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鬼和尚の経典解説まとめ

40避難民のマジレスさん:2024/07/16(火) 11:41:38 ID:Fc5Yxda60
693:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/26(水) 21:40:46 ID:/HbFv/.o0
終わりも近いのじゃ。

 26 泯其所以 不可方比 止動無動 動止無止

 その理由などを考えて、ああだこうだと比べてはいかん。
 動きを止めれば動きは無い、止まる事をやめて動けば止まる事は無い。

 法とはこのような理由でこうなるとか、ああなるとか理由などを考えてもいかんのじゃ。
 例えば動いているものが止まれば動きという現象は無い。
 ものが動けば止まっていると言う現象は無いじゃろう。

 27両既不成 一何有爾 究境窮極 不存軌則

 止まる事と動く事の両方が成立する事は無く一つである事は無い。
 究極の境地においては、もはや俗世間の論理などは存在しないのじゃ。
 
 そのように止まる事と動く事が、二つとも一緒に成立すると言うことが無いように。
 一切が平等の究極の境地は、俗世の規範を離れた所で成立するのじゃ。


 28契心平等 所作倶息 狐疑尽淨 正信調直

 平等の境地に心を一つに止めて在るならば、所作は共に止む。
 疑いを浄め尽し、正にまことの心をもって直く調うのじゃ。 

 そのような平等の境地に一心に心を止めるならば、何事かを為すという事も無い。
 それが無為なのじゃ。

 疑いはきよめ尽し、正にまことの心が真っ直ぐに整えらるのじゃ。
 本心と離れた不浄の心はもはや一つも無いのじゃ。

 29一切不留 無可記憶 虚明自照 不労心力 非思量処 識情難測

 一切の観念を留めず、記憶すべきものも無い。
 無心にして自ら心を明らめ、心配事によって心を疲れさせない。
 思量も及ばぬ境地であり、認識や感情も届かぬ深い境地に入るのじゃ。

 一切の観念が無くなり、記憶すべきものも無いとは、記憶による認識を離れた真の悟りの境地なのじゃ。
 記憶による認識の生み出す自我の観念や、そこから生じる一切の苦をも永遠に離れているのじゃ。

 観念の無い心は虚ろであるが、自らの光で照らされている。
 他の観念の対象によって満たされぬ心が、観念の無い無心の境地によって自ら満たされ、一切は光り輝くのじゃ。
 そこにはもはや一切の苦も無く、心を疲れさせる事も無い安心の境地なのじゃ。

 思う事も無く、認識や感情もそこには無いのじゃ。
 そのような無認識の境地こそ真の悟りなのじゃ。
 

今日はここまでなのじゃ。


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