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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

1554よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:46:02 ID:zke3CtbY0
岸和田だんじり祭、本当は華麗? 若い編み込み女性が続々視界に
2013.10.6 17:00 [祭り]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131006/wlf13100617000020-n1.htm

 「編み込み」と呼ばれる髪形の女性たちが元気よくだんじりを曳(ひ)く−。

 9月14、15日に開かれた岸和田市の「岸和田だんじり祭」を取材した。全国的に超有名なこの行事だが、実際に目にしたのは初めて。男たちによる荒々しい祭りというイメージを抱いていたが、視界に入ってきた当日の様子は、そんな先入観を裏切るものだった。

 だんじりを曳いているのは、もちろん男性が多いが、若い女性も混じっていた。その女性のヘアスタイルに目を転じると、レゲエ歌手を思い起こすような独特の髪形。髪を細かく編んでいろいろな柄を演出するらしかった。関係者に聞くと、昔はなかったが、最近は女性参加者の間で流行しているという。

 まただんじりを曳きながら辻々を直角に曲がる「やりまわし」や、屋上で跳び上がったり手を上げたりする大工方の動きも見事だった。そうした祭りの表情一つひとつは「荒々しい」というより、別の表現が頭に浮かんだ。

 昔に比べればおとなしくなった−。まちの人からは、そんな声がもれた。でも、昔を知らない私は、「華麗」という表現がぴったりだと思った。

1555よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:54:26 ID:zke3CtbY0
近松作品通し船場知る 中央区淀屋研究会が講演会
2013年10月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131006/20131006027.html

 淀屋研究会(毛利信二代表、約60人)は5日、大阪市中央区の綿業会館で、生誕360年を迎えた近松門左衛門の浄瑠璃作品を題材にした講演会を開いた。大阪・船場の地名をつづった“ご当地ソング”的な近松作品を通じ、受講者を地域の歴史にいざなった。

 4日に始まった「船場まつり」の文化イベントとして開催。近松作品に詳しい園田学園女子大学(兵庫県尼崎市)の井上勝志教授が講演し、約250人が参加した。

 船場に屋敷を構えた豪商淀屋を描いた『淀鯉出世滝徳(よどごいしゅっせのたきのぼり)』、船場の本町、久宝寺町などがテンポ良く登場する『今宮の心中』などを紹介した井上氏は、近松の思いについて「芝居と大阪の町を合体しておもろいやろ」と解説した。受講した女性(69)は「文学は遠い存在だったけど、近くなった気がする」と話していた。

 毛利代表は「自分が暮らす地域の歴史を知らない人は多いと思う。船場の中に淀屋の屋敷があったことも理解してほしい」と呼び掛けていた。

1556よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/09(水) 20:38:23 ID:SJ0eIE5M0
元気センバイ返し 「博労稲荷」のみこしが巡行
2013年10月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131007/20131007018.html

 商店街や社寺、地域が一体となって“商人のまち”大阪・船場地区を盛り上げる催し「船場まつり」(4〜6日)に合わせ、大阪市中央区博労町4丁目の難波神社に祭られている「博労稲荷」のみこしが6日、地元のせんば心斎橋筋商店街を巡行した。大勢の買い物客や観光客が往来する中、男女約40人の担ぎ手が「ヤーレ船場、ソーレ船場」と威勢のいい掛け声をアーケード内に響かせた。

商売繁盛を願うみこしの人力巡行は昨年の船場まつりで約50年ぶりに復活した。女組が中心となって重さ約300キロのみこしを担ぎ、中央大通りから南久宝寺通り間の南北約260メートルを往復。随所でみこしを高く担ぎ上げたほか、大きく回転させるなど、躍動感あふれる動きで見守る人々を魅了した。

 昨年に続き担ぎ手を務めた田浦有夏さん(25)=兵庫県三木市=は「昨年は多くの人の声援で元気をいただいたが、ことしはその『倍返し!』。たくさんの人に元気を送りたい」と気合を込めていた。

1557よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/09(水) 20:46:33 ID:SJ0eIE5M0
旧海軍「最上」再び大阪に 市民団体、返還へ活動
2013年10月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131009/20131009025.html

 国内外に現存する戦争関連施設などの調査・保存活動に取り組む戦争遺構研究会(堺市、柴田正己代表)が、大阪・中之島から広島の呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」へ移設された旧海軍の通報艦「最上」のマストなど構造物の返還を呼び掛けている。市民の周知に向けて随所で関連資料を展示するほか、大阪市や文化庁へ要望書を送るなど「近代史の生き証人」が再び大阪の地へ戻ることを願い地道な活動を続けている。

同艦は1908(明治41)年に長崎で建造。外地にも派遣され、第1次世界大戦で中国に赴いたほか、大正期のシベリア出兵では沿岸の警備任務に当たった。28年に除籍、廃艦となり、翌年、大阪の在郷軍人会がマスト(高さ約20メートル)と艦橋部分を譲り受け大阪市に寄贈した。


 中之島公園東部の天神橋付近に設置され、かつては国旗掲揚柱として使用されたことも。建造から1世紀、設置から80年間風雪に耐えたが、大阪市は構造物の老朽化による危険性の観点と同公園の整備改修に伴い撤去を決定。1級建築士で建築史家の柴田代表(70)ら市民からは大阪での保存を望む声が寄せられたが、艦船関連の資料を展示する同館が受け入れ先となり、2009年2月に移された。

 マストなどは分割状態で搬送され、現在同館の収蔵庫で保管中。柴田さんは「廃棄されなかったのは幸いだが、受け入れ先でいまだに公開展示されてないのは残念」と表情を曇らせる。保存運動の当初から移転希望先として挙げていた大阪国際平和センター「ピースおおさか」(同市中央区)などへの移設も視野に、あらためて「大阪で歴史教材として保存と活用を」と訴える。

 同館学芸課よると展示品は大小数百点で、収蔵品は約20万点にも及ぶ。このうち同艦の構造物については「現在公開の予定はないが貴重な実物資料として保管されており、今後、企画展などで公開する可能性はある」という。

 柴田さんは、堺市出身で終戦時の首相、鈴木貫太郎の生家を文化財に指定することを求める活動なども展開中。「歴史が一つ一つ埋もれていく中、『雨垂れ石をうがつ』のごとく、声を上げ続けることが大事。残された時間は限られているが、これまで提唱してきたことを実現させていきたい」と話している。

1558よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/14(月) 20:01:51 ID:yrg7DEec0
にぎやかにお練り 法善寺で落慶法要
2013年10月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131010/20131010022.html

 「水掛不動」で知られる大阪市中央区の法善寺(神田眞晃住職)で、老朽化した金毘羅堂・お初大神社殿の改修工事が完成し、9日、落慶法要が執り行われた。かつて2度の火災に見舞われ、その度に地域一丸となって復興した経緯があるだけに、この日はゆかりのある芸能、スポーツ関係者も顔をそろえた。

  法善寺と周辺の飲食店「法善寺横丁」は、2002年9月と03年4月の2度の火災による苦難が続き、04年3月の完全復興に至るまで地域が一つにまとまった強い絆のある地域。

 「2度の火災以降、大いに助けてくださり、肩を組み抱き合うほど仲良くやってきた」と神田住職が紹介した落語家の桂福団治さん、月亭八方さん、松竹新喜劇代表の渋谷天外さん、タレントの赤井英和さん、豊ノ島関などが法要の会場にズラリ並んだ。

 渋谷さんは「40年少し前、背中合わせだった中座の初舞台以来のお付き合い。今回の改修でより親しみやすい場所になった」と感慨深く語り、福団治さんは「参詣が楽しみ」と喜びの声を上げた。

 神田住職は「戦後、一帯は焼け野原になり、建立された金毘羅堂で住んでいたという先代のつらい話も聞いた。金毘羅堂、お初大神社殿にお参りいただくことで、社会が優しい心に満ちてほしい」と話していた。

 参列者は道頓堀など周辺をにぎやかにお練りして、完成をアピールした。10日は午後4時から金毘羅大祭法要などがある。

1559よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/16(水) 22:07:37 ID:z0OmT.RU0
神輿巡行に熱気 大阪・吹田で秋祭り
2013.10.14 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131014/osk13101402010002-n1.htm

 吹田市山田東の山田伊射奈岐(いざなぎ)神社で13日、秋祭りがあり、勇壮な太鼓と神輿(みこし)の巡行が行われ、住宅街が熱気に包まれた。

 豊作を祈り江戸時代に始まったという神事。一時すたれていたが、昭和55年に氏子らが太鼓神輿保存会を結成して復活。平成10年に、市の地域無形民俗文化財第1号に登録された。

 早朝、濃紺の法被、締め込み姿の「担手(かきて)」の若者に担がれて神社を出発した2基の太鼓は、神輿の露払いをしながら広い山田地区内を巡行した。

 夕刻の宮入りを前に、神社近くで太鼓2基が合流。カラフルな花笠をかぶり、長いタスキ姿の男児の「乗り子」がドンドンドンと太鼓をたたき、「担手」がエッサ、エッサと声を張りあげて太鼓を高く差し上げ練り回すと祭りは最高潮になり、詰めかけた市民から歓声が上がった。

1560よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/18(金) 04:15:30 ID:A3XKUrxA0
堺の長山古墳 後円部直径64メートルと判明
2013.10.18 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131018/osk13101802000001-n1.htm

 堺市堺区協和町の市営住宅建設予定地で発掘により確認された4世紀後半の築造とみられる「長山古墳」で、堺市文化財課は17日、後円部の直径が約64メートルの規模だったと発表した。全長は100メートルを超えると推測されるという。

 発掘調査後に古墳の規模などを調べるため学術調査を実施していた。後円部の基底石が今回新たに4カ所で確認され、後円部の直径が判明。埴輪(はにわ)の破片なども出土した。

 海側に近い北西側の後円部部分で見つかった基底石は、一辺が約40センチと大きな「和泉砂岩」が使われており、他の場所の葺(ふ)き石よりも丁寧な積み方だった。このため、海から古墳をより立派に見せようとした可能性も考えられるという。

 また、調査では、前方部と後円部がつながる「くびれ部」の場所なども判明。前方部からはこれまでの調査で東部分で長さ16メートルの葺き石が出土。今回調査で新たに9メートルの葺き石も確認された。

1562よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/22(火) 05:45:03 ID:uANVGV1k0
御神田の稲収穫を祝う 住吉大社で宝之市神事
2013年10月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131018/20131018044.html

 伊勢神宮の神嘗祭に当たる17日、御神田で生育した稲の収穫を祝う「宝之市神事」が、大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)であり、観光客らに見守られながら神職らが厳かに祭りを執り行った。

 その年の五穀豊穣(ほうじょう)に感謝するもので、重要無形民俗文化財にも指定の御田植神事(6月)と並ぶ伝統儀礼。

 神職や神楽(み)女(こ)をはじめコメ、ムギ、アワ、マメ、キビの五穀を手にした市女(いちめ)役の学生が伝統衣装をまとって列をつくり、コメを栽培している御田講(おんだこう)と呼ばれるグループの代表者らが境内にある御神田で儀礼にのっとってイネを刈り取った。第一本宮に移った一行は、コメを奉納し、祝詞や舞などを奏上した。

 句会で訪れたという奈良県広陵町の小林伊久子さん(62)は「質素だが、厳かでいいなと感じた」と話した。

 御神田は2反(2千平方メートル)。銘柄はヒノヒカリが収穫、奉納され、御田講によると、今年は豊作で実入りが良いという。

1563よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/22(火) 22:15:26 ID:0OzMCQLk0
真田幸村でイベント計画
10月18日 07時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131018/5315751.html 

豊臣と徳川の軍勢が戦った、「大坂冬の陣」と「夏の陣」から400年を迎えることから、大阪市は、観光客の増加につなげようと、豊臣方の武将、真田幸村が、いまの天王寺区に築いた要塞、「真田丸」を模型で再現するなど幸村にちなんだイベントを計画しています。1614年の「大坂冬の陣」で、豊臣方の武将、真田幸村は、いまの大阪・天王寺区に、「真田丸」という要塞を築き、巧みな戦術で徳川方をほんろうしたほか、翌年の「夏の陣」では、家康の本陣にまで攻め込んだと伝えられています。
来年と再来年が、この戦いから400年となることから、大阪市は、「歴史ブーム」で人気のある幸村にあやかって観光客を増やそうと、「真田丸」を模型で再現することになりました。

模型は、歴史ファンなどからも寄付を募ったうえで、研究者らのアドバイスも受けながら、大きさなどが検討されることになっています。

このほか、市では、戦国武将にふんする「コスプレ」のコンテストなど幸村にちなんだイベントも計画しています。

天王寺区の水谷翔太区長は、「歴史ファンからも、模型の再現について期待の声が寄せられている。多くの人に、歴史のロマンに思いをはせてもらいたい」と話しています。

1564よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:43:07 ID:8eMdeB4Q0
永遠のオダサク ゆかりの生國魂神社に銅像
2013年10月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131027/20131027024.html

 小説「夫婦善哉」で知られ大阪を代表する作家“オダサク”こと織田作之助の生誕からちょうど100年にあたる26日、大阪市天王寺区の生國魂神社で祝祭が開かれ、境内に建立、寄贈された作之助の銅像が披露された。

  祝祭は市民グループ「オダサク倶楽部」(井村身恒代表)が企画した。銅像は同倶楽部会員の石田英治さんが彫刻家の岡村哲伸さんに制作を依頼し寄贈。作之助の生地に近く幼少時に遊んだという同神社の境内、尊敬したという井原西鶴の像の近くに建立された。

 在りし日の作之助を「兄ちゃん」と慕った義理のめい浅井民さん(88)は銅像を眺め「横顔の頬がこけたあたりがそっくり」。銅像の除幕に加わった義理のおい西井基司さん(83)は「銅像は永遠。こうして愛し続けられることはうれしいこと」と話した。

 
おかえり オダサク
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131027-OYO1T00298.htm

  「夫婦(めおと)善哉(ぜんざい)」などの小説で知られ、「オダサク」の愛称で親しまれる作家・織田作之助(1913〜47年)の生誕100年を迎えた26日、生家に近い生国魂神社(大阪市天王寺区)で記念イベントが開かれた。

 愛読者らでつくる「オダサク倶楽部(くらぶ)」(井村身恒代表)の主催で、約100人が参加。織田の小説をアレンジした落語が披露されたほか、境内に建立したマント姿の立像(高さ約1.8メートル)が除幕された。

 織田の親戚筋で、生前にかわいがってもらったという吉川聖子さん(90)、浅井民さん(88)姉妹は「すばらしい場所に像を建ててもらい、お兄ちゃんも喜んでいると思う」と懐かしんだ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1565よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:47:50 ID:8eMdeB4Q0
古墳群、持続可能な管理を
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00149.htm

. 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に向けた国際シンポジウムが26日、藤井寺市の市立市民総合会館「パープルホール」で開かれ、「古墳のある街のまちづくり」をテーマに国内外の専門家らが意見交換した。

