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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

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1474名無しさん:2013/08/16(金) 14:34:19 ID:kznCXel60
古代船のロマン触れて  府立弥生文化博物館で開幕

 船技術が進んだ弥生時代を中心に古代船の歩みを紹介する「弥生人の船―モンゴロイドの海洋世界―」(読売新聞社など主催)が13日、和泉市池上町の府立弥生文化博物館で開幕した。来館者は出土船や船の運んだ貝製品などに見入り、いにしえの海のロマンを感じていた。10月14日まで。

 八尾市の久宝寺遺跡から出土した船首と船尾の反り上がった古代船の複製や、船の形をした埴輪(はにわ)の複製など約230点を展示。南方の貝殻で作った腕輪など船のもたらした品々も並ぶ。同館の塚本浩司学芸員(40)は「大阪では船が多く出土しているが、意外に知られていない。出土品から大きさや構造を知り、どんな船が人や物、文化を運んだかを想像してほしい」と話す。

 開館は午前9時半〜午後5時。月曜休館(祝日は開館し、翌日休館)。入館料は一般600円、65歳以上と高大生400円、中学生以下無料。問い合わせは同館(0725・46・2162)へ。

(2013年8月14日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130813-OYT8T01554.htm

1475よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/17(土) 06:01:20 ID:felsgnQY0
戦争の犠牲者悼み平和祈る集い
08月15日 17時13分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130815/3555111.html

終戦の日の15日、戦争の犠牲者を悼み平和を祈る集いが大阪市で開かれました。
大阪・中央区のピースおおさかで開かれた集いには約100人が参加し初めに黙とうが捧げられました。
この後、遺族を代表して戦争で母と弟を亡くした伊賀孝子さん(81)が「空襲の中、親はわが子の名を呼び子は親を求めて泣き叫ぶ様は地獄絵のようでした。どの地でも戦争の犠牲者を出さないことを願います」と思いを述べました。また戦争を体験した秋山美代子さんは集団疎開や防空壕への避難など当時の様子を紙芝居を使って語りました。
集いでは最後に参加者が1人ずつ白い菊の花を献花台にささげて静かに手を合わせ戦争でなくなった人たちを悼んでいました。
集いに参加し戦争のさなかに生まれたという女性は「父や祖父母から戦争は嫌だと聞いて育ちました。戦争を体験した人たちが次第に少なくなっている中でこうした集まりは大事だと感じました」と話していました。
また戦争が終わったときに小学6年生だった男性は「疎開していた時の生活を思い出しました。これからもずっと平和が続くように祈っています」と話していました。

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1478よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 19:52:23 ID:6znBBT0k0
伽藍照らす先祖の明かり 四天王寺で万灯供養法要
2013年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130814/20130814029.html

 大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)でお盆行事の「盂蘭盆会(うらぼんえ)万灯供養法要」が執り行われている。家族連れなど多くの参詣者が先祖供養に足を運び、1万本を超えるろうそくが織りなす幻想的な明かりにじっと手を合わせている。16日まで。

 五重塔を仰ぐ境内・中心伽藍(がらん)内では、戒名など先祖の霊名を記した「万灯ろうそく」が回廊沿いに整然と並び、薄暮を迎えて次々と点灯。日没とともに五重塔や金堂を赤く照らす中、先祖の思い出を語りながら、ろうそくが燃え尽きるのを見守る人々の姿が随所で見られた。

 会期中は同寺僧侶が夕刻から読経とともに伽藍内を練り歩く法要が厳かに執り行われる。法要は午後9時(15日は同10時)まで。


証言は貴重な遺産 新風書房が戦争体験手記集
2013年8月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130814/20130814028.html

 毎年夏にまとめられる戦争体験手記集「孫たちへの証言」の第26集がこのほど新風書房(大阪市天王寺区、福山琢磨代表)から発刊された。第1集発刊から四半世紀以上が過ぎ、近年では戦争を知らない世代が祖父母や親から聞いた話や、遺品から見つかった文章をもとに投稿するケースも増えている。一貫して自分一人で編集を手掛けている代表の福山さん(79)は「タイトルの通り、戦争体験が孫や若い世代に伝承されつつある」と手応えを感じつつ、一層熱意を抱いて制作に意欲を燃やす。

 文集発刊は福山さんが開講する自分史講座の課題が原点だった。1988年、当時の受講者がそれぞれ体験した終戦の日の記憶を書いてもらい一冊にまとめた。千差万別の体験を束ねて“輪切り”にした文集には「特別な1日」を体験した市民の記憶が浮き彫りとなった。第3集以降は一般公募に変更され、毎年国内外から証言が寄せられている。

 昨年の投稿数は東日本大震災の影響などを受け、過去最低の約259編まで落ち込んだ。しかし今年は873編まで持ち直し、福山さんは「やはり人々の記憶の源泉は枯れていなかった」と安堵(あんど)の表情を浮かべる。

 第26集は「これだけはなんとしても書き残したい」をテーマに募り、74編を採用。このうち米山紘一さん(71)=福島市=は1歳のとき台湾から母と日本郵船の戦時徴用船で内地へ向かう途中、敵潜水艦の雷撃を受けて漂流、母を失うも本人は奇跡的に救助された。資料を手掛かりに、まったく記憶がない自身の壮絶な体験と、母の面影を追った次第をつづっている。

 福山さんは「小さな波ながら動きがありうれしく思う。証言を貴重な遺産として、文字で具体的に残し継承してほしい」と、早くも次集への投稿(3月31日締め切り)を呼び掛けている。問い合わせは電話06(6768)4600、新風書房へ。

1479よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:03:08 ID:6znBBT0k0
「戦争なくす」誓い新た 京橋駅空襲被災者慰霊祭
2013年8月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130815/20130815035.html

 8度にわたる大阪への爆撃(大阪大空襲)のうち、終戦前日に国鉄京橋駅周辺で起きた最後の爆撃で犠牲になった人たちの冥福を祈る慰霊祭が14日、大阪市城東区のJR京橋駅南口の慰霊塔前で執り行われた。照りつける猛暑の中、参列者らは慰霊塔に手を合わせ、恒久平和への誓いを新たにしていた。

 慰霊祭は、爆撃があった8月14日に合わせ1955年から開始。ことしは遺族や地元住民ら約250人が参列した。

 法要では主催者の京橋駅慰霊祭世話人会の京極俊明会長が「親や祖父母らの犠牲の元に成り立っている平和な生活を安穏と享受するだけでなく、命の尊さを語り継いでいかないといけない」とあいさつ。折り鶴を奉納した市立聖賢小6年の古山ひとみさん(12)、大城日菜さん(11)、早川愛菜さん(12)も「いつか戦争がなくなる日がくることを誓います」と平和への思いを述べた。

 1945年8月14日に京橋駅周辺を襲った爆撃は、大阪城内の大阪陸軍造兵廠(しょう)を狙った米軍機の爆弾の一部が駅を含め周辺を直撃。判明している犠牲者は二百数十人とされているが、実際は500〜600人とも言われている。

 法要に参列した帝塚山学院高2年で、歴史研究部の市富綾香さん(17)は「戦争は関係のない人たちまで巻き込んで命を奪ってしまう。二度と起きないように、みんなでいろいろと考えていく必要がある」と話していた。

1480よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:08:16 ID:6znBBT0k0
4メートル大たいまつ完成 24日、がんがら火祭り
2013年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130816/20130816033.html

 大阪府池田市伝統の夏の火祭り「がんがら火祭り」(24日)で使う大たいまつがこのほど、完成した。23日までこのうち2本を同市役所1階ロビーで展示している。

 1644年から「家内安全」「火難厄除(よ)け」を願って行われている祭事。毎年8月24日の夜に催され、2010年には大阪府の無形民俗文化財として指定された。

 大たいまつの長さは約4メートル、重さは約100キロ。これを計8本(他に小たいまつを2本)、例年7月第1日曜日の「作業場開き」から、同市城山町の住民が中心となった「池田五月山大一文字がんがら火保存会」(谷澤貞義会長)の人たちによって作られている。

 今年も24日午後7時半〜同10時に行われ、五月山中腹で「大」、「大一」の文字火が浮かびあがり、大たいまつが市内に繰り出す。

 祭りと展示の問い合わせは電話072(754)6244、同市観光・ふれあい課へ。

1481よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 20:28:28 ID:6znBBT0k0
特攻隊志願…生き延びた命を野球に ホームランボールを子供たちにプレゼント 元高校教諭の朝見堅二さん  
2013.8.17 11:05
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130817/wlf13081711050004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130817/wlf13081711050004-n2.htm

 先の大戦で特攻隊員を志願しながら出撃することなく終戦を迎え、憧れだった野球に生き延びた命をささげてきた元高校教諭がいる。大阪府豊能町の朝見堅二さん(84)。「野球をできる喜びを感じてほしい」と、高校野球兵庫県大会で約30年間、ホームランボールに日付や対戦校を書き込み、子供たちに手渡してきた。白球には、国や家族を守るため尊い命を犠牲にした「英霊」への鎮魂も込められている。

 昭和16年、当時13歳の朝見さんは神戸市須磨区に住んでいたいとこ夫婦のもとに居候した。年が離れたいとこは学生時代、長身を武器に地元で名をはせた左腕投手だった。

 「直接話した記憶はあまりない。ただ、家に飾られていた大きいグラブをはめるたびに、『おれも…』と思っていた」

 しかし戦争が激しさを増し、進学した旧制中学校では米国発祥の野球が「敵性競技」とみなされ野球部は廃部になり、白球を追う夢は絶たれた。

 いとこは出征し、東南アジアで戦死。遺骨すら戻らなかった。米軍による空襲でいとこの自宅は炎に包まれ、グラブも焼失した。「生きていた証しがなくなってしまった」と悲しみと悔しさが込み上げた。

 「敵を討つ」。悲痛な思いを胸に特攻隊員になろうと決意。家族の反対を押し切って17歳で陸軍少年飛行兵の試験を受け、20年8月に合格通知を受けた。入隊予定日は8月中旬と決まった。

 だが直前の8月15日、終戦を迎え、特攻は「幻」に終わった。「同じ世代が何人も特攻隊で命を落としたのに、自分は何もできなかった」と悔やむ半面、「ほっとした気持ちもどこかにあった」。

 終戦から4年後の24年に教職に就き、兵庫県内の高校で教(きょう)鞭(べん)を執った。「戦場を知らない自分が語るのはおこがましい」と、生徒に戦争の体験を語ることはなかった。

 ただ、あこがれだった野球にかかわろうと野球部の部長に就任。県大会の運営スタッフを務める中、何気なく「野球をできる喜びを感じてもらいたい」と思い立ち、約30年前から県大会でホームランボールに日付や選手の名前、対戦校を記し、贈り始めた。

 今年の夏も、同県尼崎市の市記念公園野球場(ベイコム野球場)で行われた県大会で、朝見さんから記念のホームランボールを受け取り、屈託のない笑顔を浮かべる球児たちの姿があった。

