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教 学

119匿 名:2015/04/08(水) 22:36:35
◆定 記◆
http://www.geocities.jp/hanennokai/sinnyo.data.2.teiki.htm

昭和五十一年九月中旬より二ヶ月間に亘って立川市柴崎町の中央病院に入院。
危険は免れたが、入院中しみじみと考えたことは教団の責任者としての私の後継者の事であり、かつて摂受院が生存中は、二人で布教運営にあたり、種々苦難を乗り越え、また他に迷惑をかけることもなんら無く何らなくやってきたが、摂受院死後において苑は栄えてはきたが、教化の浸透においては、摂受院の存命中のようにはいかなかった。

しかし無論娘たちに対する教務所員、幹部教徒の協力が今日、即ち昭和五十一年第二精舎の設定に向かって進んでいることは、本当に尊いことではあったが特に強く感じられたことは、病を通して真理を見い出せの理のごとく夢をば通し、また実際的には長女暎子が苑を離れてからの苑内におけるところの教化活動は、運営や経験の実際を通しての果などから心痛の結果、心に定められたものは、即ち苑主としての私、即ち真乗の後継者はだれにするかということであった。

それは現在の摂受の精舎も物心共に建ちあげるまで、教主たる私と苑主である摂受院とが教徒や幹部方と一体となってきたもので、さらに言うなら摂受院の土台があってはじめて昭和五十一年第二精舎の建設にかかり、五十二年にかけて、初めて今日の教団があるものを信ずるのである。

さて、そこで決定しておくべきことは、次代を担う苑主であるが、これは娘達のだれがやっても一人では到底むずかしい事で、二人の者が一体となって務めていく 即ち、あらためて表苑主と裏苑主で教団も大きくなってきているので一枚の紙で言ったら、表と裏で離れることのない一体的なもので運営して行くべきである。

即ち、表苑主に裏苑主二人で一体となっての運営である。真澄寺首座においても、表首座に裏首座で表裏一体となって行く。苑規の上から言ったら着任と共に大僧正ということになるが、まだ娘達は若いゆえ表苑主に裏苑主、それに表首座に裏首座(以下略して表・裏と示す) いずれも着任と共に表も裏も権大僧正とすること。

本来なれば、着任と共に大僧正であるが、表と裏ゆえ、一段下げて権大僧正として諸務にあたること。
ただし、総本部での法要を務める時は、表は緋の衣に緋の袈裟、裏は表と同席する時は、紫の衣に緋の袈裟、たとえば総本部から東京本部や他の精舎支部に表が赴く時は、緋袈裟緋衣で、総本部と同じ法衣であるが、裏が総本部でも又苑内の本部支部に表に代わって導師をつとめる時は、緋衣緋袈裟で行うこと。
これは方法として一例を示したにすぎないが、何事も表と裏が話しあって、かつて私と摂受院が存命中話し合って運営したようにすることである。
私、真乗に代わって表と裏は左の者が務めるものとする。

表苑主は    伊藤真砂子
裏苑主は    伊藤志づ子
表首座は    伊藤真砂子
裏首座は    伊藤志づ子

右の通り定めること。

次に長女の件については解決している。孜子を定めないことは別紙を投書、録音等によって資格を与えるわけにはいかない。それは城南支部が、単なる住居に他ならず、他の支部の教師に範を示すことが出来ず 本業は、夫正之の商売に主がおかれているからである。

真如苑教主 伊藤真乗


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