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教 学

56匿 名:2009/11/16(月) 22:20:13
>(ご利益を)求めず受け取らないこと。それが釈迦の教えなのに、カルト信者はそれと逆のことを行っている

釈尊のいう功徳とは、御利益を求めないことであり、阿含宗のいう功徳とは、御利益を求めることですから、まったく逆です。
たぶん、功徳などの言葉は釈尊時代の宗教や社会でも用いられ、元々の意味は、むしろ、阿含宗のいう御利益の意味であったかもしれません。
釈尊は当時の人たちが使っているわかりやすい言葉をそのまま用いて、別な意味を入れて自分の教法を理解させるのが得意でした。
バラモン階級を正面から否定せず、「真のバラモン」と表現して、実際は階級への奢りや差別意識をなくした比丘を指した。
護摩を焚く者にも、欲望に満ちた自分の心を如実に観察し、煩悩をなくすという意味で、
「内面的にのみ光輝を燃焼させる」というたとえをしています。
当時の人たちが求めている御利益である功徳や福徳を、煩悩から解放され、なにものにも囚われない平安な心という意味に置き換えたのでしょう。
人々の求める御利益を使って、御利益を求めないことを説いた。
人間の欲望に反することを釈尊は説いたのだから、なかなか受け入れがたく、二千五百年たっても、まだ御利益の先祖返りをしているのが阿含宗です。

釈尊は悟りを開いた時、この教法は欲望に満ちた世俗の人々には理解しがたく、
説いても自分には疲労をもって報いられるだけだから、説くのをやめようと決心しています。
阿含宗は日本では唯一、公式に阿含経を依経としている。 この点からだけいけば、釈尊の教法に最も近いはずです。
二千五百年たって、阿含経を依経とするという阿含宗のこの有様を見ると、釈尊の最初の決心もわかるような気がします。
阿含宗の信者たちは、後ろからは霊障と悪因縁の恐怖で追い立てられ、
前には因縁解脱や能力開発の御利益に釣られて、必死に食いつこうと追いかけている。
恐怖や欲望を克服するように説いた釈尊の教法をもっとも信じているはずの人たちが、信仰を持たない普通の人たちよりもはるかに恐怖心が強く、はるかに欲望が強い。
阿含宗では霊障のホトケといって、道理や理屈ぬきに苦しむ存在とされています。
しかし、信者たちの、恐怖と欲望に煽られ、これを釈迦の教法だと信じて、
桐山さんとヤクザたちのアメとムチに追い立てられる姿は まさに生きた不成仏霊、生きた霊障のホトケです。


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