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鬼和尚の経典解説まとめ

24避難民のマジレスさん:2024/07/02(火) 11:53:50 ID:aad56Rlo0
993 :鬼和尚 :2021/12/19(日) 23:10:04.81 ID:Mo2srYHF.net[2/2]

 こんな話が在るのじゃ。
 昔、信仰熱心な商人が居たのじゃ。
 寺に度々お参りして、神仏を拝んでいたのじゃ。
 自分の心身の全てを捧げて帰依すると声に出して誓って礼拝していたのじゃ。
 
 すると身を屈しているものだから、財布が懐から転がり出たのじゃ。
 商人はあわてて拾って懐にしまったのじゃ。
 周りで見ていた者達は、
 「全てを捧げて帰依するのではなかったのか」
 と、商人に聞いたのじゃ。
 「お金は別だ」
 と、商人が答えるとみんな大笑いしたのじゃ。
 商人は顔を赤くして寺から去ったのじゃ。

 このような商人でなくとも皆、全てを捧げて帰依するといいながら、やはり別に捧げたく無いものがあるじゃろう。
 名声や権力や家族などを全て捧げるというものは極稀なのじゃ。
 神仏に帰依する道はこのようにたやすい方法に見えて、実は困難な道なのじゃ。

 旧約聖書にも神に子供を捧げたアブラハムの話が在るのじゃ。
 神が子供のイサクを捧げよと、告げたからイサクを焼いたのじゃ。
 まるで美談のように語られているが、現代でやれば狂信的な犯罪者なのじゃ。
 
 インドにも神に全てを捧げて生活も崩壊したというものの話が在るのじゃ。
 実際に全てを捧げれば、そのようになるしかないのじゃ。
 現代で家族と生活して仕事もある人間には、神仏への完全な帰依などできないことなのじゃ。

 できたとしてもサマーディで止まってしまうのじゃ。
 神仏を捨てることが出来ないから、囚われになるのじゃ。
 行き止まりで、困難な道なのじゃ。

 むしろただ座って呼吸を数えるほうが容易な行なのじゃ。
 何も捨てず、捧げなくてよいからのう。
 ただひたすらに座って集中すれば、サマーディも訪れるのじゃ。
 
 この無量寿仏経では華麗な極楽浄土の様子が描かれ、そこに僅か十念でいけるというから皆魅了されるが、それもまた法の一つであり至って困難な道であることをも、知っておかなければならんのじゃ。


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