓国との調整が難航する場面がありましたが、審議会は、今回の決定について、「政治的、外交的な観点では見ておらず、学術的な立場から候補を決めた」としています。
国はことし9月末までに、暫定版の推薦書をユネスコに提出し、再来年・平成29年の世界遺産委員会で審査されることになります。

2111名無しさん:2015/07/29(水) 00:53:13 ID:8aWuiCHY0
米朝さんの追善落語会開催へ
07月28日 07時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150728/3623192.html

上方の落語家たちがファンと触れ合う大阪恒例の「彦八まつり」で、ことしは、3月に亡くなった人間国宝の桂米朝さんをしのんで一門の落語家による追善落語会が催されることになりました。
「彦八まつり」は、上方落語の祖と言われる江戸時代に活躍した米澤彦八をたたえようと、上方落語協会が毎年、彦八の記念碑がある大阪・天王寺区の生國魂神社で開いています。
上方落語協会によりますと、ことしの彦八まつりは9月5日、6日の2日間行われ、このうち6日に、桂米朝さんの追善落語会が催されることになりました。
落語会では米朝さんの長男の桂米団治さんら一門の落語家5人が話芸を披露するほか、会場には米朝さんそっくりに作られたロボットも展示されます。
また、ことしはまつりが25回目の節目にあたることからオープニングの記念イベントとして、上方落語協会の桂文枝会長が率いるハワイアンバンドがフラダンスのチームとともに演奏と踊りを披露するということです。
このほか、落語家らによる屋台がおよそ40店舗、出される予定です。
桂文枝会長は「まつりに来て頂いたお客さんに必ず握手とサインをしようとみんなで申し合わせました。落語のファンを増やすためまつりを盛り上げたい」と話していました。

2112名無しさん:2015/07/29(水) 01:01:27 ID:8aWuiCHY0
地下軍需工場「高槻倉庫」の写真、米で発見
2015年07月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150728-OYO1T50028.html?from=oycont_top_txt

太平洋戦争末期に造られた地下軍需工場、通称「高槻地下倉庫」(大阪府高槻市)の終戦直後の様子を撮影した写真17枚が、米国立公文書館で見つかった。戦闘機のエンジンを製造する極秘工場として建設され、当時の様子を伝える写真はほとんどなかった。研究者らは「工場の実態を知る貴重な資料だ」と話している。

 高槻市などによると、工場は山中に巨大な地下壕(ごう)を掘って造られた。1944年秋、旧陸軍が貯蔵庫として建設を開始。兵庫県明石市の航空機工場が空襲を受けたため、途中で代替工場に切り替えた。

 戦闘機「飛燕」のエンジン製造を目指したが、実際には稼働することなく終戦を迎えた。45年10月、米軍の調査団が内部を調べ、報告書を残している。

 17枚はこの調査団が写したとみられ、撮影日は45年10月15日。5月に渡米した「戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会」の福林徹代表(67)(京都府亀岡市)が同館で見つけ、大阪経済法科大の塚崎昌之客員研究員(日本近現代史)らが、周りの風景などから、高槻地下倉庫と確認した。

 写真には、木製の柱で支えられた地下壕の中に工作機械が並んでいる様子が写っていた。天井には電線が巡り、電源機器や排水溝もあって、稼働寸前だった工場の姿が具体的に確認された。壕の外にはブルドーザーや変圧器もあった。

 建設には日本兵約800人、朝鮮半島出身者約3500人も携わったとされ、居住地とみられる兵舎や宿舎も写っていた。

 武庫川女子大の三宅宏司名誉教授(産業技術史)は「本土への空襲が激しくなる中、軍需工場を地下に隠して兵器を生産し、戦い続けようとしていた様子がうかがえる」と分析する。

 45年6月半ば、大阪府立北野中(現・北野高)から学徒動員された大阪市の中原充雄さん(85)は、建設を米軍に気づかれないよう、掘り出した土砂を草木で隠すよう言われた。「当時、何のための壕なのか知らされず、中を見たのはこの写真が初めて」と話す。