 同古墳群については、2015年度の世界文化遺産登録を目指しながら、今年度に国の推薦が見送られたため、登録が遅れることは確実となっている。

 この日のシンポは府と堺、藤井寺、羽曳野の3市でつくる同古墳群世界文化遺産登録推進本部と文化庁が主催し、約250人が参加。基調講演に立った西村幸夫・東京大先端科学技術研究センター所長は、ビルに囲まれた東京・浅草の浅草寺を例に、「本堂の後ろに高い建物がなく、歴史的な雰囲気が感じられる。古墳群も周辺環境を含めた街づくりの観点が重要」と呼びかけた。

 オランダのウィレム・ウィレムス・ライデン大教授は「登録に最も重要なことは、目の前に立った人を感嘆させられるかどうかだ。古墳群は、その点での疑念はなく、価値と研究成果を世界に伝え、持続可能な管理をすれば(登録は)必ず実現すると思う」と述べた。

(2013年10月27日 読売新聞)

1566よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:49:08 ID:8eMdeB4Q0
大阪城 今日は何の日?
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00155.htm

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は、大阪城の歴史を記した2014年版の特製カレンダー(A4判、カラー刷り)=写真=を作製した。

 徳川幕府が豊臣家を滅ぼした「大坂の陣」(1614〜15年)から400年の節目を迎えるのに合わせて企画。豊臣秀頼・淀君が自害した、豊臣氏滅亡の日(1615年5月8日)や、戊辰(ぼしん)戦争で全城ほぼ焼失(1868年1月9日)、天守閣の復興(1931年11月7日)など、城にまつわる約250のできごとを、季節感あふれる大阪城の姿とともに紹介している。

 担当者は「大阪城がいろんな時代で重要な場所であったことを知ってもらえれば」と話している。

 非売品だが、11月2〜24日の期間中、特別展「大阪城はこの姿 ―戦災からの復興、整備、そして未来へ―」の図録(1300円)を購入した人にプレゼントされる。

 問い合わせは、大阪城天守閣(06・6941・3044)へ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1567よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 15:09:45 ID:8eMdeB4Q0
白村江の戦い1350年 慰霊法要と講演会 27日、枚方 大阪
2013.10.24 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131024/osk13102402000000-n1.htm

 7世紀、朝鮮半島の南西部にあった百済(くだら)を救援するため、日本(倭国)の軍兵が海を渡って唐・新羅連合軍と戦い敗れた「白村江の戦い」(663年)から今年で1350年。日本に亡命してきた百済王族の子孫らが27日、枚方市のゆかりの地で慰霊法要と講演会を開催する。

 慰霊法要は午前11時から、枚方市大垣内町(市役所西側)の百済王神社で。舒明天皇が建立した百済大寺(大官大寺)の流れをくむ奈良・大安寺の河野良文貫主が導師をつとめる。

 また午後1時半からは、同市中宮西之町の百済寺跡公園(国特別史跡)で、猪熊兼勝・京都橘大学名誉教授による講演「百済滅亡と百済王氏」がある。参加は自由だが、マイカー禁止。百済寺跡へは、京阪交野線宮之阪駅下車。問い合わせは、主催の三松(みまつ)さん((電)0742・24・2970)。

1568よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 20:34:36 ID:F8KRTU.o0
日本最古の幼稚園 公開
10月26日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131026/4302351.html

明治34年に建てられた、日本で最も古い園舎がある大阪市立愛珠幼稚園が26日、一般に公開され、大勢の人が見学に訪れました。
大阪・中央区今橋の大阪市立愛珠幼稚園の園舎は、いまから112年前の明治34年に完成し、和風の重厚な外観をした木造平屋建ての建物は、学術的な価値が高いとして国の重要文化財に指定されています。
現在も子どもたちが通っているため普段は立ち入れませんが、26日は年に2回の一般公開の日にあたり、歴史や建築に関心を持つ人などが大勢、見学に訪れました。玄関から入ってすぐの遊戯室は天井までの高さが7メートルほどある独特の造りをしていて、古風なシャンデリアが天井からつられています。
また、遊戯室には100年以上前に購入したドイツ製のピアノも置かれ、26日は訪れた人たちに優雅な音色が披露されました。
見学に訪れた淀川区の43歳の女性は「一度、中に入ってみたいと思っていたので感激です。こんなすばらしい環境で過ごす子どもたちは幸せですね」と話していました。
愛珠幼稚園は近く、耐震工事が始まるため一時的に閉鎖され、次に一般に公開されるのは2年以上先になりそうだということです。

1569よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:19:42 ID:F8KRTU.o0
馬飼いの里、埴輪でたどる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00152.htm

 四條畷市立歴史民俗資料館(四條畷市塚脇町)で、特別展「四條畷の古墳時代 王権を支えた馬飼いの里」(同市教委など主催)が開かれ、市内で発掘された埴輪(はにわ)や祭祀(さいし)用具など約500点が展示されている。入場無料。12月15日まで。

 海岸線が現在より内陸にあった古墳時代中期、同市は、現在の大阪湾につながっており、朝鮮半島から渡来人が連れてきた馬を育てる牧場として発展、多くの古墳や集落がつくられた。会場には、古墳や周辺の集落跡地から出土した子馬の形をした埴輪や、祭祀でささげられたとみられる馬の骨、朝鮮半島でつくられた土器など、同市の歴史を物語る出土品が並んでいる。開館は午前9時30分〜午後5時で、月曜日が休館(祝日は開館し、翌日が休館)。問い合わせは同資料館(072・878・4558)へ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1570よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:40:48 ID:F8KRTU.o0
澪標 ―みおつくし―

大阪を代表する神社
中村 文隆 生國魂神社権禰宜
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/131018/20131018051.html

 
前稿でいくたまさんは大阪最古の神社であるとお伝えしました。では大阪に鎮座する他の神社はどれくらいの歴史を有するのでしょうか。代表的な神社を中心に見ていきます。

 まず、神社といえば祭り、祭りといえば大阪で真っ先に名前の上がるのが、天神祭であることに異論は少ないでしょう。東京の神田祭、京都の祇園祭と並び、日本三大祭りの一角として他府県からも多数の参拝者が来訪し、大阪の観光行事の中心的な役割を担っています。

 この浪速っ子を魅了し続ける天神祭を齋行(さいこう)している神社が大阪天満宮です。菅原道真公をご祭神としてお祀(まつ)りされており、平安貴族として隆昌を極めながらも非業の死を遂げられた官公の、没後約半世紀を経た天暦3(949)年に、第62代・村上天皇の勅願によって創建されたと伝わりますから、1100年近い歴史を有します。

 次に夏から冬に目を転じますと、宝恵駕籠(かご)行列を挙行し、商都大阪に新春を告げる十日戎(えびす)で全国にその名を知られる今宮戎神社があります。通常「えべっさん」と呼ばれる同神社の縁起は、東アジア初の女帝、第33代・推古天皇の御代に、摂政・聖徳太子の四天王寺建立に際して、同寺西方の護(まも)り神としてお祀りされたのが初めと伝わります。『日本書紀』によると、同寺の建立は推古元(593)年に始まると記されていますので、えべっさんの歴史も1400年を超えることになります。

 また、大阪で最も代表的な神社といえば、住吉区や東住吉区、住之江区など、行政区名にも広範囲にわたって名を留める住吉大社が挙げられます。大阪では親しく「すみよっさん」と呼ばれていますが、全国に2千社以上鎮座する住吉神社の総本宮であり、新年の初詣では東京の明治神宮、京都の伏見稲荷大社と並び、全国でも屈指の参拝者数を誇ります。僧・永祐の撰と伝わる室町時代ころの書物で、神代から第93代・後伏見天皇までの歴史を記した『帝王編年紀』によりますと、神功皇后11(211)年、第14代・仲哀天皇の后(きさき)である神功皇后自らが住吉大神をお祀りされたと記されており、よってご由緒は1800年を超えます。

 もちろんこれらの他にも大阪には日本史のエポックとなった神社が多数鎮座していますが、それらはおおよそいま見てきた3社と同じ1000年〜1800年前の範疇(はんちゅう)に収まります

 一方、大阪最古といわれるいくたまさんのご由緒は「神武東征の砌(みぎり)」と伝わりますから、それよりさらに900年ほど遡(さかのぼ)ります。それはまさに神話と歴史のつなぎ目となる時代であり、そのつなぎ目の時間軸が約2700年前、そして場所軸がこの大阪となります。

 次稿ではそのあたりを掘り下げ、大阪の歴史が日本の歴史の始まりであるということを見て行きたいと思います。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)








2013年10月18日

1571よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:44:03 ID:F8KRTU.o0
>>1570

>前稿でいくたまさんは大阪最古の神社であるとお伝えしました。


澪標 ―みおつくし―

神社や神道を身近に
中村 文隆 生國魂神社権禰宜
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/130903/20130903028.html

  大阪上本町界隈(かいわい)に鎮座する「いくたまさん」で、平成11年より神職をしております中村文隆と申します。

 大阪人の大半は当神社をいくたまさんと親しく呼称しておられますので、以下特段の事情がない限り、私も文中ではいくたまさんと表記しますが、正式なご社名は「生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)」と言います。こう言うと慣れ親しんだ神社が、何か遠い存在に感じますね(笑)。

 このはんなりとした神社と人の近さも上方文化の一つでしょう。東京旅行で明治神宮に参拝して「明治さんへ行って来た」とおっしゃるかたは稀(まれ)ではないでしょうか。前置きなしに聞かされると、どこへ行ったのか皆目見当もつきません。鎌倉の鶴ケ岡八幡宮に至っては「鶴ケ岡さん」という言葉すら聞いたことがありません。

 そのようなことはさて置き、このたびは貴重な紙面をお借りし、私たちにとって身近であり、かつ意外と知らない神社や神道に関連するお話を5回にわたって寄稿させていただく機会を頂戴しました。

 ご依頼を頂いた当初、神社についての一般的な概要を、1回ごとの読み切りでご紹介しようかと漠然と考えていました。しかし、そのような、どこに出してもご理解いただける平たい内容は既に巷(ちまた)に溢(あふ)れていますので、大阪日日新聞さんならではの地元大阪に特化したお話をいくたまさんを通じて提供し、より身近に神社を感じていただけるよう、ご由緒のポイントを整理しました。

 とても長い歴史を有する神社ですので細部にこだわると膨大な紙幅が必要なため、おおまかなエピソードを中心に追って行きたいと思いますが、それでも号を跨(また)ぎますこと、また、あくまで私中村が日々のご奉仕の中で感じた個人の主観でありますことをお許しください。

 平素の神社でのお勤めは、お掃除に始まりお掃除に終わると言っても過言ではありませんが、それは精神的なお祓(はら)いの物理化がお掃除であるからに他なりません。試験前に慌てて部屋の掃除から始める人がいますが、ある意味理に適(かな)っていますね、私もそうですが(笑)。

 ご参拝の方とのご縁も境内でホウキを持っている時に頂くものが多く、その中でもよく耳にするのは、「いくたまさんってどんな神様ですか?」と言う類のご質問です。そんな時、決まって私は「大阪で一番古い神社で、日本列島そのものの神様なんですよ」とお答えしています。

 旅行でご来阪されたかたかと思い、「どちらからお越しですか?」と逆に問いかけますと、流暢(りゅうちょう)な関西弁で「いや、長年大阪に住んでて、何度かいくたまさんにはお参りしたことがあるんですが、今まで深く考えたことがなくて」、なんていうお答えがしばしば返ってきます。

 では大阪で一番古い神社とは、いったいどれくらい昔のことなのでしょうか。

 次回はその辺りを中心に見て行きたいと思います。

 (大阪市天王寺区)

1572よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:47:02 ID:F8KRTU.o0
伝統の「かっぽれ」 伊勢神宮に奉納 家元の櫻川ぴん助さん
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20131006/CK2013100602000151.html

>かっぽれのルーツは大阪・住吉大社の田植え踊り。

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1578よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/02(土) 05:08:53 ID:ZBwfPZlU0
千歳飴袋詰め 住吉大社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131101-OYT8T00084.htm

 子供の健やかな成長を願う七五三(11月15日)を前に、準備作業を続けていた大阪市住吉区の住吉大社が31日、子供たちに手渡す千歳(ちとせ)飴(あめ)の袋詰めを終えた。

 同大社では、毎年約6000人が七五三の参拝に訪れる。同神社は祈祷(きとう)を受けた子供向けに、巫女(みこ)らが10月初旬から千歳飴を用意。最終日となった31日も5人が手際よく飴や文房具、お守りを袋に入れていた。

 参拝のピークは15日前後。祈祷料は1人1万円で、2人目からは5000円。11月中は連日午前9時〜午後4時に受け付ける。問い合わせは同大社(06・6672・0753)へ。

(2013年11月1日 読売新聞)

1579よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/02(土) 05:34:39 ID:ZBwfPZlU0
神社で朝活 日曜カフェ 枚方・交野天神社
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131030-OYT8T00068.htm

 さわやかな朝、家族や友人と外で食事を楽しみませんか――。毎月第3日曜日の朝、枚方市の交野天(かたのてん)神社境内に、オシャレなカフェがオープンする。地元の若手店主らが7月から始めた「神社カフェasaiku」。焼きたてのパンやコーヒーの香りに誘われて、散歩中の夫婦や家族連れが次々と訪れている。(梶多恵子)

 同神社近くの樟葉宮(くずはのみや)表参道商店会(34店)が主催。若手店主らが「地域の交流を図れ、ほかではやっていないイベントを」と知恵を絞り、地域のシンボルでもある同神社で「カフェ」を開くアイデアを思いついた。

 サラリーマンらが、出勤前に集まって読書会や勉強会を開く「朝活」がはやっていることに目をつけ、家族がそろう日曜日の朝に開催することを決めた。「朝の貴重な時間を使い、人生を豊かに育ててほしい」との願いを込め、「asaiku(朝育)」と名付けた。

 当日は、神社境内にテーブルといすを並べ、各店が提供するパンやソーセージ、豆腐、サラダなどの数量限定プレート(500円、メニューは変更あり)を用意。コーヒーやパンなどを単品でも販売する。9、10月は雨で中止になったが、7、8月に開催した際には、チラシや口コミなどで知った地域住民ら300〜400人が訪れる盛況ぶりだったという。

 冬は温かいメニューも用意する予定。同商店会の川口誠会長(37)は「常に工夫をして盛り上げていかないと、商店街は廃れてしまう。朝食だけではなく、地域のことを学ぶ『まちゼミ』などのイベントも企画していきたい」と意気込んでいる。

 次回の「神社カフェasaiku」は11月17日午前8時〜11時。雨天中止。交野天神社は京阪樟葉駅の北東側。駐車場はない。問い合わせは、まことの豆富「燈」内の川口会長(072・855・6022)へ。

(2013年10月30日 読売新聞)

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1583よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/08(金) 02:21:09 ID:owzEBIQ.0
若い女性を夢中にさせる文楽のスゴさ 文楽人形遣い・桐竹勘十郎さん 通し狂言「伊賀越道中双六」国立文楽劇場で公演中
2013.11.7 12:52
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131107/wlf13110712570010-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131107/wlf13110712570010-n2.htm

 この人の遣う人形を見ていると、文楽という芸の面白さ、深さに目を見開かされる。文楽人形遣い、桐竹勘十郎、60歳。脂の乗りきった芸で、観客を一気に文楽の世界に引きずりこむ。今月、大阪・国立文楽劇場で上演中の通し狂言「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」では、娘のために命をかける老人足の平作と剣豪・政右衛門の師、山田幸兵衛という老け役2つを遣っている。

