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鬼和尚の経典解説まとめ
37
:
避難民のマジレスさん
:2024/07/13(土) 11:42:52 ID:SAIWLgus0
679:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/23(日) 22:45:59 ID:72FX90sI0
今日も続くのじゃ。
13無咎無法 不生不心 能随境滅 境逐能沈
咎なければ法は無く、観念が生じなければ心も無い。
認識能力は世界が滅するに従って滅し、世界は認識能力が沈む事で駆逐される。
法が明らかに作用して心が観られれば、心の働きは止むじゃろう。
その時観念は生ぜず、観念が生じないからそれを対象とする心も起こらないのじゃ。
認識能力は境界を区別する力を失って止まり、境界を区別する事が無ければ認識能力も働かないのじゃ。
14境由能境 能由境能 欲知両段 元是一空
境界は認識能力によって境界としてあり、認識能力も境界を認識する事でなりたっているからじゃ。
それら二つのありようを知ろうとすれば、一つの空として観ぜよ。
何故ならば認識は自他の境界を区別し、さまざまな万物を分別する事で成り立っている故に。
その区別された境界が更に認識を確固たるものに思わせ、疑い様が無いから認識と境界は互いにますます強め合っているのじゃ。
それら二つの仕組みを観察しようと欲するならば、一つの空なるものとして観察すべきなのじゃ。
15 一空同両 斉含万象 不見精粗 寧有偏党
一つの空として二つを等しく観察すれば、一切の認識するものが斉しく包含されているのがわかるじゃろう。
その特徴を探ろうとして観れば、偏りが生じ、見ることができないのじゃ。
心の内に深く秘められた認識と境界の仕組みを観察すれば、その中に一切のものごとが包含されているのがわかるのじゃ。
認識によって自他の境界があり、世界があり、万物の起こる縁となるのじゃ。
その世界が認識をますます強固とさせる故に、終わることがないのじゃ。
その働きをあまりにも集中して観察しようとすれば、自己同一化が起こり、観る事が出来ないのじゃ。
あくまでも両者を斉しく空なるものとして放念し、自ら起こるままに観察する事が肝心なのじゃ。
16大道体寛 無難無易 小見狐疑 転急転遅
大いなる道の本体は広く、難しくも無ければ易しくも無い。
小さな見方や疑いがあれば、焦りや遅滞を招く。
本来の修行の道のあり方は大きな道が広く、行くのに難しいという事も無ければ、歩みが易しすぎるという事も無いのじゃ。
ただ囚われた見解や疑いがあれば、焦りや遅滞を招き、自ら迷妄に陥るのじゃ。
17執之失度 必入邪路 放之自然 体無去住
そのように執着すれば度を失い、邪道に入る。
自然に放念すれば、本来去る事も住する事も無い。
修行の道や心にさえも執着すれば心は鎮まることなく、邪道に陥るのじゃ。
心に囚われる事が無く、自然に心を解き放てば、心は居着く事も去る事も無く、鎮まるのじゃ。
今日はここまでなのじゃ。
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