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鬼和尚の経典解説まとめ
38
:
避難民のマジレスさん
:2024/07/14(日) 11:00:53 ID:6tnEV0UI0
682:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/24(月) 21:56:41 ID:72FX90sI0
更に続くのじゃ。
18 任性合道 逍遥絶悩 繋念乖真 昏沈不好
自らの本性に任せれば、却って道に合致し、逍遥として苦悩を絶てる。
何事にでも念を繋ぐ事あれば、真の法と乖離し、昏沈して好くないのじゃ。
己の本心、本性を知り、それに任せて力を抜けば、心は却って安らぎ、苦悩も無くなるのじゃ。
なにごとも念を囚われていれば、法でさえ上手く働かず、智慧も働かない状態になって良くないのじゃ。
19 好不労神 何用疎親 欲趣一乗 勿悪六塵
好くないままに続ければ精神は疲労するから、何ものも遠ざけたり、親しんだりしてはいかんのじゃ。
修行の道をまっとうしようと想うならば、修行の妨げとなる六つの塵とよばれるものも無理に遠ざけたり、親しんでもいかんのじゃ。
そのような良くないままに修行を続ければ、瞑想をしても精神は疲労するばかりであるから、何かを遠ざけたり、親しんだりしようとしてはいかんのじゃ。
そうであるから真の修行をしようとする者は、身心の刺激となる色や音や香りや味や触感や法などの六つを憎んでもいかんのじゃ。
本来のお釈迦様の教えではそれら六つを遠ざけるべきであるとされているが、それにさえも囚われれば却って良くないのじゃ。
20 六塵不悪 還同正覚 智者無為 愚人自縛
その六塵を憎んで遠ざけたりしなければ、却って修行の道に還ることにもなるのじゃ。
賢い者はそのように無理に六塵を避けようとせず為すがままにするが、愚かな者はそれらを遠ざけようとして帰って自ら縛られるのじゃ。
六塵を憎んで遠ざけたりしないならば、それが却って修行の道としては正しい事にもなるのじゃ。
自らの本性に合わない法を棄てるのであるからのう。
賢い者はそのように法にも囚われず、縛られず、あるがままにして修行の道を進むが、愚かな者は自ら法に縛られて苦悩するのじゃ。
21 法無異法 妄自愛著 将心用心 豈非大錯
それは法が間違いなのではなく、妄りに自ら愛着するのがいかんのじゃ。
それは心を以って心をあやつるのであるから、大いなる錯覚というものに違いないのじゃ。
六塵を遠ざけよという法が間違いなのではなく、それらにも妄りに自分から愛着するから、法によっての苦も起こるのじゃ。
執着する心を、心によって操作しようとするから、法が苦悩を起こすことにさえもなるのじゃ。
それは正に大きな錯覚としかいいようがないのじゃ。
今日はここまでなのじゃ。
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