(亀岡典子)

 「どちらも親父(人間国宝・二世勘十郎)の好きな役でした。人形の後ろにいまも親父がいるような気がします」。人形の首(かしら)をいとおしそうに見つめる勘十郎。「特に、幸兵衛は最後の役だったので、この役を遣うことは念願でした。私も還暦。こういう役をしっかり遣いたい」

 「伊賀越道中双六」は、寛永11(1634)年、伊賀上野・鍵屋の辻で実際に起こった仇討ち事件をもとに、時代を室町時代に置き換えて描かれた時代物の傑作。鎌倉から沼津、岡崎、伊賀上野と、東海道を西へ西へと向かいながら、仇討ちをめぐる人々の思いがスケール豊かに描かれる。

  今回は大阪では平成4年以来、21年ぶりの通し上演。「文楽は、これだけの大作を通しで上演できる。それが私たちの誇りです」

 勘十郎が遣う平作は、「沼津の段」に登場する老人足。呉服屋十兵衛に声をかけ、荷物を持ったことがきっかけで2人は知り合う。しかし十兵衛は幼いころ生き別れになったわが子。再会したときには敵同士の立場になっていた。

 平作が命と引き換えにやり遂げようとしたこととは−。「それまで普通の生活をしていたおじいさんが仇討ちに巻き込まれ、ある決意をする。お客さんに泣いてもらおうとは考えず、余計なことをしないで自然に遣えれば」

 一方の幸兵衛は気骨ある男。さまざまなことを腹におさめ、常に冷静に、的確な判断を下す。「昔、父の足遣いをしたとき、この役はアゴの使い方が大事だと教えてもらいました。そのことを思い出します」

 9月の東京公演も「伊賀越−」の通しだった。「仇討ちがテーマなので女性にはどうかなと心配していたのですが、初めて文楽を見た若い女性がすっかりはまったそうです。改めて文楽のすごさを感じてうれしかったですね」

 24日まで。国立劇場チケットセンター(電)0570・07・9900。

 ◇

 日本三大仇討ち 「赤穂浪士による仇討ち」「荒木又右衛門らによる鍵屋の辻の仇討ち」「曽我兄弟による仇討ち」。この3つを「日本三大仇討ち」といい、古来、文楽や歌舞伎の題材になってきた。「伊賀越道中双六」は、鍵屋の辻の仇討ちを題材に、敵を討つ者、討たれる者、その家族や師ら、仇討ちをめぐる人々の命をかけた情愛が大河ドラマのようなスケール感と迫力で繰り広げられる。特に「沼津」は、ここだけ独立して上演されるほどの傑作。人間国宝、竹本住大夫の滋味あふれる語りに耳を傾けたい。

1584よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/08(金) 02:41:14 ID:owzEBIQ.0
ゆるキャラが40キロも“ブログ旅”! 大阪・難波宮−奈良・明日香 「蓮花ちゃん」ゴール
2013.11.7 07:44
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131107/wlf13110707520000-n1.htm

 大阪市中央区の難波宮跡を出発し、竹内街道・横大路を横断してブログを更新する「ブログ旅」を続けていた奈良県葛城市のマスコットキャラクター「蓮花(れんか)ちゃん」が6日、約40キロの旅を終えて明日香村の飛鳥寺にゴールした。

 蓮花ちゃんは6月19日にスタートし、大阪府内の堺市や松原市、羽曳野市のほか、大和高田市や橿原市などを経由。各地の市役所や竹内街道関連の資料館、観光施設などに立ち寄り、その様子などをブログにつづって更新しながら旅を続けてきた。

 ゴールの飛鳥寺では、桜井市の「ひみこちゃん」や、松原市の「マッキー」など各地のマスコットキャラクターが出迎え、ハイタッチをしてゴールを祝福した。

 葛城市の担当者は「ブログの閲覧者は1日平均700人で、出発前より2倍に増えた。『竹内街道』という言葉すら知らなかった人にも、その魅力を発信でき、市のPRにもつながった」と話した。

1585よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/08(金) 02:51:54 ID:owzEBIQ.0
八重とゆかり岸和田にも
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131104-OYT8T00969.htm

.◆旧藩士の実業家と夫婦で交流、企画展で紹介

 今年のNHK大河ドラマの主人公・新島八重(1845〜1932)や夫・襄(じょう)(1843〜90)と、明治維新後に日本の先駆的事業としてレンガ会社を興した旧岸和田藩士・山岡尹方(ただかた)(1840〜1915)との交流を紹介する企画展「新島八重と岸和田」が、岸和田城(岸和田市岸城町)の天守閣2階展示室で開かれている。あまり知られていない八重や襄と岸和田の縁を示す品々に、来場者らは興味深く見入っている。(横田加奈)

 最後の岸和田藩主だった岡部長職(ながもと)(1854〜1925)が明治維新後に留学先の米国でキリスト教の洗礼を受けた際、宣教師だった襄を知り、「岸和田にも布教を」と八重と襄の2人を紹介したことから、山岡と2人の交流が始まった。

 2人は何度も岸和田を訪れ、講話・説教を行うなどして布教。山岡自身も信仰するようになり、自宅の一角に岸和田教会を創設するなどして協力した。山岡の会社の社章が十字架をモチーフにし、その社章を刻印したレンガが同志社大の校舎に使用されるなど、山岡と2人の結びつきは強い。

 今回の企画展では3人の出会いを紹介し、八重や襄から山岡やその家族に宛てた書簡13点など資料約40点を展示。実家に戻るよう言われた岸和田出身の女学生について、襄が山岡に母親を説得するよう依頼する手紙には「女性が学問を修めるのを好ましく思わない風潮は、改めなければいけない」などと、女子教育論の重要性がつづられている。

 襄と山岡が他界した後、八重が山岡家に宛てた書簡も12年ぶりに公開。岸和田教会での説教会と女学校での講演について「御話しごくごく下手」などと書かれ、文面からは八重の率直さが見て取れる。

 山岡家の武具や製品のレンガなども展示され、東大阪市の会社員西本圭佑さん(22)は「京都や福島だけでなく、岸和田も八重や襄とゆかりがあったのは驚き。手紙にも布教や女性の自立を訴える内容が細かく書かれ、2人の熱心さが伝わってきた」と感心していた。

 岸和田市教委郷土文化室の山中吾朗参事は「新島夫妻と岸和田、山岡家との関係を多くの人に知ってもらい、大河ドラマを見ながら『岸和田にも縁があったんだ』と思い出してほしい」と来館を呼びかけている。

 12月1日までの午前10時〜午後5時。月曜休館。入館料は高校生以上300円、中学生以下無料。問い合わせは岸和田城(072・431・3251)へ。

 ◆山岡尹方 旧岸和田藩の上級藩士。明治維新後、生活に困窮した士族たちに仕事を与えるため、レンガ製造業を始めるが、事業に失敗。1878年に岡部長職の依頼で、キリスト教布教で岸和田を訪れた新島襄を迎えたことがきっかけで、自らも信者となる。87年、再び設立したレンガ製造会社が西洋建築の流行に乗ったことで急成長し、日本の近代化の一端を担った。

(2013年11月5日 読売新聞)

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1588よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/09(土) 21:33:52 ID:XLv.wmw60
榎並猿楽 まちの宝に
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131109-OYT8T00124.htm

.◇ゆかりの能きょう上演/歴史学ぶ講座構想も

 中世に栄えた芸能「榎並猿楽(えなみさるがく)」の発祥の地とされる大阪市城東区で、住民が猿楽の歴史を伝える取り組みを進めている。猿楽にちなんだイベントを開き、まちの歴史財産としてアピールするほか、歴史を学ぶ連続講座を開く構想も練っている。9日はゆかりの能が同市北区で上演される予定で、地元住民らも鑑賞する。(桑田睦子)

 猿楽は、能楽のもとになった中世芸能で、榎並猿楽はその一座。能を大成させた世阿弥(ぜあみ)著の能楽書「風姿花伝」などにも登場し、舞の名人らがいたとされている。

 しかし、応仁の乱(1467〜77年)以降に衰退。現在は市立榎並小の校門脇に発祥の地を示す石碑が残るものの、歴史を知る人はほとんどいないという。

 そのため、市民団体「城東区ゆめ〜まち〜未来会議」などが昨年、大衆に親しまれた猿楽にちなみ、よさこい踊りなどで交流する「SARUGAKU祭」を開催。今年も17日に開く予定で、来年には能楽師らから歴史などを学ぶ連続講座も検討している。

 9日には北区の中之島公園芝生広場で、NPO法人「なにわ文化芸術芸能推進協議会」(大阪市)が、榎並猿楽の役者が原作を書いたとされる能「鵜飼(うかい)」などを上演する。6日夜は、地元住民ら約60人が上演を前に集まり、能楽師らから榎並猿楽の歴史や演目の一部を学んだ。

 同会議代表の清水宏さん(67)は「これまでほとんど知られていなかった榎並猿楽を城東区の貴重な財産として広めたい」と意気込んでいた。

 9日の上演は午後2時30分開演。大人3000円、大学生以下1500円。雨天時は西隣の阪神高速道路高架下で行われる。問い合わせは山中雅志さん(080・5365・4038)へ。

(2013年11月9日 読売新聞)

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1592よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/13(水) 22:22:11 ID:64xBS8.20
来年姉妹校 半世紀 徳川家康ゆかりの佃小と佃島小
2013年11月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131110/20131110090.html

 1965(昭和40)年から続く大阪市西淀川区の市立佃小学校(池尻佳伸校長)と東京都中央区の区立佃島小学校(余郷和敏校長)の交歓会が2日、佃小学校で開かれた。徳川家康の時代にさかのぼる両地域の縁をもとに、姉妹校提携を結ぶ両校の児童が年ごとに行き来し交流。いよいよ来年は半世紀の節目を迎える。

■立ち往生家康渡す


  両校の縁結びの由来は、約400年前の家康の時代。多田御廟と住吉神社への参詣途中、神崎川で立ち往生していた家康を佃村大和田の漁民が漁船を出して渡したのが縁で、家康が江戸城に入った後も佃村、大和田村の漁民は日本のどこの海でも漁ができる許可を得て白魚を家康に献上していた。

 その後、隅田川で魚をとって幕府献上することを命じられた佃村の漁師17軒34人が隅田川河口に移住。1630年に拝領した干潟に島を築き、故郷をしのんで「佃島」と名付けたのが現在の東京佃島にあたる。

 大阪佃が東京佃島の本家、東京佃島の住吉神社は大阪佃の田蓑神社の分社にあたることなどから両地域の交流が始まり、1964年に大阪佃の為川作造氏が東京の佃島小を訪問。翌年、東京の佃島小から校長やPTA職員が佃小を訪れ、姉妹校関係を結んだことで交歓会がスタートした。

■今年は東京が訪問

 49回目の今年は東京から佃島小の5、6年生12人や教職員関係者ら計33人が訪れた。佃小の4年生94人が「きょう一日、佃を楽しんでください」と佃島小の児童らを歓迎。交歓会では両校の校歌斉唱やゲーム、佃島小の児童らが持参した手紙を佃小の児童に手渡すなどして交流を深めた。この後児童らは両地域ゆかりの田蓑神社にも訪問。夜には大人たちが交流会を開き、地域同士の親交を深めた。

 長年にわたり児童らが往来する交流関係は大阪市内でも珍しく、佃小の池尻校長は「ふるさとを一つにしている東京と大阪の子どもたち。地域のつながりがとても大切と感じる。来年、またその次と続けていきたい」と話す。

 50周年にあたる来年は、東京の佃島小で交歓会を開く予定にしている。

1595よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 11:33:48 ID:Wsk9dnLg0
七五三がピーク 「すみよっさん」参拝客でにぎわう
2013.11.16 13:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131116/wlf13111613300016-n1.htm

  子供たちの健やかな成長を祈願する「七五三」が16日、ピークを迎え、各地の神社に参拝客らが詰めかけた。大阪市住吉区の住吉大社にも多くの人々が訪れ、境内は色とりどりの着物姿で彩られた。

 この日は大安とあって参拝客が集中。おはらいを終えた家族連れらは、千歳飴やお守りが入った袋を手にしながら、澄んだ秋空の下、笑顔で記念撮影をしていた。

 住吉大社によると、例年約6千組が訪れており、今年は今週末が参拝のピーク。週末の2日間で千組以上の家族が祈祷(きとう)を受ける見通しという。

1596よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 11:45:55 ID:Wsk9dnLg0
堺 百舌鳥古墳群が国の史跡に
11月15日 18時59分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131115/5993021.html

大阪府や堺市などがユネスコの世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」の古墳など堺市にある17の古墳が、「百舌鳥古墳群」として国の史跡に指定されることになりました。
国の史跡に指定されるのは堺市にある17の古墳で、ひとくくりにして「百舌鳥古墳群」として指定されます。
このうち「いたすけ古墳」など7つは、すでに単体としては国の史跡に指定されていますが、地元、堺市の要望を受けて、「御廟表塚古墳」などほかの10の古墳とともに、歴史的価値が高い古墳群として指定されることになりました。一方、これらの古墳の多くは大阪府や堺市などがユネスコの世界文化遺産への登録を目指している「百舌鳥・古市古墳群」に含まれています。
堺市は、世界文化遺産として登録されるためには、古墳群が法律に基づいてしっかりと保存される環境を整えることが欠かせないとしています。
堺市の竹山修身市長は、国の史跡への指定について「ユネスコの世界文化遺産への登録実現に向け、大きなステップになる」とコメントしています。

1597よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 12:17:54 ID:Wsk9dnLg0
巡ろう 利休・秀吉ゆかりの地
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131115-OYT8T00109.htm

 映画「利休にたずねよ」の公開(12月7日)を前に、南海電鉄と京阪電鉄は茶人・千利休と豊臣秀吉にゆかりのある堺市など3都市の名所を紹介したパンフレット約4万部を作成した=写真=。15日から南海の主要駅や京阪の全駅、堺市役所などに置く。無料。

 「堺・大阪・京都 茶の湯さんぽ 利休と秀吉ゆかりの地をたずねて」(6ページ)。利休の生家「千利休屋敷跡」(堺市)や利休が設計したとされる茶室の復元模型がある「大阪城」(大阪市)、秀吉が盛大な茶会を開いた「北野天満宮」(京都市)などを、写真や地図で説明し、最寄り駅も盛り込んでいる。

(2013年11月15日 読売新聞)

1598よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/17(日) 12:31:08 ID:Wsk9dnLg0
御堂筋 絵巻鮮やか 親鸞聖人750回大遠忌法要
2013年11月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131117/20131117024.html

 大阪市中央区の浄土真宗本願寺派・本願寺津村別院(北御堂)で16日、11日から続いた宗祖・親鸞の「750回大遠忌(おんき)法要」の最終日にちなみ、約千人の奉仕者が真宗大谷派・難波別院(南御堂)との間を練り歩く「御堂筋パレード」が盛大に執り行われた。雅楽の音が響く中、約600メートルにわたり時代行列などが繰り広げられた。

