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社会問題について語るスレ

804よっさん:2008/06/25(水) 00:16:22
大阪日日新聞より
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/080624/20080624001.html
公害訴訟闘いの記録 患者と家族の会が本出版
2008/06/24
 車の排ガスや工場ばい煙の大気汚染で、ぜんそくや気管支炎などを患った大阪市西淀川区の住民らが国や道路公団、電力やガスなどの企業十社の責任を問うた「西淀川公害訴訟」。提訴から三十年になるのを機に、西淀川公害患者と家族の会が一冊の本をまとめた。深刻な被害を原点に「命を削って」立ち上がり、全面和解を勝ち取った患者自らによる闘いの記録だ。会長で訴訟の原告団長だった森脇君雄さん(72)は「被害からすべてが始まり、一人一人が必死で声を上げ世論や裁判所を動かした。今後の公害や環境問題の解決に生かしてほしい」と話している。

 「西淀川公害を語る」(本の泉社、B5判、三百六十七ページ、千八百円)。訴訟は公害病認定患者と遺族らが一九七八年から四次にわたって提訴。九五年に被告企業側が謝罪と解決金約四十億円を払い、九八年には国と道路公団とも公害の防止対策を約束することなどで和解が成立した。

 本は、和解金の一部で高齢化した公害患者が「安心して老後を過ごせるように」とできたデイサービスセンターの日常からつづられる。それが「公害との闘いとの一里塚」だからだ。

 患者や遺族らの苦しみも記した。七歳の男児は、ぜんそくの発作時に畳をかきむしり、血で染めた。はいつくばって発作に耐える背中を母がさするうちにランニングシャツも擦り切れた。女性は発作がひどくなると食べ物を全部吐き、壁やベッドの鉄枠に頭を打ちつけて暴れた。二十四歳で亡くなったときに母は「いつも背中を丸めて発作をこらえている姿しか印象になく、背が高かったのに驚いた」という。

 七〇年ごろから公害の反対運動に火がついた。だが、道のりは長かった。西淀川は排煙する工場の大半が区外にある「もらい公害」。汚染物質がどれだけたどり着いているかを立証するのが難しく、企業側から「ニセ患者扱い」にもされた。経済界などが求めた二酸化窒素の基準緩和や、大気汚染の指定地域解除などの動きもあった。

 それでも、被害者こそが先頭に立ち、きれいな空気を取り戻すために訴え続けた。「加害者を明らかにすることが公害をなくす第一歩」で、勝利和解から、環境再生に向けた新しいまちづくりにも手をつけた。

 和解金の一部で設立されたあおぞら財団の理事長も務める森脇さんは「多くの人の命が奪われ、残された人はいまでも被害を語り続けている。何としても子や孫の世代にきれいな青い空を手渡したいんです」


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