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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1911名無しさん:2014/11/07(金) 20:37:27 ID:Bgv4WOnk0
http://www.sankei.com/region/news/141106/rgn1411060102-n1.html
浅野内匠頭や伊能忠敬ら宿泊「郡山宿本陣」の秋の特別公開始まる 大阪

. 「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」で有名な赤穂藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)をはじめ、江戸時代に参勤交代の大名らが泊まった茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」で秋の特別公開が始まった。当時の宿帳や大名の宿泊部屋「上段の間」、米蔵、茶室などが見学できる。

 郡山宿本陣は旧西国街道沿いにあり、門の内側に大きなツバキがあることから「椿の本陣」とも呼ばれる。

 西国の大名のほか、幕末に日本地図を作製した伊能忠敬ら歴史上の人物が多数宿泊した。上段の間は、敵対勢力に床下から危害を加えられないように、寝床には畳を二重に敷いている。

 また、宿帳には伊能忠敬が測量の旅の途中に宿泊した際、本陣側と宿泊代の交渉をしたとされる記録なども残されている。

 特別公開は9日まで。入場無料。8、9両日は午後2時から、本陣の17代目当主、梶洸(かじたけし)さんと市学芸員が本陣内を案内し、解説する。問い合わせは市立文化財資料館(電)072・634・3433。

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1912名無しさん:2014/11/08(土) 19:25:32 ID:zENY3jhE0
不屈の名将・幸村 今なおヒーロー
2014年11月05日

それは約400年の時を超え、大阪に戻ってきた。

 大阪市東成区の真田幸村公資料館で展示されている火縄銃「宿許筒(しゅくしゃづつ)」(全長約60センチ)。1614年の大坂冬の陣と翌年の夏の陣で、徳川軍と果敢に戦った幸村の品だ。8連発を可能にした当時のハイテク銃で、幸村が堺の鉄砲鍛冶と協力して開発したとされる。

 夏の陣で、幸村はわずかな手勢を率いて徳川家康の本陣を急襲。馬上から家康を狙撃しようとしたが、誤って宿許筒を落とし、撃ち損じた。その後、宿許筒は戦利品として紀州徳川家が幕末まで保管していたが、戦後、米国人将校の手に渡った。

 そのことを知った同区の鉄砲研究家・沢田平さん(79)が米オレゴン州に出向いて所有者と20年にわたって交渉。2009年に譲り受け、今年6月に開いた同館で公開に踏み切った。

 古式砲術再興のため、各地にある約50の鉄砲隊の指導にも取り組む沢田さんは、6万丁にも及ぶ火縄銃を見てきたが、宿許筒と同じ構造の銃は一度も出会ったことがない。

 「知勇の武将とのイメージが先行するが、発明家の一面があった。潔くまじめな人柄は現代に通用する優れた日本人像だ」。沢田さんは、幸村の生き方から学ぶことは多いと指摘する。

◇「日本一の兵」

 秀吉が天下統一の本拠地として築いた大坂城は周囲8キロにも及ぶ惣(そう)堀で守られた巨城だが、唯一とも言える弱点が、大軍の攻撃にさらされる陸地続きの南側だった。

 幽閉されていた紀州・九度山から脱し、豊臣方に加勢した幸村はそのことを見抜き、現在の大阪市天王寺区の心眼寺近くに櫓(やぐら)や堀、柵を備えた要塞「真田丸」を築いたとされる。

 1614年11月。戦いの火ぶたが切られる。徳川方の軍勢20万に対し、豊臣方は10万。劣勢の中、幸村は真田丸に徳川軍をおびき寄せ、銃弾や矢を浴びせかけた。徳川方の犠牲者は冬の陣最大の数千人以上を数えた。

 幸村は夏の陣で戦死するが、その戦いぶりは「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」とまで言われた。

 大阪城天守閣の宮本裕次・研究副主幹(48)は「敗軍の将ながら、大坂夏の陣図屏風の画面中央に描かれてもいる。徳川方の幸村への評価の高さを示している」と語る。

1913名無しさん:2014/11/08(土) 19:26:40 ID:zENY3jhE0
◇合戦を再現

 「エイエイオー!」。大阪府柏原市の大和川河川敷で10月、赤と黒の集団が気勢を上げた。

 現在の柏原市や羽曳野市、藤井寺市周辺で繰り広げられ、幸村と伊達政宗が激突した夏の陣「道明寺・誉田(こんだ)の戦い」を再現したイベント。参加者は、赤、黒の甲冑(かっちゅう)(重さ約6キロ)を身にまとい、槍(やり)(長さ3・6メートル)を振り回した。

 企画したのは、国際武術文化連盟代表の横山雅始さん(60)。参加者約80人のうち、32人はフランス人だ。日本の歴史を体験することで、国際理解を深めてもらおうと考えた。仏陸軍に所属するオリコ・フィデリックさん(46)は「異国の文化や武道、友好に触れた瞬間だった。この経験をさらに広く知らせていきたい」と話す。

 2016年のNHK大河ドラマは幸村が主人公の「真田丸」に決まり、天王寺区では現在、真田丸を模型で再現する計画が進む。寄付を呼びかけたところ、これまでに幸村ファン約90人から100万円が集まった。

 JR玉造駅西側でも、商店主らが「玉造幸村ロード」と名付け、幸村や真田十勇士のパネル人形を設置したり、真田家の家紋「六文銭」をデザインしたTシャツを作ったりして、街おこしを図っている。

 大坂の陣を駆け抜けた幸村。その生き様は時代を超え、人々を熱くしている。

(山崎茂)




 ◇大坂の陣400年特別展

 大阪城天守閣は、戦国時代の合戦図屏風(びょうぶ)の最高傑作と評される「大坂夏の陣図屏風」(重要文化財)を所蔵する。戦いからまもなく、福岡藩主・黒田長政が描かせたとされる。

 右隻(うせき)には、大坂城南方で展開された豊臣方と徳川方との激戦の様子、左隻には、敗走する残兵や戦火を逃げまどう民衆たちの姿が描写されている。黒田家の記録によれば、画中の人物は5071人で、このうち旗などから21人の武将が判別できる。

 天守閣3・4階展示室では、11月24日まで同屏風を含め、大坂の陣で活躍した浪人たちにスポットを当てた特別展を開催中だ。12月下旬までは、天守閣展望台からAR(拡張現実)技術を用いた専用アプリ搭載のタブレットをかざすと、軍勢の配置や参戦した武将が分かる企画も行われている。

2014年11月05日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141106-OYTAT50010.html

1914名無しさん:2014/11/08(土) 19:48:04 ID:zENY3jhE0
一番櫓公開 半世紀ぶり 大阪城、8日から
2014年11月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141108/20141108050.html

 大阪市中央区の大阪城公園で8日、園内4カ所のやぐらの一般公開が始まる。いずれも通常は非公開の重要文化財。このうち「一番櫓(いちばんやぐら)」は約半世紀ぶりに市民の目に触れることなる。

ことしから来年にかけた「大坂の陣400年」の大きな節目を迎え、大阪城への関心が高まる中にあって、貴重な古建築物の開扉は歴史愛好家や観光客など多くの人々の注目を集めそうだ。一般公開は16日まで。

歴史ドラマを探しに行こう 大阪城の櫓特別公開
 大阪城公園で8日に始まる「櫓(やぐら)特別公開」は、戦国時代最後の合戦をテーマに開催中のイベント「大坂の陣400年天下一祭・冬の陣2014」(実行委主催)の一環であり、関係者は「歴史ドラマを発見して」と呼び掛けている。

 公開される4カ所のやぐらは、いずれも徳川大坂城の古建築物。幕府の御用金を保管した「金蔵(きんぞう)」と、大手口を守る「千貫(せんがん)櫓」「多聞(たもん)櫓」はこれまで不定期に公開されてきたが、二の丸南東に現存する「一番櫓」は約半世紀ぶりの公開となる。

 大坂城二の丸の南側には東から一〜七番のやぐらが連なっていたが、明治維新の大火や大阪大空襲によって一、六番を除き焼失。空襲被害の大きかった一番櫓は1963〜65年に解体修理が施された。

 2階建のうち公開は1階部分のみだが、玉造口をにらむ多くの狭間(さま)(銃眼)や窓が確認できる。

 大阪城天守閣の宮本裕次研究副主幹は7日の内覧会で「公開を通じて文化財の大切さや、天守閣以外の建築物にも歴史ドラマがあることを発見してもらいたい」と話した。

1915名無しさん:2014/11/15(土) 19:41:44 ID:7A2XCs2c0
千歳飴を持って「ハイ、チーズ」晴れ着姿の子供たちが「七五三」住吉大社
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%8d%83%e6%ad%b3%e9%a3%b4%e3%82%92%e6%8c%81%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%8c%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%80%81%e3%83%81%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%80%8d%e6%99%b4%e3%82%8c%e7%9d%80%e5%a7%bf%e3%81%ae%e5%ad%90%e4%be%9b%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e3%80%8c%e4%b8%83%e4%ba%94%e4%b8%89%e3%80%8d%e4%bd%8f%e5%90%89%e5%a4%a7%e7%a4%be/ar-BBdQm5Q

子供たちの健やかな成長を祈願する「七五三」の15日、各地の神社に参拝客が訪れた。大阪市住吉区の住吉大社にも晴れ着姿の子供らが詰めかけた。

 住吉大社によると、七五三は男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳の年のこの日に神社へ参拝するのが昔からの習わし。

 おはらいを受けた子供らは、長寿を願う千歳飴(ちとせあめ)の入った長い手提げ袋を手に、笑顔で記念撮影をしていた。

 同大社では、この日は800組ほどが祈祷(きとう)を受ける見通し。12月ごろまで七五三のお参りは続くという。

1916名無しさん:2014/11/15(土) 20:08:05 ID:7A2XCs2c0
消えゆく戦争遺跡…全国3万か所、再開発進み
2014年11月15日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141115-OYO1T50015.html?from=oycont_top_txt

かつての軍事要塞など、「戦争遺跡」が次々と姿を消そうとしている。老朽化に加え、再開発による取り壊しが進んでいるからだ。来年で終戦から70年。戦争体験者も少なくなっており、平和を考えるための遺産として活用するよう求める声が高まっている。

関西防衛拠点

 和歌山市・加太港の沖に浮かぶ無人島「友ヶ島」。ツタに覆われた赤レンガの弾薬庫や砲台が残る要塞跡は、インターネットで「(アニメ映画の)天空の城ラピュタみたい」と話題になった。昨年度の観光客は約3万人に上り、3年前に比べて倍増した。

 しかし、先月の台風18号で市が管理する鉄製の桟橋が破損。定期船は運休し、島に渡れなくなった。桟橋は腐食が進んでいたが、海底に岩盤が見つかって基礎工事ができず、老朽化対策が課題になっていた。

 市によると、島は明治以降、欧州列強の侵攻に備える関西防衛の拠点だった。フランス製の大砲32門や水中音波探知機(ソナー)など最新兵器を配備。実戦には至らず、大砲やソナーは連合国軍総司令部(GHQ)に破壊されたが、歴史を感じられる場所として小中学生らが見学に訪れていた。

 桟橋復旧のめどは立たず、語り部ボランティアの男性(49)は「島の存在とともに戦争も忘れられてしまう。行政は復旧を急いでほしい」と願う。

権利関係の壁

 市民団体「戦争遺跡保存全国ネットワーク」(長野市)の推計によると、戦争遺跡は全国に約3万か所あるが、毎年数十か所ペースでなくなっているという。

 東京都は今年、零戦エンジンの製作所跡にあった変電所の解体方針を決め、三重県鈴鹿市でも2011年、旧海軍戦闘機の格納庫が解体されて住宅用地になった。

 旧陸軍の貯蔵庫として掘られた大阪府高槻市の地下トンネル群「高槻地下倉庫(暗号名タチソ)」も土砂などがなだれ込み、天井の一部が崩落。市の担当者は「登記の境界線が複雑で地権者も特定できない。予算もなく市単独で保存はできない」とする。

公園整備へ

 一方で、保存に踏み出した自治体もある。

 兵庫県加西市は2月、姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場跡を「戦争史跡公園」(仮称)として整備すると決定。1945年、「白鷺(はくろ)隊」の名で特攻隊員が訓練し、多くが戦死したとされる。

 市は、滑走路(約1・2キロ)を管理する防衛省などと2015年度中の払い下げに向けて協議している。


文化財指定・登録わずか215件

 戦争遺跡を巡っては、1990年に沖縄県南風原(はえばる)町が「沖縄陸軍病院南風原壕群」を全国初の町史跡に指定。その後、広島市の原爆ドームなどが国史跡に指定されるようになった。

 ただ、戦争遺跡保存全国ネットワークの調査では、国や自治体による文化財としての指定・登録は今年7月で計215件にとどまる。

 海外では、ナチスによるユダヤ人虐殺の舞台となったポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」跡が国立博物館として保存され、世界遺産に登録されている。

 同ネットワーク共同代表の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)・山梨学院大客員教授は「歴史認識の問題もあり、行政は文化財指定に及び腰だが、法令で守らないと老朽化や開発で消えていく。過去を直視するためにも実物を残すことは重要だ」と指摘している。

2014年11月15日

1917名無しさん:2014/11/15(土) 20:48:00 ID:7A2XCs2c0
「狭山池改修」重源知って
2014年11月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141111-OYTNT50050.html 

◇重文指定の石碑や史料40点

鎌倉時代に狭山池(大阪狭山市)を改修した僧・重源(ちょうげん)の功績を知る特別展「重源と東大寺 鎌倉時代の復興を支えた人びと」が、同市の府立狭山池博物館で開かれている。30日まで。

 狭山池は616年頃に築造された農業用のため池。池から見つかった石碑「重源狭山池改修碑」が今年、重要文化財に指定されたのを記念して同展を企画した。石碑や重源が復興に関わった奈良・東大寺関連の史料など約40点を紹介している。

 石碑は、幅58・5センチ、長さ192センチ、厚さ79・5センチ。重源とともに改修に関わった技術者らの名や、改修の年代などが読み取れる。

 大阪狭山市教委の平野淳さんは「自分だけの手柄とせず、技術者らも大事にした重源の人柄を感じてほしい」と話している。

 入場無料。午前10時〜午後5時。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・367・8891)へ。

2014年11月11日

1918名無しさん:2014/11/18(火) 19:18:12 ID:T3RRSSKE0
道明寺合戦の記念碑除幕
11月18日 14時51分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141118/3079861.html

徳川幕府が豊臣家を滅亡させた大坂夏の陣の「道明寺の戦い」の古戦場に記念碑が建てられ、除幕式が行われました。
式には豊臣方の武将後藤又兵衛と徳川方の片倉小十郎の子孫などが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
記念碑は、大阪・藤井寺市にある近鉄・道明寺駅の駅前に建てられました。
道明寺の戦いは、外堀を埋められた大坂城を打って出た豊臣勢がこの地で徳川勢を迎え撃ったもので、豊臣方の有力な武将、後藤又兵衛が、伊達政宗の重臣、片倉小十郎の部隊に討ち取られたと伝えられています。
除幕式では、碑の建立に関わった道明寺まちづくり協議会の森田剛浩会長が、「記念碑がきっかけで、戦いに加わった武将のゆかりの地と大阪との交流が深まることを願っています」と挨拶しました。
式には、後藤又兵衛の子孫で兵庫県加西市に住む後藤基保さんと片倉小十郎の子孫で仙台市に住む片倉重信さんが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
両家の顔合わせは歴史上これまでなかったということで、後藤さんは「先祖が討ち取られ、今でも悔しくないといったらうそになるがこれからは水に流して仲良く交流していきたい」と話していました。
一方、片倉さんは、「片倉家ではこの400年間後藤家のことを思ってきました。念願の和解がかないすがすがしい気持ちです」と話していました。
このほか除幕式には、豊臣方の武将、真田幸村の子孫も参加しました。
真田幸村の三女は、大坂夏の陣のあと、片倉小十郎に引き取られたとされ片倉家とはやはり、深い縁で結ばれています。
真田幸村の子孫で東京・杉並区に住む真田徹さんは、「当時の武将たちは置かれた立場で敵味方に分かれただけで相通じる思いがあったと思います」と話していました。
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1919名無しさん:2014/11/18(火) 20:31:05 ID:T3RRSSKE0
武将の勇姿にうっとり 大坂の陣特製ポスター
2014年11月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141118/20141118024.html

 豊臣方が徳川の軍勢に立ち向かった「大坂の陣」(1614〜15)の特製ポスターが人気だ。作製した大阪城天守閣(大阪市中央区)のミュージアムショップで15日から販売され、ポスターとしては異例の売り上げを記録中。墨一色で躍動的に描いた武将の姿が「素晴らしい」と評判で、外国人観光客をとりこにしている。

ポスターは、よろいをまとった兵士が馬にまたがった様子が描かれている。大坂の陣の開戦前夜をイメージし、豊臣方として戦おうと大阪城に入城する場面をモチーフにした。

■問い合わせ相次ぐ
 当初は販売用ではなく、PR用として大阪城チケット売り場に掲示。すると海外の観光客から「売ってないのか」と問い合わせが相次いだという。

 要望に応えて販売用を用意するとともに、第2弾ポスターを作り、計2種類を売り出すことにした。

 第2弾の図柄は、豊臣方の武将で、やりの名手の後藤又兵衛の勇姿を描いている。大坂冬の陣の最大の激戦「鴫野・今福の戦い」の一場面をモチーフにし、図柄はどちらも墨絵アーティストの茂本ヒデキチ氏が手掛けた。

 発売から2日間で2種類合わせて計50枚近くが売れ、売れ行きは“主役”である大阪城の写真ポスターを大きく引き離している。ミュージアムショップ店長の浜田照代さん(65)は「色違いを合わせて計4種類を買った人もいる。勇ましい武将を大阪城に求めていると感じた」と話す。

■国内外問わず人気
 なかでも外国人観光客の視線が熱い。17日に訪れたフランス人の男性観光客は熱心に品定めし「素晴らしい」と1枚購入。中国から家族と訪れた男性も「すごくいい」と一目ぼれしていた。

 歴史好きの心もくすぐっている。名古屋市の高倉秀仁さん(27)は「浪人の又兵衛が世に知られるまでの生きざまに引かれる。ポスターを買いに大阪城に来たようなもの」と興奮気味だった。

