したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

オショーのSadhana Pathを読んで実践する

979避難民のマジレスさん:2023/03/06(月) 22:20:48 ID:05NgnEmA0
荘子63.
大宗師第六(1)
知天之所為。知人之所為者至矣。知天之所為
者。天而生也。知人之所為者。以其知之所
知。以養其知之所不知。終其天年而不中道夭
者。是知之盛也。雖然有患。夫知有所待而後
當。其所待者特未定也。庸詎知吾所謂天之非
人乎。所謂人之非天乎。且有真人而後有真
知。何謂真人。古之真人。不逆寡。不雄成。
不謨士。若然者。過而弗悔。當而不自得也。
若然者。登高不栗。入水不濡。入火不熱。是
知之能登假於道者也若此。古之真人。其寢不
夢。其覺無憂。其食不甘。其息深深。真人之
息以踵。衆人之息以喉。屈服者。其嗌言若
哇。其耆欲深者。其天機淺。

天の爲す所を知り。人の爲す所を知る者は至
れり。天の爲す所を知る者は天にして生くる
也。人の爲す所を知る者は。其の知の知る所
を以て。以て其の知の知らざる所を養ふ。其の天年を終へて而して中道にして夭(えう)
せざる者は。是れ知の盛んなる也。然りと雖
も患(うれひ)あり。夫れ知は待つ所有りて後
當る。其の待つ所の者は特(たゞ)に未だ定らざる也。庸詎(なんぞ)吾が所謂天の人に非ざるか、所謂人の天に非ざるかを知らんや。且つ真人有って後真知有り。何をか真人と謂ふ。古の真人は寡に逆らはず。成を雄(ほこ)らず。士を謨(はか)らず。然るが若き者は。過(あやま)てども悔いず。當れども自ら得たりとせざる也。然るが若き者は。高きに登つて慄(おそ)れず。水に入って濡(うるほ)はず。火に入って熱せず。是れ知の能く道に登假(とうか)するや此(かく)の若し。古の真人は。其の寢(いね)るや夢みず。其の覺るや憂ひ無し。其の食ふや甘しとせず。其の息や深深。真人の息は踵(くびす)を以てし。衆人の息は喉を以てす。屈服する者は。其の嗌言(やくげん)哇(むせ)ぶが若し。其の耆欲深き者は。其の天機淺し。

注;
大宗師篇
宗師;根本たる師、即ち道。此に謂ふ所の道は主に死生を一にすることを説きたるなり。
生死を一にするは、知より悟りを得る者にて、情を以てしては到底知り得べからず。又、普通の知識ではなく、所謂真人にして始めて望み得べき也
本篇初めに、知を説き、次に真人を説き、真人は知ありて生死を一にす、是れ即ち道なり。

天之所為;生死禍福吉凶等(自然の道体を悟り)
人之所為;世間に処して人事の當に盡すべき
 もの(人間修為の極致)
天而生也;性の本然に随って更に増益せずし
 て、無為自然に達すること
以其知之所知。以養其知之所不知;知の及ぶ
 ところを以て其の極致に達し、知の及ばざ
 る所に止まって、従容として自得を待つ
夫知有所待而後當;吾々の知といふものは、
 何か対象とすべき事柄があって、その上で
 始めて斯ふだと断定するのである。
其所待者特未定也;さて、其の対象たるもの
 は、特に一定してゐるものではない(から、
 無暗に彼此れ計較して断定を下しても、そ
 れは必ずしも真実といふ訳には行かない。)
庸詎知吾所謂天之非人乎;自分が自然と考え
 てゐるものが実は人為であるかも知れず、
 所謂人之非天乎;又、人為と思ふものが却
 って自然のものかもわからぬ。
不逆寡;不足の時に当たりても之に逆らわず
 安んじて
不謨士;(自然に任せて)思慮を加へず
是知之能登假於道者也若此;智の道にいたる
 こと斯くの若し
息以踵;息を深く吸い、極めて落ち着きたる
 云ふ
屈服者。其嗌言若哇;人に屈服する者は、(心
 中落ち着かず)喉の底にてぐづぐづもの言ふ
 様は、猶噛み砕いた肉を吐き出さんとする
 が如く、
(´・(ェ)・`)つ


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板