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私共の拝むj御形木御本尊に関する話題

162沖浦克治:2010/11/21(日) 21:50:03 ID:AJ3hr85o0
 先ほど支部長の家に訪問いたしました。

 たまたま戒壇本尊の話になって、私が、

 聖人御難事は10月1日で、戒壇本尊は12日。
 ですので、聖人御難事での、余は27年なり。が示す事実は、戒壇本尊とは無関係です。
 更に、編年体御書には、弘安2年10月12日付けの御書が編纂されていて、そこには戒壇本尊は一言も出てこない。
 道師の三師御伝土代には、戒壇本尊図顕をに否定的な記述がある。
 有師の本尊論に、戒壇本尊は全く出ない。
 ですので、戒壇本尊本懐論は、明らかに間違いです。

 このように言いましたら、支部長はその場でご納得でしたが、婦人部長さんは、驚かれたようでした。

163釈子・創価門流:2010/11/22(月) 00:32:25 ID:CSmnFY5k0
>>162
弘安の板本尊は、日蓮大聖人とは無関係でしょう。
 六老僧・富士上古の諸師文献には見えません。

164沖浦克治:2010/11/22(月) 07:14:01 ID:AJ3hr85o0
 釈子・創価門流 さん、おはようございます

 無関係ではありません。
 大聖人御図顕の本物の御本尊です。

 大聖人ご直筆か?
 書写か?
 書写なら在家か出家か?

 これは余事です。

165釈子・創価門流:2010/11/22(月) 12:15:06 ID:tS0VJAUw0
こんにちは、沖浦さん。

石山の板本尊は、日蓮大聖人の御真筆法華文字曼荼羅から一部を模し、諸尊を
創作あるいはパクッテ出来た物です。

大聖人御図顕=本物と言えるのでしょうか?
 パッチワーク本尊でしょう。
犀角独歩氏や金原氏や宿坊さんが、明快に答えられていますので、ご参照ください。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51202191.html

166備前 ◆TtzwqSGci2:2010/11/22(月) 14:51:16 ID:g2zr24dw0
  こう言うスレもあったのですね、今頃気が付いた (笑

  初めまして、釈子・創価門流さん

   > 大聖人御図顕=本物と言えるのでしょうか?
   > パッチワーク本尊でしょう。

  パッチワ−クであろうが書写御本尊であろうが、大聖人御図顕御本尊と違いますか?
  沖浦さんも、大聖人直造とは言われてませんよね。
  釈子・創価門流さんが、名を挙げられている人達も、「戒壇御本尊」自体をを「偽」と謂っている訳ではありませんよね?

  「大聖人直造」と言う事に対して「偽(直造では無い)」と言っているのです。そこら辺を履き違えるとエライ誤解の元となります。

167日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/11/22(月) 15:37:48 ID:8FNX.yWoO
創価草創の書籍「折伏教典」にありました。私の記憶です。

日蓮宗?勝劣一致派?石山?池上?
なんだか忘れましたが、

『真筆だからと言って、それが大聖人の本意に適ったものかどうか。』
についての記述です。
答えは、真筆だからといって、本意とは関係ない。って内容だったと思います。

今から始まろうとする??このスレッドの議論は、それと同じように感じて見ておりました。
その上で、私の考えを述べます。
題して、《私の考え》
・私は10月12日を想い、
・その数日前の大聖人の御心に自身の思いをめぐらせながら、
・池田先生の指導を通し、・我が家の御本尊がその時に顕された御本尊とまったく差別なく同じだと
・祈る事が肝要かと思います。

以上、これは「理」であり(:_;)、私が祈ることで始めて「事」になりますね(-.-;)。


横から私事、失礼いたしましたm(__)m。

追伸、沖浦さんへ(^_^;)。
支部長宅での昨晩の件(^_^;)。昨日読んでました。

なんともコメントのしようがありません(:_;)。
誤解を招かないようにと(^_^;)願っております。

168日々前進(朗らか) ◆kzJPIT27Ks:2010/11/22(月) 15:41:47 ID:8FNX.yWoO
>>165
お久しぶりです(^.^)。
コチラの方(この掲示板の方々)よりも詳しい方がおりますが(^_^;)。
他所の掲示板の方ですが。
紹介しましょうか(笑)?。

169沖浦克治:2010/11/22(月) 15:54:49 ID:AJ3hr85o0
釈子・創価門流さん

 芭蕉の句、

 古池や 蛙飛び込む 水の音

 誰が何処で何に書いても、松尾芭蕉の句です。
 御本尊も同じです。
 誰が何時何処で何にどうやって書いても。
 大聖人御図顕の御本尊です。

 犀角さんと、金原さんの本は読んでいません。 
 私は昭和54年から、今の意見です。
 あの方々は、私の後発ですね。

170釈子・創価門流:2010/11/23(火) 01:22:35 ID:CSmnFY5k0
板マンダラに付いて

⇒日蓮大聖人とは無関係と申した事は、日蓮大聖人の真意として何ら無関係で、似せて作るために、日禅師授与曼荼羅の一部をもってき、
残った部分を創作あるいは、何処から持ってきて出来上がった彫刻本尊であると。
 本尊を利用した、悪意にしか感じないということです。

