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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1863名無しさん:2014/09/14(日) 04:09:26 ID:Gaggxq6s0
「やり回し」に歓声…岸和田だんじり祭始まる
2014年09月13日

大阪府岸和田市の「岸和田だんじり祭」が13日、始まった。重さ約4トンのだんじり34台が、交差点をスピードを落とさずに直角に曲がる「やり回し」をするたびに、見物客は歓声を上げた。

 五穀豊穣(ほうじょう)を願う祭りが始まりとされ、300年以上の歴史を持つ。「そーりゃ、そーりゃ」のかけ声に合わせてだんじりが勢いよく進むと、屋根の上では、うちわを手にした大工方が軽快な身のこなしを披露した。

 市は、14日までの2日間で55万人の人出を見込んでいる。

2014年09月13日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20140913-OYO1T50039.html?from=oycont_top_txt

1864名無しさん:2014/09/16(火) 23:06:51 ID:g44zbdhM0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140915/20140915091.html
庄屋・野口家の古文書解読 7年かけ市民活字化
2014年9月15日

 NPO法人とよなか歴史と文化の会(吉岡正起代表、86人)が、活動の拠点を置く豊中市の原田地域で江戸時代に庄屋をしていた野口家に関する古文書の解説テキストを発行した。会は市から「原田しろあと館」(同市)の管理運営を委託されており、事業の一環として市の市史編さんに携わってきた清水喜美子さん(71)を講師に、教材として野口家の古文書を使った講座を開いてきた。今回、清水さんの指導でメンバーが7年をかけて判読したものを活字化した。

同会は、原田城跡であった旧羽室家住宅が同市の所有となった後、どのように活用していくかを市が市民と一緒に考える際に集まった市民が中心となって、2011年にNPO法人として設立。法人化前の09年11月には、同館の維持管理を市から委託されることになり、週末には定期的にイベントを開催している。

 活動を通して地域の歴史に詳しくなってきたことから、現在では「阪急沿線観光あるき」事業などでのガイドもメンバーが担当し、市民に地域の歴史を伝える取り組みも実施している。

 古文書講座は、阪急電鉄豊中駅前にある市民活動情報サロンで、清水さんが地域の歴史に関する勉強会をしていたところ、参加者から古文書について勉強したいという要望が出たことから岡町図書館で7年前にスタート。現在は原田しろあと館で毎月第2土曜日に開かれている。今回の原田地域の古文書解説テキスト発行に先立ち、岡町についての古文書と講座参加者の解説を盛り込んだ冊子もことし3月に発行した。

 テキストは、江戸時代の原田地区の大名支配や水をめぐる水利問題など七つの分野で構成。難解な古文書を一般の人でも分かりやすく読めるようにした。今回、発行の中心となった大下隆司さん(69)は「江戸時代の岡町の様子もよく描かれ、また五人組という制度は相互監視の制度と思っていたが、勉強していくにつれ全員で助け合うための組織でもあったということが分かり興味深かった」と振り返った。

 吉岡会長(67)は「身近な地元の歴史に興味を持ってもらう人のすそ野を広げていきたい」と話す。

   ◇  ◇   

 テキストはA4判164ページ。1部800円。

1865名無しさん:2014/09/17(水) 22:22:34 ID:pWwxl7g.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140917/osk14091707070002-n1.htm
狭山池、かんがい施設遺産に 日本最古のダム式ため池 大阪
2014.9.17 07:07

 耕作地に必要な水を供給する灌漑(かんがい)施設のうち100年以上経過したものの中から選ばれる国際かんがい排水委員会(ICID)の「かんがい施設遺産」に、日本最古のダム式ため池とされる狭山池(大阪狭山市)が登録された。狭山池は平成28年に築造1400年を迎えることから、管理する狭山池土地改良区は「世界的な視点で価値のある施設として認められ誇りに思う」と喜んでいる。

 ICIDは、灌漑や排水、治水などの分野で、科学技術の研究開発などの促進を目的に、1950(昭和25)年にインドで設立された。灌漑と排水に関する世界規模の機関として活動を展開。「かんがい施設遺産」は、今年初めて世界を対象に、登録の申請を募った。建設から100年以上経過したものであるほか、先進性など10項目の条件のうち1項目以上を満たすことが必要。大阪狭山市によると、国内では10件が申請され、狭山池のほか、青森や群馬、三重など計9件が選ばれた。府内からは狭山池のみが選定された。

 市によると、狭山池は7世紀に築造されたとされ、自然地形を利用して川が流れる谷間をせき止め、貯水機能を強化したダム式のため池。「古事記」や「日本書紀」にも名前が記されている。昭和63年から始まった改修工事では、築造当時の堤などが発見されている。池を統一して管理するようになったのは江戸時代初期からで、現在は狭山池土地改良区が管理し、農業用水として人々に利用されている。

 大阪狭山市の吉田友好市長は「狭山池は市最大の歴史・文化遺産。これを機に、国内だけでなく、世界に向けてPRしていきたい」としている。

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1866名無しさん:2014/09/17(水) 22:26:33 ID:pWwxl7g.0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140915/osk14091507030004-n1.htm
「淀屋」の業績など学ぼう 大阪で来月4日講演会
2014.9.15 07:03

 近代大阪の発展に貢献した「淀屋」について学ぶ講演会が10月4日午後1時半から、大阪市中央区備後町の綿業会館新館で開かれる。

 大阪の魅力を国内外に発信する「大坂の陣400年プロジェクト」の一環行事。大阪の近代史を多くの人に知ってもらおうと、大阪の繁栄に貢献した江戸時代の豪商、淀屋の業績や歴史について調べている淀屋研究会が企画した。

 講演会では、中之島を開拓し、北浜の米市場を開設した「淀屋」について、講談師の旭堂南青さんが話す。また、講演の合間には、琴伝流白鳳会の八幡川口サークルによる大正琴の演奏も行われる。

 同研究会幹事の佐藤紀一さん(70)は、「大阪のまちの基礎を作り上げた淀屋をもっと知ってほしい」と意気込んでいる。講演会は午後1時半〜4時。入場料千円。定員200人。参加希望者は同研究会にファクス(072・447・7074)などで事前に申し込む。

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1867名無しさん:2014/09/19(金) 22:32:12 ID:iAVi967Q0
10月1日“出陣式” 大坂の陣400年天下一祭
2014年9月19日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140919/20140919025.html

 大阪城公園(大阪市中央区)を中心に開かれる大坂の陣400年天下一祭「大坂冬の陣」について、大坂の陣400年プロジェクト実行委員会(橋爪紳也委員長)は18日、開幕日の10月1日に“出陣式”を実施すると発表した。同イベントの武将隊メンバーが、橋下徹市長の定例記者会見に飛び入り参加して来場を呼び掛けた。

出陣式には橋下市長や松井一郎府知事をはじめ、特命応援隊の隊長を務める歌手の和田アキ子さん、同副隊長として歌舞伎俳優の片岡愛之助さんらが出席。大坂の陣の際、豊臣方の主力として奮戦した真田幸村らに扮(ふん)した5人組の武将隊「大坂RONIN5」のメンバーと共にイベントの開幕を宣言する。

 橋下市長の会見に“参戦”したのは武将隊の真田幸村、毛利勝永に扮したメンバーと大阪城非公認キャラクターの太閤はん。「大阪城に来ていただければ楽しいイベントが盛りだくさん」とアピールし、橋下市長と一緒に「大坂冬の陣いざ出陣」と声を張り上げた。

 天下一祭は、2014、15年が冬の陣(1614年)、夏の陣(1615年)から400年の節目に当たることにちなみ企画。民間が主体となって大阪の歴史や文化、街の魅力を広く発信し、活性化につなげるのが狙い。冬の陣のイベントは12月31日まで。

1868名無しさん:2014/09/23(火) 19:19:57 ID:UynvcjHI0
四天王寺に秀吉寄進の厨子 大阪、同寺再建を裏付け
2014年9月23日 16:41

 四天王寺(大阪市天王寺区)で聖徳太子の法要に使われる厨子が、豊臣秀吉に寄進されたものとみられることが23日分かった。「文禄七(1598)年」との墨書に、豊臣家の家紋に使われる桐花があしらわれていた。寺は1576年の織田信長による石山本願寺攻めで焼失。秀吉が1594年から再建したとの寺の記録を裏付けるという。現在は修理中で一般公開されていない。

 四天王寺によると、厨子は高さ約2・8メートル、幅約1・6メートル、奥行き約0・8メートル。境内の六時堂に安置されている。厨子には同寺を創建した聖徳太子の御影(肖像画)があり、毎年行われる法要に使われていた。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/140923/20140923055.html

1869名無しさん:2014/09/25(木) 01:08:45 ID:bo1AcVlg0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140923-OYTNT50012.html
庄屋文書に農民の暮らし
2014年09月23日

◇豊中のNPOが解説本

 豊中市のNPO法人「とよなか・歴史と文化の会」が、同市原田元町周辺で江戸時代に庄屋だった野口家に伝わる古文書を解説した「原田村野口家文書を読む」を発行した。「助け合って耕作すること」とした隣保組織「五人組」の細則を記した文書や、水不足で近隣の村同士が水利権を争った記録など71点を掲載。当時の農民の暮らしぶりがわかる内容で、同会メンバーらが7年がかりでまとめた。(神谷次郎)

 原田村は、現在の阪急宝塚線曽根駅西側にある原田元町周辺にあり、江戸時代の石高は約1500石。うち約300石の庄屋だった野口家は、村政や財政、住民の出入り、治安など幅広い分野についての文献約1800点を残していた。

 地元の観光ガイドや資料館の管理に携わる同会が、「地元に伝わる歴史を学ぼう」と2007年から、古文書に詳しい清水喜美子さん(71)(伊丹市)を講師に迎えて古文書講座を開催。清水さんの指導を受けながら、同市の岡町図書館に所蔵されている野口家の古文書の解読に取り組んできた。

 解説本では、検地帳や年貢帳などの内容を紹介、当時の年貢や村政の仕組みがわかる図を付けた。享和3年(1803年)の五人組の細則などを定めた文書には、「耕作には精を出し、病人や独り身の農家には互いに助け合って作業すること」などと記されている。

 また、耕作に不可欠だった水を巡り、水不足の際に近隣の村との争いが起こり、町奉行に改善を求めた訴状も掲載。農民らの人件費が高騰した際には、庄屋らが集まり、賃金の値下げを決めた記録もあり、「屋根葺(ふ)き賃」「綿打ち賃」など仕事の内容によって賃金が細分化されていたことがわかる。

 同会メンバーで中心となって編集した大下隆司さん(69)は「当時は思ったより豊かで、助け合って暮らしていたことなど生活の実態が垣間見えて興味深い。ぜひ一度読んでほしい」と話している。

 A4判164ページ、税込み800円。問い合わせは、大下さん(06・6849・0926)へ。

2014年09月23日

1870名無しさん:2014/09/25(木) 08:30:27 ID:LF.UJIDU0
西方の落日に極楽浄土思う 四天王寺「日想観」
2014年9月24日

 「秋分の日」の23日、大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で秋季彼岸会(え)の伝統行事「日想観(にっそうかん)」が厳かに執り行われた。多くの参詣者が訪れ、夕日が真西に沈む彼岸の中日だけの光景を見届けた。

日想観は夕日の向こうに極楽浄土を思う修行の一環。かつて四天王寺のそばまで海が広がり、境内の真西は極楽浄土へ続く場所と信仰されていたことに由来する。春、秋の2日に限り「石鳥居」の中央に沈む夕景を望むことができる。

 法要では夕刻に同寺僧侶が境内・西大門(極楽門)周辺で読経。集まった参詣者は、左手のビルの陰から現れた夕日に手を合わせたりカメラで撮影したりするなど、格別なひとときを過ごした。

 この日の近畿地方は高気圧に覆われて秋晴れとなり、大阪府内各地の寺院や霊園墓地などでは、朝から家族連れが花や供えものを手に墓参りをし、四天王寺には約5万人が訪れた。

1871名無しさん:2014/09/26(金) 17:18:10 ID:OjUvyaxU0
開祖・聖徳太子など54枚で紹介 オリジナルトランプ完成
2014年9月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140926/20140926033.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)で、新たな授与品としてオリジナルトランプカード「四天王寺厳選五十四図」が完成した。建物や伝統行事、開祖・聖徳太子などを54枚で紹介。美しい写真と詳しい解説文があり、同寺では資料としての活用にも期待を寄せている。

2022年に控える聖徳太子の年忌法要「御遠忌(おんき)1400年」に向けた取り組みの一環で、広報担当の参詣部が昨年5月から企画。事前に絞った250件の候補から、僧侶と職員約150人が投票、54件を“厳選”した。五重塔や西大門、五智光院といった建造物のほか「どやどや」「聖霊会(しょうりょうえ)」「万灯供養」といった行事も盛り込まれ彩り豊か。ジョーカーには金堂壁画の一つで魔王を描いた「降魔成道(ごうまじょうどう)図」を選ぶなどこだわりも見せる。

 同寺境内は超高層ビル「あべのハルカス」から一望できるとあって、今春の開業以降、参詣者が増加。同部の山岡武明課長は「四天王寺をより多くの方に親しんでもらう商品としてアピールしたい」と話していた。

 価格は900円。10月1日から境内・楽舎などで販売される。

1872名無しさん:2014/10/01(水) 08:45:37 ID:W3xIqSuA0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20140928-OYTNT50368.html
躍動と幻想の舞台 創生平国神楽
2014年09月29日

東大阪市出雲井町の枚岡神社で28日夜、河内に伝わる神話にちなんだ「創生平国神楽」が上演され、市民ら約500人が見入った。

 住民らでつくる実行委員会が2010年から毎年開いており、今年で5回目。

 狂言師や舞踏家、小中学生ら出演者約35人が境内に特設された能舞台で、太鼓や笛などの音色に合わせ、躍動感のある舞などを披露。舞台をすっぽり覆うほどの衣装の裾をはためかせて山の誕生を表現したり、花のついた枝を使って四季の移り変わりを表したりする舞などもあり、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。

 上演前には、創生平国神楽の演出を担当した観光庁の「エンタメ観光マイスター」も務める表博耀(おもてひろあき)さん(52)らによる座談会があり、同神社の由来や、神楽の成り立ちなどを解説した。

 堺市堺区、会社役員田口裕康さん(64)は「伝統をもとにした新しい神楽。見る者に訴えかける力があると感じた」と話していた。

2014年09月29日

1873名無しさん:2014/10/05(日) 20:01:07 ID:k.a0109w0
楽しい“化学反応”期待 築100年の町家再生へ
2014年10月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141005/20141005032.html

 かつて大名が往来した紀州街道が通る大阪市住之江区安立(あんりゅう)で、街道沿いに立地する築100年の町家を再生させるプロジェクトが進行している。計画では八つの店舗が入り、併設する新築棟でカフェをオープンさせる。中庭や商店街に面した軒先などでは、店舗同士の合同イベントも予定しており、関係者は「楽しい化学反応が起こる場所になれば」と期待している。

安立3丁目のかつて庄屋だった建物。約430平方メートルの敷地に、1911(明治44)年築の主屋、17(大正6)年築の蔵、昭和期の離れなどが建つ。屋号の嶋屋喜兵衛(しまやきへい)にちなみ、「嶋屋喜兵衛商店」として生まれ変わる。

 プロジェクトを進めるのは、市内で長屋改修を手掛ける大阪市立大大学院の小池志保子准教授と6人の院生。十数年空き家となっていた建物の活用法を考えあぐねていた11代当主の吉井秀夫さん(62)と長屋関連イベントで知り合ったのをきっかけに2013年春、再生に向け動きだした。

 計画でこだわるのは、商店街に面した主屋正面からの見通し。共有スペースの座敷を通じ、中庭がのぞく景色をしつらえる予定だ。

 主屋正面を覆っているシャッターを取り払い、新たに生まれる軒下の空間で、買い物客らがベンチに腰を掛けたりと気軽に立ち寄れるようにする。

 現在、先行オープンする1店舗を募集している。11月ごろから近隣店舗との交流などを始め、2015年2月のオープンを目指す。全面開業に向けた準備も共に進める。

 小池准教授は「一帯にすてきな場所が点在するようになり、散策を楽しんでもらえるエリアになれば」と話している。

1874名無しさん:2014/10/06(月) 08:11:02 ID:r2BLLPCY0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141005-OYTNT50005.html?from=yartcl_blist
古墳時代に思いはせ
2014年10月05日

◇近つ飛鳥博物館 「箸墓以降」展開幕

 河南町の府立近つ飛鳥博物館で4日に開幕した秋季特別展「箸墓(はしはか)以降―邪馬台国連合から初期ヤマト政権へ―」(同博物館、読売新聞社主催)。古墳時代前期の畿内各地の古墳や、集落跡からの出土品の数々を見ようと、多くの考古学ファンでにぎわった=写真=。

 奈良盆地南東部や周辺の古墳から、当時の政権の広がりや社会背景を探る内容。メスリ山古墳(奈良県桜井市)の「玉杖(ぎょくじょう)」は長さ約50センチで、統率者の権威を示す威儀具として使われたとされる。また、元稲荷古墳(京都府向日市)の「特殊器台形埴輪(はにわ)」は、模様の一部として三角形などにくりぬかれた様子を見ることができる。

 大阪市淀川区の会社員、平櫛瑶子さん(26)は「多くの古墳の出土品を見比べることができ、埋葬された人の人生や当時の風習に興味が湧いた」と話していた。

 12月7日まで。今月26日には、奈良県天理、桜井両市の古墳の調査成果などのシンポジウムが行われるほか、5、18日と11月1、15、29日、12月6日の午後2時からは、学芸員による展示解説もある。問い合わせは同博物館(0721・93・8321)へ。

2014年10月05日

1875名無しさん:2014/10/06(月) 10:03:42 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/140930/rgn1409300033-n1.html
来月4日、大阪・四天王寺で「幻燈會」 明治期のガラススライド楽しんで

. 明治期のガラススライド(種板)を当時の幻燈器(プロジェクター)で浮かび上がらせるイベント「四天王寺幻燈會」が10月4日、大阪市天王寺区の四天王寺・安養殿で開かれる。ガラススライドには武将の高貴な姿をはじめ、表情豊かな女性もユーモアをまじえて描いており、当時の味わい深い世界が堪能できる。 

 関西古書研究会が毎年、春と秋に開催している「大古本祭り」のプレイベント。初期映画機器とフィルムの収集・研究をしている大阪芸術大非常勤講師、松本夏樹さん(62)の映写と語りで、明治の幻影をよみがえらせる。

 幻燈は、灯油ランプなどの光源を利用して静止画像を大写しにするスライド。18世紀後半、オランダとの貿易を通じて日本に入ってきた。

 今回上映するのは、日露戦争(明治37、38年)のころに制作されたガラススライド約20枚。

 このうち浮世絵師の小林清親が描いた百面相図は、明治期の女性が風呂に入っている際に、熱い湯に顔をゆがめた表情などをとらえた作品。「アツイユ」などのせりふも書かれている。

