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金剛般若経を読んで実践する
57
:
避難民のマジレスさん
:2024/01/06(土) 21:30:09 ID:Dp/qMVVc0
須菩提。於意云何。
可以三十二相觀如來不。須菩提言。如是如是。
以三十二相觀如來。佛言。須菩提。
若以三十二相觀如來者。轉輪聖王則是如來。
須菩提白佛言。世尊。如我解佛所説義。
不應以三十二相觀如來。爾時世尊而説偈言
若以色見我 以音聲求我
是人行邪道 不能見如來
(26)
「スブーティよ、どう思うか、如来を特徴をそなえたものであると観るべきだろうか?」
スブーティは答えました。「そうではありません。如来を特徴をそなえたものであると観るべきではありません。」
師は言いました。「スブーティよ、もし如来を特徴をそなえたものであると観る者がいるならば、転輪聖王もまた、如来であるということになるだろう。」
スブーティは言いました。「師よ、私が師の説いた言葉の意味を理解する限り、如来を特徴をそなえたものとして観るべきではありません。」
その時、師は、次のような詩を歌われました。
形によって私を見、
声によって私を求める者は、
間違った努力を行っており、
私を見ることはできない。
―
確かに自我が観察されない限り、厭離されないので、自分を追及することから外れないようにしなければなりませんね。
自我の観察なのですが、特に手や腕はよく観察しているためか、自分のものではない、ただの物体のように感じられることが多くなってきました。ただ、特別な気づきがあった訳ではなく、だんだん自分のものという感覚が薄れてきているような感じです。思考など、心の中の対象に自我が投射されている場合も、このような経過を辿ることもあるのでしょうか?
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