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鬼和尚の経典解説まとめ
52
:
避難民のマジレスさん
:2024/07/25(木) 11:20:40 ID:oQLH7aOg0
747:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/12/06(土) 22:22:10 ID:N4ZFFlx20
更に続くのじゃ。
ああ、この世のすべては無意味にして
ただ悲しみの種子なるばかりなり
小さき教えは行ないへといざなえば
人はただ大いなる教えにのみ従うべし
二元性を越ゆるは王の見地
散乱を征服するは王者の行
行なき道こそすべてのブッダたちの道なり
その道を踏むもの、ブッダフッドに至らん
この世の全ては無意味であり、悲しみをもたらすものでしかない。
小乗は行いをしなければならず、それが観念を生み悟りから遠ざかる。
大乗により無差別の境地に至れば悟りも近い故に、人はそれに従うべきじゃ。
この世に意味を与えるのは、人の心であり、記憶による識別作用によるのじゃ。
それは記憶によるものであるから執着を生じ、無常の故に苦を起こすのじゃ。
それらを離れる教えは行いを生じ、それが又自我や執着の元となる。
そのような悪循環を止めるには、識別そのものを空として離れる大乗の法が良いと言うのじゃ。
実際には小乗と大乗の区別も方便であり、真の縁起の法もそれが向いている者には速やかに悟りをもたらすものであるのじゃ。
二元性とは人が持つ対になる観念なのじゃ。
自分と他人とか、家族と他人とか、敵と味方とか、観念の多くはそのように対になっているものじゃ。
そのような単純な観念に因って人は争い、戦争まで起こすのじゃ。
その二元性の観念を超える事こそ、識別を超える王者の立場であるというのじゃ。
そして散乱を征服する王者の行とは、やはり識別を超えて一つの全体となる事なのじゃ。
そうすればもはや行いは無い。
そのような行いすらも無い道こそ、全ての仏陀たちの辿ってきた道なのじゃ。
それ故に、識別を超える仏陀の道を歩む者も、仏陀の境地に至るのじゃ。
今日はここまでなのじゃ。
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