 大阪城天守閣は来年夏に第3弾のお披露目を目指しており、職員の田中美喜さん(43)は「歴史といえば京都や奈良だけでなく、大阪も知ってほしい。その切り口が大坂の陣になる」と意気込んでいた。

 ポスターは縦約70センチ、横約50センチ。1枚800円(税込み)。

1920名無しさん:2014/11/22(土) 04:52:50 ID:wc8JvIQc0
http://www.sankei.com/west/news/141120/wst1411200070-n1.html
「薬の神様」少彦名神社 神農祭に向け張り子の虎を取り付け

「薬の神様」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社で22、23日に行われる「神農祭」に向けて、張り子の虎を笹に取り付ける作業が行われた。

 張り子の虎は、江戸時代後期に大阪でコレラが流行した際、虎の頭骨を砕いて作った丸薬とともに参拝者に配ったのが始まり。現在では、無病息災のお守りとされ、1体2000円で参拝者に授与される。

 女性たちは、19、20日の2日間をかけて、五葉笹に体長約10センチの張り子の虎約8000個を手際よく取り付けていき、準備を整えた。

1921名無しさん:2014/11/23(日) 00:39:57 ID:mXAfFJTM0
製薬会社のゆるキャラ集合 大阪・道修町の神農祭
2014年11月22日 11:07

 「薬の町」として知られる大阪市中央区道修町にある少彦名神社の「神農祭」が22日開かれ、製薬会社のゆるキャラたちが勢ぞろいして祭りを盛り上げた。

 会場には、今月名前が決定したばかりの森下仁丹の新キャラクター「仁丹王子」のほか、小林製薬「熱さまくん」、大幸薬品「正露丸くん」、ロート製薬「ロッ太くん」など9体のゆるキャラが集合。参拝客らは写真を撮ったり、握手したりしてつかの間の触れ合いを楽しんだ。

 道修町は江戸時代に薬の仲買人らが集まり、幕府が独占販売権を与えたため薬の町として発展した。現在も製薬会社の本社が数多くある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141122/20141122035.html

1922名無しさん:2014/11/24(月) 00:18:58 ID:MSgXQNRA0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141123/20141123030.html
神虎求め御利益願う 少彦名神社・神農祭
2014年11月23日

 「くすりのまち」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社(別所俊顕宮司)で22日、「神農(しんのう)祭」(市無形民俗文化財)が始まった。江戸期からの伝統行事に、境内や参道は多くの参拝客であふれた。23日まで。

大阪の年内の祭りの最後を締めくくるため「止めまつり」とも呼ばれる同祭。例年約5万人が訪れ、大阪の晩秋の風物詩になっている。

 境内では同神社伝統の縁起物「張り子の虎」(神虎(しんこ))を求めて大勢の人が長い列をなし、みこから「家内安全、無病息災」とおはらいを受けた。

 参拝者は「1年大病せずに過ごせた。来年も健やかに暮らしたい」「初めて来たがにぎやかで楽しかった」と笑顔で御利益を願っていた。

1923名無しさん:2014/11/25(火) 00:22:20 ID:sEH4IShM0
古墳群は人類史的に貴重 大阪で世界遺産シンポ
http://www.sankei.com/west/news/141124/wst1411240047-n1.html

世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

 シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

 世界遺産を目指す両古墳群の61基のうち、約半数が宮内庁管理の陵墓。徳田誠志宮内庁陵墓課首席研究官は「陵墓は文化財という側面もあるが、現在も祭祀が続いている『生きたお墓』だ。かつては周濠の水は田畑などで利用されており、今後も地元から親しまれる存在を目指したい」と話した。


古墳群登録目指し世界遺産シンポ 大阪・四天王寺大
2014年11月24日 19:34
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141124/20141124075.html

 世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

1924名無しさん:2014/11/25(火) 11:54:16 ID:fPS3ay/A0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141123-OYTNT50454.html
中世12城で学ぶ郷土史
2014年11月24日

◇高槻で展示 金箔張り瓦や堀の絵図

 中世に府内にあった12の城について紹介する企画展「戦国 大阪の城―動乱の時代と天下統一」が、高槻市城内町の市立しろあと歴史館で開かれている。12月7日まで。

 会場には、大坂城から出土した金箔(きんぱく)が張られた瓦や、複雑な堀の様子が描かれた池田城の絵図など約100点が並ぶ。中には、城跡から出土した茶器や碁石もあり、当時の文化を伝えている。

 中西裕樹学芸員(中世史)は「城を通して、地元の歴史に興味をもってもらえたら」と話している。

 入場料は一般200円、小中学生100円。問い合わせは同歴史館(072・673・3987)へ。

2014年11月24日

1925名無しさん:2014/11/26(水) 09:03:31 ID:hhiDIYu20
国の史跡に関西から4件
11月22日 07時04分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141122/3213001.html

日本最古のため池とされる大阪狭山市の「狭山池」など関西の4件が、新たに国の史跡に指定されることになりました。
このうち、7世紀前半の飛鳥時代に造られた「狭山池」は日本最古のため池とされ、田畑などに水を供給してきました。
時代ごとに改修が行われ、土木技術の歴史を知る上で重要だと評価されました。
大阪府立狭山池博物館の工楽善通館長は、「1400年にわたって水を供給してきた価値が、認められてうれしい」と話しています。
また、大阪・八尾市の「高安千塚古墳群」は6世紀を中心に造られ、224基の古墳が確認されています。
渡来人との関わりがうかがえ、古代国家の成り立ちを知る上で重要だと評価されました。
八尾市教育委員会の藤井淳弘さんは、「渡来人と関係の深い人たちが造ったと考えられ、貴重な存在だ」と話しています。
関西ではこのほか、▼京都府の向日市と京都市にまたがる大型の前方後円墳、「寺戸大塚古墳」と、▼8世紀から9世紀に営まれた木津川市の「神雄寺跡」も、史跡に指定されることになりました。
さらに、戦国から江戸時代の城下町の集落が残る滋賀県高島市の「大溝の水辺景観」は、国の重要文化的景観に指定されることになりました。
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1926名無しさん:2014/11/27(木) 00:22:35 ID:B.kinW6o0
五穀豊穣 感謝込め 住吉大社で新嘗祭
2014年11月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141126/20141126031.html

 大阪市住吉区住吉2丁目の住吉大社(高井道弘宮司)で、神前に新穀をささげる「新嘗(にいなめ)祭」が行われた。米作りの奉仕者など関係者約150人が集まり、この1年の五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝した。

同祭は、豊かな稲の実りを祈願する「祈念祭」(3月)、境内南側の御田(おんだ)で稲を植える「御田植(おたうえ)神事」(6月)、初穂を刈り取る「宝之市神事」(10月)といった、五穀豊穣にまつわる神事の締めくくり。

 勤労感謝の日の23日に行われており、もともとは一年無事に生活できた感謝を神様に伝える目的で、豊作への感謝を述べるお祭りとされていた。

 この日は、御田でとれた7穀の新米の一部を境内の第一本宮に供えた。米作りの奉仕者でつくる御田講、蓬莱(ほうらい)講の人々が参列。玉串をささげるなどし、神前に感謝した。

 両講元の山本英夫さんは「穂の出る時期がいい日和だったこともあり、ことしは昨年の5割増しの収穫で豊作だった」と笑顔を見せた。

1927名無しさん:2014/11/28(金) 00:28:19 ID:eeiVm9q60
秀吉褒美のそろばん紫檀作り国内最古
2014年11月20日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141120-OYTAT50025.html

豊臣秀吉ゆかりで、国内最古のそろばんが今夏、大阪で確認された。

 丈夫な紫檀(したん)作りで、四隅に銀枠があしらわれた逸品。縦13・5センチ、横37・5センチと、現代のものと比べて少し大振りで、20桁の計算ができる。

 そろばんメーカー「雲州堂」(大阪市中央区)が戦後に入手したものだが、「四兵衛重勝拝領算盤(しべえしげかつはいりょうそろばん)」との箱書き以外、手がかりは何もなく、由来がわからないまま保管されてきた。

 数十年が経過して、由来が解き明かされたのは、NHKの大河ドラマなどで秀吉の軍師を務めた黒田官兵衛が脚光を浴びたことがきっかけだった。

 関連の研究が進み、四兵衛重勝は官兵衛の側近の一人で、博多の町割(区画整理)などにかかわった「久野重勝」と判明。さらに、久野家に残る古文書などから、こうした功績への褒美として、秀吉から賜ったとする記述が見つかった。

 室町時代末期に中国から伝わったそろばんは、1592年に戦国武将・前田利家が使った「陣中そろばん」が、現存するものでは国内で最古とされてきた。だが、重勝のそろばんは1591年に与えられており、文献上、陣中そろばんよりも古いことがわかった。

 玉を上下に分けるハリの両面に、重さの単位と米の単位が彫り込まれ、裏表で計算できるのも珍しい特徴だ。雲州堂の日野和輝社長(64)は「今まで見たことがない作り。秀吉が金に糸目を付けず、特別に1丁だけ作らせたものではないか」と思いをはせる。

◇「和算」の礎に/

秀吉には数学にまつわる逸話もある。

 例えばこんな話だ。

 秀吉が御伽衆(おとぎしゅう)の曽呂利新左衛門に褒美を与えることになり、何が欲しいか聞いたところ、新左衛門は今日は米1粒、翌日には倍の2粒と日ごとに倍の量の米がほしいと答えた。

 「なんと欲のないこと」。秀吉は喜び、一度は申し出を受け入れたが、計算してみると、1か月後には膨大な量になることに気づき、他の褒美に変えてもらった――。

 和算研究所(東京)の佐藤健一理事長(76)によると、この逸話は江戸初期の数学書「塵劫記(じんこうき)」を基に、利口で知られる秀吉にあてはめて創作されたとみられるという。

 ただ、秀吉が数学の発展に寄与したのは間違いない。朝鮮出兵で日本に持ち帰られた中国・元の数学書「算学啓蒙」は、後に多くの数学者に読まれ、江戸時代に発展する日本の数学「和算」の礎になった。

1928名無しさん:2014/11/28(金) 00:29:13 ID:eeiVm9q60
◇珠算盛んな大阪/

大阪市住吉区の「益田そろばん あんざん教室」。夕方になると、次から次へと子供たちがやってくる。午後5時には約50席の教室は満員となり、長机にびっしりとそろばんが並ぶ。

 2年前から教室に通う市立山之内小学校6年の八木晴香さん(12)は「難しい計算が解けると快感。算数は苦手だったけど、今は大好き。もっと鍛えて早く段を取りたい」と声を弾ませる。

 大阪では珠算をたしなむ人が多い。日本珠算連盟(東京)によると、2013年度の府内の検定試験受験者数(1〜3級)は2万6506人。2位の愛知県を約1万人も上回る。

 大阪珠算協会副会長で、教室を経営する益田明さん(70)は「大阪には昔からたくさんのそろばん教室があった。今でも子供を通わせようと、毎日のようにお母さんが相談にきますよ」と言う。

 江戸時代、全国から物品が運び込まれた大坂では、商人たちが至る所でそろばんをはじいてきた。パソコンの時代になっても、そろばんが盛んなのは、こうした歴史と無縁ではない。

 「若い指導者を増やし、先人が築いたそろばん文化を後世に伝えたい」。益田さんが力を込めた。(新庄秀規)

 ◇国造り支えた数学者

 「和算」は高次方程式など日本独自の高度な数学として、現代でも高く評価されている。

 江戸時代以前については、資料が乏しく、研究が進んでいないが、和算研究所の佐藤理事長は「戦国時代には、かなりレベルの高い計算がされていたはずだ」と話す。

 戦争のための物資の計算に始まり、築城や水路、道路の整備、町割……。戦国時代の国造りの裏には、計算にたけた数学者がいたという。江戸時代初期の数学者・毛利重能(しげよし)も、秀吉に仕えたといわれる。

 大阪城天守閣の玉造口南側の一帯は、「算用曲輪(さんようぐるわ)」と呼ばれる。築城以降、税の計算などが行われた場所とされるが、大坂冬の陣(1614年)で取り壊され、現在は案内板が置かれるだけになっている。

2014年11月20日

1929名無しさん:2014/11/28(金) 22:48:05 ID:fU76v9qY0
400年イヤー盛り上げろ 大坂の陣、手を変えPR
2014年11月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141128/20141128023.html

 「大坂の陣」(1614〜1615)から400年の節目に合わせ、大阪城天守閣(大阪市中央区)が独自の盛り上げを図っている。戦いの醍醐味(だいごみ)を紹介するガイドブックを発行したり、特製コースターをプレゼントするなどあの手この手。「歴史の町」として大阪を売り出そうと“熱戦”を展開中だ。

大坂の陣は、徳川家が政敵の豊臣家を滅ぼした戦国時代最後の大合戦。1614年に「大坂冬の陣」、15年に「大坂夏の陣」が起き、難攻不落とされた大坂城が落城した日本の歴史を語る上で欠かせない戦いだ。

■読本第2弾配布
 しかし、大阪城天守閣職員の田中美喜さん(43)は「大阪の人も大坂の陣を詳しく知らない人が多いのでは」とPRの必要性を強調する。

 大阪城天守閣は、今年と来年を「大坂の陣400年イヤー」に位置付け、啓発を展開。なぜ戦いが起きたかといった情報をはじめ、ゆかりの場所を地図に落とし込んだガイドブック「大坂の陣読本」を昨年9月に発行したところ、わずか2カ月で全5千部がはけた。

 「希望者に天守閣の事務所に取りに来てもらう形だったにもかかわらず、短期間でなくなった」と田中さんは驚く。

 今月2日からは読本第2弾の配布もスタート。女性に手に取ってもらえるよう、かわいい色使いのイラストで両軍の武将6人を紹介。硬派なファンも満足できるよう、両軍の位置関係が分かる冬の陣の配陣図を掲載したところ、40代以上の男性を中心に人気を呼んでいるという。

■ドラマチック
 盛り上げに向けて来年1月1日のスタートダッシュにも余念がない。同日は臨時開館(午前11時〜午後5時)し、先着5千人に「オリジナルコースター」をプレゼントする。天守閣の収蔵品「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」に描かれている大坂城天守閣のイラストと現在の城の写真をあしらった2枚セットになっている。

 田中さんは「大坂の陣で豊臣は敗れたが、その後、天下の台所と呼ばれる勢いのある町になった。ドラマチックな歴史があったことを知ってほしい」と話している。

1930名無しさん:2014/12/03(水) 22:45:39 ID:ZoPi6vC60
代表4人決まる 「天満えびす」招福娘
2014年12月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141203/20141203031.html

 来年1月9〜11日の「天満えびす」に奉仕する招福娘の代表選考会が2日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。代表として神戸大の秋田成子さん(21)、関西学院大の大野由衣さん(21)、京都産業大の番匠みきさん(22)、関西大の福長英美さん(20)の4人に決まった。

選考会には、大学生600人の応募者の中から招福娘に選ばれた17人が参加。紙芝居、剣道、アイドルグループのダンスなど個性豊かなパフォーマンスで熱意をアピールした。

 寺井種治権宮司は代表それぞれに委嘱状とたすきを手渡し「頑張ってください」とエール。代表に選ばれた福長さんは「体力には自信があるので元気いっぱい福を届ける」、番匠さんは「大学生活最後の良い思い出にしたい」と声を弾ませていた。

1931名無しさん:2014/12/07(日) 01:18:44 ID:XebbVGXA0
岬町の古墳で発掘現場公開
12月05日 15時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141205/3721501.html

皇族の墓として宮内庁が管理している大阪・岬町の「淡輪ニサンザイ古墳」の発掘現場が、報道関係者に公開されました。
「淡輪ニサンザイ古墳」は5世紀後半に築かれた全長170メートルの前方後円墳で、日本書紀などに記された皇族の「五十瓊敷入彦命」の墓として宮内庁が管理しています。
墳丘が「ほり」の水で浸食されるのを防ぐ工事を行うのを前にことし10月から発掘調査が行われ、現場が報道関係者に公開されました。
墳丘本体の発掘が行われるのは初めてで、これまでに、▼表面を覆う「ふき石」や、▼墳丘を囲むように並べられた埴輪が見つかり、築かれた当時の姿が良好な状態で残されているということです。
また、くびれの部分の近くにある「造り出し」と呼ばれる場所からは模様のある埴輪が数多く見つかり、祭事が行われた可能性があるということです。
宮内庁陵墓調査室の清喜裕二主任研究官は、「大阪の中心部に特有の、装飾が施された埴輪も見つかり、当時の最先端の技術を取り入れていた様子がうかがえる」と話しています。
この発掘調査は今月24日まで行われます。


淡輪ニサンザイ古墳を公開 陵墓、宮内庁が発掘調査
2014年12月5日 13:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141205/20141205071.html

 宮内庁は5日、皇族の墓として管理している大阪府岬町の淡輪ニサンザイ古墳(5世紀後半)の発掘現場を報道関係者に公開した。祭祀の場とされる造り出し部では朝顔形埴輪や家形埴輪のほか葺石も見つかった。

1967年以降、同庁は全国の陵墓等で整備工事を実施。事前に遺構を確認し、工法を決める目的で考古学的調査を行い、現場を公開している。

 淡輪ニサンザイ古墳でも、周濠の水に浸食されて墳丘が崩れるのを防ぐため護岸が検討されており、今年10月から同庁書陵部が墳丘の裾部分約20カ所を発掘していた。

 同古墳は、全長約170メートルの前方後円墳。

1932名無しさん:2014/12/07(日) 22:36:34 ID:9Z4TxH8M0
世界初「ガラスの祠」 大阪天満宮、御神水たたえる
2014年12月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141205/20141205027.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で4日、地下70メートルからくみ上げられる名水「天満天神の水」の取水口となる御神水舎「ガラスの祠(ほこら)」の完成奉告が行われた。大阪のガラス発祥の地という歴史にちなみ、地元のガラスアーティスト岡本覚さん(59)が制作。枠材のステンレス以外はすべてガラス素材という世界初のほこらに仕上げ、関係者が完成を祝い合った。

江戸期から知られる同宮の名水復活計画の一環。屋根には白い結晶が特徴で岡本さんが開発した「界面結晶化ガラス」を使用。土台は御影石を思わせるリサイクルガラスで仕上げるなど全体にこだわりの素材を駆使した。