 朝見さんは「戦争で野球ができなかった自分や特攻隊で命を落とした同年代の仲間を今の球児たちに重ね合わせてきたのかもしれない。これからも続けていきたい」と話している。

1482よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/18(日) 22:56:45 ID:cXY9DWEA0
24日に「地蔵盆 千日供養」 宗派超え僧侶100人集結 大阪
2013.8.17 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130817/osk13081702020001-n1.htm

 ■弘昌寺住職「門前町だったミナミ知って」

 街の発展や商売繁盛などを祈願する「地蔵盆 千日供養」が24日、大阪市中央区の相合橋で営まれ、宗派を超えた100人の僧侶が集結する。事務局の鳥居弘昌(こうしょう)・弘昌寺住職(53)は「ミナミの街が好きな人はみんな信者。この機会にこの街が門前町だったことを知ってもらいたい」と話している。

 鳥居住職は千日前にある劇場「トリイホール」の経営者でもあり、上方芸能の振興に力を入れてきた。35歳の時、両親が愛した街を僧侶として守っていこうと得度し、昨年8月、法善寺近くのビルの1室に「千日山弘昌寺」を開山した。

 「かつて千日前は処刑場やたくさんのお寺があったところで、ここで処刑されたり、心中したりした人たちの話を書いたのが近松門左衛門。もともと寺町やったのに、昔のように土地を供養するお寺が移転してしまった」と鳥居住職。そこで、土地の鎮魂のために護摩を焚き始めたという。

 今回の地蔵盆も土地供養の一環。平成23年から六地蔵巡りと護摩法要を行っている。昨年は全国から僧侶と行者約90人が集まった。

 地蔵盆まで約1週間に迫り、準備に追われる鳥居住職。「これはミナミ活性化のための行事です。朝から晩までこの格好で歩いていたら安全な街やと思うでしょ。僕の夢は町中を坊さんだらけにすることです」と話している。

 当日は午後5時から六地蔵巡りを行い、護摩法要は7時〜8時半。5時から相合橋で護摩木を1本500円で販売する。問い合わせは弘昌寺((電)06・6211・7819)。

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1489よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/19(月) 20:26:18 ID:8DTH.8nA0
大阪城と並ぶ国の特別史跡

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年8月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130816/20130816046.html

枚方市中宮西之町 百済寺跡

 「ここが東門、ここから回廊をめぐって、あそこが南門…」と、丁寧にご説明いただいたのは、百済(くだら)の会会長、花村桓(はなむらたけし)さん。ここは枚方市中宮西之町にある百済寺跡(くだらじあと)。奈良時代の寺院跡で、百済の王族の子孫、百済王(くだらのこにしき)である敬福(けいふく)が王家の氏寺(うじでら)として8世紀の終わり頃(ごろ)に創建した。

 聖武天皇が東大寺の大仏を造る際、鍍金(ときん)(メッキ)用の金が必要と聞いた敬福が、当時の任地である陸奥(むつ)(現宮城県涌谷町(わくやちょう))で産出した黄金900両を朝廷に献上した。天皇はたいそう喜んで敬福を昇進させ、これをきっかけに、百済王氏一族は、この中宮の地に移り住み、一族の氏寺として百済寺を建立したのである。

 その後、11〜12世紀頃に百済寺は焼失したが、今もかつての威容をしのばせる壇上積基壇(だんじょうづみきだん)と礎石などが残っている。大阪府内で国の特別史跡に指定されているのは、この百済寺跡と大阪城だけだ。それぐらい歴史的価値の高い場所なのである。

 過去に2度、発掘調査があったが、2005(平成17)年から始まった再発掘調査は8年たった今も続いている。07年に大型多尊※仏(おおがたたそんせんぶつ)の破片9点が見つかり、新聞の第一面を飾ったことで、記憶にある方も多いことだろう。

 ※仏とはレリーフ(浮き彫り)状の仏像のことで、特に大型多尊※仏は皇族ゆかりの寺など、格式の高い寺でしか見つかっていない。小型※仏の破片も60点以上ここで見つかっていて、大型※仏を中心に小型※仏がちりばめられた※仏壁のようなものがあったと考えられる。

 「これ、私が作りました」と見せていただいたのは、花村さんが複製した大型多尊※仏の写真。彼が実行委員長を務める「枚方・百済フェスティバル」に現物を出品し、好評を得た。「話すより、物を見せた方が早い」というその情熱には頭が下がる。フェスティバルは毎年5月に開催され、この百済寺跡の価値を知ってもらおうというのが出発点だ。

 今の技術で柱の礎石を計ると、当時どれくらいの大きさの柱だったのかが分かるそうだ。西の塔にある大きな柱の礎石を見ると、なにやら三角形や丸などの図形が書いてある。当時の大工がこれを作りながら打ち合わせをしたのか、落書きをしたのか…そんなことを考えるのも楽しい。

 花村さんの解説を聴いていると、そこに三重の塔が立ち、向こうには※仏壁のある金堂があり、一番向こうに食事をする食堂(じきどう)が見えて、古代の寺院が立ち現れる気になる。今は公園になっているが、回廊は回廊と分かるように整備されているので、古代の息吹を感じたい人は、ぜひ、枚方まで行ってみることをお勧めする。

 ※は土ヘンに専

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1492よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/19(月) 21:12:42 ID:8DTH.8nA0
有望な面打ち作家発掘 豊中不動尊で島熊山能面祭 大阪
2013.8.19 02:09
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130819/osk13081902100001-n1.htm

 後世に残る優れた新作の能面、狂言面と有望な「面打ち作家」を発掘する全国能面フェスティバル「第7回島熊山能面祭」が18日、豊中市緑丘の豊中不動尊で開かれた。

 今年は全国から240点の応募があり、観世流シテ方の梅若玄祥さんや大槻文蔵さん、山本博通さんらが「舞台で使える能面」を基準に審査した。その結果、川上尭由(たかよし)さん(愛知県)の「山姥(やまんば)」と伊庭(いば)貞一さん(滋賀県)の「深井(ふかい)」が大賞に選ばれた。

 能面祭では表彰式の後、梅若家、大槻家に古くから伝わる本面が公開された。

 会場には、入賞作品41点を含む全応募作品が展示され、入賞した面打ち作家のほか能面ファンも訪れ、梅若さんや大槻さんの解説で興味深そうに作品を鑑賞していた。

 入賞作品は30日から9月2日まで、大阪国際空港ターミナルビル3階のエアポートギャラリーで披露される。入場無料。

1493よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/21(水) 20:31:15 ID:2NHsl.Js0
3メートルの津波襲う 「近現代大阪の地震」特別展
2013年8月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130821/20130821024.html

 9月1日は防災の日。今年は関東大震災(1923年)から90年の節目の年にも当たる。大阪歴史博物館(大阪市中央区)は、大震災を記念して「近現代大阪の地震」と題して特別展示を行っている。地震の少ないとされる大阪だが、歴史をたどると過去に津波などで被害に遭っていることが分かる。想定される南海トラフ巨大地震では、甚大な被害も懸念されるだけに、同館は被災の事実を知ってほしいとしている。

 特別展示は、江戸時代から明治、大正、昭和にかけて起きた地震による被害状況や関東大震災時の被災者対応、昭和南海地震などの史料を集めた。江戸時代の1854年に起きた安政南海地震では、津波被害を記した史料が残っており、推定で高さ約3メートルの津波が大坂を襲い木津川と安治川をさかのぼり、小舟に避難していた人々を津波で運ばれた大船が押しつぶして犠牲者が出たことが分かる。

 このほか、地震を起こすと信じられていたナマズが題材の江戸時代の刷り物「鯰絵(なまずえ)」も陳列。地震鯰の取り調べを描いた作品は、安政江戸地震(1855年)の前に各地で地震を引き起こした鯰たちが、鹿島大明神の前で言い訳を述べている。

 中には「大坂のぢしん」と記された鯰もおり、飯田直樹学芸員は「前年の安政南海地震を引き起こした鯰と考えられる。当時の大坂は地震の代表的な被災地だと、全国的に知られていたと思われる」と話す。

 関東大震災の発生直後を知る史料も展示。被災地に入った当時の大阪市の助役だった有田邦敬が残した直筆の救護日誌には、戒厳令施行や暴動発生のうわさなど、限られた情報しか入手できなかった様子が記されている。「次は大阪で地震が起きるとうわさが流れた」(飯田学芸員)。2万人もの避難者の受け入れや救護活動に、現在の民生委員に当たる方面委員が中心的役割を果たしたという。

 展示を通じて飯田学芸員は「こういう地震があったのだという事実を知ってほしい。津波や内陸の地震などで、被害に遭ってもおかしくないと頭に入れておいてほしい」と強調する。

 大阪府は今月、南海トラフ巨大地震に伴う浸水被害想定を独自に見直して公表した。JR大阪駅周辺などでは約2時間後に最大で高さ2メートルの津波が押し寄せ、浸水面積は沿岸の防潮堤が機能するのを前提とした国の想定の約3・6倍の約1万1千ヘクタールに拡大するとしている。

 歴史を振り返ると、大阪はこれまでに津波による被害に遭っていることが分かり、特別展示はさまざまな教訓を伝えている。

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1499よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/22(木) 22:01:49 ID:8SF.ME8o0
「難波宮」実像迫る復元図
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130822-OYT8T00090.htm

◆和泉の北野さんら 研究重ね「大極殿」作製

 大阪城公園(大阪市中央区)の南側にある草木の茂る公園に、かつて難波宮(なにわのみや)と呼ばれる宮殿があった。発掘調査は続いているが、その姿は謎に包まれたままだ。和泉市父鬼町、製材業北野真也さん(28)と、友人の岐阜県羽島市、宮大工吉永安孝さん(37)が、その実像に迫ろうと、独自の図面を作製した。2人は「より研究が盛んになり、いつか大阪のシンボルとして建物が復元されれば」と夢を描いている。(坊美生子)

 北野さんは昨年、日本書紀に「難波(大阪)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」と記され、今年で整備1400年を迎える日本最古の官道「竹内街道(たけのうちかいどう)」のイベントに仕事でかかわった。そこで、飛鳥、奈良両時代に都が置かれた難波宮を知り、大阪歴史博物館(中央区)を訪ね、奈良時代の宮殿模型を見た。

 その際、北野さんは、天皇が政治を行う建物・大極殿(だいごくでん)が、イメージとほど遠い平屋で表現されているのを不思議に思った。1954年以降の調査で構造が解明されておらず、模型は同時代の寺社などを参考に、類推して作られたという。

 北野さんは知人の吉永さんに相談。「当時は外交使節に威容を見せつける必要もあり、遠くから眺められるほどの高さがあったはずだ」と意気投合、独自に研究することを決めた。

