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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
197
:
り
:2025/10/25(土) 19:29:10 ID:5ehM04HI0
>>191
>あなたはシフトが起こったあと、静まりきった純粋意識として心も世界も起こるがままに見ている。
私はここから先は体験してなくて聞いた話でしかないのですけど、あなたが見ている「心=世界」は養分の供給が絶たれているので、いずれ消えるはずです。認識が消えます。
あなたは「心=世界」が消えるところまで進んだでしょうか?その時どうなったでしょうか?
ここが最終の分岐点なんだそうです。
→これはあくまで私見ですが、
「純粋意識の発見」とは、いわゆる“小悟”“見性”“悟り体験”と呼ばれる段階だと思います。
そこから、純粋意識こそが真の主体であるという認識が深まり、安定していく。
これが「識別」「気づきの深化」「安定期」と呼ばれるプロセスです。
つまり、悟った者は、少しずつ“悟りそのもの”へと静かに移行していきます。
その気づき(純粋意識)が心=世界を浄化し、
「私はエゴである」という信念を少しずつ解体していくのです。
ここまでが、“努力”によって可能な領域です。
>それで、シフトとは何ですか?純粋意識さえ超えるというのはどういうことなのでしょう。
→そして、あるとき起こるのが「シフト」(表現はいろいろあります)。
これは、純粋意識さえも超えていく段階。
あなたの言う「真の恩寵」です。
「心=世界が消える」とは、
心=世界が“現実である”という思い込みが完全に消える、という意味です。
たとえるなら、夢を見ている最中であっても、
その奥には常に“熟睡”がある。
そして本当は、“熟睡しかない”。
つまり、「心=世界」は、
“あるように見えても、見えなくても”、
すでに消えている──という直接的な理解です。
その後、表面的には「悟後の修行」「浄化」「統合」などが起こるかもしれませんが、
それらはもはや“走馬灯”のようなものです。
>そして殆どの場合、心が復活するそうです。
これが劣ってるとか失敗とかではなく、ただそうなるだけ。
あなたは心が再活動し、もう一度世界が出現したのでしょうか?
→いわゆる「心が止まった」「再活動した」といった出来事も、
真理そのものから見れば動いていません。
「不動」も「動き」も「再活動」も、すべて“起きていない”のです。
そして、それを気にする「誰か」が起きても起きなくても、初めから何も起きていません。
だから奇妙な話ですが、
「シフト」を経た者が“修行者のフリをしてグルのもとで修行する”というリーラ(神の戯れ)が起きたとしても、笑
その者はすでに“無為”のまま、“全自動”の“役者”なのです。
>そもそも、ここで話してはいけない領域だと思います。
→だからこそ、メタファーで話しています。笑
>分岐であちらに行ったら、つまり合一する方へ行ったなら(便宜上こう表現します)どうなるか?
合一は至福そのもとなるなんて表現されてますけど…、至福そのものは物足りない。
だからリーラ(二元)(世界創造)があり楽しむ。
神は自らの内に創造と破壊を繰り返す、とかいうやつです。
→真理そのものは、世界も時間も空間も超えています。
リーラの影響を受けることはありません。
そして「至福」とは、
“世界・個人″から見た“真理そのもの”を表現するための方便的な言葉です。
それ自身は、概念を超え、
“超えている”ということさえも知りません。
>知識をもとに現象面を想像してみると、対象として見えている個性は身体と共に消失するのかな?
→個性や身体を「私である」と感じる感覚が、完全に消え去ります。
また、その感覚が消えたかどうかを気にする者が起きても起きなくても、
真理そのものは真理そのもので在るだけです。
>いわゆる聖者は、信心深い人間に望まれて、合一(不二一元)から地上(二元)へと身と心をまとい出現する個性なんだと思います。
→彼らは夢の中で、夢の住人を目覚めさせるために現れる──夢自身の神聖な“目覚めの側面”の表現です。その個性は、真我からの呼びかけとも言えます。
>それとは別で、至福そのものでありながら、リーラを見るだけではなく舞台で演じる役者もやってみたい。
そこで生まれるのが私達人間。
はじめの頃は、こんなこともあるのかな?と楽しく想像してたのを思い出しました。
私のルートでの個人的な話です。あなたとは違うなら、そんなお話もあるかと面白がってください。
→はい、そうかもしれません。
しかし同時に、それらも、ただ起こっているだけです。
言語化した瞬間、真理の言葉はどうしてもパラドックス(または、二律背反)になります。
けれど、それでいいのです。
言葉は、沈黙の縁に立っている証拠ですから。
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