 50年に1度の大法要。ことし4月には宗祖を同じくする南御堂で同法要が執り行われ、約30年ぶりに両派合同行事として北御堂から南御堂へ南下するパレードを実施。今回は逆に北上するコースで「御堂筋」の由来でもある南北御堂が結ばれた。

 パレードは龍谷大学や相愛学園など宗門関連学校による吹奏楽演奏で幕開け。時代行列では親鸞在世の平安・鎌倉時代のほか、石山本願寺・戦国時代、江戸時代を再現した長い列が続き、沿道で見守る関係者らが親鸞の遺徳をしのぶとともに大阪の長い歴史に思いをはせた。

>石山本願寺・戦国時代、

 石山本願寺ではなく『大坂本願寺』と、安土桃山時代ではなく『安土大坂時代』と呼ぶようにしていきましょう。

1599よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/18(月) 05:17:39 ID:wcABmFX.0
竹内街道・横大路1400年祭
11月17日 12時24分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131117/5932781.html 

大阪と奈良を東西に結ぶ道「竹内街道」と「横大路」が整備されて今年で1400年になるのにあわせて街道沿いの魅力をPRする催しが大阪・中央区で開かれています。
「竹内街道」と「横大路」は大阪と奈良の飛鳥の都を結ぶ道として西暦613年に整備されたとされ今年は2つの道がつくられてから1400年の節目にあたります。街道沿いの地域の魅力をPRしようと開かれた催しでは羽曳野市のぶどうを使ったワインや松原市の小松菜を練り込んだ緑色の焼きそばなど地域の名物が販売されています。
会場を訪れた奈良市の男性は「いろんな名産があるので食べて回りたい」と話していました。
会場では街道沿いのゆるキャラも登場しそれぞれの地域をPRしていました。
この催しは今夜7時まで難波宮跡公園などで開かれています。

1600よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/18(月) 05:20:41 ID:wcABmFX.0
橋下市長も祝福 大阪−奈良結ぶ「竹内街道」1400年祭
2013.11.17 22:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131117/wlf13111722310040-n1.htm

 大阪府と奈良県を結ぶ竹内(たけのうち)街道・横大路(よこおおじ)の設置から1400年を記念した「1400年祭」が17日、大阪市中央区の難波宮跡公園などで開かれ、「古代の道からまちづくり1500年に向けてキックオフ」をテーマにさまざまな催しが行われた。

 NHK大阪放送局アトリウムでは、両府県や街道が通る10市町村の首長が集まり「首長サミット」が開かれた。大阪市の橋下徹市長は「100年先のことを考えながら難波宮を整備していきたい」、松井一郎知事は「次の世代が1500年祭を盛り上げていける大阪や奈良でありたい」とそれぞれあいさつ。「次の100年に向けて、世界に誇れる歴史的空間の創造に取り組む」とする共同宣言が発表された。

 このほか、大阪歴史博物館でシンポジウム、難波宮跡公園では河内ワイン、飛鳥ワインなど街道の特産品を販売する「大道うまいもん市」が催された。

 竹内街道・横大路は「日本書紀」で推古天皇21(613)年の11月の条に「難波(なにわ)より京(みやこ)に至る大道を置く」と記された大道のルートと重なることから、日本最古の官道(国道)と呼ばれる。1400年の節目を契機に両府県と沿線10市町村(大阪市、堺市、松原市、羽曳野市、太子町、奈良県葛城市、大和高田市、橿原市、桜井市、明日香村)で「1400年活性化実行委員会」を設置。街道の魅力を再発掘し、発信するプロジェクトを展開している。

1602よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/20(水) 05:47:16 ID:BMkP.OoM0
最古の官道・竹内街道 まちづくりに活用 大阪でイベント
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131118-OYT8T00039.htm

 日本最古の官道とされ、難波(なにわ)から飛鳥(奈良)までを結んだ「竹内(たけのうち)街道・横大路」の整備1400年を受け、大阪市中央区の難波宮跡公園や大阪歴史博物館などで17日、「1400年祭―古代の道からまちづくり1500年に向けてキックオフ」が行われた。

 府や奈良県と、大阪、奈良の街道沿い10市町村でつくる実行委が主催。シンポジウムや「大道うまいもん市」、各自治体代表による「首長サミット」などがあり、大勢の市民らでにぎわった。

 シンポジウムでは、和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)が「推古21年 難波から飛鳥間大道設置1400年」と題して基調講演。和田名誉教授は、奈良県内の縄文時代の遺跡で大阪湾から運ばれた魚類の骨が出土したことなどを紹介し、「史料から、大阪湾と大和を結ぶ細い道が推古朝に至って広い道に敷設されたとわかる。古代に遡る道が、今も残ることを認識して歩くと、違う物が見えてくる」などと解説した。

 その後、竹内街道周辺の「古代の価値」に着目して地域の魅力発信などを手がける若生謙二・大阪芸術大教授や和田名誉教授らがパネル討論を行い、街道を活用した今後の自治体の取り組みなどについて意見を交わした。

 屋外会場では、各市町などによる特産品やグルメ販売コーナー「大道うまいもん市」に、家族連れらが列を作った。

 「首長サミット」では「府県を越えて一体となり、世界に誇れる歴史的空間の創造に取り組む」との共同宣言が採択された。

(2013年11月18日 読売新聞)

1603よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/22(金) 22:59:12 ID:pqhauhsw0
観心寺関連の建物跡か 河内長野・鳩原遺跡
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131121-OYT8T00113.htm

◇同じ「巴紋」の軒丸瓦が出土

 河内長野市鳩原(はとはら)の鳩原遺跡で、鎌倉時代とみられる建物跡が見つかり、同市教委が20日発表した。建物跡周辺から同市の古刹(こさつ)・観心寺と同じ文様の軒丸瓦(のきまるがわら)が出土しており、同市教委は「観心寺関係の建物である可能性が高い」としている。

 田畑整備に伴い、9月から約1600平方メートルで発掘調査。その結果、建物の柱を据え付ける礎石1基(約40センチ四方)や、腐敗した柱の一部(直径13センチ)を確認し、同寺に残る瓦の文様「巴(ともえ)紋」と同じ軒丸瓦や軒平瓦が約10点も見つかった。

 市教委ふるさと文化課によると、鳩原には同寺僧侶の隠居所やお堂があった伝承があるという。同遺跡からは今回、縄文時代の竪穴住居跡や石製品も出土した。

 現地説明会は23日午後1時から。鎌倉時代とみられる遺構は埋め戻されているが、出土品や写真が展示される。問い合わせは現場事務所(0721・62・5290)へ。

(2013年11月21日 読売新聞)

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1606よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 14:42:23 ID:Wm1Y6/Xw0
無病息災を求めて 少彦名神社で「神農祭」
2013年11月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131123/20131123038.html

 “くすりのまち”として知られる大阪市中央区道修町2丁目の少彦名(すくなひこな)神社(別所俊顕宮司)で22日、江戸期からの伝統行事「神農(しんのう)祭」(市無形民俗文化財)が始まった。境内や参道は無病息災などを祈願する多くの参拝客が列を成しにぎわっている。23日まで。

 同祭は大阪の年内の祭りのうち最後を締めくくることから「止めまつり」とも呼ばれ、例年約5万人でにぎわう光景は晩秋の大阪の風物詩となっている。

 薬業関係者らが参列する例大祭斎行で祭りが幕明け。境内では同神社伝統の縁起物「張り子の虎」(神虎(しんこ))を求める参拝者が途切れることなく続き、みこによるお払いの神楽鈴の音が終日鳴り響いた。同市阿倍野区から訪れた女性(85)は「腰や体のあちこちが悪いのでしっかりと健康祈願したい」と笑顔で話していた。

1607よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 15:00:17 ID:Wm1Y6/Xw0
公開施設に寄付者名…なにわの夢募金
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131123-OYO1T00308.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、大阪市は22日、本丸内に整備予定の公開施設に掲げる高額寄付者の記念芳名板などの概要を発表した。

 100万円以上の寄付者が対象の記念芳名板(先着約200人)は、縦6センチ、横15センチで、個人・団体名や住所などを記載できる。10万円以上の寄付者についても、個人・団体名を記した板(同約1500人、縦2センチ、横7・5センチ)を飾る。

 いずれも透明のアクリル板で、秀吉時代の城の復元図などが描かれた壁面に並べる計画という。10月末現在、100万円以上の寄付は18件、10万円以上は145件に上っている。

 市と読売新聞大阪本社が共同で実施している寄付の募集は2015年3月末までの予定。個人の場合、「ふるさと寄付金」の対象となり、寄付額に応じて所得税、住民税の控除を受けられる。1万円以上の寄付者には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」の贈呈もある。

 問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)。

(2013年11月23日 読売新聞)

1608よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 21:49:04 ID:Wm1Y6/Xw0
>>1606

“薬の神様”練り歩く 「神農祭」にゆるキャラ登場 大阪
2013.11.23 02:04
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131123/osk13112302040001-n1.htm

 「薬の神様」として知られる大阪市中央区道修町の少彦名(すくなひこな)神社で22日、恒例の「神農祭」が始まった。露店が並び、製薬会社のゆるキャラによる初のパレードも行われて、無病息災を祈る大勢の参拝者でにぎわった。23日まで。

 道修町は江戸時代から薬の流通の中心地で、今も製薬会社が立ち並ぶ。同神社は、日本の薬祖神「少彦名命(すくなひこなのみこと)」と中国の医薬の神「神農氏」を祭り「神農さん」として親しまれている。

 神農祭は文政5(1822)年に疫病(コレラ)が流行した際、薬問屋が虎の頭骨を砕いて丸薬を作り、「張り子の虎」とともに神前に供えて病よけを祈願したのが始まり。同市内の1年の祭りを締めくくる「とめまつり」としても知られる。参拝者たちは、「五葉笹」につけられた張り子の虎を買い求めていた。

 パレードに参加したゆるキャラは、額に冷却シートを貼った小林製薬の「熱さまくん」、テレビCMにも登場するカイゲンファーマの「風神さん」など製薬会社のものや、中央区の「ゆめまるくん」といった地域のものなど計7体。列を作って道修町通を練り歩き、参拝者らの注目を集めていた。

 同神社の別所賢一禰宜(ねぎ)は「ゆるキャラを通じて、薬や健康、また道修町の歴史についても興味を持ってもらえたら」と話していた。

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1609よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/24(日) 21:50:40 ID:Wm1Y6/Xw0
華麗な足さばき披露 茨木・阿為神社で「蹴鞠」奉納 大阪
2013.11.24 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131124/osk13112402000000-n1.htm

 「大化の改新」で知られる藤原鎌足(ふじわらのかまたり)ゆかりの阿為(あい)神社(茨木市安威)で23日、雅(みやび)やかな「蹴鞠(けまり)」の奉納が行われた。

 鎌足は蹴鞠の会で中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(後の天智天皇)と出会い、「大化の改新」を協力して断行したといわれる。阿為神社は、鎌足の勧請(かんじょう)で創建されたと伝わり、新社殿が完成した9年前から蹴鞠を奉納している。

 この日、社殿前の「鞠庭(まりにわ)」で、「アリ」「ヤ」「オウ」の独特の声をあげ、京都の「蹴鞠(しゅうきく)保存会」メンバーらが烏帽子(えぼし)、鞠袴(まりばかま)姿で白い鞠を輪になって蹴ると、参拝者から歓声と拍手がわいた。

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1612よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/11/27(水) 23:09:22 ID:lOIFSaK.0
百舌鳥・古市古墳群 29年度の世界文化遺産登録目指す 大阪府と地元3市
2013.11.26 19:28
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131126/wlf13112619290020-n1.htm

 日本最大規模の大山古墳(仁徳天皇陵)で知られる「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(大阪府)の世界文化遺産登録を目指している大阪府と堺、藤井寺、羽曳野の地元3市は26日、文化庁への来年度の推薦書原案の提出を見送り、平成29年度の登録を目指す方針を決めた。

 世界遺産に登録されるには、政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)への推薦を決め、原案を元に推薦書を提出する必要がある。

 府と3市は6月、文化庁に推薦書原案を提出したが、審査を担う文化審議会が「引き続き検討を深める必要がある」と見送った経緯がある。国内では遺産登録に向けた競争が激化しており、府と3市は来年度中に原案内容を充実させる方針だ。

 この日、大阪市内で開かれた登録推進本部会議で決定。原案作成に向け、審査する専門家らが理解しやすいよう説明内容を精査することや古墳群の管理体制の充実、周辺の環境保護に取り組むとした。27年度に国内推薦を得て、29年度の登録を目指すことを目標に掲げた。

 世界文化遺産への各国の推薦枠は年1件で、政府は今年度、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」を選んだ。

1616よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 21:45:20 ID:F/FizfZM0
阿弖流為の雄姿 劇で伝える
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131128-OYT8T00106.htm

. ◇ゆかりの枚方で12月 小中高生が上演

 枚方市内の小中高生が12月1日午後6時30分から、同市市民会館で平安時代初期に朝廷軍と戦い、「河内国」で処刑されたと伝わる東北の民・蝦夷(えみし)のリーダー阿弖流為(あてるい)の生涯を描いた演劇「火怨(かえん)の蝦夷 阿弖流為」(ひらかた肝高倶楽部(きむたかくらぶ)など主催)を上演する。

 平安時代の歴史書「続日本紀」「日本紀略」には、阿弖流為は、蝦夷討伐で攻め込んできた朝廷軍に抵抗したが、802年、征夷大将軍の坂上田村麻呂に攻め込まれ、降伏。副将の母禮(もれ)とともに、河内国で処刑されたと記されている。

 当時の河内国内に位置する枚方市は、阿弖流為の処刑地として伝わり、市内の牧野公園には、首塚と伝わる石がある。地元の歴史を子供たちに伝えようと集まった市民グループ「ひらかた肝高倶楽部」のメンバーが、阿弖流為の生涯を描いた高橋克彦さんの小説「火怨」をもとに脚本を作り、昨年12月に初演を行っており、今年は2回目となる。

 劇には、公募で集まった市内の小学4〜高校3年の児童、生徒56人が出演。上演時間は約2時間で、沖縄舞踊のエイサーをアレンジした踊りを交えながら、野蛮な民族と迫害を受けても、蝦夷の誇りと暮らしを守るために戦った阿弖流為の物語を熱演する。

 チケットは、自由席は大人2500円(前売り2000円)、高校生以下1500円(同1000円)、指定席は3000円(同2500円)。同市民会館などで販売している。問い合わせは、同倶楽部事務局(072・857・6000)へ。

(2013年11月28日 読売新聞)

1617よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 21:56:13 ID:F/FizfZM0
金剛寺多宝塔 修理現場をあすから公開
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131127-OYT8T00067.htm

 河内長野市天野町の天野山金剛寺で28〜30日、重要文化財・多宝塔の修理現場が公開される。多宝塔は昨年春から修理を始めたが、修理現場公開は初めて。

 同寺では2009年度から、「平成の大修理」として金堂や多宝塔、鐘楼の修理が順次、進められている。文化財への理解を深めてもらおうと現場を一般公開し、大工作業の実演や講演会も開く。