 このほか、鎌倉後期から南北朝時代にかけての武将・新田義貞が、太刀を海に投げ入れて龍神に祈願する龍神伝説など、明治期に好まれたさまざまなテーマが描かれている。

 松本さんは「暗闇の中で明治時代の方法で映写するので、来場者は当時の幻燈会がどんな雰囲気だったのか体感できるのでは」と話している。

 イベントは午後6時開始。入場無料。

 また、寺境内では10月10〜15日、約30万点の古書が並ぶ「第14回四天王寺秋の大古本祭り」が開催される。午前10時〜午後5時(15日は午後4時まで)。

 問い合わせは関西古書研究会事務局(電)072・994・8852。

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1876名無しさん:2014/10/06(月) 10:10:09 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/141006/rgn1410060019-n1.html
建築家・村野藤吾氏没後30年で特別展 大阪歴史博物館

大阪新歌舞伎座(大阪市中央区、移転)や梅田吸気塔(大阪市北区)などを手掛けた建築家、村野藤吾氏の没後30年を記念した特別展「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」が大阪歴史博物館(中央区)で開かれている。設計図だけでなく、村野氏がこだわったインテリア家具や建築部材なども紹介。大阪にゆかりの深い村野氏の建築の全貌を紹介している。(西山保子)

                   ◇

 村野氏は明治24年、佐賀県唐津市生まれ。早稲田大建築学科を卒業後、大正7年、建築家・渡辺節(せつ)氏の府内の建築事務所に入った。大阪は当時、産業と文化が華やかな“大大阪(だいおおさか)時代”で、数多くの建築を請け負った。

 昭和4年に独立し、建築事務所を設立。独立後も完成までチーフ・ドラフトマン(主任製図工)として関わった「綿業会館」(中央区)は駆け出し時代の名作として知られる。

 ほかにも旧そごう大阪店(中央区)や「近映レジャービル アポロ(現・きんえいアポロビル)」(阿倍野区)など数多くの商業施設やオフィスビルなど、全国各地で約300の作品を手掛けた。

 外観だけでなくインテリアにもこだわり、いすや机などの家具も設計。直線と曲線で構成される細くて上品な家具を好んだ。

 展示会では、村野氏が手掛けた建物を写真や図面、模型で紹介しているほか、家具や愛用品なども含め約200点を公開している。

 梅田吸気塔の設計図や関連資料も使い、複雑な構造を多彩な視点から解説。村野氏が設計し、大阪・ミナミにあった喫茶店「心斎橋プランタン」の籐(とう)のいすや衝立(ついたて)などを、当時の店内を撮影した写真とともに紹介している。

 大阪歴史博物館の主任学芸員、酒井一光さんは「現在の建築やインテリアを物足りないと感じる人も、大胆と繊細さが見事に調和した村野氏の建築をみれば、魅力的な世界が楽しめるのでは」と話している。

 13日まで。午前9時半〜午後5時(金曜は午後8時まで、火曜休館)。入館有料。問い合わせは大阪歴史博物館(電)06・6946・5728。

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1877名無しさん:2014/10/06(月) 10:18:18 ID:r2BLLPCY0
http://www.sankei.com/region/news/141003/rgn1410030017-n1.html
富田林興正寺別院が国重文に 本堂や山門など6棟「歴史的景観備え」

. 浄土真宗の富田林興正寺(こうしょうじ)別院(富田林市寺内町)の本堂や山門など6棟が国の重要文化財に指定された。同市寺内町は府内で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、同院を中心に商売が盛んなまちとして発展している。

 市教委は「本堂をはじめとする境内空間が良好に保存されるとともに、歴史的景観を備えた寺院として評価された」と喜んでいる。

 市によると、富田林興正寺別院は、戦国時代後半の永禄3(1560)年、浄土真宗の有力寺院だった興正寺第16世の証秀上人(しょうしゅうしょうにん)が土地を購入し、翌年に中核の寺院として建立した。現存する本堂は寛永15(1638)年に建てられた。府内では最古、近畿地方でも最古級の浄土真宗本堂。初期の真宗本堂の成立過程を知るうえで価値がある。また江戸時代末期に整えられた境内が良好に維持されている。

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1878名無しさん:2014/10/06(月) 20:54:15 ID:xAJcGN/U0
商売繁盛!ヤーレ船場 博労稲荷社みこし巡行
2014年10月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141006/20141006029.html

 商売繁盛の神として大阪商人の信仰を集める「博労稲荷(いなり)社」(大阪市中央区、難波神社境内)のみこし巡行が5日、盛大に執り行われた。約30人の若い男女が担ぎ手となり、「ヤーレ船場」などの掛け声とともに地元船場の商店街を練り歩いた。

みこし巡行は一昨年、約半世紀ぶりに復活。3回目となることしは、かつてあった担ぎ手の講「難波神社神輿(みこし)会」も再興され、3日から開かれていた「船場まつり」の最終日を大いに盛り上げた。

 境内に参集した担ぎ手はおはらいを受けた後、早速せんば心斎橋商店街に繰り出して元気いっぱいに巡行。にぎわうアーケード内にさらなる活気を呼び込んだ。

 船場まつり推進協議会会長を務める神輿会の池永純造会長は「年々にぎわいが増しており、ことしも関係者のパワーのおかげで大盛況だった」と手応えに笑みを浮かべていた。

1879名無しさん:2014/10/07(火) 19:10:44 ID:bmzFwS3g0
「やっぱりできへん」800m道頓堀プール 堺屋氏の構想、わずか80mに縮む 運営企業なく

大阪・ミナミの道頓堀川開削400周年にあたる平成27年6月の開業を目指していた「道頓堀プール」(全長800メートル)が、
全面開業を断念したことが7日、関係者への取材で分かった。地元商店主らが出資した準備会社が発足していたが、
運営会社への移行が難航。来年8月の1カ月間、当初の10分の1規模の約80メートルで開業する。

 プールは大阪府市特別顧問で内閣官房参与の堺屋太一氏が発案。道頓堀周辺にある商店主らが資本金1400万円を出資し、
昨年4月に「道頓堀プールサイドアベニュー設立準備株式会社」を設立していた。

 建設費には約30億円を見込み、費用が集まった段階で運営会社への移行を目指したが、運営を担う企業が見つからず、
準備会社を中心に規模縮小して開業することを決めた。
http://www.sankei.com/west/news/141007/wst1410070028-n1.html

1880名無しさん:2014/10/08(水) 00:40:17 ID:8GqIND160
「後の雛まつり」を11日に富田林で再現
. 関西を中心に江戸時代、「重陽の節句」(旧暦の9月9日)に行われたとされる「後の雛(ひな)まつり」を再現するイベントが11日、大阪・富田林市の寺内町一帯で開かれる。

 後の雛まつりは、菊花とお雛様を飾ったため、別名「菊雛」とも呼ばれる。雛人形の業界では、毎年10月9日を「後の雛」の日としている。

 寺内町は、江戸時代から続く古い商家や民家が点在し、平成9年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 イベントは8回目。地域活性化のため、地元住民らでつくる実行委員会が企画・運営。民家や旧家などを会場に使い、後の雛まつりの姿をよみがえらせる。

 後の雛まつりの行事のほか、町内に残る旧酒蔵で地元の野菜や雑貨品を販売したり、昭和30年代の日本女性の家事の様子を記録した映画を上映したりする。午前10時〜午後4時。問い合わせは実行委(電)080・6205・4540。

.http://www.sankei.com/region/news/141007/rgn1410070004-n1.html

1881名無しさん:2014/10/11(土) 12:45:57 ID:/7kZB6BA0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141008/20141008020.html
太陽の塔、国有形文化財目指す 建設50年節目に
2014年10月8日

 大阪府議会は7日に一般質問を行い、大江桂子府民文化部長が、万博記念公園(吹田市)のシンボルである太陽の塔について、建設から50年の2020年を節目に国の有形文化財の登録を目指す考えを示した。民主党・無所属ネット府議団の上野和明府議の質問に答えた。


 文化庁などによると、建設から50年が経過した建築物で「造形の規範」「再現が容易でない」などの条件を満たせば登録申請ができる。

 大江部長は「20年に建設から50年になるので登録を目指したい」と答弁。世界遺産の登録については「前提として文化財登録が必要なので、まず有形文化財を目指す」と答えた。

 府が8月に同公園の活性化策をまとめた将来ビジョンの中間報告は、文化財登録を目指すことと世界遺産登録の検討が盛り込まれている。

1882名無しさん:2014/10/12(日) 19:36:37 ID:hzcPEdqA0
真田幸村の入城を再現
10月12日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141012/4965031.html

豊臣と徳川の軍勢が戦った「大坂の陣」から400年を迎えたことを記念して、豊臣方の武将、真田幸村が大阪城に入城する様子を再現する催しが開かれました。
この催しは、真田幸村にゆかりのある長野県上田市などが開きました。
真田幸村は、今から400年前の1614年10月、現在の和歌山県九度山町から大阪城に入城し、「大坂冬の陣」や「大坂夏の陣」を戦った豊臣方の武将として知られています。
12日は、入城の様子が再現され、真っ赤な甲冑に身を包んだ幸村や「真田十勇士」などの家臣にふんした約100人がホラ貝の合図の後、真田ゆかりの、「六文銭」が描かれた旗などを掲げながら大阪城に入りました。
そして、入城を報告したあと、大きな声でかけ声をあげ出陣していきました。
入城の様子を見た男性は「真田幸村は人気のある戦国武将なので、このような催しが開かれることはとてもいいと思います」と話していました。
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1883名無しさん:2014/10/15(水) 10:24:58 ID:2WA5T0ws0
旅行会社の先駆け「浪花講」発祥の地の神社に記念碑設置へ 大阪

. 江戸時代、現在の旅行会社の先駆けとなった組合「浪花講(なにわこう)」があった大阪・玉造の玉造稲荷神社分社に26日、記念碑が設置される。浪花講は当時、良質な宿を旅人に斡旋(あっせん)し、各地の名物や休憩所などを紹介するガイドブックも製作するなど、現在の旅行会社の原型を確立。その後、大阪だけでなく関東などにも普及したとされる。こうした大阪発祥の“商人(あきんど)魂”を知ってほしいと、近畿日本鉄道などが記念碑の奉納を決めた。

 かつて玉造はお伊勢参りの西の玄関口としてにぎわい、玉造稲荷神社に祈願して出発していた。近くで江戸時代、綿打ちに使う唐弓(とうゆみ)の弦(つる)を販売していた商人・松屋甚四郎(じんしろう)が文化元(1804)年、後に浪花講となる「浪花組」を立ち上げた。

 甚四郎の使用人が当時、全国各地を行商しており、旅人が宿で強引な客引きやぼったくり、頼んでもいない遊女の手引きなどの被害を受けていることを知り、旅人の安全を確保する現在の旅行会社のようなサービスを思いついた。

 具体的には、組合に加盟した宿には目印となる「浪花講」の看板を掲げさせ、旅人が安心して泊まれるようにしたほか、旅人にも浪花講発行の木札(後に布製に移行)を持たせ、宿側から信用されるようにした。このほか、組合に加盟している各地の宿や休憩所、地域の名物などを紹介する現在のガイドブックのような「浪花講定宿帳」や「浪花講道中記」も発行。こうしたサービスを明治維新まで続けた。

 この史実を広くアピールしようと、お伊勢参りを題材にした落語を手がける桂文我さんが今春、記念碑の設置を呼びかけ、近鉄や、三重県伊勢市の老舗和菓子メーカー「赤福」などが賛同した。

 いまに残る浪花講の木製看板をデザインしたステンレス製プレート(縦85センチ、横36センチ)を作り、石碑(縦約120センチ、横約90センチ、奥行き約30センチ)にはめこむ。浪花講のあった玉造稲荷神社の南西約600メートルの分社に設置する予定だ。神社の鈴木伸廣・禰宜(ねぎ)(39)は「商売人気質を受け継ぐ大阪の若者にも、温故知新の精神で起業にチャレンジしてほしい」と話している。

 石碑の除幕式は午後1時から分社で。4時から神社で落語会(有料)もあり、桂文我さんらが出演する。浪花講の看板や定宿帳なども公開される。問い合わせは神社(電)06・6941・3821。

.http://www.sankei.com/region/news/141011/rgn1410110039-n1.html

1884名無しさん:2014/10/15(水) 10:39:28 ID:2WA5T0ws0
「浪人」たちの魅力紹介 大阪城天守閣で特別展
. 大坂の陣で活躍した「浪人」たちの魅力を紹介する特別展「浪人たちの大坂の陣」が11日、大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城)で始まった。大坂の陣400年を記念した企画で、真田幸村や塙団右衛門(ばん・だんえもん)をはじめ浪人らの遺品や書状など104点を展示している。

 400年前の慶長19(1614)年に始まった大坂の陣。同年に冬の陣、翌年に夏の陣があった。諸大名を動員し大坂城を包囲した徳川軍を苦しめたのは豊臣秀頼のもとに各地からはせ参じた浪人たちだった。

 大阪城天守閣3、4階の会場では、大坂冬の陣の真田丸の戦いで徳川軍に完勝した真田幸村が使ったと伝わる「鉄二枚胴具足」や真田氏の家紋である「六連銭文馬印(ろくれんせんもんうまじるし)」などに幸村ファンの注目が集まっている。

 また、冬の陣で徳川方の蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)隊に夜襲を仕掛け、“夜討ちの大将”とし勇名をはせた塙団右衛門のコーナーでは「定めなき世のならいなので、二度と会えないかもしれないが、また会えるかもしれない」などと旧友にあてた自筆の手紙や、塙が使ったとされる十文字槍(やり)が展示されている。

 一方、大坂の陣から50年以上後の寛文8(1668)年に製作された熱田神宮(名古屋市)所蔵の刀には「生過(いきすぎ)タリヤ」(生き過ぎたりや)の銘が刻まれている。この文言は、大坂の陣後に泰平の世が到来し、戦場を失った武士が、生き方について自問していた事実をかいま見せてくれる。

 担当の学芸員は「浪人といえば武家社会の脱落者のようにみなされがちだが、自らの意志で浪人になる武士もたくさんいた。彼らの旺盛な自立心が乱世に活力を与えたことを実感してほしい」と話している。

 11月24日まで。入館料は大人600円、中学生以下無料。問い合わせは大阪城天守閣(電)06・6941・3044。

http://www.sankei.com/region/news/141012/rgn1410120015-n1.html

1885名無しさん:2014/10/15(水) 10:40:52 ID:2WA5T0ws0
高山右近夫妻の石像建立へ 生誕地で没後400年を記念 大阪
. 戦国武将でキリシタン大名としても知られる高山右近が来年、没後400年を迎えることを記念し、生誕地・豊能町に右近夫妻の石像が建立されることになり、町立高山コミュニティセンター「右近の郷」で12日、地鎮祭が行われた。石像は高さ2メートル近くで、地元産・黒御影石(花崗(かこう)岩)が使われる。来年6月ごろ完成する予定で、除幕式をはじめ、町を挙げたイベントが繰り広げられる。

 高山右近は戦国時代、織田信長や豊臣秀吉に仕えたが、江戸時代、キリスト教の布教を禁じた幕府にフィリピンへ追放され、1615年、64歳でマニラで死去した。

 右近夫妻は豊能町生まれとされ、町や自治会、有志らが「高山右近没後400年記念実行委員会」(甲田広行会長)を結成。夫婦を顕彰する石像の建立に向け、募金活動を始めている。

 地鎮祭は、建立予定地の右近の郷の敷地内であり、右近をキリスト教の聖人にする運動をしている兵庫県芦屋市の「ユスト高山右近列福推進委員会」のマスコットキャラクター「うーこんどの」も駆けつけ、町民らと一緒に参列した。

http://www.sankei.com/region/news/141013/rgn1410130013-n1.html

1886名無しさん:2014/10/16(木) 04:47:43 ID:gjXcfEYU0
http://www.sankei.com/west/news/141015/wst1410150060-n1.html
大阪城上空にヘリ集結 御嶽山噴火の捜索で注目 陸自、消防など連携、大坂の陣イベント

今週末18日&19日、初コラボ

 御嶽山噴火で自衛隊や消防などがヘリを駆使して捜索にあたる中、ますます重要視されるヘリの連携を強化しようと新しい試みが企画されている。18、19日に大阪城公園(大阪市中央区)で開かれるイベント「大坂の陣合戦祭り」で、陸上自衛隊、近畿地方整備局、大阪市消防局、大阪府警のヘリ計4台が結集する。史上初となる競演で府民の安心、安全を守る誓いをあらたにする。

 大坂冬の陣から今年で400年、夏の陣から来年で400年にあたることから18、19日、大阪城公園一帯で開かれる「大坂の陣合戦祭り」(同実行委員会主催)の催しとして企画された。

 テーマは「おおさかを力強く守る空の勇者たち」。19日午後1時、八尾空港(大阪府八尾市)を出発し、10分後に大阪城公園の上空に到着し、地上から180メートルを飛行する。災害などで状況把握のために使われる観測用ヘリ「OH−1(オーエイチダッシュワン)」が飛行する予定という。

 行政や民間との連携に力を入れている自衛隊大阪地方協力本部が各機関に呼びかけた。イベント用に合同でヘリを飛ばすのは初めてという。連携の確認のほか、操縦技術の切磋琢磨なども期待している。

 自衛隊大阪地方協力本部長の大塚裕治陸将補は「連携している姿を見て国民に安心を感じてもらいたい」と話している。

1887名無しさん:2014/10/18(土) 00:56:53 ID:RvfJi8A.0
知ってた? 旅行会社は大阪発祥 玉造の神社に「浪花講」記念碑設置へ 近鉄など賛同

江戸時代、現在の旅行会社の先駆けとなった組合「浪花講(なにわこう)」があった大阪・玉造の玉造稲荷神社分社に26日、記念碑が設置される。浪花講は当時、良質な宿を旅人に斡旋(あっせん)し、各地の名物や休憩所などを紹介するガイドブックも製作するなど、現在の旅行会社の原型を確立。その後、大阪だけでなく関東などにも普及したとされる。こうした大阪発祥の“商人(あきんど)魂”を知ってほしいと、近畿日本鉄道などが記念碑の奉納を決めた。(北村博子)

 かつて玉造はお伊勢参りの西の玄関口としてにぎわい、玉造稲荷神社に祈願して出発していた。近くで江戸時代、綿打ちに使う唐弓(とうゆみ)の弦(つる)を販売していた商人・松屋甚四郎(じんしろう)が文化元(1804)年、後に浪花講となる「浪花組」を立ち上げた。

 甚四郎の使用人が当時、全国各地を行商しており、旅人が宿で強引な客引きやぼったくり、頼んでもいない遊女の手引きなどの被害を受けていることを知り、旅人の安全を確保する現在の旅行会社のようなサービスを思いついた。

 具体的には、組合に加盟した宿には目印となる「浪花講」の看板を掲げさせ、旅人が安心して泊まれるようにしたほか、旅人にも浪花講発行の木札(後に布製に移行)を持たせ、宿側から信用されるようにした。

