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直観音楽アンサンブル とりあえず2

61千手★:2007/12/15(土) 07:13:03
わたしの家に上司永慶の「大道無門」の軸がある。東大寺の別当をされていたときに書かれたものだ。抽選だったのだが運良く手に入れることができた。
字の意味は、どんな方途をとっても仏道の究極に達することが出来るという意味だと理解しているが、誤っていれば訂正していただければ幸いだ。
この書軸を得て以来、この大道無門という言葉が大好きになった。そしてこの言葉は、あの東大寺のスケールの大きさをよく示しているように思うのだ。たとえばあの二月堂のお水取りの音響空間。あの音響空間の中では鉦や法螺貝なども破天荒な響きを発するし、それが読経や読咒や呪祷(正式にどう呼ぶのか知らない)、神名帳の読み上げによる神々の勧請や過去帳の読み上げなど、そのさまざまな声による音響の技や、下駄の踏み鳴らしによる堂内活気を与える音響などと何の齟齬もなく雑じり合い、交じり合う。わたしはそれをわが国で耳にすることのできる最高の音楽であると思っている。大道無門の精神は、この音響空間の構成を貫く思想でもあるだろう。
 シュトックハウゼンの音楽もそれと変わらない。ジャック・デリダにならって「音楽テクスト」と呼んでおこう。その音楽テクストは、あらゆる音によって構成されうる。ヘリコプターの音はコンチェルトを作るし、上唇のダンスは口から吐き出される息とトランペットのから取り出すことのできるあらゆる音響によって音楽を構成する。すべての音は音テクストとして、音楽への道を与えられる。大道無門と呼ぶべきこの音の解放は、シュトックハウゼンにおいて、間違いなく直観音楽が開いたものだ。宇宙のすべての音要素は音テクストとして、音楽を奏でる。音楽へと導かれる。音楽とは音による究極の快楽のことだ。究極の歓び。
 実際ケルングループの『短波』の演奏(=Spiel・あそび)は二度と達成することの困難な究極の歓楽を示している。フリッチュやコンタルスキー、ボージェやアリングス、ゲルハールなど、それら超音楽家たちの突破の力の結集・凝縮は、奇跡とも言うべき出来事である。シュトックハウゼンの周囲においてすら、それを結集させるのは容易ではなかっただろう。だが彼らの演奏する(あそぶ)直観音楽によって、無門は開かれたのだ。大道への道からあらゆる門が取り壊されたのだ。
 わたしは直観音楽以降のシュトックハウゼンの活動のよき理解者ではない。だが、実際その幾つかを聴いてみれば、宇宙のすべての要素を可能な音楽テクストとして構成する音楽として、つまり大道無門を示す音楽として理解することができるように思う。


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