 2人は、宮殿跡の難波宮跡公園(中央区)で測量を実施。柱の組み方や屋根の造りは、足を運んで見た同時代の薬師寺東塔などを参考にし、大極殿は2層と推測した。今年1月から吉永さんが図面を書き、これまで正面図や側面図など8種類を完成させている。

 2人は今後、専門家に図面を見てもらうことも考えており、同博物館の李陽浩学芸員も「一つの案として面白い。市民がそれぞれの観点から調査研究してくれると、議論が活発になる」と歓迎している。

 北野さんは「難波宮は大阪繁栄の原点だと思う。もっと多くの人に存在を知ってもらいたい」と話し、吉永さんは「今後も様々な角度で描き、全体の構造に迫りたい」と意気込んでいる。

◇難波宮

 大阪市中央区法円坂の地に築かれていた宮殿で、発掘された中では国内最古の本格的な宮殿跡とされる。前後期に分かれ、前期は大化の改新後、孝徳天皇が652年に造営した「難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)」。686年に焼失し、726年から聖武天皇が同じ場所に再建を始めたという。構造は前後期とも、天皇が儀式を行う大極殿、または内裏前殿(だいりぜんでん)を中心に、北側には天皇が生活する内裏、南側には官庁とみられる朝堂院や門などが配置された。難波宮跡公園の復元基壇は、聖武天皇時代の大極殿のもの。

(2013年8月22日 読売新聞)

1500よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/25(日) 19:37:51 ID:5IlmcLzQ0
ガラシャしのび舞や歌 命日の25日、大阪城周辺
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130823-OYT8T00117.htm

 明智光秀の娘で、関ヶ原の合戦を巡って非業の死を遂げたキリシタンの細川ガラシャ(1563〜1600)が今年で生誕450年を迎え、新暦での命日にあたる25日、大阪城周辺で、ガラシャにまつわる舞やオペラ歌曲が披露される。戦乱の世という困難な時代に女性として生まれ、信念を通した生き方を再評価する声もあり、出演者は「自分を貫いた彼女の心の内まで表現したい」と意気込む。(井口馨)

 ?散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ人も人なれ――

 地歌舞(じうたまい)古澤流家元の古澤侑峯(ゆうほう)さんが、兵庫県宝塚市にあるけいこ場で扇子を手にゆったりと舞う。生誕450年に合わせ、ガラシャの生き方を踊りや唄にした古澤さんの創作舞「一元の夢」だ。25日午後5時から、追手門学院大阪城スクエア(大阪市中央区)で行われる上町再発見講座で披露する。

 ガラシャが家臣に自身を討たせて亡くなったと伝わる屋敷が、大阪城に近い玉造にあったとされる。古澤さんは「現代でも信念を通すことは容易でない。戦国時代に自分を曲げなかったガラシャの心に秘めた情熱が、見ている人に伝わるように舞いたい」と話す。

 一方、大阪カテドラル聖マリア大聖堂(同区)では同日午後5時半から、「細川ガラシャ祈念ミサ」が営まれる。

 ガラシャの壮絶な死はイエズス会を通じてヨーロッパに伝わったとされ、ガラシャを題材にして1698年に初演された「勇敢な婦人」(シュタウト作曲)の歌を、沖縄県立芸術大の豊田喜代美教授が歌い上げる。

 問い合わせは、上町再発見講座(入場料500円、定員200人)が追手門学院大地域文化創造機構「連携考房 童子」(072・621・6015)、祈念ミサ(入場自由)は上智大大阪サテライトキャンパス(06・6450・8741)へ。

◆細川ガラシャ 

 織田信長の勧めで細川忠興に嫁いだが、父・明智光秀が1582年、本能寺で信長を襲撃したため、反逆者の家族として京都・丹後地方に幽閉された。その後に戻った大坂で、忠興と親交のあったキリシタン大名・高山右近の影響でキリスト教の教義を知り、教会を訪問、洗礼を受けて信仰を深めた。関ヶ原の戦いで人質になることを拒否し、家臣に自分を討たせて命を絶った。

(2013年8月23日 読売新聞)

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1503よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/08/28(水) 21:36:49 ID:WprRk6us0
竹本義太夫の墓が新調
08月28日 19時19分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130828/4095191.html

江戸時代に文楽の義太夫節を始めた竹本義太夫の墓が文楽ファンなどの寄付で新調され大阪で法要が営まれました。
大阪・天王寺区にある四天王寺で、人間国宝の文楽の大夫、竹本住大夫さんをはじめ文楽の演者や文楽ファンなどが参列して法要が営まれました。
法要で竹本住大夫さんは「墓が新築され、文楽にかかわるものとして感慨にたえません。今後も芸の道に精進していきます」とあいさつしました。
竹本義太夫は江戸時代に活躍した人形浄瑠璃の第一人者で、文楽や歌舞伎に使われる義太夫節を作りました。
竹本義太夫の墓は四天王寺の近くの超願寺にありますが、ひびわれなどがひどく、文楽の演者らが公演などで寄付を募り、供養塔とあわせておよそ1000万円をかけてこのほど新調しました。
法要のあとには文楽の演目が披露され、集まった大勢の文楽ファンらが楽しんでいました。

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1527よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 13:07:36 ID:yuaYesRE0
涼しげに羽ばたく 大阪・坐摩神社でサギソウ見頃
2013年8月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130829/20130829029.html

 大阪市中央区久太郎町4丁目の坐摩(いかすり)神社(渡邉紘一宮司)で遅咲き種のサギソウ(ラン科)が見頃となった。残暑の日差しの中、シラサギが生き生きと羽ばたくような花姿を見せ、多くの参拝者の目を楽しませている。

 同神社では御神紋の「鷺(さぎ)丸」にちなみ、御神花として十数年前から境内で栽培。7月中旬から早咲き種が順次開花し、涼しげな純白の小花が本殿前に並ぶ光景は夏の風物詩として親しまれている。

 現在「暁」など5品種を栽培中。厳しい暑さの中、神職が細心の注意を払いながら管理しており、今年も翼を思わせる幅3、4センチの花があでやかに開花。参拝者のほか写真愛好家が訪れ、御神花にふさわしいサギソウをカメラに収めていた。同神社によると、花は天候にもよるが、9月中旬まで楽しめる見込み。

1528よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 13:55:25 ID:yuaYesRE0
豪商寄贈の古書 児童が虫干し…大阪の小学校
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130831-OYO1T00643.htm?from=newslist

 大阪・船場にある大阪市立開平小学校(同市中央区)で31日、明治初期に地元の豪商・山片家から寄贈された和書や蘭書など約6000冊の「愛日(あいじつ)文庫」に風を通す曝書(ばくしょ)(虫干し)が行われた。年に1度の恒例行事だが、今年は初めて、同小の6年生18人が土曜授業で参加。〈子どもたちに良い書物を読ませたい〉という先人の思いを受け継ぎ、地域が守ってきた美しく貴重な古書に、児童らは歓声を上げた。

 同文庫は1872年(明治5年)、船場地区に小学校(後の愛日小学校)を開設するため、山片家8代当主重明が自らの邸宅とともに同家が代々、収集してきた古書を寄贈したのが始まり。開校後も蔵書を増やし、昭和30年代頃からは、卒業生らで作る「愛日教育会」が毎年、曝書をしている。

 貴重な書物も多く、山片家が仙台藩から拝領した写本「環海異聞(かんかいいぶん)」には、仙台の船乗りが漂流し、ロシアなどで見聞した風景が鮮やかな色彩の挿絵とともに記録されている。伊能忠敬の実測写図や司馬江漢の「地球全図」など、世界や国内の地図類も目立つ。

 無神論を唱えた町人学者山片蟠桃(ばんとう)の著書は戦時中、官憲ににらまれるなど破棄の危機もあったというが、当時の校長らが小学校の地下に隠して守ったという。戦後は校区内の旧住友銀行本店金庫室で一部を厳重に保管。1990年、市が旧愛日小と旧集英小を統合して開平小を新設した際、地下に専用書庫を設けた。

 この日、参加した開平小6年仲野俊介君(12)は「地域の誇りです。昔の人もこれを読んで勉強してうれしかったと思う」と目を輝かせた。

 岸田知子・中央大教授(日本思想)は「大阪は商売だけの街と思われがちだが、船場商人には、西洋の知識も含めて自由に学問をし、私財をなげうって良い教育をしようという機運があった。愛日文庫はその熱意が受け継がれている象徴だ」と話している。

(2013年8月31日 読売新聞)

1529よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 14:11:02 ID:yuaYesRE0
[Naniwaなう]貴重な土地「世界遺産級」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130830-OYT8T00127.htm

▽隠れキリシタン研究集大成を自費出版

 東実(とうじつ)文男さん 67 茨木市

 安土桃山時代や江戸時代の禁教令に屈せず、ひそかに信仰を守った茨木市千提寺地区の「隠れキリシタンの里」。「世界遺産級の地域という認識を広げたい」と、その歴史をB5判、108ページの記録誌にまとめた。

 同地区へは約40年前、市内の小学校で教諭になった際の新任研修で訪れた。十字の紋章入りの茶わん、キリスト像――。教科書などで有名な「聖フランシスコ・ザビエルの肖像画」を秘蔵していたというキリシタンの家で“遺産”に魅せられ、「教え子にも伝えたい」と、図書館で史料を集めたり聞き取り調査をしたりして自主教材を作った。

 記録誌は、そうした活動のいわば〈集大成〉。肖像画が発見された経緯や、地区で最後の信徒となった女性が大正時代、ローマ教皇の使節団と会ったことなど、様々なエピソードを盛り込んだ。

 今年、地区を通って建設される新名神高速道路の延伸工事に先立つ発掘調査で、キリシタンの墓が新たに出土した。「キリシタン史上、とても貴重な土地」との思いをさらに強くし、道路延伸と遺跡保存の両立について著書で提言した。それが郷土史家としての責務と信じるからだ。

(上野将平)

(2013年8月30日 読売新聞)

1530よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/01(日) 14:34:03 ID:yuaYesRE0
大阪ロマン紀行

水難除けから変わる役目

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2013年8月30日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/130830/20130830039.html

淀川区十三本町 平和地蔵尊

 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、釈迦(しゃか)が入滅してから56億7000万年後に弥勒(みろく)菩薩が出現するまでの間、人々を救うという役目を担っている。非常に身近な存在で、人はそれぞれに名前をつけ、その名はそのときの役目によって違ってくる。病気の身代わりなら、延命地蔵、あごなし地蔵、首なし地蔵、足切り地蔵など。厄除(やくよ)けなら、釘(くぎ)抜き地蔵、とげぬき地蔵、水子地蔵など、名前を聞くだけでその役目がなんとなくわかり、救済の手は、主に拝む個人に向けられている。

 しかし、中には漠然と人類や地球全体を対象とした名前がある。そのひとつが「平和地蔵尊」である。この名は太平洋戦争で日本が痛手を負い、恒久的な平和を望むようになってから普及した。

