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金剛般若経を読んで実践する
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避難民のマジレスさん
:2024/01/20(土) 19:35:03 ID:Dp/qMVVc0
(27) 「スブーティよ、もしあなたが『如来は特徴をそなえていることによって、この上ない正しい覚りを得た』と考えるならば、スブーティよ、そのように考えてはならない。それはなぜかというと、『如来は特徴をそなえていることによって、この上ない正しい覚りを得た』ということはないからだ。さらにまた、スブーティよ、実に、誰かが『菩薩の道に向かう者には、すべての法が断滅する』と、そのように言うかもしれない。けれども、スブーティよ、このように見てはならない。それはなぜかというと、菩薩の道に向かう者には、いかなる法も断滅しないからだ。」
(28) 「スブーティよ、もし菩薩がガンジス河の沙の数ほどの世界を、七宝で満たして布施したとしても、もし他に菩薩がいて、一切のものを無であると観られたならば、この菩薩は前の菩薩が得たよりもさらに多くの福徳を受け取るだろう。けれどもスブーティよ、諸々の菩薩は福徳を受け取らない。」
スブーティは師に問いました。「師よ、菩薩はなぜ福徳を受け取らないのですか?」
師は答えました。「スブーティよ、菩薩は福徳を受け取るが、それに執着すべきでない。それゆえに、福徳を受け取らないと言われるのだ。」
(29) 「スブーティよ、もし誰かが『如来は来ることも去ることも、坐ることも臥(ね)ることもある』と言うならば、その者はわたしが説いた言葉の意味を理解していない。それはなぜかというと、如来はどこから来ることも、どこへ去ることもないからだ。それゆえに如来と言われるのだ。」
(30) 「スブーティよ、もし善き男や善き女がこの果てしない世界を微塵に砕いたとして、どう思うか、その微塵の数は多いだろうか?」
スブーティは答えました。「非常に多いです、師よ。それはなぜかというと、もしその微塵が実際に存在するならば、如来はその微塵の数を説かなかったであろうからです。それはなぜかというと、如来が説く微塵の数は、実際には微塵の数ではないからです。それゆえに微塵の数と言われるのです。
師よ、如来が説く果てしない世界も、実際の世界ではありません。それゆえに世界と言われるのです。それはなぜかというと、もし世界が実際に存在するならば、それは一つの塊として執着していることになるでしょう。如来が一つの塊への執着を説くとき、それは実際には一つの塊への執着ではありません。それゆえに一つの塊への執着と言われるのです。」
「スブーティよ、一つの塊への執着は説くことができないものだ。それはものでもないし、ものでないものでもない。しかし一般の人たちはその事に執着するのだ。」
―
かなり修行の進んだ者たちが対象なのですね。この金剛経を電子書籍にする際に、主な対象者や実践方法などの案内文を入れる予定なのですが、大体どの段階くらいからおすすめできるとかはございますか? お釈迦様は、準備のできてない者には法を説かないようにとおっしゃったということでしたが。
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