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覚支相応における止住・死没の条件について
8
:
和井 恵
:2013/10/12(土) 01:15:20 ID:/qZ2M5.2
> こういうサイトで気軽に読んでも大丈夫でしょうか。
残念ながら、このサイト〈仏典(哲学之道)〉はお勧めできません。
その理由は、例えば、同じ「念処経」を比較して頂ければ解り易いと思います。
★「哲学之道」 →
http://www.nurs.or.jp/~academy/butten/nenjokyou1.htm
「比丘衆よ、涅槃に至る、一乗の道がある。
その道は、四つの念じる処、四念処観である。
そして、この四つの念処とは、如何なるものか。
第一に、身に対して、不浄であると念じること。
第二に、受に対して、不快であると念じること。
第三に、心に対して、無常であると念じること。
第四に、法に対して、無我であると念じること。」
★「@和井恵流」→
http://www54.atwiki.jp/waikei2008/pages/23.html
「比丘たちよ、この道は、諸々の生けるものたち(有情)が浄化され、
愁いと悲しみを越えて、正理を証得し、涅槃を目の当たりに見るための一本道なのだ。
すなわち、それが四念処なのである。
── 四とは何か?
比丘たちよ、ここに比丘は、
身において身を観続け、熱心に、
正知を備え、念を備えて、世界における欲貪と憂いを除いて住む。
諸々の受において受を観続け、熱心に、
正知を備え、念を備えて、世界における欲貪と憂いを除いて住む。
心において心を観続け、熱心に、
正知を備え、念を備えて、世界における欲貪と憂いを除いて住む。
諸々の法において法を観続け、熱心に、
正知を備え、念を備えて、世界における欲貪と憂いを除いて住む。
「哲学之道」の訳文は、原典を省略したり、内容を勝手に書き換えたりしているのです。
第一に、身に対して、不浄であると念じること。
第二に、受に対して、不快であると念じること。
第三に、心に対して、無常であると念じること。
第四に、法に対して、無我であると念じること。
このような内容は、原典のどこにも書かれてはいませんし、後世に創られた、勝手な「解釈」なのです。
次にまた、比丘たちよ、
どのようにして比丘は、諸々の受において受を観続けて住むのか?
楽を感受すれば〈 私は楽を感受する 〉と知る。
苦を感受すれば〈 私は苦を感受する 〉と知る。
不苦不楽を感受すれば〈 私は不苦不楽を感受する 〉と知る。
欲(五妙欲・五感)に関わる楽を感受すれば〈 私は欲に関わる楽を感受する 〉と知る。
無欲に関わる楽を感受すれば〈 私は無欲に関わる楽を感受する 〉と知る。
欲に関わる苦を感受すれば〈 私は欲に関わる苦を感受する 〉と知る。
無欲に関わる苦を感受すれば〈 私は無欲に関わる苦を感受する 〉と知る。
欲に関わる不苦不楽を感受すれば〈 私は欲に関わる不苦不楽を感受する 〉と知る。
無欲に関わる不苦不楽を感受すれば〈 私は無欲に関わる不苦不楽を感受する 〉と知る。
このように、内(自分)の諸々の受において、受を観続けて住む。
あるいは、外(他人)の諸々の受において、受を観続けて住む。
あるいは、内と外の諸々の受において、受を観続けて住む。
また、諸々の受において生起の法を観続けて住む。
あるいは、諸々の受において滅尽の法を観続けて住む。
あるいは、諸々の受において生起と滅尽の法を観続けて住む。
そして彼には、知った量だけ、憶念した量だけ増大した、
〈 感受はこのようなものである 〉という念が現前する。
彼は、愛や見に依存することなく住み、世間の如何なるものにも執着することがない。
このように、また比丘たちよ、比丘は、諸々の受において受を観続けて住むのだ。
上記は「受」に関する記述ですが、どこにも「受に対して、不快であると念じること。」など示されていません。
四念処の身・受・心・法に、不浄・苦・無常・無我を当てはめて、パターン化して説明するようになったのは、
アビダルマ以降の解釈書などの影響によるもので、このような説明は、ミスリード(誤謬へと導く要因)になってしまうのです。
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