 大阪だけでも都島や難波、旭区、東大阪などにある。探せば、もっとあるだろう。それも新しく建立する地蔵だけでなく、それまでにあった地蔵の役目を、平和を希求する方向に変えた地蔵もあり、そのひとつが淀川区十三本町にある平和地蔵尊(元子安地蔵)だ。

 江戸時代、今の平和地蔵のある周辺は森で、うっそうとした樹木が茂っていた。その中に昼なお暗い、恐ろしい噂(うわさ)のある「鏡ケ池」があった。そこは戦国時代の城のお堀の跡である。

 明治3(1870)年のこと、幼児が森に迷いこみ、鏡ケ池に落ちて死んでしまった。母親は気が動転し、自分も池に飛び込んで死のうと思ったが、石につまずいて倒れ、ようやく正気を取り戻した。これは我(わ)が子が引きとめてくれたに違いないと、その石を持って帰って、地蔵の形に刻み、子供の冥福を祈って水難除けの地蔵として祀(まつ)った。その後、安産・子育てのための子安地蔵として、人々に信仰されていった…。

 時は流れ、昭和20(1945)年6月、十三一帯が空襲で焼け野原となったが、この地蔵の周りの地域は助かった。きっとこのお地蔵さんのおかげであろうということになり、それから平和地蔵と呼ばれるようになったのである(他に、焼け跡から掘りだしたという話もあり)。

 地蔵の具体的な役目は地蔵菩薩自身が決めるのではなく、人間の都合で決めていく。それはこのように、時や世相によって変わることもある。あとまだ56億年以上あるので、途中でまた役目が変わるかもしれない。しかし、お地蔵さんはいつの世も大役を担いながら、黙々とわれわれをやさしく見守り続けているのである。

1532名無しさん:2013/09/04(水) 17:04:09 ID:X.xo7KFI0

シンポジウム「芦屋から大坂城の謎を解く トークと講演と講談の夕べ」
10月11日(金)18時半開演 芦屋市民センター ルナ・ホール

芦屋市内には大坂城築城や修復の際、六甲から切り出されながら用材として使われず、
その使命をを果たせなかった『残念石』が残されています。
2015年の大坂城落城400年を控え、
日本を代表するミステリー作家の有栖川有栖氏が「大阪城落城の謎」を解き、
大阪城天守閣研究主幹 北川央氏が「大坂城主豊臣秀頼の実像」を、
講談師 旭堂南海が残念石の嘆きを語ります。

講演:北川央
講談:旭堂南海
対談:有栖川有栖・河内厚郎

1階席前売1000円、2階席500円

問合せ;芦屋市民センター 0797-35-0700

また、同館では、芦屋市教育委員会主催による講座「芦屋から大坂城の謎を解く」(全8回)、
常設展示「芦屋と大坂城」(無料)も開催。

1533よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/04(水) 22:57:48 ID:X8pv4osA0
文楽若手会がグランプリ 「大阪文化祭賞」
2013年9月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130902/20130902027.html

 大阪府、市、関西・大阪21世紀協会が1日、大阪市北区の阪急百貨店うめだ本店で、芸術文化活動の奨励と普及のために贈る「大阪文化祭賞」を2013年度受賞者に贈呈した。

 1963年に創設され、ことしで50回の節目。同賞を広く市民に知ってもらおうと、公開の場で贈呈式を開催した。

 グランプリに輝いたのは、人形浄瑠璃文楽座の若手技芸員の技術向上を目的に2001年に発足した「文楽若手会」。第13回公演「絵本太功記」の功績が認められた。

 代表してあいさつした豊竹咲甫大夫さんは「昨年はいろいろなところから叱咤(しった)激励をもらい、一同目の色を変えてさまざまなチャレンジをしてきた。文楽を背負って立てるよう頑張りたい」と気を引き締めた。

 同会は受賞者記念公演として、「絵本太功記」から「操のクドキ」を披露。また、50周年特別記念公演として、08年度にグランプリを獲得した「地主薫バレエ団」によるバレエの名場面も披露された。訪れた買い物客らは足を止め、大阪の文化を楽しむひとときに酔いしれていた。

1534よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/04(水) 22:58:47 ID:X8pv4osA0
西鶴の偉業を研究者と回顧 8日、菩提の誓願寺
2013年9月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130902/20130902030.html

 旧暦の8月10日に亡くなった江戸時代を代表する文人、井原西鶴を供養し、偉業を振り返る「没後320年 西鶴忌」が8日午後1時から、大阪市中央区上本町西4丁目の菩提(ぼだい)寺、誓願寺で行われる。

 若くから談林俳諧の旗手として活躍し、浄瑠璃作品も残すとともに、晩年は主に浮世草子作家として「好色一代男」や「好色五人女」、「日本永代蔵」、「世間胸算用」など多くの傑作を残し、数え年52歳でこの世を去った西鶴。大阪の市民に「西鶴はん」を再認識してもらおうと毎年行われている。

 今年は日本近世文学の研究で知られる西田耕三・元近畿大教授を招き、講演「西鶴を読む楽しみ」を供養に続き午後1時半から開催する。総合進行は「西鶴忌実行委員会」代表で、関西学院大の森田雅也教授。

 講演参加は無料だが、供養献花料として500円が必要。問い合わせは同実行委員会へ電子メール(m−morita@kwansei.ac.jp)で。

1535よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/09(月) 20:01:27 ID:F/vtpuEk0
八尾河内音頭まつり
09月09日 08時01分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130909/3152841.html

大阪の河内地域に伝わる河内音頭を披露するまつりが、8日、大阪・八尾市で開かれ、大勢の人たちが、河内音頭独特の節回しを楽しみました。
このまつりは、河内音頭の伝統を守ろうと、八尾市で毎年開かれています。会場の中央に設けられた大きなやぐらの上では、河内音頭が次々に披露されました。小学生も登場し、「エンヤコラセー、ドッコイセー」という合いの手にあわせて歌い上げていました。
やぐらの周りでは、市内のそれぞれの地域に伝わる河内音頭にあわせて、浴衣姿の女性たちが踊りを披露していました。

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1537よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/12(木) 21:03:32 ID:r5t3vpaQ0
「半沢直樹」が入り口!? 歌舞伎俳優・片岡愛之助、真の魅力とは
2013.9.12 16:59
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130912/wlf13091217060012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130912/wlf13091217060012-n2.htm

 「大阪に生まれ、大阪に住む歌舞伎俳優として、大阪での座頭(ざがしら)公演は何より幸せ」と、顔をほころばせる片岡愛之助。話題のドラマ「半沢直樹」(MBS系)の金融庁エリート役でも注目の愛之助が、10月の大阪松竹座「十月花形歌舞伎」に全演目出ずっぱりで奮闘する。「チーム上方として一丸となって頑張りたい」と語る。





 今年は、愛之助にとって忘れられない年になったのではないか。

 10月は、2月の松竹座に続いて大阪での2度目の座頭公演。「半沢直樹」でのオネエ言葉を操る黒崎役の怪演もあり、一躍“時の人”となった。

 「ブログを始めたんですが、コメントを読んでいると、『半沢直樹』で僕を見て、僕を歌舞伎俳優だと知って驚かれる方も多いんです。ドラマを見て興味を持って歌舞伎を見に来てくださればうれしいですね」

 「十月花形歌舞伎」では、昼の部で新作歌舞伎「新・油地獄 大坂純情伝」の河内屋与兵衛、舞踊「三人連獅子」の親獅子、夜の部で通し狂言「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の団七を勤める。

 「すべて上方らしい演目です。昼は新作、夜は古典。歌舞伎の懐の深さも楽しんでいただければ」

 「大坂純情伝」は不良青年、与兵衛の衝動殺人を描いた近松の名作「女殺油地獄」をもとに作られた新作。平成16年、愛之助が初めて座頭を勤めた「平成若衆歌舞伎」で初演された記念碑的作品だ。

 「僕にとって平成若衆歌舞伎は人生のターニングポイント。初めての座頭であり、大敵(おおがたき)など初めて演じる役も多かった。いろいろ学ばせていただきました」と感慨深く語る。

 「『大坂純情伝』は『ウエストサイド物語』のような和製ミュージカル風の作品です。大幅に書き直し、立ち回りなどパワーアップして上演します」

 一方、「夏祭浪花鑑」の団七は3回目。毛穴の一つ一つから大坂の匂いが吹き出るような団七は当たり役となった。

 今回は、「お鯛茶屋」から「田島町大屋根の場」まで通して上演。「団七の忠義の心を大切に」と決意を語る。「今年は東京に新しい歌舞伎座が開場してにぎわっています。関西でも一年中芝居が開けられれば。その夢に近づいているような気がします」

 10月3日から27日まで。チケットホン松竹(電)0570・000・489。

1540よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/16(月) 21:10:53 ID:6Wm4UUVg0
繁昌亭 7周年で式典
09月15日 14時23分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130915/4281691.html

大阪市にある上方落語の寄席「天満天神繁昌亭」が7周年を迎え、落語家やファンを集めた記念の式典が開かれました。
大阪・北区にある「天満天神繁昌亭」は、15日で7周年を迎え、記念式典が開かれました。
式典には、▼上方落語協会会長の桂文枝さんや▼笑福亭鶴瓶さんが出席し、鏡開きに続いて地元の人や落語ファンに日本酒を振舞って7周年を祝いました。
「天満天神繁昌亭」は、戦争で焼失した上方落語の寄席を復活させようと平成18年にオープンし、先月、入場者が100万人に達しました。
桂文枝さんは、「この7年間、みなさんに楽しんでもらおうと『おもてなし』の気持ちを持ってやってきた。7年後は、東京オリンピックの年で、外国からも多くの人が来るので、英語の公演など、今後も『おもてなし』をしていきたい」と話していました。

1542名無しさん:2013/09/21(土) 00:52:40 ID:9AywJMZc0
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130920/20130920036.html

月下朗々と 住吉大社で伝統行事「観月祭」
2013年9月20日
 中秋の名月の19日夜、大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で伝統行事「観月祭」が厳かに執り行われ、千人を超える参拝者が満月を背景に披露される短歌や舞楽などを堪能した。


満月が夜空を照らす中、橋上で厳かに献詠する神職ら=19日午後6時40分、大阪市住吉区の住吉大社

 日没後の境内では第一本宮での神事に続いて、反(そり)橋で献詠行事があり、全国から寄せられた短歌と俳句の入選作を披露。ススキや団子などが供えられた橋上で神職らが声高らかに作品を朗詠、朗読した。

 このほか住吉踊(おどり)保存後援会の奉仕による躍動感あふれる住吉踊と天王寺楽所雅亮会による舞楽の奉納がなされた。舞楽では開始を告げる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」に続き、仁明天皇即位の時に作られたと伝わる「承和楽(しょうわらく)」などが演じられ、舞人の優美な所作と楽人が奏でる音色の調和で参拝者を終始魅了していた。