 多宝塔(高さ17メートル)は平安時代後期に建てられたとされ、日本最古級の多宝塔として知られる。現在は屋根の葺(ふ)き替え作業中で、雨をよける工事用の建物「素屋根」の内部から、塔1階部分の屋根や組み物を間近に見ることができる。

 公開は午前10時〜午後4時(28日は午後2時から)で、無料だが、入山料が必要。問い合わせは公開事業の委託を受けるNPO法人「文化遺産保存ネットワーク河内長野」(090・6903・6137)へ。

(2013年11月27日 読売新聞)

1618よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 22:06:11 ID:F/FizfZM0
貝塚の櫛祭り 80年ぶり復活
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131130-OYT8T00089.htm

. ◇供養や稚児行列/「町の資産 後世に」

 国内最古のつげ櫛(ぐし)の産地・貝塚市の八品(やしな)神社(沢)で30日、古い櫛の供養などを行う「櫛祭り」が開かれる。全国の櫛職人や商店が参拝し、祭礼もあったとされる名物祭りだが、開催は80年ぶり。町会役員らは「町に伝わるつげ櫛を、多くの人が知る機会になれば」と期待している。(北口節子)

 同市の櫛生産は、1230年頃、8種類の櫛作りの器具を持った異国人が二色の浜に漂着し、住民に製法を伝えたのが始まりとされる。宝永7年(1710年)頃には市内に119人の職工がおり、宮中に納入していたとする記録も残る。

 昨春、町会役員らが町会館の倉庫の整理中に、つげ櫛姿の女性をあしらったはんこを発見。市郷土資料室の協力を得て調べたところ、明治初期から昭和初期にかけて神社でつげ櫛にちなんだ祭りが行われていたことがわかった。

 祭りは1933年を最後に長らく途絶えていたが、町会関係者の「子供らに地元の文化を伝えよう」などとの機運の高まりを受け、開催が決まった。

 祭りは、手作りのみこし(約50キロ)と稚児行列が宮入りする午前10時半からスタート。同11時に古いブラシや櫛などを受け付け、供養して櫛塚に納める「櫛供養」が始まり、フリーマーケットも開かれる。

 会場となる神社の落ち葉を拾う活動など準備を進めてきた町会長の田中和美さん(63)は「多くの子供たちに参加してもらい、町の貴重な資産を後世に伝えたい」と話していた。

(2013年11月30日 読売新聞)

1619よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/01(日) 22:23:09 ID:F/FizfZM0
澪標 ―みおつくし―

大阪最古いくたまさんの創祀

中村 文隆 生國魂神社権禰宜 
2013年11月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/131129/20131129031.html

 前稿では大阪の代表的な神社のご由緒に触れることにより、大阪の神社史の一端を確認しました。本稿では「神武東征の砌(みぎり)」と伝わる大阪最古のいくたまさんがどのように創祀(そうし)されたかを見ていきます。

 ご存じのとおり神武天皇は125代、2673年の永きに亘(わた)り、悠久の歴史を積み重ねてまいりました皇室の祖であられます。ご東征の旅の目的は、種々の豪族が入り乱れ、騒然としていた豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)と呼ばれた日本列島の統治機構を統一し、秩序と繁栄をもたらすことにありました。

 神武一行は九州日向の高千穂(現・宮崎県日向市)を出発、船団にて瀬戸内海を東方へ進み、突き当たりに広がる大阪湾から上陸されて陸路をとり、幾多の豪族を平定の末、橿原宮(現・奈良県橿原市)にて即位され初代の天皇となられました。即位前のご尊名は神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と申し上げ、即位の3年前にあたる神武天皇即位前紀戊午(つりのえうま)年(紀元前663年)、大阪湾に入られた尊は日本統一に際し、生國魂大神と呼ばれる生島大神・足島大神からなる一対二柱の大八洲(日本列島)の御神霊を自ら「難波之碕(なにわのみさき)」にお祀(まつ)りされ、国土平安を祈念されたと伝わります。いくたまさんが神武親祭といれる由縁です。

 余談ですが、現代では新規に社殿が建立されて神社の歴史が始まることを「創建」といいますが、神武天皇がいくたまさんを祀られた当時、出雲大社など一部の例外を除き建築物に神様が鎮座されるという概念は成立していなかったようです。古(いにしえ)の人々は、神様は神奈備(かんなび)と呼ばれる清浄な森や山中におられ、その神聖な空間を象徴する磐座(いわくら)や御神木と呼ばれる巨岩や巨木に憑(よ)りつかれると考えていました。日本を代表する古社として名高い奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社には本殿が無く、三輪山そのものをご神体とする様式が今でも連綿と継承されているのはその好例です。一方、いくたまさんにも元来社殿は無かったと考えられていますが、後世、神域に南隣して難波宮が開都するなど早くより人の営みが確立し、時代をリードする要所であったため社会の変遷に合わせ社殿を構えるようになりました。それ故に太古の信仰のさなかにあったいくたまさんの始まりは「創建」ではなく「創祀」といいます。

 難波之碕は、生駒山の麓まで深く海が入り組んだ当時の大阪湾を東西に二分するように、現在の堺方面から北方に向かってせり出していました。日本三景のひとつとして名高い京都宮津の「天橋立」を大きく引き伸ばし、大阪湾に収めた様子を想像していただければイメージがつかみやすいかと思います。ちなみにこの岬の周囲の海に、大川(旧淀川)や大和川が大量の砂礫(されき)を内陸より運び、砂礫が堆積して砂州から島と成り、さらに島々が繋(つな)がり陸地へと成り、後に上町台地と名を変えた難波之碕を中心として西は西成、東は東成という地名が当時の名残として、現在も区名に引き継がれています。

 太古の大阪湾に突き出た岬から見る、島々が生まれ成長していく雄大な景色は、さぞかし素晴らしかったことでしょう。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)

1620よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 05:06:55 ID:A7j2cOAw0
■今宮戎神社 福娘の発表会
http://www.mbs.jp/news/kansaiflash_GE000000000000003140.shtml

 商売繁盛の神様として知られる大阪の今宮戎神社で奉仕する福娘の発表会が行われ、代表の4人が決まりました。

 今宮戎神社の「福娘発表会」は今年で62回目となります。

 2,854人の応募者から選ばれた50人の福娘。

 このうち、さらに4人の代表が選ばれます。

 選考基準は「福を呼び込みそうな福の神のような人」ということで、50人が思い思いの自己PRを行いました。

「えびす様から皆様へ、笑顔をつなぐお手伝いをさせて頂きたいと思う」(福娘応募者)

 審査の結果、今年の代表はカナダ人留学生を含む4人に決まりました。

 福娘は来年1月、今宮戎神社の十日戎で参拝者にお守りのついた笹を授けるほか、挨拶回りなどを行います。 (12/02 08:05)

1621よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 05:13:57 ID:A7j2cOAw0
「四條畷の古墳時代」伝える土器など500点 市立資料館で特別展 大阪
2013.12.3 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131203/osk13120302010001-n1.htm

 四條畷市塚脇町の市立歴史民俗資料館で特別展「四條畷の古墳時代」が開かれている。市内などで発見された古墳時代の土器や埴輪(はにわ)、祭具やガラス玉など約500点を展示している。15日まで。

 市には古墳時代前期(約1700年前)の前方後円墳で、府の史跡に指定されている「忍岡(しのぶがおか)古墳」(同市岡山)があり、碧玉(へきぎょく)腕輪や鉄製の刀剣類など副葬品の一部が見つかっている。

 特別展では同古墳から発見された埴輪に加え、古墳造りに携わった集落とされる「讃良郡条里(さらぐんじょうり)遺跡」(四條畷市、寝屋川市)から出土した壺などの土器や、韓式系土器、馬骨などが紹介されている。

 入館は無料。午前9時半〜午後5時。月曜日休館。問い合わせは同館((電)072・878・4558)。

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1622よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/03(火) 21:25:37 ID:CN6SIZrA0
高山右近を「聖人」に…法王庁で認定審査中
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131203-OYO1T00555.htm?from=newslist

 安土桃山時代のキリシタン大名、高山右近(1552〜1615)を、ジャンヌ・ダルクや初代ローマ法王・ペトロらと並ぶ「聖人」に――。没後400年にあたる2015年に向け、国内のカトリック関係者がローマ法王庁(バチカン)に申請書を提出し、審査が進められている。右近の足跡をたどる巡礼なども行われ、聖人の認定に必要とされる地元の熱意も高まっている。(上野将平)
バチカン申請

 右近は少年期に洗礼を受けた。織田信長や豊臣秀吉に仕え、高槻(大阪)や明石(兵庫)の領主として、領内に布教。来年のNHK大河ドラマの主人公・黒田官兵衛らにも洗礼を受けさせた。だが、1587年の「バテレン追放令」で領地を没収され、1614年にマニラに追放され、翌年、現地で亡くなった。

 「信仰を貫いた右近は聖人にふさわしい」。「日本カトリック司教協議会」(東京、約800教会)は2012年10月、60人の巡礼団をバチカンに派遣し、当時の法王・ベネディクト16世に右近の列聖を要請。功績をまとめた400ページの申請書をローマ法王庁に提出した。

 右近を聖人にする運動は、亡くなった直後の17世紀にマニラであったほか、没後350年の際に国内で広がったものの、いずれも実らなかった。同協議会によると、これまで聖人は主に刑死した信者だったが、最近になって流罪中の死亡者も認定されやすくなり、「今回は実現性が高い」とする。

まずは「福者」
 ハードルもある。聖人に認められるには「右近のおかげで病気が治った」などの「奇跡」が必要だが、見つかっていない。そのため、まず、奇跡の証明が求められず、国内で崇敬される「福者」に認定してもらう。法王の代理人を招いた列福式などで関心を高めて奇跡に関する調査をし、聖人を目指す。

 認定には地元の熱意も考慮されるため、大阪大司教区に2010年、推進委員会が設けられ、右近の生誕地の大阪府豊能町などの巡礼を実施。高槻市のカトリック高槻教会を訪れた兵庫県川西市の主婦森本節子さん(61)は「すがすがしい姿。我々の生きる指針になってほしい」と右近像に見入った。

 市民の活動も盛んだ。右近が1年間潜伏した香川県小豆島では、島内の有志約10人が昨年7月、「小豆島キリシタンの足跡をたどる会」を設立。「右近の純粋な信仰心が多くの人に支持されている」と日向光徳会長(62)。小豆島の後、右近が前田利家に迎えられ、26年間を過ごした金沢市で、今年6月、資料館をオープンした奈良献児さん(55)は、「信仰だけでなく、文化人として茶道や能の発展にも貢献した」。

 右近の魅力について、同協議会で列聖運動を担当する平林冬樹神父(60)は「右近は、地位が人間を幸せにしないことを分かっていた。価値観の多様化で選択を迫られることが増えた現代人にとって、判断の物差しになる」と話している。
聖人 ローマ法王が認定するカトリック最高の尊崇対象で、信者の模範となる故人に与える敬称。世界中の教会で同じ日に足跡と信仰を思い起こす。国内では1597年に処刑された26人と、1633〜37年に殉教した16人が認定されている。「福者」は江戸初期の殉教者188人と同205人。いずれも団体で登録され、右近が単独で認定されれば国内初。

(2013年12月3日 読売新聞)

1623よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/05(木) 21:53:39 ID:I.sbQ8g60
精いっぱい地域にご奉仕 「布施戎」ミス福娘ら、東大阪市長を表敬
2013.12.5 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131205/osk13120502020003-n1.htm

 東大阪市足代の布施戎神社で来年1月9〜11日に行われる「布施戎」で福笹などを授けるミス福娘の同志社女子大3年、山本麻奈さん(20)ら3人が、同市役所に野田義和市長を表敬訪問した。

 山本さんは、今月行われた「ミス福娘コンテスト」(布施商店街連絡会主催)で、約400人の応募者の中から選ばれた。準ミス福娘は大阪樟蔭女子大3年の大橋美穂さん(21)と会社員の堀真由美さん(23)。

 市役所を訪れた3人は、巫女(みこ)の装束に金色の烏帽子(えぼし)姿。野田市長は「明るく元気な布施地域の姿を全国にアピールしてください」と語りかけ、山本さんは「布施地域活性化のため精いっぱいご奉仕させていただきます」と応じていた。

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1624よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/09(月) 05:28:23 ID:vMsRr40k0
上方漫才の父しのぶ展示会
12月08日 19時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131208/3632481.html 

「上方漫才の父」とも呼ばれる漫才台本作家、秋田実さんの生前の業績を紹介する催しが、ゆかりのある大阪の神社で開かれました。秋田実さんは、横山エンタツ・花菱アチャコなど、昭和を代表する数々の漫才師の台本を手がけ、「上方漫才の父」とも呼ばれています。
きょうは、秋田さんが生まれ育った大阪・中央区玉造にある神社で業績を紹介する催しが開かれ、台本や漫才のレコードなど100点あまりが展示されました。
初めて公開される資料も多く、昭和35年ごろ、ミヤコ蝶々さんのために書かれたラジオ番組の直筆の台本や、戦時中に軍部が掲げたスローガンを国民に知らせるための紙芝居なども展示されました。また、秋田さんの長女の藤田富美恵さんらによる対談も行われ藤田さんは、自宅で原稿用紙に向かう姿はユーモアあふれる台本とは裏腹にまじめで真剣そのものだったと、知られざるエピソードを語っていました。
藤田さんは、「漫才を通じて笑いだけでなく様々なものを伝えようとした父の思いを感じてほしい」と話していました。

1625よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/09(月) 05:30:36 ID:vMsRr40k0
大阪ニュース
教会で文楽を 23日、川口基督教会で公演
2013年12月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131207/20131207049.html

 教会で文楽を−。大阪府の指定有形文化財「川口基督教会」(大阪市西区)で23日、「イエス・キリストの生涯」と題した創作文楽が上演される。阪神大震災で被害を受けた同教会の修復を支援するチャリティー公演だ。

 外国人が多く住んだ川口居留地に1920年に建てられ、1世紀近い歴史を持つ同教会。太平洋戦争の戦火を逃れたものの、阪神大震災で塔の上半分が倒壊し、建物が1・5メートル沈下するなどの大きな被害を受けた。

 その後、レンガの積み替えや土台の強化などで復旧したが、昨年春ごろから雨漏りなどの老朽化が顕著になっていた。

 「信徒の祈りの場として、大阪の大切な文化財として教会を残したい」。こうした声が上がり、立ち上がったのがクリスチャンの豊竹英大夫さんたちだ。

 豊竹さんは91年、クリスマスイベントでキリスト誕生の場面を義太夫節で語ったことがきっかけで、キリストをテーマにした文楽を上演するようになった。23日のチャリティー公演についても「伝統的な礼拝堂で創作文楽を上演し、収益を文化財保護のため寄付したい」との思いが込められている。

 上演するテーマは「イエス・キリストの生涯」。聖母マリアの受胎から十字架にかけられ、復活するキリストの生涯を描いたものだ。

 「義理や自己犠牲、絆といった文楽が描いてきたものは、世界で最も読まれている聖書に通じるものがある」と語る豊竹さんは、チャリティー公演を前に「古典と異なる面白さや文楽の魅力をあらためて知ってもらいたい」と呼び掛けている。