 岡本さんは「いにしえのデザインに時代の最先端を取り入れる天神さん特有の疑似伝統の考えで表現した。名所で作品を手掛けることができ大変うれしく思う」と笑顔。同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は「ガラスが本殿屋根の緑青にも似た色合い。今後の名水の広がりが楽しみ」と話していた。

1933名無しさん:2014/12/09(火) 22:57:21 ID:zEMZ1SQ60
繁盛呼び込む50の笑顔 今宮戎第63代福娘
2014年12月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141208/20141208026.html

 商売繁盛の「えべっさん」として親しまれている大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江明宏宮司)の十日戎で奉仕する第63代福娘が7日、同市中央区の国際会議ホールでお披露目された。代表4人の選考会も行われ、福娘はマジックやものまねなど工夫を凝らした自己アピールを行った。

ことしは2983人の応募があり、3回の審査を経て50人を選出。代表には、関西外語大の金谷めぐみさん(21)=大阪市=、同志社女子大の中西真菜さん(21)=奈良県=、神戸市看護大の林佳名子さん(19)=神戸市=、留学生枠で、立命館大のキャサリン・リーランドさん(21)=ニュージーランド出身=が選ばれた。

 昨年の福娘代表から記念品を贈られた金谷さんは「精いっぱいの笑顔で頑張ります」と話していた。

 福娘は、神事の参列、神社授与所での福ササの授与のほか官公庁や関係機関への表敬も行う。

1934名無しさん:2014/12/09(火) 23:19:15 ID:zEMZ1SQ60
舞うミカン、厄よけ願う 御霊神社
2014年12月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141209/20141209034.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で8日、江戸期からの伝統行事「御火焚祭」が盛大に執り行われた。恒例の厄よけのミカンまきもあり、参拝者でにぎわった境内は師走ムードを漂わせていた。

境内には一つでも多くキャッチしようと大きな袋や箱を手にした人が参集。やぐら上から園宮司や氏子衆がミカン約60箱分を豪快にまくと、「やった」「ことしは取れた」など方々から歓声が沸いた。

 同祭は冬のはじめに今後1年間、事故もなく火のおかげをいただくように祈願。氏子崇敬者は、拝殿前にともされた斎火にさまざまな願いを書いた祈願木をくべていき、高く燃え上がる炎に成就を願った。

 氏子の平尾健二さん(72)=同市西区=は「ことしは各行事が大いににぎわった。来年もいっそう盛り上がることを願いたい」と笑顔で一年を振り返った。園宮司は「毎年多くの方にお参りいただいている。皆さんとともに伝統行事を継承することができ大変うれしく思う」と話していた。

1935名無しさん:2014/12/11(木) 20:59:27 ID:Xa1.Nceg0
両替商「銭屋佐兵衛」家の歴史
12月11日 12時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141211/3858891.html

大阪でかつて両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家ゆかりの古文書を集めた展示会が、大阪で開かれています。
この展示会は、江戸時代中期から明治時代にかけて大阪を拠点に両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家の歴史をたどろうと大阪・中央区の「大阪歴史博物館」で開かれています。
「銭屋佐兵衛」家の決算帳簿は、創業から廃業まで毎年記録され、当時の両替商の経営状況を知ることが出来る貴重な資料です。
とりわけ江戸中期から後期にかけての大阪の好景気で事業を拡大した3代目の時代には、諸藩の大名に融資を行うようになり「諸家貸」と呼ばれる帳簿に、九州や四国などの大名にまで貸していたことが記されています。
このほか「銭屋佐兵衛」家の印が入ったはっぴなども展示されています。
博物館の八木滋学芸員は「江戸時代中期以降の大阪の商人の経営実態などが分かる貴重な資料です。
当時の大阪の繁栄ぶりを感じてほしい」と話していました。
この展示会は、来年1月5日まで開かれています。

1936名無しさん:2014/12/13(土) 19:10:20 ID:A11t3JUg0
「襲名披露公演はぜひ大阪から」中村翫雀さんが「四代目鴈治郎」襲名あいさつで本社来訪
http://www.sankei.com/west/news/141211/wst1412110068-n1.html

上方歌舞伎の大名跡、四代目中村鴈(がん)治(じ)郎(ろう)(がんじろう)を襲名する歌舞伎俳優の中村翫(かん)雀(じゃく)(かんじゃく)さん(55)が11日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ、斎藤勉専務取締役大阪代表らに襲名のあいさつを行った。

 翫雀さんは人間国宝の坂田藤十郎さん(82)と元参院議長の扇千景さん(81)の長男。来年1、2月に大阪松竹座で2カ月連続の襲名披露公演を行う。

 晴れやかな笑顔の翫雀さんは「鴈治郎は上方の名跡なので、襲名披露公演はぜひとも大阪からスタートしたかった」と話した。

1937名無しさん:2014/12/19(金) 10:52:07 ID:M8S3Lrrg0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141219/4092961.html
百舌鳥古墳群の保存計画案
12月19日 06時32分

ことし3月に国の史跡に指定された「百舌鳥古墳群」について地元の堺市は今後の修復の進め方などの方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
堺市には4世紀から6世紀にかけて100を超える古墳がつくられたとされ、現存する古墳のうち宮内庁が管理する天皇陵などを除いた17の古墳が、ことし3月に「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定されました。
これを受けて、堺市は修復の進め方などについて方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
計画案では多くの古墳で墳丘が崩れた箇所が確認されたことから学術的な調査を行った上で修復を進めるとしています。
また樹木が生い茂り本来の形が分かりづらい古墳では伐採やせんていを行い、墳丘の周りのほりの水質改善にも取り組むとしています。
「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定された古墳の多くは、大阪府や堺市などが世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥古市古墳群」に含まれています。
堺市は、今年度中に保存管理計画を最終的に決めることにしていて「世界遺産登録に向けてしっかりと保全に取り組みたい」としています。

1938名無しさん:2014/12/19(金) 13:00:56 ID:M8S3Lrrg0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141219/20141219025.html
「社寺+コナン」効果大 なにわ七幸めぐり
2014年12月19日

 神仏習合理念に賛同する7社寺でつくる「なにわ七幸(しちこう)会」が取り組む「なにわ七幸めぐり」と人気漫画「名探偵コナン」のコラボ企画が人気を呼んでいる。7社寺を巡拝する朱印めぐりに“謎解き”の要素がプラスされ、若い親子も参加するほどの好調ぶり。なにわ七幸会事務局は「新たな年齢層が増え、七幸めぐりのすそ野が広がった」とコナン効果を喜んでいる。

なにわ七幸会は、1983年に大阪21世紀協会理事だった堺屋太一氏の提唱で神社仏閣と大阪の活性化を目指して発足した。現在は大阪天満宮、大念佛寺、住吉大社、今宮戎(えびす)神社、太融寺、四條畷神社、四天王寺の7社寺でさまざまな企画を展開。七幸めぐりは年間約400人が満願し、順調に推移している。

 今回の企画「なにわ七幸めぐりウォークラリー〜トレジャーバロンからの暗号文(メッセージ)」は、枚方市のひらかたパークで開催中の名探偵コナン連載20周年記念「コナン展」大阪会場(来年1月12日まで)とのタイアップとして実現。

 小学館集英社プロダクションによると、社寺とのコラボは珍しいという。

 参加者は最初の社寺で通常の朱印帳・色紙とは別にラリー専用紙(300円)を購入し、各境内の特設看板に記されているキーワードを集めて謎を解く。それぞれの朱印所(授与所)では、訪れた社寺とコナンをデザインした記念ポストカード1枚を授与。最後の社寺で全7種類がそろうほか、オリジナルクリアファイルとWチャンス応募はがきがもらえるのも魅力となっている。

 同企画は来年1月31日まで続き、期間中は冬休みや初詣をはじめ「十日戎」も含まれることから参加者の増加が見込まれる。

 なにわ七幸会事務局を置く四天王寺参詣課の山岡武明さんは「親子に愛されているキャラクターの起用で、より多くの方と各社寺とのご縁が結ばれることを願いたい」と話している。

 【メモ】なにわ七幸会事務局の問い合わせは、電話06(6771)0066、四天王寺。

1939名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:03 ID:aIDXs.4A0
秀吉絶賛「守口大根」 天下取りの健康食
2014年12月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141218-OYTAT50000.html

「もしタイムスリップできるなら、太閤(たいこう)さんに僕の料理を食べてもらいたい」

 大阪府守口市の老舗料亭「柿右衛門文禄亭」。料理長の益田光志さん(56)が、同市の伝統野菜「守口大根」のかき揚げを作りながら声を弾ませる。

 羽柴(豊臣)秀吉が1585年(天正13年)、守口で宿泊した際、献上された大根の漬物を絶賛。「守口漬と名付けよ」と宿の主人に命じたことから、一帯の淀川流域で育てられていた大根を、こう呼ぶようになったと伝わる。

 益田さんが、この大根に出会ったのは2005年12月。市街化による耕作地の減少などを理由に栽培が一時途絶えたが、名物として復活させようと、農家らが取り組みを開始。「新たな郷土料理を作ってほしい」と依頼された。

 長さ約1・5メートルの細長い大根は辛くて苦く、そのままでは食に向かない。試行錯誤の末、砂糖をまぶし、高温のゴマ油を注いで苦みを抜く調理法を発案。かき揚げにして、ほどよい苦みとサクサクした食感が楽しめる料理に仕上げた。

 益田さんは「太閤さんは大根の漬物をポリポリかじりながら、天下取りの戦略を練っていたのだろうか」と想像を膨らませる。

 ◇62歳の生涯

 秀吉は1598年(慶長3年)に、62歳の生涯を閉じた。平均寿命40歳前後とされる当時としては、かなりの長寿だ。

 ぜいを尽くし、美食に明け暮れたイメージもあるが、食に関する逸話からは、健康に気を配っていた姿が浮かび上がる。

 「名将言行録」(岡谷繁実著)などによると、秀吉は若い頃から、消化酵素を多く含み、風邪の予防にも効くとされた大根や食物繊維が豊富なゴボウをよく食べていたとされる。

 根菜へのこだわりは、天下統一後、生まれ故郷だったことから年貢を免除していた尾張国・中村(名古屋市中村区)の農家に、年頭の祝儀として大根とゴボウを献上させていたことからもうかがえる。

 戦国時代の食に詳しい医学ジャーナリストの植田美津恵さんは「秀吉は権力を維持するためには健康な体が最も大切と考え、体に良いものを食べていた」と指摘する。

 「戦国武将の食生活」の著書がある食文化史研究家の永山久夫さん(82)は、秀吉が魚介類もふんだんに食べていたことにも注目する。

 秀吉が1590年(天正18年)に小田原城を落とし、奥州を平定した後、毛利輝元が戦勝の祝賀として出した献立には、鮭(さけ)、タラ、タコ、アワビ、イカ、スズキ、アユ、コイなどの料理が並んだという。前田利家も1594年(文禄3年)に自邸で秀吉を接待した際、タイやカツオ、ハモなど10種類以上の魚介類を使った料理を出したとされる。

 魚油に含まれるドコサヘキサエン酸(DHA)などの脂肪酸は、近年の研究で、脳機能低下の防止に効果があるとの報告もある。

 人の何倍も考えて行動し、戦国時代を生き抜いた秀吉。魚介類でタフな精神力を養ったともいえそうだ。

1940名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:51 ID:aIDXs.4A0
◇ゆかり食材で人気

 秀吉ゆかりの食材を名物にしようとする動きもある。

 名古屋市中村区では今年7〜10月、JR名古屋駅西側にある飲食店約10店が、ゴボウの創作料理をメニューに加えるイベントを開催した。

 飲食店主の辻耕作さん(32)が発案した企画で、ゴボウ入りのナゲットや、鳥とゴボウのうま煮など様々な料理が登場。客の反応も上々だったといい、辻さんは「ゴボウ料理を名物にし、街も人も元気になれば」と意気込む。

 健康志向が高まる中、秀吉ら戦国武将の食事は実利的だと注目を集めている。

 11月上旬、東京都港区の慶応大で開催された「健康寿命をのばすための食べる知恵」と題した講座。講師に招かれた永山さんは、秀吉がビタミンB1やカルシウムが豊富な麦飯を食べていたエピソードなどを披露。「秀吉のように食べて、天下を取るくらい元気になってください」と高齢の受講者らに呼びかけた。

 「秀吉が好んだ食事は和食の原点でもある。参考にすれば、我々も健康になれる」と永山さん。天下人がこだわった食は、現代社会を生き抜くヒントも伝えてくれている。

(神谷次郎)


 ◇長寿願い鶴も食す

 秀吉は滋養強壮のため、現代ではなじみの薄い鳥獣も食べたらしい。

 大阪城天守閣は、秀吉が織田信長の次男・信雄から鶴の肉を贈られた際に書いた礼状を所蔵しており、随時公開している。

 同天守閣の跡部信・主任学芸員は「長寿や健康を願って、生命力が強いと信じられていた動物も食べたのだろう」と話す。

 一方、秀吉が好んだ守口大根は、守口市の農家らでつくる「守口都市農業研究会」が栽培し、毎年12月に収穫している。2007年には、府が進める「なにわの伝統野菜」として認証されている。

 柿右衛門文禄亭では、今月中旬から同会が栽培した守口大根を使ったかき揚げをメニューに出す予定。問い合わせは同店(06・6993・3651)へ。

2014年12月17日

1941名無しさん:2014/12/20(土) 22:34:28 ID:w6je/usg0
穏やかな年に 藤井寺に未の絵馬
2014年12月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141214-OYTNT50028.html

藤井寺市の道明寺天満宮の本殿前に13日、来年の干支(えと)・未(ひつじ)を描いたジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えした。

 ジャンボ絵馬の飾り付けは、同天満宮が1970年から、毎年実施。絵は寝屋川市の女性画家・長谷川貞信さんが手がけ、3匹の羊の親子の仲むつまじい様子が描かれている。

 南坊城(みなみぼうじょう)光興宮司(40)は「来年は羊のように穏やかな一年であってほしい」と話した。

2014年12月14日

1942名無しさん:2014/12/23(火) 21:37:09 ID:2K.hksqI0
大阪、干し柿まねた土製品が出土 江戸時代の玩具か
2014年12月23日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141223/20141223050.html

 大阪市北区神山町の建築工事予定地の発掘で、干し柿をまねた江戸時代の土製品が出土し、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が23日までに明らかにした。干し柿は同時代にお菓子として親しまれたといい、同研究所の谷崎仁美学芸員は「玩具や装飾品として作ったのかもしれない」と話している。

土製品は今年4月に18世紀後半のごみ穴から出土。長さ8センチ、幅5センチで、重さ80グラムと大きく重い。中央部分に穴が開けられていた。ひもを通して同じものを何個もつなげて、店などが看板代わりにしていた可能性もあるが、用途は判明していない。

1943名無しさん:2014/12/26(金) 05:51:26 ID:U0q1y9rI0
大入りを祈願して「にらみ鯛」…国立文楽劇場
2014年12月25日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141225-OYO1T50026.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の初春公演(来年1月3〜26日)の大入りを祈願して、国立文楽劇場(大阪市中央区)の舞台に25日、新年の縁起物の「にらみ鯛」が取り付けられた。

 午前9時半から、全長約3メートルの巨大な鯛2匹が向かい合うようにつり上げられた。来年の干支(えと)の「羊」の文字が書かれた凧(たこ)も掲げられ、迎春準備が整った。

 同劇場の今年度の有料入場者数は、11月公演までで約9万4000人。大阪市の文楽協会への補助金満額支給の条件となる10万5000人まであと一息で、担当者は「一人でも多くの方にお運びいただけるように」と期待していた。

2014年12月25日

1944名無しさん:2014/12/26(金) 22:28:27 ID:8RbsaA6s0
参拝者2千人、歳末風情満喫 御霊神社「船場餅つき」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226020.html

 餅つきを通じて歳末のあいさつをする行事「船場餅つき」が25日、大阪市中央区の御霊(みたま)神社(園文夫宮司)で開かれた。地元企業などから2千人以上が代わる代わる参拝し、得意先とあいさつを交わしつつ歳末の風情を満喫した。

行事は、氏子で地元企業の都市環境開発(根本竜司代表)が毎年開いており、ことしで10回目を迎えた。この日は社員をはじめとする応援スタッフが夜明け前から準備を開始。約240キロ分のもち米を豪快につき上げ、関係者や一般参拝者に振る舞った。

 根本代表(52)は「スタッフの協力で次なる大台を目指したい」と地域密着の活動に意欲を見せ、園宮司は「ことしは自然災害などの災いが多かったが、穏やかな新年が迎えられるよう願いたい」と話していた。

1945名無しさん:2014/12/28(日) 13:11:22 ID:iReqGwoM0
1年のご加護感謝 大阪天満宮で「終天神」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226018.html

学問の神・菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内の縁日を締めくくる「終(しまい)天神」が執り行われた。祈願絵馬のたき上げやもちつきが行われる中、天神さんのご加護で1年を平穏に過ごせたことに感謝する多くの参拝者でにぎわった。

毎月25日は道真公の縁日であり、年頭の「初天神」に始まり終天神で1年を終える。

 境内では1年間に絵馬掛けに奉納された約5万枚が御神火によって次々とたき上げられた。周囲では俳句や写真の愛好家らが題材を求め、高く燃え上がる光景に見入っていた。

 また、神職らが元旦に供える餅をつき、参拝者に振る舞った。池田市の女性(55)は「毎年お参りしているが、今季は子どもが受験なので御利益にあやかりたい」と恭しく餅を授かっていた。

1946名無しさん:2014/12/29(月) 09:55:36 ID:kmfnyec20
「鴈治郎」襲名前に船乗り込み
12月28日 19時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4107431.html

上方歌舞伎の名跡、「中村鴈治郎」を襲名する歌舞伎俳優の中村翫雀さんが、大阪市内で、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
上方歌舞伎の俳優、中村翫雀さんは、来月始まる襲名披露興行で、父親で人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが名乗っていた名跡、「中村鴈治郎」を襲名します。
これを前に、翫雀さんは28日、大阪・中央区の高津宮で興行の成功を祈願したあと、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
かみしも姿の翫雀さんは、中央区の本町橋で船に乗り込み、東横堀川と道頓堀川を20分あまりかけて下りました。このなかでは、川岸にいたファンから、花束が贈られる一幕もありました。
そして、到着した戎橋で、集まった大勢のファンから屋号で声をかけられると、翫雀さんは笑顔で手を振って応えていました。
「四代目中村鴈治郎」の襲名披露興行は、年明けの来月2日、大阪松竹座で初日を迎えます。
..

