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哲学的・雑談的 3

1千手★:2007/07/16(月) 22:27:25
急遽新しいスレッドを作り、「2」を過去ログ倉庫に入れます。
よほど慌てていたのでしょう「雑談的」と記すべきところを何と「雑学的」と
してしまっていたのです。「雑学的」これはわたしの最も嫌悪するものです。

このスレッドは、他のスレッド同様、「非雑学的に」お願いします。
いまだ未知のいまだ脆弱であやうい観念に言葉をあたえ、姿をもたせてやりたいという希いです。
そしてそれをできれば世に通用する概念に育ててゆきたいのです。
参加をお願いします。

2千手★:2007/07/17(火) 02:01:40
赤坂憲雄の「東北学/いくつもの日本を抱いて」

『東北学への招待』(1904年、角川学芸出版)の巻末にあり、全巻のまとめをする論考である。
必要があって久しぶりに読んだのだが、幾つか考えるところがあった。幾つか引っかかるところがあったと言った方が正確かもしれない。
そのままにしておかない方がよいだろう。
それは例えばこういうところだ。

>山形の山村を聞き書きのために歩くと、思いがけず稗の姿はまるで見られなかった。
その代わりに、戦後間もない頃までは、カノと呼ばれる焼畑で栽培されるソバやカブが主作物であったことを知った。
カブ漬けは冬越しの大切な食料となった。ブナの森の豊かな恵みである山菜・きのこの採集や、狩猟・川漁なども、大切な生業とされてきた。
(p.212。強調は引用者)。

ここで言うところの「主作物」とは何のことであろう? カノではソバやカブが主要な作物であったことはわかる。
そして「カブ漬けが冬越しの大切な食料」であったこともわかる。しかし「ソバやカブが主作物であった」ということは、
それらが「主食」であったということとは別のことなのではないだろうか。つまりそれらは「米」を主食として前提にした上での食料だったのではないだろうか。
 わたしがこんな疑問をいだくのは、この文章が、下北や南部地方では、稗が長く主食の座を占めてきた、という文章に続くものだからである。
例えば「下北では、明治二十年代まで、水田の九割までが稗田であった」という。このことはわかる。
そしてそれゆえ、稗を通して、「稲に覆われた表層の風景の下に」横たわる東北の基層の風景をさぐるという探求を、われわれは何が主食であったかという問題の探究として理解することができるのである。
しかしカブを通して、われわれはその同じ探求を試みることができるのだろうか? 
 もしわれわれが「東北学」という名のもとに「稲作以前の、東北の縄文以来の一万年の基層なす風景」の探求を試みるべきであるならば、
われわれは東北のどの地域においても、同じ方法に基づいた探求を試みることができるのでなければならない。
そのときわれわれはおそらく「主食」という概念を外して探求を進めなければならないのだろう。
 そうするとどうなるのか? わたしは飛騨のある友人が、稗は不味くて柱か何かに掴まらんとよう飲み込めなんだ、と言っていたのを思い出す。
だがその同じ友人は同時に、稗飯、つまり稗と米とを半々にして焚いたものは、これより美味いものはないというぐらい美味いんじゃ、と言っていたのである。
混ぜて調理するというような工夫は、昔からなされて来たことだろう。縄文以来の基層をなす文化や風景は、何も東北にだけあるわけではない。
「東北学」をこころざす者は、東北の固有性を探求するのだろうか。それともある種の通有性、あるいはつながりを探求するのだろうか? 
わたしは、地域の学は、差異をもって関係し合う地域的な諸力の探求の学としてしか成立し得ないと考えているのである。
「東北学」もその例外ではありえないだろう。
 赤坂憲雄の「東北学」は一体何を目指しているのだろうか。わたしが尋ねたいのは過去に考え実践してきたことの回顧や反省ではない。
それらは状況論的な意味しかもたないであろう。
わたしが尋ねたいのは今まさに何を求めているのかということである。

3千手★:2007/07/17(火) 02:40:25
>>2訂正
(1904年)→(2004年)

4千手★:2007/07/18(水) 23:50:42
>庄内では藤沢周平さんの小説を原作とする映画のロケが頻繁に行われ、それぞれの作品が大きな話題になっています。
>映画を観た人が映画の舞台となった庄内へどっと繰り出す。小説や映画が地域の風景を活性化し、
>柔らかい形で観光へとつながってゆくという道筋は、大きな武器だと思います。
 赤坂憲雄(『まんだら』vol.31 p.21)
 赤坂さんはさらにこう言います。
>それには<u>物語の力が必要です</u>。民話でもいいし、現代の小説であってもいい、あるいは絵画でもいい。
>文か芸術が生み出す、土地と結びついた物語の役割はとても大きいのです。

 この「物語の力が必要です」のところを、「詩・歌の力が必要です」に代える、そうい位相も存在すると思うのです。
それは何なのか? 確かにひとつの断層があるのです。
この位相の差を思惟してゆきたい。実施「詩歌」だと商売とつながりにくい気がしてしまうのです。
大量動員ができにくい。しかし永続性は詩歌の方が勝るでしょう。

5千手★:2007/07/19(木) 00:06:49
>>4
訂正
文か芸術→文化芸術

詩歌の方がまさる点
物語が外的状況の組み立てによって感情移入される像が生れるのに対して
詩歌は、とりわけ歌は、人がみずからの心を語る内面の言葉そのものを語ってくれる。
人は歌によって一人称でみずからの心をかたる言葉を与えてもらう。

6Pentatonics★:2007/07/19(木) 22:35:04
>>5
まさにそのことによって、その土地が固有のものとして経験されるわけですね。
ここにいない誰かによって書かれた物語をなぞることは、その土地の経験を一般的なものにしてしまうところがあるのでしょう。
「物語」の導入は、資本や科学的視線による地域像の一律化、一般化と重なり合うものを持っていまるように思います。
これはその土地ならではのものを殺しかねない、危険なものを含んでいると思いますが、多くの良識的な人達がそうは思っていないようですね。

7千手★:2007/07/20(金) 02:23:34
しかし「物語」は実際強く、産業界によっても歓迎され、多くの人々のアイデンテティーの基盤にもなっている。
「物語」の乗ればいろいろと成功しやすいと思います。
そしてまたそれは「その土地ならではのもの」に基づいた物語を生んでゆくこともできるでしょう。
赤坂さんは前掲の論議を「汝の立つところを深く掘れ、そこに泉あり」という伊波普猷の言葉をモットーに上げます。
彼がその土地に深く結びついた物語を掘り起こすことを考えているのです。
けれどわたしはこれに対して、
「曾つて吾等の高山樗牛はいつたものだ/汝のゐるところを深く掘れ そこには必ず泉あらん/一人の泉は一人の泉だ/何百年たつても一人の泉だ」
という草野心平のことばに、紛らわされない真実を感じるのです。
私のいう詩・歌はこの一人の泉なのです。飲める人がそこからその水を飲んだらいい。
泉は物語ではないのです。歌なのです。


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