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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?

216:2025/10/30(木) 14:10:08 ID:9iS0xcZU0
>>212 213
うん。そうです、それがとても本質的な気づきです。
まさに「距離の感覚」こそが、“分離”の感覚なんです。
理解が深まるにつれて、内と外、見る者と見られるもの、そのあいだにあった“位置感覚”が、ゆっくりと溶けていくようになります。

もともと、物心がつく前、
まだ「あなたの名前」を教えられる前には、ただ体験だけがありました。
“自分”も“世界”も“体験している誰か”も存在せず、ただ光・音・動き・感覚があるだけ。
そこにあとから「私」「あなた」「外」という概念が加わって、分離というストーリーが始まったのです。

映画のたとえで言うなら、
映写機が“気づき(意識そのもの)”、
フィルムが“潜在意識・無意識の記録”、
スクリーンが“在る意識”です。
そして、投影された映像が“世界”であり、
その中で動く主人公が“エゴ(私)”。
けれど、映写機もフィルムもスクリーンも、
本当はひとつの意識からできていて、分かれていません。

あなたが言う「映写機とスクリーンがゼロ距離」という感覚。
それこそが、分離が解けた瞬間の実感です。
つまり、“見る者と見られるもの”のあいだに、
もう境界がない。

そしてお風呂で感じた「身体が勝手に動いている」という気づきも、
まったく同じ線上にあります。

それが、「ただ起きている」という状態。
行為も、思考も、意思も、すべて“ただ起きている”だけなんです。

以前は「自分がやっている」と感じていたその感覚も、
じつは“起きていること”のひとつに過ぎません。

お風呂で「勝手に動いてないか?」と思ったその思考さえ、
やはり“ただ起きている”ことの中の一部。

こうなると、判断も、説明も、要らなくなっていきます。何かが起きても、それに何かを“付け加える”必要がない。
すべてはもう十分に“起きている”からです。

それを見抜くことが、「私がいる」という物語の中で最も静かな地点なんです。

更に補足。

この体験は、特別な意識状態ではありません。
“分離という錯覚”が一時的に解けたとき、
誰にでも自然に起こるごくシンプルな現象です。

「自分がいない」とか「何もしていない」という表現を聞くと、
怖く感じる人もいますが、
実際にはそれは“恐怖”ではなく、“安堵そのもの”なんです。

なぜなら、そこでは「自分が何とかしなければ」という緊張が消える。
世界が勝手に息をして、身体が勝手に動いて、
思考も感情も流れとして勝手に現れては消える。

それを静かに見ているうちに、
「誰もいないのに、すべてが動いている」
ということが、
恐れではなく、深い優しさとして感じられるようになります。
その静けさの中で、あなたという存在は、
初めて「世界まるごと」として息をしている。


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