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鬼和尚の経典解説まとめ

112避難民のマジレスさん:2024/09/21(土) 11:07:45 ID:KYeYlvEc0
0638鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2022/01/24(月) 00:18:54.70 ID:NY6g/8Y8

***
(十九)
「スブーティよ、どう思うか?もし誰かがはてしなく 広い宇宙に満ちるほどの七宝を施し、布施を行ったとしたら、その人がその因縁によって得る福徳は多いだろうか?」

「その通りです、師よ。その人はその因縁によって非常に多くの福徳を得ます。」

「スブーティよ、もし福徳が実際に存在するならば、如来は多くの福徳を得るとは説かない。福徳が実際には存在しないから、如来は多くの福徳を得ると説くのだ。」

(二十)
「スブーティよ、どう思うか。如来は端麗な身体を完成しているものとして見るべきだろうか?」

「いいえ、師よ。如来は端麗な身体を完成しているものとして見るべきではありません。なぜかというと『端麗な身体を完成していると言われるものは、実際には端麗な身体を完成しているのではない。それゆえに端麗な身体を完成していると言われる』と如来が説かれているからです。

「スブーティよ、どう思うか。 如来は特徴をそなえたものと見るべきだろうか?」

「いいえ、師よ。如来は特徴をそなえたものと見るべきではありません。なぜかというと『特徴をそなえていると言われるものは、実際には特徴をそなえてはいない。それゆえに特徴をそなえていると言われる』と如来が説かれているからです。」

(二十一)
「スブーティよ、如来が『わたしは法を説いた』と考えるだろうか。」

「師よ、そのように考えることはありません。」

「スブーティよ、もし人が『如来は法を説いた』と語るならば、それは誤りを語ることになる。それは、真実でないことに執着して、わたしを謗ることになる。それはなぜかというと、スブーティよ、法を説く者には、説くべき法が無いからだ。それゆえに、法を説くと言われるのだ。」

 このように言われた時に、スブーティは師に問いました。
「師よ、未来の世において、この法を聞き、信心を生じる者がいるでしょうか?」

 師は言いました。
「スブーティよ、その者らは生きているものでもなければ、生きているものでないものでもない。なぜならば、スブーティよ、『生きているもの』『生きているもの』と言われるものは、如来によって『生きているものではない』と言われているからだ。それゆえに、『生きているもの』と言われるのだ。」

***
 更に又お釈迦様は福徳とか、色身とか、特徴とか、法を説く事とかについて否定してからそのように名づけると説いたのじゃ。
 それぞれがあるものではなく、そうであるからそのように名づけられたというのじゃ。
 そのようにして固定観念を滅して行くのじゃ。
 
 それに対して須菩提長老が、それを聞いて信じる衆生が後の世にいるとかきくのじゃ。
 するとお釈迦様はその衆生さえも衆生ではないと説いたのじゃ。
 そうであるから衆生とよばれるのであるというのじゃ。

 そのようにあらゆるものについて否定されるべき観念があると示したのじゃ。
 そのようにして否定された観念が、正しい観念の滅といえるのじゃ。


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