 このほか、組合に加盟している各地の宿や休憩所、地域の名物などを紹介する現在のガイドブックのような「浪花講定宿帳」や「浪花講道中記」も発行。こうしたサービスを明治維新まで続けた。

 この史実を広くアピールしようと、お伊勢参りを題材にした落語を手がける桂文我さんが今春、記念碑の設置を呼びかけ、近鉄や、三重県伊勢市の老舗和菓子メーカー「赤福」などが賛同した。

 いまに残る浪花講の木製看板をデザインしたステンレス製プレート(縦85センチ、横36センチ)を作り、石碑(縦約120センチ、横約90センチ、奥行き約30センチ)にはめこむ。浪花講のあった玉造稲荷神社の南西約600メートルの分社に設置する予定だ。

 神社の鈴木伸廣禰宜(ねぎ)(39)は「商売人気質を受け継ぐ大阪の若者にも、温故知新の精神で起業にチャレンジしてほしい」と話している。

 石碑の除幕式は午後1時から分社で。4時から神社で落語会(有料)もあり、桂文我さんらが出演する。浪花講の看板や定宿帳なども公開される。問い合わせは神社((電)06・6941・3821)。

http://www.sankei.com/west/news/141017/wst1410170058-n1.html

1888名無しさん:2014/10/19(日) 10:53:26 ID:7BOsdhk.0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141012-OYTNT50370.html
歌舞伎で伝える日本の心
2014年10月13日

◆吹田 留学生ら130人鑑賞

 外国人留学生らに歌舞伎を通して日本文化への理解を深めてもらうイベントが12日、吹田市の市夢つながり未来館で開かれ、留学生ら約130人が楽しんだ。

 日本の「思いやりの心」を知ってもらおうと、NPO法人「大楽小楽」が開催。市民でつくる歌舞伎グループ「澪(みお)つくし歌舞伎」のメンバーが、演目「人情噺(ばなし) 文七元結(ぶんしちもっとい)」を演じた。

 賭け事好きの主人公の左官は、娘が遊郭に身を売って作った50両の大金を、金に困り身投げしようとする若者に与えてしまうが、それをきっかけに人生が好転する物語。時折、英語のせりふも交えながらコミカルな演技を披露し、笑いを誘っていた。

 タイからの留学生で関西大で日本史などを学ぶタナーカーン・ルートトュートサクンさん(22)は「思いやりを大切にする日本人の心が伝わってきて感動した」と話していた。

2014年10月13日

1889名無しさん:2014/10/19(日) 12:09:45 ID:7BOsdhk.0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141017-OYTNT50024.html
江戸期板番付のこった 河内長野の神社
2014年10月17日

◆決まり手描いた絵馬も

 河内長野市教委は16日、赤坂上之山神社(同市美加の台)で保管されていた相撲板番付が173年前の江戸後期に奉納されたものだと判明した、と発表した。同神社には同時期に奉納された相撲の決まり手を描いた絵馬もあり、江戸時代の相撲に関する史料が確認されるのは全国的に珍しいという。

 拝殿の壁に掛かっていた板番付(縦62センチ、横208.6センチ)。墨が消えて詳しいことは判然としなかったが、氏子らの依頼を受けた市内の天野山文化遺産研究所が6月から調査・修復をしていた。その結果、力士の名前が並んで記載されており、天保12年(1841年)に奉納された番付とわかった。興行主の勧進元は「押尾川巻右衛門」となっていた。

同神社では、相撲の決まり手の一つ「河津掛け」を繰り出す力士が描かれた絵馬(縦77センチ、横58センチ)も見つかっていた。天保6年(1835年)の献納で、にかわ絵の具で力士が躍動感ある筆致で描かれている。

 市教委は「江戸時代にこの地域で相撲が盛んに行われていたことを伝える貴重な史料」と評価。同神社は番付や絵馬を今後、一般公開するかどうかを検討する。

2014年10月17日

1890名無しさん:2014/10/19(日) 20:13:57 ID:i00Q8V6Q0
竹鶴政孝とリタ展
10月19日 18時28分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141019/5467241.html

NHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルになった竹鶴政孝夫妻と当時の大阪を紹介する展示会が、大阪市で開かれています。
この展示会は、竹鶴政孝の妻のリタが勤めていた大阪・住吉区の帝塚山学院で開かれています。
会場には、夫妻に関する資料22点が展示され、このうち、当時の卒業アルバムには、教員として働いていたリタの写真の下に「竹鶴先生」と書かれています。
学校は、このアルバムを戦争の混乱などで紛失していましたが、ことしの夏、府内の歴史資料の収集家が所有していることがわかり、展示会ために、特別に貸し出されました。
19日は、地元の歴史研究者の講演も行われ、リタが教員として働いたのは、政孝が酒造会社を辞めた後、家計を助けるためだったことなどドラマの背景が説明されると、参加者は興味深そうに聞き入っていました。
この展示会は、10月22日まで開かれています。

1891名無しさん:2014/10/19(日) 20:35:26 ID:i00Q8V6Q0
130人の甲冑武者隊が400年前の激戦を再現、大阪城で「大坂ノ陣合戦祭り」
http://www.sankei.com/west/news/141019/wst1410190045-n1.html

甲冑(かっちゅう)姿の武者たちが合戦絵巻を繰り広げる「大坂ノ陣合戦祭り」が19日、大阪市中央区の大阪城公園西の丸庭園で開かれ、豊臣軍と徳川軍が激突した400年前の戦いが再現された。

 産経新聞社などで構成する実行委員会が主催。会場は約1万5千人の人出でにぎわった。

 合戦祭りは、豊臣方の真田幸村隊が徳川軍に完勝した大坂冬の陣の「真田丸攻防戦」で幕開け。数十人の甲冑隊が勇壮なやりさばきを披露した。

 続いて約130人の武者隊が入城し、夏の陣の激戦を再現。幸村役の武者がやりをもって家康役を追い詰め、観客をわかせた。

 陸上自衛隊中部方面航空隊や大阪府警、大阪市消防局、国交省近畿地方整備局のヘリコプター4機が大阪城上空を旋回する演出もあり、空からも武者たちを鼓舞した。

 大坂の陣は大坂城とその周辺を舞台に約30万の兵が激突した合戦。慶長19(1614)年に大坂冬の陣が勃発し、翌年の大坂夏の陣で大坂城は炎上した。

1892名無しさん:2014/10/20(月) 05:00:06 ID:WN5T4V.A0
http://www.sankei.com/region/news/141019/rgn1410190038-n1.html
秀吉の好んだ名水 茨木神社で大茶会 大阪

. 豊臣秀吉が茶の湯に好んで使ったといわれる茨木神社(茨木市元町)の名水「黒井の清水」で18日、「大茶会」が始まり、大勢の観光客や市民でにぎわった。19日も行われる。

 秀吉がタカ狩りで茨木に立ち寄った際、当時、茨木城内にあった「黒井の清水」でたてた茶を飲んでたいそう気に入り、大坂城で茶の湯を行うときに、わざわざ「黒井の清水」をくみに行かせたという。

 大茶会はこの逸話をしのび、名水とお茶の文化を継承するイベントとして毎年、市観光協会が開催。今年は「大坂の陣400年天下一祭」の参加事業にもなっている。

 この日、境内に設けられた赤い毛氈(もうせん)の約80の茶席は詰めかけた人たちで常に満員となり、市茶華道連盟の女性がたてるお茶を創作生菓子とともに堪能した。

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1893名無しさん:2014/10/23(木) 18:54:32 ID:QG9CQ2Qw0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141022-OYTNT50030.html
120センチ船形埴輪など45点
2014年10月22日

◇高槻で古墳期の水運交易紹介

 古代の船をかたどった船形埴輪(はにわ)や船の部材など45点を集めた特別展「古墳時代の船と水運」が、高槻市郡家新町の今城塚古代歴史館で開かれている。12月7日まで。

 淀川の水運とともに発展してきた北摂地域の歴史を考察しようと企画。継体天皇の墓所とされる同市の今城塚古墳(6世紀前半)から見つかった船の絵が描かれた円筒埴輪や、熊本県・阿蘇山の溶岩でできた巨大な石棺の一部などを展示。淀川や瀬戸内海に通じる水運を利用して交易が行われていたことがうかがえる。

 三重県松阪市の宝塚1号墳から出土した全長約120センチの船形埴輪は、大刀などで飾り付けられており、埋葬された有力者の権威とともに、死後の世界には船で向かうとされた当時の思想も伝えている。内田真雄学芸員(38)は「かつて川は人や物を運ぶ重要な水運だったことを知ってほしい」と話した。

 入館料は一般200円、小中学生100円。問い合わせは、同歴史館(072・682・0820)へ。

2014年10月22日

1894名無しさん:2014/10/23(木) 19:19:46 ID:QG9CQ2Qw0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141023-OYTNT50054.html
百舌鳥・古市古墳群 世界遺産へ動画公開
2014年10月23日

◇堺市がPR

堺市は、百舌鳥(もず)・古市古墳群(4世紀後半〜6世紀前半)の世界遺産登録をアピールする動画を作り、22日、公開を始めた。堺親善大使の歌舞伎役者・片岡愛之助さんら総勢約170人の応援メッセージを紹介している。

 動画のタイトルは「堺は元気だ!!」(1分4秒)。堺名誉大使で日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎さんのほか、古墳周辺で清掃活動に取り組む市民、古墳にちなんだカレーやパンで町おこしをする人らも登場。竹山修身市長は「世界遺産登録に向け、盛り上げていきたい」としている。市ホームページの「堺動画チャンネル」(http://videochannel.city.sakai.lg.jp/)などで閲覧できる。

2014年10月23日

1895名無しさん:2014/10/27(月) 00:01:10 ID:LQQPATq.0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141025/5573761.html
8Kで文楽「曽根崎心中」
10月25日 19時11分

文楽の「曽根崎心中」を「8Kスーパーハイビジョン」の鮮明な画質で鑑賞する催しが大阪・北区で開かれました。
この上映会は、25日から2日間、大阪・北区のグランフロント大阪で開かれ、25日の午前中は、事前に申し込んだ約150人が参加しました。上映されたのは、現代美術作家の杉本博司さんが演出を手がけた文楽の人気演目、「曽根崎心中」です。
8Kスーパーハイビジョンは、通常のハイビジョンに比べ、画素数が約16倍と、より鮮明な映像が楽しめるほか、臨場感のある音響も特徴で、会場では、人形の表情や着物などが大型スクリーンにくっきりと映し出され、太夫の語りが朗々と響き渡っていました。
8Kをめぐっては、総務省が本放送の開始時期を4年後の2018年とする方針を決め、東京オリンピックが開かれる2020年には、多くの視聴者が市販のテレビで楽しめる状況にすることを目指すとしています。
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http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141025/5689411.html
文楽補助金 一括支給は廃止へ
10月25日 19時11分

文楽に対する補助金について、大阪市は、来年度から一括して支給するいまの枠組みを廃止する方向で調整を進めています。
伝統芸能、文楽に対する補助金について、大阪市は、現在、人件費などの補助にあてる2900万円を観客数に応じて算定するなど一括して支給しています。
来年度の対応について、市は、特定の団体への一括した支給は今年度までとするとした、従来の方針を維持したいとして、いまの枠組みを廃止する方向で調整を進めていて、文楽を運営する文楽協会にも伝えました。
一方で、市は、文化事業を検証する専門家委員会が、文楽を、「大阪の宝」などと位置づけていることを踏まえ、事業ごとに必要な助成金を申請してもらう形に切り替える方針です。
これとあわせて、市は、来年度、文楽に親しんでもらうためのイベントなどの開催も検討しています。
文楽協会は、「行政の支援がなければ運営は厳しいので、今後、どう支援を受けるか協会内でも検討していきたい」と話しています。
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1896名無しさん:2014/10/27(月) 20:58:23 ID:JuS9UTXM0
文楽を動画で予習…文楽劇場が初心者向けに公開
2014年10月27日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141027-OYO1T50016.html?from=oycont_top_txt

初めて文楽を観劇する人に楽しさを知ってもらおうと、国立文楽劇場(大阪市中央区)は、11月文楽公演(11月1〜24日)の演目のダイジェスト映像を作成し、動画サイト「ユーチューブ」で公開を始めた。

 古典の文楽は、時代背景やストーリーなどの予備知識がないと、流れをつかみづらいとの声がある。文楽協会への補助金問題などで揺れるなか、文楽に詳しくない人にも魅力を伝えようと、初めて作成した。11月公演では、「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」と「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」を上演。動画では、両作品とも、過去に上演された際の映像を5、6分程度に編集し、テロップで解説している。「奥州――」では、平安時代に奥州を支配していた安倍氏が朝廷に敗れ、再起を図る物語を短くまとめた。

 NPO法人人形浄瑠璃文楽座(同市)も、太夫、三味線、人形遣いの役割について解説する動画を公開している。

 各動画は同劇場のホームページからリンクしている。

2014年10月27日

1897名無しさん:2014/10/27(月) 21:32:52 ID:JuS9UTXM0
吉田玉女さんが吉田玉男襲名
10月27日 19時09分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141027/5349641.html

人形浄瑠璃、「文楽」の人形遣いの吉田玉女さんが、人間国宝だった師匠の名跡の「吉田玉男」を襲名することになりました。
吉田玉女さんは、大阪・八尾市出身の61歳。
昭和43年、人形遣いの吉田玉男さんに入門したあと男役の人形を操る実力派となり、歴史上の人物や事件を扱う「時代物」での業績などが高く評価され、ことし日本芸術院賞を受賞しました。
玉女さんは、来年4月に、人間国宝だった師匠の名跡を継ぎ、「二代目吉田玉男」を襲名することになりました。
玉女さんは記者会見で、「念願かなって師匠の名跡を名乗れるようになりました。師匠は、男役でも女役でも、操る人形から色気が感じられるほどのすごい技を持っていました。襲名を機会に、女役の人形にほれられるような色気を出せるよう精進していきます」と抱負を述べました。
また、大阪市が文楽への補助金について、一括して支給する今の枠組みを廃止する方向で調整していることについて、「いろいろ問題がありますが、私たちは舞台でがんばるしかありません」と述べました。
襲名披露公演は、来年4月に大阪で、5月には東京で行われる予定です。

1898名無しさん:2014/10/27(月) 21:56:29 ID:JuS9UTXM0
「浪花講」の記念碑建立
10月27日 08時15分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141027/5662591.html

江戸時代、安心して旅をしてもらうために客から法外な料金を取ることを規制したといわれる宿の組合の「浪花講」の歴史を多くの人に知ってもらおうと記念の石碑が大阪に建てられ、26日、除幕式が行われました。
「浪花講」は、江戸時代に安心して旅をしてもらおうと客から法外な料金を取ったり、宿で賭博を開いたりすることを禁止する規制を設けた宿の組合で、各地の名産品や神社など旅先の情報をまとめた宿帳を発行したことなどから、現在の旅行会社のルーツといわれています。
この歴史を多くの人に知ってもらおうと、浪花講を立ち上げた商人の屋敷の跡にある大阪・中央区の玉造稲荷神社の分社に記念碑が建てられ、除幕式が行われました。
記念碑は、高さ1メートル70センチほどで浪花講に加盟した宿に掲げられていた看板がはめられ、「浪花講発祥の地」と記されています。
地元の人たち約50人が集まり、発起人の1人である落語家の4代目桂文我さんが、「伊勢参りが安全にできたのは浪花講があったおかげだということをぜひ伝えたい」とあいさつしました。
玉造稲荷神社の鈴木一男宮司は、「地元の人も知らない歴史だと思うので、これを見て新しい分野を切り開く起業家精神を培って欲しい」と話していました。

1899名無しさん:2014/10/27(月) 22:30:57 ID:JuS9UTXM0
「浪花講」発祥の地 起業家精神継承へ記念碑
2014年10月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141027/20141027023.html

 現在の旅行会社のもととなった江戸時代の「浪花講」があった玉造稲荷(いなり)神社(大阪市中央区)の分社で26日、発祥の地を記す記念碑の除幕式が行われた。行商人が旅人の安全を願って設立したことに倣い、関係者らは「起業家精神を知ってほしい」と期待を込めた。

かつて伊勢参りの玄関口として栄えた玉造は、ぼったくりをするなど悪質な宿が多かったという。浪花講は、綿打ちの道具を販売していた行商人、松屋甚四郎と使用人の源助が設立。1804年に前身となる旅宿組合「浪花組」を立ち上げた。優良な宿の紹介や旅先の情報を載せたガイド本を発行するなどサービスは全国に広まり、現在の旅行会社の原型になった。

 分社は同区上町1丁目の甚四郎の屋敷跡に立地する。高さ約1メートル70センチの石碑に、現存する浪花講の看板を模したステンレス製のプレートをはめ込んだ。

 式典は、発起人の落語家桂文我さんや賛同者の山口昌紀近畿日本鉄道会長ら約40人が出席。桂さんは「甚四郎たちは伊勢参りを安全に進めたパイオニア。皆さんから伝えてほしい」と話していた。

1900名無しさん:2014/10/30(木) 22:19:11 ID:MKAYh9b.0
司馬遼太郎が描く 大坂の陣
2014年10月28日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141028-OYTNT50018.html

◇記念館 「城塞」自筆原稿など34点

 東大阪市下小阪の司馬遼太郎記念館で28日から、大坂の陣400年を記念し、企画展「『城塞』―司馬遼太郎が描いた大坂の陣」が開かれる。小説「城塞」の自筆原稿など34点が公開される。来年5月17日まで。

 展示コーナーでは、城塞執筆時に使った地図などの資料や、司馬さんが描き、挿絵担当の画家に送った激戦地・道明寺(藤井寺市)付近のスケッチなどが並ぶ。上村洋行館長は「乱世の政治情勢を、司馬さんがどう考えていたかを知ってもらい、現代を生きるヒントにしてほしい」と話している。

 午前10時〜午後5時。月曜休館で、12月10日から来年1月5日までは工事のため、臨時休館。入館料500円。問い合わせは同館(06・6726・3860)へ。

2014年10月28日

1901名無しさん:2014/10/31(金) 19:37:55 ID:B2rgcwjI0
「すみよっさん」七五三に向けた袋詰め作業ピーク
http://www.sankei.com/west/news/141031/wst1410310045-n1.html

七五三参りの時期を迎え、「すみよっさん」の愛称で親しまれる住吉大社(大阪市住吉区)では子供に渡す祝い袋の袋詰め作業がピークを迎えている。

 11月中旬の週末を中心に、毎年約6千組の家族連れでにぎわう同社。最近は混雑を避けて前倒しする人も多く、今月すでに1千組が参拝に訪れた。

 袴を着けた正装で、紅白の千歳あめやお守りを一つ一つ丁寧に詰め込む神楽女(かぐらめ)の女性は「お子さんの健やかな成長をお祈りしています」と話した。

1902名無しさん:2014/10/31(金) 19:50:38 ID:B2rgcwjI0
幻の生玉宮寺ゆかりの仏画群紹介 きょうから阿倍野で特別展
http://www.sankei.com/region/news/141028/rgn1410280004-n1.html