1543名無しさん:2013/09/21(土) 05:13:24 ID:5VGj1aH60
秀吉の城 思いはせ…石垣30年ぶり公開

 大阪城本丸(大阪市中央区)で20日、大阪市が約30年ぶりに発掘した豊臣期の石垣が一般公開された。多くの歴史ファンらが訪れ、「太閤さんの城」に思いをはせた。公開は22日まで。

 石垣(高さ6メートル)は、現在の天守閣の南東の地中から最上部が長さ約6メートルにわたって出土した。この日は、大阪文化財研究所の担当者が「野面積(のづらづ)み」と呼ばれる自然石を積み上げた当時の工法などを説明した。太閤ファンという大津市の無職平塚哲彦さん(80)は「秀吉は大阪の街をつくった功労者。彼が築いた石垣を見ることができてうれしい。石垣の全容が公開されるのが待ち遠しい」と話した。

 大阪市は、大坂夏の陣(1615年)後に徳川家に埋められた初代大坂城の石垣を公開する事業を進めており、7月から調査してきた。今後、石垣をさらに掘り進め、2015年に公開施設を整備する。

 読売新聞大阪本社は、市と共同で事業の資金を募る「太閤なにわの夢募金」を実施している。問い合わせは、大阪市・大阪城魅力担当(06・6469・5164)、読売新聞大阪本社事業本部(06・6366・1867)。

(2013年9月20日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130920-OYO1T00548.htm?from=main4

1544よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/22(日) 21:49:54 ID:77MhcX/I0
大阪大国技館知って!…跡地は団地、市民ら案内
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130921-OYO1T00602.htm?from=newslist

 昭和初期、大阪市東部の城北川沿いに大阪大国技館があった。昭和の大横綱・双葉山(1912〜68年)らが活躍したが、昭和戦争後に取り壊され、跡地は団地に。往時を知る人が減る中、同市城東区と市民らがゆかりの地を巡るコースを作り、24日に講座の参加者を案内する。(桑田睦子)

 大阪市城東区古市。マンションが立ち並ぶ住宅地で、ガイド団体「OSAKAゆめネット」所長の浜田容子さん(61)(大阪市北区)らが地図を手に歩いた。跡地は団地に姿を変えたが、かつて相撲茶屋が立ち並んだ通りや、力士の墓がある霊園などを確認し、地図に書き込んだ。

 大阪大国技館は1937年5月に完成した鉄筋コンクリート造4階建て。こけら落としの興行には双葉山が出場し、満員の日が続いたと伝わるが、戦争の影響などで興行は3年後に終了。本場所は行われず、興行が計7回だった。

 倉庫などに転用された後、51年頃に解体され、周辺は住宅地に。当時の面影はなく、区が「幻の大阪大国技館」などに関する連続講座を6月から開催。浜田さんらはゆかりの地を訪ねる際のガイドを頼まれ、現地を調べた。

 講座には定員100人を上回る受講者が参加し、歴史などを学んだ。現地に行くのは初めてで、すでに受け付けは終了。飲食店経営川端ふき子さん(64)は「45年ほど城東区に住んでいるが、そんな大きな施設があったとは全く知らなかった。当時の様子を知りたい」と訪問を楽しみにする。

 城東区などによると、大阪市では1919年、浪速区・新世界に大阪国技館が建てられたが、27年には映画館になった。このため、「大阪でも相撲の常設館を」との機運が高まり、大阪大国技館が建てられた。閉鎖後、大阪では相撲興行のための施設はなくなり、現在は毎春、府立体育会館(ボディメーカーコロシアム、浪速区)で大相撲春場所が行われている。

 講座の盛況を受け、城東区は、春場所の運営に協力する維持員でつくる日本相撲協会東西会(89人)に依頼、来春、相撲体験のイベント開催などを予定。浜田さんらとともにゆかりの地巡りも検討する。

 細井敦子区長は「相撲ゆかりのまちとして広めたい」と意気込み、浜田さんは「短期間しか存在しなかった大国技館だが、華やかににぎわった大阪の相撲文化を市民に紹介し、後世にも伝えたい」と話している。

(2013年9月21日 読売新聞)

1545よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/22(日) 21:57:12 ID:77MhcX/I0
古墳群「遺産」推薦見送り 市街地に緩衝地帯 難題
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130918-OYT8T00053.htm

 2015年に府内初の世界文化遺産登録を目指していた「百舌鳥(もず)・古市古墳群」(堺市、羽曳野市、藤井寺市)について、国の文化審議会は8月末、登録推薦を見送った。登録は先送りされることになり、関係者は〈再出発〉を余儀なくされた。遺産を守るためのエリア「バッファゾーン」(緩衝地帯)のあり方などが課題とされており、市民も巻き込んだ景観保護の議論が不可欠になりそうだ。(岡田英也)

 文化審議会は、15年に開かれる国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会に向け、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本県)を推薦するよう答申。政府は17日、「明治日本の産業革命遺産」(福岡など8県)を推薦すると正式発表した。

 青柳正規・文化庁長官は8月の審議会後、同古墳群を見送った要因を「都市にある遺産として緩衝地帯をどうするか、十分な方策が練り上げられていない」と語った。

 緩衝地帯とは、古墳の景観を守る周辺を指し、墳丘を含む構成資産の189万平方メートルに対し、約5倍の997万平方メートルに及ぶ。その領域内では、高層マンションの建設や巨大な広告看板の設置が景観を損なう恐れがあるとされるが、現状では建物や広告の高さを規制する条例などがない。

 例えば、古市古墳群の一つ、「允恭(いんぎょう)天皇陵古墳」(藤井寺市国府)。目の前に近鉄土師(はじ)ノ里駅前がある利便性の高さから、そばに13〜7階建ての高層マンションが林立する。

 藤井寺市は景観計画を策定し、10月から「古市古墳群景観形成促進区域」を設定。高さ15メートル、建築面積1000平方メートルを超える建築物の届け出を義務化する。堺市は20年前から、市全域で高さ15メートル以上の届け出を義務付けているが、両市とも法的にクリアしていれば高層建築は可能だ。羽曳野市では現在、景観計画が案の段階にとどまっている。

 こうした事態を受け、府と3市でつくる「世界文化遺産登録推進本部会議」(大阪市)は、届け出以上に厳しい規制の検討を始めた。建物の高さや色調について、統一的な「保存管理計画」づくりを目指す。

 だが、同会議の担当者は「既存の建物とかけ離れた高さ規制では、住民らの納得は得られない」と頭を悩ます。登録有識者会議委員の白石太一郎・府立近つ飛鳥博物館長は「市街地化してしまっている状況で、規制や保護をどこまでかけるかが難しい」と話す。

 羽曳野市在住で古墳などのガイドを続ける細見克さん(72)は「緩衝地帯には多くの住宅がある。市民の関心が高まらないと、議論は深まらない」と指摘する。

◆百舌鳥・古市古墳群

 堺市の百舌鳥古墳群と藤井寺、羽曳野両市の古市古墳群で構成。4世紀後半〜6世紀前半の築造で、現存は89基だが、世界遺産の構成資産は60基に絞った。国内最大の仁徳天皇陵古墳(百舌鳥)は、「クフ王のピラミッド」(エジプト)や「秦の始皇帝陵」(中国)とともに世界3大墳墓に数えられる。

(2013年9月18日 読売新聞)

1546よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/22(日) 22:08:43 ID:77MhcX/I0
浪速商法「温故知新」の試み 大商大商業史博物館
2013年9月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130922/20130922019.html

 大阪商業大学の商業史博物館は、大阪で100年以上続く老舗企業の営みを通して浪速商法の魅力を伝える企画イベントを始める。大阪・北浜の老舗料亭「花外楼」が所蔵する伊藤博文ら歴史的な人物の書画を集めた展覧会をはじめ、企業経営者らを講師に招いた講座などを計画。大阪商人の信用と伝統を象徴する「のれん」の重みについて考え、今の社会に生かすきっかけをつかんでもらうという温故知新の試みだ。

■掘り起こし

 江戸時代末期に創業した花外楼。明治維新の功労者たちが足しげく通い、大久保利通、木戸孝允らが会談して立憲政治体制の足掛かりをつくった「大阪会議」の舞台であり、その後も政財界の有力者が利用した。

 歴史的な人物の直筆の書画が数多く残る一方、絵画の素養がある代々の女将は床の間などに飾る書画を大阪の画家から買い求め、来店者が気に入ればその画家を紹介していたという。

 花外楼の取り組みについて、同博物館主席学芸員の明尾圭造氏は「埋もれている人材を掘り起こす美術館のような役割を果たしていた」と解説する。

 同博物館で開く展覧会「花外楼−老舗料亭の一品」の期間は10月9日〜11月30日(日曜祝日休館)で、入場無料。木戸孝允の「船中之詩」や、伊藤博文の「花魁」など約30点を展示する予定だ。

■エッセンス

 その花外楼の女将である徳光正子氏をはじめ、着物の老舗「小大丸」社長の白井禎一氏を講師に迎える連続講座は4回予定され、9月28日に白井氏、10月5日に徳光氏がそれぞれマイクを握る。同9日には大阪大名誉教授の宮本又郎氏による基調講演もある。

 「100年、会社を続けるのは並大抵のことではない。伝統の中で受け継いできたエッセンスは何かを紹介していきたい」と明尾氏。

 のれんの重みをテーマにする11月1日のシンポジウムは白井、徳光両氏らが顔をそろえる予定で、明尾氏は「企業の理念とともに、これまでの営みを今にどう生かすのか(という点について)市民、府民に提供していければ」と来場を呼び掛けている。

1547よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/25(水) 23:14:25 ID:JxbtNoXI0
荘厳の時 四天王寺で「日想観法要」
2013年9月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130924/20130924017.html

 「秋分の日」の23日、大阪府内各地の霊園墓地や寺院などでは朝から供えものを手にした家族連れが続々と墓参りに訪れた。このうち大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺(奥田聖應管長)では秋季彼岸会(え)の伝統行事「日想観(にっそうかん)」が厳かに執り行われた。

 かつて四天王寺の西側には難波の海が広がり、境内・石鳥居が極楽浄土の東門にあたると信じられていたことに由来する修行。春・秋の彼岸の中日のみ夕日が石鳥居の中央に沈む。

 夕刻の境内・西大門(極楽門)周辺では同寺僧侶による法要が執り行われ、読経が響く中、千人を超える参詣者らが参集。真西のビルの陰から赤い夕日が現れると、一様に「きれい」の歓声を上げてカメラに収めるなど幻想的な光景を見届けた。

 この日は朝から天候に恵まれ、境内は約3万5千人の参詣者で終日にぎわった。

1549よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/27(金) 21:33:15 ID:5J33CcoY0
GHQ占領の記憶 資料が語る
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130926-OYT8T00067.htm

