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鬼和尚の経典解説まとめ

203避難民のマジレスさん:2025/01/11(土) 10:13:24 ID:EQeedK360
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「ここで、身の修行とは、如何なるものか。
神々を礼拝し、先達を尊敬し、師匠に仕える。
清潔、正直、節制、非暴力、以上に努めること。」

「ここで、口の修行とは、如何なるものか。
悪口を言わないこと、ヴェーダを唱えること、
優しい言葉を語ること、有益な言葉を語ること。」

「ここで、意の修行とは、如何なるものか。
自己を抑制して、心身の浄化に精進すること。
実直であり、率直であり、心が穏かであること。」

「ラジャスの人々が愛する、修行とは何か。
尊敬を受けるために、名誉を得るためにして、
不安定で長続きしない、苦行に励むことである。」

「タマスの人が愛している、修行とは何か。
自分を傷つけるため、他人を傷つけてしまい、
自他のためにならない、無智に励むことである。」

「サットヴァの人が愛する、布施とは何か。
適正な時に、適切な所で、適当な人に対して、
果報を求めることなく、布施を喜ぶことである。」

「ラジャスの人々が愛する、布施とは何か。
果報が有ると歓喜し、果報が無いと後悔する。
果報を求めるあまりに、功徳を損うことである。」

「タマスの人が愛している、布施とは何か。
不適な時に、不適な所で、不正な人に対して、
敬意を供えることなく、無礼を施すことである。」

「創造の元始より此の方、三つの聖なる言、
オーム・タット・サットは、至上者を示した。
僧侶は、いつも、礼拝の時に、この語を唱えた。」

「それゆえ、ブラフマンを知っている者は、
礼拝や布施や修行をする時に、聖典に従がい、
必ず、はじめに、聖音オームを唱えるのである。」

「あるいは、この世界から解脱を願う者は、
現象界に結び付ける、果報を求めることなく、
いつも、心から、聖音タットを唱えるのである。」

「聖音サットは、実在や善行の意味であり、
礼拝や布施や修行による、最高の境地であり、
それらを、すべて、至上者に奉げることである。」

「アルジュナよ、たとえ、信仰のない者が、
礼拝や布施や修行をしても、徒労に過ぎない。
それはアサットと呼ばれ、図らずも無益である。」


0438 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2018/10/11(木) 00:06:46.50
更に三つのグナについて解説しているのじゃ。
身口意の修業が説かれるのじゃ。
  いずれもサットヴァによるものこそ真の実践であり、悟りに導くものであるというのじゃ。
そして真言とそれを唱える実践が信仰による礼拝でなければ意味が無いと説くのじゃ。

>>433 ご苦労さんなのじゃ。

>>434 どういたしまして、またおいでなさい。


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