A君はB君のように馬鹿だなぁ。
B君を引き合いに出してますけど、結局言いたいことはA君が馬鹿であることです。
He is as wise as any man.
"He is" "as wise" "as any man."
これも同じですよね。"He is wise"であると言うこと。それを言いたい。
だけど引き合いに"as any man"が追加されています。
"彼は賢いんだよ、他のどのような人と比べてもいいけど。"
つまり意訳すれば、"彼は誰よりも賢い。"となりますよね。
この型には、まず言いたいこと!その後比較するもの(引き合い)。
のリズムでA≧Bなんて数式は本質ではないと感じます。
I came as soon as I heard the news.
上とはちょっとリズムが違いますよねぇ。
"I came"ですよね。言いたいことは、主語は"I"ですし、"私は来たんだよ。"です。
"I came" "as soon" "as I heard the news."
"私は来たんだよ、すぐにね、そのニュースを聞いたら!"
まんまだと思いますけどねぇ・・。
Diderotさん>>13の疑問「A as 〜 as BはA≧Bであるのに、なぜA as soon as Bはそうはならないのか」に対する私の回答(仮説)は単純です。過去ログ>>11でのvoltaire(Diderot)さんの「表現」と「心理」に『現実』を加え三者を分けて考えるのです。 A as soon as B は、「表現」としては一般の A as 〜 as B と同様あくまで《A≒B》(110さん>>14のご説明の通り)、「表現」+「心理」としては《A≧B》(過去ログ>>11の通り)、しかし『現実』としてはほとんどの場合《A<B》、ということではないかと思います。要するに、ほとんどの場合、『現実』《A<B》とそれを誇張した「心理」的「表現」《A≧B》が矛盾しているように見えるだけで、「表現」+「心理」《A≧B》としては例外でない、というのが私の仮説です。
A as soon as B は、その強調 no sooner B than A と比較して考えると、いみじくもどちらも「Bするや否やA」と訳されるように、『現実』には「BしたあとすぐにAした」のに、原初的な「表現」+「心理」としては「Aしたのはすぐだった、Bするのが終わらないうちにAしたほどすぐだった」という誇張表現だったのではないかと思われます。はじめの例 I came as soon as I heard the news. なら「ニュースを聞き終わらないうちにこちらに向かったほど、すぐに来たんだ」というように、すぐというキモチ《A≧B》を『現実』《A<B》に反してでも誇張して伝えたい形なのではないか、ということです。
「表現」+「心理」《A≧B》に対する訳「するや否や」は古臭くても適切であると思うのですが、それを「するが早いか」とするならまだしも、「するとすぐに」と無意識に『現実』《A<B》に即して意訳してしまうことが多いからこそ、原初的な「表現」+「心理」《A≧B》という誇張のニュアンスが薄れ、 as 〜 as としては例外のように感じられてしまうのではないでしょうか。私には、英語の比較表現(同等)の問題というより、英語に限らない誇張表現(修辞)の問題のように思われてなりません。過去ログ、手もとの例文、辞書の説明から考えた仮説にすぎませんが、いかがでしょうか?
We couldn't have rescued the climber ― unless we had had a helicopter.
→登山者を救助できなかったよ
We couldn't have rescued the climber if he hadn't had a helicopter.
→登山者を救助できたよ