◇1945年9月25日 近畿初上陸

  9月25日が何の日だったかを知っていますか――。この日は太平洋戦争後の1945年、連合国軍が近畿地方に初めて進駐した日。和歌山沖から上陸した連合国軍総司令部(GHQ)による占領は約7年にわたったが、今は「進駐の日」が語られることはほとんどない。資料や証言などから当時の状況をたどった。(中西賢司)

 「海辺に出てみると数百米(メートル)にわたって輸送船団が黒々とならび、やがて上陸艇が波と砂をけちらし、銃と無線機をかついだ進駐軍が続々と上がってきた」

 和歌山市の和歌浦で進駐軍の上陸を目撃した小学生は驚きを学校記録にそう記した。和歌山県史によると、29日までに約4万2000人が上陸し、大阪や京都、神戸などに進駐を続けた。占領軍は日本全体で40万人に上ったとされる。

 大阪では、御堂筋沿いの日本生命本店ビルに師団司令部が置かれ、星条旗がはためいた。占領時小学生で、近くの愛日小学校(90年閉校)に通った梶本孝治さん(72)は高級米国車が並び、連日、楽隊が演奏行進したのを覚えている。

 「楽隊に見とれているうちに、遅刻しそうになってよく学校に駆け込んだ。仕立てのいい軍服を着た米兵は紳士的で、大人たちが『鬼畜米英』と話していたイメージとは違った」

 日生ビル以外にも新大阪ホテル(大阪市北区、現リーガロイヤルホテル)が将校宿舎になるなど多数の施設が接収された。

 「キャンプ・サカイ」と呼ばれる基地(後に病院に転用)とされた大阪市立大(同市住吉区、当時は大阪商科大)では、学生らの返還運動が起きた。当時のアルバムには学生の憤りがにじむ。「兵舎!兵舎!兵舎!兵舎!兵舎!この様なキャンプの中に大学がある」

 55年に全面返還。今もキャンパスに「司令官専用」と英語で書かれた閲兵台が残るが、その存在を知る学生は少ないという。

 占領史に詳しい杉田米行・大阪大教授(日米外交史)は「地方議会で女性の政治参加は進んだのか。地元経済はどんな影響を受けたのか。占領施策が大阪など地方に与えた影響の研究はあまり進んでいない。記憶が薄れる今こそ、その進展が待たれる」と話している。

(2013年9月26日 読売新聞)

1550オリッ鉄:2013/09/27(金) 21:41:36 ID:.7o/KoeY0
>>1544
大阪国技館跡地は今URの集合住宅。
私はそこはよく知ってる。近所だから

1551よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/27(金) 22:05:57 ID:5J33CcoY0
菜の花たくさん咲かそう 菜種油発祥の地、種まき
2013年9月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130926/20130926030.html

 菜の花にゆかりのある大阪市住吉区で20日、地域住民らのアイデアをもとにした同区の事業「菜の花を咲かそう」がスタートした。関係者や住民らがJR我孫子町駅近くの「住吉区花づくり広場・地域交流広場」に集まって種をまき、開花の日を楽しみにした。

 同区の遠里小野地域は菜種油発祥の地とされ、江戸時代は菜種油の生産が盛んだった。この歴史を地元に伝えようと、住民らが中心となって2年前に「菜の花を咲かそう会」(吉田進会長)を結成。今回は会員以外にもさらに一般に広く知ってもらおうと、同区が募集するまちづくり事業に応募し実現した。

 この日、区民や同広場を拠点に活動する花づくりボランティア「花さかスミちゃん」のメンバーら約30人が参加した。土作りや種まきを分担し、作業を進めた。

 吉田会長は「遠里小野と菜種油の歴史を広めるとともに、作業を通じて住民同士が交流するきっかけになれば。黄色い花が咲いてまちを彩る頃には、会話がまた弾むはず」と期待を寄せている。

 同区によると、来年6月には、採種した種を使って油搾りの作業体験会を行う。

1552よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/09/30(月) 21:35:40 ID:aHuThCpw0
日本最古のため池「狭山池」…行基の堤と不思議な迷宮
2013.9.29 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130929/wlf13092907010002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130929/wlf13092907010002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130929/wlf13092907010002-n3.htm

1553よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:43:01 ID:zke3CtbY0
桂雀松さんが三代目「桂文之助」襲名 上方の大名跡が83年ぶり復活
2013.10.6 20:20
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131006/wlf13100620220025-n1.htm
 
 上方落語の桂雀松改め三代目桂文之助さん(57)の襲名披露公演が6日、大阪市北区のサンケイホールブリーゼで行われ、兄弟子の桂南光さん(61)らが83年ぶりの名跡復活を祝った。

 初代、二代目文之助とも明治期に活躍。二代目は「動物園」「指南書」などの新作を数多く残したが、若くして引退。晩年は京都・高台寺境内に甘味処「文の助茶屋」を開くなど悠々自適に過ごした。

 口上では、南光さんが「雀松時代は失敗がなくて、『かわいげがない』と師匠(枝雀さん)を悩ませた」、桂ざこばさん(66)は「彼はまじめすぎて、あまり思い出がないんです。もっとしくじりなさい」と笑いをまじえて激励。

 また、上方落語協会の桂文枝会長(70)は文之助さんの気象予報士の才能を買って、「雨や台風の影響を受けやすい彦八まつりの来年の実行委員長をやってもらいます。彼に懸けます」と宣言。笑福亭鶴瓶さん(61)はドラマ「半沢直樹」で使ったネジを自慢げに披露し、ざこばさんから「この男、腹立ちますやろ」と突っ込まれるなど、客席は爆笑に包まれた。

 文之助さんは「思い出に残らない噺家ですが、新しい門出を迎えて今後ともよろしくお願いします」とあいさつ。得意ネタ「替(かわ)り目」を熱演し、客席から温かい拍手を受けていた。

1554よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:46:02 ID:zke3CtbY0
岸和田だんじり祭、本当は華麗? 若い編み込み女性が続々視界に
2013.10.6 17:00 [祭り]
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131006/wlf13100617000020-n1.htm

 「編み込み」と呼ばれる髪形の女性たちが元気よくだんじりを曳(ひ)く−。

 9月14、15日に開かれた岸和田市の「岸和田だんじり祭」を取材した。全国的に超有名なこの行事だが、実際に目にしたのは初めて。男たちによる荒々しい祭りというイメージを抱いていたが、視界に入ってきた当日の様子は、そんな先入観を裏切るものだった。

 だんじりを曳いているのは、もちろん男性が多いが、若い女性も混じっていた。その女性のヘアスタイルに目を転じると、レゲエ歌手を思い起こすような独特の髪形。髪を細かく編んでいろいろな柄を演出するらしかった。関係者に聞くと、昔はなかったが、最近は女性参加者の間で流行しているという。

 まただんじりを曳きながら辻々を直角に曲がる「やりまわし」や、屋上で跳び上がったり手を上げたりする大工方の動きも見事だった。そうした祭りの表情一つひとつは「荒々しい」というより、別の表現が頭に浮かんだ。

 昔に比べればおとなしくなった−。まちの人からは、そんな声がもれた。でも、昔を知らない私は、「華麗」という表現がぴったりだと思った。

1555よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/08(火) 21:54:26 ID:zke3CtbY0
近松作品通し船場知る 中央区淀屋研究会が講演会
2013年10月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131006/20131006027.html

 淀屋研究会(毛利信二代表、約60人)は5日、大阪市中央区の綿業会館で、生誕360年を迎えた近松門左衛門の浄瑠璃作品を題材にした講演会を開いた。大阪・船場の地名をつづった“ご当地ソング”的な近松作品を通じ、受講者を地域の歴史にいざなった。

 4日に始まった「船場まつり」の文化イベントとして開催。近松作品に詳しい園田学園女子大学(兵庫県尼崎市)の井上勝志教授が講演し、約250人が参加した。

 船場に屋敷を構えた豪商淀屋を描いた『淀鯉出世滝徳(よどごいしゅっせのたきのぼり)』、船場の本町、久宝寺町などがテンポ良く登場する『今宮の心中』などを紹介した井上氏は、近松の思いについて「芝居と大阪の町を合体しておもろいやろ」と解説した。受講した女性(69)は「文学は遠い存在だったけど、近くなった気がする」と話していた。

 毛利代表は「自分が暮らす地域の歴史を知らない人は多いと思う。船場の中に淀屋の屋敷があったことも理解してほしい」と呼び掛けていた。

1556よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/09(水) 20:38:23 ID:SJ0eIE5M0
元気センバイ返し 「博労稲荷」のみこしが巡行
2013年10月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131007/20131007018.html

 商店街や社寺、地域が一体となって“商人のまち”大阪・船場地区を盛り上げる催し「船場まつり」(4〜6日)に合わせ、大阪市中央区博労町4丁目の難波神社に祭られている「博労稲荷」のみこしが6日、地元のせんば心斎橋筋商店街を巡行した。大勢の買い物客や観光客が往来する中、男女約40人の担ぎ手が「ヤーレ船場、ソーレ船場」と威勢のいい掛け声をアーケード内に響かせた。

商売繁盛を願うみこしの人力巡行は昨年の船場まつりで約50年ぶりに復活した。女組が中心となって重さ約300キロのみこしを担ぎ、中央大通りから南久宝寺通り間の南北約260メートルを往復。随所でみこしを高く担ぎ上げたほか、大きく回転させるなど、躍動感あふれる動きで見守る人々を魅了した。

 昨年に続き担ぎ手を務めた田浦有夏さん(25)=兵庫県三木市=は「昨年は多くの人の声援で元気をいただいたが、ことしはその『倍返し!』。たくさんの人に元気を送りたい」と気合を込めていた。

1557よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/09(水) 20:46:33 ID:SJ0eIE5M0
旧海軍「最上」再び大阪に 市民団体、返還へ活動
2013年10月9日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131009/20131009025.html

 国内外に現存する戦争関連施設などの調査・保存活動に取り組む戦争遺構研究会(堺市、柴田正己代表)が、大阪・中之島から広島の呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」へ移設された旧海軍の通報艦「最上」のマストなど構造物の返還を呼び掛けている。市民の周知に向けて随所で関連資料を展示するほか、大阪市や文化庁へ要望書を送るなど「近代史の生き証人」が再び大阪の地へ戻ることを願い地道な活動を続けている。

同艦は1908(明治41)年に長崎で建造。外地にも派遣され、第1次世界大戦で中国に赴いたほか、大正期のシベリア出兵では沿岸の警備任務に当たった。28年に除籍、廃艦となり、翌年、大阪の在郷軍人会がマスト(高さ約20メートル)と艦橋部分を譲り受け大阪市に寄贈した。


 中之島公園東部の天神橋付近に設置され、かつては国旗掲揚柱として使用されたことも。建造から1世紀、設置から80年間風雪に耐えたが、大阪市は構造物の老朽化による危険性の観点と同公園の整備改修に伴い撤去を決定。1級建築士で建築史家の柴田代表(70)ら市民からは大阪での保存を望む声が寄せられたが、艦船関連の資料を展示する同館が受け入れ先となり、2009年2月に移された。