顕発相貎が同じであれば、何でも日蓮大聖人の法華文字曼荼羅になるという道理は理解はしております。

⇒「戒壇の本尊」という言葉が日蓮大聖人の真意として有効かは疑わしいのですが、法華文字曼荼羅に
  図顕された通りの造像本尊であると私は思っております。

171沖浦克治:2010/11/23(火) 07:00:48 ID:AJ3hr85o0
釈子・創価門流 さん、おはようございます

 戒壇本尊は、御書に一言も出ていませんから、嘘だと思います。
 寛師は人師ですから、彼の説は無視していいでしょうね。
 後年、戒壇本尊を広宣流布に上手く利用なされたのが戸田先生です。
 しかしながら、世界広布が現実に進む今、過去の物となりました。
 そのうち、創価の中では消滅する思想でしょうね。

172求道の人:2010/11/23(火) 10:46:50 ID:yrxG4b3w0

能勢順道師の諸記録第1部によれば、大石寺御影堂の棟札に日精師の筆にて「本門戒壇本堂」と記されていることから、日目師らによって執筆された「日興上人御遺跡事」にみえる「本門寺本堂」(日蓮聖人御影安置すると出ている)を、大石寺では「本門戒壇」と解釈したのでしょう。

また日精師は「板本尊あるゆえに御堂とはいうなり」と家中抄に記されていますから、御影と板本尊のセットが江戸初期までの大石寺の「本門戒壇本尊」と解することができます。

所謂「本門戒壇の大御本尊」一体に人と法を見るのは、日寛師の独創かもしれませんね。

173釈子・創価門流:2010/11/23(火) 23:09:43 ID:CSmnFY5k0
>>172
確かに、『日興上人御遺跡事』には日目師・日善師・日仙師連判にて
「日蓮聖人御影、井ニ御下シ文・・・本門寺建立之時ハ本堂ニ納メ奉ル可シ」
(日蓮宗宗学全書第2巻 目師之部 P202)
とございますね。

でも、御影がいつから本尊として成り立ったのでしょう?

日興上人が、日蓮聖人御影に対しての執着の強さが発展したためでしょうか?

①『西御坊御返事』(日興上人全集 P155)
「聖人御影の御寶前に申上まいあらせ候了」
②『了性御房御返事』(同 p173)
「法華聖人の御寶前に申上まいらせ候了。」
③『弁阿闍梨御返事』(同 P182)
「御状法主聖人御神殿備進奉候了。」
④『民部公御房御返事』(同 P183)
「貴状先師寶前讀上候了。」
等々、門下・信徒からの御供養物・状を毎々に日蓮大聖人の御影に供えて(報告)
いた事がわかります。

174求道の人:2010/11/23(火) 23:30:20 ID:yrxG4b3w0

釈子・創価門流さん、ご無沙汰です。

本門戒壇思想は重須では日順師に、郷門では日伝師、尊門では日大師にと興門上代の諸師からみられますので、日興上人の段階で本門戒壇思想あるいはそのもととなる考えがあったことは間違いないと思います。

日興上人御消息文にみえる御影信仰の形跡は、本門戒壇を意識してのものと思います。

日昭・日朗両師は弟子を比叡山の大乗戒壇で受戒させているわけです。
受戒は聖僧の手によって仏門を志す沙彌に行われる儀式ですが、日興上人は末法における聖僧は法主日蓮聖人唯お一人と考えていたものと思われ、それゆえに本門戒壇には日蓮聖人御影を安置し、日蓮聖人より受戒を受ける儀式の場所としたかったのではないでしょうか。

御影=本尊というよりは、御影をもって生身の日蓮聖人と拝し、本門戒壇にて常住にて説法を続けるゆえに富士門流では読経の祖師像を用いたのではないかと思えてなりません。

そして御影(生身の日蓮聖人)より受戒を受けるという儀式を模索したのではないかと。

175釈子・創価門流:2010/11/24(水) 00:14:48 ID:CSmnFY5k0
求道の人さん、こちらこそご無沙汰しております。

⇒"受戒"。確かに戒壇堂とは"受戒"の場になりますね。
 日目師の消息文(全書第2巻 目師之部 P219)
「日本一のくぬぎ一だ御はし三百ぜん、をくり給候て、聖人の御影に申あげ候了」
にありますが、大石寺住持・日目師の言や、日代師の言など、富士上古では重須・石山の
両山にて聖人御影を御安置していたのですね。
 そうすると、戒壇とは両山に成立していたのでしょうか?
それか、大師講のように聖人御影の御前にて説法の場という意味合い色が強かったのか。

⇒日昭上人は「権律師」「法印」の号を比叡山より賜っていますね。
  日昭上人・日朗上人と日興上人とで、滅後に受戒の意識に付いてこうも隔たりがるのは
 すごいですね。

176求道の人:2010/11/24(水) 21:20:18 ID:yrxG4b3w0

釈子・創価門流さん、

日興上人も日目上人も、恐らくは本門戒壇は「国主立」と考えていたでしょうから、自前の御影堂は本門戒壇を模したものと認識していたのではないでしょうか。

本門題目・本門本尊・本門戒壇はそれぞれ独立した側面があると思います。
「本門戒壇の本尊」は後世創作で、本門戒壇に本尊は安置しないのが上代の思想と思います。

特に興門では御影堂=本堂ですが、国主立の戒壇が建立されなかった事実から、本山格の寺院では受戒の場として日蓮聖人御影を奉安する場所を本堂(御影堂)としていったのではないでしょうか。

資料手放しで大雑把な表現にて失礼致しました。

178岩志九郎:2013/10/26(土) 13:43:28 ID:???0
新しい掲示板を見つけました。 宗教掲示板を紹介します。 
  
http://shizu.0000.jp/cult/index2.html
宗教@しずちゃん ■ ▼  宗教に関する話題です。
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創価カルト、池田先生のスレッドが沢山あって、面白いですよ。
カルトの皆さんも、どんどん投稿しましょうね。


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