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名言

36なかにし礼:2019/12/23(月) 12:45:43
1938年、中国・牡丹江市生まれ。立教大文学部卒。在学中からシャンソンの訳詩を手がけ、菅原洋一に提供した「知りたくないの」のヒットを機に作詩家となる。「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」で日本レコード大賞。その後、作家活動を始め、2000年「長崎ぶらぶら節」で直木賞。(写真、小林裕幸)
「言葉のあやだけではオリジナルはできない。自分の中に潜り込み、自分とは何か、自分が表現したいものは何かを探るしかない。そこで戦争体験がカギになりました。体験そのままでは歌にならないから、自分なりに化粧を施し、恋の歌に仕立てたのです。複雑な感情や物語を理解してもらうのは難しいけれど、何事も恋愛に置き換えて表現すると明快になるものです」
初めて戦争体験から生まれた曲は、黛ジュンさんの歌った『恋のハレルヤ』(鈴木邦彦作曲)だった。

「僕は満州(現中国東北部)生まれで、旧ソ連軍の侵攻を受けて命からがらコロ島にたどり着いた。小高い砂丘を登ると真っ青な海と真っ青な空が見えました。沖には僕らを乗せる引き揚げ船が浮かんでいる。あのときの感動に言葉を与えたら『ハレルヤ』になった。愛されたくて愛したんじゃない……といった歌詞ですが、愛するふるさと満州に対する恋歌なんですよ」

「『人形の家』(川口真作曲)は弘田三枝子さんの歌でヒットしました。愛されて捨てられて、忘れられた部屋のかたすみ、私はあなたに命をあずけた……という歌詞の底にも、実は引き揚げの体験があるのです」

「1945年8月14日、日本の外務省は在外邦人について『できる限り現地に定着させる』との方針を出しています。帰ってくるなということですよ。顔も見たくないほど、あなたに嫌われるなんて……。この『人形の家』の歌い出しの裏には、日本国民や日本政府から顔も見たくないほど嫌われるなんて……という思いがあったわけです」


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