 マストなどは分割状態で搬送され、現在同館の収蔵庫で保管中。柴田さんは「廃棄されなかったのは幸いだが、受け入れ先でいまだに公開展示されてないのは残念」と表情を曇らせる。保存運動の当初から移転希望先として挙げていた大阪国際平和センター「ピースおおさか」(同市中央区)などへの移設も視野に、あらためて「大阪で歴史教材として保存と活用を」と訴える。

 同館学芸課よると展示品は大小数百点で、収蔵品は約20万点にも及ぶ。このうち同艦の構造物については「現在公開の予定はないが貴重な実物資料として保管されており、今後、企画展などで公開する可能性はある」という。

 柴田さんは、堺市出身で終戦時の首相、鈴木貫太郎の生家を文化財に指定することを求める活動なども展開中。「歴史が一つ一つ埋もれていく中、『雨垂れ石をうがつ』のごとく、声を上げ続けることが大事。残された時間は限られているが、これまで提唱してきたことを実現させていきたい」と話している。

1558よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/14(月) 20:01:51 ID:yrg7DEec0
にぎやかにお練り 法善寺で落慶法要
2013年10月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131010/20131010022.html

 「水掛不動」で知られる大阪市中央区の法善寺(神田眞晃住職)で、老朽化した金毘羅堂・お初大神社殿の改修工事が完成し、9日、落慶法要が執り行われた。かつて2度の火災に見舞われ、その度に地域一丸となって復興した経緯があるだけに、この日はゆかりのある芸能、スポーツ関係者も顔をそろえた。

  法善寺と周辺の飲食店「法善寺横丁」は、2002年9月と03年4月の2度の火災による苦難が続き、04年3月の完全復興に至るまで地域が一つにまとまった強い絆のある地域。

 「2度の火災以降、大いに助けてくださり、肩を組み抱き合うほど仲良くやってきた」と神田住職が紹介した落語家の桂福団治さん、月亭八方さん、松竹新喜劇代表の渋谷天外さん、タレントの赤井英和さん、豊ノ島関などが法要の会場にズラリ並んだ。

 渋谷さんは「40年少し前、背中合わせだった中座の初舞台以来のお付き合い。今回の改修でより親しみやすい場所になった」と感慨深く語り、福団治さんは「参詣が楽しみ」と喜びの声を上げた。

 神田住職は「戦後、一帯は焼け野原になり、建立された金毘羅堂で住んでいたという先代のつらい話も聞いた。金毘羅堂、お初大神社殿にお参りいただくことで、社会が優しい心に満ちてほしい」と話していた。

 参列者は道頓堀など周辺をにぎやかにお練りして、完成をアピールした。10日は午後4時から金毘羅大祭法要などがある。

1559よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/16(水) 22:07:37 ID:z0OmT.RU0
神輿巡行に熱気 大阪・吹田で秋祭り
2013.10.14 02:01
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131014/osk13101402010002-n1.htm

 吹田市山田東の山田伊射奈岐(いざなぎ)神社で13日、秋祭りがあり、勇壮な太鼓と神輿(みこし)の巡行が行われ、住宅街が熱気に包まれた。

 豊作を祈り江戸時代に始まったという神事。一時すたれていたが、昭和55年に氏子らが太鼓神輿保存会を結成して復活。平成10年に、市の地域無形民俗文化財第1号に登録された。

 早朝、濃紺の法被、締め込み姿の「担手(かきて)」の若者に担がれて神社を出発した2基の太鼓は、神輿の露払いをしながら広い山田地区内を巡行した。

 夕刻の宮入りを前に、神社近くで太鼓2基が合流。カラフルな花笠をかぶり、長いタスキ姿の男児の「乗り子」がドンドンドンと太鼓をたたき、「担手」がエッサ、エッサと声を張りあげて太鼓を高く差し上げ練り回すと祭りは最高潮になり、詰めかけた市民から歓声が上がった。

1560よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/18(金) 04:15:30 ID:A3XKUrxA0
堺の長山古墳 後円部直径64メートルと判明
2013.10.18 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131018/osk13101802000001-n1.htm

 堺市堺区協和町の市営住宅建設予定地で発掘により確認された4世紀後半の築造とみられる「長山古墳」で、堺市文化財課は17日、後円部の直径が約64メートルの規模だったと発表した。全長は100メートルを超えると推測されるという。

 発掘調査後に古墳の規模などを調べるため学術調査を実施していた。後円部の基底石が今回新たに4カ所で確認され、後円部の直径が判明。埴輪(はにわ)の破片なども出土した。

 海側に近い北西側の後円部部分で見つかった基底石は、一辺が約40センチと大きな「和泉砂岩」が使われており、他の場所の葺(ふ)き石よりも丁寧な積み方だった。このため、海から古墳をより立派に見せようとした可能性も考えられるという。

 また、調査では、前方部と後円部がつながる「くびれ部」の場所なども判明。前方部からはこれまでの調査で東部分で長さ16メートルの葺き石が出土。今回調査で新たに9メートルの葺き石も確認された。

1562よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/22(火) 05:45:03 ID:uANVGV1k0
御神田の稲収穫を祝う 住吉大社で宝之市神事
2013年10月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131018/20131018044.html

 伊勢神宮の神嘗祭に当たる17日、御神田で生育した稲の収穫を祝う「宝之市神事」が、大阪市住吉区の住吉大社(真弓常忠宮司)であり、観光客らに見守られながら神職らが厳かに祭りを執り行った。

 その年の五穀豊穣(ほうじょう)に感謝するもので、重要無形民俗文化財にも指定の御田植神事(6月)と並ぶ伝統儀礼。

 神職や神楽(み)女(こ)をはじめコメ、ムギ、アワ、マメ、キビの五穀を手にした市女(いちめ)役の学生が伝統衣装をまとって列をつくり、コメを栽培している御田講(おんだこう)と呼ばれるグループの代表者らが境内にある御神田で儀礼にのっとってイネを刈り取った。第一本宮に移った一行は、コメを奉納し、祝詞や舞などを奏上した。

 句会で訪れたという奈良県広陵町の小林伊久子さん(62)は「質素だが、厳かでいいなと感じた」と話した。

 御神田は2反(2千平方メートル)。銘柄はヒノヒカリが収穫、奉納され、御田講によると、今年は豊作で実入りが良いという。

1563よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/22(火) 22:15:26 ID:0OzMCQLk0
真田幸村でイベント計画
10月18日 07時00分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131018/5315751.html 

豊臣と徳川の軍勢が戦った、「大坂冬の陣」と「夏の陣」から400年を迎えることから、大阪市は、観光客の増加につなげようと、豊臣方の武将、真田幸村が、いまの天王寺区に築いた要塞、「真田丸」を模型で再現するなど幸村にちなんだイベントを計画しています。1614年の「大坂冬の陣」で、豊臣方の武将、真田幸村は、いまの大阪・天王寺区に、「真田丸」という要塞を築き、巧みな戦術で徳川方をほんろうしたほか、翌年の「夏の陣」では、家康の本陣にまで攻め込んだと伝えられています。
来年と再来年が、この戦いから400年となることから、大阪市は、「歴史ブーム」で人気のある幸村にあやかって観光客を増やそうと、「真田丸」を模型で再現することになりました。

模型は、歴史ファンなどからも寄付を募ったうえで、研究者らのアドバイスも受けながら、大きさなどが検討されることになっています。

このほか、市では、戦国武将にふんする「コスプレ」のコンテストなど幸村にちなんだイベントも計画しています。

天王寺区の水谷翔太区長は、「歴史ファンからも、模型の再現について期待の声が寄せられている。多くの人に、歴史のロマンに思いをはせてもらいたい」と話しています。

1564よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:43:07 ID:8eMdeB4Q0
永遠のオダサク ゆかりの生國魂神社に銅像
2013年10月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/131027/20131027024.html

 小説「夫婦善哉」で知られ大阪を代表する作家“オダサク”こと織田作之助の生誕からちょうど100年にあたる26日、大阪市天王寺区の生國魂神社で祝祭が開かれ、境内に建立、寄贈された作之助の銅像が披露された。

  祝祭は市民グループ「オダサク倶楽部」(井村身恒代表)が企画した。銅像は同倶楽部会員の石田英治さんが彫刻家の岡村哲伸さんに制作を依頼し寄贈。作之助の生地に近く幼少時に遊んだという同神社の境内、尊敬したという井原西鶴の像の近くに建立された。

 在りし日の作之助を「兄ちゃん」と慕った義理のめい浅井民さん(88)は銅像を眺め「横顔の頬がこけたあたりがそっくり」。銅像の除幕に加わった義理のおい西井基司さん(83)は「銅像は永遠。こうして愛し続けられることはうれしいこと」と話した。

 
おかえり オダサク
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20131027-OYO1T00298.htm

  「夫婦(めおと)善哉(ぜんざい)」などの小説で知られ、「オダサク」の愛称で親しまれる作家・織田作之助(1913〜47年)の生誕100年を迎えた26日、生家に近い生国魂神社(大阪市天王寺区)で記念イベントが開かれた。

 愛読者らでつくる「オダサク倶楽部(くらぶ)」(井村身恒代表)の主催で、約100人が参加。織田の小説をアレンジした落語が披露されたほか、境内に建立したマント姿の立像(高さ約1.8メートル)が除幕された。

 織田の親戚筋で、生前にかわいがってもらったという吉川聖子さん(90)、浅井民さん(88)姉妹は「すばらしい場所に像を建ててもらい、お兄ちゃんも喜んでいると思う」と懐かしんだ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1565よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:47:50 ID:8eMdeB4Q0
古墳群、持続可能な管理を
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00149.htm

. 百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録に向けた国際シンポジウムが26日、藤井寺市の市立市民総合会館「パープルホール」で開かれ、「古墳のある街のまちづくり」をテーマに国内外の専門家らが意見交換した。

 同古墳群については、2015年度の世界文化遺産登録を目指しながら、今年度に国の推薦が見送られたため、登録が遅れることは確実となっている。

 この日のシンポは府と堺、藤井寺、羽曳野の3市でつくる同古墳群世界文化遺産登録推進本部と文化庁が主催し、約250人が参加。基調講演に立った西村幸夫・東京大先端科学技術研究センター所長は、ビルに囲まれた東京・浅草の浅草寺を例に、「本堂の後ろに高い建物がなく、歴史的な雰囲気が感じられる。古墳群も周辺環境を含めた街づくりの観点が重要」と呼びかけた。

 オランダのウィレム・ウィレムス・ライデン大教授は「登録に最も重要なことは、目の前に立った人を感嘆させられるかどうかだ。古墳群は、その点での疑念はなく、価値と研究成果を世界に伝え、持続可能な管理をすれば(登録は)必ず実現すると思う」と述べた。

(2013年10月27日 読売新聞)