 工場は当時、「タチソ」という暗号で呼ばれており、幅4メートル、長さ150メートル前後の地下壕約20本などがほぼ完成していた。現在では十数メートルの穴だけが残っており、実態は不明な点も多い。保存に取り組んでいる市民団体「高槻『タチソ』戦跡保存の会」は、壕内の写真集を制作中で、今回の写真も加え、8月15日に発売する。

 福林さんは「終戦間際だったにもかかわらず、巨大な地下軍需工場を造ってまで戦争を続けようとした。最後の最後まで、いかに多くの国民が愚かな戦争に駆り立てられたかを知ってほしい」と話している。

2015年07月28日

2113名無しさん:2015/07/31(金) 23:34:16 ID:t/xKOSI60
「パペット落語」披露
07月30日 06時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150730/4906991.html

持ち芸の人形を使った「パペット落語」が厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞した落語家の笑福亭鶴笑さんが、29日、大阪で記念公演を行い、夏休みの子どもたちに得意の演目を披露しました。
笑福亭鶴笑さんは、ことし5月、持ち芸の人形を使った「パペット落語」が「子どもにもわかりやすい」として厚生労働省の児童福祉文化賞を受賞しました。
大阪の「なんばグランド花月」で29日夜、記念公演が行われ、吉本新喜劇の辻本茂雄さんや
人気お笑いコンビの「8,6秒バズーカー」らも出演して、コントなどを繰り広げました。
このあと鶴笑さんが、手作りの人形を使って、賞を受賞した演目、「時ゴジラ」を披露しました。

「時ゴジラ」は、古典落語の「時うどん」をパロディーにした噺で、鶴笑さんが手作りの怪獣の人形を両足にはめて、得意のネタを演じると、会場は子どもたちの大きな笑い声に包まれていました。
小学4年生の女の子は、「普通の落語と違って、すごくわかりやすかった」と話していました。

公演のあと、鶴笑さんは、「こどもたちが大勢来てくれてうれしかった。また頑張って、新しいパペット落語を作ります」と話していました。

2114名無しさん:2015/08/06(木) 00:35:54 ID:LPLsXlQE0
■戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000008271.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。 (08/05 12:21)

2115名無しさん:2015/08/09(日) 09:51:11 ID:9sKBNFgE0
戦没者追悼式 大阪府と大阪市が合同開催
http://www.mbs.jp/news/kansai/20150805/00000007.shtml

戦後70年となる今年、大阪府と大阪市が戦没者を追悼する式典を初めて合同で開きました。

 大阪市内の会場には、第二次世界大戦で亡くなった戦没者の遺族ら約2300人が参列しました。

 大阪の戦没者追悼式はこれまで、府と市がそれぞれ別の日に開催してきましたが、戦後70年の節目にあたる今年、初めて合同で式典を行いました。

 大阪府出身の戦争犠牲者は、約12万7500人に上るとされています。

 「平和と繁栄は戦没者の犠牲のおかげであることを忘れてはなりません」(大阪府松井一郎知事)

 参列者には、戦没者の子や孫など若い世代の姿も目立ちますが、戦争体験者の話に耳を傾け、「戦争の惨禍を2度と繰り返さない」との誓いを新たにしていました。

2116名無しさん:2015/08/09(日) 09:56:37 ID:9sKBNFgE0
祖国のため命を捧げた先人たち「国主導の慰霊を」 旧真田山陸軍墓地シンポジウム
http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n1.html

全国最古、最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地(大阪市天王寺区)の保存活動について考えるシンポジウム「今、旧陸軍墓地は」(産経新聞社など後援)が8日、大阪市中央区のタカラベルモントホールで開かれた。

 明治4年に設置された旧真田山陸軍墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの約5100の墓碑があり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠る。シンポジウムを主催した公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(吉川秀隆理事長)が維持、管理している。

 基調講演で、佐藤正久参院議員は「国のために命を捧げられた方を思い、慰霊・顕彰を大切にしなければいけない」と強調。「真田山(陸軍墓地)を大切に、次の世代につないでいく必要がある」と訴えた。

http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n2.html

パネルディスカッションでは、納骨堂が老朽化し、墓碑の9割近くに劣化が生じている現状について同維持会の永田綾奈学芸員が報告した。宇都隆史参院議員の秘書は、真田山を含め戦没者の慰霊や遺骨帰還事業が民間主導で行われてきた戦後の経緯を説明。「国が墓も守らず、遺骨も戻してくれないという状態が続いていいのか」と述べ、国の主導による慰霊・顕彰の必要性を訴えた。

