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私共の拝むj御形木御本尊に関する話題

173釈子・創価門流:2010/11/23(火) 23:09:43 ID:CSmnFY5k0
>>172
確かに、『日興上人御遺跡事』には日目師・日善師・日仙師連判にて
「日蓮聖人御影、井ニ御下シ文・・・本門寺建立之時ハ本堂ニ納メ奉ル可シ」
(日蓮宗宗学全書第2巻 目師之部 P202)
とございますね。

でも、御影がいつから本尊として成り立ったのでしょう?

日興上人が、日蓮聖人御影に対しての執着の強さが発展したためでしょうか?

①『西御坊御返事』(日興上人全集 P155)
「聖人御影の御寶前に申上まいあらせ候了」
②『了性御房御返事』(同 p173)
「法華聖人の御寶前に申上まいらせ候了。」
③『弁阿闍梨御返事』(同 P182)
「御状法主聖人御神殿備進奉候了。」
④『民部公御房御返事』(同 P183)
「貴状先師寶前讀上候了。」
等々、門下・信徒からの御供養物・状を毎々に日蓮大聖人の御影に供えて(報告)
いた事がわかります。

174求道の人:2010/11/23(火) 23:30:20 ID:yrxG4b3w0

釈子・創価門流さん、ご無沙汰です。

本門戒壇思想は重須では日順師に、郷門では日伝師、尊門では日大師にと興門上代の諸師からみられますので、日興上人の段階で本門戒壇思想あるいはそのもととなる考えがあったことは間違いないと思います。

日興上人御消息文にみえる御影信仰の形跡は、本門戒壇を意識してのものと思います。

日昭・日朗両師は弟子を比叡山の大乗戒壇で受戒させているわけです。
受戒は聖僧の手によって仏門を志す沙彌に行われる儀式ですが、日興上人は末法における聖僧は法主日蓮聖人唯お一人と考えていたものと思われ、それゆえに本門戒壇には日蓮聖人御影を安置し、日蓮聖人より受戒を受ける儀式の場所としたかったのではないでしょうか。

御影=本尊というよりは、御影をもって生身の日蓮聖人と拝し、本門戒壇にて常住にて説法を続けるゆえに富士門流では読経の祖師像を用いたのではないかと思えてなりません。

そして御影(生身の日蓮聖人)より受戒を受けるという儀式を模索したのではないかと。

175釈子・創価門流:2010/11/24(水) 00:14:48 ID:CSmnFY5k0
求道の人さん、こちらこそご無沙汰しております。

⇒"受戒"。確かに戒壇堂とは"受戒"の場になりますね。
 日目師の消息文(全書第2巻 目師之部 P219)
「日本一のくぬぎ一だ御はし三百ぜん、をくり給候て、聖人の御影に申あげ候了」
にありますが、大石寺住持・日目師の言や、日代師の言など、富士上古では重須・石山の
両山にて聖人御影を御安置していたのですね。
 そうすると、戒壇とは両山に成立していたのでしょうか?
それか、大師講のように聖人御影の御前にて説法の場という意味合い色が強かったのか。

⇒日昭上人は「権律師」「法印」の号を比叡山より賜っていますね。
  日昭上人・日朗上人と日興上人とで、滅後に受戒の意識に付いてこうも隔たりがるのは
 すごいですね。

176求道の人:2010/11/24(水) 21:20:18 ID:yrxG4b3w0

釈子・創価門流さん、

日興上人も日目上人も、恐らくは本門戒壇は「国主立」と考えていたでしょうから、自前の御影堂は本門戒壇を模したものと認識していたのではないでしょうか。

本門題目・本門本尊・本門戒壇はそれぞれ独立した側面があると思います。
「本門戒壇の本尊」は後世創作で、本門戒壇に本尊は安置しないのが上代の思想と思います。

特に興門では御影堂=本堂ですが、国主立の戒壇が建立されなかった事実から、本山格の寺院では受戒の場として日蓮聖人御影を奉安する場所を本堂(御影堂)としていったのではないでしょうか。

資料手放しで大雑把な表現にて失礼致しました。

178岩志九郎:2013/10/26(土) 13:43:28 ID:???0
新しい掲示板を見つけました。 宗教掲示板を紹介します。 
  
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創価カルト、池田先生のスレッドが沢山あって、面白いですよ。
カルトの皆さんも、どんどん投稿しましょうね。


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