[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
鬼和尚の経典解説まとめ
30
:
避難民のマジレスさん
:2024/07/07(日) 12:03:51 ID:xdzQMj4I0
803:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/12/18(木) 21:42:59 ID:3LQWQGf.0
今日も続くのじゃ。
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
六趣輪廻の原因は、自分の無明、己在りと言う我見の愚かさから来るものじゃ。
自分の無明から迷いの闇路をさまよい、いつ生死を離れた悟りに至れるのか知れら無いほどなのじゃ。
六趣輪廻とは、地獄、餓鬼、畜生、人間、阿修羅、天人の六つの生存環境なのじゃ。
衆生が延々とその輪廻をさまようのも、己が在るという無明からなのじゃ。
その原因からさまざまな生きる世界が形作られるのじゃ。
偉大にして広大なる禅定は、いくら称えても称え尽くすことができないものじゃ。
お布施とか、戒を保つ事とかの完成の行、念仏や懺悔などの修行などの数々の善行も皆この中にあるのじゃ。
その無明から抜け出す法として、偉大にして広大なる禅定があるのじゃ。
人を悟りに導く法であるから、いくらたたえてもたたえ切れないほどなのじゃ。
波羅蜜とは完成を意味する梵語なのじゃ。
菩薩の行として大乗では六の波羅蜜、完成の行を行うのじゃ。
布施、戒を守る事、耐え忍ぶ事、精進する事、禅定、智慧などの六なのじゃ。
それらは全て禅定一つによって完成されると言うのじゃ。
さらに念仏とか懺悔などの修行も、禅定一つで完成されると言うのじゃ。
禅定を行い、悟りを得れば全ての修行は完成されることになるから、全ての修行は禅定の中に含まれるといって良いのじゃ。
今日はここまでなのじゃ。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板