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鬼和尚の経典解説まとめ

93避難民のマジレスさん:2024/09/03(火) 12:14:19 ID:C13ohefw0
48 :鬼和尚 :2022/01/04(火) 00:27:23.71 ID:rxlp6XSH.net

***
(六)
 スブーティは尋ねました。
「師よ、このような言葉や教えを聞いた者たちが、本当に信じることができるでしょうか?」」

 師はスブーティに答えました。
「スブーティよ、そう言うな。将来、正しい教えが滅びるような最後の五百年代にも、戒律を守り、福徳を修める者たちが、この教えを聞いて信心を生じ、これを真実とするだろう。
 これらの者たちは、善根を一人の仏だけではなく、二人、三人、四人、五人の仏のもとで植えただけでもない。無数の千万もの仏のもとで、多くの善根を植えてきたのだ。そして、この教えを聞いて、たとえ一瞬でも純粋な信心を生じる者がいるならば、スブーティよ。如来(仏陀)は、そうした者たちが計り知れない祝福を得ていることをすべて知り、見ているのだ。
 それはなぜかというと、その者たちは、自我としての、認識主体という観念、個体という観念、生きているものという観念、輪廻の主体という観念を持たないからだ。また、(さとりを得る)方法という観念も持たず、方法でない観念も持たない。それはなぜかというと、もしその者たちが心に観念を受け取るならば、それは、(自我という観念としての、)認識主体、個体、生きているもの、輪廻の主体に固執することになるからだ。もし方法という観念を受け取れば、それも、認識主体、個体、生きているもの、輪廻の主体に固執することになるからだ。したがって、方法も方法でないものも受け取るべきではない。
 それはなぜだろうか。如来は常にあなたたち修行者に説いている。私の説法はいかだの喩えのように理解すべきだと。方法さえも捨てなければならないとすれば、まして方法でないものは、なおさらである。」

***

 お釈迦様の説法を聞いて須菩提長老はその難しい話に、
 「このような説法を聞いて信じる者が後の時代にいるのか」
 と、聞いたのじゃ。
 お釈迦様はそのような者も居るじゃろうと、答えたのじゃ。
 何世も善根を植えたものは信じるというのじゃ。

 なぜならばそのような者は先の四つの自己認識の観念を持たず、更に法というものも、法でないものという観念さえないからというのじゃ。
 既にあらゆる観念を滅した者がこの経を信じるというのじゃ。
 筏の喩えを知る者は法をも捨てるのであるから、非法も殊更に捨てるべきというのじゃ。

 筏の喩えとは、お釈迦様の説いた法とは彼岸にいくための筏のようなものというのじゃ。
 彼岸に着いたら筏を捨てるように法をも捨てるべきだというのじゃ。
 実際に最後には法も捨てて無為に座るのが、大悟徹底の道なのじゃ。

 法も非法も捨てる最後の道を説いているといえるのじゃ。


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