 同教会の岩城聡司祭は「日本の古典芸能で表現すれば、翻訳された聖書より心に響く。意外な組み合わせを楽しんでもらいたい」と話している。

 【メモ】「ゴスペル・イン・文楽」と題して23日に上演。昼の部(午後1時半開演)、夜の部(午後5時開演)の2回。指定席は完売。当日、補助席(3千円)、立見(2千円)を販売する。問い合わせは電話06(4304)2426、「ゴスペル・イン・文楽」実行委員会へ。

1626よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/11(水) 05:18:34 ID:geIzxTT.0
社会福祉法人で平穏願い馬の土鈴作り 大阪・藤井寺の葛井寺参拝が縁
2013.12.10 22:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131210/wlf13121022080024-n1.htm

 大阪府藤井寺市の葛井寺で初詣の縁起物として販売される馬の土鈴作りが市内の社会福祉法人「賀光会」で進んでいる。

 最古の千手観音菩薩像(国宝、奈良時代)で知られる名刹。施設利用者が参拝していたことが縁で、35年前に森快隆住職が土鈴作りを委託した。

 土鈴は施設利用者やボランティア、僧侶らが絵筆を取り、絵の具でかわいい馬に仕上げる。1個500円。施設職員の鈴木照さん(60)は「寺と相談しデザインを考えた。低温で焼いているので柔らかい音が特徴。来年が穏やかな良い年にと願って作っています」と話していた。

1627よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/11(水) 05:22:25 ID:geIzxTT.0
厄除け願い「取ったぞ」 御火焚祭神事
2013年12月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131210/20131210020.html

 大阪市中央区淡路町4丁目の御霊(ごりょう)神社(園文夫宮司)で9日、師走恒例の行事「御火焚祭神事」が執り行われた。厄除(よ)けのミカンがまかれるなど境内は多くの参拝者であふれた。

 火に感謝し、今後1年間何事もなく過ごせるよう祈願する神事で江戸期からの伝統がある。神事に参列した氏子衆は、境内で焚(た)かれる斎火に「厄除開運」「家内安全」などと記した祈願木をくべて成就を祈願。続いて恒例のミカンまきに奉仕し、やぐらの上から境内を埋め尽くす参拝者へ約100箱分を豪快にまいた。参拝者の中には持参した段ボール箱や紙バッグを高く掲げる姿が見られ、方々から「こっちにも」「取った」などの歓声が上がった。

 同市天王寺区から訪れた女性(81)は「ことしは腰痛で大変な年だったが、参拝の御利益がありそう」と見事つかんだミカンを手にご満悦。園宮司は「都心の境内で伝統行事が受け継がれていることをうれしく思う」と話していた。

1628よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/13(金) 22:28:10 ID:yh3sMc0E0
防空壕わきに爆弾直撃…蘇る九死に一生の記憶 68年前の巨大な爆発穴発掘 豊中
2013.12.13 11:11
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121311220004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131213/wlf13121311220004-n2.htm

 弥生時代の拠点集落があったとされる大阪府豊中市の新免遺跡で、直径15メートル、深さ2・5メートルの巨大なすり鉢状の穴が見つかったことが13日、分かった。調査した市教委は、昭和20年6月の豊中空襲で米爆撃機B29が投下した1トン爆弾の爆発跡と推定。当時、この穴の脇の防空壕(ごう)で九死に一生を得た元住友金属工業専務の杉田宏さん(78)=同府箕面市=は巨大穴の発見を知り、「爆撃で防空壕が土に埋まり、救出されると外の景色が一変していた」と10歳当時に見た惨状を生々しく振り返った。

 遺跡は豊中市玉井町の阪急豊中駅西側に広がっている。調査は弥生〜古墳時代の集落関連が中心だったが、1カ所で大量の瓦やレンガが出土。平成10年に調査地近くで不発弾が見つかっていたことから、空襲の爆発跡の可能性があるとみて掘り進めると、巨大な穴が出現した。

 瓦やレンガは戦中〜戦後のもので、戦時中に生産された「統制陶器」の破片も出土した。担当者は「空襲での不発弾はよく見つかるが、爆弾による穴がそのまま出土する事例は聞いたことがない」と話す。

 豊中空襲を長年研究している元豊中市立第六中学校長の能登宏之さん(72)によると、豊中空襲は20年6月7日から7月30日まで6回あった。大阪府内の空襲では大阪市、堺市に次いで被害が大きく、死者・行方不明者は計596人にのぼったという。

 巨大穴が見つかった場所には当時、26軒の一戸建てが並んだ日本生命豊中社宅があった。20年6月7日に3発の爆弾が落下し、16人が亡くなったという。

 今月12日に能登さんから巨大穴の発見を聞いた杉田さんは、「あの日の体験がよみがえってくる」と明かした。当時、国民学校4年生だった杉田さんは空襲のあった6月7日、午前11時に空襲警報が鳴ったため下校。鉄兜をかぶって、隣家の庭に掘られた3畳ほどの防空壕に近所の人たちと入っていたという。

 「両手の親指で耳を押さえてろ。眼をつぶって静かに」と言われ、じっとしていると、大きな衝撃とともに体が宙に浮き、頭が天井に当たって息をするのも忘れた。気がつくと壕の天井が低く押しつぶされていた。隣家に直撃した爆弾により、大量の土やがれきが壕の上にかぶさったのだ。

 何時間かして、「ここは生きてるぞ」という声が聞こえ壕の出口が開いた。警防団に救出されると、両隣もその先も家がなく、見えないはずの六甲山が目前に見えた。隣家のあった場所には巨大なすり鉢状の穴があき、周囲は土砂の山と化していた。

 空襲では社宅の同級生2人を失った。「(亡くなった同級生の)新田君に近寄り、顔の泥をふいて鼻の穴に詰まった土を小枝で掻き出した。感情を喪失して涙すら出なかった」

 戦後、社宅の一角に慰霊碑が建てられた。杉田さんは毎年6月7日に合掌に訪れていたが、平成17年に慰霊碑は取り払われ、現在は68年前の出来事を示すものは何も残っていない。

 14日には新免遺跡の発掘について現地説明会が行われる。杉田さんも足を運ぶ予定だといい、「亡くなった16人の同胞たちへの思いがこみあがると思います」と話していた。

1629よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/14(土) 05:35:24 ID:Q7tU0DIQ0
道頓堀伝説のタヌキ「かぶきち」 3Dで動き出す
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131213-OYT8T00095.htm

. ◇カード配布、スマホかざして

 「兵庫・淡路島から歌舞伎を見に通ったタヌキ」という伝説から、約1年前に誕生した道頓堀のイメージキャラクター「道頓かぶきち」が、インターネットメディアを中心に知名度を上げている。道頓堀商店会などはより多くの人に見てもらおうと、スマートフォンのアプリ(ソフト)を利用して動いて話す「3Dかぶきち」を制作。14、15の両日には道頓堀で行われるイベントで、3Dかぶきちが見られるカードを配布する。(南部さやか)

 淡路島の生まれで、かつて「道頓堀五座」と呼ばれた芝居小屋の一つ、中座に人の姿に化けて通い、芝居に見とれるうちに正体がばれて殺されたと伝わるタヌキ「柴右衛門」。その霊を鎮めて中座に祭り、藤山寛美さんら舞台に立った役者たちが人気向上を願って信仰したとされる。

 中座が閉じ、今では「中座くいだおれビル」の地下に祭られているが、人の目に触れることはない。

 こうした伝説を道頓堀の活性化に生かそうと、同商店会メンバーや府内の大学生らで昨年4月に設立した町おこし団体「道頓堀Web―TV研究所」が、かぶきちを「柴右衛門の子孫が再びやってきた」との設定で誕生させ、昨年11月にお披露目。フェイスブックやインターネットテレビなどに登場するほか、現在は1日5回、道頓堀川沿いなどに設置された巨大モニター2台で、かぶきちの映像を流している。

 3Dかぶきちはスマホのアプリ「プラスAR」を利用している。同川の遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で14、15の両日に行われる「ミナミ学生祭」でカード(5000枚)を配布。カードに印刷されたかぶきちの絵にスマホをかざすと、立体的なかぶきちが動き出す。街中の「道頓堀」の文字やかぶきちの絵でも、3Dが見られるという。

 カードには別にQRコードも印刷され、スマホで読み取ると、かぶきちが「道頓堀へようこそ」「楽しいところがいっぱい」などとおしゃべりしたり、歌ったりする。英語や韓国語、中国語にも対応している。

 同商店会は「かぶきちから、多くの芝居小屋で栄えた道頓堀の歴史を思い起こしてもらえればうれしい。将来は、ミナミ全体を盛り上げるキャラクターとして活躍を」と期待している。

(2013年12月13日 読売新聞)

1630東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/14(土) 17:24:18 ID:YzY2WMug0
★藤原鎌足の墓説さらに強まる 阿武山古墳に最高級の冠帽
2013年12月14日06時33分

大阪府高槻、茨木両市の阿武山(あぶやま)古墳(国史跡)で戦前に発見された棺(ひつぎ)に副葬
されていた冠帽が、当時最高級の技法とされた綴(つづ)れ織りで金糸を織り込んだ可能性が高い
ことがわかった。被葬者として大化改新で活躍した藤原氏の祖、藤原鎌足(ふじわらのかまたり、
614〜669)が有力視されてきたが、それをさらに補強する発見だ。

古い織物に詳しい関西学院大の河上繁樹教授(日本染織史)が、男性の遺体の入った棺が発見された
1934年当時の写真やX線写真を分析。金糸の端がいずれも急角度に折れ曲がり、何度も往復して
いることから、綴れ織りで金糸を織り込んだ冠帽と判断した。河上教授は「中国で『織成(しょくせい)』
と呼ばれ、正倉院に伝わる奈良時代の織物にも類例がある技法では」という。

「日本書紀」によると、大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)の
立役者の鎌足は、死の直前に盟友の天智天皇から最上の冠位「大織冠(たいしょくかん)」と大臣の位を
贈られた。河上教授は、阿武山古墳の冠帽がこの大織冠の可能性が高いと結論づけた。

http://www.asahi.com/articles/OSK201312120174.html

1631よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/15(日) 15:01:54 ID:CN.85ztY0
ウマくいくこと願って 道明寺天満宮にジャンボ絵馬
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131214-OYT8T00048.htm

 学問の神様・菅原道真を祭る藤井寺市の道明寺天満宮で13日、来年の干支(えと)・午(うま)のジャンボ絵馬(高さ2メートル、幅2・4メートル)がお目見えし、境内には一足早く、迎春ムードが漂っている。

 上方浮世絵の伝統を受け継ぐ女性画家・長谷川貞信さん(寝屋川市)が、仲良く並走する親子の馬を描いた。飾り付けは毎年行っており、この日は午前9時から神職らが本殿前に設置した。

 南坊城光興(みなみぼうじょうみつおき)宮司(39)は「皆さんが景気の回復を実感できる年になってほしい」と願っていた。同天満宮では同じ絵柄の「開運干支絵馬」(初穂料1500円)を5000枚用意している。

(2013年12月14日 読売新聞)

1632ノースフェイス マウンテンパーカー:2013/12/15(日) 15:44:47 ID:uo8E9i/.0
1968年、米国のカリフォルニア州バークレーで創業。まもなく発売した、高品質の グースダウンを惜しげもなく使用したクオリティーの高いスリーピングバッグにより、高い 信頼を得ました。
ノースフェイス マウンテンパーカー http://www.losarrudos.com/ノースフェイス.html

1633よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 21:25:17 ID:TVCEHKWA0
「大坂の陣」400年 市民の手で歴史検証
2013年12月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131216/20131216028.html

 大阪の歴史上で大きなターニングポイントとなった大坂冬の陣(1614年)、夏の陣(15年)から間もなく400年の節目を迎える。大阪市などではプロジェクトを立ち上げ2014〜15の両年を文化観光創造の“シンボルイヤー”と捉えてさまざまなイベントを実施する。一方で、戦いのあった各地の市民団体などが連携して、慰霊をはじめ歴史を考察する「大坂の陣400年祭」を計画しており、18日には関係者の顔合わせを兼ねたフォーラムを開催。市民の手によって歴史的な周年の検証に向けた動きが本格的に始動する。

■語り継ぐ

 同祭の実行委代表を務めるのは「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」創設者の河井計実さん(51)=藤井寺市=。本番に向けて「無数の庶民も巻き込んだ日本史最大級の内乱の節目であり、まずは歴史の中で忘れられた犠牲者を慰霊したい」と心情を語る。

 同甲冑隊は河井代表が講師を務めた、紙製よろい・かぶと制作講座の修了者らとともに2003年に創設した。「大坂の陣」をはじめ大阪を守ろうと散った人々を慰霊し、語り継いでいくことを目的とし、大阪城を中心に他府県にも遠征し各種行事に積極的に参加。豊臣方につき奮戦し倒れた信州上田の武将、真田幸村公への感謝と追悼を込めて「真田の赤備え」として知られる赤い甲冑姿で活動している。

■副産物期待

 原点は河井代表が2000年に岐阜県大垣市で見学した「関ケ原合戦400年祭」だった。単なる歴史イベントにとどまらず、犠牲者への鎮魂の要素が取り入れられていた点に心を突き動かされ、「14年後に大阪でも同様のイベントができれば」と一念発起。来るべき年の草案を練った。

 昨秋はプレイベントとして、「夏の陣」の一大合戦にちなみ、藤井寺市の地元商店街などと連携した「道明寺合戦まつり」を大々的に開催した。また各地のイベント会場に出向き400年祭のPRを展開している。

 本番の両年には同合戦の激戦地、柏原市の小松山一帯に点在する後藤又兵衛らの供養碑前での慰霊や、大規模な合戦の再現なども企画。「400年前の人々が浮かばれるような取り組み」を念頭に調整に奔走中だ。「締めくくりは落城の日に関係者や市民が大阪城に集い、しめやかに手を合わせたい」といい、「関係地域は400年祭の盛り上がりをまちづくりや活性化につなげてもらうことになれば」と、取り組みの“副産物”にも大きな期待を寄せる。

 「大坂の陣400年へつながるフォーラム」はまちライブラリー@大阪府立大学(大阪市浪速区敷津2丁目)で午後6時から開かれる。一般の参加希望者も同甲冑隊ホームページのメールフォームで申し込みのうえで来場可。

1634よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/16(月) 22:28:52 ID:TVCEHKWA0
なにわの夢募金、個人寄付4800万円に
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131215-OYO1T00235.htm?from=newslist

 大阪城(大阪市中央区)の本丸地下に眠る豊臣秀吉時代の城の石垣を発掘、公開する資金を募る「太閤(たいこう)なにわの夢募金」で、「ふるさと納税(ふるさと寄付金)」の対象となる大阪市への個人寄付が11月末までに約4800万円(1860件)に達した。年内に寄付すれば来年の確定申告で税の軽減を受けられるため、市は積極的な協力を呼びかけている。

 市によると、4月にスタートした同夢募金には11月末現在、企業・団体を含めて総額約6000万円の寄付があり、ふるさと納税制度が適用される個人寄付が8割を占めた。個人寄付のうち大阪市内在住者分は約2130万円(703件)、市外は約2660万円(1157件)だった。