1947名無しさん:2014/12/29(月) 10:52:15 ID:kmfnyec20
文枝さんら落語家がもちつき
12月28日 12時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4100181.html

新年を前に、大阪にある上方落語の寄席、天満天神繁昌亭で、桂文枝さんら落語家が餅をつき、訪れた人たちに振る舞いました。
この餅つきは、日頃の感謝を込めて、毎年この時期に行われています。大阪・北区の寄席、天満天神繁昌亭の正面玄関の前には、約50人の落語家が集まり、はじめに、上方落語協会の会長の桂文枝さんが、「来年もツキがあるように餅をつくので、たくさん、召し上がってください」とあいさつしました。
そして、鐘や太鼓のお囃子が響く中、落語家たちが交代できねをもち、かけ声にあわせて、次々と餅をついていきました。あわせて40キロのもち米が30分ほどかけてつきあがり、ぜんざいにして振る舞われ、訪れた人たちが、つきたての餅を味わっていました。
7歳の娘を連れてきた大阪の男性は、「あたたかくて、とてもおいしいです。ことしは仕事ばかりで忙しい1年でした。来年は、もっと景気がよくなってほしいです」と話していました。
天満天神繁昌亭は、大みそかに年越しの寄席を開くことにしています。

1948名無しさん:2015/01/01(木) 14:41:17 ID:oSwDFtG60
百舌鳥・古市古墳群、勝負の夏 大阪府内初の世界遺産へ、つかめ国内推薦
http://www.sankei.com/region/news/150101/rgn1501010003-n1.html

大阪に初の世界文化遺産を−。そんな願いが込められた堺、羽曳野、藤井寺の3市にまたがる巨大古墳群「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が、平成29年の世界文化遺産登録を目指し、国内推薦に挑む。ライバルを押しのけて国内推薦を勝ち取るには、日本の歴史を象徴する古墳への住民の理解と協力、世界遺産登録に向けた大阪を挙げた盛り上がりが不可欠。周辺環境との共存など課題も抱える中、今夏の国内推薦決定に向けて地元では着々と準備が進んでいる。

                   ◇

 世界遺産登録は年1件の国内推薦を争って、地元公共団体が「普遍的価値の証明」「万全の保護措置」などを「推薦書原案」にまとめ、文化庁に提出。文化審議会が7月ごろに国内推薦を決め、閣議決定を経てユネスコ(国連教育科学文化機関)に正式推薦される。

 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に取り組むのは、府と堺、羽曳野、藤井寺の3市。前年の選考もれを教訓に26年はあえて原案提出を見送り、27年の国内推薦、29年登録に照準を合わせ準備してきた。

 最大の課題となったのは「保護措置」。百舌鳥・古市古墳群は古墳のすぐ近くにまで住宅などが建つが、世界遺産は遺産本体の厳重な保護に加え、周辺に「緩衝地帯」が必要だからだ。

 堺市の場合、古墳近くは都市計画で建物の高さを制限しているが、その周辺に「古墳の大きさが感じられる眺望を確保するための地域」を設定。28年度から住宅地内では高さを31メートル(10階建て相当)以下とし、外壁の色や屋外広告物なども京都に準じた厳しさで規制することにした。

 緩衝地帯が設けられる堺区など4区の10小学校区では説明会を開催。市世界文化遺産推進室の宮前誠室長は「住民生活に直接影響することなので、専門家の意見を聞き、慎重かつ丁寧に理解と協力を求めてきた」と話す。

 古墳に親しんでもらいながら古墳を守る「保存管理計画」についても、宮内庁などと繰り返し協議を重ねてきた。古墳は立ち入りが原則制限されるが、世界遺産には公開の指針がある。

 このため、仁徳天皇陵に近い収塚古墳では、帆立貝形の古墳が体感できるよう墳丘に生い茂る木々の一部を剪定したり原形を再現したりして数年以内に立ち入りを可能にするという。

 近くの大阪女子大学跡地には、古墳群の説明などを行うガイダンス施設の整備計画もあり、世界遺産登録に向けた環境整備を着実に進めている。

 一方、世界遺産の国内推薦は競争が激しく、楽観できないのも事実だ。

 関係者の間では、「百舌鳥・古市古墳群」に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」「宗像・沖ノ島と関連遺産群」「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」を加えた4遺産が「ネクスト・フォー」と呼ばれ、今年の国内推薦が有力視されているという。

1949名無しさん:2015/01/03(土) 15:37:48 ID:SW3L168E0
四代目鴈治郎さん「生涯精進」 ゆかりの大阪で襲名披露
2015年1月2日 19:26
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150102/20150102047.html


 曽祖父から続く上方歌舞伎の代表的な名跡を継いだ四代目中村鴈治郎さん(55)の襲名披露公演「寿初春大歌舞伎」が2日、大阪松竹座(大阪市中央区)で始まった。

 東京ではなく、ゆかりの地・大阪から襲名披露を始める念願をかなえた鴈治郎さん。公演で、上方歌舞伎の名作「廓文章」の伊左衛門役に初挑戦し、恋人の遊女を演じた父で人間国宝の坂田藤十郎さん(83)と息の合ったやりとりを見せた。

 「成駒家!」と声が掛かる中、鴈治郎さんは口上で「先祖の名に恥じぬよう、生涯芸道に精進します」と決意を語った。

1950名無しさん:2015/01/03(土) 16:46:29 ID:SW3L168E0
1年の幸運願い 初詣にぎわう府内の社寺
2015年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150103/20150103025.html

 新年を迎えた1日、府内各地の社寺は多くの人出でにぎわった。大阪市住吉区の住吉大社では、厳しい冷え込みにもかかわらず、大勢の参拝客が1年の幸運を願っていた。

 住吉大社の境内では家族連れやカップル、外国人観光客の姿も見られ、急勾配を上り下りし、太鼓橋の愛称で親しまれる朱塗りの「反橋」は、足元を気にしながら進む人波で大混雑。社殿を前に参拝者らは勢いよくさい銭を投げ入れてはかしわ手を打ち、家内安全や商売繁盛を願った。境内は絵馬や破魔矢などの縁起物やお守りなどを求める人や、おみくじを引く人たちの行列が終日続いた。

 「欲張らないよう、家族が誰も病気をしないように」と祈願したのは、毎年参拝しているという堀井健一さん(45)=同市西成区=。また、帰省中に一家で訪れたという高橋奨さん(47)=川崎市=は「子どもが小学校に入学するので、仕事や家族の健康をお願いした」と晴れやかな表情だった。

 住吉大社では、正月の三が日で昨年より4万人多い240万人の人出を見込んでいる。2014年は住吉区が舞台となったNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」の影響もあったそうで、新春もあやかって「多くの人にお参りいただきたい」と担当者は呼び掛けていた。

1951名無しさん:2015/01/04(日) 18:49:48 ID:yEgQGPE60
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150104/20150104027.html
神経研ぎ澄ませ 大阪天満宮で「はじき初め」
2015年1月4日

 学問の神である菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮で3日、大阪府珠算教育連合会の「はじき初め大会」が開かれた。机上には127桁ある長さ1・8メートルのそろばんが用意され、参加した約千人の幼児、児童、生徒が年始めの読み上げ算に挑んだ。

子どもたちの習い事が多様化する中、大阪府珠算教育連合会は「伝統文化」としてのそろばんの普及に向けてはじき初め大会を毎年1月3日に開催。大会実行委員長の岡田良章さんは「そろばんを通して自分で考える力を養ってほしい」と呼び掛けた。

 参加者は神前で珠算学習の向上を祈願した後、3人一組になって長いそろばんに向かった。

 大東市の高校1年生、利田茜さんは「ことしは1級検定に合格したい」と抱負を語っていた。

1952名無しさん:2015/01/04(日) 19:08:13 ID:yEgQGPE60
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150104-OYO1T50012.html?from=oycont_top_txt
初春文楽公演が開幕 大阪・国立文楽劇場  
2015年01月04日

国立文楽劇場(大阪市中央区)の初春文楽公演が3日、開幕した。開演前には文楽人形による恒例の鏡開きが劇場前であり、女性ファンら約520人が祝い酒を受け取った。

 今年は、昼の部「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」に登場する「太夫」と「才蔵」の人形が「一、二の三」のかけ声に合わせて豪快に鏡開き。劇場近くの黒門市場から縁起物の「にらみ鯛」も届き、正月らしいおめでたい雰囲気に包まれた。

 4月に師匠の名前を継ぎ、吉田玉男の二代目を襲名する人形遣いの吉田玉女さん(61)は、「玉女の名では最後の公演。ご支援お願いします」と呼びかけていた。公演は26日まで。

2015年01月04日

1953名無しさん:2015/01/05(月) 21:45:44 ID:S3ogv4B60
大坂はベンガラの町…9遺跡で出土、大量生産か
2015年01月05日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150105-OYO1T50024.html?from=oycont_top_txt

木造建物の塗料に使われた赤色顔料のベンガラが江戸時代後期、大坂城西側の城下町縁辺部で大量生産されていたことが、大阪文化財研究所の調査で明らかになった。大阪市内の9遺跡で、人工精製に使われた素焼きの土鍋・ほうろくの破片が出土したことで判明した。大都市・大坂の地場産業として安価な人工顔料が量産されたため、木造民家の塗装剤などとして普及したことがうかがえる。

 2004年以降、大阪市中央区の高津御蔵遺跡(19世紀)や瓦屋町遺跡(18世紀後半〜19世紀前半)で、ベンガラがべっとりと付着したほうろく(復元した直径約30センチ、深さ約10センチ)の破片数百点が出土した。14年9月にも、18世紀末から19世紀のゴミ捨て穴から、大量の破片が見つかった。

 ほうろくに鉄くずと水を入れて熱し、水を蒸発させてベンガラを製造したとみられる。

 江戸後期の本草学者、小野蘭山が著した「本草綱目啓蒙(けいもう)」には当時、大坂では鉄くずを原料にベンガラを製造していたことが記され、人名録・商業案内の「難波丸(なにわまる)綱目」には、ベンガラ生産に従事したとみられる「弁柄師」として「高津 寺田孫六」ら4人の名前が書かれている。だが、ほうろくの使用など、具体的な生産の実態はわかっていなかった。

 田中裕子学芸員は「ベンガラ生産の変遷は、近世産業史の主要なテーマの一つだが、京や江戸の実態はわかっていない。廃材を利用して安く量産できるよう工夫しており、大阪の町工場のルーツとも言える」と話している。

ベンガラ 酸化第二鉄が主成分で、赤鉄鉱として鉱物の状態で存在する。フランス・ラスコー洞窟壁画(約1万7000年前)にも使われており、人類が利用した最も古い顔料の一つ。防虫・防腐効果があり、日光に強く退色しにくい。日本では江戸時代、人工的に製造されるようになった。


2015年01月05日

1954名無しさん:2015/01/08(木) 18:17:30 ID:ahK6QgX20
ミナミで「戎舞台」13年ぶり復活 地元の念願実現、漫才や舞踊などにぎやかに奉納
http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n1.html

今宮戎神社(大阪市浪速区)で9〜11日に開かれる「十日戎」に合わせ、道頓堀川にかかる戎橋(同市中央区)のたもとで伝統芸能や演奏の奉納披露を行う「戎舞台」が今年、13年ぶりに復活することになった。橋の架け替え工事などのため平成14年を最後に途絶えていたが、地元商店主らの強い要望もあって再開が決定。にぎやかな音色や笑いがミナミの街を包む十日戎が久しぶりに戻ってくる。

 心斎橋や船場地域と今宮戎の間に位置する戎橋は、商売繁盛を願うミナミの商売人たちが参拝するために架けられたことから命名されたと言われる。

 昭和53年からは、行き帰りの参拝客らに楽しんでもらおうと橋の南詰めに舞台を設置。境内で古くから行われている和太鼓の奉納演奏などを披露してきた。

 しかし、橋の老朽化に伴って平成16〜19年に行われた架け替え工事のため、14年1月を最後に舞台の設置は中断。その後も道頓堀川沿いの遊歩道整備などの工事が続いたため、本えびすの10日に行われる「宝恵駕(ほえかご)行列」の際、あいさつをするための一時的な仮設舞台が設置されるだけになっていた。

http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n2.html

中止から10年以上が経過する中、橋や護岸の工事が完了した戎橋に「再び以前のようなにぎわいを作りたい」と、舞台の復活を望む声が地元の商店主らから上がり、周辺の商店会などでつくる宝恵駕振興会が舞台設置の許可を大阪市や府警などに打診。今年はミナミの街が大きく発展するきっかけとなった道頓堀川の開削から400年を迎え、さまざまな記念イベントが行われる「大阪ミナミ400年祭」が催されることもあり、13年ぶりの再開が実現した。

 奥行き3・5メートル、間口8メートルの設計はそのまま受け継ぐが、舞台の内容は一新。以前は和太鼓の奉納演奏が主体だったが、今回はさまざまな分野で大阪に縁の深い演奏家や芸人らに奉納披露を呼びかけ、日本舞踊や漫才、歌、ダンスなど多彩な催しを予定している。

 舞台復活に取り組んできた道頓堀商店会の今井徹会長は「久しぶりの戎舞台。昔を知っている人も知らない人も、みんなが楽しんでもらえる舞台にしたい」。今宮戎神社の担当者も「十日戎は神社だけでなく、ミナミの街と一体となって作り上げてきたお祭り。舞台の復活が、街全体の盛り上がりにつながればうれしい」と話している。

1955名無しさん:2015/01/08(木) 18:41:04 ID:ahK6QgX20
家電「温故知新」 くらしの今昔館で昭和レトロ家電展
2015年1月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150105/20150105016.html

 大阪市北区の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」で、昭和30年代の家電やそのカタログ、チラシに焦点を当てた「昭和レトロ家電展」が始まった。出展者は収集活動を続ける枚方市の会社員、増田健一さん(51)。「当時の勢いや元気さを感じてほしい」と展示品の魅力を紹介している。

「屋根の下の軽井沢」は東芝による扇風機のキャッチコピーだ。ナショナルが1958(昭和33)年に発売した掃除機の性能は「風速20メートルの吸引力」と表現され、当時ヒットした石原裕次郎さん主演の映画『風速40米』を連想させている。

 「当時の(カタログ)チラシは広告代理店やコピーライターではなく家電メーカーが作っていた」と増田さんは解説し、メーカーの姿勢として「製品開発に苦労した思いがストレートに伝わってくる」と話している。

 同展は2011年12月に続いての開催。増田さんによると、収集品を見た年配者は懐かしみ、若年層からは「アイデアが新鮮」「デザインがかわいい」との評価が。家電メーカーの関係者からは「自由に製品開発してうらやましい」と当時の環境を想像する声が寄せられている。

 増田さんは同市旭区出身。中学生時代にラジオ番組「懐メロ歌謡曲」を聴いて昭和30年代や昭和歌謡に興味を覚え、心斎橋の古道具イベントで購入したデミタスカップを皮切りに当時の家電製品や生活雑貨品約2千点を収集。現在、市立住まいのミュージアムの研究員を務めている。

 【メモ】昭和レトロ家電展に関連した講演会が1月25日に予定され、増田健一さんが講師を務める。会場は大阪市立住まいのミュージアムがある住まい情報センターの3階ホール。午前10時半から。定員200人で、大阪くらしの今昔館ホームページなどで申し込む。同展は1月3日に始まり、2月11日まで開催中。休館日は1月6、13、19、20、27日と2月3、10日。

1956名無しさん:2015/01/08(木) 18:59:09 ID:ahK6QgX20
大坂の肉筆、浮世絵に光 月岡雪鼎と一門展
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108028.html

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)は7日、特集展示「月岡雪鼎(つきおかせってい)とその一門・大坂の肉筆浮世絵」を始めた。江戸時代中期の大坂を舞台に、流派にとらわれることなく活躍した絵師の月岡雪鼎をはじめ、その門人たちの作風に光を当てている。2月16日(火曜日休館)。

雪鼎は近江(現・滋賀県)の出身。狩野派や浮世絵の絵師から絵画を学び、大坂を舞台に瓜実顔(うりざねがお)に切れ長の目が印象的な美人像を描いた。浮世絵のように時流に配慮した髪形と着物の模様を細密に描き込んだ美人画を残す一方、題材によって力強い太線が特徴の狩野派の手法も取り入れ、さまざまな表現法を追求した。

 特集展示では雪鼎の約10点をはじめ門人らの作品を含む計約20点を紹介。朝鮮から派遣された朝鮮通信使をイメージした子どもたちが遊ぶ姿を描いた「唐子遊図」などの雪鼎本人の作品や、門人で雪鼎のように細やかな文様まで書き込んだ岡田玉山(おかだぎょくざん)の「源経基像」などを並べている。

 同博物館の岩佐伸一学芸員は「雪鼎と門人たちが大坂の絵師に大変な影響を与えたこと、江戸のイメージが強い浮世絵が大坂でも愛されていたことも知ってもらいたい」と話している。

1957名無しさん:2015/01/08(木) 19:12:09 ID:ahK6QgX20
神馬に願い 住吉大社で「白馬神事」
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108027.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、宮中行事に由来する新春恒例の「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。年頭に白馬を見ると年中邪気を払うという信仰にちなんで多くの人々が参拝。同社の神馬(しんめ)「白雪」号がさっそうと駆け抜ける姿を拝観した。

神事は平安時代に宮中で白馬を庭へ引き出して宴を催した「白馬節会(あおうまのせちえ)」に由来。この日、神職らに導かれた神馬は第一本宮を拝礼後、第四までの各本宮を巡拝。早駆けも行われ、見守る参拝者からは「縁起がいい」と歓声が上がった。孫の受験合格祈願で、写真仲間と参拝した女性(73)=泉佐野市=は「神馬さんのいい姿が撮れました」とご満悦だった。授与所では、朱印や子どもの無事成長を願う「竹駒守(たけこままもり)」を求める人の列ができるなどにぎわった。

1958名無しさん:2015/01/09(金) 21:01:47 ID:hoyDD7.s0
「今宮戎神社」で十日戎
01月09日 12時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150109/4243091.html