 司会の近藤豊和・産経新聞東京本社正論調査室長が「祖国のために命を捧げた先人たちに思いをはせ、現代に生きる者は力、勇気をいただいて国をさらに発展させる。共通の思いを一人でも多くの人が持つことができれば」とあいさつ、閉会した。



 詳報は後日、月刊正論に掲載します。

2117名無しさん:2015/08/10(月) 05:19:39 ID:6MSBAf3I0
連歌づくりのこつ学ぶ 杭全神社で初心者講座
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805031.html

 日本で唯一連歌所がある大阪市平野区の杭全(くまた)神社で4日、初心者向けの連歌講座が開かれた。平野法楽連歌会の山村規子さんは連歌の歴史について「お茶や酒を飲みながら楽しんでいた」と解説し、受講生は地域の伝統文芸に親しんだ。

「連歌ってどんなん? なんで平野やねん?」と題して7月28日に続いて開催。2日間で延べ28人が受講した。

 連歌は短歌の「五七五」と「七七」を数人が交互につなげていく言葉遊びで、受講者は前の句を見ながら指を折って文字を数えた。講師を務めた大阪教育大付属平野中学校教諭の小村典央さんは「前にあった言葉を使わなくていいだけ」と連歌づくりのこつを説明し、山村さんは「連歌は楽しんでやるもの」と呼び掛けた。

 杭全神社連歌所記によると、杭全神社の連歌は、征夷大将軍だった坂上田村麻呂の坂上家の子孫と称する平野七名家を中心として室町時代に盛んになった。同神社連歌所は1614年に大坂冬の陣で焼失したが、1708年に再建された。

2118名無しさん:2015/08/10(月) 05:44:02 ID:6MSBAf3I0
陰影ゆらり 四天王寺で「篝の舞楽」
2015年8月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150805/20150805038.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で4日、恒例の舞楽公演「篝(かがり)の舞楽」(天王寺舞楽協会主催)が開かれた。多くの参詣者が夜の境内を訪れ、飛鳥時代から連綿と伝わる古典芸能を満喫した。

夏の風物詩として長年親しまれており、今年で61回目を迎えた。 中心伽藍(がらん)・講堂前庭の特設舞台には、天王寺舞楽を伝承する団体「天王寺楽所雅亮会(がくそがりょうかい)」有志の舞人、楽人らが古式ゆかしい装束姿で出演。舞楽の幕開けを告げる儀式的な舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ、4人舞の「延喜楽(えんぎらく)」などの曲目を次々と繰り広げた。

 舞台の四方でかがり火が燃えさかる中、みやびやかな舞と雅楽の調和が満員の客席を魅了した。

2119名無しさん:2015/08/11(火) 17:32:43 ID:JFZ66pCY0
市役所食堂で「すいとん定食」
08月11日 15時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150811/3930031.html

終戦の日を前に、大阪・吹田市役所の食堂では11日、食料が乏しかった戦時中の暮らしぶりを知ってもらおうと、当時食べられていた「すいとん」が提供されました。
大阪・吹田市の吹田市役所の食堂では、10日と11日の2日間限定で、80食のすいとん定食が提供されました。
すいとんは、小麦粉を水でこねて団子にし、かつおだしの汁で煮たもので、もちもちとした食感で腹持ちがよく、食料が乏しかった戦時中に米の代わりによく食べられていました。
11日に提供されたすいとん定食は、すいとんに麦ごはん、ふかしたサツマイモなど6品がセットになっていて、近所の人や市役所の職員などが味わっていました。
70代の女性は「娘に食べさせてあげたいと思ってきました。戦争を語り継ぐ人が減る中、こういう機会があるといいと思います」と話していました。
30代の女性は「きょうのすいとん汁は、おいしく味付けされているけど戦争中は、もっと質素な食事だったのではないかといろいろ考えました」と話していました。
吹田市人権平和室の早瀬健次郎さんは「戦時中は、このすいとんを食べて、毎日毎日必死で生きていた人たちがいます。若い人たちにも、そういうことを知るきっかけになればうれしいです」と話していました。


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