 市が2012年度に緑化推進や天王寺動物園の充実などを目的に集めたふるさと納税は総額4678万円(359件)で、これを8か月で超えたことになる。

 ふるさと納税は、居住地に関係なく、応援したい自治体に寄付することで税の軽減を受けられる制度。市によると、配偶者と子ども2人を扶養する給与収入700万円以上の人が3万円寄付した場合、所得税と住民税が約2万8000円軽減され、実質負担は2000円ほどで済む。年内の寄付なら、来年3月17日までに確定申告手続きをして税控除を受ける。

 同夢募金は市と読売新聞大阪本社の共同プロジェクト。募集は来年度末までの予定で、目標額は5億円。現在、大坂夏の陣(1615年)で落城して地中に埋められた豊臣時代の城の石垣を発掘中で、集まった募金は2015年完成を目指す公開施設の整備に充てる。

 1万円以上の寄付をした人には造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」が贈呈されるほか、10万円以上で氏名板、100万円以上で記念芳名板がそれぞれ公開施設に掲示される。

 問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年12月15日 読売新聞)

1636よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/20(金) 22:41:32 ID:mKlsQB2Q0
文楽補助金、満額厳しく…入場者の基準達成困難
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131218-OYO1T00709.htm?from=newslist

 国立文楽劇場(大阪市)の、今年度の11月公演までの文楽公演有料入場者数がまとまった。前年同期比9・2%減の7万5027人で、大阪市が文楽協会への補助金満額支給の条件としている年間10万5000人の集客は困難な情勢となった。

 文楽協会への補助金を巡っては、昨年6月、橋下徹・大阪市長が凍結の意向を表明、協会との話し合いを経て、今年度から、同劇場での本公演4回と鑑賞教室の入場者数と連動して運営補助金の額を増減させる新制度を導入した経緯がある。具体的には、〈1〉入場者が9万人以下なら補助金はゼロ〈2〉9万1人からは、人数に比例して支給額を増やす〈3〉10万5000人以上は満額の2900万円――という仕組みだ。

 昨年度はこうした論争で文楽への注目度が高まり、「曽根崎心中」「仮名手本忠臣蔵」など人気演目の上演が続いたこともあって集客は大幅に伸びたが、それでも満額基準に届かない10万3793人だった。

 今年度、満額支給されるためには、残された初春公演(1月3〜26日、計46ステージ)で計約3万人の集客が必要。1ステージ(満席731席)あたりの入場率が約89%の計算になる。実際には、ここ数年の1月公演の入場者は2万人前後。仮に2万5000人が入り、累計が10万人の場合、補助金は1000万円近く減らされる。初春公演は「傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)」などを上演。第2部(午後4時開演)の「近頃河原の達引(たてひき)」には人間国宝の太夫、竹本住大夫さん(89)も登場する。

(2013年12月18日 読売新聞)

1637東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/21(土) 22:25:58 ID:4YA0C76g0
消えゆく大阪弁知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131221-OYT8T00115.htm

◇旭堂南陵さん 30年で600語集める

 ほあてん(慌てん坊)、しわんぼ(ケチ)、どまくれる(自滅する)――。消えつつある大阪弁の言葉を紹介する講談師・旭堂南陵(きょくどうなんりょう)さん(64)の講座「辞典にない大阪弁」が21日午後1時半〜4時、府新別館南館(大阪市中央区大手前)で開かれる。約30年かけて〈絶滅危惧種〉になった言葉を集めたという南陵さん。「言葉は生き物。忘れられた大阪弁の魅力を伝え残したい」と、多くの来聴を楽しみにしている。(桑田睦子)

南陵さんは堺出身の父と大阪・船場出身の母の間に生まれ、物心がついた頃から大阪弁の中で育った。大学入学と同時に先代の旭堂南陵に師事し、2006年に四代目旭堂南陵を襲名。上方講談の第一人者として活躍している。

 耳にしなくなった大阪弁に興味を持ち、集め始めたのは30年ほど前。「言葉を生業(なりわい)にする者にとって、大阪弁が消えていくのは嫌なことだし、寂しい」と、聞き慣れない大阪弁を耳にする度、口にした人に意味を尋ねて手帳に書き留めてきた。

 「上方語源辞典」(前田勇編)や「大阪ことば事典」(牧村史陽編)に収録された言葉は、日常会話に使われるものが意外に少なかった。そこで、「ええ言葉やなあ」と感じるものは講談や会話にも取り入れるなど、辞典にはない約600語を集めた。「おまん(正座)」や「南京割る(破産する)」など多岐にわたる。

 やんわりと断る「あかしまへん」や「あきまへん」、ばかばかしくなった時の自嘲気味な「あほらしやのかねがなる」など、昔ながらの大阪弁には「温かみがある」。それなのに、大阪弁が「下品」と思われがちな風潮が広がりつつある。

 「上品で優しい言葉遣いが大阪弁の魅力。下品な大阪弁がはびこる今、古き良き大阪弁を残したい」。南陵さんはそう、訴える。

 “収集”の成果を披露するのは今回が初めて。南陵さんは「『うちのおじいちゃんやおばあちゃんが、こんな言葉を使(つこ)うてたな』と懐かしがってもらえたら、うれしい」と話している。受講料1000円(学生500円)。問い合わせは主催する市民団体「船場大阪を語る会」の事務局(06・6532・3094)へ。

1638よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/23(月) 23:58:00 ID:3upS7hAk0
ふかし南瓜食べて健康 生根神社にぎわう
2013年12月23日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131223/20131223032.html

 大阪市西成区の生根神社で22日、「こつま南瓜(なんきん)祭り」が開かれ、境内でふかした南瓜を食べ健康長寿を願う多くの参拝客でにぎわった。

 かつて「勝間(こつま)村」と呼ばれた南瓜の産地だった同地域一帯。野菜が今ほど豊富でなく、夏にとれた南瓜を冬至まで大事に保存したという逸話が伝わる。そのため地元の人々は南瓜に対し強い感謝を持っている。

 この日は約300個のかぼちゃを使い、2500食を用意。寒さは厳しいものの天候に恵まれた日曜とあって、南瓜のふかしが追いつかないほど境内は参拝者でにぎわった。

 「冬至は日が一年で一番短く、体を使いきる日。こういった日に南瓜を食べて英気を養い、新年を迎えてもらえたら」と吉見友伸宮司。子どものころから訪れているという泉大津市の国久悦子さん(66)は「毎年楽しみにしている」、同市の吉川君子さん(80)は「活力をつけて一年を乗り越えたい」と話していた。

1639東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:09 ID:EDxJFzJA0
【ベテラン記者のデイリーコラム・江戸っ子記者のなにわ放浪記】
「軍都・大阪」の歴史 乱は西から…地政学的、なにわの安全保障考
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131226/wlf13122616300026-n1.htm

 天下の台所といわれ商都としてのイメージが強い大阪。しかし、先の大戦前までは名実ともに軍都でもあった。陸軍第4師団司令部庁舎、砲兵工廠(こうしょう)など、その史跡をたどっていくと、安全保障や防衛を考えるうえで、歴史的資産があふれる街であることが浮かび上がってくる。

■陸軍第4師団…戦後も大阪市警視庁、府警に

 大阪城内に陸軍の西日本最大拠点となる大阪鎮台が明治4年にでき、明治21(1888)年には第4師団となる。

 第4師団司令部庁舎は現在も大阪城天守閣の前に地下1階・地上3階の建物として残る。この秋、特別に公開された際に内部を見学する機会を得た。2階にあった天皇の御座所には、その後に大阪市立博物館として使われた時代の展示物だった「タイムカプセル」の一部がまだ残っていた。

 外観は中世のヨーロッパの古城をイメージに建てられ、ロンバルジアバンドという連続した半円形の装飾があちこちに見られる。

 正面の塔には焦げ茶の古びた壁面に、うすく丸い形の痕跡があるが、戦前は菊のご紋が輝いていたのを戦後に取り外したためだ。

 この司令部庁舎は、昭和初期の大阪城天守閣再興のために、旧財閥の寄付や大阪市民の浄財として集まった150万円の資金のうち、80万円が庁舎建設費として使われた。

 なぜ、庁舎建設費に充当されたのか。それまで、第四師団司令部があったために、大阪城内に市民は原則入れなかった。昭和天皇即位記念として始まった天守閣再興の際に、場内を公園として開放しようとの機運が高まった。

 しかし、城内には司令部がある。そこで、司令部の新築建設費を集まった資金から拠出し、その代わりという意味合いから、公園として開放された。

 庁舎は戦後、米軍に接収され、その後は、大阪市警視庁、大阪府警本部として使用された。昭和35(1960)年から平成13(2001)年までは、大阪市立博物館だった。
(続く)

1640東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2013/12/26(木) 18:44:41 ID:EDxJFzJA0
(続き)
■東洋一の兵器工場

 現在、大阪城北側からJR京橋駅の間に「大阪ビジネスパーク」がある。超高層のオフィスビルが立ち並ぶ広大なエリアだ。

 ここに、陸軍砲兵工廠があった。当時、35万6500坪の敷地に、弾丸、小銃、大砲、戦車などあらゆる陸軍兵器を造っていた。そこで稼働する人々は、終戦時に約7万人いたとされる。この砲兵工廠を中心に大阪の製造業は拡大していった。しかし、米軍による空襲で壊滅し、廃虚になった。ここでくず鉄を盗む集団「アパッチ」を描いた『日本三文オペラ』は開高健氏の傑作としてあまりに有名だ。

■大村益二郎

 東京の靖国神社に銅像があり、長編歴史小説「花神」で生涯を描かれた大村益次郎。明治維新に日本の近代軍の創設を主導した。

 大村は軍の中核都市を江戸から首都となった東京ではなく、大阪に据えようと企図し「大阪開兵」を主唱していた。

 明治新政府の太政官制で軍務を統括した兵部省大輔となった大村はなぜ、軍の要を大阪にしようとしたのか。江戸幕府を倒し新政府がスタートを切ったものの、各地には新政府に対する反抗勢力がまだまだ多かった。特に、西日本にはそうした勢力が根強く、事実その後、西南戦争、佐賀の乱、萩の乱などはいずれも西日本で起きている。

 大村も「今後注意すべきは西である」との発言を残しているいることからも分かり、地政学的な考慮があった。

 また、大阪は当時、海運などで物資の流通の中心地であり、経済活動も盛んだったため、軍の兵站(へいたん)確保にも格好な都市であった。

 大村は「大阪開兵」のため、5つの着想を持ち、それらは、大村が明治2年に京都で不平士族によって襲われ、大阪の病床で死去した後、結実していった。まず、兵部省の基礎を大阪に設けようとした。さらには、その後、東洋一の兵器工場である砲兵工廠の前身となる造兵廠の建設。後の陸軍士官学校につながっていく兵学寮の創設、将兵の訓練地となった。

 また、近代戦の多数の負傷将兵のために陸軍病院を建設。多数の戦死者の埋葬、慰霊のためには、陸軍墓地の造設となった。

■陸軍墓地

 大阪市天王寺区に陸軍墓地は残る。最古で最大の陸軍墓地である。

 明治初期の戦死者は、遺体引き取りまで2日以上経過する場合、遺体の損傷などを考慮して陸軍墓地に

埋葬された。当初の墓地の面積は、28040平方メートルあった。陸軍創設期の病死した兵士から、明治10年の西南戦争、日清、日露、先の大戦の戦死将兵らが埋葬され、墓碑総数は5299基以上。戦死者が急増した日露戦争以降は合葬墓や納骨堂が建立されている。

 清国やドイツの捕虜となった兵士らの墓もある。碑銘には「俘虜」の文字があったが、ドイツ兵の墓石からは削られている。昭和6年に第四師団長が参拝中に、墓参に来たドイツ領事と会い、「俘虜」の碑銘が削られたという。

■米軍捕虜銃殺も

墓地入り口脇の小さな空き地は、昭和20年8月15日の終戦の日に、大阪に留置されていた米軍捕虜5人が斬首、銃殺された埋められた場所だ。戦後、米軍が掘り返し、米国に遺骨を戻した。その時の様子を記録した写真は、米公文書館に保存されている。

1641よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:28:47 ID:IouThzn20
ご加護に感謝 大阪天満宮「終天神」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226019.html

 大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)で25日、年内最後の縁日「終(しまい)天神」が執り行われた。絵馬掛けに奉納された1年間の祈願絵馬のたき上げなどが行われる中、多くの参拝者が続々と境内に足を運び、この一年の天神さんのご加護に感謝し手を合わせた。

 毎月25日は祭神・菅原道真公の縁日で、1月25日の「初天神」に始まり12月の終天神で締めくくる。

 境内では諸願が記された5万枚を超える大量の絵馬が集められ、御神火(しんか)を用いて着火。参拝者は暖を取りながら高く燃え上がる光景を見届け、カメラに収めるなどした。

 一画では神職らが元日朝の「歳旦祭」に供える餅つきを行い、つきたての一部を参拝者に振る舞った。同市城東区から親子で訪れた渡辺アサ子さん(88)と堀山彩子さん(61)は「何事もなく1年を過ごせたことに感謝したい。来年も御利益があれば」と話し、授かった餅を手に笑顔を浮かべていた。

1642よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 21:40:55 ID:IouThzn20
住吉大社で初詣準備と訓練
12月26日 12時34分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131226/3324871.html 

正月を前に大阪の住吉大社では、消防訓練を行うとともに、初詣客に渡す縁起物の準備に追われています。
消防訓練は大阪・住吉区の住吉大社が毎年、この時期に行っているもので神職や巫女などおよそ50人が参加しました。
第二本宮から出火したという想定で、ご神体にみたてた箱を持ち出した後、初期消火にあたり、最後に境内に備えられている放水銃で建物に向かって一斉放水を行いました。
また社務所では、縁起物作りが進められ、6人の巫女が住吉踊りをおどる女の子の人形がついた小さな編み笠に笹をとりつけていました。
作業をしていた巫女の1人は「お参りをしてくださった方に幸福がくるように祈りながら作業をしています」と話していました。
住吉大社では、来年の正月三が日におよそ235万人の初詣に訪れると見込んでいます。

1643よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/26(木) 22:19:15 ID:IouThzn20
舞台一気に迎春ムード 国立文楽劇場「にらみ鯛」
2013年12月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131226/20131226020.html

 伝統の正月舞台飾り「にらみ鯛(だい)」の取り付け作業が25日、大阪市中央区日本橋1丁目の国立文楽劇場であった。新年3日初日の新春公演の準備が着々と進む中、全長約3メートルの真っ赤なタイ2尾がお目見えし、劇場内を一気に迎春ムードに変えた。

 にらみ鯛は戦前まで上方の各劇場を飾る風物詩だった。戦後は途絶していたが、同劇場が開業して初めての正月となる1985年の新春公演で約40年ぶりに復活させた。

 重さ約15キロのタイはスタッフによってワイヤで引き上げられ、慎重に調整しながら向かい合うかたちで設置。中央には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)の朝日芳英宮司が「豊穣」と揮ごうした大凧(だこ)も掲げられ、舞台をいっそう華やかに彩った。