1年の商売繁盛を願う「十日戎」が始まり、大阪の「今宮戎神社」では、大勢の人たちが参拝に訪れています。
大阪・浪速区の今宮戎神社は江戸時代、大阪が経済発展したころから商売の神様として信仰を集め、新年の伝統行事「十日戎」には毎年、多くの人たちが訪れます。
9日は「十日戎」の初日、「宵えびす」で、境内には朝から次々と参拝者が訪れさい銭を投げ入れて商売繁盛を祈っていました。
また、金色のえぼしをかぶった福娘たちが、笑顔を振りまきながら参拝者が手にするささに縁起物の小づちやお札などをくくりつけていました。
大阪・平野区で串カツ店を営む70代の男性は、「今年もたくさんお客さんが来てくれるよう祈ってきました。小さな店も繁盛する1年になってほしいです」と話していました。
今宮戎神社の「十日戎」は、3日間行われ、神社では約100万人の人出を見込んでいます。

1959名無しさん:2015/01/09(金) 22:08:34 ID:hoyDD7.s0
【新春・インタビュー】
「愛される大阪の顔に」四代目中村鴈治郎の襲名披露公演
http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n1.html

中村翫雀改め四代目中村鴈治郎の襲名披露公演が、大阪・道頓堀の松竹座で開幕した。

 戦前、上方歌舞伎の大スターとして関西劇壇に君臨した初代から直系で四代目。新たに誕生した“大阪の顔”のお披露目に期待は高まるばかりだ。

 「関西のみなさまに愛される鴈治郎になりたい」。新・鴈治郎の決意は熱い。

 「鴈治郎になったからには、初代の当たり役を集めた家の芸『玩辞楼十二曲』をまずは勤めていきたい。いままでやったことがある演目も、もう一度洗い直して舞台にかけたい」

 2カ月連続で行われる襲名披露公演。

 1月は、「玩辞楼十二曲」から、上方和事の神髄ともいえる「吉田屋」の伊左衛門、「封印切」の忠兵衛を勤める。特に伊左衛門は初役となる。

 大坂・新町の傾城夕霧に入れあげたあげく勘当された大店の若旦那、伊左衛門。みすぼらしい紙衣の衣装を着て夕霧のいる吉田屋にやってくる−。

 落ちぶれてもなお品と色気のある伊左衛門の風情と、夕霧とのじゃらじゃらと色っぽい恋模様が展開される。

 「本当に何をするというわけでもない。だからこそ、えも言えぬ雰囲気が必要。花道の出や前半の一人芝居の場面など、芝居であって所作事(舞踊)のようでもある。和事の極致といわれるのもわかりますね」

 夕霧を父、坂田藤十郎が演じる親子共演も話題だ。

http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n2.html

 「封印切」の忠兵衛もまた上方らしい演目。こちらは、切れば死罪という公金の封印を切って、恋仲の遊女・梅川(中村扇雀)を身請けする忠兵衛の悲劇。悪友の八右衛門(片岡仁左衛門)とのアドリブにも見える大阪弁での丁々発止のやりとりや、タイトルになっている“封印切”の演技など見どころがいっぱい。

 2月は、「傾城反魂香」の絵師、又平と、舞踊「連獅子」の親獅子の精を勤める。

 「傾城反魂香」は、市川猿之助と夫婦役で共演。「連獅子」は、長男の中村壱太郎の仔獅子との共演と、こちらも話題の多い襲名公演になりそうだ。

 両月とも襲名披露の「口上」がつき、幹部俳優がズラリと並んでお祝いの言葉を述べる。

 「まずは、この2カ月間の襲名公演を通して、みなさまに鴈治郎として認めてもらえるよう。そして上方文化の隆盛に少しでも役立てるよう頑張りたい」

 大阪の冬を熱く盛り上げる公演になりそうだ。

1960名無しさん:2015/01/10(土) 06:06:52 ID:rpQvugc.0
華やかに景気づけ 9日から天満天神えびす祭
2015年1月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150109/20150109026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で9日、天満天神えびす祭が始まる。8日には招福娘ら約100人が区内の北新地から同宮の間を往復する堂島北新地えびす詣招福行列があり「商売繁盛でササ持ってこい」と触れて回った。

大阪天満宮青年親睦会(土井由憲会長)が主催。かつて北新地の風物詩だった「宝恵籠(ほえかご)行列」にちなみ、同会が2009年に約70年ぶりに復興させた。

 一行は、高張ちょうちんと猿田彦を先頭に北新地を出発。軽快なえびすばやしが響く中、上方落語協会の桂春之輔副会長、北新地社交料飲協会(東司丘興一理事長)の北新地クイーンらを乗せた人力車も加わり、前景気を盛り上げた。

 天満天神えびす祭は11日まで。

1961名無しさん:2015/01/11(日) 13:33:13 ID:KuR2OXzc0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150110/20150110044.html
新年彩る宝恵かご行列 今宮戎神社、本えびす
2015年1月10日 11:32

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」は10日、毎年最高潮の盛り上がりとなる「本えびす」を迎えた。「ほーえかご、ほーえかご」と掛け声が響く中、宝恵かご約20台と地元の商店主ら約500人が、大阪・ミナミの商店街を練り歩き、新年を彩った。

かごには着物姿の福娘や、NHKの連続テレビ小説「マッサン」のヒロインで女優のシャーロット・ケイト・フォックスさんの姿も。手を振ったり、カメラを向けたりする見物客でにぎわった。

 宝恵かご行列は江戸時代のミナミの芸者がかごを出して派手に参拝したのが始まりとされる。

1962名無しさん:2015/01/11(日) 15:30:54 ID:KuR2OXzc0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150111/4449191.html
浮世絵師 月岡雪鼎の作品展
01月11日 12時25分


江戸時代中期に大坂で活躍した美人画で知られる浮世絵師、月岡雪鼎の作品展が大阪歴史博物館で開かれています。
月岡雪鼎は、江戸時代中期に現在の滋賀県日野町で生まれ、大坂で活躍した浮世絵師で、色白で、鼻筋の通った「うりざね顔」の美人像を作り上げ、その作品は今も国内外で高く評価されています。
大阪・中央区の大阪歴史博物館では、雪鼎やその弟子らが描いた作品、約20点が展示されています。
「貴美人図」という作品は、伊勢物語の一場面を題材にしたもので、こまやかな着物の文様やうりざね顔の貴人の姿は、雪鼎の典型的な作風とされています。
縦1メートル70センチ、横3メートルほどの1双のびょうぶ、「唐子遊図」という作品には、つばの広い帽子をかぶり、ラッパを吹いて遊ぶ異国情緒ただよう子どもの姿などがいきいきと描かれています。訪れた人たちは、当時の大坂の画壇に大きな影響を与えた雪鼎とその一門の作品のひとつひとつに見入っていました。
この特別展は、来月16日まで開かれています。

1963名無しさん:2015/01/11(日) 21:31:10 ID:krEnjQgY0
卸売市場から今宮戎神社へ献鯛行列、にぎやかに練り歩く 大阪
http://www.sankei.com/region/news/150110/rgn1501100039-n1.html

「十日戎」が始まった9日、今宮戎神社(大阪市浪速区)にタイを奉納する「献鯛式」が近くの民営市場「大阪木津卸売市場」で行われ、タイや大阪伝統野菜、えびす米などをのせた献鯛行列がにぎやかに街を練り歩いた。

 献鯛式は、市場が開場した江戸時代から続く伝統行事。宵戎に雑喉場(ざこば)魚市場が戎様にゆかりの深いタイを奉献して商売繁盛を祈願したのが始まりとされる。戦争の影響で一時途絶えたが市場の雰囲気を盛り上げようと昭和58年に復活した。

 この日は、福娘の2人が5匹並んだタイの中から重さ11・5キロと7・6キロのタイを選び、飾り鯛のみこしや市場関係者ら約180人の列が出発。「タイじゃ、タイじゃ、えべっさんのタイじゃ」の木津鯛歌とともに神社まで約800メートルを歩き、沿道から「立派なタイ」などと歓声が上がっていた。

1964名無しさん:2015/01/11(日) 21:46:49 ID:krEnjQgY0
浜村淳さんら福餅配り 服部天神宮
2015年1月11日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150111/20150111023.html

 “菅原道真公の足の痛みを治した”とのいい伝えから「足の神様」として知られる豊中市の服部天神宮(加藤芳哉宮司)で豊中えびす祭本戎が行われた。

 “十日戎イコール誕生日のダブル淳”のパーソナリティー・浜村淳さんとフリーアナウンサー・梅田淳さんコンビをはじめ、日本サッカー協会の釜本邦茂顧問やお笑いタレントの青芝フックさんら約20人が『福男』となり、約30分かけて用意された紅白の福餅を手渡しで配った。十日戎の餅まきは関西各地にあるが、子ども連れや女性、年配者らに配慮してゆっくり安全に手渡しするが同宮の特徴。

 冬空ながら風もやんだこの日は、宝恵(ほえ)かごに乗り込んだ宝塚歌劇団の帆純(ほずみ)まひろさんと凛乃(りんの)しづかさんを先頭に、浅利敬一郎豊中市長や地元選出の議員らが参道を掛け声とともに練り歩いて宮入り。午前中から約500人が行列を作って待ち受け、餅を受け取る際も握手や写真撮影などを一緒に行っていた。

 浜村さんは「私はもう20年を超えました。若いタカラジェンヌと毎年ご一緒しますが、音月桂(おとづきけい)さん(元雪組トップ)ら多くのお嬢さんがスターになっており、“えべっさんの福運”はすごいですね」と、終始笑顔で参拝客と触れ合っていた。

1965名無しさん:2015/01/14(水) 04:22:51 ID:LUOqoils0
紙幣や小切手 丁寧に仕分け 今宮戎でさい銭勘定
2015年1月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150113/20150113025.html

 約100万人の人出でにぎわった新春恒例の「十日戎(えびす)」(9〜11日)から一夜明けた12日、大阪市浪速区の今宮戎神社(津江明宏宮司)で3日間に集まったさい銭の勘定が始まった。例年、総額は約4600万円に上り、集計作業は2週間ほどかけて行われる。

早朝の拝殿内では神事が執り行われ、お払いを受けた池田泉州銀行(同市北区)の行員らが机の上に積まれた大量の紙幣、硬貨などを丁寧に仕分けた。

 さい銭の中には、現行紙幣のほか、券面にハトが描かれた旧紙幣の10銭札や、米ドル、人民元、ウォンなどの外国紙幣も。また「2951(福来い)」や「11104(いい年)」といった語呂合わせの額面が印字された小切手も多く見られた。

 同神社によると、3日間の参拝者数は昨年より約10万人多く、100万人に達するのは4年ぶり。さい銭に高額紙幣は比較的少なかったものの、広報担当は「縁起物(の購入)で手応えを求められていたのでは」と話している。

1966名無しさん:2015/01/14(水) 04:25:10 ID:LUOqoils0
満額ゲットや! 文楽入場者10万5千人超え 補助金全部出します
http://www.sankei.com/west/news/150113/wst1501130064-n1.html

国立文楽劇場(大阪市中央区)は13日、平成26年度の同劇場の文楽公演の入場者数が、大阪市から文楽協会への運営補助金の満額支給の条件である10万5千人を超えたと発表した。同協会には市から2900万円が支給される予定。

 同劇場によると、初春文楽公演の入場者数が13日の第1部終了時点で、1万1500人(速報値)となり、今年度の有料入場者数が10万5233人(同)に達した。人間国宝、竹本住大夫さん(90)の引退公演や、積極的なPR活動などで注目が集まったことが要因とみられる。

 大阪市からの補助金については、昨年度と今年度は観客動員数に応じて補助金額が決定するシステムをとっている。昨年度は約3800人及ばず、補助金は約700万円減額された。市は来年度からは、現行の補助制度を打ち切り、代替策として文楽振興を図る新事業などを検討している。

1967名無しさん:2015/01/14(水) 04:40:19 ID:LUOqoils0
大阪城を自衛隊が清掃
01月13日 12時35分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150113/4373731.html

江戸時代に豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年の記念イベントが開かれている大阪城で陸上自衛隊の隊員たちが清掃活動を行っています。
清掃を行っているのは兵庫県伊丹市に駐屯する陸上自衛隊第36普通科連隊の隊員ら600人あまりです。
大阪城では豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年の記念イベントが開かれていて気持ちよく会場を訪れてもらおうと清掃を行うことになりました。
まず近藤力也連隊長が隊員らを前に「400年前の『大坂の陣』で真田幸村が大阪を守るために命を懸けて戦ったことを思いながら清掃に励み、大阪と兵庫、そして日本を守る任務をしっかりと認識して欲しい」と訓示しました。
このあとレンジャー部隊の24人が体にロープをつけて天守閣の近くにある石垣を下り、石の間から生えている木の枝をのこぎりで切り落としていきました。
また城の跡地では落ち葉などを拾い集めました。
大阪城などが会場となる、「大坂の陣」から400年の1連の記念イベントはことし9月まで行われる予定です。
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1968名無しさん:2015/01/14(水) 18:55:41 ID:Mii5n1..0
四天王寺で奇祭「どやどや」−寒中にふんどし姿でお札を奪い合う
あべの経済新聞 2015年01月14日
http://abeno.keizai.biz/headline/1603/

 四天王寺(大阪市天王寺区)で1月14日、ふんどし姿でお札(護符)を奪い合う奇祭「どやどや」が開かれた。

 元日から始まる仏事「修正会」の結願(最終)日に行われる恒例行事で、827年から続いているという同祭。天下太平・五穀豊穣(ほうじょう)を祈願し、法要中に祈とうされた午王宝印という魔よけの護符をふんどし姿の男たちが奪い合う。

 当日は、四天王寺羽曳丘中学・高校、清風中学・高校、清風南海高校の男子学生など約1000人が参加。気温が8度ほどの中、紅白に分かれたふんどし姿で掛け声と共に入場し、六時堂の天井から降る護符を取った数で勝敗を競った。学生らには冷水が浴びせられ、体から湯気が出る様子も見られた。

1969名無しさん:2015/01/15(木) 00:17:15 ID:M0rPacaE0
迫力満点! ふんどし姿で1千人が「どやどや」…大阪・四天王寺で魔よけの札奪い合う 
http://www.sankei.com/west/news/150114/wst1501140066-n1.html

紅白の鉢巻きにしめこみ姿の中高生らが魔よけの札を奪い合う伝統行事「どやどや」が14日、大阪市天王寺区の四天王寺で行われた。

 元日から続く五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る法要「修正会(しゅしょうえ)」の締めくくりで、札をもらおうと民衆が境内に「どやどや」と集まったことが由来とされる。

 参加した約1千人の地元の中高生たちは紅組と白組に分かれ、「わっしょい、わっしょい」と声を張り上げて湯気の立ち上る裸の体を激しくぶつけ合い、次々と舞い落ちる札を取ろうと手を伸ばしていた。

1970名無しさん:2015/01/15(木) 00:21:08 ID:M0rPacaE0
【浪速風】
文楽の目標達成は住大夫さんの置き土産(1月14日)
http://www.sankei.com/west/news/150114/wst1501140028-n1.html

1000万人と10万人。ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)と国立文楽劇場の平成26年度の入場者数がそれぞれ大台を突破した。2桁違うが、後者の方が重い。大阪市が運営補助金のボーダーラインとしていた10万5000人を達成したからだ。これで2900万円が満額支給される。

 ▼当代随一の浄瑠璃語りと呼ばれた人間国宝の竹本住大夫さんの昨年4月の引退公演が約3万人の大入りになった。秋には文化勲章を受章した。マスコミに取り上げられることも多く、軽妙洒脱(しゃだつ)に芸一筋の人生を語って文楽への関心を高めた。今風に言えば優良コンテンツだった。

 ▼来年度から補助金が廃止される。住大夫さんが引き寄せた初めての観客をどうリピーターにするかが課題だ。谷崎潤一郎は文楽を「真の郷土芸術」と書いた。「(大阪人は文楽に)自分たちの環境や生活感情に近いもののあるのを覚え、いいしれぬなつかしさを感じるのであろう」。ならば期待できる。

1971名無しさん:2015/01/25(日) 09:49:00 ID:4120W8ow0
運引き寄せろ「ヨーイヨイ」 難波八阪神社「綱引神事」
2015年1月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150119/20150119018.html

 大阪市指定無形民俗文化財「綱引(つなひき)神事」が18日、同市浪速区の難波八阪神社(粟辻勲宮司)で盛大に執り行われた。氏子衆が八岐大蛇(やまたのおろち)に見立てた大綱で豪快に綱引きを繰り広げ、新年の開運を祈願した。

同神社の祭神で、オロチ退治の故事で知られるスサノオノミコトの遺徳を仰ぎ、年頭に地域繁栄を祈願する伝統行事。

 同神事保存会(竹立威三雄会長)の氏子衆が早朝から参集し、108本の細縄を幾重にもより合わせてオロチの大綱(全長約22メートル、太さ約30センチ)を制作。完成後に約80人の奉仕者が二手に分かれて綱引きを繰り広げ、「難波の綱引きヨーイヨイ」の掛け声を響かせてにぎやかに氏地を練り歩いた。

 会長の竹立さん(84)は若い奉仕者に大綱作りの要領を熱心に伝授。「後世に伝承することがわれわれの重要な務め。奉仕者が一致団結し、毎年大綱の出来栄えが立派になっていることをうれしく思う」と話していた。

 同神事は2001年度に大阪市指定として第1号の無形民俗文化財となった。

1972名無しさん:2015/01/25(日) 13:33:29 ID:TDn4gTi60
“うそ鳥”に招福託す 大阪天満宮で「うそ替神事」
2015年1月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150125/20150125026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で24日、祭神・菅原道真公の今年最初の縁日「初天神」宵宮祭が盛大に執り行われた。快晴の下、参拝者約1200人が伝統行事「うそ替(かえ)神事」に参加するなど境内は終日にぎわった。

同神事は、平素のうそを道真公の愛鳥「うそ鳥」に託し、罪をほろぼして招福を祈願する初天神恒例の行事。「正直の神」としての天神信仰から生まれたとされる。

 本社前では参拝者同士が、事前に配られたうそ鳥のお守り入り封筒を交換。神職やみこも加わり、「うそを誠に替えましょう」「替えましょう」と声を掛け合いながら、約20分にわたり延々と交換し続けた。

 封筒の中には金、銀、木製などのお守りが当たる印があり、このうち1個しかない「金うそ」を授与されたのは奈良県の中学3年、永井智大君(15)。高校受験の合格祈願で初めて訪れ「御利益がありそう。とても自信が付いた」と笑顔で話していた。

