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鬼和尚の経典解説まとめ

111避難民のマジレスさん:2024/09/20(金) 10:56:05 ID:9LBlwX7.0
0476鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2022/01/22(土) 23:30:26.83 ID:i36ZTocU

***
(十八)
「スブーティよ、どう思うか。如来には肉眼があるだろうか。」
「師よ、その通りです。如来には肉眼があります。」

「スブーティよ、どう思うか。如来には天眼があるだろうか。」
「師よ、その通りです。如来には天眼があります。」

「スブーティよ、どう思うか。如来には智慧の眼があるだろうか。」
「師よ、その通りです。如来には智慧の眼があります。」

「スブーティよ、どう思うか。如来には法の眼があるだろうか。」
「師よ、その通りです。如来には法の眼があります。」

「スブーティよ、どう思うか。如来には仏眼があるだろうか。」
「師よ、その通りです。如来には仏眼があります。」

「スブーティよ、どう思うか。ガンジス河にある全ての砂、その砂のことを如来は説いたであろうか。」
「師よ、その通りです。如来はその砂のことを説かれました。」

「スブーティよ、どう思うか。 一つのガンジス河にある全ての砂粒があるとし、そのような砂粒の数だけのガンジス河があり、その全てのガンジス河にある砂粒の数ほどの世界があるとすれば、それは多いと思うか?」
「非常に多いです、師よ。」

 師はスブーティに告げました。
「これらの世界にいる全ての生きものの数々の心を、如来はすべて知っている。それはなぜかというと、如来はすべての心を心ではないと言っており、それゆえに心と説いているからだ。それはなぜかというと、スブーティよ、過去の心は得ることができず、現在の心も得ることができず、未来の心も得ることができないからだ。」

***

 そしてお釈迦様は須菩提長老に、如来は肉眼、天眼、慧眼、法眼、仏眼があるかと問うのじゃ。
 須菩提長老はあると答えるのじゃ。
 
 肉眼はそのまま肉体の眼じゃな。
 天眼は千里眼の通力の眼なのじゃ。
 慧眼は智慧の眼なのじゃ。
 法眼は法を見る眼なのじゃ。
 仏眼は仏陀としての眼なのじゃ。

 それらの眼によって衆生の心を悉く知るというのじゃ。
 ガンジス川の砂と同じ数のガンジス川があり、その河の砂の数と同じ三千大千世界があるとして、それらの世界に住む衆生の心を全てしるというのじゃ。
 
 どのようにして知るのかといえば、それは心ではないものとして知るというのじゃ。
 現在の心も、過去の心も、未来の心も得られるものではないからというのじゃ。

 心というものも又観念であるから、それはあるものではないのじゃ。
 心は心では無いものとして知れば、全ての衆生の心を知ったことになるのじゃ。


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