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【転載】投稿記事の掲載。
10
:
有尋有伺
:2020/12/06(日) 13:14:31 ID:6erUuVP60
|5 まだ完全に実践していない智慧の体系を完全に実践するために、
| わたしは他のバラモンまたは(道の人)を尊び、重んじ、
たよって生活したいものである。
| しかしわたしは、神々や悪魔や梵天を含めての全世界のうちで、
| (道の人)やバラモンや神々や人間を含めての生きもののうちで、
| わたしよりも以上に智慧を達成し実践している人なるものを見ない。
| わたしは、その人をこそ尊び敬いたよって生活したいのであるが。
|
|6 まだ完全に実践していない解脱の体系を完全に実践するために、
| わたしは他のバラモンまたは(道の人)を尊び、重んじ、
たよって生活したいものである。
| しかしわたしは、神々や悪魔や梵天を含めての全世界のうちで、
| (道の人)やバラモンや神々や人間を含めての生きもののうちで、
| わたしよりも以上に解脱を達成し実践している人なるものを見ない。
| わたしは、その人をこそ尊び敬いたよって生活したいのであるが。
|
|7 まだ完全に体得していない<われは解脱したと確かめる自覚(智慧と直観)>の
体系を
| 完全に体得するために、わたしは他のバラモンまたは(道の人)を尊び、
| 重んじ、たよって生活したいものである。
| しかしわたしは、神々や悪魔や梵天を含めての全世界のうちで、
| (道の人)やバラモンや神々や人間を含めての生きもののうちで、
| わたしよりも以上に<われは解脱したと確かめる自覚>を
達成している人なるものを見ない。
| わたしはその人をこそ尊び敬いたよって生活したいのであるが。
|
|8 むしろ、わたしは、わたしがさとったこの理法を尊び、
| 敬い、たよって暮らしたらどうだろう。」
|
|9 そのとき世界の主・梵天は、尊師が心の中で考えておられることを知って、
| 譬えば力のある男が、屈した腕を伸ばし、あるいは伸ばした腕を屈するように、
| 梵天界のうちから姿を隠し、尊師の前に現われ出た。
11
:
有尋有伺
:2020/12/06(日) 13:15:09 ID:6erUuVP60
|10 さて世界の主・梵天は、一方の肩に上着をかけて、尊師に向かって合掌し、
| 尊師に向かって次のように言った。
|
|11 「尊いお方さま!そのとおりでございます。
| 過去にさとりを開き、敬われるべき人々であった尊師らも、
| 真理を尊び、重んじて、たよっておられました。
| 未来にさとりを開き、敬われるべき人々である尊師らも、
| 真理を尊び、重んじ、たよられることでしょう。
| また現在さとりを開き、敬われるべき人(単数)である尊師も、
| 真理を尊び、重んじたよるようにしてくださいませ。」
|
|12 世界の主・梵天は、このように言った。
| このように説いたあとで、次いで次のように説いた。
| 「過去にさとりを開いた仏たち、また未来にさとりを開く仏たち、
| また多くの人々の憂いを除く現在の仏、――正しい教えを重んずる
| これらすべての人々は、過去に住したし、現在住し、
また未来に住するであろう。
| これが諸仏にとっての決まりである。
| それ故に、この世においてためになることを達成しようと欲し、
| 偉大な境地を望む人は、仏の教えを憶念して、
| 正しい教えを尊重しなければならない。」
|
| ( 「ブッダ 悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤⅡ」 中村元・訳 )
12
:
有尋有伺
:2020/12/06(日) 13:16:17 ID:6erUuVP60
ここでは、釈尊ご自身が、まだ完全に実践していない、
1.【戒めの体系】を完全に実践するために
2.【禅定の体系】を完全に実践するために
3.【智慧の体系】を完全に実践するために
4.【解脱の体系】を完全に実践するために
そして、まだ完全に体得していない
5.【われは解脱したと確かめる自覚(智慧と直観)>の体系】を完全に体得するために
わたしは他のバラモンまたは(道の人)を尊び、重んじ、
たよって生活したいものである。
と、告白(独白)されています。
つまり、悟りを得た直後の釈尊は、
自分自身が「戒・定・慧・解脱・解脱智見」の成就はしていても、