 25日は初天神梅花祭。うそ替神事は午後1時から。福餅(福玉)まきは午前11時、午後4時の2回行われる。参加無料。

1973名無しさん:2015/01/26(月) 21:10:39 ID:IADD6q460
大阪天満宮で初天神梅花祭 飛び交う“福”つかむ
2015年1月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150126/20150126024.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、今年初めての縁日「初天神梅花祭」が執り行われ、境内で著名人やプロ野球選手、氏子総代らによる恒例の「福玉まき」でにぎわった。

祭神である菅原道真の縁日(25日)にちなんだ神事。午前はプロ野球、阪神タイガースOBで野球評論家の赤星憲広さんら50人が社殿から餅に見立てた白球をまき、境内をぎっしりと埋めた参拝者からは「当たった!」「赤星さーん!」などと歓声が上がった。つかんだボールは福餅や景品と交換できるとあって、“福”をつかもうと懸命に手を伸ばしていた。

 台湾から観光に訪れたという黄※玲さん(29)は福玉を見事にキャッチ。「インターネットで調べて来た。今年一年幸せになりそう」と喜んでいた。

 午後からは阪神の岩崎優選手らによる福玉まきや「うそ替(かえ)神事」、本殿通り抜け参拝などが順次行われ、受験生ら多くの参拝者であふれた。

 ※は王ヘンに宛

1974名無しさん:2015/01/28(水) 00:15:15 ID:Rd7Ymqbs0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150127/4861721.html
江戸時代の天文学展
01月27日 07時06分

江戸時代に急速に発展したとされる天文学にまつわる当時の資料を集めた展示会が、大阪で開かれています。
江戸時代は外国の進んだ天文学の知識が浸透し、日本の天文学も急速に発展したとされ、大阪・北区の大阪市立科学館には、当時の資料38点が集められています。
このうち、天体の姿を絵と文章で解説した1749年の「三際図説」という書物は、望遠鏡を使った天体スケッチとしては国内で最古とされています。
土星や金星が描かれていますが、望遠鏡の性能が悪かったため、土星の周りには輪ではなく羽根のような形が描かれ、添えられた文章は「星に耳がついているようだ」と表現しています。
また、日本に持ち込まれたフランスの書物と、大阪出身の天文学者、高橋至時が手がけた翻訳本も紹介されています。
大阪市立科学館の嘉数次人主任学芸員は、「江戸時代の人たちが星をどう見ていたのか、多くの人に感じ取ってもらいたい」と話していました。
この展示会は3月1日まで開かれています。
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1975名無しさん:2015/02/01(日) 09:46:20 ID:Ds2Ry.e60
江戸時代の測量道具を展示
01月31日 12時24分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150131/3528681.html

測量技術が発展したとされる江戸時代の測量の道具を紹介する特別展が、大阪市の大阪歴史博物館で開かれています。
特別展は、大阪・中央区の大阪歴史博物館で開かれ、江戸時代の測量の道具約10点が展示されています。このうち、L字の形をした曲尺とコンパスは、角度や長さなどを測るもので、城下町の水路や建屋の設計などに使われたとされています。
江戸時代後期の天秤は、入れ物に、「極印」という、幕府が認めたことを意味する印が押されていて、幕府が、はかりの基準を全国で統一するため、検定を行っていたことを示しています。
大阪歴史博物館の木土博成学芸員は、「はかるための様々な道具から当時の人たちの生活と測量のつながりを感じ取ってもらいたい」と話していました。
この特別展は、3月23日まで開かれています。

1976名無しさん:2015/02/01(日) 09:58:52 ID:Ds2Ry.e60
5世紀巨大古墳に蓋形木製品 堺、埋葬や祭祀用か
2015年1月30日 20:38
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150130/20150130110.html

 反正天皇の墓との説がある堺市北区の陵墓参考地「ニサンザイ古墳」(5世紀後半、全長約300メートル)の周濠から、蓋(きぬがさ)形木製品の飾り部分が見つかり、堺市文化財課が30日、発表した。

蓋は身分の高い人物にかざす傘。蓋形木製品の傘部分は応神天皇の墓とされる誉田御廟山古墳(大阪府羽曳野市)などで見つかっているが、飾り部分が見つかるのは珍しい。埋葬や祭祀で使ったとみられ、文化財課は「巨大古墳が造られた当初の様子を探る重要な史料」と話している。

 飾り部分は長さ79センチ、幅14センチ、厚さ1センチで切り込みや透かしもあった。

1977名無しさん:2015/02/01(日) 10:25:07 ID:Ds2Ry.e60
文楽の入場者数が過去3番目
02月01日 07時45分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150201/5086901.html

大阪の「国立文楽劇場」で今年度、上演された人形浄瑠璃「文楽」の入場者数が、30年前の開場以来、3番目に多くなり、1回の公演あたりではこれまでで最も多くなったことが分かりました。
大阪・中央区の「国立文楽劇場」によりますと、今年度行われた文楽の公演の有料入場者数はあわせておよそ11万7000人で、30年前の昭和59年に開場して以来、3番目に多く、1回の公演あたりではおよそ550人と最も多くなりました。
国立文楽劇場は、去年4月に、人間国宝の語り手、竹本住大夫さんの引退公演が行われたほか、夏休みの時期には子ども連れの人たちが楽しめるよう、分かりやすい演目を取り入れた公演を行ったことなどが影響したとみています。
文楽をめぐっては、大阪市が昨年度から、補助金の一部を入場者数に応じて支給することにしましたが、今年度は好調だったため、満額が支給されることになっています。国立文楽劇場は、今後も工夫を凝らした公演を行い、多くの人に楽しんでもらいたいとしています。
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1978名無しさん:2015/02/01(日) 13:33:51 ID:30MrQk1A0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150201/5093721.html
飛鳥時代の荷札か 木簡発見
02月01日 12時51分

大阪の中心部にある「難波宮跡」の近くで、飛鳥時代に荷札として使われたとみられる木の札、木簡が見つかりました。
当時の税の仕組みを物語る資料として注目されています。
大阪文化財研究所が去年6月、「難波宮跡」から南に70メートルほどの場所で発掘調査を行ったところ、▼長さ15センチ余り▼幅3センチ余りの木の札、木簡が見つかりました。
表には墨で「玉作五十戸俵」と漢字で書かれています。
専門家が分析したところ、「五十戸」という部分は、7世紀中頃の飛鳥時代の行政単位を示していて、また、「玉作」という地名は、今の四国や東北地方にあったということです。
このため、この木簡は、地方から都にコメを税として送った際の荷札の可能性が高いということです。
同じような書き方をした木簡は、奈良県の飛鳥地方や藤原宮跡を中心に60点ほど見つかっていますが、難波宮跡の近くで見つかったのは初めてです。
古代史に詳しい大阪歴史博物館の栄原永遠男館長は「難波宮に都が置かれていた時期も、税の制度が機能していたことを物語る貴重な資料だ」と話しています。
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1979名無しさん:2015/02/01(日) 14:05:29 ID:30MrQk1A0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150127/20150127025.html
貴重な文化財後世に 四天王寺で消防総合訓練
2015年1月27日

 「文化財防火デー」の26日、大阪市消防局(打明茂樹局長)は、同市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で消防総合訓練を行った。消防職員をはじめ同寺僧侶、職員など約70人が参加。「貴重な文化財を後世に」の思いを新たに、防火意識と消防技術の向上に努めた。

文化財防火デーは1949年1月26日、奈良・法隆寺の金堂壁画焼損を契機とし、55年に国が定めた。

 訓練は境内中心伽藍(がらん)・五重塔の火災を想定。同寺の自衛消防隊が迅速に参詣者の避難誘導や文化財に見立てた収蔵品搬出などを行った。また同局の消防部隊が模擬負傷者を救助、搬送したほか、はしご車などで一斉放水した。

 同寺は建物など大小100点を超える文化財を保有。あいさつした瀧藤尊淳執事長は「文化財は先人が苦労して残した人類の宝であり、後世に引き継ぐことが今を生きるわれわれの使命。寺院と防災機関、地域の方々が協力し、防火防災に取り組んでいきたい」と決意を述べた。

1980名無しさん:2015/02/01(日) 14:07:49 ID:30MrQk1A0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150129/20150129026.html
歴史的資料 守れ! 服部天神宮で消防訓練
2015年1月29日

 文化財防火デー(26日)にちなみ、足の神様として知られる大阪府豊中市服部元町1丁目の服部天神宮で豊中南消防署による消防訓練があった。職員らが市指定文化財である「算額」の持ち出しや初期消火などに取り組んだ。

境内の駐輪場から出火したとの想定で訓練がスタート。煙を目撃した職員が「火事だ」と別の職員に伝え、算額に見立てた箱の持ち出しや消火器による初期消火をした。その後同タンク車1台とポンプ車1台が到着し、消火活動に当たった。

 参加した同神社職員の福岡宣幸さん(44)は「算額以外にも多くの歴史的資料を所蔵しているので、訓練を重ねて火災に備えたい」と話した。

 算額は、江戸後期と明治初期に奉納された代数や微積分の問題と解法を記したもので、近世の庶民文化を伝える文化財。

 市内では、26日までに社寺13カ所で消防訓練を実施した。

1981名無しさん:2015/02/08(日) 04:39:22 ID:0BThCWB20
大阪キタで若手が文楽公演 民放5局が初めて共催
2015年2月6日 20:43
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150206/20150206131.html

 人形浄瑠璃文楽の魅力を広くPRする文楽公演「うめだ文楽」が6日、JR大阪駅北側のグランフロント大阪内の劇場「ナレッジシアター」で始まった。

 在阪の民放テレビ局5局が初めて手を組んで主催する若手中心の公演。繁華街・キタでの上演とあって客席には若者の姿も目立ち、大阪が育んだ伝統芸能に熱心に見入った。

 演目は、目の不自由な夫と献身的に支える妻が互いを思い合う姿を描く世話物「壺坂観音霊験記」の沢市内より山の段。人形遣いの吉田幸助さん(48)、太夫の豊竹希大夫さん(36)ら、20〜40代の技芸員が出演するのが特徴だ。

1982名無しさん:2015/02/08(日) 20:04:48 ID:nAIkI8dE0
大阪キタでなく大阪梅田と書けよ。

1983名無しさん:2015/02/08(日) 20:06:47 ID:nAIkI8dE0
うめだではなく梅田。ひらがな嫌い。

1984名無しさん:2015/02/09(月) 00:02:41 ID:4pA.d1f.0
春を呼び、福授かる 堂島薬師堂節分お水汲み
2015年2月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150204/20150204028.html

 節分の日の3日、大阪市北区の堂島薬師堂周辺で、早春の風物詩「堂島薬師堂節分お水汲み祭り」があり、鬼追いや龍の巡行が盛大に繰り広げられた。参拝客は1年の厄を払い、福を授かった。

 「お水汲み」では、参拝者一人一人の竹筒護符に、奈良薬師寺の僧侶が祈祷(きとう)したお香水をくみ清めた。僧侶や鬼、福男らでつくる鬼追い隊は、堂島北新地の飲食店や企業を回り、従業員や客が鬼に福豆を投げて厄を払った。

 堂島薬師堂内に祭られている弁財天の化身とされる龍の巡行では、鬼追い隊、お化けに仮装した北新地の女性が参加。夜の通りを舞いながら清めると興奮は最高潮に達し、一帯は歓声と笑顔に包まれた。

 同祭りは地元で長年続いた「節分祭」と薬師堂の「お水汲み祭り」の両行事を統合し、ことしで12回目。

1985名無しさん:2015/02/09(月) 00:03:41 ID:4pA.d1f.0
大阪天満宮で針供養
02月08日 12時26分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150208/4796421.html

使い古した針を柔らかいこんにゃくに刺して、これまでの労をねぎらう針供養が、大阪天満宮でおこなわれました。
大阪・北区の大阪天満宮では、大阪の裁縫業者や和裁教室などでつくる組合が、毎年2月8日に針供養をおこなっています。奈良時代、中国の唐から裁縫技術を日本に持ち帰ったとされる吉備真備を祭ったほこらの前に、組合の関係者など約20人が集まり、針に感謝する神事がおこなわれました。
このあと、使い古したり、曲がったりした針を持ち寄った人たちが、たて20センチ、横50センチの大きなこんにゃくに次々と針を刺しました。硬い布などに通し続けた針を、柔らかいこんにゃくに刺すことによって、これまでの労をねぎらうとともに、裁縫技術の上達を願おうと、境内では1000人近くが列を作っていました。
奈良県から訪れた和裁の仕事をしているという女性は、「『1年間おつかれさまでした』という思いを込めて針をこんにゃくに刺してきました」と話していました。

1986名無しさん:2015/02/14(土) 21:31:29 ID:Q5CqhPm.0
神戸の国宝銅鐸、鋳型と一致 大阪・東奈良遺跡で製作か
2015年2月11日 19:47
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150211/20150211079.html

 1964年に神戸市で見つかった「桜ケ丘12号銅鐸」(弥生時代中期、国宝)と、大阪府茨木市の東奈良遺跡で出土した「第1号流水文銅鐸鋳型」(重要文化財)の大きさや形状がほぼ一致することが11日、銅鐸を所蔵する神戸市立博物館への取材で分かった。

博物館の橋詰清孝学芸員によると、12号銅鐸のレプリカを製作、東奈良遺跡の鋳型のレプリカにはめ込むと一致した。青銅器製作の一大拠点とされる東奈良遺跡で作られた可能性があり、銅鐸の流通を解明する手掛かりとして注目されそうだ。

 12号鐸は高さ31センチ、重さ約2・6キロ。鋳型に彫られた銅鐸の型はほぼ同じ。

1987名無しさん:2015/02/15(日) 10:34:49 ID:5aYTlbQo0
高山右近と妻 生誕地に石像
2015年02月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150214-OYTNT50019.html

◇没後400年 豊能町民ら5月建立

 戦国時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615年)の没後400年を記念して、生誕地の豊能町の住民らが、5月に右近と妻・ユスタの石像を建立する計画を進めている。町ではほかにも、右近の足跡をたどる史跡巡りなど様々なイベントの開催が予定されており、町民らは「町おこしにつなげたい」と張り切っている。(神谷次郎)

 右近は、同町高山地区の生まれで、父の影響で少年期に洗礼を受け、織田信長や豊臣秀吉に仕えた。高槻や明石(兵庫)の領主となり、黒田官兵衛ら多くの大名をキリスト教に導くなどしたが、1587年の「バテレン追放令」で領地を没収され、1614年にマニラに追放され、翌年、現地で亡くなった。信仰を貫いた殉教者として、日本カトリック司教協議会は、ローマ法王庁に右近をカトリックで「聖人」に次ぐ「福者」に認定するよう申請しており、年内にも認められる公算が大きいという。

 石像の建立は、ユスタも同町出身であることから、自治会や町観光ボランティアガイドの会などが「2人の生誕地に目に見える証しを残したい。ここだけにしかないものを」と昨年4月に実行委員会を発足させて、取り組みを進めてきた。

 現在、等身大のものを地元の御影石を使って制作中で、廃校となった高山小跡地に建て、5月に除幕式を行う。費用は約500万円で、実行委が住民や企業などから寄付を集めている。

 町内ではこのほか、10月に右近に関する講座やクイズ大会のほか、右近が茶人としても名高いことから茶会も開催する予定。右近やユスタ役を公募し、仮装行列を行う計画もある。

 一方、町は昨年11月に、右近の生涯や魅力を伝えるシンポジウムを開催。町観光協会も、没後400年をPRするのぼり約300本を町内に立てて、ムードを盛り上げている。

 実行委の甲田廣行会長(79)は「右近がこの地に生まれたことを知ってもらい、多くの人が町を訪れ、活性化につながればうれしい」と話している。

◆バチカン大使ら石碑の前で祈り

 町には今月4日、ジョセフ・チェノットゥ駐日バチカン大使のほか、日本国内のカトリックの大司教ら約10人が訪問した。

 前日に神戸市で開催された没後400年を記念したミサに参加した有志らが「ぜひ右近の生誕地を見てみたい」と希望したためで、田中龍一町長が「みなさまと歩調を合わせて顕彰事業を進めたい」とあいさつ。一行は右近の生誕地にある石碑の前で、祈りをささげた。

2015年02月14日

1988名無しさん:2015/02/15(日) 15:43:52 ID:5aYTlbQo0
僧侶転読に息災祈る 四天王寺で「初庚申」
2015年2月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150213/20150213031.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)の庚申(こうしん)堂で12日、市指定無形民俗文化財の伝統行事「庚申まいり」のうち今年最初の「初庚申」が始まった。朝から多くの参詣者が荘厳な堂内で無病息災などを祈願している。

えとの組み合わせで約60日ごとに巡る「庚(かのえ)」「申(さる)」の日にちなむ信仰行事。四天王寺南大門から南約200メートルに位置する庚申堂は日本の庚申信仰の発祥地と伝わり、本尊に除災無病の霊験あらたかと伝わる青面(しょうめん)金剛童子を祭っている。

 この日は、同寺僧侶が全600巻の大般若経を順次頭上に広げて速読する「大般若転読祈祷(きとう)会」が執り行われた。転読で起こる風が災いを退けて福を招くとされることから、参詣者は真剣な面持ちで手を合わせ僧侶の所作を見守った。

 毎年夫婦で訪れている女性(69)=堺市北区=は「健康と安全を祈願した。元気なうちは通い続けたい」と話していた。

 13日の本庚申は午後2時から「柴燈(さいとう)大護摩供」が執り行われる。

1989名無しさん:2015/02/15(日) 17:25:31 ID:5aYTlbQo0
優雅な花姿に感嘆 大阪天満宮「盆梅と盆石展」
2015年2月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150214/20150214036.html

 大阪市北区の大阪天満宮で13日、てんま天神梅まつりが始まった。境内の参集殿では梅の高齢樹など約50点を集めた「盆梅と盆石展」が開かれ、趣ある枝や花姿が拝観者の目を楽しませている。3月15日まで。

祭神の菅原道真公が梅をめでたことにちなんで毎年開かれ、書院造り百畳敷きの会場には樹齢約300年の大和野梅や同80〜100年の八重野梅がずらり。小輪が古木の枝先を優雅に彩る姿に、人々からは「すごい」「きれい」の声が上がった。