生国魂神社(大阪市天王寺区)の神宮寺にあたる幻の寺院「生玉宮寺(いくたまぐうじ)」ゆかりの仏画群を紹介する特別展「生玉宮寺の秘宝」が28日、阿倍野区の大阪芸術大スカイキャンパス(あべのハルカス24階)で開かれる。近世大坂の信仰の様子を伝える貴重な文化遺産で、一括して公開されるのは今回が初めて。

 生玉宮寺は、明治の廃仏毀釈で廃寺となり、寺宝の多くが散失したと考えられていた。

 しかし近年、ゆかりの仏画群が天王寺区の青蓮寺に伝来していることがわかり、市教委が調査していた。

 今回公開されるのは、密教画を中心としたコレクションで、「愛染明王画像」「弘法大師画像」「大勝金剛画像」など約60点。中世に制作されたものや全国的に珍しい仏画も含まれ、平成19年には一部が市の有形文化財に指定されている。

 特別展は11月12日まで。午前11時〜午後7時。11月4、10日は休み。資料代100円(中学生以下は無料)。

 問い合わせは市教委文化財保護担当(電)06・6208・9168。

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1903名無しさん:2014/11/02(日) 00:41:08 ID:gobj1fB20
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141101/20141101046.html
「七五三詣」準備大忙し 袋詰め作業ピーク
2014年11月1日

 11月の七五三シーズンを目前に控えた31日、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で参拝者に渡す撤下(おさがり)の袋詰め作業がピークを迎えた。

境内の連歌所で、神楽女(かぐらめ)と呼ばれる巫女(みこ)6人が、お守りや千歳あめなどの縁起物を詰めた。作業は10月中旬に始まり、この日は最後の千個を袋詰め。全部で約6千個を用意した。

 神楽女の福永有記さん(23)は「参拝するお子さまが健やかに成長されるよう思いをこめて詰めさせていただいています」と話していた。

 七五三詣は日ごろの感謝と安全無事な成長を祈願するお祝いの儀式で、11月中旬のピークには1日に約800組が住吉大社訪れるという。

1904名無しさん:2014/11/02(日) 11:26:50 ID:Sf3EAP2Y0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141101-OYTNT50062.html
大坂城石垣 技の結晶
2014年11月01日
 
◇天守閣元館長 「穴太衆」活躍紹介

再発掘されている豊臣秀吉時代の大坂城の石垣について学ぶ歴史講座「地下に眠る豊臣大坂城の石垣を探る」(太閤なにわの夢募金実行委員会など主催)が31日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれ、多くの歴史ファンらが訪れた。

 大阪城天守閣元館長の中村博司さんが講演で、石積みの技術者集団だった近江(滋賀)出身の穴太(あのう)衆が歴史上、どのように登場し、活躍したかを紹介。「今回、公開予定の石垣も、穴太衆が担当した可能性が極めて高い」と話した。

 そのほか、大阪文化財研究所の市川創学芸員が、発掘で明らかになった石垣の様子を写真やビデオで説明するなどし、来場者が興味深そうに見入っていた。

2014年11月01日

1905名無しさん:2014/11/02(日) 15:16:28 ID:74gx5Duk0
幸村博「いざ出陣!!」 ゆかりの声優池田さん迎え
2014年11月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141102/20141102031.html

 「大坂の陣」から400年を迎えた記念イベント、天王寺真田幸村博「真田丸の陣」が1日、大阪市天王寺区の真田山公園周辺で開かれ、来年まで続くコアイベントが開幕した。幸村ゆかりのゲストとしてテレビアニメで活躍する声優の池田秀一さんが登場すると、詰め掛けたファンから歓声が湧き起こった。

武具を朱塗りにした“赤備え”は真田氏の代名詞として知られる。池田さんは人気アニメ「機動戦士ガンダム」の主人公のライバルで“赤い彗星”ことシャア・アズナブル役や、アニメ「ワンピース」に登場する“赤髪”のシャンクス役が有名。

 水谷翔太区長らを交えたトークショーで、愛車の色や好物が赤ワインであることなど、赤にまつわるエピソードを披露した。

 ステージでは、絵巻作家、正子公也さんの作品を基にアフレコのコーナーを設定。幸村役として合戦に臨むシーンで「狙うは家康の首、ただ一つ!」と勇ましいせりふを披露すると、喝采が巻き起こった。

 会場では5人組のPR武将隊「大坂RONIN5」による演武パフォーマンスのほか、殺陣や活劇、甲冑(かっちゅう)隊の行進も行われた。

 催しは区役所などでつくる実行委員会が主催し、「夏の陣」から400年を迎える来年11月まで展開する。天王寺は大坂の陣の激戦地であり、戦国武将として名を馳せた幸村の軌跡をたどる。

1906名無しさん:2014/11/02(日) 15:45:23 ID:74gx5Duk0
<七曲がり>大坂城足元 残る守り跡
2014年10月19日 05時00分
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO005847/20141019-OYTAT50008.html?from=yartcl_popin

大通りから中に入ると曲がりくねった道が目の前に現れた。300メートルはあるだろうか。くねくねとしたその形はさながら蛇のようだ。

 「ここからだと、向こうが見えないでしょう」。地元でガイドを務める「城東歴史探偵団」団長の酒井啓一さん(78)が語った。

 大阪市旭区高殿に「七曲がり」と呼ばれる場所がある。かつて田園に囲まれた集落「関目村」。豊臣秀吉が敵の進攻を遅らせ、陣容を把握できるようにするために設けたと伝わる。

 地元でも知る人は少ないが、酒井さんは年に何度も案内を重ねてきた。もともと歴史好きで、「地元の魅力を伝えたい」と区のパンフレットやガイド養成講座で学んだ。ここを説明すると、たいてい驚かれるそうだ。「『よく今まで残っていたなあ』と皆さん、口をそろえますね」

ただ、七曲がりについて詳しい文献はほとんど残っておらず、謎に包まれている。

 秀吉は1596年までに京都・伏見〜大坂城間を結ぶ京街道を完成させた。工事はその10年ほど前から着手したとされ、この間に造られた可能性がある。「城に攻め入られる前に、なんとかしなければ」という思いがあったのかもしれない。

 では、なぜ造ったのが関目村周辺だったのか。

 大阪歴史博物館の学芸員・大沢研一さん(52)は「京都から大坂城に着く前の最後の集落が関目村周辺。曲がった道沿いにある建物で敵陣の視界を遮り、前方を見渡せなくした可能性がありますね」と話す。

 秀吉は、このカーブが続く道を眺めながら、その先に天下統一を見定めていたのだろうか。

1907名無しさん:2014/11/02(日) 15:46:10 ID:74gx5Duk0
七曲がりのすぐ近くに関目神社がある。大坂城から見て鬼門に位置することから、秀吉はこの地にほこらを建て、毘沙門天を奉安したとされる。

 ただ、秀吉ゆかりの場所であることは、あまり知られておらず、西邑彬宮司(80)も「たまに歴史好きの人が来るみたいですがね」と言葉少なに語る。

 それでも、ツアーで神社も案内するという酒井さんは「知られていない地元の歴史を伝えていくことの意味って大きいと思うんですよ」と力を込める。そして、「それが秀吉が築いた大坂を見直すことにつながる。私はそう考えているんです」と続けた。

 秀吉の時代、大坂が日本の中心だった。隠れた秀吉の足跡をたどれば、誇りを抱かせる何かが見つかるかもしれない。(神谷次郎)

 

 ◆七曲がり

 大阪市旭区高殿4の都島通近くにある約300メートルのほか、同市営地下鉄野江内代駅付近にも約150メートルが残るとされる。旭区史にも掲載されているが出典は不明で、いずれも詳しいことはわかっていない。

 

 ◇太閤なにわの夢募金

 大阪市と読売新聞大阪本社は、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業の資金を募るため、「太閤なにわの夢募金」に共同で取り組んでいます。1万円以上の寄付をした方に造幣局製造の「太閤通宝」を贈呈するなどの特典があるほか、寄付額に応じて所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 寄付はゆうちょ銀行、郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードによる申し込みになります。

 問い合わせは、大阪市・城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)へ。

 この募金の応援企画として、毎月第1、3水曜日夕刊で、現代に息づく秀吉の夢や功績を取り上げる「なにわの夢」を掲載しています。

2014年10月19日 05時00分

1908名無しさん:2014/11/03(月) 07:58:26 ID:uH3D3wnc0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141102-OYTNT50362.html
懐かしの昭和振り返る 泉佐野
2014年11月03日

◇写真や生活用具130点

 昭和期の写真や生活用具を集めた特別展「昭和は遠くなりにけり」が、泉佐野市市場東の市立歴史館いずみさので開かれている=写真=。30日まで。無料。

 1964年の東京五輪の聖火ランナーが同市内を走る写真や、大阪万博(1970年)で日本館の女性スタッフが着た制服、往年のスターの名が並ぶ映画看板など約130点を展示している。同市上町の八坂五百子さん(71)は「必死に生きていた当時のことを思い出した。懐かしいですね」と話していた。

 16日午後1時30分から、同館の森昌俊館長による展示解説と講演会がある。先着40人。問い合わせは同館(072・469・7140)へ。

2014年11月03日

1909名無しさん:2014/11/03(月) 08:01:34 ID:uH3D3wnc0
http://www.sankei.com/region/news/141101/rgn1411010042-n1.html
古墳時代の水運と王権のかかわりに迫る 大阪・今城塚古代歴史館で特別展

. 古墳時代の水運と王権のかかわりを紹介する秋季特別展「古墳時代の船と水運」が、大阪府高槻市郡家新町の今城塚古代歴史館で開かれている。淀川水系唯一の大王墓で、継体天皇の墓とされる市内の今城塚古墳から出土した、船が描かれた円筒埴輪(はにわ)など45点を展示している。12月7日まで。

 特別展では、今城塚古墳から出土した、九州から運ばれてきた石棺などで淀川水運と王権のつながりを解説。久宝寺遺跡(八尾市)から出土した準構造船の部材をもとに、当時の船の大きさや構造を紹介したり、宝塚1号墳(三重県松阪市)で出土した船形埴輪などからも、当時の船の装飾を説明したりしている。

 担当者は「古墳時代は陸上交通が未整備で、水運が特に重要だった。高槻が淀川の水運によって発展したことを知り、古代の水運に思いをはせてもらいたい」と話している。月曜と、祝日の翌日は休館。入館有料。問い合わせは今城塚古代歴史館(電)072・682・0820。

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1910名無しさん:2014/11/03(月) 17:42:16 ID:ArJFbo.E0
文化勲章の親授式
11月3日 12時26分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141103/t10015900711000.html

文化の日の3日、皇居で文化勲章の親授式が行われ、ノーベル物理学賞の受賞が決まった天野浩さんや中村修二さんなどに、天皇陛下から文化勲章が贈られました。

ことしの文化勲章の受章者は、▽青色LEDの開発に取り組み、ノーベル物理学賞の受賞が決まった名古屋大学大学院教授の天野浩さん(54)と▽カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村修二さん(60)、▽軽やかで深みのある抽象画を制作し続けている洋画家の野見山暁治さん(93)、▽人形浄瑠璃「文楽」の語り手で人間国宝の七世、竹本住大夫さん(90)、▽「蟹」(かに)で芥川賞を受賞するなど、人間の深層心理を描く独自の文学的世界を構築した作家の河野多惠子さん(88)、▽理論経済学や経済学史の研究ですぐれた業績を挙げた東京大学名誉教授の根岸隆さん(81)、▽動物の細胞膜と同じ構造の膜を化学的に作り出すことに世界で初めて成功した九州大学名誉教授の國武豊喜さん(78)の7人です。
親授式は皇居・宮殿の松の間で行われ、天皇陛下から、欠席した河野さんを除く受章者一人一人に、橘の花にまが玉をあしらった文化勲章が贈られました。
そして、受章者を代表して根岸さんが、受章に恥じないよう一層職務に励んでいくとあいさつすると、天皇陛下は「長年努力を重ね、大きな業績をおさめられ、文化の向上に尽くされたことを、まことに喜ばしく思います」とお祝いのことばを述べられました。
このあと、受章者たちは文化勲章をつけて宮殿の前で記念撮影に臨み、受章の喜びをかみしめていました。
文化勲章の親授式のあと、宮内庁で受章者の記者会見が行われました。
天野浩さんは「初めて頭が真っ白になって、今でもどういうふうに行動したのか覚えていないくらい感激しました」と話しました。
そして、「これまで支えていただいた皆さんに感謝するとともに、少しでも恩返しができるように、これから精進していきたい」と述べました。
中村修二さんは「日本人としては、やはり、これが最高の名誉ですから、非常にうれしく、光栄に思っています」と喜びを語りました。
そして、「いろんな方に応援していただいてここまで来られ、非常に今、感謝の気持ちでいっぱいです」と述べました。
また、文楽界で初めての受章となった竹本住大夫さんは「おこがましく、亡くなった先輩・師匠はあの世で笑っていると思いますが、ありがたいことで、喜びと感謝と敬いの心に尽きます。今後も文楽の発展のために微力ながらも力を注ぎたい」と語りました。
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1911名無しさん:2014/11/07(金) 20:37:27 ID:Bgv4WOnk0
http://www.sankei.com/region/news/141106/rgn1411060102-n1.html
浅野内匠頭や伊能忠敬ら宿泊「郡山宿本陣」の秋の特別公開始まる 大阪

. 「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」で有名な赤穂藩主、浅野内匠頭(たくみのかみ)をはじめ、江戸時代に参勤交代の大名らが泊まった茨木市宿川原町の国史跡「郡山宿本陣」で秋の特別公開が始まった。当時の宿帳や大名の宿泊部屋「上段の間」、米蔵、茶室などが見学できる。

 郡山宿本陣は旧西国街道沿いにあり、門の内側に大きなツバキがあることから「椿の本陣」とも呼ばれる。

 西国の大名のほか、幕末に日本地図を作製した伊能忠敬ら歴史上の人物が多数宿泊した。上段の間は、敵対勢力に床下から危害を加えられないように、寝床には畳を二重に敷いている。

 また、宿帳には伊能忠敬が測量の旅の途中に宿泊した際、本陣側と宿泊代の交渉をしたとされる記録なども残されている。

 特別公開は9日まで。入場無料。8、9両日は午後2時から、本陣の17代目当主、梶洸(かじたけし)さんと市学芸員が本陣内を案内し、解説する。問い合わせは市立文化財資料館(電)072・634・3433。

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1912名無しさん:2014/11/08(土) 19:25:32 ID:zENY3jhE0
不屈の名将・幸村 今なおヒーロー
2014年11月05日

それは約400年の時を超え、大阪に戻ってきた。

 大阪市東成区の真田幸村公資料館で展示されている火縄銃「宿許筒(しゅくしゃづつ)」(全長約60センチ)。1614年の大坂冬の陣と翌年の夏の陣で、徳川軍と果敢に戦った幸村の品だ。8連発を可能にした当時のハイテク銃で、幸村が堺の鉄砲鍛冶と協力して開発したとされる。

 夏の陣で、幸村はわずかな手勢を率いて徳川家康の本陣を急襲。馬上から家康を狙撃しようとしたが、誤って宿許筒を落とし、撃ち損じた。その後、宿許筒は戦利品として紀州徳川家が幕末まで保管していたが、戦後、米国人将校の手に渡った。

 そのことを知った同区の鉄砲研究家・沢田平さん(79)が米オレゴン州に出向いて所有者と20年にわたって交渉。2009年に譲り受け、今年6月に開いた同館で公開に踏み切った。

 古式砲術再興のため、各地にある約50の鉄砲隊の指導にも取り組む沢田さんは、6万丁にも及ぶ火縄銃を見てきたが、宿許筒と同じ構造の銃は一度も出会ったことがない。

 「知勇の武将とのイメージが先行するが、発明家の一面があった。潔くまじめな人柄は現代に通用する優れた日本人像だ」。沢田さんは、幸村の生き方から学ぶことは多いと指摘する。

◇「日本一の兵」

 秀吉が天下統一の本拠地として築いた大坂城は周囲8キロにも及ぶ惣(そう)堀で守られた巨城だが、唯一とも言える弱点が、大軍の攻撃にさらされる陸地続きの南側だった。

 幽閉されていた紀州・九度山から脱し、豊臣方に加勢した幸村はそのことを見抜き、現在の大阪市天王寺区の心眼寺近くに櫓(やぐら)や堀、柵を備えた要塞「真田丸」を築いたとされる。

 1614年11月。戦いの火ぶたが切られる。徳川方の軍勢20万に対し、豊臣方は10万。劣勢の中、幸村は真田丸に徳川軍をおびき寄せ、銃弾や矢を浴びせかけた。徳川方の犠牲者は冬の陣最大の数千人以上を数えた。

 幸村は夏の陣で戦死するが、その戦いぶりは「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)」とまで言われた。

 大阪城天守閣の宮本裕次・研究副主幹(48)は「敗軍の将ながら、大坂夏の陣図屏風の画面中央に描かれてもいる。徳川方の幸村への評価の高さを示している」と語る。

1913名無しさん:2014/11/08(土) 19:26:40 ID:zENY3jhE0
◇合戦を再現

 「エイエイオー!」。大阪府柏原市の大和川河川敷で10月、赤と黒の集団が気勢を上げた。

 現在の柏原市や羽曳野市、藤井寺市周辺で繰り広げられ、幸村と伊達政宗が激突した夏の陣「道明寺・誉田(こんだ)の戦い」を再現したイベント。参加者は、赤、黒の甲冑(かっちゅう)(重さ約6キロ)を身にまとい、槍(やり)(長さ3・6メートル)を振り回した。

 企画したのは、国際武術文化連盟代表の横山雅始さん(60)。参加者約80人のうち、32人はフランス人だ。日本の歴史を体験することで、国際理解を深めてもらおうと考えた。仏陸軍に所属するオリコ・フィデリックさん(46)は「異国の文化や武道、友好に触れた瞬間だった。この経験をさらに広く知らせていきたい」と話す。

 2016年のNHK大河ドラマは幸村が主人公の「真田丸」に決まり、天王寺区では現在、真田丸を模型で再現する計画が進む。寄付を呼びかけたところ、これまでに幸村ファン約90人から100万円が集まった。

 JR玉造駅西側でも、商店主らが「玉造幸村ロード」と名付け、幸村や真田十勇士のパネル人形を設置したり、真田家の家紋「六文銭」をデザインしたTシャツを作ったりして、街おこしを図っている。

 大坂の陣を駆け抜けた幸村。その生き様は時代を超え、人々を熱くしている。

(山崎茂)




 ◇大坂の陣400年特別展

 大阪城天守閣は、戦国時代の合戦図屏風(びょうぶ)の最高傑作と評される「大坂夏の陣図屏風」(重要文化財)を所蔵する。戦いからまもなく、福岡藩主・黒田長政が描かせたとされる。

 右隻(うせき)には、大坂城南方で展開された豊臣方と徳川方との激戦の様子、左隻には、敗走する残兵や戦火を逃げまどう民衆たちの姿が描写されている。黒田家の記録によれば、画中の人物は5071人で、このうち旗などから21人の武将が判別できる。

