したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

直観音楽アンサンブル とりあえず2

51千手★:2007/12/09(日) 05:21:23
 シュトックハウゼンが亡くなった。
 巨大な人だった。

 初めてお会いしたのは1997年のことだったと思う。京都で、「シリウス」の演奏とか、また別の会場で
「ハルレキン」の演奏とか、そして知恩院で関西の音楽家との交流のディスカッションとかの催しとかの
あったときだ。「ハルレキン」の演奏の後、レセプションの時間があって、その時ゲーテ・インスティチュートの
館長のケンプさんのご紹介で、「友情のしるしに」と、花束を差し上げた。青い桔梗の花束だ。
わたしたちが「京都大学直観音楽研究会」として活動をしていたときだ。そのときの一緒だったメンバーは、
安藤正人、篠原資明、西尾君江、光田和伸と、今も一緒に活動している寺村幸治君だった。
ドイツ・グラムフォンとの関係が微妙になってくる時だったのだと思う。キュルテンの新しい出版局の案内をくれると約束してくれた。
 その二三日後に、知恩院で開かれたワークショップのような催しにも、ゲーテ・インスティチュートのご厚意で
招待してくれた。日本の側からは、知恩院の僧侶が声明を聞かせてくれた。それに対するシュトックハウゼンの意見は、
音楽家が演奏をしてもっと洗練させれば素晴らしいものになる、ということだった。ディスカッションでは質問をしなかった。
今から思うと、ともあれ何か質問をしておけばよかったと思う。篠原君は、国歌のことで質問をしたかったのだが、
わたしが質問をしないので遠慮した、と後から言った。その時は、わたしたちが演奏をして、はじめて聞いてもらえる水準に達した
「無限に」(『七つの日より』より)のテープをお渡しすることが、わたしの最大の目的だった。シュトックハウゼンの前に立ち、
何と言ったものか、「これを!」とか、そのくらいのことしか言えなかった。シュトックハウゼンは、あの一瞬にして真剣になる目で、
応じ、そして受け取ってくれた。ディスカッションの場でも、そのテープのケースを彼は時々手で回転させたりしていた。
過去の大作曲家の音楽について"Es ist nur Erinnnerung"(それは思い出に過ぎない)と、非常に明確な物言いをしていたことが
最も印象に残っている。その後12月には、楽譜や本やレコードや、たくさんのプレゼントをしてくれた。
「京都大学直観音楽研究会の音楽家たちに」と記された数枚のレコードが今もゲーテ・インスティユートにあるはずだ。
「音楽家たち」と呼んでくれたことが何よりも嬉しかった。テープを聞いてくれた上での表現だからだ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板