 日本一の梅林で知られる和歌山県みなべ町で出土した「瓜渓石(うりだにいし)」の盆石も展示され、注目を集めている。

1990名無しさん:2015/02/19(木) 04:23:51 ID:.Ep5OaHg0
「大阪相撲れきはく場所」展
02月18日 15時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150218/4854451.html

大阪で古くから行われている相撲の歴史を知ってもらおうと、江戸時代から昭和にかけての力士の絵や番付表などを集めた展示会が、大阪・中央区の大阪歴史博物館で18日から始まりました。
この展示会は、3月8日から大阪で大相撲春場所が行われるのにあわせて開かれ、江戸時代から昭和にかけての大阪の相撲にまつわる資料などおよそ60点が集められています。
大阪では江戸時代から相撲の興行が行われ、「古今相撲大全」という江戸時代の書物には、当時の大阪の力士が腕を大きく振って歩く姿が描かれています。
また、昭和の初めに69連勝を果たした横綱、双葉山の土俵入りを見ようと大阪の国技館に大勢の人が詰めかけた様子を収めた写真や、大阪の銭湯の屋根に飾られていた双葉山をイメージした形の鬼瓦などが展示され、当時の相撲人気を伺うことができます。
大阪歴史博物館の飯田直樹学芸員は「春場所にあわせて、大阪の相撲の歴史を感じ取ってもらいたい」と話しています。
この展示会は、3月30日まで開かれています。
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1991名無しさん:2015/02/24(火) 20:56:31 ID:aTcDP6ZU0
「上方落語若手噺家グランプリ」を開催へ
2015年2月24日
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01502240036.html
 上方落語協会会長の桂文枝(71)が24日、大阪市北区の定席寄席小屋、天満天神繁昌亭で、今春に協会所属落語家のトーナメント「上方落語 若手噺家 グランプリ」を開くと発表した。今年から10年連続開催を目指す。

 会長職に就き、悲願の上方定席(繁昌亭)を開き、自らは師匠の名跡を襲名。文枝にとって、次の悲願は後進の育成だった。

 「先日も(ラッスンゴレライでブレークした)8.6秒バズーカーと共演しましたが、類い稀な才能があり、どうも最近は若い人の才能があちら(漫才、コント)へ流れている」と危惧。未来の落語スターを発掘しようと思案してきた。

 そんなおり、上方芸能の支援を目的としたアーツサポート関西へ、500万円の寄付金が届いた。文枝が三枝時代から親交のあるアートコーポレーションが若手落語家育成を支援しようとしたもので、これを機に、今グランプリの創設が決まった。

 すでに入門6年目〜15年目までの協会所属落語家に希望を募り、31人の参戦を決定。4月7、14、16、22日に繁昌亭で予選を行い、6月に本選を行う。本戦の審査員には在阪テレビ各局のプロデューサー、ディレクターらが入り、大賞(賞金20万円)1人、奨励賞(同5万円)1人を選出する。

 文枝は入門1年足らずだった67年、MBSラジオ「ヤングタウン」に抜てき。駆け出しながら頭角を現し、タレント活動のかたわら、240本を超える創作ネタを生み出すなど、今なお第一線で走り続ける。

 「今の若い人にもチャンスを作ってあげたい」と言い、審査員にはテレビ局関係者を選んだ。タレントの原石を発見し、レギュラーに採用してもらいたい考えもある。

 「私たちのときのように、落語家にもまずはチャンスが与えられるようになれば。おもしろいと思ったらリポーターでも使ってもらいたい。ただし、その後の未来は本人の努力次第」と話す。

 協会内に賞レースを設けて活性化をはかるとともに、自らが歩んできたように、ワンチャンスを確実に物にし、スターへの道を駆け上がる形を作るねらいもある。

 また、6月に予定される本選について「今年は放送はないですけども、来年はM-1やR-1のようにテレビや、ラジオでも中継、もしくは深夜でもいいので、そういった形を思い描いています」とし、将来的にはテレビ、ラジオでの本選中継も望んでいる

1992名無しさん:2015/02/28(土) 20:05:28 ID:7pzVWyhk0
大阪大空襲画集、3月に出版…元看板職人の男性
2015年02月28日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150228-OYO1T50008.html?from=oycont_top_txt

火の粉が飛び交う中、逃げ惑う人々の姿、忘れることのできない恐怖――。大阪市平野区の元看板職人、矢野博さん(77)が自宅を失った第1次(1945年3月13〜14日)の大阪大空襲の様子や、戦時中の生活を描いた画集をちょうど70年がたつ来月13日に出版する。「今でも夜、飛行機の音を耳にすると炎の中を走り回った日を思い出す。7歳の目で見た体験を残しておきたい」と4年がかりで鮮明な漫画風の絵に仕上げた。

 「あの日、あの時 国民学校一年生の記憶」と題した画集はB5判126ページ。空襲での体験を中心に「変わってしまった学校生活」などをテーマに描いた。

 矢野さんは大阪・日本橋近くで3人兄弟の末っ子として育った。45年3月13日、当時は国民学校1年生。父と長兄は徴用で留守の深夜、空襲警報が鳴り、母と次兄と3人で近所の防空壕(ごう)に走り込んだ。

 米軍の爆撃機B29が落とした焼夷(しょうい)弾の音が壕内に響き、やがて煙が入ってきた。外に出ると周囲は火の海。3人で300メートル北東にあった百貨店を目指したが、炎に行く手を遮られた。

 どこを走ったかわからず、浪速区の鉄道の高架下でひと息つき、自宅から直線で2キロほどだった天王寺区の親戚宅に着いたのは、14日の夜明け前だった。

 絵には必死の形相で逃げる子供たち、おぶわれたお年寄り、リヤカーに乗せられた病人らが描かれ、<焼夷弾は雨のように降り注ぎ、一面炎が舞っていた。ただただ走るしかなかった><みんなパニックで目は恐怖で見開き、何処(どこ)へ行けばいいのかわからず右往左往する人が大勢いた>などと記した。家族は無事だったが、自宅は全焼、街は一晩で消えた。

 終戦の5年後、母をがんで亡くした。生活の苦しさやさみしさを埋めてくれたのは貸本屋で借りた手塚治虫の漫画。自分も漫画を描くようになり、中学卒業後には映画の看板の絵などを手がける職人に。59年に大阪で看板業者として独立、2005年まで営んだ。

 空襲の様子を取り上げるようになったのは5年前。「絵に残せばいつか孫娘が見てくれるだろう」との思いからだった。「戦争当時の写真はどんよりした白黒ばかりだが、カラーの絵にすることで、『こんな出来事があったんだ』と現実のこととして、子どもたちにもわかってもらえるはず」と水彩絵の具と色鉛筆で描き込んだ。

 出版にあたって疎開先や学校のことなど詳細を確かめようと母校にも協力を求めてきた。「画集は母校の小中学校にも寄贈したい。空襲を伝えられる最後の世代の一人として、出来るだけのことをしておきたい」と話す。

 問い合わせは新風書房(06・6768・4600)へ。

大阪大空襲 1944年12月〜45年8月、大阪は約50回にわたって米軍機の攻撃を受けた。このうちB29爆撃機100機以上が来襲した8回を「大阪大空襲」と呼ぶ。大阪国際平和センター(大阪市)によると、第1次の被害が最も大きく、274機が1733トンの焼夷弾を投下。死者は約4000人、被災家屋は13万6000戸とされる。

2015年02月28日

1993名無しさん:2015/03/07(土) 23:48:21 ID:n9PF6uAY0
アカペラバトルフェス 四天王寺で過去最大規模
2015年3月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150305/20150305027.html

 「アカペラバトルフェスティバル」(実行委員会主催)が14日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で開かれる。1次選考を勝ち抜いた24組が、歴史ある寺院建築を背景に歌声を披露する。午後1時から。観覧無料。小雨決行。

周辺の阿倍野、天王寺エリアは2013年以降、鉄道会社や不動産会社が「アカペラタウン化計画」を展開。街中でコンサートを開き、学生や一般のグループの活動を後押ししている。

 フェスティバルは14年度の最終イベントとして、仁王門前に特設ステージを備えて過去最大規模で開催。上位2組は活動応援資金と、5月の「関西アカペラジャンボリー」への出場権が与えられる。

 歌手の相川七瀬さんをはじめ、関西を拠点に活動するアカペラグループもゲスト出演し、スペシャル共演も披露する。

 問い合わせは電話078(242)8617、実行委員会事務局。

1994名無しさん:2015/03/18(水) 20:18:17 ID:2WhEeRCw0
古墳や埴輪 手にとる歴史
2015年03月17日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150316-OYTNT50442.html

◇3Dプリンターで教材

 ◇藤井寺市 小学生向け 点字図書館にも

 「百舌鳥(もず)・古市古墳群」に関連する古墳や埴輪(はにわ)などの模型を、藤井寺市が3Dプリンターで作製した。同市立小で教材に使うほか、視覚障害者のために府内の点字図書館にも寄贈する予定だ。

古墳群は堺、羽曳野、藤井寺3市にまたがり、府と3市が共同で世界文化遺産登録を目指している。

 藤井寺市では、2011年度から市立小6年の授業で、独自の教材「ふじいでらの世界遺産学習ノート 百舌鳥・古市古墳群」を使っている。

 視覚障害のある児童が新年度から6年生になるため、教材の点訳に協力している市内のボランティア団体から、「3Dプリンターで教材を作ってみては」との意見が出た。市が協力を呼びかけると昨年10月、市内の団体からプリンターが寄贈された。

 樹脂製の模型は、大きさが5〜10センチ程度。津堂城山古墳から出土した水鳥形埴輪(重要文化財)や重量物の運搬に使う木製のそり「修羅」など市に関連する模型のほか、鏡や前方後円墳など全部で23種類を用意した。

 市は、市や府立近つ飛鳥博物館が所有する埴輪のレプリカを専用の機器でデータ化。古墳の測量データなどを用いたり、インターネット上で無料公開されているデータを参考にしたりして作った。

 市世界遺産登録推進室の山田幸弘室長は「触れることができない発掘史料も多いなか、模型を手にとって具体的にイメージし、地域の歴史に理解を深めてほしい」と話している。

2015年03月17日

1995名無しさん:2015/03/18(水) 21:17:22 ID:2WhEeRCw0
文楽の移動舞台をお披露目 六本木での公演を前に
2015年3月18日 18:40
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150318/20150318106.html

 人形浄瑠璃文楽を気軽に体験してもらおうと、日本財団が新調した移動舞台が完成し、東京都港区の六本木ヒルズの屋外広場で18日、お披露目された。「にっぽん文楽」と題した公演を同地で19日から4日間開き、今秋には大阪、来年以降は年2回のペースで各地を巡る。

都心に出現したヒノキの舞台は幅約20メートル、高さ約7メートル。開放的な雰囲気の中、舞台開きに続いて招待客向けの公演があり、関係者らが大阪発祥の伝統芸能を楽しんだ。

 六本木ヒルズの「にっぽん文楽」ではお祝いの時の演目「二人三番叟」などを上演(雨天中止)。チケットは2千円(自由席)で、飲食しながら観劇できる。

1996名無しさん:2015/03/18(水) 22:24:11 ID:2WhEeRCw0
豊作と繁栄を願って 伝統儀式の「祈年祭」
2015年3月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150318/20150318031.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で17日、今年の五穀豊穣(ほうじょう)と産業の繁栄を祈る伝統儀式「祈年祭(きねんさい)」が執り行われた。快晴の空の下、境内南側に広がる御田(おんだ)でコメ作りに奉仕する御田講など多くの参列者が神前で豊作を祈願した。

同祭は「としごいのみまつり」とも称され、最も重要な大祭として斎行される。第一本宮では、祝詞奏上に続いて住吉大社の神楽女が神楽を奉納。文楽人形遣いの桐竹勘十郎さんらも参列し、人形とともに玉串をささげたほか、祝儀の曲として知られる「寿式三番叟(さんばそう)」を奉納。3人で操る人形の繊細な所作が披露されると、参列者や一般の参拝者から大きな拍手が送られた。

 御田講で講元を務める山本英夫さん(88)は「昨年は豊作だったので、今年も皆さんの協力を得て例年以上の実りに期待したい」と胸を張った。

 この日は祈年祭に先立ち、境内・種貸(たねかし)社で種をお払いする「神種頒賜祭(かんざねはんしさい)」が厳かに執り行われた。

1997名無しさん:2015/03/18(水) 22:28:35 ID:2WhEeRCw0
四天王寺で春季彼岸会 18日から24日まで
2015年3月17日

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で18〜24日に春の彼岸「春季彼岸会(え)」が執り行われる。諸堂で先祖供養の法要が行われるほか、広い境内に骨董(こっとう)品や飲食など多彩な露店が軒を連ね、例年多くの参詣者でにぎわう。

中日の21日(春分の日)は、午後5時25分から伝統行事「日想観」を厳修。夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環で、かつて弘法大師もこの地で修行したと伝わる。春、秋の彼岸の中日にのみ、境内真西の「石鳥居(いしのとりい)」中央に夕日が沈みゆく中、同寺僧侶の読経がなされる。

 問い合わせは電話06(6771)0066。

1998名無しさん:2015/03/19(木) 20:52:06 ID:F4UIz15U0
暖かな日 先祖に手 四天王寺「経木流し」
2015年3月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150319/20150319038.html

 彼岸の入りの18日、大阪府内各地で軒並み今年最高の気温を観測した。大阪市は4月下旬並みの21・4度まで上がり、市内の霊園や寺院は朝から多くの人々が訪れ、ぽかぽか陽気の中で先祖に手を合わせた。

天王寺区の和宗総本山四天王寺では春季彼岸会が始まった。参詣者は先祖の戒名を記した経木を清水に流す「経木流し」に列をなし、極楽往生を祈念。地元の女性(71)は「『暑さ寒さも彼岸まで』の通り、暖かな日に供養できました」と話した。

 彼岸の中日の21日には落日に極楽浄土を思う「日想観法要」を厳修。同寺は24日までの期間中に約15万人の人出を見込んでいる。

1999名無しさん:2015/03/19(木) 23:26:56 ID:YzRv3Sa20
訃報:桂米朝さん89歳=上方落語復興の立役者 人間国宝
毎日新聞 2015年03月19日 
http://mainichi.jp/gougai/news/20150319urgitr090001000c.html
 戦後の上方落語復興の立役者で、落語家として初めて文化勲章を受章した人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名・中川清=なかがわ・きよし)さんが19日午後7時41分、肺炎のため亡くなった。89歳だった。合同葬儀は25日午前11時、大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館。喪主は長男で落語家の桂米団治(中川明=あきら)さん。

 1925年、中国・大連生まれ。大東文化大在学中に落語評論家の故正岡容(いるる)氏に入門した。だが、演じ手が少なくなり、存亡の機にあった上方落語界の現状を見て、評論家としての道には進まず、自ら演じ手になろうと決意。47年、四代目桂米団治に入門した。

 古典を現代にマッチさせるため、細部に工夫を凝らした“米朝落語”は「わかりやすい」と定評があり、幅広い層の人気を集めた。一代で大きくした米朝の名で生涯を通した。

2000名無しさん:2015/03/19(木) 23:33:09 ID:YzRv3Sa20
桂米朝さん死去 上方落語界の重鎮 89歳
時計2015/3/19 22:57
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835871.shtml
 上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう=本名・中川清)さんが19日午後7時41分、肺炎のため、死去した。89歳。旧満州(現中国東北部)生まれ。自宅は尼崎市武庫之荘5の9の14。通夜は24日午後6時から、合同葬は25日午前11時から、いずれも吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館で。

 米朝さんは1925(大正14)年、旧満州で生まれ、父親の実家がある姫路市で育った。旧制姫路中学(現姫路西高校)卒業後、大東文化学院(現大東文化大学)に入学、在学中から寄席や演芸の研究に取り組んだ。復員後の47(昭和22)年、4代目桂米団治に入門し、3代目米朝を襲名した。

 入門後間もなく「高津の富」で初高座。精力的に寄席や落語会を開き、戦後、消滅寸前だった上方落語の復興に中心的な役割を果たした。故笑福亭松鶴(6代目)、故桂文枝(5代目)、桂春団治(3代目)とともに「上方落語の四天王」と称された。

 ラジオやテレビ番組の司会を務めるなど、多方面で活躍。落語ファンの開拓に努めた。後進育成にも尽力し、故・桂枝雀さん、桂ざこばさんら弟子は22人、孫、ひ孫弟子まで含めると一門は60人以上に上る。

 古典の発掘にも取り組み、「百年目」「地獄八景亡者戯」など、埋もれていた数十のネタを再び世に出した。また米朝落語全集の出版や、ビデオ全集を出すなど、落語の文字化、映像化の先駆者としても知られる。著書に「上方落語ノート」「落語と私」など。

 96年4月、胆管結石で入院したが、復帰後、柳家小さん氏に次いで、落語界では2人目となる重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。このほか芸術祭優秀賞(69、70年)、神戸新聞平和賞(92年)などを受賞。87年に紫綬褒章、2002年に文化功労者。

 06年8月と08年5月に転倒して背骨を折るなどしたが回復。同年10月には長男が5代目桂米団治を襲名した。
本格派の語りでファン魅了 桂米朝さん死去
2015/3/19 23:01
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201503/0007835893.shtml
 理知的な語り口で名人芸ともいえる落語を披露し続けてきた桂米朝さんが19日、89歳で他界した。上方落語界を背負って約60年、かつて消滅の危機にひんしていた上方落語界はその尽力もあり、今や200人以上の落語家を抱える大所帯に。上方落語界がかつてないほどの隆盛期を迎えている中、最大の功労者は惜しまれつつ、生の高座から静かに降りた。

 父に連れられて小学生のころから寄席に通い、演芸好きに。旧制姫路中学を経て、現在の大東文化大学に進学。大学に籍を置きつつ、作家で演芸演芸評論家の故・正岡容氏の元でも学んだ。

 落語家への転機は戦後間もなく。上方では落語家が相次いで亡くなり、10人にも満たないほどだった。惨状を憂慮した正岡氏の「上方落語の中興の祖たれ」との言葉で、大学を中退、落語家へ転じた。

