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鬼和尚の経典解説まとめ

36避難民のマジレスさん:2024/07/12(金) 11:28:18 ID:OrdHJE2Y0
672:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/11/22(土) 21:36:20 ID:zYsaQfjM0
続きなのじゃ。

 09帰根得旨 随照失宗 須臾返照 勝却前空  
 
 自らの根本に還れば一切法の意も得られが、分別に従えばその根本をも失うのじゃ。
 その分別を一瞬でも観察できたならば、一切の観念妄想に打ち勝ち、脱却する。
 
 父母の観念にさえも触れない自らの根源に帰れば、一切の法も明らかとなり、悟りも得られるのじゃ。
 記憶の照会による認識を行っていれば、その根本の姿も失なってしまうじゃろう。

 しかし、その認識の作用も一瞬でもかえりみられたならば、自我を滅し悟り萌えられ、観念妄想も無くなるのじゃ。
 返照とはそのような認識の作用を見る気付きを言っているのじや。

 10前空転変 皆由妄見 不用求真 唯須息見
 
 観念妄想が止まないのは皆妄見による。
 それを放って置いて真実を求めようと努力するのは無意味なのじゃ。
 ただ分別の見解を止めるべきなのじゃ。

 人の観念妄想は己があると言うような妄見によって起こるのじゃ。
 仏教では我見といい、それが無明そのものなのじゃ。

 その妄見による妄想を放って置いて、真実は何かとか追い求めるのは無意味なのじゃ。
 分別によって生じる妄見をやすめることこそ大事なのじゃ。

 11 二見不住 慎忽追尋 纔有是非 紛然失心

 有るとか無いとかの二元論を立たず、いつまでも囚われていてはいかんのじゃ。
 これが正しいとかあれは悪いとかの見解に縛られていては、心も乱れ見失うのじゃ。

 哲学者のようにさまざまな見解を追求していけば、論議は更に別れ自らの心も判らなくなってしまうじゃろう。
 そのような自縄自縛の論理や見解があれば心も乱れ見失う故に、いかなる見解や依って立つ論理的な立場なども棄てるべきなのじゃ。。
 
 12二由一有 一亦莫守 一心不生 万法無咎

 二元論の見解も一元論に帰するものであるが、その一元の論理さえ守ってはいかん。
 一つの論理も無くなれば、一切の法が滞りなく作用するのじゃ。

 論理が収束して一つの見解に落ち着いたといえども、その見解さえも守ったり囚われたりしてはいかんのじゃ。
 何らの論理も見解も心に無い時、心もまた根本に回帰し、一切の法が明らかとなり、欠けることなく働くのじゃ。
 
 今日はここまでなのじゃ。


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