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鬼和尚に聞いてみるスレ part25
479
:
健真
:2025/04/06(日) 11:44:35 ID:KC7wU8H60
私が会った人で最も尊敬してるのは、最初の赴任校、伊丹市立荻野小学校の上山正三
校長先生(故人)です。当時、伊丹市は人口が急増し、学校が足りなくなり、荻野小
学校が新設されることになりました。
上山校長先生は初代の校長として、荻野小に赴任されました。上山校長を慕って、志の
ある市内の教師達が荻野小に集まりました。
私は新設2年目に新卒として赴任しました。
校長を筆頭に中堅の教師が集まり、彼らは学校の核となり、学校を作り上げました。
私もその下っ端の一人でした。
職員室の雰囲気もよく、職員室では笑いが絶えませんでした。
男女関係なく皆平等でした。
特に辰野先生(故人)は女性でありながら、高学年担任が好きで、ずっと4・5・6年
生の担任(主任)でした。そういう女の先生は珍しい存在です。
私は辰野先生の学年に4年も居ました。彼女に一から教師の仕事を教えてもらいまし
た。彼女に感謝です。
上山校長は人柄も良く、面倒見も良かったです。大胆な所もあり、当時、教育界を席巻
してた文芸教育研究協議会(文芸研)の会長であった西郷竹彦氏(故人)を荻野小に
招待し、学校あげて国語教育の研究を始めました。
これが私の教師としての宝となりました。
西郷竹彦氏の講演は10回以上聞きました。
荻野小学校は大規模校で、1学年5クラス(約200人)で、全校児童は約1200人
でした。教職員は教師・事務員・用務員で約40人もいました。
40人を不平不満なく上手くまとめる上山校長は、やっぱり人柄・能力とも立派だった
と思います。
それだけではなく、先輩に誘われて飲み会した時、先輩が校長宅に「今から行ってもい
いですか?」という電話をして、校長宅に何回もお邪魔をしました。(校長宅は伊丹市
の中心街にあったのです。)奥さんにも歓待されて、気ままに応接室でくつろぎました。
こういう校長はもう出ないでしょう。
こういう学校に6年いて、田舎の学校に異動したわけですから、前に書いたような苦し
みの20年間になったわけです。
学校は子供を育てる場所です。それなのに、正直な教師がバカをみるような学校、職員
室で笑い声が聞こえない学校は、「教育をする場所」ではありません。
長々と書きましたが、出来れば鬼和尚の感想が聞きたいです。
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