 上方落語復興への思いは、弟子への指導を激しいものにした。「芸は師匠と弟子の対決。厳しくなかったら、上達なんて絶対にありません」と言ってはばからなかった。基本に忠実なけいこは言葉づかい、アクセント、目線など細かいところにまでおよび、よく弟子を泣かせた。高座から下がる弟子に向かって、すれ違いざまに言う寸評は「米朝の袈裟懸け」と恐れられた。

 だが、いつも人を笑わせるサービス精神にあふれていた。人間国宝の認定を受けた際には「国宝と言われても、つぼや絵なら息子も売れますが、私は売れないし、扱いが難しうなると、息子はぼやいてるんやないかと思うんです」とちゃめっ気たっぷりにコメントした。

 晩年は「もうぼけてきて、噺をすっとばしたり、エピソードが前後に入れ替わったり」とこぼしていたが、豊富な知識に裏付けされた本格派の語り口は、ファンを魅了してやまなかった。

2001名無しさん:2015/03/20(金) 04:13:29 ID:J1E93mR20
【桂米朝さん死去】
「何ちゅうええ空間や…」後進うならせた落語家の理想形
http://www.sankei.com/west/news/150319/wst1503190089-n1.html

5年前の秋、文化勲章受章を記念したDVD発売会見でのこと。桂米朝さんは車いすで登壇したが、質問に的確に答えられる状態にはなかった。

 高座姿の米朝さんを見たのは平成14年、旧サンケイホール(大阪市北区)閉館前の独演会での「厄払い」が最後。でなければ、遡(さかのぼ)ること約30年。一門伝統の京都・安井金比羅宮の勉強会での凛とした姿だ。「老い」に凌駕(りょうが)されつつある大看板に、内心ショックでいっぱいだった。

 5年ほど前だったか、ラジオ局ではこんなこともあった。司会者が差し入れた大阪の十三・喜八洲(きやす)総本舗のまんじゅうを、米朝さんはほおばっていた。「私ね、甘辛ですねん。ここのまんじゅうに目がおまへんのや」。その振る舞いは希代の落語家ではなく、ごく普通の好々爺のそれだった。

 一門でも、晩年の米朝さんが表舞台に出ることに反対する人がいたと聞く。だが、米團治さんは「本人が『引退したくない』と言ったんです。ならば、素のままを見ていただこうと」。

 ある時、米朝さんが舞台に現れるだけで、会場全体がえもいえない心地よい“空気”に満たされることに気づいた。居合わせた笑福亭鶴瓶さんもこうつぶやいた。「何ちゅうええ空間や…」

 その時の感覚を、私は早世した筆頭弟子の枝雀さんが生前、理想とした高座姿に重ね合わせた。「こちらが黙ってニコッとしているだけで、お客さんも機嫌よくニコッとする。そんなんがよろしいなぁ」

 極めた者だけが醸し出す存在感。少なくとも最晩年の米朝さんは、愛してやまなかった筆頭弟子が語る落語家としての理想形を、本能的に体現していたと信じてやまない。(豊田昌継)


「関西人として誇りに思っていた」ファンや市民、惜しむ声
http://www.sankei.com/west/news/150320/wst1503200009-n1.html

「関西人の誇り」「神様のような人だった」。上方落語の大御所桂米朝さんの死去に、大阪のファンや市民からは19日夜、惜しむ声が上がった。

 大阪府池田市で居酒屋「ちりとてちん」を営み、アマチュアの落語大会で優勝したこともある南野三千世さん(53)は、米朝落語全集を教科書代わりに勉強した。突然の訃報に「えっ」と驚き「十数年前に高座を聞いたこともある。神様のような人だったと思います」。

 会社から帰宅途中だった同府寝屋川市の会社員持留多聞さん(39)は「一般人でも知っているような重鎮だった。関西人として誇りに思っていた」と残念がった。「見るからに威厳があり、若い人の見本になっていた。今後、米朝さんのような落語家が出てくるかは分からない」とも話した。

2002名無しさん:2015/03/20(金) 04:19:21 ID:J1E93mR20
古墳群で推薦書原案まとまる
03月19日 21時08分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150319/3075041.html

再来年の世界文化遺産への登録を目指す、大阪の「百舌鳥・古市古墳群」について、大阪府と、堺市など地元の3つの市は、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
堺市、羽曳野市、藤井寺市には、4世紀から6世紀にかけて200を超える古墳が築かれたとされ、大阪府と地元の3つ自治体は、61の古墳について再来年の世界文化遺産への登録を目指しています。
19日、大阪府の小西副知事や地元の3市長が出席して会合が開かれ、文化的な価値などを記した推薦書の原案をまとめました。
原案では、古墳群には、仁徳天皇陵とされる古墳など世界でも最大級の王の墓があり、古代国家の形成過程を示す巨大モニュメントとして世界遺産にふさわしいとしています。
また、2年前に推薦が見送られた際には、保全管理の体制が不十分とされたことから、代表的な古墳の周辺を景観地区に指定して、建物の高さを規制することなどを盛り込んでいます。この原案は、今月27日までに文化庁に提出されます。
国内には、他にも3か所で世界遺産を目指す動きがあり、文化庁の審議会がことしの夏までにどの候補地をユネスコに推薦するか、絞り込むことになっています。
大阪府の小西副知事は、「前回は、準備不足を指摘されたが、今回は推薦を勝ち取れる内容に仕上がった」と話しています。
..

2003名無しさん:2015/03/22(日) 00:37:56 ID:TVJTby2U0
米朝さん登場の「地獄八景」熱演 米団治さん、父ゆかりの演目
2015年3月20日 19:39
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150320/20150320122.html

 上方落語家で人間国宝の桂米朝さんの死去から一夜明けた20日、長男桂米団治さん(56)は大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演、噺の中に米朝さんを登場させるなど熱のこもった高座をやり遂げ、観客を沸かせた。

 約50人のファンらが詰め掛けた寄席に、米団治さんは黒紋付き姿で現れ、噺のまくらで、米朝さんが亡くなった経緯を説明、「本当に大往生。さすが人間国宝」と笑わせた。その後「やっぱりこれかなと思って」と、古い噺を米朝さんが再構成した代表演目「地獄八景亡者戯」の前半を演じた。


米朝さん、僧侶転身の勧めに「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」 ざこばさんが高座で思い出披露
http://www.sankei.com/west/news/150321/wst1503210054-n1.html

19日に亡くなった落語家、桂米朝さんのまな弟子、桂ざこばさん(67)が21日、大阪市西成区の寄席「動楽亭」に出演し、米朝さんを悼んで、出会いや修業時代の思い出を約50分にわたり披露した。

 師匠の没後初の高座となったこの日は、ざこばさんの弟子、桂塩鯛さん(60)の還暦記念連続落語会の初日にゲスト出演。約60人を前に落語のネタはやらず、米朝さんとの思い出を語った。

 ざこばさんは、中学時代に米朝さんの舞台を見たその場で弟子入りを志願。米朝さんと兄弟子の桂枝雀さんの前で、一度しか聞いたことのない「浮世床」を語り、大笑いされたという。また、薬師寺元管主の高田好胤氏に僧侶への転身を勧められたが、米朝さんが高田氏に「落語修業もまともにでけへんのに無理でっせ」と断った-などと数々のエピソードを披露し、客席から笑いが起きた。

2004名無しさん:2015/03/22(日) 00:40:50 ID:TVJTby2U0
「落語の神様のよう」…文枝さんら米朝さん悼む
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150321-OYO1T50000.html?from=oycont_top_txt

上方落語界を支えて来た、人間国宝の落語家、桂米朝さんが89歳で亡くなり、一夜明けた20日、上方落語協会会長の桂文枝さん(71)が取材に応じた。仕事先の兵庫県・淡路島のホテル前に現れた文枝さんは、「落語の神様のような存在。もっともっとお話をしたかった」と涙ぐんだ。

 20歳の時に、米朝さんの口演を聴いて落語にほれたという文枝さん。「私は顔も普通だし、どうすれば笑いを取れるのか分からない」と相談すると、米朝さんは「顔だけで10分も笑わせることはできへんやろ。やっぱり噺(はなし)が大事やで」と諭してくれたという。

 一方、米朝さんの長男の桂米団治さん(56)は20日午前の記者会見を終えた後、午後には大阪市内の寄席「動楽亭」に予定通り出演。米朝さんの十八番「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を、普段と変わらぬ明るさで披露した。

 冥土旅行を楽しむ面々が、冥土の寄席に出演している米朝さんを見にいく場面があり、顔の表情と声色を父親そっくりに演じながら、桂枝雀、桂吉朝ら亡くなった一門の落語家について語り出すと、約50人の観客から拍手が湧き上がった。

 米朝さんと歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)は、1963年、雑誌「上方風流」の創刊にかかわった。藤十郎さんは「米朝さんも私も、まだまだ若手の頃で、茂山千之丞さんや藤山寛美さんをはじめ、ジャンルの違う人たちが集まって、これからの上方芸能をよくするためにはどうすればいいか、皆で朝まで話し合ったものでした」と振り返った。

2015年03月21日

2005名無しさん:2015/03/22(日) 00:54:12 ID:TVJTby2U0
桂米朝さん「落語の原点それでええ」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50022.html?from=oytop_ymag

◇笑福亭鶴笑さん、独自の芸 後押し感謝

 上方落語の復興に力を尽くし、日本を代表する落語家として活躍した人間国宝の桂米朝さんが89歳で亡くなって一夜明けた20日も、多くの落語家やファンらが重鎮の死を悼んだ。

 上方落語の定席(じょうせき)、天満天神繁昌亭(大阪市北区)。寄席に出演するため訪れた笑福亭鶴笑さん(55)は「あの言葉がなかったら、今も続けられていたかどうか」と振り返った。

 25年前、人形を使って創作や古典を演じる「パペット落語」を始めた。周囲から「落語ではない」と批判され悩んでいた時、米朝さんから「おまはんがやっていることは、落語の原点なんや。それでええんやで」と声をかけられた。上方落語は元々、屋外で通りすがりの人を相手にしており、気を引くために道具を使っていたという。

 パペット落語は昨年末、落語家の芸としては初めて、厚生労働省の児童福祉文化財に選ばれた。「自分は桂一門ではなかったのに背中を押してくれた。感謝しきれない」と語った。

 繁昌亭近くの喫茶店「喫茶ケルン」店主の井上和彦さん(70)は、「ついにこの時が来たか、と残念だ」とうつむいた。

 米朝さん本人が訪れたことはなかったが、長男の米団治さんや、ざこばさんら桂一門が「楽屋代わり」に店を利用しているという。

 店内の壁には、米朝さんが、その芸風を思わせる丁寧な筆致で「一期一会」と記した色紙が掲げられている。約3年前、弟子を通じて贈られたものだ。

 井上さんは「お弟子さんたちには、遺志を継ぎ、再び人間国宝が出るよう頑張ってもらいたい」と話した。

 50年来の付き合いという人形浄瑠璃文楽の人間国宝、竹本住大夫さん(90)は、「お互い『べいちゃん』『すみさん』と呼び合う仲で、よく2人で酒を飲んだ」と懐かしんだ。「米朝さんは酒が強くて楽しい酒で、必ず芸の話になった。(浄瑠璃の)義太夫も落語も、人情を伝える芸。通じるところがあるので、話が合った」と語り、「最大の友達で仲間で、同志だった人が居なくなってしまった。寂しい」と言葉を詰まらせた。

2015年03月21日

2006名無しさん:2015/03/22(日) 17:55:02 ID:UyPivy/o0
米朝さんの遺業しのぶ…TV各社が追悼番組
2015年03月22日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150322-OYO1T50005.html?from=oycont_top_txt

上方演芸界を代表する落語家、桂米朝さんが19日に死去したのを受け、読売テレビ(大阪市中央区)は21日、弟子の桂ざこばさん(67)や長男の桂米団治さん(56)らが出演する追悼番組を収録した。

 収録が行われたのは、22日午後0時35分から約1時間放送する「桂米朝追悼番組〜笑うて 遺した らくごの世界」。ざこばさん、米団治さんのほかに、孫弟子の桂吉弥さん(44)、漫才師のハイヒール・リンゴさん(53)らが、生前の米朝さんの姿や桂歌丸さん、俳優の近藤正臣さんらのインタビューを撮った映像を見ながら、足跡を振り返った。

 リンゴさんは「漫才と落語はジャンルが違うのに、私に合わせて話をしてくださった」と言い、吉弥さんは「落語のうまい下手ではなく、(品性の)悪いやつだけにはなるなと言われてました」と思い出していた。

 他の放送局も追悼番組を相次いで放送する。毎日放送は23日午前1時からの特別番組で、米朝さんの代表作「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を流す。NHKは22日午前7時45分からと28日午前4時半から、関西テレビは4月12日午後4時から放送を予定。ラジオでは、ABCラジオがきょう22日午前5時からと同9時からの落語番組内で、米朝さんの落語を紹介する。

2015年03月22日

2007名無しさん:2015/03/22(日) 18:10:27 ID:UyPivy/o0
住大夫さんに「卒業証書」
2015年03月21日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20150321-OYTNT50027.html

◇空襲で焼失 近大レプリカ贈る

 人形浄瑠璃文楽太夫(義太夫語り)の人間国宝、竹本住大夫さん(90)が20日、母校の近畿大学(東大阪市)の卒業式に出席し、空襲で焼失した卒業証書のレプリカを塩崎均学長から授与された。

 住大夫さんは1944年、近畿大の母体の大阪専門学校を卒業。しかし、翌45年3月の大阪大空襲で、大阪市内の自宅で保管していた卒業証書が焼失したという。昨年、近畿大関係者が経緯を聞き、進呈が決まった。

 卒業証書のあて名は、本名の「岸本欣一」。住大夫さんは「出来の悪い学生やったのに、こんなんしてもろて。胸が熱くなりました」と語った。

2015年03月21日

2008名無しさん:2015/03/22(日) 18:14:18 ID:UyPivy/o0
地域の寄席で桂米朝さんしのぶ
03月21日 19時06分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150321/3366161.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんをしのび、大阪・阿倍野区で長年開かれている落語会では、21日、弟子たちが米朝さんの思い出を語り、ファンが別れを惜しみました。
大阪・阿倍野区の地元の人たちが40年余り前から開いている落語会、「田辺寄席」では、亡くなった桂米朝さんの一門を中心とした5人の落語家が1席ずつ演じました。
このうち、米朝さんの弟子の桂米二さんは、食べることが大好きだった米朝さんとともに長野県に出かけた際、米朝さんが朝の5時半から、弟子が寝ているホテルの部屋をまわってケーキを食べるよう勧めてきたエピソードをユーモラスに語り、笑いを誘っていました。
幕あいには、訪れた100人余りの落語ファンが米朝さんの思い出を語り、死を悼んでいました。10年近く通っているという64歳の男性は、「若い頃からずっと、米朝さんの落語の音源を集めてきました。生きるためのヒントを教えてくれたのが落語で、米朝さんが亡くなり、悲しさと空虚さを感じます」と話していました。

2009名無しさん:2015/03/24(火) 22:29:13 ID:6C.lxnOE0
桂米朝さんの通夜祭 大阪・吹田
3月24日 21時14分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150324/k10010026561000.html

今月19日に亡くなった上方落語の第一人者、桂米朝さんの通夜祭が、24日夜、大阪・吹田市で営まれました。
桂米朝さんは、戦後上演されなくなっていた古典落語の演目を復活させるとともに、端正な語り口でみずから演じ、いわゆる人間国宝に認定されたほか、古典落語の分野で初めて文化勲章を受章しました。
米朝さんの通夜祭は、24日午後6時から大阪・吹田市の斎場で営まれ、祭壇の中央には穏やかな笑顔の遺影が飾られました。
笑福亭仁鶴さんや月亭八方さんなど上方落語の関係者のほか、親交のあった人たち、それに落語ファンなど、合わせておよそ1200人が参列しました。
この中で、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんは「米朝師匠からは大勢の人との和を大切にすることなど、人間としての育ち方を教わりました。恩人です」と話していました。
また、人形浄瑠璃「文楽」の語り手で人間国宝の竹本住大夫さんは、「50年来のおつきあいで、共に苦労してきました。酒を飲んでも最後は芸の話になりました。天国から多くの弟子を見守り、これからの上方芸能をしった激励してほしい」と述べました。
このあと参列者は祭壇に玉串をささげ、死を悼みました。
告別式は25日午前11時から、同じ大阪・吹田市の斎場で営まれます。 .

悼む声 相次ぐ

参列した西川きよしさんは「ベテラン、新人関係なく、分からないことは何でも教えてくれて、芸能界のお父さんのようでした。どうぞお父さん、向こうでも楽しくやってください」と話していました。
喜劇俳優の大村崑さんは「上方芸能を引っ張ってくれた機関車が逝ってしまったので、ショックの大きさは計り知れません。頑張らないかんと思うのですが、今までは、こういう時にいつも立ち上がらせてくれたのが米朝さんでした」と振り返りました。
また、落語家の桂小枝さんは「まだ、亡くなったという実感がありません。ほとんどの落語家は米朝さんがいなければ、はなし家にはなっていません。今までありがとうございました。師匠が残してくれた財産をしっかり守っていきます」と話していました。

2010名無しさん:2015/03/24(火) 22:32:44 ID:6C.lxnOE0
「知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人…」 桂米朝さん通夜に各界著名人やファン続々、別れ惜しむ 
http://www.sankei.com/west/news/150324/wst1503240060-n1.html

19日に89歳で亡くなった落語界初の文化勲章受章者で人間国宝、桂米朝さんの通夜が24日、大阪府吹田市の千里会館で営まれた。「上方落語四天王」の一人、桂春團治さん(84)や文楽太夫の竹本住大夫さん(90)、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さん(83)ら芸能界をはじめ各界著名人のほか、数多くの一般ファンが参列。戦後の上方文化最大の功労者の死を悼んだ。

 白い花で飾られた祭壇には、文化勲章や人間国宝の認定証、平成17年11月に撮影された着物姿の遺影が飾られた。通夜は神式で執り行われ、神主による祭詞の後、喪主を務める長男の桂米團治さん(56)らが玉ぐしをささげ、別れを告げた。

 参列者へのあいさつに立った米團治さんは「弟子が固まって戦っても太刀打ちできない知識の宝庫。それでいておちゃめ。改めてすごい人だと思いました」と述べた。

 この日は一般の参列も受け入れ、別れを惜しむ多くのファンらが会場を訪れた。葬儀は25日午前11時から同所で行われる。


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