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金剛般若経を読んで実践する
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避難民のマジレスさん
:2024/01/17(水) 20:28:39 ID:Dp/qMVVc0
(16) 「また、スブーティよ。善き男や善き女がこの経を記憶し、読み、繰り返し唱え、念じて実践する場合でも、他の人々に軽んじられることがあるかも知れない。それはなぜかというと、その人々は前の生涯において、罪業によって悪道に堕ちるべきだった。しかし、現在の生存で軽んじられることによって、前の生涯の罪業は消滅し、最高の覚りを得るだろう。
スブーティよ、はるか昔、計り知れない長い無限の昔に、ディーパンカラ如来がおられ、さらに、それよりもずっと以前に、計り知れない数の諸々の如来がおられた。私はこれらの如来に仕え、供養し、虚しく過ごしたことは一切なかった。一方で、もし正しい教えが滅びる時代に、この経を記憶し、読み、繰り返し唱え、念じて実践することによって得られる功徳に比べれば、私がこれまでに諸々の如来に対して行った供養の功徳は、百分の一にも及ばないし、百千億兆分の一にも及ばない。経を実践する功徳は、計算や例えで示すこともできないほど大きいのだ。」
「スブーティよ、もし正しい教えが滅びる時代に、善き男や善き女がこの経を記憶し、読み、繰り返し唱え、念じて実践するとして、彼らが得る功徳を私が全て語ったとしたら、それを聞いた人の中には、心が乱れ、疑いを持ち、信じない者もいるだろう。スブーティよ、この経の意義は計り知れず、その果報も同様に計り知れないことを知るべきである。」
(17)-a その時スブーティは尋ねました。「師よ、善き男や善き女を問わず、最高の悟りを目指すことを決意した菩薩たちは、どのように心を保ち、どのように修行すればよいのでしょうか?」
「善き男や善き女が菩薩の道に向かうには、このような決意を持たなければならない。すなわち、『私は全ての生きとし生けるものを救済し、不生不滅の涅槃に導かなければならない。しかし、こうして永遠の平安に導こうとも、実は、誰一人、永遠の平安には導かれていない。』
それはなぜかというと、スブーティよ。もし自我として、認識主体という観念、個体という観念、生きているものという観念、輪廻の主体という観念が生ずるなら、もはや菩薩とは言えないからだ。
それはなぜかというと、スブーティよ。実際には、菩薩の道に進む人というようなものは何も存在しないからだ。」
師は尋ねました。「スブーティよ、どう思うか? 如来は、ディーパンカラ如来の教えた方法で、この上ない正しい覚りを得たのだろうか?」
スブーティは答えました。「いいえ、師よ。私が師の教えを理解したところによると、如来はディーパンカラ如来の教えた方法で、この上ない正しい覚りを得たのではありません。」
師は言いました。「その通り。スブーティよ、その通りだ。実際には如来がこの上ない正しい覚りを得た方法は存在しない。スブーティよ、もしこの上ない正しい覚りを得る方法が存在したならば、ディーパンカラ如来は私に対して『将来、あなたは如来となり、釈迦牟尼という名で知られるであろう』と予言なさらなかっただろう。」実際にはこの上ない正しい覚りを得る方法はないので、ディーパンカラ如来は私に『将来、あなたは如来となり、釈迦牟尼という名で知られるであろう』と予言なされたのだ。」
それはなぜかというと、如来とは、諸法の真の意味を説くが如きものだからだ。
もしも誰かが、『如来がこの上ない正しい覚りを得られた』と言うならば、それは誤りである。それはなぜかというと、スブーティよ、実際にはこの上ない正しい覚りによって得られることがらは存在しないからだ。スブーティよ、如来が得たこの上ない正しい覚りは、その中に真実も虚妄も無い。それゆえに、如来は『すべての法は目覚めた者の法である』と説くのだ。
それはなぜかというと、スブーティよ、すべての法と言われるものは、実際にはすべての法ではない。それゆえにすべての法と言われるのだ。」
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