 天守閣3・4階展示室では、11月24日まで同屏風を含め、大坂の陣で活躍した浪人たちにスポットを当てた特別展を開催中だ。12月下旬までは、天守閣展望台からAR(拡張現実)技術を用いた専用アプリ搭載のタブレットをかざすと、軍勢の配置や参戦した武将が分かる企画も行われている。

2014年11月05日

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141106-OYTAT50010.html

1914名無しさん:2014/11/08(土) 19:48:04 ID:zENY3jhE0
一番櫓公開 半世紀ぶり 大阪城、8日から
2014年11月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141108/20141108050.html

 大阪市中央区の大阪城公園で8日、園内4カ所のやぐらの一般公開が始まる。いずれも通常は非公開の重要文化財。このうち「一番櫓(いちばんやぐら)」は約半世紀ぶりに市民の目に触れることなる。

ことしから来年にかけた「大坂の陣400年」の大きな節目を迎え、大阪城への関心が高まる中にあって、貴重な古建築物の開扉は歴史愛好家や観光客など多くの人々の注目を集めそうだ。一般公開は16日まで。

歴史ドラマを探しに行こう 大阪城の櫓特別公開
 大阪城公園で8日に始まる「櫓(やぐら)特別公開」は、戦国時代最後の合戦をテーマに開催中のイベント「大坂の陣400年天下一祭・冬の陣2014」(実行委主催)の一環であり、関係者は「歴史ドラマを発見して」と呼び掛けている。

 公開される4カ所のやぐらは、いずれも徳川大坂城の古建築物。幕府の御用金を保管した「金蔵(きんぞう)」と、大手口を守る「千貫(せんがん)櫓」「多聞(たもん)櫓」はこれまで不定期に公開されてきたが、二の丸南東に現存する「一番櫓」は約半世紀ぶりの公開となる。

 大坂城二の丸の南側には東から一〜七番のやぐらが連なっていたが、明治維新の大火や大阪大空襲によって一、六番を除き焼失。空襲被害の大きかった一番櫓は1963〜65年に解体修理が施された。

 2階建のうち公開は1階部分のみだが、玉造口をにらむ多くの狭間(さま)(銃眼)や窓が確認できる。

 大阪城天守閣の宮本裕次研究副主幹は7日の内覧会で「公開を通じて文化財の大切さや、天守閣以外の建築物にも歴史ドラマがあることを発見してもらいたい」と話した。

1915名無しさん:2014/11/15(土) 19:41:44 ID:7A2XCs2c0
千歳飴を持って「ハイ、チーズ」晴れ着姿の子供たちが「七五三」住吉大社
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e5%8d%83%e6%ad%b3%e9%a3%b4%e3%82%92%e6%8c%81%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%8c%e3%83%8f%e3%82%a4%e3%80%81%e3%83%81%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%80%8d%e6%99%b4%e3%82%8c%e7%9d%80%e5%a7%bf%e3%81%ae%e5%ad%90%e4%be%9b%e3%81%9f%e3%81%a1%e3%81%8c%e3%80%8c%e4%b8%83%e4%ba%94%e4%b8%89%e3%80%8d%e4%bd%8f%e5%90%89%e5%a4%a7%e7%a4%be/ar-BBdQm5Q

子供たちの健やかな成長を祈願する「七五三」の15日、各地の神社に参拝客が訪れた。大阪市住吉区の住吉大社にも晴れ着姿の子供らが詰めかけた。

 住吉大社によると、七五三は男児は3歳と5歳、女児は3歳と7歳の年のこの日に神社へ参拝するのが昔からの習わし。

 おはらいを受けた子供らは、長寿を願う千歳飴(ちとせあめ)の入った長い手提げ袋を手に、笑顔で記念撮影をしていた。

 同大社では、この日は800組ほどが祈祷(きとう)を受ける見通し。12月ごろまで七五三のお参りは続くという。

1916名無しさん:2014/11/15(土) 20:08:05 ID:7A2XCs2c0
消えゆく戦争遺跡…全国3万か所、再開発進み
2014年11月15日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141115-OYO1T50015.html?from=oycont_top_txt

かつての軍事要塞など、「戦争遺跡」が次々と姿を消そうとしている。老朽化に加え、再開発による取り壊しが進んでいるからだ。来年で終戦から70年。戦争体験者も少なくなっており、平和を考えるための遺産として活用するよう求める声が高まっている。

関西防衛拠点

 和歌山市・加太港の沖に浮かぶ無人島「友ヶ島」。ツタに覆われた赤レンガの弾薬庫や砲台が残る要塞跡は、インターネットで「(アニメ映画の)天空の城ラピュタみたい」と話題になった。昨年度の観光客は約3万人に上り、3年前に比べて倍増した。

 しかし、先月の台風18号で市が管理する鉄製の桟橋が破損。定期船は運休し、島に渡れなくなった。桟橋は腐食が進んでいたが、海底に岩盤が見つかって基礎工事ができず、老朽化対策が課題になっていた。

 市によると、島は明治以降、欧州列強の侵攻に備える関西防衛の拠点だった。フランス製の大砲32門や水中音波探知機(ソナー)など最新兵器を配備。実戦には至らず、大砲やソナーは連合国軍総司令部(GHQ)に破壊されたが、歴史を感じられる場所として小中学生らが見学に訪れていた。

 桟橋復旧のめどは立たず、語り部ボランティアの男性(49)は「島の存在とともに戦争も忘れられてしまう。行政は復旧を急いでほしい」と願う。

権利関係の壁

 市民団体「戦争遺跡保存全国ネットワーク」(長野市)の推計によると、戦争遺跡は全国に約3万か所あるが、毎年数十か所ペースでなくなっているという。

 東京都は今年、零戦エンジンの製作所跡にあった変電所の解体方針を決め、三重県鈴鹿市でも2011年、旧海軍戦闘機の格納庫が解体されて住宅用地になった。

 旧陸軍の貯蔵庫として掘られた大阪府高槻市の地下トンネル群「高槻地下倉庫(暗号名タチソ)」も土砂などがなだれ込み、天井の一部が崩落。市の担当者は「登記の境界線が複雑で地権者も特定できない。予算もなく市単独で保存はできない」とする。

公園整備へ

 一方で、保存に踏み出した自治体もある。

 兵庫県加西市は2月、姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場跡を「戦争史跡公園」(仮称)として整備すると決定。1945年、「白鷺(はくろ)隊」の名で特攻隊員が訓練し、多くが戦死したとされる。

 市は、滑走路(約1・2キロ)を管理する防衛省などと2015年度中の払い下げに向けて協議している。


文化財指定・登録わずか215件

 戦争遺跡を巡っては、1990年に沖縄県南風原(はえばる)町が「沖縄陸軍病院南風原壕群」を全国初の町史跡に指定。その後、広島市の原爆ドームなどが国史跡に指定されるようになった。

 ただ、戦争遺跡保存全国ネットワークの調査では、国や自治体による文化財としての指定・登録は今年7月で計215件にとどまる。

 海外では、ナチスによるユダヤ人虐殺の舞台となったポーランドの「アウシュビッツ強制収容所」跡が国立博物館として保存され、世界遺産に登録されている。

 同ネットワーク共同代表の十菱駿武(じゅうびししゅんぶ)・山梨学院大客員教授は「歴史認識の問題もあり、行政は文化財指定に及び腰だが、法令で守らないと老朽化や開発で消えていく。過去を直視するためにも実物を残すことは重要だ」と指摘している。

2014年11月15日

1917名無しさん:2014/11/15(土) 20:48:00 ID:7A2XCs2c0
「狭山池改修」重源知って
2014年11月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141111-OYTNT50050.html 

◇重文指定の石碑や史料40点

鎌倉時代に狭山池(大阪狭山市)を改修した僧・重源(ちょうげん)の功績を知る特別展「重源と東大寺 鎌倉時代の復興を支えた人びと」が、同市の府立狭山池博物館で開かれている。30日まで。

 狭山池は616年頃に築造された農業用のため池。池から見つかった石碑「重源狭山池改修碑」が今年、重要文化財に指定されたのを記念して同展を企画した。石碑や重源が復興に関わった奈良・東大寺関連の史料など約40点を紹介している。

 石碑は、幅58・5センチ、長さ192センチ、厚さ79・5センチ。重源とともに改修に関わった技術者らの名や、改修の年代などが読み取れる。

 大阪狭山市教委の平野淳さんは「自分だけの手柄とせず、技術者らも大事にした重源の人柄を感じてほしい」と話している。

 入場無料。午前10時〜午後5時。月曜休館。問い合わせは同博物館(072・367・8891)へ。

2014年11月11日

1918名無しさん:2014/11/18(火) 19:18:12 ID:T3RRSSKE0
道明寺合戦の記念碑除幕
11月18日 14時51分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141118/3079861.html

徳川幕府が豊臣家を滅亡させた大坂夏の陣の「道明寺の戦い」の古戦場に記念碑が建てられ、除幕式が行われました。
式には豊臣方の武将後藤又兵衛と徳川方の片倉小十郎の子孫などが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
記念碑は、大阪・藤井寺市にある近鉄・道明寺駅の駅前に建てられました。
道明寺の戦いは、外堀を埋められた大坂城を打って出た豊臣勢がこの地で徳川勢を迎え撃ったもので、豊臣方の有力な武将、後藤又兵衛が、伊達政宗の重臣、片倉小十郎の部隊に討ち取られたと伝えられています。
除幕式では、碑の建立に関わった道明寺まちづくり協議会の森田剛浩会長が、「記念碑がきっかけで、戦いに加わった武将のゆかりの地と大阪との交流が深まることを願っています」と挨拶しました。
式には、後藤又兵衛の子孫で兵庫県加西市に住む後藤基保さんと片倉小十郎の子孫で仙台市に住む片倉重信さんが出席し、約400年ぶりとなる和解の握手を交わしました。
両家の顔合わせは歴史上これまでなかったということで、後藤さんは「先祖が討ち取られ、今でも悔しくないといったらうそになるがこれからは水に流して仲良く交流していきたい」と話していました。
一方、片倉さんは、「片倉家ではこの400年間後藤家のことを思ってきました。念願の和解がかないすがすがしい気持ちです」と話していました。
このほか除幕式には、豊臣方の武将、真田幸村の子孫も参加しました。
真田幸村の三女は、大坂夏の陣のあと、片倉小十郎に引き取られたとされ片倉家とはやはり、深い縁で結ばれています。
真田幸村の子孫で東京・杉並区に住む真田徹さんは、「当時の武将たちは置かれた立場で敵味方に分かれただけで相通じる思いがあったと思います」と話していました。
..

1919名無しさん:2014/11/18(火) 20:31:05 ID:T3RRSSKE0
武将の勇姿にうっとり 大坂の陣特製ポスター
2014年11月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141118/20141118024.html

 豊臣方が徳川の軍勢に立ち向かった「大坂の陣」(1614〜15)の特製ポスターが人気だ。作製した大阪城天守閣(大阪市中央区)のミュージアムショップで15日から販売され、ポスターとしては異例の売り上げを記録中。墨一色で躍動的に描いた武将の姿が「素晴らしい」と評判で、外国人観光客をとりこにしている。

ポスターは、よろいをまとった兵士が馬にまたがった様子が描かれている。大坂の陣の開戦前夜をイメージし、豊臣方として戦おうと大阪城に入城する場面をモチーフにした。

■問い合わせ相次ぐ
 当初は販売用ではなく、PR用として大阪城チケット売り場に掲示。すると海外の観光客から「売ってないのか」と問い合わせが相次いだという。

 要望に応えて販売用を用意するとともに、第2弾ポスターを作り、計2種類を売り出すことにした。

 第2弾の図柄は、豊臣方の武将で、やりの名手の後藤又兵衛の勇姿を描いている。大坂冬の陣の最大の激戦「鴫野・今福の戦い」の一場面をモチーフにし、図柄はどちらも墨絵アーティストの茂本ヒデキチ氏が手掛けた。

 発売から2日間で2種類合わせて計50枚近くが売れ、売れ行きは“主役”である大阪城の写真ポスターを大きく引き離している。ミュージアムショップ店長の浜田照代さん(65)は「色違いを合わせて計4種類を買った人もいる。勇ましい武将を大阪城に求めていると感じた」と話す。

■国内外問わず人気
 なかでも外国人観光客の視線が熱い。17日に訪れたフランス人の男性観光客は熱心に品定めし「素晴らしい」と1枚購入。中国から家族と訪れた男性も「すごくいい」と一目ぼれしていた。

 歴史好きの心もくすぐっている。名古屋市の高倉秀仁さん(27)は「浪人の又兵衛が世に知られるまでの生きざまに引かれる。ポスターを買いに大阪城に来たようなもの」と興奮気味だった。

 大阪城天守閣は来年夏に第3弾のお披露目を目指しており、職員の田中美喜さん(43)は「歴史といえば京都や奈良だけでなく、大阪も知ってほしい。その切り口が大坂の陣になる」と意気込んでいた。

 ポスターは縦約70センチ、横約50センチ。1枚800円(税込み)。

1920名無しさん:2014/11/22(土) 04:52:50 ID:wc8JvIQc0
http://www.sankei.com/west/news/141120/wst1411200070-n1.html
「薬の神様」少彦名神社 神農祭に向け張り子の虎を取り付け

「薬の神様」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社で22、23日に行われる「神農祭」に向けて、張り子の虎を笹に取り付ける作業が行われた。

 張り子の虎は、江戸時代後期に大阪でコレラが流行した際、虎の頭骨を砕いて作った丸薬とともに参拝者に配ったのが始まり。現在では、無病息災のお守りとされ、1体2000円で参拝者に授与される。

 女性たちは、19、20日の2日間をかけて、五葉笹に体長約10センチの張り子の虎約8000個を手際よく取り付けていき、準備を整えた。

1921名無しさん:2014/11/23(日) 00:39:57 ID:mXAfFJTM0
製薬会社のゆるキャラ集合 大阪・道修町の神農祭
2014年11月22日 11:07

 「薬の町」として知られる大阪市中央区道修町にある少彦名神社の「神農祭」が22日開かれ、製薬会社のゆるキャラたちが勢ぞろいして祭りを盛り上げた。

 会場には、今月名前が決定したばかりの森下仁丹の新キャラクター「仁丹王子」のほか、小林製薬「熱さまくん」、大幸薬品「正露丸くん」、ロート製薬「ロッ太くん」など9体のゆるキャラが集合。参拝客らは写真を撮ったり、握手したりしてつかの間の触れ合いを楽しんだ。

 道修町は江戸時代に薬の仲買人らが集まり、幕府が独占販売権を与えたため薬の町として発展した。現在も製薬会社の本社が数多くある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141122/20141122035.html

1922名無しさん:2014/11/24(月) 00:18:58 ID:MSgXQNRA0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141123/20141123030.html
神虎求め御利益願う 少彦名神社・神農祭
2014年11月23日

 「くすりのまち」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社(別所俊顕宮司)で22日、「神農(しんのう)祭」(市無形民俗文化財)が始まった。江戸期からの伝統行事に、境内や参道は多くの参拝客であふれた。23日まで。

大阪の年内の祭りの最後を締めくくるため「止めまつり」とも呼ばれる同祭。例年約5万人が訪れ、大阪の晩秋の風物詩になっている。

 境内では同神社伝統の縁起物「張り子の虎」(神虎(しんこ))を求めて大勢の人が長い列をなし、みこから「家内安全、無病息災」とおはらいを受けた。

 参拝者は「1年大病せずに過ごせた。来年も健やかに暮らしたい」「初めて来たがにぎやかで楽しかった」と笑顔で御利益を願っていた。

1923名無しさん:2014/11/25(火) 00:22:20 ID:sEH4IShM0
古墳群は人類史的に貴重 大阪で世界遺産シンポ
http://www.sankei.com/west/news/141124/wst1411240047-n1.html

世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

 シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

 世界遺産を目指す両古墳群の61基のうち、約半数が宮内庁管理の陵墓。徳田誠志宮内庁陵墓課首席研究官は「陵墓は文化財という側面もあるが、現在も祭祀が続いている『生きたお墓』だ。かつては周濠の水は田畑などで利用されており、今後も地元から親しまれる存在を目指したい」と話した。


古墳群登録目指し世界遺産シンポ 大阪・四天王寺大
2014年11月24日 19:34
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141124/20141124075.html

 世界最大規模の墳墓・大山古墳(伝仁徳天皇陵)を含む「百舌鳥・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指すシンポジウムが24日、四天王寺大(大阪府羽曳野市)で開かれ、約580人が詰めかけた。

シンポジウムでは福永伸哉大阪大教授が「全長200メートルを超える墓は世界でも50ほどしかないが、そのうち約30が日本にある。墳形と大きさでランクを示す日本の古墳は人類史的にも貴重で、小さな古墳も含め古墳群として価値がある」と説明。岡田保良国士舘大教授(西アジア建築史)も「他国の墓と比べ、日本の古墳は埴輪や葺石など見せることを意識した施設で珍しい」と述べた。

1924名無しさん:2014/11/25(火) 11:54:16 ID:fPS3ay/A0
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141123-OYTNT50454.html
中世12城で学ぶ郷土史
2014年11月24日

◇高槻で展示 金箔張り瓦や堀の絵図

 中世に府内にあった12の城について紹介する企画展「戦国 大阪の城―動乱の時代と天下統一」が、高槻市城内町の市立しろあと歴史館で開かれている。12月7日まで。

 会場には、大坂城から出土した金箔(きんぱく)が張られた瓦や、複雑な堀の様子が描かれた池田城の絵図など約100点が並ぶ。中には、城跡から出土した茶器や碁石もあり、当時の文化を伝えている。

 中西裕樹学芸員(中世史)は「城を通して、地元の歴史に興味をもってもらえたら」と話している。

 入場料は一般200円、小中学生100円。問い合わせは同歴史館(072・673・3987)へ。

2014年11月24日

1925名無しさん:2014/11/26(水) 09:03:31 ID:hhiDIYu20
国の史跡に関西から4件
11月22日 07時04分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141122/3213001.html

日本最古のため池とされる大阪狭山市の「狭山池」など関西の4件が、新たに国の史跡に指定されることになりました。
このうち、7世紀前半の飛鳥時代に造られた「狭山池」は日本最古のため池とされ、田畑などに水を供給してきました。
時代ごとに改修が行われ、土木技術の歴史を知る上で重要だと評価されました。
大阪府立狭山池博物館の工楽善通館長は、「1400年にわたって水を供給してきた価値が、認められてうれしい」と話しています。
また、大阪・八尾市の「高安千塚古墳群」は6世紀を中心に造られ、224基の古墳が確認されています。
渡来人との関わりがうかがえ、古代国家の成り立ちを知る上で重要だと評価されました。
八尾市教育委員会の藤井淳弘さんは、「渡来人と関係の深い人たちが造ったと考えられ、貴重な存在だ」と話しています。
関西ではこのほか、▼京都府の向日市と京都市にまたがる大型の前方後円墳、「寺戸大塚古墳」と、▼8世紀から9世紀に営まれた木津川市の「神雄寺跡」も、史跡に指定されることになりました。
さらに、戦国から江戸時代の城下町の集落が残る滋賀県高島市の「大溝の水辺景観」は、国の重要文化的景観に指定されることになりました。
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1926名無しさん:2014/11/27(木) 00:22:35 ID:B.kinW6o0
五穀豊穣 感謝込め 住吉大社で新嘗祭
2014年11月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141126/20141126031.html