1566よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 14:49:08 ID:8eMdeB4Q0
大阪城 今日は何の日?
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00155.htm

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は、大阪城の歴史を記した2014年版の特製カレンダー(A4判、カラー刷り)=写真=を作製した。

 徳川幕府が豊臣家を滅ぼした「大坂の陣」(1614〜15年)から400年の節目を迎えるのに合わせて企画。豊臣秀頼・淀君が自害した、豊臣氏滅亡の日(1615年5月8日)や、戊辰(ぼしん)戦争で全城ほぼ焼失(1868年1月9日)、天守閣の復興(1931年11月7日)など、城にまつわる約250のできごとを、季節感あふれる大阪城の姿とともに紹介している。

 担当者は「大阪城がいろんな時代で重要な場所であったことを知ってもらえれば」と話している。

 非売品だが、11月2〜24日の期間中、特別展「大阪城はこの姿 ―戦災からの復興、整備、そして未来へ―」の図録(1300円)を購入した人にプレゼントされる。

 問い合わせは、大阪城天守閣(06・6941・3044)へ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1567よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 15:09:45 ID:8eMdeB4Q0
白村江の戦い1350年 慰霊法要と講演会 27日、枚方 大阪
2013.10.24 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/131024/osk13102402000000-n1.htm

 7世紀、朝鮮半島の南西部にあった百済(くだら)を救援するため、日本(倭国)の軍兵が海を渡って唐・新羅連合軍と戦い敗れた「白村江の戦い」(663年)から今年で1350年。日本に亡命してきた百済王族の子孫らが27日、枚方市のゆかりの地で慰霊法要と講演会を開催する。

 慰霊法要は午前11時から、枚方市大垣内町(市役所西側)の百済王神社で。舒明天皇が建立した百済大寺(大官大寺)の流れをくむ奈良・大安寺の河野良文貫主が導師をつとめる。

 また午後1時半からは、同市中宮西之町の百済寺跡公園(国特別史跡)で、猪熊兼勝・京都橘大学名誉教授による講演「百済滅亡と百済王氏」がある。参加は自由だが、マイカー禁止。百済寺跡へは、京阪交野線宮之阪駅下車。問い合わせは、主催の三松(みまつ)さん((電)0742・24・2970)。

1568よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 20:34:36 ID:F8KRTU.o0
日本最古の幼稚園 公開
10月26日 19時02分
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20131026/4302351.html

明治34年に建てられた、日本で最も古い園舎がある大阪市立愛珠幼稚園が26日、一般に公開され、大勢の人が見学に訪れました。
大阪・中央区今橋の大阪市立愛珠幼稚園の園舎は、いまから112年前の明治34年に完成し、和風の重厚な外観をした木造平屋建ての建物は、学術的な価値が高いとして国の重要文化財に指定されています。
現在も子どもたちが通っているため普段は立ち入れませんが、26日は年に2回の一般公開の日にあたり、歴史や建築に関心を持つ人などが大勢、見学に訪れました。玄関から入ってすぐの遊戯室は天井までの高さが7メートルほどある独特の造りをしていて、古風なシャンデリアが天井からつられています。
また、遊戯室には100年以上前に購入したドイツ製のピアノも置かれ、26日は訪れた人たちに優雅な音色が披露されました。
見学に訪れた淀川区の43歳の女性は「一度、中に入ってみたいと思っていたので感激です。こんなすばらしい環境で過ごす子どもたちは幸せですね」と話していました。
愛珠幼稚園は近く、耐震工事が始まるため一時的に閉鎖され、次に一般に公開されるのは2年以上先になりそうだということです。

1569よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:19:42 ID:F8KRTU.o0
馬飼いの里、埴輪でたどる
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20131027-OYT8T00152.htm

 四條畷市立歴史民俗資料館(四條畷市塚脇町)で、特別展「四條畷の古墳時代 王権を支えた馬飼いの里」(同市教委など主催)が開かれ、市内で発掘された埴輪(はにわ)や祭祀(さいし)用具など約500点が展示されている。入場無料。12月15日まで。

 海岸線が現在より内陸にあった古墳時代中期、同市は、現在の大阪湾につながっており、朝鮮半島から渡来人が連れてきた馬を育てる牧場として発展、多くの古墳や集落がつくられた。会場には、古墳や周辺の集落跡地から出土した子馬の形をした埴輪や、祭祀でささげられたとみられる馬の骨、朝鮮半島でつくられた土器など、同市の歴史を物語る出土品が並んでいる。開館は午前9時30分〜午後5時で、月曜日が休館(祝日は開館し、翌日が休館)。問い合わせは同資料館(072・878・4558)へ。

(2013年10月27日 読売新聞)

1570よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:40:48 ID:F8KRTU.o0
澪標 ―みおつくし―

大阪を代表する神社
中村 文隆 生國魂神社権禰宜
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/131018/20131018051.html

 
前稿でいくたまさんは大阪最古の神社であるとお伝えしました。では大阪に鎮座する他の神社はどれくらいの歴史を有するのでしょうか。代表的な神社を中心に見ていきます。

 まず、神社といえば祭り、祭りといえば大阪で真っ先に名前の上がるのが、天神祭であることに異論は少ないでしょう。東京の神田祭、京都の祇園祭と並び、日本三大祭りの一角として他府県からも多数の参拝者が来訪し、大阪の観光行事の中心的な役割を担っています。

 この浪速っ子を魅了し続ける天神祭を齋行(さいこう)している神社が大阪天満宮です。菅原道真公をご祭神としてお祀(まつ)りされており、平安貴族として隆昌を極めながらも非業の死を遂げられた官公の、没後約半世紀を経た天暦3(949)年に、第62代・村上天皇の勅願によって創建されたと伝わりますから、1100年近い歴史を有します。

 次に夏から冬に目を転じますと、宝恵駕籠(かご)行列を挙行し、商都大阪に新春を告げる十日戎(えびす)で全国にその名を知られる今宮戎神社があります。通常「えべっさん」と呼ばれる同神社の縁起は、東アジア初の女帝、第33代・推古天皇の御代に、摂政・聖徳太子の四天王寺建立に際して、同寺西方の護(まも)り神としてお祀りされたのが初めと伝わります。『日本書紀』によると、同寺の建立は推古元(593)年に始まると記されていますので、えべっさんの歴史も1400年を超えることになります。

 また、大阪で最も代表的な神社といえば、住吉区や東住吉区、住之江区など、行政区名にも広範囲にわたって名を留める住吉大社が挙げられます。大阪では親しく「すみよっさん」と呼ばれていますが、全国に2千社以上鎮座する住吉神社の総本宮であり、新年の初詣では東京の明治神宮、京都の伏見稲荷大社と並び、全国でも屈指の参拝者数を誇ります。僧・永祐の撰と伝わる室町時代ころの書物で、神代から第93代・後伏見天皇までの歴史を記した『帝王編年紀』によりますと、神功皇后11(211)年、第14代・仲哀天皇の后(きさき)である神功皇后自らが住吉大神をお祀りされたと記されており、よってご由緒は1800年を超えます。

 もちろんこれらの他にも大阪には日本史のエポックとなった神社が多数鎮座していますが、それらはおおよそいま見てきた3社と同じ1000年〜1800年前の範疇(はんちゅう)に収まります

 一方、大阪最古といわれるいくたまさんのご由緒は「神武東征の砌(みぎり)」と伝わりますから、それよりさらに900年ほど遡(さかのぼ)ります。それはまさに神話と歴史のつなぎ目となる時代であり、そのつなぎ目の時間軸が約2700年前、そして場所軸がこの大阪となります。

 次稿ではそのあたりを掘り下げ、大阪の歴史が日本の歴史の始まりであるということを見て行きたいと思います。

 (なかむら・ふみたか 大阪市天王寺区)








2013年10月18日

1571よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/10/27(日) 21:44:03 ID:F8KRTU.o0
>>1570

>前稿でいくたまさんは大阪最古の神社であるとお伝えしました。


澪標 ―みおつくし―

神社や神道を身近に
中村 文隆 生國魂神社権禰宜
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/130903/20130903028.html

  大阪上本町界隈(かいわい)に鎮座する「いくたまさん」で、平成11年より神職をしております中村文隆と申します。

 大阪人の大半は当神社をいくたまさんと親しく呼称しておられますので、以下特段の事情がない限り、私も文中ではいくたまさんと表記しますが、正式なご社名は「生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)」と言います。こう言うと慣れ親しんだ神社が、何か遠い存在に感じますね(笑)。

 このはんなりとした神社と人の近さも上方文化の一つでしょう。東京旅行で明治神宮に参拝して「明治さんへ行って来た」とおっしゃるかたは稀(まれ)ではないでしょうか。前置きなしに聞かされると、どこへ行ったのか皆目見当もつきません。鎌倉の鶴ケ岡八幡宮に至っては「鶴ケ岡さん」という言葉すら聞いたことがありません。

 そのようなことはさて置き、このたびは貴重な紙面をお借りし、私たちにとって身近であり、かつ意外と知らない神社や神道に関連するお話を5回にわたって寄稿させていただく機会を頂戴しました。

 ご依頼を頂いた当初、神社についての一般的な概要を、1回ごとの読み切りでご紹介しようかと漠然と考えていました。しかし、そのような、どこに出してもご理解いただける平たい内容は既に巷(ちまた)に溢(あふ)れていますので、大阪日日新聞さんならではの地元大阪に特化したお話をいくたまさんを通じて提供し、より身近に神社を感じていただけるよう、ご由緒のポイントを整理しました。

 とても長い歴史を有する神社ですので細部にこだわると膨大な紙幅が必要なため、おおまかなエピソードを中心に追って行きたいと思いますが、それでも号を跨(また)ぎますこと、また、あくまで私中村が日々のご奉仕の中で感じた個人の主観でありますことをお許しください。

 平素の神社でのお勤めは、お掃除に始まりお掃除に終わると言っても過言ではありませんが、それは精神的なお祓(はら)いの物理化がお掃除であるからに他なりません。試験前に慌てて部屋の掃除から始める人がいますが、ある意味理に適(かな)っていますね、私もそうですが(笑)。

 ご参拝の方とのご縁も境内でホウキを持っている時に頂くものが多く、その中でもよく耳にするのは、「いくたまさんってどんな神様ですか?」と言う類のご質問です。そんな時、決まって私は「大阪で一番古い神社で、日本列島そのものの神様なんですよ」とお答えしています。

 旅行でご来阪されたかたかと思い、「どちらからお越しですか?」と逆に問いかけますと、流暢(りゅうちょう)な関西弁で「いや、長年大阪に住んでて、何度かいくたまさんにはお参りしたことがあるんですが、今まで深く考えたことがなくて」、なんていうお答えがしばしば返ってきます。

 では大阪で一番古い神社とは、いったいどれくらい昔のことなのでしょうか。

 次回はその辺りを中心に見て行きたいと思います。

 (大阪市天王寺区)


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