 新春公演初日の開演前には地元の黒門市場から本物のにらみ鯛が届けられるほか、文楽人形による鏡開きも行われるなど初芝居を大いに盛り上げる。

1644よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/27(金) 23:01:33 ID:Lfs7B4ew0
すがすがしい新年を 住吉大社で縁起物準備
2013年12月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131227/20131227019.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で26日、正月に授与される縁起物「住吉踊り」の準備が始まり、奉仕した6人の神楽女(かぐらめ)が「すがすがしい新年をお迎えしていただきたい」と心を込めて仕上げ作業をこなした。迎春の作業は年内いっぱい続く。

 同大社の縁起物は100種類を超え、このうち「住吉踊り」は御田植(おたうえ)神事などで奉納される住吉踊(おどり)(重要無形民俗文化財)の笠(かさ)と童子が踊る姿を麦わら細工で表現した伝統の郷土民芸品。

 この日は正月に祈祷(きとう)を予約した参拝者に授与される1500点が制作された。笠の大きさ別に直径約10センチから約60センチまで4種類があり、神楽女は青々としたササに笠を手際よく取り付けた。

 境内では恒例の「煤払(すすはらい)式」や自衛消防隊による歳末訓練もあり、間近に迫った初詣に備えた。同大社は正月三が日に約230万人の人出を見込んでいる。

1645よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 11:36:17 ID:vtSNvsjc0
息災祈る茅の輪 錦織神社で完成
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00080.htm

 富田林市の錦織神社(宮甲田町)で、無病息災を祈る神事に使う、カヤで編まれた「茅(ち)の輪」(2.7メートル)が完成した。31日午後7時から行われる大祓(おおはらえ)式の後、参拝者にくぐってもらう。

 同神社で茅の輪を置くのは初めて。氏子の要望があり、9月に滋賀県からカヤを調達し、神職や神社の総代らが、今月に入ってから輪の形に編んでいった。

 本殿前に据え付ける作業を終えた吉年(よどし)英仁宮司(64)は「一年の出来事を思い出しながらくぐり、改まった気持ちで新年を迎えてほしい」と話していた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1646よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/12/31(火) 14:48:56 ID:YJfyKjVs0
和を願う大門松 成田山不動尊にお目見え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131231-OYT8T00076.htm

.寝屋川市の成田山不動尊(成田西町)の山門前に、新年の参拝者を迎える2本の大門松(高さ13メートル)がお目見えした。

 男性を表す黒松、女性を表す赤松で、13本の竹を束ねて立て、葉ボタン、梅、南天などを飾り付けた。一対の松は「夫婦の和合」、束ねた竹は「家庭円満」を意味しているという。

 大阪市淀川区の広告会社勤務浦野祐佳子さん(39)は「こんなに大きな門松は初めて見た。御利益がありそう」と驚いていた。

(2013年12月31日 読売新聞)

1647よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 12:38:05 ID:CPRLApf.0
住吉大社 初詣でにぎわう
01月01日 04時11分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20140101/4111121.html 

新年を迎え、海の神様として知られる大阪の住吉大社は、初詣の参拝者でにぎわっています。
海の神様として知られ、「すみよっさん」の愛称で親しまれている大阪の住吉大社には、大みそかの夜から大勢の参拝者が訪れ、本殿の前には、長い列ができました。新年を迎え、宮司が、年が明けたことを伝えると、訪れた人たちは大きな歓声をあげ、新しい年への願いを込めてさい銭を投げ入れ、手を合わせていました。

参拝を済ませた人たちは、縁起物の破魔矢を買い求めたり、おみくじを引いてことしの運勢を占ったりしていました。

奈良県から訪れた男性は「去年は、年末に息子が結婚したので、ことしは、孫ができたらいいなと思って祈りました」と話していました。住吉大社では、正月三が日、去年とほぼ同じ230万人の人出を見込んでいます。

1648東京03速報 ◆0gHjoNa/tU:2014/01/01(水) 15:25:15 ID:tPAftF160
大阪は日本の中心、畿内全体で「大阪城」守る…秀吉の壮大な構想=新解釈が示す「奈良の城」の重要性
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140101/wlf14010115000014-n1.htm

 古代の古墳や神社仏閣などが関心を集める奈良県。これまで戦国時代の城郭はあまり注目されてこなかったが、最新の研究で県内の城郭の重要性がクローズアップされている。大坂城を拠点とした秀吉との関係も深い当時の大和の城の姿を探った。

 

■文献の新解釈

 織田信長の後を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉が、大阪城の築城にあたり、畿内(摂津、河内、和泉、大和、山城)全体で中心の大阪城を守るという構想を抱いていたとする見解が近年、専門家から提唱されている。当時の日本の中心を畿内五カ国、畿内の中心を大阪城と広域的に捉える壮大な構想。構想が実際にあったとすれば、奈良県内の城も重要な一角を占めることになり、その位置づけが新たな脚光を浴びそうだ。

 「大阪城の築城を始めた時点で、秀吉自身の構想として大阪を畿内で守る構想を持っていたのは確実」。元大阪城天守閣館長の中村博司氏は提唱する。

 こうした構想について、これまでも指摘する研究はあったが、中村氏は「根拠としていた文献に不可解な部分があり、あまり議論されてこなかった」と指摘する。

 その根拠となる文献は、秀吉が柴田勝家との合戦前後の状況を記録させた「柴田合戦記」。中村氏は、より原本に近く成立の古い文献を調査するなどし、新たな解釈を導き出した。

 中村氏の調べた古い文献には、「河内の国において城郭(大阪城)を定め、<略>五畿内において外構えとし、かの地の城主を以て警固とするものなり」と書かれていた。ただ、この記述のままでは、実際には摂津に存在する大阪城と矛盾が生じる。

 これを、中村氏は「大阪城の東西南北に大和、摂津、和泉、山城をあてはめるため、便宜的に大阪城が河内にあったことにし、周辺を守る体制を表したのでは」と推測した。

 この構想の体制を中村氏は「大坂城−五畿内外構え」と名付け、「秀吉は大阪城を単なる軍事的拠点としてではなく、日本の中心としての畿内、畿内の中心としての大阪という重層的な支配構造を描いていた」と強調する。

 

■盤石の布陣構築

 根拠となる文献によると、五畿内外構えの体制では当初、大和に筒井順(じゅん)慶(けい)、和泉に中村一(かず)氏(うじ)、摂津に中川秀政ら武将を配置したとされる。しかし、秀吉によってすぐに別の場所に移されていく。

 山城、摂津、河内は秀吉の直轄となり、和泉、大和は、信頼していた弟の秀長に与えた。畿内全体を豊臣一門と、信頼できる家臣で押さえる盤石の布陣を構築したことになる。

 その余波で、県内では大和郡山市周辺を治めていた筒井が伊賀に移され、代わりに秀長が入ってきた。秀長は大和、和泉、紀伊に100万石の所領を保有。郡山城は、その中心的な役割を果たす。

 秀長は、さらに最終拠点となる「詰め城」として高取城(高取町)を重臣に与え、大規模な城郭に改修。宇陀松山城(宇陀市)にも豊臣の家臣らを入れ、東国から大和への街道を押さえた。

 その宇陀松山城では、昨年までの発掘調査で、大型の鬼瓦やしゃちほこが出土。絵図面にある天守閣の存在を裏付け、重要性が改めて注目されている。

 中村氏は「秀吉が日本の中心として重要視していた畿内の城は、当時どうなっていたのか。発掘成果や今後の研究に注目したい」と力をこめる。

1649よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:15:29 ID:CPRLApf.0
遷宮守った太閤 出世餅に名残す
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20131123-OYT8T00170.htm

 伊勢神宮(三重県伊勢市)は今年、20年に一度の式年遷宮を迎えた。天照大神(あまてらすおおみかみ)をまつる内宮(ないくう)の門前、旧参宮街道などは例年以上のにぎわいを見せる。

 門前の一角で香ばしい焼き餅のにおいが漂う。1565年創業の名物「太閤(たいこう)出世餅」を売る店だ。できたてをほおばる客が不思議そうに尋ねた。

 「なぜ、伊勢に太閤さん(豊臣秀吉)の名前があるの」

 即座に社長の河口妙(たえ)さん(86)が答える。「実は太閤さんが喜んで食べた餅なんですよ」

 秀吉は幼名・日吉丸の頃、蜂須賀小六とともに参宮して以来、たびたび伊勢を訪れている。街道で食して「美味也(なり)」とほめたのが、この餅だそうだ。

 神宮と秀吉。その関係を示すのは餅だけではない。

 「式年遷宮にも大変貢献した人なんです。特に今年は多くの人に知ってほしいですね」と、河口さんは力を込めた。

◆下支えに徹した◆ 

 伊勢神宮の式年遷宮は7世紀末、持統天皇の時に始まったとされる。内宮、外宮(げくう)(祭神=豊受大神(とようけのおおみかみ))で、20年ごとに萱葺(かやぶ)き屋根の高床式社殿や神宝類を一新し、ご神体をうつす。神が永遠に若くあること、「常若(とこわか)」の思想に基づく行事だ。

 国家的な事業として続いたが、15〜16世紀に100年以上途絶えた時期がある。戦乱で室町幕府が弱体化、労賃やヒノキ材などの財源「役夫工米(やくぶくまい)」を全国で徴収する制度が崩壊したのが要因という。

 「社殿の柱が朽ち、屋根が腐り、惨たんたる様子だったことが読み取れる」。当時の史料を調べる歴史学者の皇学館大教授岡野友彦さん(52)は話す。

 「神さまに申し訳ない」と自発的に動いたのは、伊勢の慶光院の尼僧らだ。国家丸抱えを脱却しようと、民衆や大名などに幅広く浄財を募り、1563年、外宮で129年ぶりに遷宮が復活。次は内宮も、という時、織田信長から巨額援助の約束を取り付けたが、本能寺の変(1582年)によって頓挫する。

 その後、手を差し伸べたのが秀吉である。尼僧への協力を約束した朱印状に〈遷宮の件は承知した……詳しくは口頭で〉とある。総額は不明だが、「天下人として信長以上の気前のよさを見せたのだろう」と岡野さんは推測する。秀吉が支配体制を確立するために始めた「太閤検地」も、神宮領は免除した。

 1585年、内宮の遷宮は123年ぶりに復活。内宮、外宮の遷宮は、この年から同時に営まれるようになった。

 ただ、秀吉が復活に貢献したことは広く知られているわけではない。岡野さんは「名も無き民衆も含め、みんなで神宮を復活させる運動が実を結んだ。その輪の中に秀吉もいたということでしょう。お金の多寡(たか)よりずっと大切です」と考える。

 国家に頼らず、みんなで復活させるという尼僧たちの思いを理解し、下支えに徹したとも言えるかもしれない。

 哲学者の梅原猛さん(88)は違った視点でこう語る。「日本列島ではずっと生命流転の思想、循環の思想があった。それが遷宮の常若だ。能やお茶に傾倒したように、秀吉は理屈ではなく、感覚的に伝統文化への理解があった人物だと思う」

1650よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:16:53 ID:CPRLApf.0
>>1649

◆スタイルは健在◆ 

 式年遷宮は戦後の占領期にずれ込むこともあったが、今年で62回目、秀吉時代から数えて22回目となる。きょう2日は内宮で神の引っ越し「遷御(せんぎょ)」の儀があり、5日は外宮で催される。遷宮は最高潮を迎えている。

 今回の総費用約550億円のうち6割は神宮の資金で、4割が全国から集まった奉賛金という。新社殿の敷地に市民らが石を敷き詰める「お白石持(しらいしもち)行事」ではこれまでにない延べ約23万人が奉仕し、秀吉時代に始まった〈みんな〉で参加するスタイルは、今なお健在だ。

 「どうして太閤さん?」。太閤出世餅の店では、相変わらずお客の質問が飛び交う。

 東京から嫁いできた河口さんは、遷宮の歴史を勉強しながら「お伊勢さん」に対する多くの人々の思いに触れてきた。「にぎわいを見ると、みんなで遷宮を守ろうという精神が続いているのを実感します。未来にずっと継承してほしいですね」。そう言って内宮へ向かう人たちを見つめた。(渡辺達治)

 伊勢神宮の遷宮に貢献した豊臣秀吉は大坂城でも神仏に祈りを捧(ささ)げたのだろうか。実は当時、城内に宗教施設があったかどうかは大きな謎という。

 一つの手がかりは「大坂冬の陣図屏風(びょうぶ)」(東京国立博物館所蔵)だ。城内の本丸や山里丸(やまざとまる)の辺りに「方形造(ほうぎょうづくり)」という四角すいの屋根のやぐらが立ち、てっぺんに宝珠(ほうじゅ)に似た物があるのが分かる。「仏堂かもしれない」との見方は出ているが、遺構は地中深くに埋もれ、残念ながら未確認のままだ。

 現大阪城の宗教施設では、豊国神社が知られる。明治期、大阪・中之島に造営され、戦後移った。玉造口から梅林に向かう途中にある「蓮如上人袈裟(れんにょしょうにんけさ)がけの松」は豊臣大坂城の敷地になる前、真宗の一大拠点があった名残だ。

(2013年10月2日 読売新聞)

1651よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/01(水) 16:30:26 ID:CPRLApf.0
太閤なにわの夢募金お知らせ
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/kansai1365410718012_02/news/20130408-OYT8T01039.htm

 大阪市は、大坂夏の陣から400年となる2015年に向け、大阪城の地下に眠る秀吉時代の石垣を発掘、公開する事業を進めています。その資金を募るため読売新聞大阪本社は、市と共同で「太閤なにわの夢募金」に取り組んでいます。1万円以上の寄付をいただいた方に造幣局製造の記念メダル「太閤通宝」を贈呈するなどの特典もあります。

 寄付は、ゆうちょ銀行または郵便局での振り込みか、公式ホームページ(http://www.toyotomi-ishigaki.com/)からのクレジットカードの申し込みとなります。

 振り込みは、寄付パンフレットの専用の用紙が必要。パンフレットの配布場所は市役所1階の市民情報プラザ、各区役所、サービスカウンター(梅田、難波、天王寺)など。寄付額に応じ、所得税、住民税が控除される優遇措置もあります。

 問い合わせは大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年4月3日 読売新聞)

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1653よっさん ◆XxkTNAUYOc:2014/01/03(金) 14:03:48 ID:zTbTF29M0
新春の祈り胸に 府内の神社、初詣にぎわう
2014年1月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140103/20140103016.html

 新年を迎えた1日、大阪府内各地の神社では初詣の人出でにぎわい、大阪市東住吉区の住吉大社でも親子連れやカップルら多くの参拝者が行列をつくり、それぞれの思いを祈願した。

 太鼓橋の名で親しまれている赤塗りの反橋では、本宮へと向かう参拝者が橋いっぱいに広がり、急な斜面に足元を気にしながら上り下りしていた。

 四つの本宮にはそれぞれ、手を合わせる人が延々と続き、おみくじを引く人やお守りを買う人などで広い境内が埋め尽くされた。滋賀県から訪れた女性は「みんなの身が清まりますようにと願った」と話していた。

 また、五穀豊穣(ほうじょう)、庶民繁栄などを祈り、長柄の傘を持つ一人の周りを複数で踊る住吉踊りの新春特別奉納が行われ、参拝者を楽しませていた。

 1日の参拝者は昨年より3万人増の150万人で、住吉大社では三が日で昨年より5万人多い240万人の人出を見込んでいる。


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