 大阪市住吉区住吉2丁目の住吉大社(高井道弘宮司)で、神前に新穀をささげる「新嘗(にいなめ)祭」が行われた。米作りの奉仕者など関係者約150人が集まり、この1年の五穀豊穣(ごこくほうじょう)に感謝した。

同祭は、豊かな稲の実りを祈願する「祈念祭」(3月)、境内南側の御田(おんだ)で稲を植える「御田植(おたうえ)神事」(6月)、初穂を刈り取る「宝之市神事」(10月)といった、五穀豊穣にまつわる神事の締めくくり。

 勤労感謝の日の23日に行われており、もともとは一年無事に生活できた感謝を神様に伝える目的で、豊作への感謝を述べるお祭りとされていた。

 この日は、御田でとれた7穀の新米の一部を境内の第一本宮に供えた。米作りの奉仕者でつくる御田講、蓬莱(ほうらい)講の人々が参列。玉串をささげるなどし、神前に感謝した。

 両講元の山本英夫さんは「穂の出る時期がいい日和だったこともあり、ことしは昨年の5割増しの収穫で豊作だった」と笑顔を見せた。

1927名無しさん:2014/11/28(金) 00:28:19 ID:eeiVm9q60
秀吉褒美のそろばん紫檀作り国内最古
2014年11月20日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141120-OYTAT50025.html

豊臣秀吉ゆかりで、国内最古のそろばんが今夏、大阪で確認された。

 丈夫な紫檀(したん)作りで、四隅に銀枠があしらわれた逸品。縦13・5センチ、横37・5センチと、現代のものと比べて少し大振りで、20桁の計算ができる。

 そろばんメーカー「雲州堂」(大阪市中央区)が戦後に入手したものだが、「四兵衛重勝拝領算盤(しべえしげかつはいりょうそろばん)」との箱書き以外、手がかりは何もなく、由来がわからないまま保管されてきた。

 数十年が経過して、由来が解き明かされたのは、NHKの大河ドラマなどで秀吉の軍師を務めた黒田官兵衛が脚光を浴びたことがきっかけだった。

 関連の研究が進み、四兵衛重勝は官兵衛の側近の一人で、博多の町割(区画整理)などにかかわった「久野重勝」と判明。さらに、久野家に残る古文書などから、こうした功績への褒美として、秀吉から賜ったとする記述が見つかった。

 室町時代末期に中国から伝わったそろばんは、1592年に戦国武将・前田利家が使った「陣中そろばん」が、現存するものでは国内で最古とされてきた。だが、重勝のそろばんは1591年に与えられており、文献上、陣中そろばんよりも古いことがわかった。

 玉を上下に分けるハリの両面に、重さの単位と米の単位が彫り込まれ、裏表で計算できるのも珍しい特徴だ。雲州堂の日野和輝社長(64)は「今まで見たことがない作り。秀吉が金に糸目を付けず、特別に1丁だけ作らせたものではないか」と思いをはせる。

◇「和算」の礎に/

秀吉には数学にまつわる逸話もある。

 例えばこんな話だ。

 秀吉が御伽衆(おとぎしゅう)の曽呂利新左衛門に褒美を与えることになり、何が欲しいか聞いたところ、新左衛門は今日は米1粒、翌日には倍の2粒と日ごとに倍の量の米がほしいと答えた。

 「なんと欲のないこと」。秀吉は喜び、一度は申し出を受け入れたが、計算してみると、1か月後には膨大な量になることに気づき、他の褒美に変えてもらった――。

 和算研究所(東京)の佐藤健一理事長(76)によると、この逸話は江戸初期の数学書「塵劫記(じんこうき)」を基に、利口で知られる秀吉にあてはめて創作されたとみられるという。

 ただ、秀吉が数学の発展に寄与したのは間違いない。朝鮮出兵で日本に持ち帰られた中国・元の数学書「算学啓蒙」は、後に多くの数学者に読まれ、江戸時代に発展する日本の数学「和算」の礎になった。

1928名無しさん:2014/11/28(金) 00:29:13 ID:eeiVm9q60
◇珠算盛んな大阪/

大阪市住吉区の「益田そろばん あんざん教室」。夕方になると、次から次へと子供たちがやってくる。午後5時には約50席の教室は満員となり、長机にびっしりとそろばんが並ぶ。

 2年前から教室に通う市立山之内小学校6年の八木晴香さん(12)は「難しい計算が解けると快感。算数は苦手だったけど、今は大好き。もっと鍛えて早く段を取りたい」と声を弾ませる。

 大阪では珠算をたしなむ人が多い。日本珠算連盟(東京)によると、2013年度の府内の検定試験受験者数(1〜3級)は2万6506人。2位の愛知県を約1万人も上回る。

 大阪珠算協会副会長で、教室を経営する益田明さん(70)は「大阪には昔からたくさんのそろばん教室があった。今でも子供を通わせようと、毎日のようにお母さんが相談にきますよ」と言う。

 江戸時代、全国から物品が運び込まれた大坂では、商人たちが至る所でそろばんをはじいてきた。パソコンの時代になっても、そろばんが盛んなのは、こうした歴史と無縁ではない。

 「若い指導者を増やし、先人が築いたそろばん文化を後世に伝えたい」。益田さんが力を込めた。(新庄秀規)

 ◇国造り支えた数学者

 「和算」は高次方程式など日本独自の高度な数学として、現代でも高く評価されている。

 江戸時代以前については、資料が乏しく、研究が進んでいないが、和算研究所の佐藤理事長は「戦国時代には、かなりレベルの高い計算がされていたはずだ」と話す。

 戦争のための物資の計算に始まり、築城や水路、道路の整備、町割……。戦国時代の国造りの裏には、計算にたけた数学者がいたという。江戸時代初期の数学者・毛利重能(しげよし)も、秀吉に仕えたといわれる。

 大阪城天守閣の玉造口南側の一帯は、「算用曲輪(さんようぐるわ)」と呼ばれる。築城以降、税の計算などが行われた場所とされるが、大坂冬の陣(1614年)で取り壊され、現在は案内板が置かれるだけになっている。

2014年11月20日

1929名無しさん:2014/11/28(金) 22:48:05 ID:fU76v9qY0
400年イヤー盛り上げろ 大坂の陣、手を変えPR
2014年11月28日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141128/20141128023.html

 「大坂の陣」(1614〜1615)から400年の節目に合わせ、大阪城天守閣(大阪市中央区)が独自の盛り上げを図っている。戦いの醍醐味(だいごみ)を紹介するガイドブックを発行したり、特製コースターをプレゼントするなどあの手この手。「歴史の町」として大阪を売り出そうと“熱戦”を展開中だ。

大坂の陣は、徳川家が政敵の豊臣家を滅ぼした戦国時代最後の大合戦。1614年に「大坂冬の陣」、15年に「大坂夏の陣」が起き、難攻不落とされた大坂城が落城した日本の歴史を語る上で欠かせない戦いだ。

■読本第2弾配布
 しかし、大阪城天守閣職員の田中美喜さん(43)は「大阪の人も大坂の陣を詳しく知らない人が多いのでは」とPRの必要性を強調する。

 大阪城天守閣は、今年と来年を「大坂の陣400年イヤー」に位置付け、啓発を展開。なぜ戦いが起きたかといった情報をはじめ、ゆかりの場所を地図に落とし込んだガイドブック「大坂の陣読本」を昨年9月に発行したところ、わずか2カ月で全5千部がはけた。

 「希望者に天守閣の事務所に取りに来てもらう形だったにもかかわらず、短期間でなくなった」と田中さんは驚く。

 今月2日からは読本第2弾の配布もスタート。女性に手に取ってもらえるよう、かわいい色使いのイラストで両軍の武将6人を紹介。硬派なファンも満足できるよう、両軍の位置関係が分かる冬の陣の配陣図を掲載したところ、40代以上の男性を中心に人気を呼んでいるという。

■ドラマチック
 盛り上げに向けて来年1月1日のスタートダッシュにも余念がない。同日は臨時開館(午前11時〜午後5時)し、先着5千人に「オリジナルコースター」をプレゼントする。天守閣の収蔵品「大坂夏の陣図屏風(びょうぶ)」に描かれている大坂城天守閣のイラストと現在の城の写真をあしらった2枚セットになっている。

 田中さんは「大坂の陣で豊臣は敗れたが、その後、天下の台所と呼ばれる勢いのある町になった。ドラマチックな歴史があったことを知ってほしい」と話している。

1930名無しさん:2014/12/03(水) 22:45:39 ID:ZoPi6vC60
代表4人決まる 「天満えびす」招福娘
2014年12月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141203/20141203031.html

 来年1月9〜11日の「天満えびす」に奉仕する招福娘の代表選考会が2日、大阪市北区の大阪天満宮で開かれた。代表として神戸大の秋田成子さん(21)、関西学院大の大野由衣さん(21)、京都産業大の番匠みきさん(22)、関西大の福長英美さん(20)の4人に決まった。

選考会には、大学生600人の応募者の中から招福娘に選ばれた17人が参加。紙芝居、剣道、アイドルグループのダンスなど個性豊かなパフォーマンスで熱意をアピールした。

 寺井種治権宮司は代表それぞれに委嘱状とたすきを手渡し「頑張ってください」とエール。代表に選ばれた福長さんは「体力には自信があるので元気いっぱい福を届ける」、番匠さんは「大学生活最後の良い思い出にしたい」と声を弾ませていた。

1931名無しさん:2014/12/07(日) 01:18:44 ID:XebbVGXA0
岬町の古墳で発掘現場公開
12月05日 15時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141205/3721501.html

皇族の墓として宮内庁が管理している大阪・岬町の「淡輪ニサンザイ古墳」の発掘現場が、報道関係者に公開されました。
「淡輪ニサンザイ古墳」は5世紀後半に築かれた全長170メートルの前方後円墳で、日本書紀などに記された皇族の「五十瓊敷入彦命」の墓として宮内庁が管理しています。
墳丘が「ほり」の水で浸食されるのを防ぐ工事を行うのを前にことし10月から発掘調査が行われ、現場が報道関係者に公開されました。
墳丘本体の発掘が行われるのは初めてで、これまでに、▼表面を覆う「ふき石」や、▼墳丘を囲むように並べられた埴輪が見つかり、築かれた当時の姿が良好な状態で残されているということです。
また、くびれの部分の近くにある「造り出し」と呼ばれる場所からは模様のある埴輪が数多く見つかり、祭事が行われた可能性があるということです。
宮内庁陵墓調査室の清喜裕二主任研究官は、「大阪の中心部に特有の、装飾が施された埴輪も見つかり、当時の最先端の技術を取り入れていた様子がうかがえる」と話しています。
この発掘調査は今月24日まで行われます。


淡輪ニサンザイ古墳を公開 陵墓、宮内庁が発掘調査
2014年12月5日 13:18
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141205/20141205071.html

 宮内庁は5日、皇族の墓として管理している大阪府岬町の淡輪ニサンザイ古墳(5世紀後半)の発掘現場を報道関係者に公開した。祭祀の場とされる造り出し部では朝顔形埴輪や家形埴輪のほか葺石も見つかった。

1967年以降、同庁は全国の陵墓等で整備工事を実施。事前に遺構を確認し、工法を決める目的で考古学的調査を行い、現場を公開している。

 淡輪ニサンザイ古墳でも、周濠の水に浸食されて墳丘が崩れるのを防ぐため護岸が検討されており、今年10月から同庁書陵部が墳丘の裾部分約20カ所を発掘していた。

 同古墳は、全長約170メートルの前方後円墳。

1932名無しさん:2014/12/07(日) 22:36:34 ID:9Z4TxH8M0
世界初「ガラスの祠」 大阪天満宮、御神水たたえる
2014年12月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141205/20141205027.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で4日、地下70メートルからくみ上げられる名水「天満天神の水」の取水口となる御神水舎「ガラスの祠(ほこら)」の完成奉告が行われた。大阪のガラス発祥の地という歴史にちなみ、地元のガラスアーティスト岡本覚さん(59)が制作。枠材のステンレス以外はすべてガラス素材という世界初のほこらに仕上げ、関係者が完成を祝い合った。

江戸期から知られる同宮の名水復活計画の一環。屋根には白い結晶が特徴で岡本さんが開発した「界面結晶化ガラス」を使用。土台は御影石を思わせるリサイクルガラスで仕上げるなど全体にこだわりの素材を駆使した。

 岡本さんは「いにしえのデザインに時代の最先端を取り入れる天神さん特有の疑似伝統の考えで表現した。名所で作品を手掛けることができ大変うれしく思う」と笑顔。同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は「ガラスが本殿屋根の緑青にも似た色合い。今後の名水の広がりが楽しみ」と話していた。

1933名無しさん:2014/12/09(火) 22:57:21 ID:zEMZ1SQ60
繁盛呼び込む50の笑顔 今宮戎第63代福娘
2014年12月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141208/20141208026.html

 商売繁盛の「えべっさん」として親しまれている大阪市浪速区の今宮戎(えびす)神社(津江明宏宮司)の十日戎で奉仕する第63代福娘が7日、同市中央区の国際会議ホールでお披露目された。代表4人の選考会も行われ、福娘はマジックやものまねなど工夫を凝らした自己アピールを行った。

ことしは2983人の応募があり、3回の審査を経て50人を選出。代表には、関西外語大の金谷めぐみさん(21)=大阪市=、同志社女子大の中西真菜さん(21)=奈良県=、神戸市看護大の林佳名子さん(19)=神戸市=、留学生枠で、立命館大のキャサリン・リーランドさん(21)=ニュージーランド出身=が選ばれた。

 昨年の福娘代表から記念品を贈られた金谷さんは「精いっぱいの笑顔で頑張ります」と話していた。

 福娘は、神事の参列、神社授与所での福ササの授与のほか官公庁や関係機関への表敬も行う。

1934名無しさん:2014/12/09(火) 23:19:15 ID:zEMZ1SQ60
舞うミカン、厄よけ願う 御霊神社
2014年12月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141209/20141209034.html

 “ごりょうさん”の呼び名で親しまれる大阪市中央区の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で8日、江戸期からの伝統行事「御火焚祭」が盛大に執り行われた。恒例の厄よけのミカンまきもあり、参拝者でにぎわった境内は師走ムードを漂わせていた。

境内には一つでも多くキャッチしようと大きな袋や箱を手にした人が参集。やぐら上から園宮司や氏子衆がミカン約60箱分を豪快にまくと、「やった」「ことしは取れた」など方々から歓声が沸いた。

 同祭は冬のはじめに今後1年間、事故もなく火のおかげをいただくように祈願。氏子崇敬者は、拝殿前にともされた斎火にさまざまな願いを書いた祈願木をくべていき、高く燃え上がる炎に成就を願った。

 氏子の平尾健二さん(72)=同市西区=は「ことしは各行事が大いににぎわった。来年もいっそう盛り上がることを願いたい」と笑顔で一年を振り返った。園宮司は「毎年多くの方にお参りいただいている。皆さんとともに伝統行事を継承することができ大変うれしく思う」と話していた。

1935名無しさん:2014/12/11(木) 20:59:27 ID:Xa1.Nceg0
両替商「銭屋佐兵衛」家の歴史
12月11日 12時39分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141211/3858891.html

大阪でかつて両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家ゆかりの古文書を集めた展示会が、大阪で開かれています。
この展示会は、江戸時代中期から明治時代にかけて大阪を拠点に両替商として繁栄した「銭屋佐兵衛」家の歴史をたどろうと大阪・中央区の「大阪歴史博物館」で開かれています。
「銭屋佐兵衛」家の決算帳簿は、創業から廃業まで毎年記録され、当時の両替商の経営状況を知ることが出来る貴重な資料です。
とりわけ江戸中期から後期にかけての大阪の好景気で事業を拡大した3代目の時代には、諸藩の大名に融資を行うようになり「諸家貸」と呼ばれる帳簿に、九州や四国などの大名にまで貸していたことが記されています。
このほか「銭屋佐兵衛」家の印が入ったはっぴなども展示されています。
博物館の八木滋学芸員は「江戸時代中期以降の大阪の商人の経営実態などが分かる貴重な資料です。
当時の大阪の繁栄ぶりを感じてほしい」と話していました。
この展示会は、来年1月5日まで開かれています。

1936名無しさん:2014/12/13(土) 19:10:20 ID:A11t3JUg0
「襲名披露公演はぜひ大阪から」中村翫雀さんが「四代目鴈治郎」襲名あいさつで本社来訪
http://www.sankei.com/west/news/141211/wst1412110068-n1.html

上方歌舞伎の大名跡、四代目中村鴈(がん)治(じ)郎(ろう)(がんじろう)を襲名する歌舞伎俳優の中村翫(かん)雀(じゃく)(かんじゃく)さん(55)が11日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社を訪れ、斎藤勉専務取締役大阪代表らに襲名のあいさつを行った。

 翫雀さんは人間国宝の坂田藤十郎さん(82)と元参院議長の扇千景さん(81)の長男。来年1、2月に大阪松竹座で2カ月連続の襲名披露公演を行う。

 晴れやかな笑顔の翫雀さんは「鴈治郎は上方の名跡なので、襲名披露公演はぜひとも大阪からスタートしたかった」と話した。

1937名無しさん:2014/12/19(金) 10:52:07 ID:M8S3Lrrg0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141219/4092961.html
百舌鳥古墳群の保存計画案
12月19日 06時32分

ことし3月に国の史跡に指定された「百舌鳥古墳群」について地元の堺市は今後の修復の進め方などの方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
堺市には4世紀から6世紀にかけて100を超える古墳がつくられたとされ、現存する古墳のうち宮内庁が管理する天皇陵などを除いた17の古墳が、ことし3月に「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定されました。
これを受けて、堺市は修復の進め方などについて方針を定めた「保存管理計画」の案をまとめました。
計画案では多くの古墳で墳丘が崩れた箇所が確認されたことから学術的な調査を行った上で修復を進めるとしています。
また樹木が生い茂り本来の形が分かりづらい古墳では伐採やせんていを行い、墳丘の周りのほりの水質改善にも取り組むとしています。
「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定された古墳の多くは、大阪府や堺市などが世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥古市古墳群」に含まれています。
堺市は、今年度中に保存管理計画を最終的に決めることにしていて「世界遺産登録に向けてしっかりと保全に取り組みたい」としています。

1938名無しさん:2014/12/19(金) 13:00:56 ID:M8S3Lrrg0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141219/20141219025.html
「社寺+コナン」効果大 なにわ七幸めぐり
2014年12月19日

