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鬼和尚の経典解説まとめ
88
:
避難民のマジレスさん
:2024/08/29(木) 11:13:18 ID:Musr07vg0
0874鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2021/12/30(木) 00:13:46.70 ID:SymNpRIQ
ちょっと間違えていたのう。
三番目はジーヴァなのじゃ。
すまんのう。
この四つの観念は当時のインド人や仏教徒の間で考えられていた自己観念のまとめなのじゃ。
人が自分という者を認識する時、大体このような四つの想いによって認識するであろうということなのじゃ。
一つ一つ解説して行くのじゃ。
最初のサットヴァとは衆生といわれるものじゃ。
生きているもの全てなのじゃ。
今で言えば有機質のものといえるのじゃ。
生きている者である自分、生き物の一員である自分という観念があれば、そこに苦しみも生まれるのじゃ。
何故ならば生きている者という観念は必然的に死によって生きていないもの、無機質なものに変るという変化を含んでいるからなのじゃ。
生きている者である自分という観念を持っていれば死の苦しみもまた尽きないのじゃ。
そうであるからそのような観念は捨てていかなければならないのじゃ。
次はアートマンなのじゃ。
アートマンとは認識できない認識主体なのじゃ。
それは否定によってのみあらわされるものとヴェーダにも説いているのじゃ。
よく仏教はアートマンを否定したといわれているが、実際にはお釈迦様の教えこそ正しいアートマンの法を伝えているのじゃ。
アートマンは否定によってのみ表されるものであるから、誰かがアートマンはあるのかと聞けば、それは無いと答えるのが正しいのじゃ。
そのようにして観念の全てを否定して認識できない認識主体に辿りつくのが真のアートマンの法なのじゃ。
実際にそうしなければ間違ったアートマンを認識してしまう恐れが在るのじゃ。
瞑想をしているといろいろな不可思議な幻想が見えたりするが、総て否定しなければそれらの幻想の一つがアートマンと誤認して修業をやめてしまう恐れがあるからなのじゃ。
実際に誰とは言わないが、あるインド人のヨーギは脳の中心に光が見えたらそれがアートマンだと説いたりしていたのじゃ。
当然それは認識できるものであるからアートマンではないのじゃ。
このようにアートマンがあるという観念も真の悟りを求める者は否定しなければならない観念なのじゃ。
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