したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

【分野】おすすめの本を書くスレ【不問】

129よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:24:21
山本真敬「藤田裁判官の「判断過程統制」の検討」早稲田大学大学院法研論集138号(2011年)201頁以下。

1、はじめに
著者の山本真敬君とは、今も親しくさせてもらっています。
彼の初めての公表論文、しかも後述のように、大変な力作が公にされたことは、誠に慶賀の至りです。
研究者でもない私には、彼の論文についてとやかく言う資格も能力もないとは思いますが、より多くの人に本論文に接していただくため、若干のコメントをさせていただきます。

2、特筆すべき特長
(1)藤田意見自体の分析
本論文は、藤田宙靖最高裁元判事が、議員定数不均衡訴訟において明らかにした「判断過程審査」の手法について、「考慮要素審査」と「時宜適合判断審査」とに分かったうえで、両者が藤田判事の意見においてどのような意味をもっているのかを探究しようとするものです。
従来、毛利透先生の著作などにおいて、考慮要素審査ではなく時宜適合判断審査こそが、判例にとって重要な意味をもっていることが、明らかにされてきました。
本論文も、そのような理解と軌を一にします。
しかし本論文は、それにとどまらず、藤田意見の文言を丁寧に読み解くことから出発しつつ、意見の帰結にとって真に意味のある判示とそうでない判示とを具体的に摘示し、考慮要素審査よりも時宜適合判断審査のほうが、意見にとって重みをもっていることを、明らかにしています。
判示の峻別手法も、あくまでも判文を基礎にしつつ、大変周到になされています。
(2)藤田意見の多数意見に対する影響
藤田意見が、最高裁の多数意見に対して影響を及ぼしたかについては、学界の関心も高いです。
本論文は、考慮要素審査・時宜適合判断審査のそれぞれについて、最高裁の多数意見に影響を及ぼしたことを、明らかにしています。
その手法は、考慮要素審査については、多数意見が挙げるようになった種々の考慮要素を、具体的に挙示し、また時宜適合判断審査については、藤田意見の背後にあった政治的意図をも考慮に入れつつ検討する、という綿密なものです。
藤田意見の多数意見に対する影響について、考慮要素審査と時宜適合判断審査とを明示的に区別しつつ論じた著作は、従来あまり見当たりません。
両者を明確に区別しつつ検討することで、藤田意見の多数意見に対する影響の存在が、非常に見やすくなっています。
(3)このように、本論文は、判決の文言にしっかりと定位しつつ、説得力のある新たな分析の視座から、藤田意見を精緻に分析するものであり、きわめて有益な著作です。

130よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:24:59
3、アドバイス
僭越ながら、若干のアドバイスもさせていただきます。
(1)表記
ア、「考慮要素審査」
本論文が用いる「考慮要素審査」は、一般的な用語なのでしょうか。
本論文は、「当然考慮に入れるべき事項を考慮に入れず,又は考慮すべきでない事項を考慮し,あるいはさほど重要視すべきではない事項に過大の比重を置いた判断をしてい」ないかの審査を、「考慮要素審査」と呼称しています。
しかし、行政法学では一般にこの審査を、「考慮不尽・多事考慮」の審査と呼んでいるはずです。
イ、「判断過程統制」
「判断過程統制」のなかに、考慮要素審査のみならず、時宜適合判断審査をも含めていることには、違和感を感じます。
従来、考慮要素審査は、行政裁量に関する判断過程審査のなかに含めて論じられてきました。
しかし、時宜適合判断審査は、行政裁量統制において問題とされてこなかったために、いきなり判断過程統制のなかに含めて論じられると、用語法上違和感を感じます。
実質的にも、時宜適合判断審査においては、立法府がなんら判断を行わず、漫然と制度を放置した場合も審査の対象となります。
立法府がなんら判断をしていないのに、「判断過程」統制を云々することは、不自然です。
このようなことが生ずるのは、本論文において「判断過程審査」の定義が示されていないことによります。
立法裁量統制と行政裁量統制のあり方は、異なるものであり、行政裁量統制の場面で使用されている「判断過程審査」の定義は、立法裁量統制の場面では、一定の変容を被る可能性があります。
にもかかわらず、立法裁量統制について論じた本論文で、「判断過程審査」の定義が示されていないことには、問題があります。
そもそも行政法学においてすら、「判断過程審査」は必ずしも頻用される概念ではないだけに、よりいっそう、本論文での定義が求められました。
ウ、判示
判示が、多数意見のものなのか、個別意見のものなのか、一つ一つ説明がないために、非常に読みづらくなっています。
たとえば、209頁後半の判示引用は、多数意見の引用に読めますが、実際は藤田意見の引用です。
また、判示が衆議院に関するものか、参議院に関するものかの摘示がないのも、非常に分かりづらいです。
215頁以下では、もっぱら参議院に関する叙述が展開されていますが、同頁なかほどでは、衆議院に関する分析もするかのような論述があります。
そのため、その後の叙述が参議院に関するものなのか、衆議院に関するものなのかが、とても分かりにくかったです。
エ、「又は」「若しくは」
「又は」「若しくは」の使い分けは、法律学の基本なので、正確に理解しておきましょう。

131よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:28:19
(2)内容
ここからは、本論文に刺激を受けた私見、という形でコメントします。
裁判所の判断過程審査の手法を、立法府に対する敬譲の観点から分析すると、おもしろいかもしれません。
本論文では、行政裁量統制に関する手法を、そのまま立法裁量統制にスライドさせることに対しては、慎重な態度がとられています。
これは、非常に重要なことです。
ア、一般論としての立法裁量の尊重
まずは、憲法上の人権の具体化という面をさておいて、一般論として、裁判所は、行政裁量よりも立法裁量に対して、より敬譲的であるべきだということを述べます(以前に作成していた文章をコピー・ペーストするので、少し長くなることを、ご了承ください)。
裁判所は、立法裁量について、行政裁量と同様に、判断過程審査をすべきである、と安易にいうことはできません。
行政裁量統制における判断過程審査の手法は、裁判所が、行政府の判断過程の合理性を審査しようとするものです。
そのため、判断過程統制を徹底させると、次第に裁判所による判断代置に接近していくことになります。
そうなると、行政府の判断に裁量を認めた趣旨が、失われていくことになります。
ところで、裁判所による行政裁量の尊重は、三権分立のほか、司法審査の民主的正統性の観点からも、根拠づけることができます。
すなわち、裁判官は国民に選挙によって直接選出されるわけではありませんから、裁判所の民主的正統性の基盤は脆弱です。
一方、行政府(さしあたり中央政府を念頭に置きます)の構成員のうち、圧倒的多数は、国民が選挙によって選出するわけではありません。
しかし、国会議員は国民が直接選挙で選出するため、国会の民主的正統性は強固であるところ、内閣の首長である内閣総理大臣は、国会議員のなかから国会が指名するため(憲法67条1項前段)、民主的正統性は強いです。
また、内閣は議院内閣制の下、国会に対して連帯して責任を負います(憲法66条3項)。
そのため内閣は、国会に準ずる民主的正統性を有しているということができます。
さらに行政各部は、内閣の下位に組織され、また内閣総理大臣の指揮監督を受けます(憲法72条後段)。
したがって行政各部は、強固とまでは言いがたいものの、民主的正統性を、一定程度備えています。
ここで話を初めに戻すと、裁判所による行政裁量の尊重は、民主的正統性の脆弱な裁判所が、民主的正統性を一定程度備えた行政府(内閣総理大臣あるいは内閣の場合は、民主的正統性は相当強固です)の判断を尊重するためのものである、と根拠づけることができます。
一方国会は、前述のように、行政府に比べて、民主的正統性が非常に強固です。
裁判所が、行政裁量統制に際して判断過程審査をすることが許容されるとしても、立法裁量統制に際してまで判断過程審査をした場合、ややもすると裁判所による判断代置に接近し、立法裁量を無に帰する危険性があります。
それゆえ、民主的正統性の微弱な裁判所は、民主的正統性の強固な立法府の裁量的判断を尊重するため、判断過程審査を控えるべきである、との議論がありえます。
少なくとも裁判所は、行政裁量の場合と比べて、立法裁量統制の場合には、判断過程審査をするに当たって、立法府の裁量的判断に、より敬譲的でなければなりません。
ゆえに、行政裁量統制における判断過程審査の手法を、安易に立法裁量統制の場面へスライドさせることはできません。

132よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/22(金) 20:29:30
イ、憲法上の人権を具体化する立法裁量の尊重
次に、選挙制度のように、憲法上の人権を具体化する立法裁量についても、やはり裁判所には、立法府に対する敬譲が求められることを述べます。
本論文は、藤田意見や近時の最高裁多数意見が、考慮要素審査において、憲法上の人権を他と並立する考慮要素の一つと位置づけ、また時宜適合判断審査において、国会が努力する姿勢さえ見せればよいかのような審査を行っていることに対して、批判的です。
つまり本論文は、藤田意見や近時の最高裁多数意見が、憲法上の人権の価値を、不当に軽視するものであることを、批判しています。
しかし、これらの意見の態度を、単に人権価値を軽視するものであって不当である、と言い切ることはできません。
すなわち、憲法上の人権を具体化する制度立法にせよ、その他の立法にせよ、立法府は、裁判所に先んじて、立法の合憲性審査を行っています。
違憲立法審査権は、裁判所だけではなく、立法府も有するという議論です。
裁判所が、国会の立法裁量に対して敬譲的であるということは、国会が人権を具体化する制度立法をするに際して行った合憲性審査を、裁判所が尊重するということをも、含意します。
前述のように、裁判所は、民主的正統性を強固に備える国会の判断を、まずは尊重することが求められます。
人権を具体化する制度立法の場合、国会は、類型的には、通常の立法の場合以上に、当該人権に関し、より多くの(時間をかけた・多数の法律条項にのぼる)合憲性審査を行っているはずです。
裁判所が、国会の立法裁量を尊重することは、裁判所が、国会による人権尊重に対して敬譲的であるということをも意味します。
単純に、裁判所が人権価値を軽視している、と言い切るわけにはいかないのです。
これに対し、行政府は違憲審査権を有しませんから、裁判所は、人権に関連する行政裁量を尊重する必要性は、高くありません。
以上のような点から、藤田意見や近時の最高裁多数意見が、選挙制度について立法裁量を尊重する姿勢を見せているのは、理由のあることといえます。

4、おわりに
あれこれとうるさい注文もつけましたが、本論文は、先述のとおり非常に精密な分析を行っており、大変大きな価値があります。
山本君の研究のさらなる進展を、心待ちにしています。

133やまもと:2011/07/23(土) 00:38:20
大変ご丁寧なコメント誠にありがとうございます。
ここで私が解説やら言い訳やらをすることも適切ではないと思いますので,
ご指摘に感謝しつつ,今後の研究に取り組みたいと存じます。

134よしはら ◆7lqX359TUk:2011/07/23(土) 00:49:49
すみません、一点誤字の訂正をお願いします。
>>130の「多事考慮」は、正しくは「他事考慮」です。
失礼いたしました。

135よしはら ◆7lqX359TUk:2011/08/27(土) 15:53:34
空知太神社事件政教分離違憲最高裁判決(最大判平成22(2010)年1月20日)の、最高裁調査官解説が公にされました。
清野正彦「判解」法曹時報63巻8号131頁以下。
本判例で、目的効果基準が用いられなかった理由についても、詳論されています。
特に、168頁以下が重要です。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板