 神仏習合理念に賛同する7社寺でつくる「なにわ七幸(しちこう)会」が取り組む「なにわ七幸めぐり」と人気漫画「名探偵コナン」のコラボ企画が人気を呼んでいる。7社寺を巡拝する朱印めぐりに“謎解き”の要素がプラスされ、若い親子も参加するほどの好調ぶり。なにわ七幸会事務局は「新たな年齢層が増え、七幸めぐりのすそ野が広がった」とコナン効果を喜んでいる。

なにわ七幸会は、1983年に大阪21世紀協会理事だった堺屋太一氏の提唱で神社仏閣と大阪の活性化を目指して発足した。現在は大阪天満宮、大念佛寺、住吉大社、今宮戎(えびす)神社、太融寺、四條畷神社、四天王寺の7社寺でさまざまな企画を展開。七幸めぐりは年間約400人が満願し、順調に推移している。

 今回の企画「なにわ七幸めぐりウォークラリー〜トレジャーバロンからの暗号文(メッセージ)」は、枚方市のひらかたパークで開催中の名探偵コナン連載20周年記念「コナン展」大阪会場(来年1月12日まで)とのタイアップとして実現。

 小学館集英社プロダクションによると、社寺とのコラボは珍しいという。

 参加者は最初の社寺で通常の朱印帳・色紙とは別にラリー専用紙(300円)を購入し、各境内の特設看板に記されているキーワードを集めて謎を解く。それぞれの朱印所(授与所)では、訪れた社寺とコナンをデザインした記念ポストカード1枚を授与。最後の社寺で全7種類がそろうほか、オリジナルクリアファイルとWチャンス応募はがきがもらえるのも魅力となっている。

 同企画は来年1月31日まで続き、期間中は冬休みや初詣をはじめ「十日戎」も含まれることから参加者の増加が見込まれる。

 なにわ七幸会事務局を置く四天王寺参詣課の山岡武明さんは「親子に愛されているキャラクターの起用で、より多くの方と各社寺とのご縁が結ばれることを願いたい」と話している。

 【メモ】なにわ七幸会事務局の問い合わせは、電話06(6771)0066、四天王寺。

1939名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:03 ID:aIDXs.4A0
秀吉絶賛「守口大根」 天下取りの健康食
2014年12月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004352/20141218-OYTAT50000.html

「もしタイムスリップできるなら、太閤(たいこう)さんに僕の料理を食べてもらいたい」

 大阪府守口市の老舗料亭「柿右衛門文禄亭」。料理長の益田光志さん(56)が、同市の伝統野菜「守口大根」のかき揚げを作りながら声を弾ませる。

 羽柴(豊臣)秀吉が1585年(天正13年)、守口で宿泊した際、献上された大根の漬物を絶賛。「守口漬と名付けよ」と宿の主人に命じたことから、一帯の淀川流域で育てられていた大根を、こう呼ぶようになったと伝わる。

 益田さんが、この大根に出会ったのは2005年12月。市街化による耕作地の減少などを理由に栽培が一時途絶えたが、名物として復活させようと、農家らが取り組みを開始。「新たな郷土料理を作ってほしい」と依頼された。

 長さ約1・5メートルの細長い大根は辛くて苦く、そのままでは食に向かない。試行錯誤の末、砂糖をまぶし、高温のゴマ油を注いで苦みを抜く調理法を発案。かき揚げにして、ほどよい苦みとサクサクした食感が楽しめる料理に仕上げた。

 益田さんは「太閤さんは大根の漬物をポリポリかじりながら、天下取りの戦略を練っていたのだろうか」と想像を膨らませる。

 ◇62歳の生涯

 秀吉は1598年(慶長3年)に、62歳の生涯を閉じた。平均寿命40歳前後とされる当時としては、かなりの長寿だ。

 ぜいを尽くし、美食に明け暮れたイメージもあるが、食に関する逸話からは、健康に気を配っていた姿が浮かび上がる。

 「名将言行録」(岡谷繁実著)などによると、秀吉は若い頃から、消化酵素を多く含み、風邪の予防にも効くとされた大根や食物繊維が豊富なゴボウをよく食べていたとされる。

 根菜へのこだわりは、天下統一後、生まれ故郷だったことから年貢を免除していた尾張国・中村(名古屋市中村区)の農家に、年頭の祝儀として大根とゴボウを献上させていたことからもうかがえる。

 戦国時代の食に詳しい医学ジャーナリストの植田美津恵さんは「秀吉は権力を維持するためには健康な体が最も大切と考え、体に良いものを食べていた」と指摘する。

 「戦国武将の食生活」の著書がある食文化史研究家の永山久夫さん(82)は、秀吉が魚介類もふんだんに食べていたことにも注目する。

 秀吉が1590年(天正18年)に小田原城を落とし、奥州を平定した後、毛利輝元が戦勝の祝賀として出した献立には、鮭(さけ)、タラ、タコ、アワビ、イカ、スズキ、アユ、コイなどの料理が並んだという。前田利家も1594年(文禄3年)に自邸で秀吉を接待した際、タイやカツオ、ハモなど10種類以上の魚介類を使った料理を出したとされる。

 魚油に含まれるドコサヘキサエン酸(DHA)などの脂肪酸は、近年の研究で、脳機能低下の防止に効果があるとの報告もある。

 人の何倍も考えて行動し、戦国時代を生き抜いた秀吉。魚介類でタフな精神力を養ったともいえそうだ。

1940名無しさん:2014/12/19(金) 20:05:51 ID:aIDXs.4A0
◇ゆかり食材で人気

 秀吉ゆかりの食材を名物にしようとする動きもある。

 名古屋市中村区では今年7〜10月、JR名古屋駅西側にある飲食店約10店が、ゴボウの創作料理をメニューに加えるイベントを開催した。

 飲食店主の辻耕作さん(32)が発案した企画で、ゴボウ入りのナゲットや、鳥とゴボウのうま煮など様々な料理が登場。客の反応も上々だったといい、辻さんは「ゴボウ料理を名物にし、街も人も元気になれば」と意気込む。

 健康志向が高まる中、秀吉ら戦国武将の食事は実利的だと注目を集めている。

 11月上旬、東京都港区の慶応大で開催された「健康寿命をのばすための食べる知恵」と題した講座。講師に招かれた永山さんは、秀吉がビタミンB1やカルシウムが豊富な麦飯を食べていたエピソードなどを披露。「秀吉のように食べて、天下を取るくらい元気になってください」と高齢の受講者らに呼びかけた。

 「秀吉が好んだ食事は和食の原点でもある。参考にすれば、我々も健康になれる」と永山さん。天下人がこだわった食は、現代社会を生き抜くヒントも伝えてくれている。

(神谷次郎)


 ◇長寿願い鶴も食す

 秀吉は滋養強壮のため、現代ではなじみの薄い鳥獣も食べたらしい。

 大阪城天守閣は、秀吉が織田信長の次男・信雄から鶴の肉を贈られた際に書いた礼状を所蔵しており、随時公開している。

 同天守閣の跡部信・主任学芸員は「長寿や健康を願って、生命力が強いと信じられていた動物も食べたのだろう」と話す。

 一方、秀吉が好んだ守口大根は、守口市の農家らでつくる「守口都市農業研究会」が栽培し、毎年12月に収穫している。2007年には、府が進める「なにわの伝統野菜」として認証されている。

 柿右衛門文禄亭では、今月中旬から同会が栽培した守口大根を使ったかき揚げをメニューに出す予定。問い合わせは同店(06・6993・3651)へ。

2014年12月17日

1941名無しさん:2014/12/20(土) 22:34:28 ID:w6je/usg0
穏やかな年に 藤井寺に未の絵馬
2014年12月14日
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20141214-OYTNT50028.html

藤井寺市の道明寺天満宮の本殿前に13日、来年の干支(えと)・未(ひつじ)を描いたジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えした。

 ジャンボ絵馬の飾り付けは、同天満宮が1970年から、毎年実施。絵は寝屋川市の女性画家・長谷川貞信さんが手がけ、3匹の羊の親子の仲むつまじい様子が描かれている。

 南坊城(みなみぼうじょう)光興宮司(40)は「来年は羊のように穏やかな一年であってほしい」と話した。

2014年12月14日

1942名無しさん:2014/12/23(火) 21:37:09 ID:2K.hksqI0
大阪、干し柿まねた土製品が出土 江戸時代の玩具か
2014年12月23日 16:15
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/141223/20141223050.html

 大阪市北区神山町の建築工事予定地の発掘で、干し柿をまねた江戸時代の土製品が出土し、大阪市博物館協会大阪文化財研究所が23日までに明らかにした。干し柿は同時代にお菓子として親しまれたといい、同研究所の谷崎仁美学芸員は「玩具や装飾品として作ったのかもしれない」と話している。

土製品は今年4月に18世紀後半のごみ穴から出土。長さ8センチ、幅5センチで、重さ80グラムと大きく重い。中央部分に穴が開けられていた。ひもを通して同じものを何個もつなげて、店などが看板代わりにしていた可能性もあるが、用途は判明していない。

1943名無しさん:2014/12/26(金) 05:51:26 ID:U0q1y9rI0
大入りを祈願して「にらみ鯛」…国立文楽劇場
2014年12月25日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20141225-OYO1T50026.html?from=oycont_top_txt

人形浄瑠璃文楽の初春公演(来年1月3〜26日)の大入りを祈願して、国立文楽劇場(大阪市中央区)の舞台に25日、新年の縁起物の「にらみ鯛」が取り付けられた。

 午前9時半から、全長約3メートルの巨大な鯛2匹が向かい合うようにつり上げられた。来年の干支(えと)の「羊」の文字が書かれた凧(たこ)も掲げられ、迎春準備が整った。

 同劇場の今年度の有料入場者数は、11月公演までで約9万4000人。大阪市の文楽協会への補助金満額支給の条件となる10万5000人まであと一息で、担当者は「一人でも多くの方にお運びいただけるように」と期待していた。

2014年12月25日

1944名無しさん:2014/12/26(金) 22:28:27 ID:8RbsaA6s0
参拝者2千人、歳末風情満喫 御霊神社「船場餅つき」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226020.html

 餅つきを通じて歳末のあいさつをする行事「船場餅つき」が25日、大阪市中央区の御霊(みたま)神社(園文夫宮司)で開かれた。地元企業などから2千人以上が代わる代わる参拝し、得意先とあいさつを交わしつつ歳末の風情を満喫した。

行事は、氏子で地元企業の都市環境開発(根本竜司代表)が毎年開いており、ことしで10回目を迎えた。この日は社員をはじめとする応援スタッフが夜明け前から準備を開始。約240キロ分のもち米を豪快につき上げ、関係者や一般参拝者に振る舞った。

 根本代表(52)は「スタッフの協力で次なる大台を目指したい」と地域密着の活動に意欲を見せ、園宮司は「ことしは自然災害などの災いが多かったが、穏やかな新年が迎えられるよう願いたい」と話していた。

1945名無しさん:2014/12/28(日) 13:11:22 ID:iReqGwoM0
1年のご加護感謝 大阪天満宮で「終天神」
2014年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/141226/20141226018.html

学問の神・菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内の縁日を締めくくる「終(しまい)天神」が執り行われた。祈願絵馬のたき上げやもちつきが行われる中、天神さんのご加護で1年を平穏に過ごせたことに感謝する多くの参拝者でにぎわった。

毎月25日は道真公の縁日であり、年頭の「初天神」に始まり終天神で1年を終える。

 境内では1年間に絵馬掛けに奉納された約5万枚が御神火によって次々とたき上げられた。周囲では俳句や写真の愛好家らが題材を求め、高く燃え上がる光景に見入っていた。

 また、神職らが元旦に供える餅をつき、参拝者に振る舞った。池田市の女性(55)は「毎年お参りしているが、今季は子どもが受験なので御利益にあやかりたい」と恭しく餅を授かっていた。

1946名無しさん:2014/12/29(月) 09:55:36 ID:kmfnyec20
「鴈治郎」襲名前に船乗り込み
12月28日 19時12分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4107431.html

上方歌舞伎の名跡、「中村鴈治郎」を襲名する歌舞伎俳優の中村翫雀さんが、大阪市内で、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
上方歌舞伎の俳優、中村翫雀さんは、来月始まる襲名披露興行で、父親で人間国宝の歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんが名乗っていた名跡、「中村鴈治郎」を襲名します。
これを前に、翫雀さんは28日、大阪・中央区の高津宮で興行の成功を祈願したあと、襲名の際の伝統的行事、「船乗り込み」を行いました。
かみしも姿の翫雀さんは、中央区の本町橋で船に乗り込み、東横堀川と道頓堀川を20分あまりかけて下りました。このなかでは、川岸にいたファンから、花束が贈られる一幕もありました。
そして、到着した戎橋で、集まった大勢のファンから屋号で声をかけられると、翫雀さんは笑顔で手を振って応えていました。
「四代目中村鴈治郎」の襲名披露興行は、年明けの来月2日、大阪松竹座で初日を迎えます。
..

1947名無しさん:2014/12/29(月) 10:52:15 ID:kmfnyec20
文枝さんら落語家がもちつき
12月28日 12時27分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20141228/4100181.html

新年を前に、大阪にある上方落語の寄席、天満天神繁昌亭で、桂文枝さんら落語家が餅をつき、訪れた人たちに振る舞いました。
この餅つきは、日頃の感謝を込めて、毎年この時期に行われています。大阪・北区の寄席、天満天神繁昌亭の正面玄関の前には、約50人の落語家が集まり、はじめに、上方落語協会の会長の桂文枝さんが、「来年もツキがあるように餅をつくので、たくさん、召し上がってください」とあいさつしました。
そして、鐘や太鼓のお囃子が響く中、落語家たちが交代できねをもち、かけ声にあわせて、次々と餅をついていきました。あわせて40キロのもち米が30分ほどかけてつきあがり、ぜんざいにして振る舞われ、訪れた人たちが、つきたての餅を味わっていました。
7歳の娘を連れてきた大阪の男性は、「あたたかくて、とてもおいしいです。ことしは仕事ばかりで忙しい1年でした。来年は、もっと景気がよくなってほしいです」と話していました。
天満天神繁昌亭は、大みそかに年越しの寄席を開くことにしています。

1948名無しさん:2015/01/01(木) 14:41:17 ID:oSwDFtG60
百舌鳥・古市古墳群、勝負の夏 大阪府内初の世界遺産へ、つかめ国内推薦
http://www.sankei.com/region/news/150101/rgn1501010003-n1.html

大阪に初の世界文化遺産を−。そんな願いが込められた堺、羽曳野、藤井寺の3市にまたがる巨大古墳群「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が、平成29年の世界文化遺産登録を目指し、国内推薦に挑む。ライバルを押しのけて国内推薦を勝ち取るには、日本の歴史を象徴する古墳への住民の理解と協力、世界遺産登録に向けた大阪を挙げた盛り上がりが不可欠。周辺環境との共存など課題も抱える中、今夏の国内推薦決定に向けて地元では着々と準備が進んでいる。

                   ◇

 世界遺産登録は年1件の国内推薦を争って、地元公共団体が「普遍的価値の証明」「万全の保護措置」などを「推薦書原案」にまとめ、文化庁に提出。文化審議会が7月ごろに国内推薦を決め、閣議決定を経てユネスコ(国連教育科学文化機関)に正式推薦される。

 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に取り組むのは、府と堺、羽曳野、藤井寺の3市。前年の選考もれを教訓に26年はあえて原案提出を見送り、27年の国内推薦、29年登録に照準を合わせ準備してきた。

 最大の課題となったのは「保護措置」。百舌鳥・古市古墳群は古墳のすぐ近くにまで住宅などが建つが、世界遺産は遺産本体の厳重な保護に加え、周辺に「緩衝地帯」が必要だからだ。

 堺市の場合、古墳近くは都市計画で建物の高さを制限しているが、その周辺に「古墳の大きさが感じられる眺望を確保するための地域」を設定。28年度から住宅地内では高さを31メートル(10階建て相当)以下とし、外壁の色や屋外広告物なども京都に準じた厳しさで規制することにした。

 緩衝地帯が設けられる堺区など4区の10小学校区では説明会を開催。市世界文化遺産推進室の宮前誠室長は「住民生活に直接影響することなので、専門家の意見を聞き、慎重かつ丁寧に理解と協力を求めてきた」と話す。

 古墳に親しんでもらいながら古墳を守る「保存管理計画」についても、宮内庁などと繰り返し協議を重ねてきた。古墳は立ち入りが原則制限されるが、世界遺産には公開の指針がある。

 このため、仁徳天皇陵に近い収塚古墳では、帆立貝形の古墳が体感できるよう墳丘に生い茂る木々の一部を剪定したり原形を再現したりして数年以内に立ち入りを可能にするという。

 近くの大阪女子大学跡地には、古墳群の説明などを行うガイダンス施設の整備計画もあり、世界遺産登録に向けた環境整備を着実に進めている。

 一方、世界遺産の国内推薦は競争が激しく、楽観できないのも事実だ。

 関係者の間では、「百舌鳥・古市古墳群」に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」「宗像・沖ノ島と関連遺産群」「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」を加えた4遺産が「ネクスト・フォー」と呼ばれ、今年の国内推薦が有力視されているという。

1949名無しさん:2015/01/03(土) 15:37:48 ID:SW3L168E0
四代目鴈治郎さん「生涯精進」 ゆかりの大阪で襲名披露
2015年1月2日 19:26
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150102/20150102047.html


 曽祖父から続く上方歌舞伎の代表的な名跡を継いだ四代目中村鴈治郎さん(55)の襲名披露公演「寿初春大歌舞伎」が2日、大阪松竹座(大阪市中央区)で始まった。

 東京ではなく、ゆかりの地・大阪から襲名披露を始める念願をかなえた鴈治郎さん。公演で、上方歌舞伎の名作「廓文章」の伊左衛門役に初挑戦し、恋人の遊女を演じた父で人間国宝の坂田藤十郎さん(83)と息の合ったやりとりを見せた。

 「成駒家!」と声が掛かる中、鴈治郎さんは口上で「先祖の名に恥じぬよう、生涯芸道に精進します」と決意を語った。

1950名無しさん:2015/01/03(土) 16:46:29 ID:SW3L168E0
1年の幸運願い 初詣にぎわう府内の社寺
2015年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150103/20150103025.html

 新年を迎えた1日、府内各地の社寺は多くの人出でにぎわった。大阪市住吉区の住吉大社では、厳しい冷え込みにもかかわらず、大勢の参拝客が1年の幸運を願っていた。

 住吉大社の境内では家族連れやカップル、外国人観光客の姿も見られ、急勾配を上り下りし、太鼓橋の愛称で親しまれる朱塗りの「反橋」は、足元を気にしながら進む人波で大混雑。社殿を前に参拝者らは勢いよくさい銭を投げ入れてはかしわ手を打ち、家内安全や商売繁盛を願った。境内は絵馬や破魔矢などの縁起物やお守りなどを求める人や、おみくじを引く人たちの行列が終日続いた。

