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大日如来はブラフマン
5
:
時
:2013/05/27(月) 02:09:20 ID:kaIVvnv2
> こちらのブログで眼から鱗だったのが「空は非想非非想と同じ」と言うような事が書かれていたのを見た時です。
> なるほどと言う思いでした。
>── 実は、この認識に到達した時に、
>自分の中で、何度も何度も自問自答を繰り返したんですね。
>そして、それが本当に正しいのだと判断するまでには、かなりの時間かかりました。
>何と言っても、大乗仏教が「第一義諦」と呼んでいる教えでしたからね…
>しかし、やっぱり、釈尊の教えのカテゴリーから言えば、「非想非非想処〈Aでは無く、そしてAで無くもない〉」という教えを意味していて、それはまた「四句分別」の四番目の「非A非非A」というカテゴリーを表わしているのです。
>もっと、別の表現をするならば、不一不二の「無分別」という「分別」の領域。
「非想非非想処」は、やはり「七識住」とは次元が違うのですね。。お陰様で「釈尊の教え」と「龍樹の教え」が点で交わった感じがします。有難う御座います。
> 非想非非想処を超えるポイントは、ブログ記事に書いてあります。
> 小空経に説かれている「無相心三昧」のプロセスが、それに当たるのです。
> その1.→
http://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/0228aca4e5b588cfc65771c52a0d13d7
> その2.→
http://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/d5db6a504b400c93a04a8de32f4a275e
ご紹介を有難う御座います。ゆっくりと拝見させて頂きたいと思います。
> 非想非非想処を超えて、尚かつ「気絶状態」を克服しているならば「想受滅定」なのです。
気絶状態ですか・・・何か凄まじいですね。
> ※ 涅槃とは、どの世界〈処〉に居ようとも、渇愛の働きが滅していれば、それが「涅槃」なのです。
> 何処に居ようとも、そこで渇愛を有していれば「涅槃」では無く、渇愛を滅していれば「涅槃」なのです。
理解しました、有難う御座います。
> 大乗仏教の目的は「衆生済度」です。
> 大日如来なども、基本は「空」なので、仮設された仏〈方便〉なのですが、しかし、ただそれだけではありません。
> 密教で大切な一つのポイントとして、「法力〈超越的な加持力〉」の体現を必要とするのです。
> それを発動させるためのシステムとして、大日如来を中心とした「曼荼羅」が役に立つのです。
> つまり、単なる「バラモン教のブラフマンの思想形態」とは、似て非なるもの…なのですね。
漠然とした私の知識では、やはり理解が起こらないようです。今は密教等は置いて置く事にします。
もう一つ教えていただきたいのですが・・
空は非想非非想と同じ次元ならば、有頂天と表現される「非想非非想処」は、まだ無明の残る「有の世界」なのではないのですか。それと同じ次元の「空」を説いていると言うことは・・「衆生済度」は可能なのでしょうかね?大乗の僧は、自らの悟りを遅らせてでも「衆生済度」を説いているのでしょうか。。。小乗をなさぬのに大乗をなせるものなのでしょうか。。僧侶の修行においても、我々凡夫に教えを説いていただけるにしても「空」なのですよね。「衆生済度」を説かれる大乗の僧侶は、釈尊の教えの「想受滅定」等はマスターされているのでしょうか。(何か私の認識の間違いがあるのかもしれませんが、出家者用の空を越える教えがあるのでしょうか・・)
表現等、勉強不足であまり的確ではないかも知れませんが、よろしくお願いします。
>いえ、いつでもお気軽においでください。
ご丁寧に、有難う御座います。
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