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鬼和尚の経典解説まとめ

107避難民のマジレスさん:2024/09/16(月) 13:08:27 ID:M4arHG/60
0557鬼和尚 ◆v4C6SeeabHj8 2022/01/18(火) 00:06:00.63 ID:Id/CH6q0

***
(十七)
 その時スブーティは尋ねました。
「師よ、善き男や善き女を問わず、最高のさとりを目指す心を持つ菩薩たちは、どのように心を保ち、どのように修行すればよいのでしょうか?」

「善き男や善き女が菩薩の道に向かうには、このような決意を持たなければならない。すなわち、『私は全ての生きとし生けるものを救済し、ニルヴァーナに導くべきである。しかし、こうして永遠の平安に導こうとも、実は、誰一人、永遠の平安には導かれていない。』
 それはなぜかと言うと、スブーティよ。もし菩薩が自我として、認識主体という観念、個体という観念、生きているものという観念、輪廻の主体という観念を生ずるなら、それは菩薩とは言えないからだ。
 それはなぜかと言うと、スブーティよ。実際には、菩薩の道に進む人というようなものは何も存在しないからだ。」

***

 須菩提長老は改めてお釈迦様にきいたのじゃ。
 善男子善女子が悟りを求めようとするときどのようにすればよいのかと
 これは最初の問いと同じなのじゃ。

 ここからは今までの問答をまとめる要旨なのじゃ。
 お釈迦様は改めて、答えるのじゃ。
 
 無上正等正覚を求める者は、一切衆生を掬って悟りを得させようと意志を起こすのじゃ。
 しかしそのようにしても一人の衆生も悟りをえるものではない」
 と、念じるのじゃ。
 
 なぜならばその時、自分という四つの観念があれば、菩薩ではないからというのじゃ。
 四つの観念がない時には菩薩であるからというのじゃ。


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