それがまだ完全なものではないことを「自覚」しておられたのだと私は理解しています。
そして釈尊は、その後で「頼れる師」ではなく、また「教え導く弟子」などでもなく、
「同じ教法」を依処として保ちつつ、
共に「道を」歩むことのできる「善き友」を探しに出かけたのだと考えるのです。
釈尊は、アーナンダ比丘に「善き友を得ることが八正道のすべてである」と
(大パリニッバーナ経の中で)説かれています。
そしてまた、「向上につとめた人は、『わたしは修行者のなかまを導くであろう』とか、
あるいは『修行者のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない」と
断言されています。
そしてその後で、修行者は「自らをたよりとして、人をたよりとぜす、
法をよりどころとしなさい」と諭されているのです。
※2月からは、上記の内容も含めた
「解脱・悟りに至るための体系的な説明@和井恵流」をしたいと考えています。
13
:
有尋有伺
:2020/12/06(日) 13:20:04 ID:6erUuVP60
2 コメント
コメント日が 古い順 | 新しい順
こんばんは。 (エム@石飛)
2010-01-16 01:12:40
和井 恵さま
いつも書き込んでいただいてありがとうございます。石飛です。
わたしも、マニカナの「マジカナ道場」に書いた分を、部分ですが、
コメント欄に書かせていただきますね。
和井恵さまのこの書き込み二つは、とても共感するところ大でした。
それで、思いついたままを書いてしまい、
あっていないところもあるかもしれませんが、お許しください。
===============
No.7184
投稿日 : 2010/01/15(Fri) 23:05:32
投稿者 : 管理人エム
> 経典からは、明らかに逸脱した内容ですので、確認のしようがありませんし、
理論とも言い難いところがありますから…
そう言われますと、そうなのかもしれませんが、わたしも、一つ、
前から思っていたことがありました。
いくら悟っても、それを実践して、うまくやるかどうかは、まったく別の話だなぁ、と。
といいますのは、
相手のいることですから、相手がどう出るかは、
いくらブッダでもわからないこともあると思うのです。
それについて、ちょっと思っていることを、ついでに述べてしまいます。
悟った直後に、ブッダは、ウパカに、自分は一切勝者であり、一切智者だ、
と語るのですが、そのとき「一切智者」は、サッバヴィドゥーということばなのです。
ヴィドゥーは、ヴィディヤー(明知)などとも関連することばで、
「知る」「見出す」「わかる」というような意味があります。
悟ったときには、一切智者といっても、
原理原則的なことがらが自分に明らかになった、
という意味合いが出るのではないかと思います。
ところが、次第に時がたちますと、サッバンニュ(パーリ語)ということばも
使われはじめます。大乗になりますと、こちらの語を用いますね。
サルヴァジュニャ(サンスクリット)と同じです。
このジュニャですが、ジュニャーナと同じ語根から作られていまして、
前にもお話したかもしれませんが、
どちらかといいますと、認識によってわかる具体的な知識を指します。
つまり、たくさんの人を相手に説法をしたり、経験を積んできた結果、
原則的な理解を超えて、実践応用の分野にまで、ブッダの全智者性は、
広がっていったのだ、理解できるのです。
こんばんは、エム先生。 (和井 恵)
2010-01-17 19:59:43
わざわざお越し頂き、ありがとうございます。
時と共に、一切智者を表現する「言葉」の使い方が変化していくんですね…
> つまり、たくさんの人を相手に説法をしたり、経験を積んできた結果、
> 原則的な理解を超えて、実践応用の分野にまで、ブッダの全智者性は、
広がっていったのだ、理解できるのです。
私も同じ考えですね。
ブッダには、すでに歩む道程に迷いなどは無かったでしょうが、
経験することでそれを確実なものとして、
さらに自らをバージョンアップさせることで、
一切勝者・一切智者という存在になっていったのだと理解しています。
そして、そこに至る道筋を明確に示したものが「教法(釈尊の教え)」なのだと
考えているのです。
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