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鬼和尚の経典解説まとめ
47
:
避難民のマジレスさん
:2024/07/21(日) 11:04:34 ID:QpvFU7HU0
726:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/12/02(火) 22:19:34 ID:BPNow3.w0
今日も続くのじゃ。
空をさまよう雲には
根もなくまた家もなし
分別の思いの
心を漂いよぎるもまたしかり
ひとたび「自性心」の見らるることあらば
識別は止まん
空間に象と彩の生ずることあれど
そは黒白に染まらず
万物は「自性心」より出で
しかも心は善悪に汚さるることなし
長き時ふる暗闇も
灼熱の陽を覆うこと能わず
カルパにわたるサムサーラ(輪廻)も
「心」のまばゆい光を隠すことを得ず
空を行く雲の如く、分別も根も家も無いとは、それが本来自我を根本としていない事を示しているのじゃ。
人は分別や認識、思考感情などを自我から起こると認識しておる。
自分が認識する、自分が思考する、自分が悲しむなどと自我から身心の働きが起こると思っているのじゃ。
しかしそれらは謬見であり、分別なども本来は何の主体も無く自動的に起こるものと言っているのじゃ。
自性心とはそのような分別を行う心、唯識論で言えば末那識と阿頼耶識の働きをする心なのじゃ。
分別と記憶による認識は一つとなって働き、分ち難いものじゃ。
それが観られる時、認識は止まり真の悟りが表われるのじゃ。
空間に幻術などで、形や色が浮かぶが、空間そのものは形にも色にも染められる事は無い。
そのように一切の世界は認識から出るが、認識そのものは対象に染まる事は無い。
どれほど長い間に暗闇となっていた所があっても、日の光が差せば一瞬で闇は消える。
そのようにどれほど長く続いた輪廻でも、観察による気付きの一瞬があれば消え去るのじゃ。
それは常に一切衆生に悟りのチャンスが在る事を示しているのじゃ。
多くの者は自分には悟りなど得られないと思っている。
長い間の修行が必要とか思っているじゃろう。
華厳経などにも何回も生まれ変わって修行しなければいかんと書いてあったりする。
しかしそれは間違いなのじゃ。
認識を観察する一瞬の気付きがあれば、誰にでも悟りは訪れるのじゃ。
なぜならばそれが長年の習慣をも滅する事の出来る、自己同一化の厭離をもたらすからなのじゃ。
今日はここまでなのじゃ。
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