 「欲張らないよう、家族が誰も病気をしないように」と祈願したのは、毎年参拝しているという堀井健一さん(45)=同市西成区=。また、帰省中に一家で訪れたという高橋奨さん(47)=川崎市=は「子どもが小学校に入学するので、仕事や家族の健康をお願いした」と晴れやかな表情だった。

 住吉大社では、正月の三が日で昨年より4万人多い240万人の人出を見込んでいる。2014年は住吉区が舞台となったNHK朝の連続テレビ小説「マッサン」の影響もあったそうで、新春もあやかって「多くの人にお参りいただきたい」と担当者は呼び掛けていた。

1951名無しさん:2015/01/04(日) 18:49:48 ID:yEgQGPE60
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150104/20150104027.html
神経研ぎ澄ませ 大阪天満宮で「はじき初め」
2015年1月4日

 学問の神である菅原道真を祭る大阪市北区の大阪天満宮で3日、大阪府珠算教育連合会の「はじき初め大会」が開かれた。机上には127桁ある長さ1・8メートルのそろばんが用意され、参加した約千人の幼児、児童、生徒が年始めの読み上げ算に挑んだ。

子どもたちの習い事が多様化する中、大阪府珠算教育連合会は「伝統文化」としてのそろばんの普及に向けてはじき初め大会を毎年1月3日に開催。大会実行委員長の岡田良章さんは「そろばんを通して自分で考える力を養ってほしい」と呼び掛けた。

 参加者は神前で珠算学習の向上を祈願した後、3人一組になって長いそろばんに向かった。

 大東市の高校1年生、利田茜さんは「ことしは1級検定に合格したい」と抱負を語っていた。

1952名無しさん:2015/01/04(日) 19:08:13 ID:yEgQGPE60
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150104-OYO1T50012.html?from=oycont_top_txt
初春文楽公演が開幕 大阪・国立文楽劇場  
2015年01月04日

国立文楽劇場(大阪市中央区)の初春文楽公演が3日、開幕した。開演前には文楽人形による恒例の鏡開きが劇場前であり、女性ファンら約520人が祝い酒を受け取った。

 今年は、昼の部「花競四季寿(はなくらべしきのことぶき)」に登場する「太夫」と「才蔵」の人形が「一、二の三」のかけ声に合わせて豪快に鏡開き。劇場近くの黒門市場から縁起物の「にらみ鯛」も届き、正月らしいおめでたい雰囲気に包まれた。

 4月に師匠の名前を継ぎ、吉田玉男の二代目を襲名する人形遣いの吉田玉女さん(61)は、「玉女の名では最後の公演。ご支援お願いします」と呼びかけていた。公演は26日まで。

2015年01月04日

1953名無しさん:2015/01/05(月) 21:45:44 ID:S3ogv4B60
大坂はベンガラの町…9遺跡で出土、大量生産か
2015年01月05日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150105-OYO1T50024.html?from=oycont_top_txt

木造建物の塗料に使われた赤色顔料のベンガラが江戸時代後期、大坂城西側の城下町縁辺部で大量生産されていたことが、大阪文化財研究所の調査で明らかになった。大阪市内の9遺跡で、人工精製に使われた素焼きの土鍋・ほうろくの破片が出土したことで判明した。大都市・大坂の地場産業として安価な人工顔料が量産されたため、木造民家の塗装剤などとして普及したことがうかがえる。

 2004年以降、大阪市中央区の高津御蔵遺跡(19世紀)や瓦屋町遺跡(18世紀後半〜19世紀前半)で、ベンガラがべっとりと付着したほうろく(復元した直径約30センチ、深さ約10センチ)の破片数百点が出土した。14年9月にも、18世紀末から19世紀のゴミ捨て穴から、大量の破片が見つかった。

 ほうろくに鉄くずと水を入れて熱し、水を蒸発させてベンガラを製造したとみられる。

 江戸後期の本草学者、小野蘭山が著した「本草綱目啓蒙(けいもう)」には当時、大坂では鉄くずを原料にベンガラを製造していたことが記され、人名録・商業案内の「難波丸(なにわまる)綱目」には、ベンガラ生産に従事したとみられる「弁柄師」として「高津 寺田孫六」ら4人の名前が書かれている。だが、ほうろくの使用など、具体的な生産の実態はわかっていなかった。

 田中裕子学芸員は「ベンガラ生産の変遷は、近世産業史の主要なテーマの一つだが、京や江戸の実態はわかっていない。廃材を利用して安く量産できるよう工夫しており、大阪の町工場のルーツとも言える」と話している。

ベンガラ 酸化第二鉄が主成分で、赤鉄鉱として鉱物の状態で存在する。フランス・ラスコー洞窟壁画(約1万7000年前)にも使われており、人類が利用した最も古い顔料の一つ。防虫・防腐効果があり、日光に強く退色しにくい。日本では江戸時代、人工的に製造されるようになった。


2015年01月05日

1954名無しさん:2015/01/08(木) 18:17:30 ID:ahK6QgX20
ミナミで「戎舞台」13年ぶり復活 地元の念願実現、漫才や舞踊などにぎやかに奉納
http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n1.html

今宮戎神社(大阪市浪速区)で9〜11日に開かれる「十日戎」に合わせ、道頓堀川にかかる戎橋(同市中央区)のたもとで伝統芸能や演奏の奉納披露を行う「戎舞台」が今年、13年ぶりに復活することになった。橋の架け替え工事などのため平成14年を最後に途絶えていたが、地元商店主らの強い要望もあって再開が決定。にぎやかな音色や笑いがミナミの街を包む十日戎が久しぶりに戻ってくる。

 心斎橋や船場地域と今宮戎の間に位置する戎橋は、商売繁盛を願うミナミの商売人たちが参拝するために架けられたことから命名されたと言われる。

 昭和53年からは、行き帰りの参拝客らに楽しんでもらおうと橋の南詰めに舞台を設置。境内で古くから行われている和太鼓の奉納演奏などを披露してきた。

 しかし、橋の老朽化に伴って平成16〜19年に行われた架け替え工事のため、14年1月を最後に舞台の設置は中断。その後も道頓堀川沿いの遊歩道整備などの工事が続いたため、本えびすの10日に行われる「宝恵駕(ほえかご)行列」の際、あいさつをするための一時的な仮設舞台が設置されるだけになっていた。

http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080038-n2.html

中止から10年以上が経過する中、橋や護岸の工事が完了した戎橋に「再び以前のようなにぎわいを作りたい」と、舞台の復活を望む声が地元の商店主らから上がり、周辺の商店会などでつくる宝恵駕振興会が舞台設置の許可を大阪市や府警などに打診。今年はミナミの街が大きく発展するきっかけとなった道頓堀川の開削から400年を迎え、さまざまな記念イベントが行われる「大阪ミナミ400年祭」が催されることもあり、13年ぶりの再開が実現した。

 奥行き3・5メートル、間口8メートルの設計はそのまま受け継ぐが、舞台の内容は一新。以前は和太鼓の奉納演奏が主体だったが、今回はさまざまな分野で大阪に縁の深い演奏家や芸人らに奉納披露を呼びかけ、日本舞踊や漫才、歌、ダンスなど多彩な催しを予定している。

 舞台復活に取り組んできた道頓堀商店会の今井徹会長は「久しぶりの戎舞台。昔を知っている人も知らない人も、みんなが楽しんでもらえる舞台にしたい」。今宮戎神社の担当者も「十日戎は神社だけでなく、ミナミの街と一体となって作り上げてきたお祭り。舞台の復活が、街全体の盛り上がりにつながればうれしい」と話している。

1955名無しさん:2015/01/08(木) 18:41:04 ID:ahK6QgX20
家電「温故知新」 くらしの今昔館で昭和レトロ家電展
2015年1月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150105/20150105016.html

 大阪市北区の市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」で、昭和30年代の家電やそのカタログ、チラシに焦点を当てた「昭和レトロ家電展」が始まった。出展者は収集活動を続ける枚方市の会社員、増田健一さん(51)。「当時の勢いや元気さを感じてほしい」と展示品の魅力を紹介している。

「屋根の下の軽井沢」は東芝による扇風機のキャッチコピーだ。ナショナルが1958(昭和33)年に発売した掃除機の性能は「風速20メートルの吸引力」と表現され、当時ヒットした石原裕次郎さん主演の映画『風速40米』を連想させている。

 「当時の(カタログ)チラシは広告代理店やコピーライターではなく家電メーカーが作っていた」と増田さんは解説し、メーカーの姿勢として「製品開発に苦労した思いがストレートに伝わってくる」と話している。

 同展は2011年12月に続いての開催。増田さんによると、収集品を見た年配者は懐かしみ、若年層からは「アイデアが新鮮」「デザインがかわいい」との評価が。家電メーカーの関係者からは「自由に製品開発してうらやましい」と当時の環境を想像する声が寄せられている。

 増田さんは同市旭区出身。中学生時代にラジオ番組「懐メロ歌謡曲」を聴いて昭和30年代や昭和歌謡に興味を覚え、心斎橋の古道具イベントで購入したデミタスカップを皮切りに当時の家電製品や生活雑貨品約2千点を収集。現在、市立住まいのミュージアムの研究員を務めている。

 【メモ】昭和レトロ家電展に関連した講演会が1月25日に予定され、増田健一さんが講師を務める。会場は大阪市立住まいのミュージアムがある住まい情報センターの3階ホール。午前10時半から。定員200人で、大阪くらしの今昔館ホームページなどで申し込む。同展は1月3日に始まり、2月11日まで開催中。休館日は1月6、13、19、20、27日と2月3、10日。

1956名無しさん:2015/01/08(木) 18:59:09 ID:ahK6QgX20
大坂の肉筆、浮世絵に光 月岡雪鼎と一門展
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108028.html

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)は7日、特集展示「月岡雪鼎(つきおかせってい)とその一門・大坂の肉筆浮世絵」を始めた。江戸時代中期の大坂を舞台に、流派にとらわれることなく活躍した絵師の月岡雪鼎をはじめ、その門人たちの作風に光を当てている。2月16日(火曜日休館)。

雪鼎は近江(現・滋賀県)の出身。狩野派や浮世絵の絵師から絵画を学び、大坂を舞台に瓜実顔(うりざねがお)に切れ長の目が印象的な美人像を描いた。浮世絵のように時流に配慮した髪形と着物の模様を細密に描き込んだ美人画を残す一方、題材によって力強い太線が特徴の狩野派の手法も取り入れ、さまざまな表現法を追求した。

 特集展示では雪鼎の約10点をはじめ門人らの作品を含む計約20点を紹介。朝鮮から派遣された朝鮮通信使をイメージした子どもたちが遊ぶ姿を描いた「唐子遊図」などの雪鼎本人の作品や、門人で雪鼎のように細やかな文様まで書き込んだ岡田玉山(おかだぎょくざん)の「源経基像」などを並べている。

 同博物館の岩佐伸一学芸員は「雪鼎と門人たちが大坂の絵師に大変な影響を与えたこと、江戸のイメージが強い浮世絵が大坂でも愛されていたことも知ってもらいたい」と話している。

1957名無しさん:2015/01/08(木) 19:12:09 ID:ahK6QgX20
神馬に願い 住吉大社で「白馬神事」
2015年1月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150108/20150108027.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で7日、宮中行事に由来する新春恒例の「白馬(あおうま)神事」が執り行われた。年頭に白馬を見ると年中邪気を払うという信仰にちなんで多くの人々が参拝。同社の神馬(しんめ)「白雪」号がさっそうと駆け抜ける姿を拝観した。

神事は平安時代に宮中で白馬を庭へ引き出して宴を催した「白馬節会(あおうまのせちえ)」に由来。この日、神職らに導かれた神馬は第一本宮を拝礼後、第四までの各本宮を巡拝。早駆けも行われ、見守る参拝者からは「縁起がいい」と歓声が上がった。孫の受験合格祈願で、写真仲間と参拝した女性(73)=泉佐野市=は「神馬さんのいい姿が撮れました」とご満悦だった。授与所では、朱印や子どもの無事成長を願う「竹駒守(たけこままもり)」を求める人の列ができるなどにぎわった。

1958名無しさん:2015/01/09(金) 21:01:47 ID:hoyDD7.s0
「今宮戎神社」で十日戎
01月09日 12時32分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150109/4243091.html

1年の商売繁盛を願う「十日戎」が始まり、大阪の「今宮戎神社」では、大勢の人たちが参拝に訪れています。
大阪・浪速区の今宮戎神社は江戸時代、大阪が経済発展したころから商売の神様として信仰を集め、新年の伝統行事「十日戎」には毎年、多くの人たちが訪れます。
9日は「十日戎」の初日、「宵えびす」で、境内には朝から次々と参拝者が訪れさい銭を投げ入れて商売繁盛を祈っていました。
また、金色のえぼしをかぶった福娘たちが、笑顔を振りまきながら参拝者が手にするささに縁起物の小づちやお札などをくくりつけていました。
大阪・平野区で串カツ店を営む70代の男性は、「今年もたくさんお客さんが来てくれるよう祈ってきました。小さな店も繁盛する1年になってほしいです」と話していました。
今宮戎神社の「十日戎」は、3日間行われ、神社では約100万人の人出を見込んでいます。

1959名無しさん:2015/01/09(金) 22:08:34 ID:hoyDD7.s0
【新春・インタビュー】
「愛される大阪の顔に」四代目中村鴈治郎の襲名披露公演
http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n1.html

中村翫雀改め四代目中村鴈治郎の襲名披露公演が、大阪・道頓堀の松竹座で開幕した。

 戦前、上方歌舞伎の大スターとして関西劇壇に君臨した初代から直系で四代目。新たに誕生した“大阪の顔”のお披露目に期待は高まるばかりだ。

 「関西のみなさまに愛される鴈治郎になりたい」。新・鴈治郎の決意は熱い。

 「鴈治郎になったからには、初代の当たり役を集めた家の芸『玩辞楼十二曲』をまずは勤めていきたい。いままでやったことがある演目も、もう一度洗い直して舞台にかけたい」

 2カ月連続で行われる襲名披露公演。

 1月は、「玩辞楼十二曲」から、上方和事の神髄ともいえる「吉田屋」の伊左衛門、「封印切」の忠兵衛を勤める。特に伊左衛門は初役となる。

 大坂・新町の傾城夕霧に入れあげたあげく勘当された大店の若旦那、伊左衛門。みすぼらしい紙衣の衣装を着て夕霧のいる吉田屋にやってくる−。

 落ちぶれてもなお品と色気のある伊左衛門の風情と、夕霧とのじゃらじゃらと色っぽい恋模様が展開される。

 「本当に何をするというわけでもない。だからこそ、えも言えぬ雰囲気が必要。花道の出や前半の一人芝居の場面など、芝居であって所作事(舞踊)のようでもある。和事の極致といわれるのもわかりますね」

 夕霧を父、坂田藤十郎が演じる親子共演も話題だ。

http://www.sankei.com/west/news/150109/wst1501090008-n2.html

 「封印切」の忠兵衛もまた上方らしい演目。こちらは、切れば死罪という公金の封印を切って、恋仲の遊女・梅川(中村扇雀)を身請けする忠兵衛の悲劇。悪友の八右衛門(片岡仁左衛門)とのアドリブにも見える大阪弁での丁々発止のやりとりや、タイトルになっている“封印切”の演技など見どころがいっぱい。

 2月は、「傾城反魂香」の絵師、又平と、舞踊「連獅子」の親獅子の精を勤める。

 「傾城反魂香」は、市川猿之助と夫婦役で共演。「連獅子」は、長男の中村壱太郎の仔獅子との共演と、こちらも話題の多い襲名公演になりそうだ。

 両月とも襲名披露の「口上」がつき、幹部俳優がズラリと並んでお祝いの言葉を述べる。

 「まずは、この2カ月間の襲名公演を通して、みなさまに鴈治郎として認めてもらえるよう。そして上方文化の隆盛に少しでも役立てるよう頑張りたい」

 大阪の冬を熱く盛り上げる公演になりそうだ。

1960名無しさん:2015/01/10(土) 06:06:52 ID:rpQvugc.0
華やかに景気づけ 9日から天満天神えびす祭
2015年1月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/150109/20150109026.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で9日、天満天神えびす祭が始まる。8日には招福娘ら約100人が区内の北新地から同宮の間を往復する堂島北新地えびす詣招福行列があり「商売繁盛でササ持ってこい」と触れて回った。

大阪天満宮青年親睦会(土井由憲会長)が主催。かつて北新地の風物詩だった「宝恵籠(ほえかご)行列」にちなみ、同会が2009年に約70年ぶりに復興させた。

 一行は、高張ちょうちんと猿田彦を先頭に北新地を出発。軽快なえびすばやしが響く中、上方落語協会の桂春之輔副会長、北新地社交料飲協会(東司丘興一理事長)の北新地クイーンらを乗せた人力車も加わり、前景気を盛り上げた。

 天満天神えびす祭は11日まで。

1961名無しさん:2015/01/11(日) 13:33:13 ID:KuR2OXzc0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/knews/150110/20150110044.html
新年彩る宝恵かご行列 今宮戎神社、本えびす
2015年1月10日 11:32

 商売繁盛を祈願する今宮戎神社(大阪市浪速区)の「十日えびす」は10日、毎年最高潮の盛り上がりとなる「本えびす」を迎えた。「ほーえかご、ほーえかご」と掛け声が響く中、宝恵かご約20台と地元の商店主ら約500人が、大阪・ミナミの商店街を練り歩き、新年を彩った。

かごには着物姿の福娘や、NHKの連続テレビ小説「マッサン」のヒロインで女優のシャーロット・ケイト・フォックスさんの姿も。手を振ったり、カメラを向けたりする見物客でにぎわった。

 宝恵かご行列は江戸時代のミナミの芸者がかごを出して派手に参拝したのが始まりとされる。

1962名無しさん:2015/01/11(日) 15:30:54 ID:KuR2OXzc0
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20150111/4449191.html
浮世絵師 月岡雪鼎の作品展
01月11日 12時25分


江戸時代中期に大坂で活躍した美人画で知られる浮世絵師、月岡雪鼎の作品展が大阪歴史博物館で開かれています。
月岡雪鼎は、江戸時代中期に現在の滋賀県日野町で生まれ、大坂で活躍した浮世絵師で、色白で、鼻筋の通った「うりざね顔」の美人像を作り上げ、その作品は今も国内外で高く評価されています。
大阪・中央区の大阪歴史博物館では、雪鼎やその弟子らが描いた作品、約20点が展示されています。
「貴美人図」という作品は、伊勢物語の一場面を題材にしたもので、こまやかな着物の文様やうりざね顔の貴人の姿は、雪鼎の典型的な作風とされています。
縦1メートル70センチ、横3メートルほどの1双のびょうぶ、「唐子遊図」という作品には、つばの広い帽子をかぶり、ラッパを吹いて遊ぶ異国情緒ただよう子どもの姿などがいきいきと描かれています。訪れた人たちは、当時の大坂の画壇に大きな影響を与えた雪鼎とその一門の作品のひとつひとつに見入っていました。
この特別展は、来月16日まで開かれています。


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